«12 3 4567» Pages: ( 3/24 total )
本页主题: 毛沢東選集(Japanese edition. 5 volumes) 打印 | 加为IE收藏 | 复制链接 | 收藏主题 | 上一主题 | 下一主题

maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう
          (一九三七年八月二十五日)
     これは、毛沢東同志が一九三七年八月、中国共産党中央委員会の宣伝部門のために書いた宣伝扇動要綱である。この要綱は、当時、陝西省北部の洛川でひらかれた中国共産党中央委員会政治局の拡大会議で採択された。

 (イ)七月七日の蘆溝橋《ルーコウチャオ》事変は、日本帝国主義の中国中心部にたいする大がかりな進攻の始まりである。蘆溝橋の中国軍の抗戦は、中国の全国的な抗戦の始まりである。日本侵略者のとどまることのない進攻、全国人民の断固たる闘争、民族ブルジョア階級の抗日への傾斜、また中国共産党の抗日民族統一戦線政策についての熱心な提唱と断固たる実行およびその政策が全国の支持をえたことによって、「九・一八」いらいの中国支配当局の対日不抵抗政策は、蘆溝橋事変ののち抗戦を実行する政策に転換しはじめ、一二・九運動いらいの中国革命の発展の情勢は、内戦を停止し抗戦を準備する段階から、抗戦を実行する段階に移行した。西安《シーアン》事変と国民党中央執行委員会第三回全体会議を起点として、国民党が政策上の転換をはじめ、さらに蒋介石《チァンチェシー》氏が七月十七日廬山《ルーシャン》で抗日についての談話を発表し、またかれが国防の面で多くの措置をとったことは称賛にあたいする。陸軍、空軍、地方部隊をとわず、前線のすべての軍隊は勇敢に抗戦をすすめ、中華民族の英雄的気概をしめしている。中国共産党は最高の熱意をこめて、全国のあらゆる愛国的軍隊、愛国的同胞に民族革命のあいさつをおくるものである。
 (ロ)しかし他方では、七月七日の蘆溝橋事変以後も、国民党当局はあいかわらず「九・一八」いらいのあやまった政策をとりつづけ、妥協と譲歩をおこない〔1〕、愛国的軍隊の積極性をおさえつけ、愛国的人民の救国運動をおさえつけている。日本帝国主義は、北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》を奪いとったのち、その野蛮《やばん》な武力をたのみにし、ドイツ、イタリア両帝国主義の声援に力をかり、イギリス帝国主義の動揺を利用し、中国国民党の広範な勤労大衆からの遊離を利用して、全華北地方とその他の各地に猛烈な進攻をおこなう第二歩、第三歩の予定作戦計画を実行するというように、これからも大規模な進攻の方針をとりつづけることは、すこしも疑う余地がない。察哈爾《チャーハール》、上海《シャンハイ》などにはすでに戦いの炎がもえあがっている。祖国を滅亡の危機から救い、強力な侵略者の進攻に抵抗し、華北地方と沿海地方を防衛し、北平、天津と東北地方を奪回するためには、全国人民と国民党当局は、東北地方と北平、天津をうしなった教訓、エチオピア滅亡の前例、ソ連がかつて外敵に勝利した歴史〔2〕、スペインがいま成功裏にマドリードを防衛している〔3〕経験を深く認識し、かたく団結して祖国防衛のために最後までたたかわなければならない。今後の任務は、「すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとる」ことであり、その鍵《かぎ》は国民党が政策を全面的、徹底的に転換することである。抗戦問題での国民党の進歩は称賛にあたいするもので、これは中国共産党と全国人民が多年望んでいたことであり、われわれはこのような進歩を歓迎する。しかし国民党の政策は、民衆を動員すること、政治を改革することなどの問題では、依然としてすこしも転換していない。人民の抗日運動にたいしては、依然として基本的にその禁を解こうとせず、政府機構にたいしては、依然として原則的な改造をくわえようとせず、人民の生活にたいしては、依然として改善の方針をとらず、共産党にたいする関係でも、誠意をもって協力するところまでいっていない。このような国家民族の存亡の瀬戸ぎわにたって、もし国民党がまだこうした政策を固執し、早急に転換しようとしないなら、抗日戦争をきわめて不利にするであろう。一部の国民党員は、抗戦に勝利してから政治改革をおこなうといっている。かれらは、政府だけの抗戦で日本侵略者にうち勝つことができるとおもっているが、これはあやまりである。政府だけの抗戦では、個々の勝利がいくらか得られるだけで、徹底的に日本侵略者にうち勝つことは不可能である。徹底的に日本侵略者にうち勝つには、全面的な民族抗戦をするほかはない。しかし、全面的な民族抗戦を実現するには、国民党がその政策を全面的、徹底的に転換しなければならず、全国が上から下まで共同して徹底的抗日の綱領を実行しなければならない。その抗日綱領が、第一次国共合作のさい孫中山《スンチョンシャン》先生のみずから制定した革命的三民主義と三六政策の精神にもとづいて提起された救国綱領である。
 (ハ)中国共産党は、あふれるばかりの熱意をもって中国国民党、全国人民、全国の各党、各派、各界、各軍にたいし、徹底的に日本侵略者にうち勝つための十大救国綱領を提起する。中国共産党は、祖国を防衛し日本侵略者にうち勝つ目的をたっするには、この綱領を完全に、誠意をもって、断固遂行する以外にないものと確信している。そうではなく、旧套《きゅうとう》を固執して時機を失するならば、その責任を問われることになる。全国が滅びさってからでは、いかに悔いようともとりかえしはつかない。十大救国綱領はつぎのとおりである。
    一 日本帝国主義の打倒
 日本と国交を断絶し、日本の官吏を駆逐し、日本のスパイを逮捕し、中国にある日本の財産を没収し、日本にたいする債務を否認し、日本と締結した諸条約を破棄し、すべての日本租界を回収する。
 華北地方と沿海各地を防衛するため、最後まで血戦をおこなう。
 北平、天滓と東北地方を奪回するため、最後まで血戦をおこなう。
 日本帝国主義を中国から駆逐する。
 いかなる動揺、妥協にも反対する。
    二 全国の軍事総動員
 全国の陸海空軍を動員し、全国的抗戦をおこなう。
 単純防御の消極的な作戦方針に反対し、独立自主の積極的な作戦方針をとる。
 常設の国防会議をもうけ、国防計画と作戦方針を討議、決定する。
 人民を武装化し、抗日遊撃戦争を発展させて、主力軍の作戦に呼応させる。
 軍隊の政治工作を改革し、指揮員と戦闘員を一致団結させる。
 軍隊と人民を一致団結させ、軍隊の積極性を発揮させる。
 東北抗日連合軍を援助し、敵の後方を破壊する。
 抗戦の軍隊にはすべて、平等な待遇をする。
 全国各地に車管区をもうけ、全民族を動員して戦争に参加させる。こうして、しだいにやとい兵制度を義務兵役制度にきりかえていく。
    三 全国人民の総動員
 民族裏切り者をのぞく全国の人民はすべて、抗日救国のための言論、出版、集会、結社および武力抵抗の自由をもつ。
 人民の愛国運動をしばるすべてのふるい法令を撤廃し、革命的な新しい法令を公布する。
 すべての愛国的、革命的な政治犯を釈放し、政党禁止を解除する。
 力のあるものは力をだし、金のあるものは金をだし、武器のあるものは武器をだし、知識のあるものは知識をだすというように、全中国の人民を動員し、武装化し、抗戦に参加させる。
 民族自決と自治の原則のもとに、共同して抗日をおこなうよう、蒙古族、回族、その他の少数民族を動員する。
    四 政治機構の改革
 真に人民を代表する国民大会を招集して、真の民主的憲法を採択し、抗日救国の方針をきめ、国防政府を選挙する。
 国防政府は、各党各派および人民団体のなかの革命的な人びとを吸収し、親日分子を追放すべきである。
 国防政府は、民主的でもあり集中的でもあるという民主集中制をとる。
 国防政府は、抗日救国の革命的政策を実施する。
 地方自治を実行し、汚職官吏を一掃し、廉潔な政府を樹立する。
    五 抗日の外交政策
 日本の侵略主義に反対するすべての国ぐにと、領土・主権をうしなわない範囲で、反侵略同盟および抗日軍事相互援助協定をむすぶ。
 国際平和戦線を支持し、ドイツ、日本、イタリアの侵略戦線に反対する。
 朝鮮および日本国内の労農人民と連合して日本帝国主義に反対する。
    六 戦時の財政経済政策
 財政政策は、金のあるものは金をだす、民族裏切り者の財産を没収して抗日の費用にあてる、ということを原則とする。経済政策は、国防生産を整備拡大し、農村経済を発展させ、戦時生産品の自給を保証する。国産品の使用を提唱し、地方物産を改良する。日本商品を禁絶し、不正商人をとりしまり、投機や市場操縦に反対する。
    七 人民生活の改善
 労働者、職員、教員、抗日軍人の待遇を改善する。
 抗日軍人の家族を優遇する。
 苛酷《かこく》で雑多な税金を廃止する。
 小作料と利子を引き下げる。
 失業者を救済する。
 食糧の供給を調整する。
 災害と飢きんの救済をする。
    八 抗日の教育政策
 教育におけるふるい制度、ふるい課程をあらため、抗日救国を目標とする新しい制度、新しい課程を実施する。
   九 民族裏切り者、売国奴、親日派を一掃し、後方をかためる
   十 抗日の民族団結
 国民党と共産党の協力を基礎に、全国の各党、各派、各界、各軍の抗日民族統一戦線を樹立して抗日戦争を指導し、誠心誠意団結をはかってともに国難にあたる。
 (ニ)政府だけの抗戦という方針をすてて、全面的な民族抗戦の方針を実現しなければならない。政府は、人民と団結し、孫中山先生のすべての革命精神を復活させ、上述の十大綱領を実行し、抗日戦争の徹底的な勝利をたたかいとらなければならない。中国共産党とその指導する民衆および武装力は、上述の綱領にもとづいて抗日の最前線に立ち、祖国の防衛のために最後の血の一滴まで流してたたかうことを決意している。中国共産党は、自己の一貫した方針のもとに、中国国民党および全国の他の諸政党とおなじ戦線に立ち、手をたずさえて団結し、民族統一戦線のかたい長城をきずき、極悪な日本侵略者にうち勝ち、独立、自由、幸福の新中国のためにたたかうことをねがうものである。この目的をとげるためには、民族裏切り者の投降・妥協の理論に断固反対すると同時に、日本侵略者に勝てないと考える民族敗北主義にも断固反対しなければならない。中国共産党は、上述の十大綱領が実現されれば、日本侵略者にうち勝つ目的はかならず達成できるものと確信している。四億五千万の同胞が一致して努力しさえすれば、最後の勝利は中華民族のものである。
 日本帝国主義をうちたおせ!
 民族革命戦争万歳!
 独立、自由、幸福の新中国万歳!



〔1〕 本巻の『日本の進攻とたたかう方針、方法および前途』の解題を参照。
〔2〕 『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』第八章を参照。
〔3〕 一九三六年、ドイツ、イタリアのファシストは、スペインのファシスト軍閥フランコを利用して、スペイン侵略戦争をおこした。スベィン人民は、人民戦線政府の指導のもとに、民主主義をまもり侵略に反対する英雄的な抵抗戦争をおこなった。この戦争で、もっとも激烈な戦いがおこなわれたのは首都マドリードの防衛戦である。マドリード防衛の戦争は、一九三六年十月から、前後二年五ヵ月にわたって堅持された。イギリス、フランスなどの帝国主義諸国がいつわりの「不干渉」政策なるものによって侵略者をたすけたこと、それに人民戦線の内部に分裂が生じたことによって、マドリードは一九三九年三月に陥落した。
訳注
① 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔4〕を参照。
② 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔8〕を参照。
③ 本選集第一巻の『蒋介石の声明についての声明』注〔1〕を参照。
④ 本選集第一巻の『湖南省農民運動の視察報告』注〔8〕を参照。
  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 09:37 | 20 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

自由主義に反対する
          (一九三七年九月七日)
 われわれは積極的な思想闘争を主張する。なぜなら、それは、党内および革命団体内の団結を実現してたたかいを有利にする武器だからである。共産党員と革命家は一人ひとりがこの武器を手にしなければならない。
 ところが、自由主義は、思想闘争を解消し、無原則的な平和を主張する。その結果、腐敗した卑俗な作風がうまれ、党と革命団体内の一部の組織、一部の人を政治的に堕落させる。
 自由主義はいろいろな形であらわれる。
 知人、同郷、同窓、親友、親近者、旧来の同僚、旧来の部下であることから、おだやかさとむつまじさを保とうとして、まちがっていることがはっきりわかっていても、かれらと原則上の論争をおこなわず、なすがままにまかせる。あるいは、なごやかな空気を保とうとして、うわべのことをいうだけで、徹底的な解決をはからない。その結果、団体にも害をあたえ、個人にも害をあたえる。これが第一の型である。
 組織に積極的に提案するのではなく、かげで無責任な批判をする。面とむかってはいわずに、かげであれこれいい、会議の席ではいわずに、会議がすんだあとであれこれいう。集団生活の原則などは念頭になく、ただ自由放任があるだけである。これが第二の型である。
 自分にかかわりのないことはほうっておき、まちがっていることがはっきりわかっていても、口にださない方が得だと考え、りこうに保身をはかり、あやまちのないことだけをねがう。これが第三の型である。
 命令には服従せず、個人の意見を第一にする。組織に世話はしてもらいたいが、規律はごめんだという。これが第四の型である。
 団結のため、進歩のため、ことをうまくはこぶために、正しくない意見と闘争し、論争するのではなくて、個人攻撃をし、意地をはり、私憤をはらし、報復をはかる。これが第五の型である。
 正しくない議論をきいても論ばくせず、反革命分子の話をきいてさえ報告せず、なにごともなかったかのように平然としている。これが第六の型である。
 大衆に接して、宣伝もせず、扇動もせず、演説もせず、調査もせず、事情も聞かず、大衆の苦楽に関心もよせずに知らぬ顔をし、自分が共産党員であることをわすれて、共産党員を普通の民衆と混同する。これが第七の型である。
 大衆の利益をそこなう行為を見て憤慨もせず、忠告もせず、制止もせず、説得もせず、そのままほうっておく。これが第八の型である。
 なにごとをやるにもふまじめで、一定の計画をもたず、一定の方向をもたず、いいかげにすませ、その日暮らしをし、坊主になればなっているあいだだけ鐘をつく。これが第九の型である。
 自分では革命にたいして功労があると思いこみ、先輩かぜをふかせ、大きな事はやれないくせに小さな事はやらず、仕事はだらしがなく、学習はずぼらである。これが第十の型である。
 自分がまちがっており、しかもそれを知っていながら、あらためようとせず、自分にたいして自由主義をとる。これが第十一の型である。
 このほか、まだいくつかあげることができるが、おもなものはこの十一の型である。
 これらはすべて自由主義のあらわれである。
 革命的な組織のなかでの自由主義は、きわめて有害なものである。それは団結をよわめ、結びつきをゆるめ、活動を消極的にし、意見の不一致をもたらす腐食剤である。それは革命の隊列に厳密な組織と規律をうしなわせ、政策の徹底的遂行を不可能にし、党の組織を党の指導する大衆から遊離させる。これはゆゆしい悪質な偏向である。
 自由主義の根源は、個人の利益を第一におき、革命の利益を第二におく小ブルジョア階級の利己心にあり、そこから思想上、政治上、組織上の自由主義がうまれる。
 自由主義者は、マルクス主義の原則を抽象的な教条としてみている。かれらは、マルクス主義には賛成するが、それを実行しようとしないか、あるいは完全には実行しようとせず、マルクス主義をもって自分の自由主義ととりかえようとしない。これらの人びとは、マルクス主義ももっているが、自由主義ももっている。言うことはマルクス主義だが、行なうことは自由主義であり、人にたいしてはマルクス主義だが、自分にたいしては自由主義である。二種類の品物をとりそろえていて、それをつかいわける。これが一部の人びとの思想方法である。
 自由主義は日和見主義の一つのあらわれであり、マルクス主義と根本的に衝突するものである。それは消極的なものであり、客観的には敵をたすける役割をするので、敵はわれわれの内部に自由主義が保存されることをよろこぶ。自由主義はこういう性質のものであるから、革命の隊列内にその存在の余地をのこしてはならない。
 われわれは、マルクス主義の積極的な精神によって、消極的な自由主義を克服しなければならない。共産党員は、気持ちが卒直で、忠実で、積極的で、革命の利益を第一の生命とし、個人の利益を革命の利益にしたがわせなければならず、党の集団生活をつよめ、党と大衆との結びつきをつよめるように、いつ、どこででも、正しい原則を堅持し、すべての正しくない思想や行動とうむことなく闘争しなければならず、個人よりも党と大衆に、自分よりも他人に、いっそう関心をよせなければならない。それでこそ共産党員といえるのである。
 忠実な、卒直な、積極的な、厳正なすべての共産党員は団結して、一部の人びとの自由主義的な偏向に反対し、かれらを正しい方向にむかわせよう。これは思想戦線における任務の一つである。
  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 09:37 | 21 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

国共合作成立後のさしせまった任務
          (一九三七年九月二十九月)
 はやくも一九三三年に中国共産党は、赤軍への進攻を停止すること、民衆に日中をあたえること、民衆を武装化すること、この三つを条件として国民党のいかなる部隊とも抗日協定をむすぶ用意がある、という宣言を発表した。それは一九三一年、九・一八事変がおこったときから、中国人民の第一に重要な任務が日本帝国主義の中国進攻にたいしてたたかうことにあったからである。だが、われわれの目的はたっせられなかった。
 一九三五年八月、中国共産党と中国赤軍は、各党各派および全国の同胞に、抗日連合軍と国防政府を組織してともに日本帝国主義とたたかうことをよびかけた〔1〕。同年十二月、中国共産党は、民族ブルジョア階級と抗日民族統一戦線を結成することについての決議を採択した〔2〕。一九三六年五月、赤軍はまた、南京《ナンチン》政府に内戦の停止と一致抗日を要求する通告電を発表した〔3〕。同年八月、中国共産党中央委員会ははまた、国民党が内戦を停止すること、両党の統一戦線を結成してともに日本帝国主義とたたかうことを要求する書簡を国民党中央委員会におくった〔4〕。同年九月、共産党はまた、中国に統一的な民主共和国を樹立することについての決議をおこなった〔5〕。共産党側はこれらの宣言、通告電、書簡、決議をだしたばかりでなく、代表をおくって何回も国民党側と交渉をおこなったが、やはりなんの結果もえられなかった。一九三六年の末、西安《シーアン》事変がおこるにいたって、中国共産党の全権代表は、ようやく国民党のおもな責任者とのあいだに、両党の内戦停止という当時の政治上の一つの重要な共通点に到達し、同時に西安事変の平和的解決を実現した。これは中国史上の大きなできごとで、このときから、両党のあらたな協力にとって必要な一つの前提がつくられたのである。
 ことしの二月十日、国民党中央執行委員会第三回全体会議のひらかれる前夜、中国共産党中央は、両党の協力を具体的に実現するため、この会議にたいして系統だった提案を電報で通知した〔6〕。この電報では、内戦の停止、民主と自由の実施、国民大会の招集、抗日のための早急な準備、人民の生活改善などの五項目を共産党に保証するよう国民党に要求するとともに、共産党もまた、二つの政権の敵対関係の解消、赤軍の名称の変更、革命根拠地での新しい民主制度の実施、地主の土地没収の停止の四項目の保証を国民党にあたえた。これもまた一つの重要な政治上の段どりであった。なぜなら、もしこのような段どりがなければ、両党の協力の実現はどうしてもひきのばされ、抗日のための早急な準備にとってまったく不利になるからである。
 その後、両党の交渉は一歩あゆみよった。両党の共同の政治綱領の問題、民衆運動禁止の解除と政治犯釈放を要求する問題、赤軍の名称変更の問題などについて、共産党側はいっそう具体的な提案をした。共同綱領の公布、民衆運動禁止の解除、革命根拠地の新制度の承認などは、こんにちもまだ実現してはいないが、赤軍を国民革命軍第八路軍(抗日戦線の戦闘序列では第十八集団軍ともいう)と改称する命令は、北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》が敵に占領されてから約一ヵ月後に公布されている。はやくも七月十五日に国民党に手渡された、両党協力の成立を公表する中国共産党中央の宣言と、当時それにつづいて発表する約束になっていた、中国共産党の合法的地位を認める蒋介石《チャンチェシー》氏の談話は、発表がひどくおくれて残念であるが、これも九月二十二日と二十三日、ちょうど前線が緊迫してきたときに、国民党の中央通信社をつうじてあい前後して発表された。共産党のこの宣言と蒋介石氏のこの談話は、両党協力の成立を公表したもので、両党の共同救国という偉大な事業のために、必要な基礎をすえたものである。共産党の宣言は、両党の団結の方針となるだけでなく、全国人民の大団結の根本方針ともなるであろう。蒋氏の談話では、共産党の全国における合法的地位を認め、団結救国の必要を指摘しているが、これはけっこうである。しかし、国民党の思いあがった考えをまだすてていないことと、必要な自己批判もまだしていないことは、われわれとして満足できないものである。しかし、ともかくも、両党の統一戦線は成立をつげた。これは、中国革命史上に一つの新紀元をひらいた。これは、中国革命に広範な、深刻な影響をあたえ、日本帝国主義の打倒に決定的な役割をはたすであろう。
 中国の革命で、一九二四年から決定的な役割をはたしてきたのは、国共両党の関係である。両党が一定の綱領にもとづいて協力したことによって、一九二四年から一九二七年までの革命がおこされた。孫中山《スンチョンシャン》先生が四十年も国民革命に力をつくしながらなお完成できなかった革命事業は、わずか二、三年のあいだに一、広東《コヮントン》省の革命根拠地の創設と北伐戦争の勝利という大きな成果をおさめた。これは両党が統一戦線を結成した結果である。ところが、一部のものが革命主義を堅持できなかったため、革命が完成されようとした矢先に、両党の統一戦線が割れて、革命の失敗をまねき、それに乗じて外国の侵略の手がのびてきた。これは両党の統一戦線が割れた結果である。いま、両党がふたたび結成した統一戦線によって、中国革命に新しい時期が形成されたいまなおある人たちが、この統一戦線の歴史的任務とその偉大な前途を理解せず、この統一戦線の結成をやむをえないその場しのぎの方法にすぎないと考えていても、歴史の車輪は、この統一戦線をつうじて、中国革命をまったく新しい段階へみちびいていくであろう。中国がこれほど深刻な民族的危機と社会的危機から解放されるかどうかは、この統一戦線の発展状況によってきまる。その有利な新しい証拠はすでにあらわれている。第一の証拠は、中国共産党がはじめて統一戦線政策を提起したとき、いちはやく全国人民の賛同をえたことである。人心の向こうところは、これを見てもあきらかである。第二の証拠は、西安事変が平和的に解決されて両党が停戦すると、国内の各党、各派、各界、各軍がただちにかつてないほどの団結ぶりをしめしたことである。この団結は、抗日の必要からいうと、まだ非常に不十分で、とくに、政府と人民のあいだの団結の問題は、いまなお基本的に解決されてはいないが。第三の証拠、これはもっとも顕著なもので、全国的な抗日戦争がおこされたことである。この抗戦は、現在の状況についていえば、全国的なものではあるが、まだ政府と軍隊にかぎられているので、われわれには満足できない。このような抗戦では日本帝国主義にうち勝つことができないということを、われわれははやくから指摘していた。そうではあるが、百年らいかつてなかった全国的範囲での対外抗戦が、たしかにもうおこされており、これは、国内の平和と両党の協力がなければできないことである。両党の統一戦線が割れていたときには、日本侵略者は一発の弾丸もつかわないで東北地方四省を手にいれることができたとしても、両党の統一戦線がふたたび樹立されたこんにちでは、血戦の代価なしには中国の土地を手にいれることはできない。第四の証拠は、国際的な影響である。全世界の労農民衆と共産党は、中国共産党のかかげた抗日統一戦線の主張を支持している。国共合作の成立後、各国人民、とくにソ連は、いっそう積極的に中国を援助するであろう。中ソは、すでに相互不可侵条約を締結しており〔7〕、こんご両国の関係はさらに一歩ふかまるものと期待される。以上のべたような証拠から、統一戦線の発展は、日本帝国主義の打倒と中国の統一的な民主共和国の樹立という明るい偉大な前途へ中国をすすませるものと、われわれは断定することができる。
 しかしながら、このような偉大な任務は、現在の状態にとどまっている統一戦線では達成できるものではない。両党の統一戦線はもっと発展させる必要がある。それはいま成立している統一戦線が、まだ充実した強固な統一戦線ではないからである。
 抗日民族統一戦線は、国民党と共産党という二つの政党にかぎられるものであろうか。そうではなく、それは全民族の統一戦線であって、二つの党はこの統一戦線の一部にすぎない。抗日民族統一戦線は、各党、各派、各界、各軍の統一戦線であり、労働者、農民、兵士、知識層、商工業者などすべての愛国的同胞の統一戦線である。現在の統一戦線は、事実上まだ二つの党の範囲にとどまっていて、広範な労働者、農民、兵士、都市小ブルジョア階級およびその他の多くの愛国的同胞はまだ、よびさまされていず、動員されていず、組織され武装化されていない。これが当面のもっとも重大な事態である。それが重大だというのは、前線での勝利を不可能にしているからである。華北地方および江蘇《チァンスー》省、淅江《チョーチァン》省の前線での重大な危機は、現在もはやおおいかくすくともできなければ、また、おおいかくす必要もなく、問題は、この危機をどうして救うかということにある。危機を救う唯一の道は、孫中山先生の遺言、つまり「民衆をよびさます」ということばを実行することである。孫中山先生は臨終のこの遺言のなかで、四十年の経験を積んで、革命の目的を達成するにはそうしなければならないことを深く知った、といっている。いったいどのような理由から、どうしてもこの遺言を実行しようとしないのか。いったいどのような理由から、こうした危急存亡の瀬戸ぎわにあってなおこの遺言の実行を決意しないのか。統制や弾圧が「民衆をよびさます」という原則にそむくものであることは、だれの目にもあきらかである。政府と軍隊だけの抗戦では、けっして日本帝国主義にうち勝つことはできない。われわれは、ことしの五月には、この問題について、民衆が抗戦に立ちあがらなければ、エチオピアの二の舞いを演じるだろうと指摘して、政権をにぎっている国民党に、声を大にして警告していた。たんに中国共産党員だけでなく、各地の多くの先進的な同胞と国民党のなかの多くの賢明な党員も、この点を指摘していた。だが、統制政策は依然としてあらためられていない。その結果、政府は人民から遊離し、軍隊は人民から遊離し、軍隊内では指揮員が戦闘員から遊離している。統一戦線が民衆によって充実されないと、前線の危機は、どうしても大きくなる一方で、小さくなることはない。
 こんにちの抗日統一戦線は、国民党の統制政策にとってかわるものとしての、両党が共同で承認し、正式に公布した政治綱領をまだもっていない。国民党が民衆にたいしてとっているやり方は、いまでも十年らいのやり方そのままである。政府機構、軍隊制度、民衆政策から、財政、経済、教育などの政策にいたるまで、だいたいみな十年らいのやり方そのままで変化していない。変化したもの、しかも大きく変化したものもある。それが内戦の停止と一致抗日である。両党の内戦が停止し、全国的な抗日戦争がはじまったということは、西安事変以来の中国の政局のきわめて大きな変化である。だが、さきにのべたあのやり方は、いまもなお変化していない。これを、変化していないものが変化したものに適応しないというのである。これまでのやり方は対外的に妥協することと、対内的に革命を弾圧することにしか適用されないものであるのに、いまなおこのやり方で日本帝国主義の進攻に対処しているのであるから、どこもかしこもぴったりゆかず、さまざまな弱点がさらけだされるのである。抗日戦争をやらないのならともかく、それをやろうとするのに、しかもすでにやりはじめており、そのうえすでに重大な危機があらわれているのに、それでも新しいやり方にきりかえないのでは、前途の危険は想像にあまるものがある。抗日には充実した統一戦線が必要で、そのためには、全国人民を立ちあがらせて、統一戦線に参加させなければならない。抗日には強固な統一戦線が必要で、そのためには共同綱領が必要である。共同綱領は、この統一戦線の行動方針であり、また、この統一戦線にとっての一種の制約でもあって、それは一本のつなでしばるように、各党、各派、各界、各軍など、統一戦線に参加したすべての団体と個人をかたく制約する。それでこそ強固な団結といえるのである。われわれは、あのふるいやり方による制約が民族革命戦争に適応しないので、それに反対する。われわれは、ふるいものにかわる新しい制約をもうけること、つまり共同綱領を公布して、革命的秩序をうちたてることを歓迎するものである。そうしないかぎり、抗日戦争に適応することはできない。
 共同綱領とはなにか。それは、孫中山先生の三民主義と、共産党が八月二十五日に提起した抗日救国十大綱領〔8〕である。
 中国共産党は、国共合作を公表した宣言のなかで、「孫中山先生の三民主義は、中国がこんにち必要とするものであり、わが党はその徹底的な実現のために奮闘するものである」とのべた。共産党が国民党の三民主義を実行したいといっていることにたいして、不思議におもっているものが若干いる。たとえば上海《シャンハイ》の諸青来《チューチンライ》〔9〕は、上海の刊行物でこうした疑問をだしたひとりである。かれらは、共産主義と三民主義は両立できないものだとおもっている。これは一種の形式主義的な見方である。共産主義は、革命が発展していく将来の段階で実行されるものであり、共産主義者は、現在の段階で共産主義を実行しようなどと夢みてはいず、歴史が規定する民族革命主義と民主革命主義を実行するものであって、共産党が抗日民族統一戦線と統一的な民主共和国を提起した根本的な理由はここにある。三民主義についていえば、十年まえの両党の第一次統一戦線のときに、共産党と国民党がすでに国民党第一回全国代表大会で、その実行をともに決定しており、しかも、一九二四年から一九二七年まで、すべての忠実な共産党員と忠実な国民党員をつうじて、全国の広大な地域で実行されたのである。不幸にも、一九二七年に統一戦線が割れ、そのときから国民党側が十年間にわたって三民主義の実行に反対するという局面があらわれた。だが、共産党側がこの十年間に実行してきたすべての政策は、根本的にはやはり孫中山先生の三民主義と三大政策の革命的精神にかなったものである。共産党は、ただの一日も帝国主義に反対しない日はなく、これが徹底的な民族主義である。また、労農民主主義独裁の制度は、ほかでもなく徹底的な民権主義である。土地革命は徹底的な民生主義である。その共産党がなぜこんどは労農民主主義独裁を廃止し、地主の土地没収を停止すると言明しているのか。この理由も、われわれがはやくから説明してきたように、こうした制度や施策がまったくだめだというのではなく、日本帝国主義の武力侵略が国内の階級関係の変化をひきおこしたので、日本帝国主義とたたかうために全民族の各階層を連合させることが必要になり、また可能になったからである。中国だけではなく、世界的範囲においても、共同してファシズムに反対するために、反ファシズム統一戦線を結成することが必要になったし、また可能になった。したがって、われわれは、中国に民族・民主統一戦線をつくることを主張するのである。労農民主主義独裁のかわりに、各階層連合の民主共和国を樹立するというわれわれの主張は、こうした点を基礎として提起されたものである。「耕すものに土地を」ということを実行する土地革命は、とりもなおさず孫中山先生がかつて提起した政策であり、われわれが、こんにち、この政策の実行をとりやめるのは、もっと多くの人びとを結集して日本帝国主義とたたかうためであって、中国が土地問題の解決を必要としないというのではない。このような政策変更の客観的原因と時期については、われわれは、かつてすこしのあいまいさもなく自分の観点を説明した。中国共産党は、マルクス主義の原則に立って、第一次国共統一戦線の共同綱領、つまり革命的三民主義を一貫して堅持し発展させてきたからこそ、強大な侵略者がおしよせてきた民族の危急にさいして、時をうつさず、危機を救うことのできる唯一の政策として、この民族・民主統一戦線を提起し、しかも、それをうまずに実行することができるのである。現在の問題は、共産党が革命的三民主義を信ずるかどうか、実行するかどうかにあるのではなくて、むしろ国民党が革命的三民主義を信ずるかどうか、実行するかどうかにある。現在の任務は、孫中山先生の三民主義の革命的精神を全国的範囲で復活し、それによって一定の政治綱領と政策を制定するとともに、二心なくほんとうに、おざなりでなく着実に、ひきのばすのでなく早急にそれを実行することである。中国共産党側では、ほんとうに日夜それを祈っているのである。そのため、共産党は蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変ののち、抗日救国十大綱領を提起したのである。この十大綱領は、マルクス主義に合致しているし、真の革命的三民主義にも合致している。これは、現段階の中国革命、つまり抗日民族革命戦争における初歩的な綱領であり、それを実行しなければ、中国を救うことはできないのである。この綱領と抵触するすべてのものをつづけていくならば、かならず歴史の懲罰をうけることになる。
 国民党は、いまのところ、まだ中国で支配権をにぎっている最大の政党なので、この綱領を全国的範囲で実行するには、自民党の賛成がなければ不可能である。国民党員で賢明なものは、いつかはこの綱領に賛成するものとわれわれは信じている。なぜなら、もし賛成しなければ、三民主義はいつまでたってもから談義に終わり、孫中山先生の革命的精神は復活できず、日本帝国主義にうち勝つことはできず、中国人民が亡国奴の境遇におちいることはきけちれないからである。国民党員でほんとうに賢明なものは、けっしてこうなることをのぞまないし、全国人民も、けっしてみすみす亡国奴になるようなことはない。しかも、蒋介石氏は、九月二十三日の談話のなかで、「われわれ革命の信奉者は、個人の意地や私見のためでなく、三民主義の実現のためにあると、わたしはおもう。この危急存亡のさいには、なおさら過去の一切にこだわるべきでなく、国家の生命と生存をたもつために、全国の国民とともに徹底的に再出発し、団結につとめるべきである」と指摘している。そのとおりである。現在の急務は、三民主義の実現をはかるために、個人や小集団の私見をすて、これまでのふるいやり方をあらためて、三民主義に合致した革命の綱領をただちに実行し、徹底的に人民とともに再出発することである。これが、こんにちの唯一の道である。これ以上ひきのばすと、後悔してもおよばないことになるであろう。
 しかし、三民主義と十大綱頭を実行するには、実行する手段が必要である。そこで、政府の改造と軍隊の改造という問題が提起されるのである。現在の政府は、民族・民主統一戦線の政府ではなく、まだ国民党の一党独裁の政府である。三民主義と十六綱領の実行には、民族・民主統一戦線の政府がなければ不可能である。現在の自民党軍の制度はまだふるい制度であって、このような制度の軍隊で日本帝国主義にうち勝つことは不可能である。現在の軍隊はみな抗戦の任務を遂行しており、われわれは、すべてのこうした軍隊、とくに前線で抗戦している軍隊には敬意をはらっている。だが、この三ヵ月らいの抗戦の教訓がすでに証明しているように、国民党軍の制度は、日本侵略者を徹底的にうちやぶる任務を遂行するのに適していないし、三民主義と革命綱領を順調に遂行するのにも適していないので、どうしても改革しなければならない。改革の原則は、将兵の一致、軍民の一致を実行することである。現在の国民党軍の制度は、基本的にこの二つの原則にそむいている。広範な将兵は忠勇の心をもってはいるが、ふるい制度にしばられて、その積極性を発揮することができない。したがって、ふるい制度の改革を早急にはじめなければならない。戦争を中止し、制度を改革してから戦争をやるのではなく、戦いながらも制度を改革することができる。中心的任務は、軍隊の政治精神と政治工作をあらためることである。模範的な前例は、北伐戦争時代の国民革命軍で、それはだいたいにおいて、将兵一致、軍民一致の軍隊であった。当時の精神を復活させることがぜひとも必要である。中国はスペイン戦争の教訓にまなぶべきである。スペイン共和国の軍隊はきわめて困難な環境のなかでつくられてきた。中国の条件はスペインよりもまさっているが、充実した強固な統一戦線がなく、革命の全綱領を実行できる統一戦線の政府がなく、新しい制度にもとづく大量の軍隊がない。中国はこれらの欠陥をおぎなわなければならない。中国共産党の指導する赤軍は、こんにち、抗日戦争全体にたいしては、前衛の役割をはたすだけで、まだ全国的範囲で決定的な役割をはたすことはできないが、その政治上、軍事上、組織上の長所は全国の友軍が十分とりいれてよいものである。この軍隊も、はじめから今のような状態であったのではなく、主として軍隊内部の封建主義を一掃し、将兵一致と軍民一致の原則を実行するなど、やはり多くの改造をへてきている。この経験は全国の友軍のかがみとなりうるものである。
 政権をにぎっている国民党の抗日の同志諸君、われわれと諸君は、こんにち、ともに国を滅亡から救う責務をになっている。諸君はすでにわれわれと抗日統一戦線を結成したが、これはけっこうなことである。諸君は対日抗戦を実行しているが、これもまたけっこうなことである。だが、われわれは諸君が他のふるい政策をとりつづけることには賛成しない。われわれは、民衆を統一戦線に参加させ、それを発展、充実させなければならない。共同綱領を実行して統一戦線を強化しなければならない。政治制度と軍隊制度の改革を決意しなければならない。一つの新しい政府があらわれることはぜひとも必要で、そのような政府があってはじめて、革命の綱領を遂行でき、また全国的範囲で軍隊の改造にとりかかることもできる。われわれのこの提案は時代の要求である。この要求については、諸君の党内でも多くの人がいまこそその実行の時だと気づいている。孫中山先生は、かつて政治制度と軍事制度の改造を決意したので、一九二四年から一九二七年までの革命の基礎がすえられたのである。おなじような改造を実行する責務が、こんにちでは諸君の肩にかかっている。国民党の誠実な愛国的な党員は、すべてわれわれのこの提案を不必要のものだとはもちろん考えないだろう。この提案は客観的な必要に合致したものだと、われわれはかたく信じている。
 わが民族はすでに存亡の瀬戸ぎわに立っている。国共両党は、親密に団結しよう!  亡国奴となることをのぞまない全国のすべての同胞は、国共両党の団結を基礎として親密に団結しよう! 必要なすべての改革を実行して、あらゆる困難にうちかつこと、これがこんにちの中国革命のさしせまった任務である。この任務が達成されれば、かならず日本帝国主義をうちたおすことができる。われわれが努力しさえすれば、われわれの前途は明るいのである。



〔1〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔2〕を参照。
〔2〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔3〕を参照。
〔3〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔4〕を参照。
〔4〕 本選集第一巻の『蒋介石の声明についての声明』注〔7〕を参照。
〔5〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔6〕を参照。
〔6〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔7〕を参照。
〔7〕 「中ソ相互不可侵条約」は、一九三七年八月二十一日に締結された。
〔8〕 本巻の『すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう』にみられる。
〔9〕 諸青来は、「国家社会党」(反動的な地主、官僚、大ブルジョア階級によって組織された小集団)の首領のひとりである。のちに、かれは汪精衛の民族裏切り政府の一員となった。
  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 09:51 | 22 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

イギリスの記者バートラムとの談話
          (一九三七年十月二十五日)
     中国共産党と抗日戦争

 バートラムの問い 中国共産党は中日戦争のおこる前後に、どんな具体的な意思表示をしたでしょうか。
 毛沢東の答え 中国共産党は、こんどの戦争がおこるまえ、対日戦争はさけることのできないものであり、日本帝国主義者の「平和的解決」といった言論や日本の外交家の耳ざわりのよいことばは、すべてその戦争準備をおおいかくす煙幕にすぎないことを、再三全国にむかって警告してきました。われわれは、民族解放戦争を勝利のうちにおしすすめるには、統一戦線をつよめ、革命的な政策を実行しなければならないことをくりかえし指摘してきました。革命的政策のなかでとくに重要なのは、全民衆を抗日戦線に動員するため、中国政府が民主的改革を実現しなければならないということです。日本の「平和の保証」を信じて、戦争はさけちれるかもしれないと考えている人びとや、民衆を動員しなくても日本侵略者に抵抗できると信じている人びとにたいして、われわれはくりかえしかれらのあやまりを指摘してきました。戦争の勃発《ぼっぱつ》とその経過は、われわれのこうした意見の正しさを証明しています。蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変がおこった翌日、共産党はただちに全国に宣言をだして、各党、各派、各階層が日本侵略者の侵略に一致して抵抗し、民族統一戦線を強化するようよびかけました。それからまもなくわれわれはまた、『抗日救国十大綱額』を発表して、抗日戦争において中国政府がとるべき政策を提起しました。国共合作が成立したときにもまた、重要な宣言を発表しました。これらのことはすべて、統一戦線の強化と革命的政策の実行によって抗日戦争をすすめるという方針を、われわれがたゆまず堅持していることを証明しています。この時期におけるわれわれの基本的スローガンは、「全面的、全民族的な抗戦」でした。

   抗日戦争の状況と教訓

  あなたのみるところでは、戦争はいままでにどんな結果をもたらしているでしょうか。
  主として二つの面があります。一つの面は、日本帝国主義の都市攻略、国土占領、強姦《ごうかん》、略奪、放火、虐殺によって、中国人には、亡国の危険が最後のところまできていることです。もう一つの面は、中国の大多数の人びとがこのことから危機を救うにはいっそう団結し、全民族の抗戦を実現しなければならないという深い認識をえたことです。同時に世界の平和諸国にも、日本の脅威に抵抗する必要性を悟らせはじめたことです。以上がすでにもたらされた結果です。
  日本のねらいはなんであるとお考えになりますか。そのねらいはどのくらい実現しているでしょうか。
  日本の計画は、第一歩が華北地方と上海《シャンハイ》を占領すること、第二歩が中国のそのほかの地域を占領することです。日本侵略者がどの程度その計画を実現したかという点についていえば、中国の抗戦がいまのところまだ政府と軍隊だけによる抗戦にとどまっているため、日本侵略者は短期間にすでに、河北《ホーペイ》、察哈爾《ちゃーはーる》、綏遠《スイユァン》の三省を手にいれたし、山西《シャンシー》省もまた危険な状態にあります。この危険な局面を救うには、民衆と政府が一致して抗戦するよりほかにありません。
  あなたのご意見によれば、中国の抗戦には成果もあるのではないでしょうか。もし教訓があるとすれば、それはどういうものでしょうか。
  この問題については少しくわしくお話しいたしましょう。まずなによりも、成果はあがっており、しかもそれが偉大だということです。それはつぎのことにあらわれています。(一)現在の抗日戦争は、帝国主義の中国にたいする侵略がはじまっていらい、かつて見られなかったものだということです。それは地域的にいってほんとうに全国的な戦争です。この戦争の性質は革命的なものです。(二)戦争は、全国のばらばらに分裂していた局面をわりあいに団結した局面に変えたことです。この団結の基礎になっているのが国共合作です。(三)国際世論の共鳴をよびおこしたことです。国際間では、これまで中国の無抵抗をけいべつしていたのが、いまでは中国の抵抗に敬意をはらうようになっています。(四)日本侵略者に大きな消耗をあたえたことです。日本侵略者の物的消耗は日に二千万円といわれています。人的消耗についてはまだ統計がありませんが、それもきっと大きなものでしょう。日本侵略者は、まえにはほとんど骨もおらずにやすやすと東北四省を手にいれることができたが、いまでは血戦なしに中国の土地を占領することはできません。日本侵略者はもともと中国でその野望をみたそうとしていたのですが、中国の長期にわたる抵抗によって、日本帝国主義そのものが崩壊の道に追いやられるでしょう。この面からいえば、中国の抗戦は、自分を救うためばかりでなく、全世界の反ファシズム戦線のなかでも偉大な責務をはたしているのです。抗日戦争の革命性はこの面にもあらわれています。
 (五)戦争から教訓をえたことです。この教訓は土地と血によってあがなわれたものです。
 教訓についていえば、これも大きなものです。数ヵ月の抗戦で、中国の多くの弱点が暴露されました。それはまず政治の面にあらわれていまも。この戦争にくわわっているのは、地域的には全国的ですが、くわわっている層は全国的ではありません。広範な人民大衆はやはり以前とおなじように、戦争へ参加することを政府から制限されているので、現在の戦争はまだ大衆性をもった戦争とはなっていません。日本帝国主義の侵略に反対する戦争であっても、大衆性をおびていなければ、けっして勝利できるものではありません。一部の人は、「いまの戦争はすでに全面的な戦争だ」といっています。これは戦争にくわわっている地域が普遍的であることをいいあらわしているにすぎません。抗戦はまだ政府と軍隊だけの抗戦で、人民の抗戦とはなっていないので、戦争にくわわっている層からいえば一面的です。この数ヵ月のあいだに、多くの土地がうしなわれ、多くの軍隊が敗北をなめていますが、おもな原因はここにあります。したがって現在の抗戦は、革命的なものではあるが、その革命性が不完全なのは、まだ大衆的な戦争となっていないからです。これは同時に団結の問題でもあります。中国の各政党は、まえよりは団結していますが、必要としている程度までにはまだほど遠いものがあります。政治犯の大多数はまだ釈放されていず、政党禁止もまだ完全には解除されていません。政府と人民のあいだ、軍隊と人民のあいだ、将校と兵士のあいだの関係は、依然として非常にわるく、そこにあるものは団結ではなくて離隔です。これはもっとも基本的な問題です。この問題が解決されなければ、戦争の勝利など話にもなりません。そのほか軍事上のあやまりも、軍隊と土地をうしなった大きな原因の一つです。これまでの戦いの大半は受動的な戦いで、軍事用語で「単純防御」とよばれるものです。このような戦いかたでは勝利する可能性はありません。勝利するには、政治上、軍事上で、いまとは大いにちがった政策をとらなければなりません。これがわれわれのえた教訓です。
  では、政治上、軍事上の必要な条件とはなんでしょうか。
  政治上からいうと、第一には、現政府を、人民の代表が参加する統一戦線の政府に改造しなければならないことです。この政府は民主的であり、また集中的でもあります。この政府は必要な革命的政策を実行します。第二には、戦争に大衆性をもたせるために、人民に言論、出版、集会、結社、武装抗戦の自由をゆるすことです。第三には、人民の生活の改善が必要で、その改善の方法としては、苛酷《かこく》で雑多な税金の廃止、小作料・利子の引き下げ、労働者と下級将兵の待遇改善、抗日軍人家族の優遇、被災者や避難民の救済などがふくまれます。政府の財政は合理的な負担、つまり金のあるものが金をだすという原則のうえにたてるれるべきです。第四には、外交政策の積極化をはかることです。第五には、文化教育政策を改革することです。第六には、民族裏切り者をきびしく弾圧することです。この問題は現在すでにきわめて重大なものになっています。民族裏切り者はだれはばかるところなく横行しています。つまり戦区では敵をたすけ、後方ではほしいままに攪乱《かくらん》し、うわべは抗日の格好をよそおって、愛国的人民を逆に民族裏切り者よばわりして逮捕するものさえいます。だが、民族裏切り者をほんとうに弾圧するには、人民が立ちあがって政府に協力しないかぎり不可能です。軍事上からいうと、これも全面的な改革を実行しなければなりません。それは主として、戦略上戦術上の単純防御の方針を敵にたいする積極的攻撃の方針にあらためること、ふるい制度の軍隊を新しい制度の軍隊にあらためること、強制動員の方法を、人民が前線におもむくよう激励する方法にあらためること、不統一な指揮を統一的な指揮にあらためること、人民から遊離した無規律な状態を、自覚の原則のうえにうちたてられた少しも人民の利益をそこなわない規律にあらためること、正規軍だけで戦う局面を、広範な人民遊撃戦争を発展させて正規軍の戦いに呼応させる局面にあらためることなどです。以上にのべた政治的、軍事的条件は、すべてわれわれの発表した十大綱領のなかで提起されているものです。これらの政策は、孫中山《スンチョンシャン》先生の三民主義、三大政策およびその遺言の精神に合致するものです。こうしたことを実行しなければ、戦争に勝利することはできません。
  共産党はどのようにしてこの綱領を実行しますか。
  われわれの活動は、抗日民族統一戦線を拡大強化し、すべての力を動員して、抗戦の勝利をかちとるためにたたかうよう、うむことのない努力をはらって現在の情勢を説明し、国民党およびその他すべての愛国的諸政党と連合することです。いまの抗日民族統一戦線は範囲がまだ非常に狭いので、これを拡大しなければなりません。つまり孫中山先生の「民衆をよびさます」という遺言を実行し、社会の下層民衆をこの統一戦線に参加させるよう動員することです。統一戦線の強化についていえば、共同綱領を実行することであり、この綱領によって各党各派の行動を制約するのです。われわれは、孫中山先生の革命的三民主義、三大政策およびその遺言を各政党、各階層の統一戦線の共同綱領とすることに同意します。しかし、この綱領は、いまでもまだ各政党から認められていず、なによりもまず国民党がまだこうした全面的な綱領を発表することを認めていません。国民党は現在すでに孫中山先生の民族主義を部分的には実行しており、それは対日抗戦の実行にあらわれています。しかし、民権主義は実行されていず、民生主義も実行されていず、こうしたところから現在の抗戦に重大な危機がうまれています。戦争がこのように緊迫している現在こそ、国民党が全面的に三民主義を実行すべきときであって、これ以上実行しないでいるならば、後悔してもおよばないでしょう。共産党の責務は、抗日民族統一戦線の拡大と強化のために、真の革命的三民主義、三大政策および孫氏の遺言がかならず全国的範囲で全面的、徹底的に実行されるよう、声を大にして、国民党と全国人民にうむことなく説明し説得することにあります。

抗日戦争における八路軍

  八路軍の状況、たとえばその戦略戦術の面、政治工作の面などについてお聞かせください。これには多くの人が関心をよせています。
  赤軍が八路軍に編成がえされて前線におもむいてのち、その行動にはたしかに多くの人が関心をもっています。ではそのおおよそを説明しましょう。
 まず、戦闘の状況についてお話ししましょう。戦略的には、八路軍は山西省を中心に戦争をしています。ご存知のように、八路軍はこれまでに多くの勝利をえました。たとえば平型関《ピンシンコヮン》の戦闘、井坪《チンピン》、平魯《ピンルー》、寧武《ニンウー》の奪回、[シ+來]源《ライユァン》、広霊《コヮンリン》の奪還、紫荊関《ツーチンコヮン》の占領、大同《タートン》と雁門関《イェンメンコヮン》、蔚《ウェイ》県と平型関、朔《シュオ》県と寧武のあいだの日本軍の三つの主要な輸送道路の切断、雁門関以南の日本軍後方にたいする攻撃、平型関、雁門関の二回にわたる奪回、そしてさきごろの曲陽《チュイヤン》、唐《タン》県の奪還などがそれです。山西省にはいった日本の軍隊は、いま戦略的には、八路軍やその他の中国の軍隊に四方から包囲されています。日本軍は今後華北でもっとも頑強な抵抗にであうものと、われわれは断言できます。日本軍が山西省でのさばろうとするなら、きっといままでにない困難にみまわれるでしょう。
 つぎは、戦略戦術の問題です。われわれは中国の他の軍隊がとったことのないような行動をとっており、それは主として敵軍の側翼および後方で戦うことです。この戦法は単純な正面防御にくらべて大きなちがいがあります。一部の兵力を正面に使用するのは必要なことで、われわれはそれに反対するものではありません。だが自分の力を保存し敵の力を消滅するには、主力をかならず側面に使用して包囲迂回《うかい》の戦法をとり、独立自主的に敵を攻撃しなければなりません。そのうえ若干の兵力を敵の後方に使用すれば、敵の輸送線や根拠地を攪乱するので、その威力はとくに強大です。正面作戦の軍隊にしても、主として「逆襲」の戦法をとるべきで、単純防御の戦法をとってはなりません。この数ヵ月のあいだの軍事上の敗北は、作戦方法のまずさがその重要な原因の一つです。われわれは、いま八路軍がとっている戦法を、独立自主による遊撃戦および運動戦と名づけています。これは、われわれがまえに国内戦争のさいにとった戦法と、基本原則はおなじですが、多少のちがいもあります。いまのこの段階の状況からいうと、兵力を集中して使用するばあいは比較的すくなく、兵力を分散して使用するばあいが比較的多いのですが、これは広大な地域で敵の側翼や後方を襲撃するのに都合よくするためです。全国の軍隊のばあいは、その数が非常に多いので、一部で正面をまもり、他の一部で分散的に遊撃戦をおこなうべきで、その主力もつねに敵の側翼で集中的に使用すべきです。軍事上第一に重要なことは、自己を保存し敵を消滅することであって、この目的をとげるには、すべての受動的な、型にはまった戦法をさけて、独立自主による遊撃戦と運動戦をとるべきです。もし大量の軍隊が運動戦をとり、八路軍が遊撃戦でこれをたすけるなら、勝利の切り札はかならずわれわれの手ににぎられるでしょう。
 つぎは、政治工作の問題です。八路軍にはさらに、きわめて重要な、きわめて顕著なものがあります。それは政治工作です。八路軍の政治工作の基本原則は三つあります。すなわち第一は将兵一致の原則であり、これは軍隊のなかで、封建主義を一掃し、なぐったりどなりつけたりする制度を廃止し、自覚的規律をうちたて、苦楽をともにする生活をしていることで、これによって全軍は一致団結しています。第二は軍民一致の原則であり、これは民衆の利益を少しもそこなわない規律、民衆への宣伝、民衆の組織化、武装化、民衆の経済的負担の軽減、軍隊と人民に危害をくわえる民族裏切り者、売国奴への打撃で、これによって軍隊と人民が一致団結していて、いたるところで人民の歓迎をうけています。第三は敵軍を瓦解《がかい》させ、捕虜を寛大にとりあつかう原則です。われわれの勝利は、たんにわが軍の戦闘によるばかりでなく、敵軍の瓦解にもよるものです。敵軍を瓦解させ捕虜を寛大にとりあつかう措置は、いまのところまだ顕著な効果をあげていませんが、将来は成果があがるにちがいありません。このほか、第二の原則から出発して、八路軍の補充には人民を強制する方法をとらず、前線におもむくよう人民を激励する方法をとっていますが、この方法は強制する方法にくらべて、ずっと大きな効果があります。
 現在、河北、察哈爾、綏遠の諸省と山西省の一部はすでにうしなわれていますが、われわれはけっして落胆せず、すべての友軍と呼応して、山西省の防衛と失地の回復のために最後まで血戦をするよう、全軍に断固としてよびかけています。八路軍は中国の他の部隊と一致した行動をとり、山西省の抗戦の局面を堅持するでしょう。これは戦争全体、とくに華北地方の戦争にとって大きな意義をもつものです。
  あなたのみるところでは、八路軍のこれらの長所は、中国の他の軍隊にも適用できるでしょうか。
  完全に適用できます。もともと国民党の軍隊は、一九二四年から一九二七年までの時期には、こんにちの八路軍とほぼおなじような精神をもっていました。当時、中国共産党は国民党と協力して新しい制度の軍隊をつくり、はじめのころは二コ連隊しかなかったのに、多くの軍隊をそのまわりに結集して、陳炯明《チェンチゥンミン》をうちやぶるという最初の勝利をえました。その後拡大して一コ軍団となり、より多くの軍隊に影響をおよぼし、そこではじめて北伐戦争がおこなわれたのです。当時の軍隊は、将兵のあいだでも、軍民のあいだでも、だいたい団結していて、勇往邁進《まいしん》の革命精神が軍隊にあふれるという新しい気風がありました。当時の軍隊には党代表と政治部がもうけられたが、このような制度は中国の歴史にはなかったもので、軍隊はこれによって面目を一新しました。一九二七年以後の赤軍、さらにこんにちのハ路軍は、このような制度をうけつぎ、発展させています。一九二四年から一九二七年までの革命の時期には新しい精神の軍隊があったので、その作戦の方法もおのずからその政治精神に即応するものとなり、受動的な、型にはまった作戦をするのではなくて、主動的な、はつらつとした、攻撃精神にとんだ作戦をやり、これによって北伐の勝利がえられたのです。現在の抗日戦場は、まさにこのような軍隊を必要としています。このような軍隊は、かならずしも何百万も必要なわけではなく、中核として数十万あれば、日本帝国主義にうち勝つことができるのです。抗戦がはじまってから、全国の軍隊が勇敢に身を犠牲にして戦ったことには、われわれは十分敬服していますが、血戦のなかからなんらかの教訓をひきだすことが必要です。
  捕虜を寛大にとりあつかう政策は、日本軍隊の軍律のもとでは、かならずしも効果があるとはいえないでしょう。たとえば釈放して帰らせても日本側が殺してしまうなら、日本軍全部はあなたがたの政策の意義がわからないでしょう。
  それは不可能なことです。かれらが殺せば殺すほど、日本軍兵士の中国軍にたいする共感をますますひきおこすでしょう。こうしたことは、兵士大衆の目をごまかせるものではありません。われわれはこの政策をかたくまもっていきます。たとえば、現在日本軍は八路軍にたいして毒ガスを使用すると公言していますが、たとえかれらがそれを実行しても、捕虜を寛大にとりあつかうわれわれの政策は変わりません。われわれはやはり、捕虜になった日本の兵士や戦うことを強要された下級幹部たちを寛大にとりあつかい、はずかしめたりどなりつけたりせず、かれらに両国人民の利益が一致していることを説明して、かれらを釈放してやります。帰りたくないものがあれば、八路軍のなかで勤務してもいいのです。将来、抗日戦場に「国際部隊」があらわれれば、この軍隊に参加して武器をとって日本帝国主義とたたかうこともできるでしょう。

   抗日戦争における投降主義

  わたしの知っているところでは、日本は戦争をしながら、同時に上海では和平の空気をふりまいています。いったい日本のねらいはどこにあるのでしょうか。
  日本帝国主義は、ある段どりを達成すると、三つのねらいからもういちど和平の煙幕をはるでしょう。その三つのねらいとは、(一)すでに手にいれた陣地を、つぎの進攻の戦略的出発点とするために強化すること、(二)中国の抗日戦線を分裂させること、(三)世界各国の中国援助の戦線をきりくずすことです。現在の和平の空気は、和平の煙幕をはる手はじめにすぎません。危険なのは、こともあろうに中国で一部の動揺分子が敵の仕かけたわなにとびつこうとしており、そこで民族裏切り者、売国奴が中国を日本侵略者に投降させようと、その間をぬっているいるのデマをふりまいていることです。
  このような危険について、あなたの見通しはどうでしょうか。
  見通しは二つしかありません。一つは中国人民が投降主義を克服していくことです。もう一つは投降主義が優勢になって、中国が混乱におちいり、抗日戦線が分裂していくことです。
  この二つの状況のうち、どちらの可能性が多いでしょうか。
  中国人民はすべて最後まで抗戦することを要求しています。たとえ中国の支配者集団の一部が行動のうえで投降への道をすすんでも、他のしっかりしたものはかならず立ちあがってこれに反対し、人民とともに抗戦をつづけるでしょう。このような事態は、もちろん中国の抗日戦線にとって、不幸なことです。しかし、投降主義者は大衆から相手にされず、大衆は投降主義を克服して、戦争をやりぬき、戦争の勝利をかちとるものとわたしは信じます。
  投降主義をどのように克服されますか。
  言論のうえでは投降主義の危険を指摘し、行動のうえでは投降運動をくいとめるよう人民大衆を組織することです。投降主義は、民族敗北主義、すなわち民族悲観主義に根ざすもので、この悲観主義は、敗北をなめた中国にはもう日本に抵抗する力がないと考えています。失敗こそ成功のもとであり、失敗の経験のなかから教訓をひきだすことが将来の勝利の基礎であることを知らないのです。悲観主義は、抗戦中の失敗を見るだけで、抗戦中の成果を見ず、ことに失敗のなかに勝利の要素がふくまれており、敵側の勝利のなかには失敗の要素がふくまれていることを見ないのです。われわれは、失敗と困難は一時的なものであり、どんな失敗にもくじけすにたたかいさえすれば、最後の勝利はかならずわれわれのものだということを人民大衆に理解させるよう、戦争の勝利の前途をさししめさなければなりません。大衆的な基礎をうしなえば、投降主義者も細工を弄《ろう》する余地がなくなり、抗日戦線は強化されてくるのです。

民主制度と抗日戦争

  共産党が綱領のなかにかかげている「民主」とはどういう意味でしょうか。それは「戦時政府」と撞着《どうちゃく》しないでしょうか。
  少しも撞着しません。共産党は早くも一九三六年八月に「民主共和国」というスローガンをかかげました。このスローガンにふくまれている政治的、組織的な意味はつぎの三点です。(一)ある一つの階級の国家と政府ではなくて、民族裏切り者、売国奴を排除したすべての抗日階級の同盟による国家と政府であり、そのなかには労働者、農民、その他の小ブルジョア階級がふくまれていなければならないということです。(二)政府の組織形態は民主集中制で、それは民主的であるとともに集中的でもあり、民主と集中というこの二つの撞着しあうかのように見えるものを一定の形態に統一したものです。(三)政府は人民に必要なすべての政治的自由、とくに組織、訓練、武装自衛の自由をあたえるということです。この三つの面からみると、それはいわゆる「戦時政府」となんら撞着するものではなく、これこそ抗日戦争に有利な国家の制度、政府の制度です。
  しかし、「民主集中」はことばのうえでは矛盾したものではないでしょうか。
  ことばを見るだけでなく、実際を見なければなりません。民主と集中のあいだには、こえることのできない深いみぞはなく、中国にとっては、二つとも必要なものです。一面では、われわれの要求する政府は、真に民意を代表できる政府でなければならず、この政府はかならず全中国の広範な人民大衆から支持され擁護されなければなりませんし、人民もまたかならず自由に政府を支持することができ、政府の政策に影響をあたえる機会を十分にもたなければなりません。これが民主制の意味です。他面では、行政権力の集中化が必要です。人民の要求する政策がいったん民意機関で採択されて自分たちの選出した政府の手にわたったときには、政府がそれを執行するのですが、執行のさい、民意によって採択された方針にそむきさえしなければ、それはかならず順調に、支障なく執行できます。これが集中制の意味です。民主集中制をとらなければ、政府の力をとくに強大にすることはできず、抗日戦争中、国防的性質をもった政府は、かならずこのような民主集中制をとらなければなりません。
  それは戦時内閣の制度とは合致しないでしょう。
  それは歴史上のあるいくつかの戦時内閣制度とは合致しません。
  合致するものもあったでしょうか。
  合致するものもありました。戦時の政治制度は、だいたい二つの種類にわけることができます。一つは民主集中的なもの、もう一つは絶対集中的なもので、それは戦争の性質によってきまります。歴史上のすべての戦事は、その性質から、一つは正義の戦争、一つは不正義の戦争の二つの種類にわけることができます。たとえば二十数年まえの欧州大戦は、帝国主義的性質の不正義の戦争でした。当時、帝国主義諸国の政府は、帝国工義の利益のために戦うことを人民に強制し、人民の利益にそむきました。こうした状況のもとで必要とされるのは、イギリスのロイド・ジョージのような政府です。ロイド・ジョージは、イギリス人民に、帝国主義戦争反対というようなことばを口にすることをゆるさず、そうした民意を表明するいかなる機関や集会の存在もゆるさないといった抑圧をくわえました。たとえ国会が存続していたとしても、それはやはり命令どおり戦争予算を通過させるためのものであり、帝国主義者一味の機関であったのです。戦争のなかでの政府と人民の不一致が、民主のない集中だけの絶対集中主義の政府をうみだしたのです。しかし歴史上には、またフランスの革命戦争、ロシアの革命戦争、現在のスペインの革命戦争などのような革命的な戦争もあります。このような戦争では、人民がそうした戦争をつよくのぞんでいるので、政府は人民が戦争に賛成しないようなことを心配する必要はありません。また政府の基礎は人民の自発的意志による支持のうえにきずかれているのですから、政府は人民をおそれないばかりでなく、積極的に戦争に参加させるため、人民を立ちあがらせ、人民に意見を発表させるようみちびかなくてはなりません。中国の民族解放戦争は人民が完全に賛同しており、また戦事の遂行には人民の参加がなければ勝つこともできませんから、民主集中制が必要になるのです。中国の一九二六年から一九二七年までの北伐戦争も、民主集中制に依拠して勝利をえました。これを見てもわかるように、もし戦争の目的が直接人民の利益を代表するときには、政府が民主的であればあるほど、戦事は順調にすすめられます。こうした政府は、人民が戦争に反対しはしないかと危惧《きぐ》すべきではなくて、反対にこの政府は、人民が立ちあがらないことと、戦争に冷淡であることを心配しなければなりません。戦争の性質が政府と人民の関係を決定するということ、これは歴史の法則です。
  ではあなたがたは、どんな段どりで新しい政治制度を実現しようとしておられるのですか。
  その鍵《かぎ》は国共両党の協力にあります。
  なぜですか。
  十五年らいの中国の政局では、国共両党の関係が決定的な要因となっています。一九二四年から一九二七年までの両党の協力は、第一次革命の勝利をもたらしました。一九二七年の両党の分裂は、十年らいの不幸な局面をつくりだしました。しかし、分裂の責任はわれわれの側にあったのではなく、われわれはやむをえず国民党の抑圧に抵抗する方向に転じたのであり、われわれは中国解放の光栄ある旗じるしをまもりつづけてきたのです。いまは第三の段階にはいっており、抗日救国のために、両党は一定の綱領にもとづいて徹底的な協力をおこなわなければなりません。われわれのたえまない努力をつうじて、この協力はどうやら成立しましたが、問題は、双方が共同綱領を認め、その綱領にもとづいて行動することであります。新しい政治制度の確立がこの綱領の重要な部分です。
  両党の協力をつうじて新しい制度を確立するにはどのようにしますか。
  われわれはいま、政府機構と軍隊制度の改革を提案しています。われわれは当面の緊急事態に対処するため、臨時国民大会を招集するよう提案しています。この大会の代表は、だいたい孫中山先生の一九二四年の主張をとりいれて、各抗日政党、抗日軍隊、抗日民衆団体、抗日実業団体から一定の比率で推選されなければなりません。この大会は国家の最高権力機関としての権限をもつもので、これによって救国方針を決定し、憲法大綱を採択するとともに、政府を選出します。抗戦がすでに緊迫した転換点にたっしているので、政治を一新させ、時局の危機を救うには、権力をもち、また民意を代表できるこのような国民大会を早急に招集する以外にはないものと、われわれは考えています。この提案については、われわれは国民党と意見を交換中であり、かれらの賛同がえられることを期待しています。
  国民政府は、国民大会の招集停止を公表したではありませんか。
  その停止は正しいのです。停止したのは、国民党がまえに招集を準備していた国民大会であって、国民党の規定によると、あの大会は少しも権力をもたず、その選挙はなおさらのこと民意に全然かなっていないものです。われわれおよび各界は、あのような国民大会には賛同しません。われわれがいま提案している臨時国民大会は、さきに停止されたものとは根本的にちがったものです。臨時国民大会がひらかれれば、それによって全国はかならず面目を一新し、政府機構の改革、軍隊の改革、人民の動員にとっての必要な前提がえられます。抗戦の局面の転機は、じつにこのことにかかっているのです。
  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 09:53 | 23 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

上海、太原陥落後の抗日戦争の情勢と任務
          (一九三七年十一月十二日)
     これは、毛沢東同志が一九三七年十一月、延安でひらかれた党の活動者会議でおこなった報告要綱である。党内の右翼日和見主義分子はそのときからこの要綱に反対してきたが、一九三八年十月、党の第六期中央委員会第六回総会になって、この右翼的傾向は基本的に克服された。

     一 当面の情勢は一面的抗戦から全面的抗戦への過渡期にある

 (一)われわれは、たとえ一面的抗戦であっても、日本帝国主義の進攻とたたかう抗戦であるならば、すべて支持する。なぜなら、それは無抵抗主義よりは一歩すすんでおり、革命性をもっており、また祖国防衛のためにたたかうものだからである。
 (二)だが、われわれは早くから(今年四月、延安《イェンアン》でひらかれた党の活動者会議、五月にひらかれた党の全国代表会議、八月におこなわれた中央委員会政治局の決議〔1〕において)つぎのことを指摘してきた。人民大衆を参加させない、政府だけの一面的抗戦は、かならず失敗する。なぜなら、それは完全な民族革命戦争ではないからであり、大衆による戦争ではないからである。
 (三)われわれは、全国の人民を総動員した完全な民族革命戦争、つまり全面的抗戦とよばれるものを主張する。なぜなら、そのような抗戦だけが大衆による戦争であり、祖国防衛の目的をとげることができるからである。
 (四)国民党の主張する一面的抗戦も、民族戦争であり、革命性をもってはいるが、その革命性はきわめて不十分である。一面的抗戦は、かならず戦争を敗北にみちびくものであって、けっして祖国を防衛することはできない。
 (五)これが、共産党の抗戦の主張と現在の国民党の抗戦の主張との原則的な相違である。共産党員がこの原則性をわすれるなら、抗日戦争を正しく指導することはできず、国民党の一面性を克服する力をもたなくなり、共産主義者を無原則的な立場にひきおろし、共産党を国民党の水準までひきさげることになる。そうすることは、神聖な民族革命戦争と祖国防衛の任務にたいして罪をおかすものである。
 (六)完全な民族革命戦争、つまり全面的抗戦では、共産党の提起した抗日救国十大綱領を実行しなければならす、またこの綱領を完全に実行する政府と軍隊がなければならない。
 (七)上海《シャンハイ》、太原《タイユワン》陥落後の情勢はつぎのとおりである。
 1 華北では、国民党を主体とする正規の戦争は終わりをつげ、共産党を主体とする遊撃戦争が主要な地位をしめるようになった。江蘇《チァンスー》、淅江《チョーチァン》両省では、国民党の戦線がすでに撃破され、日本侵略者は南京《ナンチン》および長江《チャンチァン》流域にむかって進攻しつつある。国民党の一面的抗戦はもはやもちこたえられないことをしめしている。
 2 イギリス、アメリカ、フランスなどの政府は、かれら自身の帝国主義的な利益のために、小国援助を表明しているが、まだ口先だけの同情にすぎず、なにも実力援助はしていない。
 3 ドイツ、イタリアのファシストは、日本帝国主義を極力援助している。
 4 国民党は、一面的抗戦をすすめるための一党独裁と民衆にたいする統制政策とを、まだ原則的にはあらためようとしていない。
 これらが一方の状況である。
 他方では、つぎの点がみられる。
 1 共産党と八路軍の政治的影響は、きわめて大きく早くひろがり、「民族の救い主」という声が全国につたわっている。共産党と八路軍は、全国を防衛し、日本侵略者の中原地方と西北地方への進攻を牽制《けんせい》するために、華北の遊撃戦争を堅持する決意をかためている。
 2 民衆運動が一歩前進した。
 3 民族ブルジョア階級が左傾している。
 4 国民党のなかに、現状の故事を主張する勢力が大きくなりつつある。
 5 日本に反対し中国を援助する世界人民の運動が発展しつつある。
 6 ソ連が中国に実力援助をあたえる準備をしている。
 これらがもう一方の状況である。
 (八)したがって、いまは一面的抗戦から全面的抗戦への過渡期にある。一面的抗戦はもうもちこたえる力がなくなり、全面的抗戦はまだ実現していない。これは端境《はざかい》期のような、重大な危機をはらんだ過渡期である。
 (九)この期間には、中国の一面的抗戦は三つの方向に発展する可能性がある。
 第一の方向は、一面的抗戦をやめて、全面的抗戦をおこなうことである。これは国内の大多数の人びとの要求であるが、国民党はまだその決意をしていない。
 第二の方向は、抗戦をやめて、投降することである。これは日本侵略者、民族裏切り者および親日派の要求であるが、中国の大多数の人びとから反対されている。
 第三の方向は、抗戦と投降が中国に並存することである。これは、日本侵略者、民族裏切り者および親日派が、第二の方向を実現できないため、中国の抗日戦線を分裂させようとする陰謀術策の結果である。かれらはいまそれを策動している。この危険は深刻に存在している。
 (一〇)当面の情勢からみると、国内的にも国際的にも、投降主義をのさばらせない要因が優勢である。それらの要因とは、あくまで中国を滅ぼそうとする日本の方針によって、中国が戦わざるをえない立場におかれていること、共産党と八路軍が存在していること、中国人民の要求があること、自民党内の多数の党員の要求があること、イギリス、アメリカ、フランスが国民党の投降は自分たちの利益をそこなうものだと心配していること、ソ連が存在していることと中国援助の方針をとっていること、中国人民がソ連にたいして大きな期待(それはむなしい期待ではない)をよせていることなどである。これらの要因がうまく組織されれば、投降と分裂の要因が克服されるばかりでなく、一面的抗戦にとどまろうとする要因も克服される。
 (一一)したがって、一面的抗戦から全面的抗戦への転換という前途がある。この前途の実現をかちとることは、すべての中国共産党員、すべての中国国民党内の進歩的な人びと、すべての中国人民にとって共通のさしせまった任務である。
 (一二)中国の抗日民族革命戦争は、いま重大な危機に立っている。この危機は、長びくかもしれないし、比較的早くのりこえられるかもしれない。決定的な要因は、中国の国内では、国民党と共産党の協力およびこの協力を基礎とする国民党の政策の転換であり、労農大衆の力であり、国外では、ソ連の援助である。
 (一三)国民党は、政治の面、組織の面で改造する必要があるし、その可能性もある〔2〕。それは主として、日本の圧迫、中国共産党の統一戦線政策、中国人民の要求、国民党内部の新しい勢力の増大によるのである。われわれの任務は、政府の改造、軍隊の改造の基礎として、国民党にこのような改造を実現させることである。この改造は、もちろん国民党中央の賛同をえなければならず、われわれは提案者の立場にある。
 (一四)政府を改造すること。われわれは臨時国民大会を招集する方針を提起したが、これも必要な、また可能なことである。この改造も、もちろん国民党の賛同をえなければならない。
 (一五)軍隊改造の任務は、新しい軍隊を創設し、ふるい軍隊を改造することである。もし半年ないし一年のあいだに、新しい政治意識をもった二十五万から三十万の軍隊を創設することができるなら、抗日の戦場には一転機が見えはじめるにちがいない。このような新しい軍隊は、すべてのふるい軍隊に影響をあたえ、それらを結集するだろう。これは、抗日戦争が戦略的反攻にうつる軍事的基礎である。この改造も、同様に国民党の賛同をえなければならない。八路軍はこの改造の過程で模範的な役割をはたさなければならない。八路軍自身は拡大されなければならない。

  二 党内でも全国でも投降主義に反対しなければならない

   党内では、他階級にたいする階級的投降主義に反対する

 (一六)一九二七年、陳独秀《チェントウシウ》の投降主義は、当時の革命を失敗にみちびいた。共産党員の一人ひとりは、この歴史上の血の教訓をわすれてはならない。
 (一七)党の抗日民族統一戦線の路線についていうと、蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変までの党内のおもな危険な偏向は「左」翼日和見主義、つまり閉鎖主義であった。これは、主として国民党がまだ抗日していなかったことによる。
 (一八)蘆溝橋事変のあと、党内のおもな危険な偏向は、もはや「左」翼閉鎖主義ではなく、右翼日和見主義、つまり投降主義の側に転じた。これは、主として国民党が抗日するようになったことによる。
 (一九)四月に延安でひらかれた党の活動者会議のとき、五月にひらかれた党の全国代表会議のとき、とくに八月におこなわれた中央委員会政治局会議(洛川《ルオチョワン》会議)のとき、われわれはすでにつぎの問題を提起した。統一戦線では、プロレタリア階級がブルジョア階級を指導するのか、それともブルジョア階級がプロレタリア階級を指導するのか。国民党が共産党をひきつけるのか、それとも共産党が国民党をひきつけるのか。当面の具体的な政治的任務のなかでは、この問題は、つまり自民党を共産党の主張する抗日救国十大綱領と全面的抗戦にまでひきあげるのか、それとも共産党を国民党の地主・ブルジョア階級の独裁と一面的抗戦にまでひきさげるのか、ということである。
 (二○)どうしてこんなにするどく問題を提起するのか。それはこういうわけである。
 一方では、中国のブルジョア階級が妥協性をもっていること、国民党が実力の面で優勢であること、国民党中央執行委員会第三回全体会議がその宣言と決議のなかで、共産党を中傷し侮辱し、「階級闘争をやめよ」とわめきたてていること、国民党が「共産党の投降」を心からのぞみ、それをひろく宣伝していること、蒋介石《チァンチェシー》が共産党を統制しようとたくらんでいること、国民党が赤軍を制限し弱化する政策をとっていること、国民党が抗日民主根拠地を制限し弱化する政策をとっていること、国民党が七月の廬山《ルーシャン》訓練班〔3〕で「抗日戦争中に共産党の力を五分の三によわめる」陰謀計画をもちだしたこと、国民党が官位、金銭、酒色、享楽で共産党の幹部を誘惑していること、一部の小ブルジョア急進分子に政治的投降の動きがある(その代表は章乃器〔4〕)こと、などの状況がみられる。
 他方では、共産党内の理論水準にでこぼこがあること、多くの党員が北伐戦争時期の国共両党合作の経験に欠けていること、党内に小ブルジョア階級出身者がたくさんいること、一部の党員にこれまでの苦しい闘争生活をつづけたがらない気分があること、統一戦線のなかに国民党に迎合する無原則的な傾向があること、八路軍のなかに新しい軍閥主義の偏向がうまれていること、共産党が国民党の政権に参加する問題がうまれていること、抗日民主根拠地のなかに迎合的傾向がうまれていること、などの状況がみられる。
 こうした両方のきびしい状況からして、だれがだれを指導するかという問題をするどく提起しなければならず、投降主義に断固反対しなければならない。
 (二一)ここ数ヵ月、主として抗戦いらい、共産党の中央および各級の組織では、すでにうまれている、またうまれる可能性のあるこうした投降主義の偏向にたいして、はっきりした断固たる闘争をおこない、必要な予防策をとり、しかも成果をあげてきた。
 政権に参加する問題については、党中央から決議案草案がだされた〔5〕
 八路軍のなかでは、新しい軍閥主義の偏向にたいする闘争をはじめている。この偏向は、赤軍の編成がえがおこなわれたのち、少数の個々のものが、厳格に共産党の指導をうけることをいやがり、個人英雄主義をつのらせ、国民党から任命されることを光栄におもう(任官することを光栄におもう)などの現象としてあらわれている。この新しい軍閥主義の偏向は、人をなぐったり、どなりつけたり、規律をやぶったりするなどの現象としてあらわれる、ふるい軍閥主義の偏向とおなじ根(共産党を国民党の水準までひきさげること)をもち、おなじ結果(大衆から遊離すること)をもたらすものであるが、それは国共両党の統一戦線の時期にうまれたもので、とくに大きな危険性をもっている。したがって、とくに注意をはらい、断固として反対する必要がある。国民党の干渉によって廃止された政治委員制度や、国民党の干渉によって政訓処と改められた政治部の名称は、現在すでに復活している。「独立自主の山岳地帯遊撃戦」という新しい戦略原則を提起し、断固実行しているので、八路軍の作戦上、活動上の勝利が基本的に保障されている。国民党がその派遣する党員を八路軍の幹部にしてほしいという要求を拒否し、八路軍にたいする共産党の絶対的指導という原則を堅持している。それぞれの革命的な抗日根拠地では、おなじように「統一戦線における独立自主」という原則を提起している。「議会主義」的偏向(もちろん第二インターナショナルの議会主義ではない。そういう議会主義は中国の党内にはない)〔6〕を是正し、匪賊《ひぞく》、スパイ、破壊分子にたいする闘争を断固すすめている。
 西安《シーアン》では、両党関係における無原則的な傾向(迎合的傾向)を是正し、ふたたび大衆闘争をくりひろげている。
 甘粛《カンスー》省東部では、西安とほぼおなじ状況である。
 上海では、「よびかけを少なくし、献策を多くする」という章乃器主義を批判し、救国活動における迎合的傾向を是正しはじめている。
 南方の各遊撃区――これは、われわれが国民党との十年にわたる血戦でたたかいとった成果の一部であり、抗日民族革命戦争の南方各省における戦略的支点であり、国民党が西安事変後もなお「包囲討伐」政策で滅ぼそうとし、蘆溝橋事変後はさらにおびきだし政策にあらためてよわめようとしている勢力である――では、われわれの注意力はつぎの点に集中される。(1)無条件の集結(それらの支点をとりのぞこうとする国民党の要求にかなっている)を防止すること、(2)国民党の人員派遣を拒否すること、(3)何鳴《ホーミン》のばあいのような危険(国民党に包囲されて武装解除される危険)〔7〕を警戒すること。
 『解放週刊』〔8〕では、厳正な批判の態度を堅持している。
 (二二)抗戦を堅持し、最後の勝利をたたかいとるためには、また一面的抗戦を全面的抗戦に変えていくためには、抗日民族統一戦線の路線を堅持し、統一戦線を拡大し強化しなければならない。国共両党の統一戦線を分裂させるどんな主張もゆるされない。「左」翼閉鎖主義はひきつづき防止しなければならない。だが同時に、統一戦線のすべての活動は、独立自主の原則とかたく結びついたものでなければならない。われわれが国民党およびその他のいかなる政党とむすぶ統一戦線も、一定の綱領を実行することを基礎とした統一戦線である。この基礎をはなれてはどんな統一戦線もありえず、そういう協力は無原則的な行動となるのであって、投降主義のあらわれである。したがって、「統一戦線における独立自主」の原則を説明し、実践し、堅持することは、抗日民族革命戦争を勝利の道にみちびく中心的な環である。
(二三)われわれがそうする目的はどこにあるのか。一つは、自分がすでにたたかいとった陣地を保持することにある。これは、われわれの戦略的出発点であり、この陣地をうしなえば、なにもかもおしまいである。だが、主要な目的は、もう一つの方にある。つまり、陣地を発展させるためであり、「何百何干方の大衆を抗日民族統一戦線に参加させて、日本帝国主義をうちたおす」というこの積極的な目的を実現するためである。陣地を保持することと陣地を発展させることとは切りはなせない。ここ数ヵ月らい、いっそう広範な小ブルジョア階級の左翼大衆がわれわれの影響下に結集しており、国民党陣営内の新しい勢力も大きくなりつつあり、山西《シャンシー》省の大衆闘争も発展したし、多くの地方では党の組織も発展した。
 (二四)だが、はっきり知っておかなければならないのは、全国では、党組織の力が一般的にいってまだ弱いということである。全国の大衆の力もまだ非常に弱く、全国の労農基本大衆はまだ組織されていない。これらのことはすべて、一方では、国民党の統制と抑圧の政策によるものであるが、他方では、われわれ自身が働きかけなかったか、あるいは働きかけが不十分だったためである。これは、現在の抗日民族革命戦争におけるわが党のもっとも基本的な弱点である。この弱点を克服しなければ、日本帝国主義にうち勝つことはできない。この目的を達成するには、かならず「統一戦線における独立自主」の原則を実行し、投降主義または迎合主義を克服しなければならない。

全国では、他民族にたいする民族的投降主義に反対する

 (二五)以上にのべたのは、他階級にたいする階級的投降主義である。それは、プロレタリア階級をブルジョア階級の改良主義と不徹底性に適応するようにみちびくものである。この偏向を克服しなければ、抗日民族革命戦争を勝利のうちにすすめることもできず、一面的抗戦を全面的抗戦に変えることもできず、祖国を防衛することもできない。
 だが、もう一つの投降主義がある。それは、他民族にたいする民族的投降主義であって、中国を日本帝国主義の利益にかなうようにみちびき、中国を日本帝国主義の植民地に変え、すべての中国人を亡国の民に変えるものである。この偏向は、現在、抗日民族統一戦線の右派集団のなかにうまれている。
 (二六)抗日民族統一戦線の左派集団は共産党にひきいられた大衆であり、それにはプロレタリア階級、農民、都市小ブルジョア階級の大衆がふくまれている。われわれの任務は、あらゆる努力をはらって、この集団を拡大し強化することである。この任務を達成することが、国民党を改造し、政府を改造し、軍隊を改造する基本的条件であり、統一的な民主共和国をうちたてる基本的条件であり、一面的抗戦を全面的抗戦に変える基本的条件であり、日本帝国主義をうちたおす基本的条件である。
 (二七)抗日民族統一戦線の中間集団は民族ブルジョア階級と小ブルジョア階級上層である。上海の各大新聞が代表する階層は左傾しており〔9〕、復興社では一部のものが動揺しはじめ、CC団でも一部のものが動揺している〔10〕。抗戦している軍隊は深刻な教訓をえており、そのうちの一部のものは改造にとりかかったか、あるいはとりかかろうとしている。われわれの任務は、中間集団の進歩と転換をかちとることである。
 (二八)抗日民族統一戦線の右派集団は大地主と大ブルジョア階級であって、それは民族的投降主義の大本営である。かれらは、一方では戦争で自分の財産が損害をうけるのをおそれ、他方では民衆が立ちあがるのをおそれており、かれらの投降への傾斜は必然的である。かれらのうちで、しっかりしているのは、個々の特殊な状況にあるものだけで、多くのものは、すでに民族裏切り者になったか、すでに親日派になったか、親日派になろうとしているか、いま動揺しているかである。かれらのなかの一部のものが一時的に民族統一戦線にはいったのは、仕方なしに、しぶしぶはいったのである。一般的にいって、かれらが抗日民族統一戦線から分裂して出ていく日は遠くない。いま、大地主と大ブルジョア階級のなかの多くのもっとも悪質な分子は、抗日民族統一戦線を分裂させる策動をしている。かれらはデマの製造元であり、「共産党の暴動」とか「八路軍の退却」とかいうデマは、今後も日ましにふえるだろう。われわれの任務は、民族的投降主義に断固反対し、しかもこの闘争のなかで、左派集団を拡大し強化し、中間集団の進歩と転換をかちとることである。

階級的投降主義と民族的投降主義との関係

 (二九)抗日民族革命戦争では」階級的投降主義は、事実上民族的投降主義の予備軍であり、右派陣営をたすけて戦争を失敗させるもっとも悪質な偏向である。中華民族と勤労大衆の解放をたたかいとるには、また民族的投降主義との闘争を断固として強力におしすすめるには、共産党の内部とプロレタリア階級の内部にある階級的投降の偏向とたたかい、この闘争を各分野の活動のなかでくりひろげなければならない。



〔1〕 一九三七年八月二十五日、中国共産党中央委員会政治局が陝西省北部でひらいた洛川会議において採択した「当面の情勢と党の任務についての決定」をさす。全文はつぎのとおり。「(一)蘆溝橋における戦争挑発と北平、天津の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻する手始めにすぎない。日本侵略者は、すでに全国の戦時動員をはじめた。かれらが口にする「不拡大」の宣伝は、その進攻をおおいかくす煙幕でしかない。(二)南京政府は日本侵略者の進攻と人民の憤激におされて、抗戦の決意をかためはじめた。全体的な国防の配置と各地における実際の抗戦もすでにはじまっている。中国と日本との大戦はさけられない。七月七日の蘆溝橋の抗戦は中国の全国的な抗戦の出発点となった。(三)中国の政治情勢は、このときから新しい段階、つまり抗戦を実行する段階にはいった。抗戦の準備段階はすでにすぎた。この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利をかちとることである。これまでの段階では、民主主義をかちとる任務は、国民党がそれをのぞまず、民衆の動員がたりなかったので達成されなかったが、これは今後、抗戦の勝利をかちとる過程で達成しなければならないものである。(四)この新しい段階では、われわれと国民党およびその他の抗日諸派との区別および論争は、いかに抗戦の勝利をかちとるかの問題であって、もはや抗戦すべきかどうかの問題ではない。(五)こんにち、抗戦の勝利をかちとる中心の鍵は、すでに口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。こんにち、わが党の提起している抗日救国の十大綱領こそ、抗戦の最後の勝利をかちとる具体的な道である。(六)こんにちの抗戦には、きわめて大きな危険性がふくまれている。それは主として、国民党がまだ全国人民を抗戦に立ちあがちせることをのぞんでいないためである。逆に、かれらは、抗戦を政府だけの仕事と考え、人民の参戦運動をことごとに恐れ、制限し、政府や軍隊が民衆とむすびつくのをさまたげ、人民に抗日救国の民主主義的権利をあたえず、政府を全民族的な国防政府にするための徹底的な政治機構の改革をおこなおうとしない。このような抗戦では、局部的な勝利をかちとることはできても、けっして最後的な勝利をかちとることはできない。逆に、このような抗戦には重大な失敗をまねく恐れがある。(七)当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折、返却、内部分化、裏切り、一時的局部的な妥協など、多くの不利な状況かうまれる可能性がある。したがって、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、われわれは、すでに口火のきられた抗戦が、かならずわが党と全国人民の努力によって、あらゆる障害をつきやぶってひきつづき前進、発展することを確信する。われわれは、あらゆる困難を克服し、わが党が抗戦の勝利をかちとるために提起した十大綱領の実現をめざして断固たたかうべきである。この綱領にそむくすべてのあやまった方針に断固反対すると同時に、悲観的、失望的な民族敗北主義にも反対する。(八)共産党員およびその指導下にある民衆と武装力はもっとも積極的に闘争の最前線に立ち、みずから全国抗戦の中核となり、全力をあげて抗日の大衆運動を発展させるべきである。大衆に宣伝し、大衆を組織し、大衆を武装化するのに、わずかな時間もちょっとした機会ものがしてはならない。何百回千万の大衆をほんとうに民族統一戦線に組織できさえすれば、抗日戦争の勝利は疑いない。」
〔2〕 抗日戦争の初期、国民党と蒋介石は、人民の力におされて改革についてのさまざまな約束をしたが、その後、それを一つ一つ破棄していった。当時、全国の人民が希望していた国民党の改革の「可能性」は、実現されなかった。それは、のちに毛沢東同志が『連合政府について』のなかでつぎのように説明しているとおりであった。「当時、全国人民、われわれ共産党員、その他の民主政党は、みな国民党政府にきわめて大きな期待をよせていた。つまり、国民党政府がこの民族の危機と人心奮起の時機にあたって、民主改革を断行し、孫中山先生の革命的三民主義を実行にうつすことを期待していたのである。だが、この期待ははずれてしまった。」
〔3〕 廬山訓練班とは、蒋介石がその反動支配の骨幹を養成するため江西省の廬山でひらいた、国民党の党・政府関係の高級・中級幹部の訓練班をいう。
〔4〕 当時、章乃器は「よびかけを少なくし、献策を多くする」ことを主張した。事実、国民党が人民を抑圧している状況のもとでは、たんに国民党に「献策する」だけでは役にたたない。国民党と闘争するよう、直接民衆に「よびかけ」なければならない。そうしないかぎり、抗日を堅持することも、国民党の反動に抵抗することもできない。だから、章乃器のこの主張はまちがっていた。のちには、かれはしだいにその誤りを知るようになった。
〔5〕 一九三七年九月二十五日にだされた「共産党が政府に参加する問題についての中国共産党中央の決定草案」をさす。全文はつぎのとおり。「(一)こんにちの抗戦の情勢からすれば、有利に抗日民族革命戦争を指導し、日本帝国主義にうち勝つには全民族的な抗日民族統一戦線政府がさしせまって必要である。共産党はこのような政府に参加する用意があり、つまり直接に公然と政府の行政責任をおい、そのなかで積極的な役割をはたす用意がある。しかし、こんにち、まだこのような政府はない。こんにちあるのは、やはり国民党一党独裁の政府だけである。(二)国民党一党独裁の政府を全民族的な統一戦線の政府に変えたとき、つまりこんにちの国民党政府が、(イ)わが党の提起した抗日救国十大綱領の基本内容をうけいれ、この内容にもとづいて施政綱領を公表したとき、(ロ)実際の行動のうえでこの綱領を実現する誠意と努力をしめしはじめ、この面で相当の成績をあげたとき、(ハ)共産党の組織の合法的存在をゆるし、共産党に大衆を動員し、大衆を組織し、大衆を教育するという自由を保障したとき、そのときはじめて、中国共産党はこれに参加する。(三)党中央が中央政府に参加することを決定するまでは、共産党員は、一般に、地方政府に参加してはならず、政府行政機関に付属する、中央および地方のすべての行政会議および委員会に参加してはならない。なぜなら、そうしたものに参加することは、いたずらに共産党員としての姿をあいまいにし、国民党の独裁支配を長びかせ、統一的な民主政府の樹立をうながすのに有害無益だからである。(四)しかし、特殊な地区の地方政府、たとえば戦区の地方政府で、従来の支配者が、いままでどおり支配をおこなうことができず、基本的に共産党の主張を実行しようとしており、共産党もすでに公然たる活動の自由をえているばあい、しかも、当面の緊迫した情勢から、共産党の参加が人民と政府のいずれからも必要とされるにいたったばあいには、共産党はこれに参加してもよい。日本侵略者が占領している地域では、共産党は、なおさら公然と抗日統一戦線政権の組織者になるべきである。(五)共産党が公然と政府に参加する以前でも、全国国民大会のような、民主憲法や救国の方針を討議する代議機関に参加することは、原則的にゆるされる。したがって、共産党は、できるかぎり自己の党員を国民大会に当選させ、その演壇を利用して、共産党の主張を宣伝すべきであり、そうすることによって、人民を動員し、人民を共産党のまわりに組織し、統一的な民主政府の樹立を促進するのである。(六)共産党の中央および地方の組織は、国民党の中央および地方の党部とともに、一定の共同綱領にもとづき、完全な平等の原則にしたがって、各種連合委員会(たとえば国民革命同盟会、大衆運動委員会、戦地動員委員会など)のような統一戦線の組織をつくってもよい。共産党は、国民党とのこのような共同行動をつうじて、国共両党の協力を実現すべきである。(七)赤軍が国民革命軍と改称され、赤色政権機関が特別地区政府にあらためられたのちには、その代表者は、すでに獲得した合法的な地位によって、抗日救国に有利なすべての軍事的な機関や大衆的な機関に参加してもよい。(八)もとの赤軍およびすべての遊撃隊のなかでは、共産党が絶対的な独立した指導権を保持することは、完全に必要である。共産党員はこの問題でいかなる原則上の動揺もゆるされない。」
〔6〕 当時、党内の一部の同志が主張した、革命根拠地内の人民代表会議の政権制度をブルジョア国家の議会制度に変えようとする意見をさす。
〔7〕 一九三四年十月、中央赤軍が北上したのち、南方の江西、福建、広東、湖南、湖北、河南、淅江、安徽の八省の十四の地区にのこっていた赤軍遊撃隊は、極度に困難な状況のもとで遊撃戦争を堅持していた。抗日戦争が勃発すると、かれらは、中国共産党中央の指示にもとづいて、内戦を停止し一つの軍団に編成して(これがのちに長江南北で抗日を堅持した新四軍である)抗日のため前線へ出動するということについて、国民党と交渉した。ところが、蒋介石は、交渉を利用してこれらの遊撃隊を消滅しようとたくらんだ。福建・広東省境地区は当時の十四の遊撃区の一つであり、何鳴はこの地区の遊撃隊の責任者の一人であった。何鳴は、蒋介石の陰謀にたいして警戒を怠ったため、そのひきいていた一千余名の遊撃隊員が集結したのちに、国民党に包囲され、武装解除された。
〔8〕 『解放週刊』は中国共産党中央の機関誌であった。一九三七年、延安で創刊されたが、一九四一年、『解放日報』が発行されたので、停刊になった。
〔9〕 当時の『申報』などの新聞によって代表された一部の民族ブルジョア階級をさす。
〔10〕 復興社とCC団は、蒋介石と陳立夫をかしちとする、国民党内の二つのファシスト組織であり、大地主、大ブルジョア階級の寡頭支配の利益を代表していた。しかし、そのなかにいた小ブルジョア分子の多くは、強制されるか、だまされるかしてはいったものであった。ここでいう復興社の一部のものとは、おもに、当時の国民党軍隊の一部の中級・下級将校をさす。CC団の一部のものとは、おもに、その当時実権をにぎっていなかったものをさす。

  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 09:55 | 24 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

陝西・甘粛・寧夏辺区政府 第八路軍広報留守本部 布告
(一九三八年五月十五日)
     この布告は、毛沢東同志が陝西・甘粛・寧夏辺区政府と八路軍留守本部にかわって書いたもので、その目的は、蒋介石集団の破壊活動に対処することにあった。当時は国共合作が成立してまもないころであったが、蒋介石集団はもう共産党の指導する革命勢力を破壊しようとたくらんでいた。陝西・甘粛・寧夏辺区にたいする破壊活動は、こうした陰謀の一部であった。毛沢東同志は、革命の利益をまもるためには、決然とした立場をとらなければならないと考えた。この布告は、当時、党内の一部の同志が抗日統一戦線のなかで、蒋介石集団の陰謀活動にたいしてとっていた日和見主義の立場に打撃をあたえた。

 布告事項。蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変いらい、わが全国の愛国的同胞は断固として抗戦をすすめている。前線の将兵は血をながし命を犠牲にしている。各党各派はまごころをもって団結している。各界の人民は救国のために協力している。これは中華民族の光明にみちた大道であり、抗日の勝利の確固たる保障である。わが国のすべての人びとは、この道を前進しなければならない。わが陝西《シャンシー》・甘粛《カンスー》・寧夏辺区〔1〕の軍民は、政府の指導にしたがって、救国の事業に力をつくしている。実行していることはすべて公明正大である。みな苦難にめげず奮闘し、あえて労を口にしない。全国の人民は、異口同音にこれを称賛している。本政府および本留守本部は、その貫徹のために、全区の民衆にひきつづき努力するようひたすらはげましている。一人でも職責をはたきないものがあってはならず、一つでも救国に不利なことがあってはならない。しかるに、最近の調査によれば、辺区のなかには、大局をかえりみない輩《やから》が、さまざまな方法を利用して、すでに分配された土地や家屋の返還を農民に強要したり、すでに廃棄された債務〔2〕の返還を債務者に強要したり、すでに確立された民主主義制度の変更を人民に強要したり、すでに成立した軍事、経済、文化および民衆団体の組織を破壊したりしている。はなはだしさは、密偵《みってい》になり、匪賊《ひぞく》に通じ、部隊の反乱を扇動し、地図を作成し、ひそかに状況を調査し、辺区政府に反対する宣伝を公然とおこなっている。以上のさまざまな行為は、あきらかに、団結抗日の基本原則と、辺区人民の総意にそむくもので、内部の紛争をひきおこし、統一戦線を破壊し、人民の利益をそこない、辺区政府の威信を傷つけ、抗日への動員をいっそう困難にすることを企図するものである。その原因はほかでもなく、少数の頑迷《がんめい》分子が民族と国家の利益をかえりみず、悪事をほしいままにしていることにある。なかには、日本侵略者に利用され、さまざまな名目をつかってその陰謀活動をおおいかくす道具にしているものさえある。ここ数ヵ月、各県の人民はこれらのことについてしきりに報告し、その抑止を要求するもの、日に数件におよんで、応接にいとまがない。本政府および本留守本部は、抗日の力をつよめ、抗日の後方をかため、人民の利益をまもるために、さきにあげた行為を取り締まらざるをえない。よって、とりいそぎ、つぎのとおりはっきりと布告する。
 (一)国内の平和がはじまったとき、辺区政府の管轄区域ですでに分配されていたすべての土地や家屋、廃棄されていたすべての債務については、本政府および本留守本部は、人民の既得の利益を保護し、勝手な変更をゆるさない。
 (二)国内の平和がはじまったときすでに樹立されていて、その後抗日民族統一戦線の原則にもとづいて改善と発展をみた軍事、政治、経済、文化などの諸組織およびその他の民衆団体については、本政府および本留守本部は、その活動を保護し、その発展を促進し、破壊をたくらむすべての行為を禁止する。
 (三)抗日救国に有利な事業であるかぎり、本政府および本留守本部は、『抗戦建国綱領』を断固として実行するという原則のもとに、よろこんでこれをおしすすめるものである。好意的に協力する各界の人びとにたいしては、これを一律に歓迎する。だが、本政府または本留守本部の許可ならびに本政府または本留守本部の証明書なしに、外部から辺区にはいって滞在し活動するものにたいしては、詐称者を防ぎ、破壊分子を一掃するために、その活動の内容のいかんを問わず、一律に禁止する。
 (四)抗戦の緊張しているこのとき、辺区で破壊活動をたくらんだり、ほしいままに攪乱《かくらん》したり、誘惑や扇動をおこなったり、軍事状況を内偵したりするものにたいしては、人民にその摘発をゆるす。証拠の確実なものは、その場で逮捕することをゆるす。取り調べの結果、それが事実であれば、一律に仮借なく厳罰に処する。
 全辺区の軍隊と人民は、一律に右の四ヵ条をまもり、これにそむいてはならない。あえて攪乱をたくらむ不逞《ふてい》の徒があれば、本政府および本留守本部はかならず本布告にしたがって法的処分をおこなう。知らなかったということは抗弁の理由にはならない。以上のとおり布告する。



〔1〕 陝西・甘粛・寧夏辺区は、一九三一年以後、陝西皆北部の革命遊撃戦争のなかでしだいに発展してきた革命根拠地であった。中央赤軍が長征をへて陝西省北部に到達したのちは、革命の中心根拠地となり、同時に、中共中央の所在地となった。一九三七年、抗日民族統一戦線が成立してから陝西・甘粛・寧夏辺区と改称され、二十余県を管轄していたが、それは陝西・甘粛・寧夏三省がたがいに接している一部の地方からなっていた。
〔2〕 陝西・甘粛・寧夏辺区の大部分の地方では、地主の土地を没収して農民に分配し、農民が以前負っていた債務を廃棄するという政策を、すでに実施していた。一九三六年以後、中国共産党は広範な抗日民族統一戦線を結成するため、全国的に、地主の土地没収の政策のかわりに、小作料、利子引き下げの政策をとったが、農民が土地改革でえた成果にたいしては断固としてこれを保障した。
訳注
① 一九三八年三月、国民党は、武漢で臨時全国代表大会をひらき、『抗戦建国綱領』なるものを採択したが、そのなかには、総則、外交、軍事、政治、経済、民衆運動、教育など七項三十二ヵ条がふくまれていた。この綱領には、国民党の一党独裁、一面的抗戦のあやまった主張か依然としてつらぬかれていた。しかし当時、中国共産党と中国人民の強い圧力があったので、国民党はこの綱領のなかで、いくつかの臨機の措置を講じないわけにはいかなかった。たとえば、「国民参政機関を組織する」という決定や、「言論、出版、集会、結社について合法的な十分な保障をあたえる」とか「人民の生活改善に留意する」といった公約がそれである。これらの規定はたんなる空手形にすぎないとはいえ、中国人民は国民党にたいする闘争の道具として、これを利用することができた。
  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 09:56 | 25 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

抗日遊撃戦争の戦略問題
          (一九三八年五月)
     抗日戦争の初期には、遊撃戦争の重大な戦略的役割を軽視し、正規戦争、とくに国民党軍隊の戦いにだけ希望をかけているものが、党内にも党外にもたくさんいた。毛沢東同志はこのような観点を論駁すると同時に、この論文を書いて、抗日遊撃戦争の発展の正しい道をさししめした。その結果、抗日の期間中、一九三七年にはわずか四万余人しかなかった八路軍と新四軍は、一九四五年の日本降伏のときまでに百万の大軍に発展し、たくさんの革命根拠地を創設して、抗日戦争のなかで偉大な役割をはたした。そのため、抗日の期間中、蒋介石は日本に投降することも全国的規模の内戦を引きおこすこともできなくなり、一九四六年蒋介石が全国的規模の内戦を引きおこしたときには、八路軍と新四軍によって編成された人民解放軍は、その進攻にたちむかう力をもつまでになっていた。

     第一章 なぜ遊撃戦争の戦略問題を提起するのか

 抗日戦争では、正規戦争が主要なもので、遊撃戦争は補助的なものである。この点については、われわれはすでに正しく解決している。それならば、遊撃戦争には戦術問題しかないのに、どうして戦略問題を提起するのか。
 もしわが国が小国であって、遊撃戦争が正規軍の戦役的作戦で近距離の直接的な呼応の役割をいくらかはたすだけであるなら、もちろん戦術問題があるだけで戦略問題などはない。また、もし中国がソ連のように強大で、敵が侵入してきてもすぐにそれを追いだすことができるか、あるいはかなり時間がかかっても占領されている地区がひろくはなく、遊撃戦争がやはり戦役的呼応の役割しかはたさないなら、もちろん戦術問題があるだけで戦略問題などはない。
 遊撃戦争の戦略問題はつぎのような状況のもとでうまれるのである。すなわち中国は小国でもなければソ連のような国でもなく、大きくて弱い国である。この大きくて弱い国が、他の小さくて強い国から攻撃をうけているが、しかし、この大きくて弱い国の方は進歩の時代にある。ここからすべての問題がうまれるのである。このような状況のもとでは、敵の占領地域は非常にひろいという現象がうまれ、戦争の長期性がうまれる。敵はわれわれのこの大国において非常にひろい地域を占領しているが、かれらの国は小国で、兵力が不足し、占領区に多くの空白地帯を残している。したがって、抗日遊撃戦争は主として、内線で正規軍の戦役的作戦に呼応するのではなく、外線で単独作戦をするのである。そのうえ中国が進歩していること、つまり共産党の指導する強固な軍隊と広範な人民大衆とが存在することによって、抗日遊撃戦争は小規模なものではなくて、大規模なものとなる。そこで、戦略的防御、戦略的進攻などという一連のものが発生する。戦争の長期性とそれにともなう残酷性によって、遊撃戦争では普通とちがったことをたくさんしなくてはならないことが規定されている。そこで根拠地の問題、運動戦へ発展する問題などもおきてくる。そこで、中国の抗日遊撃戦争は、戦術の範囲からとびだし、戦略の門をたたいて、遊撃戦争の問題を戦略的観点から考察することを要求する。とくに注意しなければならないのは、このような大規模な、また持久的な遊撃戦争は、全人類の戦争史においても、たいへん目あたらしいことがらだということである。このことは、時代が二〇世紀の三、四十年代にまですすんできているということと切りはなせないし、共産党および赤軍の存在と切りはなせないのであって、ここに問題の焦点がある。われわれの敵は、おそらくまだ元朝が宋朝を滅ぼし、清朝が明朝を滅ぼし、イギリスが北アメリカとインドを占領し、ラテン系の諸国が中南米を占領したときのような甘い夢をみているのであろう。そんな夢は、こんにちの中国ではもはや現実的な価値はない。なぜなら、こんにちの中国には、上述のような歴史にくらべていくつかのものがふえているからであり、遊撃戦争というたいへん目あたらしいものがその一つである。もしわれわれの敵がこの点をみおとすなら、ひどい目にあうにちがいない。
 これが、抗日遊撃戦争は抗日戦争全体のなかで依然として補助的な地位にあるにもかかわらず、それを戦略的観点から考察しなければならない理由である。
 では、なぜ抗日戦争の一般的戦略問題のなかのものを遊撃戦争に適用しないのか。
 抗日遊撃戦争の戦略問題は、もともと抗日戦争全体の戦略問題と緊密につながっており、多くの点で両者は一致している。だが、遊撃戦争はまた正規戦争とはちがって、それ自身の特殊性をもっているので、遊撃戦争の戦略問題は、かなり多くの特殊なものをもっており、抗日戦争の一般的戦略問題のなかのものを、けっして特殊な状況のもとにある遊撃戦争にそのまま適用してはならない。

第二章 戦争の基本原則は自己を保存し敵を消滅することである

 遊撃戦争の戦略問題を具体的にのべるまえに、戦争の基本問題についてのべなければならない。
 あらゆる軍事行動の指導原則は、できるかぎり自己の力を保存し、敵の力を消滅するという基本原則にもとづいている。この原則は、革命戦争においては基本的な政治原則と直接につながっている。たとえば、中国の抗日戦争の基本的政治原則すなわち政治目的は、日本帝国主義を駆逐し、独立、自由、幸福の新中国を樹立することである。それを軍事の面で実行すれば、軍事力で祖国を防衛し、日本侵略者を駆逐するということになる。この目的をたっするため、軍隊自身としては、一万では自己の力をできるかぎり保存し、他方では敵の力をできるかぎり消滅するという行動をとる。戦争のなかで勇敢な犠牲を提唱することを、どう解釈したらよいか。どの戦争でも代価を、ときには非常に大きな代価を支払わなければならないが、これは「自己保存」と矛盾しないだろうか。じつは少しも矛盾しない。もう少し正確にいうならば、それはたがいに反しあいながら、たがいに成りたたせあっているのである。なぜなら、このような犠牲は、敵の消滅に必要であるばかりでなく、自己の保存にも必要である――部分的、一時的に「保存しない」 (犠牲になるか代価を支払う)ことは、全体的、永久的に保存するために必要だからである。この基本的な原則から、軍事行動全体を指導する一連のいわゆる原則がうまれてくる。射撃の原則(身体を隠蔽《いんぺい》すること、火力を発揮すること、前者は自己を保存するためのもの、後者は敵を消滅するためのもの)から、戦略原則にいたるまでのすべてが、この基本原則の精神によってつらぬかれている。すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的な原則は、この基本原則を実行するときの条件である。自己を保存し、敵を消滅するという原則は、あらゆる軍事原則の根拠である。

第三章 抗日遊撃戦争の六つの具体的戦略問題

 ここで、自己を保存し、敵を消滅するという目的をたっするには、抗日遊撃戦争の軍事行動で、どんな方針あるいは原則をとらなければならないかをみることにしよう。抗日戦争の(ひいては、あらゆる革命戦争の)遊撃隊は、一般に無から有に、小から大に発展するものであるから、自己を保存することのほかに、もう一つ自己を発展させるということがつけくわえられなければならない。したがって問題は、自己を保存または発展させ、敵を消滅するという目的をたっするには、どんな方針あるいは原則をとらなければならないかということである。
 まとめていえば、主要な方針としてつぎの各項目がある。(一)防御戦中の進攻戦、持久戦中の速決戦、内線作戦中の外線作戦の主動的、弾力的、計画的実行。(二)正規戦争との呼応。(三)根拠地の樹立。(四)戦略的防御と戦略的進攻。(五)運動戦への発展。(六)正しい指揮関係。この六項目は、抗日遊撃戦争の全般的な戦略綱領であり、自己を保存し発展させ、敵を消滅し駆逐し、正規戦争と呼応して、最後の勝利をたたかいとるための必要な道である。

     第四章 防御戦中の進攻戦、持久戦中の速決戦、内線作戦中の外線作戦の主動的、弾力的、計画的実行

 ここで、またつぎの四点にわけてのべることができる。(一)防御と進攻、持久と速決、内線と外線の関係。(二)すべての行動で主動的地位にたつこと。(三)兵力の弾力的な使用。(四)すべての行動の計画性。
 まず、第一の点についてのべよう。
 抗日戦争全体は、日本侵略者が強国で進攻しており、われわれが弱国で防御していることによって、われわれの方が戦略的には防御戦と持久戦をとるということが規定されている。作戦線についていうならば、敵は外線作戦であり、われわれは内線作戦である。これが状況の一面である。だが、他の一面はまったく逆になっている。敵軍は強い(兵器、兵員のもっているいくつかの素質、その他のいくつかの条件で)が、その数は多くなく、わが軍は弱い(おなじく、たんに兵器、兵員のもっているいくつかの素質、その他のいくつかの条件で)が、その数は非常に多い。そのうえ、敵はわが国に侵入してきた異民族であり、われわれは自国で異民族の侵入に抵抗しているという条件がくわわることによって、つぎのような戦略方針が規定される。すなわち戦略上の防御戦のなかで戦役上戦闘上の進攻戦をとることができるし、またとらなければならないこと、戦略上の持久戦のなかで戦役上戦闘上の速決戦をとることができるし、またとらなければならないこと、戦略上の内線作戦のなかで戦役上戦闘上の外線作戦をとることができるし、またとらなければならないことである。これは、抗日戦争全体がとらなければならない戦略的方針である。正規戦争もそうであり、遊撃戦争もそうである。遊撃戦争のちがうところは、その程度または形態の問題だけである。遊撃戦争は、一般に襲撃の形態で進攻をおこなうのである。正規戦争でも襲撃戦をとるべきであるし、またとることができるが、敵の意表にでる程度は比較的小さい。遊撃戦では、速決性がつよく要求されるが、戦役と戦闘で敵を包囲する外線圏は小さい。これらが正規戦とちがう点である。
 このことからもわかるように、遊撃隊の作戦では、できるだけ多くの兵力を集中し、秘密で神速な行動をとり、敵の意表に出て襲撃し、すみやかに戦闘をかたづけることが要求され、消極的防御を極力いましめ、時間の長びくのを極力いましめ、戦いにのぞんで兵力を分散させることを極力いましめなければならない。もちろん遊撃戦争では、戦略上に防御があるだけでなく、戦術上にも防御がある。戦闘にさいしての牽制《けんせい》と警戒の面、敵を消耗、疲労させるための、隘路《あいろ》、要害、河川、村落などにおける抵抗の配置、退却時の掩護《えんご》部隊などはすべて、遊撃戦争における戦術上の防御の部分である。だが、遊撃戦争の基本方針は進攻的なものでなければならず、正規戦争とくらべて、その進攻性はいっそう大きい。しかも、その進攻はかならず奇襲でなければならず、これみよがしに、鳴り物入りで自己を暴露することは、正規戦以上にゆるされない。遊撃戦争でも、ある孤立無援の小部隊の敵を攻撃するときのように、数日にわたって戦闘を堅持するばあいがあるが、一般の作戦では、正規戦以上に戦闘をすみやかにかたづけることが要求される。これは敵が強くて味方が弱いという状況によって規定されているのである。遊撃戦争はもともと分散的なものであるから、いたるところにひろがる遊撃戦になるのである。しかも、攪乱《かくらん》、牽制、破壊および大衆活動などの多くの任務においては、みな兵力の分散を原則とする。しかし、一つの遊撃部隊あるいは遊撃兵団についてみれば、敵を消滅する任務を遂行するばあい、とくに敵の進攻をうちやぶるために努力するばあいには、やはりその主要な兵力を集中しなければならない。「大きな力を集中して、敵の小部分をうつ」ことは、やはり遊撃戦争の戦場での作戦原則の一つである。
 このことからもわかるように、抗日戦争全体からみると、正規戦と遊撃戦における戦役上戦闘上の進攻戦を数多くつみかさねたばあい、つまり進攻戦において数多くの勝ちいくさをしたばあいにはじめて、戦略的防御の目的をたっして、最後に日本帝国主義にうち勝つことができる。戦役上戦闘上の速決戦を数多くつみかさねたばあい、つまり戦役上戦闘上の数多くの進攻戦で戦闘をすみやかにかたづけることによって勝利をおさめたばあいにはじめて、抗戦の力を強める時間をかせぐ一方、国際情勢の変化と敵の内部崩壊をうながし、それをまつという戦略的持久の目的をたっして、戦略的反攻をおこない、日本侵略者を中国から駆逐することができるのである。また、戦略的防御の時期であろうと戦略的反攻の時期であろうと、毎回の戦いで優勢な兵力を集中し、一律に戦役上戦闘上の外線作戦をとり、敵を包囲して消滅し、全部は包囲できないまでもその一部を包囲し、包囲した敵の全部は消滅できないまでもその一部を消滅し、包囲した敵を大量にいけどることはできないまでもそれを大量に殺傷する。このような殲滅《せんめつ》戦をたくさんつみかさねたばあいにはじめて、敵と味方の形勢を逆転させ、敵の戦略的包囲すなわち敵の外線作戦の方針を根本からうちやぶり、最後に、国際的な力および日本人民の革命闘争と呼応して、共同で日本帝国主義を包囲攻撃し一挙にそれを消滅することができるのである。こうした結果は、主として正規戦によってえられるものであり、遊撃戦ではそれにつぐ成果しかあげられない。だが、たくさんの小さな勝利をつみかさねて大きな勝利にしていくことは、正規戦と遊撃戦に共通したものである。遊撃戦争が抗日の過程ではたす偉大な戦略的役割とは、この点をいうのである。
 つぎに、遊撃戦争の主動性、弾力性、計画性の問題についてのべよう。
 遊撃戦争の主動性とはなにか。
 すべての戦争では、敵味方の双方が戦場、戦地、戦区、さらに戦争全体の主動権を懸命にうばいあうが、この主動権とは、軍隊の自由権のことである。軍隊が主動権をうしない、受動的地位においこまれると、その軍隊は自由でなくなり、消滅されるかうちやぶられるかの危険におちいる。もともと、戦略的な防御戦と内線作戦では主動権をかちとることはわりあいに困難であり、進攻的な外線作戦では主動権をかちとることはわりあいに容易である。だが、日本帝国主義には、兵力が不足しており、外国で戦っているという二つの基本的な弱点がある。そのうえ、中国の力にたいする評価の不足と日本軍閥の内部矛盾によって、多くの指揮上のあやまり、たとえば兵力を逐次投入していること、戦略的な協同が欠けていること、ある時期には主攻方向がないこと、一部の作戦では時機を逸すること、包囲しても殲滅できないことなどがうまれており、これが三番目の弱点だといえる。このように、兵力が不足している(国が小さいこと、人口がすくないこと、資源が不足していること、封建的な帝国主義であることなどがふくまれる)、外国で戦争している(戦争の帝国主義的性質と野蛮《やばん》性などがふくまれる)、指揮がまずい、ということによって、日本軍閥は進攻戦と外線作戦という有利な地位にありながら、その主動権は日に日に弱まっている。日本は、いまのところ、まだ戦争を終わらせようとのぞんでもいなければ、終わらせることもできず、その戦略的進攻もまだ停止してはいないが、大勢のおもむくところ、その進攻には一定の限度があり、これは三つの弱点がうんだ必然の結果である。全中国を際限なく併呑《へいどん》することは不可能である。日本が完全に受動的地位にたつ日はいつかやってくるのであって、そのような状況が、現在すでにみえはじめている。中国の側は、戦争がはじまったころ、かなり受動的であったが、現在では、すでに経験をつみ、新しい運動戦の方針、すなわち戦役上戦闘上の進攻戦、速決戦および外線作戦の方針をとりつつあり、そのうえ、遊撃戦をいたろところでくりひろげる方針をとっているので、主動的な地位は日一日と確立されつつある。
 遊撃戦争における主動権の問題は、いっそう重大な問題である。なぜなら、遊撃隊の多くは、無後方作戦の状態、敵が強く味方が弱い状態、経験に欠けている状態(これはあたらしくできた遊撃隊についていうのである)、不統一の状態など、きびしい環境におかれているからである。だが、遊撃戦争は主動権を確立することができるのであって、そのための主要な条件は、さきにのべた敵の三つの弱点をとらえることである。敵の兵力の不足(戦争全体からいって)につけいれば、遊撃隊は広大な活動地区をおもうぞんぶんたたかいとることができる。かれらが異民族で、極度に野蛮な政策を実行しているということにつけいれば、遊撃隊は何百何千万という人民の支持をおもうぞんぶんたたかいとることができる。かれらの指揮のまずさにつけいれば、遊撃隊は自分たちの聡明《そうめい》さをおもうぞんぶん発揮することができる。敵のもっているこれらすべての弱点は、正規軍もそれをとらえて敵にうち勝つ元手にしなければなるないが、遊撃隊は、とくにそれをとらえるよう心がけるべきである。遊撃隊自身の弱点は、闘争のなかでだんだんすくなくしていくことができる。そのうえ、その弱点が、ときにはかえって主動的地位をかちとるための条件となる。たとえば遊撃隊は弱小だからこそ、敵の後方で神出鬼没の活動をするのに有利であり、敵はそれをどうすることもできないのである。このような大きな自由は、膨大な正規軍ではえられるものではない。
 敵が数路にわかれて包囲攻撃をかけてきたばあいには、遊撃隊の主動権は掌握しにくく、喪失しやすい。このようなばあい、判断と処置が不正確だと受動的になりやすく、したがって、敵の包囲攻撃をうちやぶることができなくなる。敵が守勢をとり、わが方が攻勢をとっているときにも、このような事情がおこる。だかち、主動権は正確な状況(敵味方双方の状況)の判断と正しい軍事的政治的処置からうまれてくるのである。客観状況に合致しない悲観的な判断や、それにともなう消極的な処置をするなら、疑いもなく主動権をうしない、自己を受動的地位におとしいれてしまう。だが同様に、客観状況に合致しないあまりにも楽観的な判断や、それにともなう冒険(不必要な冒険)的な処置をしたばあいも、主動権をうしない、ついには、悲観論者とおなじ道をあゆむことになる。主動権は、なにも天才がうまれつきもっているものではなく、聡明な指導者が客観状況を謙虚に研究し、正確に判断し、軍事的政治的行動を正しく処理することによってのみうまれるものである。したがって、それは既成のものではなく、意識的にたたかいとらなければならないものである。
 判断と処置のあやまり、あるいは不可抗力の圧力によって、受動的地位においこまれてしまったばあい、このときの任務は、受動からぬけでるように努力することである。どのようにぬけでるかは、状況によってきめなければならない。多くのばあいは「立ち去る」ことが必要である。立ち去るということを上手にやるのが、遊撃隊の特徴である。立ち去るということは、受動をぬけでて主動をとりもどす主要な方法である。だが、方法はこれだけに限らない。往々にして、敵がもっとも得意になり味方がもっとも困難なときこそ、敵が不利になりはじめ味方が有利になりはじめるときである。往々にして、有利な状況と主動性の回復は「もうひとふんばり」の努力のなかからうまれるものである。
 つぎに、弾力性についてのべよう。
 弾力性とは、主動性の具体的なあらわれである。弾力的に兵力を使用することは、正規戦争よりも遊撃戦争の方がいっそう必要である。
 弾力的な兵力の使用は、敵と味方の形勢を変え、主動的地位をたたかいとるもっとも重要な手段であるということを、遊撃戦争の指導者に理解させなければならない。遊撃戦争の特質から、兵力の使用は任務および敵情、地形、住民などの条件に応じて弾力的に変えていかなければならない。その主要な方法は兵力の分散的使用、集中的使用および転移である。遊撃戦争の指導者が遊撃隊を使用するばあいには、ちょうど漁師が投網《とあみ》をうつように、ひろげるともできれば、たぐりよせることもできなければならない。漁師が投網をうつときには、水の深さ、流れの速さ、障害物の有無をみなければならないが、遊撃隊を分散的に使用するばあいにも、状況がわからず、行動をあやまったために損失をうけることのないよう注意しなければならない。漁師が投網をたぐりよせるには、手綱をにぎっていなければなるないが、部隊を使用するにも、通信、連絡をたもつとともに、相当の主力を自己の手もとに保持していなければならない。漁をするにはつねに場所を変えなければならないが、遊撃隊のばあいもつねにその位置を変えなければならない。分散、集中および移動は、遊撃戦争において弾力的に兵力を使用する三つの方法である。
 一般的にいって、遊撃隊の分散的使用、すなわち「一つにまとまっているものを細かくする」ことは、おおよそつぎのようないくつかの状況のもとに実行される。(一)敵が守勢をとっているので、当分のあいだ集中して戦う可能性がなく、敵にたいし正面からひろい範囲にわたって脅威をあたえるばあい、(二)敵の兵力の薄弱な地区で、いたるところ攪乱と破壊をおこなうばあい、(三)敵の包囲攻撃をうちやぶることができず、目標を小さくして敵から脱しようとするばあい、(四)地形あるいは給養の制約をうけるばあい、(五)広大な地区で民衆運動をおこなうばあい。だが、どんな状況にあろうとも、分散行動をとるばあいには、つぎのことに注意しなければならない。(一)適当な機動地区にやや大きな部分の兵力を保持しておき、絶対的な平均分散をしないこと。それは、一つには、おこりうる事変に対処しやすくし、二つには、分散して任務を遂行するさいの重心をもうけるためである。(二)分散した各部隊に明確な任務、行動の地区、行動の時期、集合の地点、連絡の方法などをしめすこと。
 兵力の集中的使用、すなわち「細かくしたものを一つにまとめる」という方法は、その多くが、敵が進攻してきたさいこれを消滅するためにとられるが、敵が守勢をとっているさいに一部の駐止している敵を消滅するためにとられることもある。兵力の集中といっても、絶対的な集中ではなく、ある重要な方面に主力を集中してつかい、その他の方面には、牽制、攪乱、破壊などのため、あるいは民衆運動をおこなうために、一部の兵力をのこすかあるいは派遣するのである。
 状況に応じて弾力的に兵力を分散させたり兵力を集中したりすることは遊撃戦争の主要な方法ではあるが、なお弾力的に兵力を転移(移動)させることも知っていなければならない。敵は自分にとって遊撃隊が大きな危険であると感じたときには、軍隊を派遣して弾圧するか、あるいは進攻をおこなう。したがって、遊撃隊は状況を考えなければならす、戦ってもよいときにはその地で戦うが、戦ってはならないときには時機を逸せず迅速に他の方向に転移すべきである。ときには、敵を各個撃破するため、たったいまここで敵を消滅したばかりでも、ただちに他の方向に転移して敵を消滅する。また、ここでは戦闘に不利だとみれば、ただちにその敵からはなれて他の方向に転移して、そちらで戦闘することもある。もし敵からの脅威がとくにきびしければ、遊撃部隊は一つのところに長くとどまるべきではなく、急流疾風のように迅速にその位置を移すべきである。兵力の転移は、一般に秘密に迅速におこなわなければならない。敵をあざむき、おびきよせ、まどわせるために、つねに巧妙な方法をとらなければならない。たとえば、東を撃つとみせて西を撃つとか、南にいくかとおもえは北にいくとか、攻撃をくわえるやいなやざっと引くとか、夜間に行動するとか、などがそれである。
 分散、集中および転移の弾力性は、遊撃戦争における主動性の具体的なあらわれであり、しゃくし定規で、動きがにぶければ、かならず受動的地位におちいり、不必要な損失をこうむることになる。だが、指導者の聡明さは、弾力的な兵力の使用の重要さを理解することにあるのではなく、具体的な状況に応じてときを移さず兵力の分散、集中および転移を上手におこなうことにある。たくみに情勢を判断し、時機を選択するという、このような聡明さをもつことは、容易なことではなく、謙虚に研究し、考察と思索につとめる人でなければ、それを身につけることはできない。弾力性をもつことが盲動におちいらないためには、状況を慎重に考える必要がある。
 最後に、計画性の問題についてのべよう。
 遊撃戦争で勝利をおさめるには、計画性がなければならない。がむしゃらにやろうとする考え方は、遊撃戦争をもてあそぶにすぎないか、遊撃戦争の門外漢のすることである。遊撃区全体の行動にしても、単独の遊撃部隊または遊撃兵団の行動にしても、まえもって、できるかぎり厳密な計画をたてておかなくてはならない。これがあらゆる行動のための準備活動である。状況の掌握、任務の確定、兵力の配置、軍事教育と政治教育の実施、給養物資の調達、装備の整理および民衆の呼応などは、いずれも、指導者たちの綿密な考慮、着実な実行、実行の程度の点検活動などにふくまれなければならない。この条件がなかったなら、主動とか弾力とか進攻とかいうものは、なに一つ実現できない。もちろん、計画性は正規戦争の方が高度であって、遊撃戦争の条件のもとでは、それほど高度なものはゆるされず、もし遊撃戦争のなかで高度の厳密な計画をたてようとするなら、それはあやまりである。だが、客観条件のゆるす範囲で、できるかぎり厳密な計画をたてることは必要である。敵との闘争は遊びごとではないことを知っておかなければならない。
 以上のべた点は、遊撃戦争の戦略原則の第一の問題――防御のなかの進攻戦、持久のなかの速決戦、内線作戦のなかの外線作戦を主動的、弾力的、計画的に遂行するということを説明したものである。これは遊撃戦争の戦略原則のもっとも中心的な問題である。この問題が解決されれば、遊撃戦争の勝利は軍事指導のうえで重要な保障をえたことになる。
 ここではたくさんのことをのべたが、それらはすべて戦役上戦闘上の進攻をめぐる問題である。主動的地位は、進攻が勝利したのちでなければ、最後的にかちとることはできない。すべての進攻戦はまた、主動的に組織すべきであって、せまられておこなうようであってはならない。弾力的な兵力の使用も、進攻戦のためにという中心をめぐっておこなわれるし、計画性が必要なのも、主として進攻の勝利のためである。戦術上の防御手段は、進攻を直接または間接にたすけることをはなれては、少しも意義がない。速決とは進攻の時間についていい、外線とは進攻の範囲についていうのである。進攻は敵を消滅する唯一の手段であるとともに、自己を保存する主要な手段でもある。単純な防御と退却は、自己を保存するのに一時的、部分的な役割をはたすだけで、敵を消滅するにはまったく役にたたない。
 この原則は、正規戦争も遊撃戦争も、基本的にはおなじで、ただ形態に程度のちがいがあるだけである。だが、遊撃戦争では、このちがいに注意することが重要であり、また必要である。この形態がちがっているからこそ、遊撃戦争の作戦方法は正規戦争の作戦方法と区別されるのであって、この形態のちがいを混同すれば、遊撃戦争は勝利をおさめることができない。

第五章 正規戦争との呼応

 遊撃戦争の戦略問題の第二の問題は、正規戦争との呼応の問題である。つまり、遊撃戦争の具体的行動の性質にもとづいて、遊撃戦争と正規戦争との作戦上の関係をあきらかにすることである。この関係を認識することは、敵を効果的にうちやぶるうえで重要な意義がある。
 遊撃戦争の正規戦争との呼応には、戦略上、戦役上、戦闘上の三種類がある。
 遊撃戦争全体が、敵の後方で敵を弱め、敵を牽制し、敵の輸送を妨害する役割をはたすこと、全国の正規軍と全国の人民に精神的激励をあたえることなどは、いずれも戦略上で正規戦争に呼応するものである。たとえば東北三省の遊撃戦争のばあい、全国的抗日戦争がはじまるまでは、もちろん呼応の問題はおこらなかったが、抗日戦争がはじまってからは、呼応の意義がはっきりあらわれてきた。そこの遊撃隊が敵兵をひとりでも多くうち殺し、敵の弾丸を一発でも多く消耗させ、敵兵をひとりでも多く牽制して万里の長城以南に侵入させないようにすることは、抗日戦争全体にたいしてそれだけ力を増大させたことになる。また、敵軍と敵国の全体に精神上不利な影響をあたえ、わが軍とわが人民の全体に精神上よい影響をあたえるということは、だれの目にもあきらかである。北平《ペイピン》=婦綏《クイスイ》、北平=漢□《ハンコウ》、天津《ティエンチン》=浦口《プーコウ》、大同《タートン》=風陵渡《フォンリントウ》、正定《チョンティン》=太原《タイユワン》、上海《シャンハイ》=杭州《ハンチョウ》などの鉄道沿線で、遊撃戦争がはたしている戦略上の呼応の役割にいたっては、いっそうあきらかである。遊撃隊は、現在のように敵が戦略的進攻をおこなっているとき、正規軍と呼応して戦略的防御の役割をはたしているばかりでなく、また、敵が戦略的進攻を終わって占領地の保持に転じたとき、正規軍と呼応して敵の保持を妨害するばかりでなく、さらに、正規車が戦略的反攻をおこなうとき、正規軍と呼応して敵軍を撃退し、すべての失地を回復するであろう。遊撃戦争が戦略上ではたす偉大な呼応の役割は、けっして軽視してはならない。遊撃隊と正規軍の指導者たちは、その役割をはっきり認識しなければならない。
 そればかりでなく、遊撃戦争にはまだ、戦役上の呼応の役割がある。たとえば、太原北方の忻口《シンコウ》鎮の戦役のとき、雁門関《イェンメンコヮン》南北の遊撃戦争が、大同==風陵渡鉄道、平型関《ピンシンコヮン》の自動車道路、楊万口《ヤンファンコウ》の自動車道路などを破壊して戦役上はたした呼応の役割は大きいものであった。また、敵が風陵渡を占領したのち、山西《シャンシー》省のいたるところでおこなわれていた遊撃戦争(主として正規軍によっておこなわれた)が、陝西《シャンシー》省の黄河《ホワンホー》西岸、河南《ホーナン》省の黄河南岸の防御戦と呼応して戦役上はたした呼応の役割は、いっそう大きいものであった。さらに、敵が山東省南部を攻撃したとき、華北五省全体の遊撃戦争も、山東省南部のわが軍の戦役的作戦と呼応するうえで、相当な力を発揮した。こうした任務では、敵の後方にある遊撃根拠地の指導者や臨時に派遣された遊撃兵団の指導者はすべて、自己の兵力をうまく配置し、おのおのがその時その地の状況に応じた方法をとって、敵のもっとも危険を感じている点やその弱い点にたいして積極的に行動をおこし、これによって敵を弱め、敵を牽制し、敵の輸送を妨害し、また内線で戦役的作戦をしている各部隊の士気を鼓舞するという目的をたっするようにし、戦役的呼応の責任をはたさなければならない。各遊撃区あるいは各遊撃隊が、戦役作戦上の呼応を考えず、めいめいのことしかやらないなら、戦略作戦全体としては依然として呼応の役割をうしなっていないとしても、戦役作戦上の呼応がないため、戦略的呼応の意義はよわめられてしまう。この点は、すべての遊撃戦争の指導者のよく注意しなければならないことである。この目的をたっするには、比較的大きな遊撃部隊や遊撃兵団のすべてに無線電信を設置しておくことが、どうしても必要である。
 最後に、戦闘上の呼応、すなわち戦場作戦での呼応は、内線戦場の近くにいるすべての遊撃隊の任務である。もちろん、これは、正規軍の近くにいる遊撃隊または臨時に正規軍から派遣された遊撃隊にかぎる。このようなばあい、遊撃隊は正規軍の指導者の指示にしたがって、通常、一部の敵の牽制、敵の輸送の妨害、敵情の偵察、道案内など、指定された任務を担当しなければならない。正規軍の指導者からの指示がないときでも、遊撃隊はすすんでこれらのことをしなければならない。見ていてもなにもしない、遊動もしなければ攻撃もしない、遊動はしても攻撃はしないというような態度があってはならない。

第六章 根拠地の樹立

 抗日遊撃戦争の戦略問題の第三の問題は、根拠地樹立の問題である。この問題の必要性と重要性は、戦争の長期性と残酷性からくるものである。なぜなら、失地の回復は全国的な戦略的反攻のときを待たなければできないが、それまでは、敵の前線がわが国の中部にふかくくいこみ、それを縦断し、国土の半分ちかく、ひいては半分以上が敵におさえられて敵の後方になるからである。われわれは、そのように広大な被占領地区で遊撃戦争を広範に展開し、敵の後方も敵の前線に変えて、敵がその全占領地で戦争を停止できないようにしなければならない。われわれが戦略的反攻をおこない、失地を回復する日がくるまでは、敵の後方における遊撃戦争を堅持しなければならない。その時間ははっきり断定できないが、相当長いことは疑いない。これが戦争の長期性である。同時に、敵は占領地での利益を確保するため、かならず日ましにやっきになって遊撃戦争に対処し、とくに戦略的進攻を停止したのちは、遊撃隊に残酷な弾圧をくわえるにちがいない。このように、長期性のうえに残酷性がくわわるので、敵の後方における遊撃戦争は、根拠地なしにはもちこたえることができない。
 遊撃戦争の根拠地とはなにか。それは、遊撃戦争が自己の戦略的任務を遂行し、自己の保存と拡大、敵の消滅と駆逐という目的をたっするための戦略的基地である。このような戦略的基地がなければ、あらゆる戦略的任務の遂行と戦争目的の達成はよりどころをうしなってしまう。敵の後方における遊撃戦争は、国の大後方からはなれているので、もともと無後方作戦がその特徴である。だが、遊撃戦争は、根拠地なしには長期間存続し、発展することができない。このような根拠地が、つまり遊撃戦争の後方である。
 歴史上には、流賊主義的な農民戦争がたくさんあったが、いずれも成功しなかった。交通および技術の進歩したこんにち、流賊主義で勝利をえようとすることは、なおさらなんの根拠もない幻想である。だが、流賊主義はこんにちの破産した農民のあいだになお存在しており、かれらの意識が遊撃戦争の指導者たちの頭に反映すると、根拠地を必要としない思想、あるいはそれを重視しない思想となる。したがって、遊撃戦争の指導者たちの頭から流賊主義をとりのぞくことが、根拠地樹立の方針を確立する前提である。根拠地を必要とするかどうか、根拠地を重視するかどうかの問題、いいかえると、根拠地思想と流賊主義思想との闘争の問題は、どんな遊撃戦争においてもうまれるものであり、抗日遊撃戦争においてもある程度まぬかれない。したがって、流賊主義との思想闘争は、欠くことのできない過程である。流賊主義を徹底的に克服し、根拠地樹立の方針を提起し、それを実行してこそ、長期間遊撃戦争をもちこたえるのに有利なのである。
 根拠地の必要性と重要性をあきらかにしたが、つぎに、根拠地を樹立するさい、ぜひとも認識し、解決しなければならない問題がある。それらの問題とは、いくつかの種類の根拠地、遊撃区と根拠地、根拠地樹立の条件、根拠地の強化と発展、敵と味方のあいだのいくつかの種類の包囲である。

第一節 いくつかの種類の根拠地

 抗日遊撃戦争の根拠地は、だいたい、山岳地帯、平原地帯および河川・湖沼・港湾・川股《かわまた》地帯の三つの種類をでない。

 山岳地帯での根拠地の樹立が有利なことは、だれにもあきらかであり、長白山《チャンパイシャン》〔1〕、五台山《ウータイシャン》〔2〕、太行山《タイハンシャン》〔3〕、泰山《タイシャン》〔4〕、燕山《イェンシャン》〔5〕、茅山《マオシャン》〔6〕などで、すでにつくられているか、いまつくられつつあるか、これからつくられようとしている根拠地が、それである。これらの根拠地は、抗日遊撃戦争をもっとも長期間もちこたえていける場所であり、抗日戦争の重要なとりでである。われわれは、敵の後方にあるすべての山岳地帯にいって遊撃戦争をくりひろげるとともに、根拠地をうちたてなければならない。
 平原地帯が山岳地帯よりいくらかおとることはもちろんだが、けっして、遊撃戦争をくりひろげることができないわけではないし、またどんな根拠地もつくれないというのでもない。河北《ホーペイ》省の平原、山東省の北部と西北部の平原では、すでに広い地域にわたって遊撃戦争をくりひろげており、これは平原地帯で遊撃戦争をくりひろげることができる証拠である。平原地帯でも、長期間もちこたえられる根拠地を樹立することができるかどうかは、現在のところ、まだ証明されていない。だが、臨時的な根拠地の樹立、小部隊の根拠地または季節的な根拠地の樹立については、前者は現在すでに証明されているが、後者も可能だというべきである。なぜなら、一方では、敵は配置する兵力に不足し、また、かつてない野蛮な政策を実行しているということ、他方では、中国には広大な土地があり、また抗日の人民がたくさんいるということ、これらのことが平原地帯に遊撃戦争をくりひろげ、また臨時の根拠地をうちたてることのできる客観的な条件をあたえている。もしそのうえに、指揮の適切という条件がくわわれば、小部隊の、固定しない、長期の根拠地をうちたてることも当然可能だというべきである〔7〕。だいたい、敵がその戦略的進攻を終わり、占領地の保持の段階にうつってくると、遊撃戦争のすべての根拠地にたいする残酷な進攻がはじまるのは疑いのないことで、平原の遊撃根拠地は、おのずから、まっさきにその矢面にたたされる。そうしたとき、平原地帯で活動している大きな遊撃兵団は、もとのところで長期間作戦をもちこたえることができなくなり、状況に応じて、だんだん山岳地帯に転移していかなければならない。たとえば、河北平原から五台山と大行山に転移し、山東平原から泰山と膠東《チャオトン》半島に転移するというようにする。だが、多くの小さな遊撃部隊を保持し、それらを広大な平原の各県に分散させて、流動作戦の方法、つまりときにはこちら、ときにはあちらという根拠地引っ越しの方法をとることは、民族戦争という条件のもとでは、可能性がないといえない。夏には見渡すかぎりのこうりゃん畑、冬には河川の結氷を利用する季節的な遊撃戦争となると、疑いもなく可能である。敵は現在手がまわりかねており、将来手がまわるにしても十分にゆきとどかないという条件のもとで、われわれが、現在は、平原の遊撃戦争を広範に展開し、臨時の根拠地を樹立するという方針、将来は、小部隊の遊撃戦争、すくなくとも季節的な遊撃戦争を堅持し、固定しない根拠地を樹立するという方針を確定することは、ぜひとも必要である。
 河川・湖沼・港湾・川股をよりどころにして遊撃戦争をくりひろげ、また根拠地を樹立する可能性は、客観的にいうと、山岳地帯よりやや小さいが、平原地帯よりは大きい。歴史上のいわゆる「海賊」や「水賊」は無数の武勇劇を演じており、赤軍時代の洪湖《ホンフー》の遊撃戦争は数年もの長いあいだもちこたえられたが、これらは河川・湖沼・港湾・川股地帯で遊撃戦争をくりひろげ、また根拠地を樹立することのできる証拠である。だが、抗日の各政党や抗日の人民は、いまになってもこの方面にあまり注目していない。まだ主体的条件がそなわっていないとはいえ、それに注目すべきであり、またそれを実行にうつすべきであるということは疑いがない。長江《チャンチァン》北部の洪沢湖《ホンツォーフー》地帯、長江南部の太湖《タイフー》地帯、大きな川や海岸にそった敵の占領地区にあるすべての港湾・川股地帯では、遊撃戦争を十分に組織し、河川・湖沼・港湾・川股およびその付近に恒久的な根拠地を樹立して、遊撃戦争を全国にくりひろげていく一つの方面とすべきである。この方面が欠けていることは、敵に水上交通の便をあたえるのと同じで、抗日戦争の戦略計画の一つの欠陥であり、すみやかにおぎなうべきである。

第二節 遊撃区と根拠地

 敵の後方で作戦する遊撃戦争にとって、遊撃区と根拠地にはちがいがある。周囲はすでに敵に占領され、なかはまだ占領されていないかあるいは占領されたがまた奪回したという地区――五台山地区(山西・察哈爾《チャーハール》・河北辺区)のいくつかの県がそれであり、大行山地区と泰山地区にもそのような状況がある――こうした地区はいずれも既成の根拠地であって、遊撃隊がそこをよりどころにして遊撃戦争をくりひろげるのにたいへん都合がよい。だが、これらの地区のその他のところ、たとえば五台山地区の東部と北部すなわち河北省西部と察哈爾省南部のある部分、および保定《パオティン》以東・滄州《ツァンチョウ》以西一帯の多くの地方は、そうではない。そこでは、遊撃戦争のはじめの時期には、まだその地方を完全には占領することができず、たびたび遊撃しにいくだけで、遊撃隊がいくと遊撃隊のものになるが、遊撃隊が去ってしまうとまたかいらい政権のものになる。このような地区はまだ遊撃戦争の根拠地ではなくて、いわゆる遊撃区である。このような遊撃区は、多数の敵の消滅または撃破、かいらい政権の粉砕、民衆の積極性の発揚、民衆の抗日団体の結成、民衆の武装組織の拡大、抗日政権の樹立などといった遊撃戦争の必要な過程をへて、根拠地に転化するのである。これらの根拠地をまえからある根拠地にくわえることを、根拠地を発展させるというのである。
 あるところの遊撃戦争は、その活動地区全体が、はじめのうち遊撃区であった。たとえば河北省東部の遊撃戦争がそうである。そこには、すでに長期にわたってかいらい政権が存在しており、その地方で蜂起した民衆武装組織と五台山から派遣された遊撃支隊は、その活動地区全体が、はじめのうち遊撃区であった。かれらが活動をはじめたときには、この地区内によい地点をえらんで臨時の後方とするほかなかった。これが臨時の根拠地ともよばれるものである。敵を消滅し、民衆を立ちあがらせる活動を展開したのちでなければ、遊撃区の状態をなくして、比較的安定した根拠地にすることはできない。
 このことからもわかるように、遊撃区から根拠地になるのは、困難な創造の過程であり、遊撃区がすでに根拠地の段階にうつったかどうかは、敵を消滅し、民衆を立ちあがらせた程度いかんによってきまる。
 多くの地区は、長期にわたって遊撃区の状態がつづくだろう。そこでは、敵は懸命にその支配につとめてはいるが、安定したかいらい政権を樹立することができず、われわれも懸命に遊撃戦争の発展につとめてはいるが、抗日政権樹立の目的をたっすることができない。たとえば、敵の占領している鉄道沿線、大都市の近郊地区、一部の平原地区がそうである。
 敵が強大な力でおさえている大都市、鉄道駅および一部の平原地帯になると、遊撃戦争は、その付近にまで近づくことができるだけで、そのなかに侵入することはできず、そこには比較的安定したかいらい政権がつくられている。これがもう一つの状況である。
 われわれの指導のあやまりかあるいは敵の強大な圧力によって、さきにのべたような状況に反対の変化がおこる、つまり根拠地が遊撃区となり、遊撃区が敵の比較的安定した占領地になることがある。このような状況のうまれる可能性があるから、遊撃戦争の指導者たちはとくに警戒する必要がある。
 したがって、敵の占領している全地区は、遊撃戦争および敵味方双方の闘争の結果、つぎの三種類の地区に変わる。第一はわが方の遊撃部隊とわが方の政権に掌握されている抗日根拠地、第二は日本帝国主義とかいらい政権に掌握されている被占領地、第三は双方で争奪しあう中間地帯、すなわち遊撃区といわれるもの。遊撃戦争の指導者の責務は、第一と第三の地区を極力拡大し、第二の地区を極力縮小することである。これが遊撃戦争の戦略的任務である。

 第三節 根拠地樹立の条件

 根拠地樹立の基本的条件は、抗日の武装部隊をもっとともに、この部隊をつかって敵にうち勝ち、民衆を立ちあがらせることである。だから、根拠地を樹立する問題は、なによりもまず武装部隊の問題である。遊撃戦争に従事している指導者たちは、全精力をそそいで一つないしたくさんの遊撃部隊を創設し、闘争のなかでそれをしだいに遊撃兵団に発展させ、さらに正規の部隊および正規の兵団に発展させなければならない。武装部隊を創設することは、根拠地を樹立するもっとも基本的な環であり、これがないか、あっても無力であるなら、なに一つできるものではない。これが第一の条件である。
 根拠地の樹立と切りはなすことのできない第二の条件は、武装部隊をつかい、民衆と呼応して敵にうち勝つことである。敵におさえられているところはすべて、敵の根拠地であって、遊撃戦争の根拠地ではない。敵の根拠地を遊撃戦争の根拠地に変えることは、敵にうち勝たないかぎり実現できるものではなく、これは自明の理である。遊撃戦争でおきえているところでも、敵の進攻を粉砕せず、敵にうち勝たなかったら、それが敵のおさえるところに変わり、根拠地を樹立することもできない。
 根拠地の樹立と切りはなすことのできない第三の条件は、武装部隊の力をふくむあらゆる力をあげて、民衆を抗日闘争に立ちあがらせることである。このような闘争をつうじて人民を武装化しなければならない。すなわち自衛軍や遊撃隊を組織しなければならない。このような闘争をつうじて民衆団体を組織しなければならない。労働者、農民、青年、婦人、児童、商人、自由職業者などのすべてを、かれらの政治的自覚と闘争意欲のもりあがりの程度に応じて、必要な抗日諸団体のなかに組織するとともに、それらの団体をしだいに拡大しなければならない。民衆は、組織されなければ抗日の力を発揮することはできない。このような闘争をつうじて、公然たる、あるいは潜伏している民族裏切り者を一掃しなければならない。そのことをなしとげるにも、民衆の力にたよる以外にない。とくに重要なことは、このような闘争のなかで、民衆を動員して、その地方の抗日政権を樹立し、または強化することである。もとからの中国の政権がまだ敵に破壊されていないところでは、広範な民衆の支持を基礎としてそれを改造し強化する。もとからの中国の政権がすでに敵に破壊されたところでは、広範な民衆の努力を基礎としてそれを回復する。この政権は、抗日民族統一戦線政策を実行するものであり、すべての人民の力を結集して、唯一の敵日本帝国主義とその手先民族裏切り者、反動派と闘争しなければならない。
 すべての遊撃戦争の根拠地は、抗日の武装部隊をつくり、敵にうち勝ち、民衆を立ちあがらせるという三つの基本的な条件がしだいにととのってきたのちにはじめて、ほんとうに樹立されるのである。
 このほかに、なお指摘しなければならないのは、地理的、経済的条件である。地理的条件の問題は「いくつかの種類の根拠地」について説明したとき、二つのちがった状況を指摘しておいたので、ここではただ主要な要求、つまり地区の広大さということだけをのべよう。四方あるいは三方を敵に包囲されているなかで、長期間もちこたえる根拠地を樹立するには、もちろん、山岳地帯がもっとも条件にめぐまれているが、主要なことは遊撃隊の機動する余地、つまり広大な地区がなければならないということである。広大な地区という条件があれば、平原地帯でも遊撃戦争をくりひろげ、もちこたえることができる。河川・湖沼・港湾・川股地帯なら、なおさらいうまでもない。中国は領土が広く、敵は兵力が不足しているので、中国の遊撃戦争には、一般にこの条件がそなわっている。遊撃戦争の可能性からいうなら、それは一つの重要な条件であり、いちばん重要な条件でさえある。小国、たとえばベルギーなどの国には、こういう条件がないので、遊撃戦争の可能性はきわめてすくなく、皆無でさえある。ところが中国では、この条件は、これからたたかいとる条件でもなければこれから解決する問題でもなく、自然にそなわっていて利用しさえすればよいのである。
 経済的条件は、自然の面からみれば、地理的条件と同じような性質をもっている。いま論議しているのは、敵の後方に根拠地を樹立することであって、砂漠のなかに根拠地を樹立することではない。砂漠には敵などいない。敵がやってくることのできるところなら、もちろん、もとから中国人がいて、もともと食っていける経済的基礎があるから、根拠地樹立の面では、経済的条件を選択する問題はおこらない。中国人がいて敵もいるというところなら、その経済的条件のいかんをとわず、できるかぎり遊撃戦争をくりひろげるとともに、永久的な、あるいは臨時的な根拠地を樹立しなければならない。しかし、政治の面からみるとそうではなくて、問題が存在している。それは経済政策の問題であって、根拠地を樹立するうえで重大性をおびている。遊撃戦争の根拠地での経済政策としては、合理的な負担と商業の保護という抗日民族統一戦線の原則を実施しなければならない。地元の政権と遊撃隊はけっしてこの原則をやぶってはならず、さもないと根拠地の樹立および遊撃戦争の堅持に影響してくる。合理的な負担とは「金のあるものは金をだす」ことを実行することであるが、農民もまた一定量の食糧を遊撃隊に提供しなければならない。商業の保護では、遊撃隊の厳格な規律をつらぬくべきで、確実な証拠のあがった民族裏切り者のほかは、商店一軒でも勝手に没収してはならない。これは困難なことであるが、実行しなければならない確固とした政策である。

 第四節 根拠地の強化と発展

 中国に侵入してきた敵を少数の拠点、つまり大都市と交通幹線のなかにとりかこんでおくため、各根拠地の遊撃戦争を極力その根拠地の周辺にむけて発展させ、敵のあらゆる拠点に肉薄して、その生存に脅威をあたえ、士気を阻喪させなければならない。それは、とりもなおさす遊撃戦争の根拠地を発展させることになり、きわめて必要なことである。ここでは、遊撃戦争における保守主義に反対しなければならない。保守主義は、それが安逸をむさぼることからうまれたものであろうと、敵の力を過大に評価することからうまれたものであろうと、いずれも抗日戦争に損失をもたらし、また、遊撃戦争とその根拠地自身にとっても不利である。他方、根拠地の強化をわすれてはならず、そのための主要な活動は、民衆を動員し、民衆を組織し、遊撃部隊と地方武装組織を訓練することである。このような強化は、長期の戦争をもちこたえていくためにも、また発展させていくためにも必要であって、強化しなければ有力に発展させていくことはできない。発展させるばかりで強化をわすれた遊撃戦争は、敵の進攻にたえることができず、その結果、発展できないばかりか、根拠地そのものも危うくするおそれがある。正しい方針は、強化しながら発展させていくことであり、それは進んでは攻め、退いては守ることのできるよい方法である。長期の戦争である以上、根拠地の強化と発展という問題はそれぞれの遊撃隊がつねにぶつかる問題である。具体的に解決するときには、状況に応じてきめなければならない。ある時期には、その重点を発展の面におくが、それは遊撃区を拡大し、遊撃隊を増大する活動である。他の時期には、重点を強化の面におくが、それは民衆を組織し、部隊を訓練する活動である。この二つのものは性質が異なっており、その軍事上の措置と活動の段どりもそれに応じてちがってくるので、状況に応じ、時期によって、重点のおきどころをかえなければ、この問題をうまく解決することはできない。


第五節 敵と時方のあいだのいくつかの種類の包囲

 抗日戦争全体からみると、敵が戦略的進攻と外線作戦をとり、わが方が戦略的防御と内線作戦の地位におかれていることによって、疑いもなく、わが方は敵の戦略的包囲のなかにある。これは敵のわが方にたいする第一種の包囲である。わが方が量的に優勢な兵力をもって、外線から数路にわかれて前進してくる敵にたいし、戦役上戦闘上の進攻と外線作戦の方針をとることによって、各路にわかれて進んでくる一つ一つの敵はわが方の包囲下におかれる。これはわが方の敵にたいする第一種の包囲である。つぎに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地についてみると、孤立した一つ一つの根拠地は、四方または三方を敵に包囲されている。前者は五台山地区、後者は山西省西北地区がその例である。これは、敵のわが方にたいする第二種の包囲である。だが、各根拠地をつないでみれば、また遊撃戦争のそれぞれの根拠地と正規軍の戦線とをつないでみれば、わが方も多くの敵を包囲している。たとえば、山西省では、わが方は大同=風陵渡鉄道を三方(鉄道の東西両側および南端)から包囲し、太原市を四方から包囲している。河北省、山東省などにも、このような包囲がたくさんみられる。これは、わが方の敵にたいする第二種の包囲である。敵もわが方も、それぞれ相手にたいして二種類の包囲をおこなっており、それはだいたい、碁〔8〕をうつようなもので、敵のわが方にたいする、またわが方の敵にたいする戦役上戦闘上の作戦は石のとりあいに似ており、敵の拠点とわが方の遊撃根拠地はちょうど目のようなものである。この「目をつくる」ということに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地のもつ戦略的役割の重大さがしめされている。この問題を抗日戦争にもってくると、それは、一方では全国の軍事当局が、また他方では各地の遊撃戦争の指導者たちが、敵の後方で遊撃戦争をくりひろげ、またあらゆる可能なところで根拠地を樹立するという任務を、その議事日程にのぼせ、戦略的任務として遂行しなければならない、ということである。もしわれわれが、外交上で太平洋反日戦線を結成して、中国をその一つの戦略単位とし、またソ連およびその他の参加可能な国ぐにをそれぞれ一つの戦略単位とすることができるならば、われわれは、敵よりも包囲をもう一重ふやし、太平洋での外線作戦を形成して、ファッショ日本を包囲討伐することができるのである。もちろんこの点はいまのところまだ実践的意義をもたないが、そういう前途がないわけではない。

 第七章 遊撃戦争の戦略的防御と戦略的進攻

 遊撃戦争の戦略問題の第四の問題は、遊撃戦争の戦略的防御と戦略的進攻の問題である。これは、第一の問題のなかでのべた進攻戦の方針を、抗日遊撃戦争が防御態勢または進攻態勢にあるときどのように具体的に応用するかという問題である。
 全国的な戦略的防御と戦略的進攻(正確にいえば、戦略的反攻)のなかでは、遊撃戦争の一つ一つの根拠地でも、またその周囲でも、やはり小規模な戦略的防御と戦略的進攻とがある。前者は敵が攻勢をとり、わが方が守勢をとっているときの戦略的情勢と戦略的方針であり、後者は敵が守勢をとり、わが方が攻勢をとっているときの戦略的情勢と戦略的方針である。
img: http://visit.geocities.jp/visit.gif?&r=http%3A//www.geocities.jp/maotext001/maosen-2/maosen-2-124.html&b=Microsoft%20Internet%20Explorer%204.0%20%28compatible%3B%20MSIE%206.0%3B%20Windows%20NT%205.1%3B%20SV1%3B%20GTB6.6%3B%20.NET%20CLR%201.1.4322%29&s=1280x800&o=Win32&c=32&j=true&v=1.2 img: http://bc.geocities.yahoo.co.jp/serv?s=382116081&t=1292552521
第一節 遊撃戦争の戦略的防御

 遊撃戦争がすでにおこり、そして、それが相当発展したのち、とくに敵がわが全国にたいする戦略的進攻を停止し、占領地を保持する方針をとったときには、遊撃戦争の根拠地にたいする敵の進攻は必至である。この必然性を認識することは必要であって、さもなければ、遊撃戦争の指導者たちは全然用意がなく、ひとたび敵からきびしい進攻をうける情勢に直面すると、かならずあわてふためき、敵にうちやぶられてしまう。
 敵は遊撃戦争とその根拠地を消滅するという目的をたっするため、よく包囲攻撃の方法をとる。たとえば、五台山地区はすでに四、五回もいわゆる「討伐」をうけており、敵は毎回、三路、四路ないし六路、七路に兵力を配置し、同時に計画的に前進してくる。遊撃戦争の発展規模が大きくなればなるほど、その根拠地のおかれている地位が重要になればなるほど、敵の戦略基地と交通要路への脅威が大きくなればなるほど、遊撃戦争とその根拠地にたいする敵の進攻もますますはげしくなっていく。したがって、遊撃戦争にたいする敵の進攻がはげしければはげしいほど、そこの遊撃戦争はそれだけ成果をあげており、正規戦争にたいする呼応の役割もそれだけ大きいということが証明される。
 敵が数路から包囲攻撃をくわえている状況のもとでは、遊撃戦争の方針は、反包囲攻撃の形態をとって、その包囲攻撃をうちやぶることである。もし、敵が数路から前進してきても、その一路一路の部隊は、大きいにせよ小さいにせよただ一つだけで、後続部隊もなく、沿道に兵力を配置したり、堡塁《ほるい》を構築したり、自動車道路を修築したりすることができないという状態にあるならば、このような包囲攻撃をうちやぶることはたやすい。このときには、敵は進攻と外線作戦で、わが方は防御と内線作戦である。わが方の部署は、副次的な兵力をもって敵の数路を牽制する一方、主要な兵力をもって敵の一路に対処し、戦役上戦闘上の襲撃戦法(主として伏兵戦)をとり、敬が行動しているときにそれを襲撃することである。敵は強くても、何回も襲撃をうければ弱まり、往々にして中途で撤退するが、このとき、遊撃隊はまた、敵を追撃しながら襲撃をつづけて、さらにかれらを弱めることができる。敵がまだ進攻を停止しないか、あるいは退却しないときには、かれらはいつも根拠地内の県都やその他の町を占拠するので、わが方はこれらの県都やその他の町を包囲して、その食糧供給源と交通連絡を断ちきるべきであり、敵がどうにももちこたえられなくなって後退したとき、その機に乗じてこれを追撃する。一路の敵をうちやぶってから、さらに兵力を転移して他の路の敵をうちやぶる。こうして、敵の包囲攻撃を各個撃破していく。
 たとえば五台山地区のように、大きな根拠地では、一つの「軍区」が四つか五つ、あるいはそれ以上の「軍分区」にわかれ、各軍分区ごとにそれぞれ独立して作戦する武装部隊がある。そこでは、上述の作戦方法によって、しばしば、同時にあるいはあい前後して、敵の進攻をうちやぶったのである。
 反包囲攻撃の作戦計画では、わが方の主力は、一般に内線におかれる。だが、兵力に十分ゆとりのある条件のもとでは、副次的な力(たとえば県や区の遊撃隊、ないしは主力から分遣された一部の部隊)を外線につかい、そこで敵の交通線を破壊し、敵の増援部隊を牽制することが必要である。もし敵が根拠地内に長くとどまって去ろうとしないなら、わが方は上述の方法を逆につかう。すなわち一部の兵力を根拠地内にのこしてその敵をとりかこむ一方、主力を用いて数がもといた地方一帯を攻撃し、そこで大いに活動させ、いままで長くとどまっていた敵がわが主力を攻撃するためそこを出ていくようにしむける。これが、「魏を囲んで、趙を救う」〔9〕というやり方である。
 反包囲攻撃の戦いでは、その地の人民の抗日自衛軍とすべての民衆組織は、みな立ちあがって戦争に参加し、さまざまな方法でわが軍をたすけ、敵とたたかうべきである。敵とたたかう活動のなかでは、地方の戒厳とできる範囲の竪壁清野という二つのことが重要である。前者は民族裏切り者を弾圧し、敵に情報を入手させないためであり、後者は戦いをたすけ(竪壁)、敵に食糧を入手させない(清野)ためである。ここでいっている清野とは、穀物がみのるころ、早めに刈り入れるという意味である。
 敵は退却するさい、遊撃戦争の根拠地を破壊する目的で、しばしば、それまで占拠していた県都の家屋や沿道の村に火をつけて焼きはらうが、それは同時に、敵が二回目に進攻してきたときに住む家もなければ食べる物もなく、かれら自身を苦しめることになる。これがいわゆる、一つのことがらに二つのたがいに矛盾する意義がふくまれている、ということの具体的な例証の一つである。
 何回か反包囲攻撃をかさねて、そこではどうしてもきびしい包囲攻撃をうちやぶることはできないということが証明されたときでなければ、遊撃戦争の指導者は、そこをすてて他の根拠地にいくようなことをくわだててはならない。このばあい、悲観的な気持ちがうまれるのを防止するよう注意しなければならない。指導のうえで、原則的なあやまりをおかしさえしなければ、ふつう山岳地帯なら、きっと包囲攻撃をうちやぶり、根拠地を守りぬくことができる。平原地帯だけは、きびしい包囲攻撃をうけたばあい、具体的な情勢に応じて、つぎの問題を考えなければならない。すなわち多くの小さな遊撃部隊をそこにのこして分散活動をさせる一方、大きな遊撃兵団を一時山岳地帯に転移させ、敵の主力が他に移動したのちにふたたびそこにもどって活動するようにさせるのである。
 中国は領土が広く、敵は兵力が不足しているというこの矛盾した状況によって、敵は一般に、中国の内戦の時期に国民党がとったような堡塁主義をとることはできない。だが、敵の要所をとくにおびやかしている一部の遊撃根拠地では、敵がかなりの程度の堡塁主義をとる可能性のあることを見通しておかなければならず、そのような状態のもとでも、やはり、そこの遊撃戦争を堅持する用意をしておかなくてはならない。内戦のときでさえ遊撃戦争が堅持できたという経験からすれば、民族戦争においては、なおさら堅持できることは疑う余地がない。なぜなら、たとえ兵力の対比において、一部の根拠地では敵が質のうえだけでなく、量のうえでもきわめて優勢な兵力を使用できるとしても、敵とわれわれのあいだの民族的矛盾は解決できず、敵の指揮上の弱点はさけられないからである。わが方の勝利は、深く根をおろした民衆活動と弾力的な作戦方法のうえにうちたてられている。

第二節 遊堅戦争の戦略的進攻

 敵の進攻をうちやぶってから、敵の新しい進攻がはじまるまでは、敵が戦略的守勢をとり、わが方が戦略的攻勢をとるときである。
 このようなとき、わが方の作戦方針は、防御陣地をかたく守っていて、うちやぶることのむずかしい敵を攻撃することではなく、計画的に、一定の地区において、遊撃隊の力でかたづけられる小部隊の敵や民族裏切り者の武装組織を消滅、駆逐して、わが方の占領地区を拡大し、民衆的な抗日闘争を燃えあがらせ、部隊を補充、訓練し、新しい遊撃隊を組織することである。これらの任務完遂の面でだいたい目鼻がついたのち、敵がまだ守勢をとっておれば、わが方の新しい占領地区をさらに拡大し、敵の力の弱い町と交通線を攻撃し、そのときの状況によって長期にあるいは一時的にそれを占領する。これらはみな戦略的進攻の任務であり、その目的は、敵が守勢をとっているときに乗じて、自己の軍事力と民衆の力を効果的にのばし、敵の力を効果的に小さくするとともに、さらに敵がふたたびわが方に進攻してきたときにもそれを計画的に力強くうちやぶることができるよう準備する、ということにある。
 部隊の休息と訓練は必要であり、敵が守勢をとっているときは、わが方にとって休息と訓練のもっともよい機会である。それは、なにもせず、もっぱら門を閉ざして休息と訓練をするというのではなく、占領地を拡大し、小部隊の敵を消滅し、民衆動員の活動をやりながら、時間をかせいで休息と訓練をするのである。給養、被服などの困難な問題を解決するのも、しばしば、こういうときである。
 大規模に敵の交通線を破壊し、敵の輸送を妨害し、正規軍の戦役的作戦を直接援助するのも、またこのときである。
 このときが、全体の遊撃根拠地、遊撃区、および遊撃部隊にとっては、喜びにわきかえるときである。敵にふみにじられた地区も、しだいに整理され、活力を回復する。敵に占領されている地区の民衆もまた大いに喜び、遊撃隊の威望がいたるところにひろがっていく。敵とその手先民族裏切り者の内部は、一方では、恐怖感と瓦解がひろがっていき、他方ではまた、遊撃隊と根拠地にたいする憎しみがつのり、遊撃戦争に対処する準備を強化する。したがって、遊撃戦争の指導者たちは戦略的進攻のなかで有頂天になって、敵を軽視し、内部の団結、根拠地の強化、部隊の強化の活動をわすれるようなことがあってはならない。このようなときには、よく敵の動静を観察し、敵がふたたび進攻してくるきざしがあるかどうかみなければならない。そうすれば、敵が進攻してきても、わが方は適当なところで戦略的進攻をうちきって戦略的防御に転じ、そして、戦略的防御のなかで敵の進攻を粉砕することができる。

第八章 運動戦への発展

 抗日遊撃戦争の戦略問題の第五の問題は、運動戦への発展の問題であり、それが必要であり可能であることは、やはり、戦争の長期性と残酷性からくるものである。もし、中国が急速に日本侵略者にうち勝ち、急速に失地を奪回することができ、なにも持久戦ではなく、また残酷な戦争でもないなら、遊撃戦が運動戦へ発展する必要はない。ところが、事情はまったく反対であって、戦争は長期でしかも残酷であるため、このような戦争に適応するには、遊撃戦が運動戦に発展する以外にない。戦争が長期で残酷であることから、遊撃隊は必要な鍛練をうけ、しだいに正規の部隊に変わっていくことができ、したがって、その作戦方式もしだいに正規化して、遊撃戦が運動戦に変わるのである。遊撃戦争の指導者たちが、運動戦への発展の方針を堅持し、それを計画的に遂行するには、このような必要性と可能性をはっきり認識しなければならない。現在、多くの地方の遊撃戦争は、たとえば五台山などのそれのように、正規軍が強力な支隊を派遣しておこさせたものである。そこの作戦は、ふつう遊撃戦であるが、はじめから運動戦の要素をふくんでいた。戦争が長びくにつれて、このような要素はしだいに増加していく。これは、こんにちの抗日遊撃戦争の長所であって、遊撃戦争を急速に発展させるばかりでなく、それを急速にたかめるものであり、それは東北三省の遊撃戦争にくらべて、条件がはるかにすぐれている。
 遊撃戦をおこなう遊撃部隊を運動戦をおこなう正規部隊に変えていくには、量の拡大と質の向上という二つの条件をととのえなければならない。前者については、部隊にはいるよう人民を直接動員するほかに、小部隊を集中する方法をとってもよいが、後者については、戦争のなかでの鍛練と武器の質の向上に依存する。
 小部隊を集中するには、一方では、地方の利益だけを考えて集中をさまたげる地方主義を防止しなければならず、他方では、地方の利益を考えない軍事一点ばり主義をも防止しなければならない。
 地方主義は地方の遊撃隊および地方政府のなかに存在している。それらの人は、とかく全局の利益をわすれて地方の利益だけを考え、あるいは集団生活になじまず分散活動に夢中になる。主力の遊撃部隊または遊撃兵団の指導者たちは、このような事情に注意して、地方にひきつづき遊撃戦争をくりひろげていく余力を保たせるように、しだいにまた部分的に集中していくという方法をとらなければならず、また、小集団を大集団に融合させるように、まず協同の行動をとらせ、そのあとで、もとの編制をこわさずその幹部もかえないで一つに編成していくという方法をとらなければならない。
 軍事一点ばり主義は、地方主義とは反対で、主力部隊の人たちが、自己の拡充だけをはかり、地方武装組織にたいする援助を考えないあやまった観点である。遊撃戦の運動戦への発展は、遊撃戦を廃止するのではなく、遊撃戦を広範にくりひろげていくなかで運動戦のできる主力をしだいに形成していくのであって、この主力をめぐるものはやはり数多くの遊撃部隊であり、広範な遊撃戦争でなくてはならないということを、かれらは知らないのである。そのような数多くの遊撃部隊は、この主力の有力な手足となるもので、この主力をひきつづき拡大させるためのつきることのない源泉でもある。したがって、主力部隊の指導者は、もし自分が地方民衆と地方政府の利益を考えない軍事一点ばり主義のあやまりをおかしたならば、それを克服して、主力の拡大と地方武装組織の増大にそれぞれ適当な位置を占めさせなければならない。
 質を向上させるには、政治、組織、装備、技術、戦術、規律などのそれぞれの面で改善をくわえ、しだいに、正規軍を手本にし、遊撃隊の作風をすくなくしていかなければならない。政治のうえでは、指揮員や戦士たちに遊撃隊から正規軍へと一歩たかめていく必要性を認識させ、そのために努力するようにみんなをはげますとともに、政治工作によってそれを保障しなければならない。組織のうえでは、正規の兵団に必要な軍事と政治の機関、軍事と政治の要員、軍事と政治の活動方法、および補給と医療などの恒常的な制度を、しだいにととのえていかなければならない。装備の面では、武器の質の向上と種類の増加をはかり、必要な通信器材をふやさなければならない。技術と戦術の面では、遊撃部隊の技術と戦術を、正規の兵団に必要な技術と戦術にまでたかめなければならない。規律の面では、整然とした統一的な制度が実施され、命令や禁止が厳格に守られる程度にまでたかめ、自由、放漫な現象をなくしていかなければならない。これらすべてのことをやりとげるには、長い努力の過程が必要であり、一朝一夕にやれる仕事ではないが、この方向に発展することはどうしても必要である。こうしなければ、遊撃戦争の根拠地での主力兵団をつくりあげることはできず、敵にいっそう効果的な打撃をあたえる運動戦の方式を出現させることはできない。このような目的は、正規軍が支隊または幹部を派遣したところでは、比較的順調に達成することができる。したがって、すべての正規軍には、遊撃隊の正規部隊への発展をたすける責任がある。

 第九章 指揮関係

 抗日遊撃戦争の戦略問題の最後の問題は、指揮関係の問題である。この問題を正しく解決することは、遊撃戦争を順調に発展させる条件の一つである。、
 遊撃戦争の指揮方法は、遊撃部隊が低い段階の武装組織であり、分散して行動する特質をもっているというところから、正規戦争の指揮方法とおなじような高度の集中主義はゆるされない。正規戦争の指揮方法を遊撃戦争につかおうとすれば、遊撃戦争の高度の活発さをしばり、遊撃戦争を少しも生気のないものにしてしまうにちがいない。高度の集中的指揮と遊撃戦争の高度の活発さとは、まったくあい反するものである。このような高度の活発さをもった遊撃戦争には、高度の集中的な指揮制度をつかうべきでないばかりか、つかうこともできない。
 だが、遊撃戦争は、いかなる集中的指揮もせずに順調に発展できるものではない。広範な正規戦争があり、同時にまた広範な遊撃戦争があるという状況のもとでは、この両者の呼応作戦を適当におこなわせることが必要である。したがって、正規戦争と遊撃戦争との呼応作戦にたいする指揮が必要となる。これが戦略的作戦にかんする国家参謀部と戦区司令官の統一的指揮である。一つの遊撃区あるいは遊撃根拠地には、多数の遊撃隊が存在し、そのなかに、しばしば主力となっている一つないしいくつかの遊撃兵団(ときには正規の兵団もある)と、補助的な力として大小多数の遊撃部隊があり、さらに、生産をはなれない広範な人民武装組織がある。そこにいる敵もしばしば一つの局面を形づくって、統一的に遊撃戦争に対処する。したがって、このような遊撃区または根拠地内では、統一的指揮つまり集中的指揮の問題がおこる。
 したがって、遊撃戦争の指揮原則は、一方では絶対的な集中主義に反対し、他方では絶対的な分散主義に反対することで、戦略上では集中的指揮、戦役上戦闘上では分散的指揮でなければならない。
 戦略上の集中的指揮には、国家の遊撃戦争全体にたいする計画と指導、各戦区における遊撃戦争と正規戦争との呼応作戦、各遊撃区全体あるいは各根拠地全体の抗日武装組織にたいする統一的指導がふくまれる。これらの面での不協調、不統一、不集中は有害なものであり、できるかぎり協調、統一、集中をはからなければならない。一般的なことがら、つまり戦略的性質をもつことがらについては、協同行動の効果をあげるように、下級は上級に報告するとともに、上級の指導をうけなければならない。だが、集中はこの程度にとどめるべきであり、この限度をこえて下級の具体的なことがら、たとえば戦役上戦闘上の具体的な部署配置などに干渉することは、同様に有害である。なぜなら、こうした具体的なことがらは、ときによって変わり、ところによって異なるという具体的状況にもとづいておこなわなければならず、遠くはなれた上級機関では、そうした具体的状況を知るすべもないからである。これが戦役上戦闘上の分散的指揮の原則である。この原則は一般に正規戦争の作戦にも適用されるのであり、とくに通信設備の完備していない状況のもとではそうである。一口にいえば、それは、戦略的統一のもとでの独立自主の遊撃戦争である。
 遊撃根拠地が一つの軍区を構成していて、その下がいくつかの軍分区にわかれ、軍分区の下がいくつかの県にわかれ、県の下がいくつかの区にわかれる状況のもとでは、軍区司令部、軍分区司令部、県政府、区政府という系統は上下関係であって、武装部隊はその性質に応じてそれぞれに所属する。それらのあいだの指揮関係については、上述の原則にもとづいて、一般的な方針は上級に集中し、具体的行動は具体的状況に応じておこない、下級が独立自主の権限をもつ。上級が下級の一部の具体的行動について意見をもっておれば、「訓令」として出すことができるし、また出すべきであって、けっして変更することのできない「命令」として出すべきではない。地区がひろくなり、状況が複雑になり、上級と下級との距離が遠くなればなるほど、そうした具体的行動のうえでは、ますます独立自主の権限をひろげ、地方性を多くもたせ、地方の状況の要求によく合致させなければならない。そうすることによって、複雑な環境に対処し、遊撃戦争を勝利のうちに発展させることのできるというような、独立活動の能力を下級および地方要員に身につけさせるのである。もし、集中的に行動する部隊または兵団なら、状況がはっきりしているので、その内部の指揮関係には集中的指揮の原則が適用される。だが、その部隊あるいは兵団がひとたび分散的行動にはいれば、具体的な状況をはっきり知ることができないので、一般的には集中、具体的には分散という原則が適用される。
 集中すべきものを集中しなかったら、上の者は職責をはたさないということになり、下の者は勝手なふるまいをするということになる。これはどんな上級下級の関係でもゆるされないことであり、とくに軍事関係ではそうである。分散すべきものを分散しなかったら、上の者は一手代行をやるということになり、下の者は主動性がないということになる。これもまた、どんな上級下級の関係でもゆるされないことであり、とくに遊撃戦争の指揮関係ではそうである。この問題を正しく解決する方針としては、さきにのべた原則以外にない。



〔1〕 長白山は中国の東北の辺境にある山脈である。九・一八事変ののち、長白山区は中国共産党指導下の抗日遊撃根拠地となった。
〔2〕 五台山は山西、察哈爾、河北三省の省境にある山脈である。一九三七年十月、中国共産党に指導される八路軍は、五台山区を中心として山西・察哈爾・河北辺区の抗日根拠地を創設しはじめた。
〔3〕 大行山は山西、河北、平原(この首は一九五二年に撤廃され、その管轄地区はそれぞれ河北、山東、河南の三省に編入された――訳者)省の省境にある山脈である。一九三七年十一月、八路軍は太行山区を中心として山西省東南抗日根拠地を創設した。
〔4〕 泰山は山東省中部にあり、泰沂山脈の主峰の一つである。一九三七年の冬、中国共産党に指導される遊撃隊は、泰沂山区を中心として山東省中部根拠地を創設しはじめた。
〔5〕 燕山は河北省と熱河省(この省は一九五五年に撤廃され、その管轄地区はそれぞれ河北省、遼寧省および内蒙古自治区に編入された――訳者)の省境にある山脈である。一九三八年の夏、八路軍が燕山山区を中心として河北省東部抗日根拠地を創設した。
〔6〕 茅山は江蘇省南部にある。一九三八年六月、中国共産党に指導される新四軍が、茅山山区を中心として江蘇省南部抗日根拠地を創設した。
〔7〕 抗日戦争発展の経験によって、平原地帯で長期の根拠地を樹立することができ、しかもそのうちの多くは固定した根拠地になりうるということが証明された。これは、地域が広いこと、人口が多いこと、共産党の政策が正しいこと、人民の動員が普遍的におこなわれていること、敵の兵力が不足していることなどの条件によるものである。毛沢東同志は、その後、具体的な指示のなかでこの点をはっきり肯定している。
〔8〕 囲碁は、中国にひじょうに古くからある棋《き》の一種である。双方の石がたがいに包囲しあい、こちらの一石または一群の石が相手の石に囲まれると、「取られ」てしまう。だが、包囲された一群の石のなかに必要な空地(「目」)かのこされていれば、この一群の石は「取られ」ないで、なお「活き」ているのである。
〔9〕 西紀前三五三年、魏軍は趙国の首都邯鄲を包囲攻撃した。斉国の国王は田忌、孫[月+賓]に、軍をひきいて趙の救援におもむくよう命じた。孫[月+賓]は魏国の精鋭部隊が趙にあり、本国内部は手薄であるとみて、兵を率いて魏を攻めた。魏軍は自国を救うためにひきかえしてきた。斉軍は魏軍の疲れているのに乗じ、桂陵(いまの山東省[”くさかんむり”の下に”河”]沢県の東北部――訳者)で戦い、大いに魏軍をやぶったので、趙国の包囲はついに解けた。それ以後中国の軍事家は、「魏を囲んで趙を救う」ということばをつかって、これに似た戦法を説明するようになった。
訳注
① 本題集第一巻の『党内のあやまった思想の是正について』注〔2〕、注〔3〕を参照。
② 本選集第一巻の『大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ』注〔4〕を参照。

  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 10:50 | 26 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

持久戦について
          (一九三八年五月)
 これは、毛沢東同志が一九三八年五月二十六日から六月三日にかけて、延安の抗日戦争研究会でおこなった講演である。

     問題の提起

 (一)偉大な抗日戦争の一周年記念日、七月七日がまもなくやってくる。全民族が力を結集して、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、敵にたいする英雄的な戦争をすすめて、やがて一年になる。この戦争は、東方の歴史において空前のものであり、世界の歴史においても偉大なものとなるであろうし、全世界の人民はみなこの戦争に関心をよせている。戦争の災いを身にうけて、自己の民族の生存のために奮闘している中国人の一人ひとりは、戦争の勝利を一日として心からのぞまない日はない。しかし、戦争は、いったいどういう過程をたどるのか。勝利できるのか、できないのか。速勝できるのか、できないのか。多くの人は持久戦を口にするが、なぜ持久戦なのか。どのようにして持久戦をすすめるのか。多くの人は最後の勝利を口にするが、なぜ最後の勝利がえられるのか。どのようにして最後の勝利をかちとるのか。これらの問題については、だれもが解決しているわけではなく、むしろ大多数の人がいまなお解決していない。そこで、敗北主義の亡国論者がとびだしてきて、中国は滅びる、最後の勝利は中国のものではないという。また一部のせっかちな友人もとびだしてきて、中国はすぐに勝てる、大して骨を折らなくてもよいという。これらの論議ははたして正しいだろうか。われわれはこれまでずっと、これらの論議はまちがっているといってきた。しかし、われわれのいっていることは、まだ大多数の人びとに理解されていない。その理由の一半は、われわれの宣伝と説明の活動がまだ不十分なことにあり、他の一半は、客観的事態の発展がまだその固有の性質をすっかりさらけだしていず、まだその姿を人びとのまえにくっきりとあらわしていないため、人びとがその全体のなりゆきや前途を見通しようがなく、したがって、自分たちの系統だった方針と方法を決定しようもなかったところにある。いまはもうよくなった。抗戦十ヵ月の経験は、なんの根拠もない亡国論をうちやぶるのに十分であり、せっかちな友人の速勝論を説得するにも十分である。このような状況のもとで、多くの人びとは総括的な説明をもとめている。とくに持久戦にたいしては、亡国論、速勝論という反対の意見があるし、また中味のないからっぽな理解もある。「蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変いらい、四億の人びとがひとしく努力しており、最後の勝利は中国のものである。」こうした公式が、広範な人びとのあいだにひろまっている。この公式は正しいが、それを充実させる必要がある。抗日戦争と統一戦線が堅持できるのは、つぎのような多くの要素によるのである。すなわち共産党から国民党にいたる全国の政党、労働者、農民からブルジョア階級にいたる全国の人民、主力軍から遊撃隊にいたる全国の軍隊、それに、社会主義国から正義を愛する各国人民にいたるまでの国際事情、敵国内の一部の反戦的な人民から前線の反戦兵士にいたるまでの敵国事情がそれである。要するに、これらすべての要素が、われわれの抗戦のなかでさまざまな程度で寄与しているのである。良心のある人なら、かれらに敬意を表すべきである。われわれ共産党員が他の抗戦諸政党や全国人民とともにすすむ唯一の方向は、悪逆無道の日本侵略者にうち勝つため、すべての力を結集するよう努力することである。今年の七月一日は、中国共産党の創立一七周年記念日である。共産党員の一人ひとりが抗日戦争のなかで、よりよく、より大きく努力できるようにするためにも、とくに持久戦の研究に力を入れる必要がある。したがって、わたしはこの講演で持久戦について研究してみたい。持久戦という題目に関連する問題は、みなふれるつもりであるが、一つの講演でなにもかもいいつくせるものではないから、全部話すことはできない。
 (二)抗戦十ヵ月らいのすべての経験は、つぎの二つの観点がまちがっていることを立証している。一つは中国必亡論、もう一つは中国速勝論である。前者は妥協の傾向をうみ、後者は敵を軽視する傾向をうむ。かれらの問題の見方は主観的、一面的であり、一言でいえば、非科学的である。
 (三)抗戦以前には、亡国論的論議がたくさんあった。たとえば、「中国は兵器がおとっているから、戦えばかならず負ける」、「もし抗戦すれば、きっとエチオピアになってしまう」というのがそれである。抗戦以後、公然とした亡国論はなくなったが、かげでは存在しており、しかもかなり多い。たとえば妥協的空気の消えたりあらわれたりするのがそれで、妥協論者の根拠は「これ以上戦えばかならず滅びる」〔1〕という点にある。ある学生が湖南省からよこした手紙ではつぎのようにいっている。「田舎では何ごとにも困難を感じます。たった一人で宣伝活動をしていますので、機会あるごとに人に話しかけるよりほかありません。相手はみな知識のない愚民というわけではなくて、多少はわかっており、わたしの話にとても興味をもっています。けれどもわたしの親戚たちときたら、きまって『中国は勝てない、滅びる』といいます。まったく困ったものです。かれらはよそにふれまわらないからまだよいものの、そうでなければとんでもないことになります。もちろん、農民はかれらの方をいっそう信頼しているのです。」このたぐいの中国必亡論者が、妥協の傾向をうむ社会的基礎である。このたぐいの人びとは中国各地におり、したがって、抗日陣営のなかにいつでもでてくる可能性のある妥協という問題は、おそらく戦争の終局までなくならないであろう。徐州《シュイチョウ》をうしない、武漢《ウーハン》が急をつげているいま、こうした亡国論に痛烈な論ばくをくわえることは、無益ではないとおもう。
 (四)抗戦十ヵ月らい、せっかち病をしめすいろいろな意見もうまれた。たとえば抗戦の当初には、なんの根拠もない楽観的な傾向が多くの人にみられた。かれらは日本を過小評価し、日本は山西《シャンシー》省に攻めこむことはできまいとさえ考えた。ある人びとは、抗日戦争における遊撃戦争の戦略的地位を軽視して、「全体的には、い運動戦が主要なもので、遊撃戦は補助的なものであるが、部分的には、遊撃戦が主要なもので、運動戦は補助的なものである」という主張に疑いをしめした。かれらは、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」という八路軍の戦略方針を「機械的」な観点であるとしてこれに賛成しなかった〔2〕。上海《シャンハイ》戦争のとき、ある人びとは、「三ヵ月も戦えば、国際情勢がきっと変化し、ソ連がきっと出兵し、戦争はかたがつく」といい、抗戦の前途を主として外国の援助に託した〔3〕。台児荘《タイアルチョワン》の勝利〔4〕ののち、ある人びとは、これまでの持久戦の方針は改めるべきだといって、徐州戦役を「準決戦」とみなすべきだと主張した。そして「この一戦こそ敵の最後のあがきである、「われわれが勝てば、日本の軍閥は精神的に足場をうしない、おとなしく最後の裁きを待つほかなくなる」〔5〕などといった。平型関《ピンシンコヮン》の勝利は、一部の人をのぼせあがらせ、さらに台児荘の勝利は、いっそう多くの人をのぼせあがらせた。そこで、敵が武漢に進攻するかどうかが疑問になった。多くの人は「そうとはかぎらない」と考え、また他の多くの人は「断じてありえない」と考えている。このような疑問はすべての重大な問題にかかわってくる。たとえば、抗日の力が十分だろうかということについては、然りと答えるだろう。いまの力でも敵のこれ以上の進攻を不可能にしているのに、これ以上力をふやしてどうするかというわけである。たとえば、抗日民族統十戦線を拡大、強化せよというスローガンが依然として正しいだろうかということについては、否と答えるだろう。統一戦線のいまの状態でも敵を撃退できるのに、どうしてこれ以上拡大と強化の必要があるかというわけである。たとえば、国際外交と国際宣伝の活動をもっと強化すべきだろうかということについても、否と答えるだろう。たとえば、軍隊制度の改革、政治制度の改革、民衆運動の促進、国防教育の励行、民族裏切り者とトロツキストの弾圧、軍事工業の発展、人民生活の改善をしんけんにおこなうべきだろうか、また、たとえば、武漢の防衛、広州《コヮンチョウ》の防衛、西北地方の防衛、敵の後方での遊撃戦争の猛烈な発展というスローガンが依然として正しいだろうか、これらのことについてもすべて否と答えるだろう。それどころか、ある人びとは、戦争の形勢がいくらか好転してくると、外に向いている目を内に向けさせるために、国共両党間の摩擦をつよめようとする。このような状況は、比較的大きな勝利をおさめるたびに、あるいは敵の進攻が一時足ぶみしたときには、ほとんどいつも発生する。上述のすべてを、われわれは政治上、軍事上の近視眼とよぶ。かれらのいうことは、筋がとおっているようにみえて、実際にはなんの根拠もない、まやかしの空論である。こうした空論の一掃は、抗日戦争を勝利をもってすすめるのに、当然役立つものである。
 (五)そこで問題は、中国は滅びるかということで、答えは、滅びない、最後の勝利は中国のものである。中国は速勝できるかということで、答えは、速勝できない、抗日戦争は持久戦だということである。
 (六)これらの問題の主要な論点は、二年もまえにわれわれが一般的に指摘した。すでに一九三六年七月十六日、すなわち西安《シーアン》事変の五ヵ月まえ、蘆溝橋事変の十二ヵ月まえに、アメリカの記者スノウ氏との談話のなかで、わたしは、中日戦争の情勢に一般的な判断をくだすとともに、勝利をかちとるための各種の方針を提起した。念のために、数ヵ所を抜きがきしておこう。

      どのような条件のもとで、中国は日本帝国主義の武力にうち勝ち、これを消滅することができるのでしょうか。
      三つの条件が必要です。第一は中国抗日統一戦線の達成、第二は国際抗日統一戦線の達成、第三は日本国内の人民と日本の植民地の人民の革命運動のもりあがりです。中国人民の立場からいえば、三つの条件のうち、中国人民の大連合が主要なものです。
      この戦争はどのくらい長びくでしょうか。
      それは、中国の抗日統一戦線の力と中日両国の他の多くの決定的な要素のいかんによってきまります。すなわち、主として中国自身の力によるほかに、中国にあたえられる国際的援助と日本国内の革命による援助も大いにこれと関連があります。もし中国の抗日統一戦線が強力に発展し、横の面でも縦の面でも効果的に組織されるなら、もし日本帝国主義に自分の利益を脅かされていることを知った各国政府と各国人民が、中国に必要な援助をあたえることができるなら、またもし日本に革命がはやくおこるなら、こんどの戦争はすみやかに終わりをつげ、中国はすみやかに勝利するでしょう。もしこれらの条件がすぐに実現しなければ、戦争は長びくでしょう。だが、結果はやはりおなじで、日本はかならず敗北し、中国はかならず勝利します。ただそれだけ犠牲が大きくなり、ひじょうに苦しい時期を経過するだけのことです。
      政治上と軍事上からみて、この戦争は将来どう発展するでしょうか。
      日本の大陸政策はすでに確定しています。中国の領土と主権をもうすこし犠牲にして、日本と妥協すれば、日本の進攻をやめさせることができるとおもっている人びと、こういう人びとの考え方はたんなる幻想にすぎません。われわれは、長江《チャンチァン》下流地域や南方各港までがすでに日本帝国主義の大陸政策にふくまれていることを確実に知っています。そのうえ、日本はさらにフィリピン、シャム、インドシナ、マレー半島およびオランダ領東インドを占領し、外国を中国から切りはなし、西南太平洋を独占しようと考えています。これは、また日本の海洋政策であります。このような時期には、中国は疑いもなく極度に困難な状況におかれるでしょう。だが、大多数の中国人は、このような困難は克服できると信じています。ただ大商港地の金持ちだけが財産の損失をおそれて敗北論者であるにすぎません。ひとたび中国の海岸が日本に封鎖されれば、中国は戦争を継続できなくなると考えている人もかなりいますが、これはばかげたことです。かれらを論ばくするには、赤軍の戦争史をあげてみるのもよいでしょう。抗日戦争で中国かしめる優勢な地位は、内戦当時に赤軍がしめていた地位よりもはるかにすぐれています。中国は非常に大きな国であって、たとえ日本が中国の人口一億ないし二億をしめる地域を占領しえたとしても、われわれの敗北にはほど遠いものがあります。われわれには依然として日本と戦うだけの大きな力がありますが、日本は戦争の全期間をつうじて、つねにその後方で防御戦をおこなわなければなりません。中国経済の不統一、不均等は、抗日戦争にとってむしろ有利です。たとえば、上海が中国のほかの地方から切りはなされたばあいに中国のうける損失は、けっして、ニューヨークがアメリカのほかの地方から切りはなされたばあいにアメリカのうける損失ほど深刻ではありません。日本が中国の沿岸を封鎖したとしても、中国の西北、西南および西部は、日本にとって封鎖のしようもありません。したがって、問題の中心はやはり全中国人民が団結して、挙国一致の抗日陣営をつくることです。これは、われわれがはやくから提起していることです。
      日本を完全にはうちやぶれず、戦争が長びくようなら、共産党は講和に同意し、日本の東北支配を承認することができますか。
      できません。中国共産党は、全国の人民とおなじように、日本か中国の一寸の土地も保持することを許しません。
      あなたのご意見では、こんどの解放戦争の主要な戦略方針はどういうものですか。
      われわれの戦略方針は、主力を、たえず変動する長い戦線での作戦に用いるべきだということです。中国の軍隊が勝利するには、迅速な前進と迅速な後退、迅速な集中と迅速な分散というひろい戦場での高度の運動戦が必要です。これは、塹壕《ざんごう》を深くし、堡塁《ほるい》を高くし、いくえにも防備して、もっぱら防御設備にたよるという陣地戦ではなく、大規模な運動戦のことです。だからといってすべての重要な軍事地点を放棄せよというのではなく、有利でさえあれば、これらの地点に陣地戦の配置をすべきです。しかし、全局面を転換させる戦略方針は、どうしても運動戦でなければなりません。陣地戦も必要ですが、これは補助的な性質をもった第二の方針です。地理的に戦場がこのようにひろいので、われわれがもっとも効果的な運動戦をおこなうのは可能なことです。わが軍の猛烈な行動にあえば、日本軍は慎重にかまえざるをえません。かれらの戦争機構は鈍重で、行動は緩慢であり、効果は知れています。もしわれわれが兵力をせまい陣地に集中して消耗戦的な抵抗をするとすれば、わが軍は地理上、経済機構上の有利な条件をうしない、エチオピアのようなあやまりをおかすことになります。戦争の前期には、われわれは大きな決戦をすべてさけ、まず運動戦によって敵軍の士気と戦闘力をしだいに破壊していくようにしなければなりません。
     訓練された軍隊を配置して運動戦をおこなうほか、さらに農民のあいだに多くの遊撃隊を組織しなければなりません。東北三省の抗日義勇軍は、全国の農民のなかの動員しうる抗戦潜在力のほんの一部をしめすものにすぎないことを知らなくてはなりません。中国の農民には大きな潜在力があり、組織と指揮が適切でさえあるなら、四六時中、日本の軍隊を奔命に疲れさせることができます。この戦争は中国でおこなわれているということを心にとめておかなければなりません。つまり、日本軍かかれらに敵対する中国人にすっかり包囲されるということ、日本軍が自分たちの必要とする軍需品を運んでこなければならず、しかも自分で見張っていなければならないということ、大きな兵力をさいて交通線を防備し、つねに襲撃を警戒していなければならないということです。そのほか、かれらは大量の兵力を満州と日本内地に配置する必要があります。
     戦争の過程で、中国は多くの日本兵を捕虜にし、多くの兵器、弾薬を奪いとって自分を武装することができますし、外国の援助をかちとって、中国の軍隊の装備をしだいに強化していくこともできます。したがって、中国は戦争の後期には陣地戦をおこない、日本の占領地にたいして陣地攻撃をおこなうことができます。このようにして、日本は、中国の抗戦による長期の消耗によって、経済は崩壊し、無数の戦いに疲弊《ひへい》して、士気はおとろえていくでしょう。中国の側では、抗戦の潜在力が日ましに大きくたかまり、大量の革命的民衆がぞくぞくと前線におもむき、自由のために戦うでしょう。これらすべての要素が他の要素と結びつくと、われわれは、日本の占領地の堡塁や根拠地にたいして最後の致命的な攻撃をくわえ、日本の侵略軍を中国から駆逐することかできます。(スノウ著『中国の赤い星』)

 抗戦十ヵ月の経験は、上述の論点の正しさを立証しているし、今後もひきつづき立証するであろう。
 (七)蘆溝橋事変がおこって一ヵ月あまりのちの一九三七年八月二十五日、すでに中国共産党中央は、「当面の情勢と党の任務についての決定」のなかで、つぎのようにはっきり指摘した。

    蘆溝橋における戦争挑発と北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻する手始めにすぎない。日本侵略者は、すでに全国の戦時動員をはじめた。かれらが口にする「不拡大」の宣伝は、その進攻をおおいかくす煙幕でしかない。
     七月七日の蘆溝橋の抗戦は中国の全国的な抗戦の出発点となった。
     中国の政治情勢は、このときから新しい段階、つまり一抗戦を実行する段階にはいった。抗戦の準備段階はすでにすぎた。この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利をかちとることである。
     抗戦の勝利をかちとる中心の鍵《かぎ》は、すでに口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。
     当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折《ざせつ》、退却、内部分化、裏切り、一時的、局部的な妥協など、多くの不利な状況かうまれる可能性がある。したがって、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、われわれは、すでに口火のきられた抗戦が、かならずわが党と全国人民の努力によって、あらゆる障害をつきやぶってひきつづき前進、発展することを確信する。


 抗戦十ヵ月の経験は、同様に、上述の論点の正しさを立証したし、今後もひきつづき立証するであろう。
 (八)戦争の問題における観念論的、機械論的な傾向は、すべてのあやまった観点の認識論上の根源である。かれらの問題の見方は主観的、一面的である。かれらは、少しも根拠をもたずに純主観的にのべたてるか、あるいは問題の一側面、一時期のあらわれだけにもとづいて、同様に主観的にそれを誇張して、全体とみなすのである。しかし、人びとのあやまった他点は、二種類にわけることができる。一つは根本的なあやまりであって、一貫性をおびており、これは是正しにくい。もう一つは偶然的なあやまりであって、一時的性質をおびており、この方は是正しやすい。だが、ともにあやまりである以上、どちらも是正する必要がある。したがって、戦争の問題における観念論的、機械的的な傾向に反対し、客観的な観点と全面的な観点で戦争を考察することによって、はじめて戦争の問題について正しい結論がえられるのである。

問題の根拠

 (九)抗日戦争はなぜ持久戦なのか。最後の勝利はどうして中国のものなのか。その根拠はどこにあるのか。
 中日戦争は他のいかなる戦争でもなく、半植民地・半封建の中国と帝国主義の日本とが二〇世紀の三十年代におこなっている生死をかけた戦争である。問題の根拠はすべてここにある。それぞれについてのべると、戦争している双方には、つぎのようなあい反した多くの特徴がある。
 (一〇)日本側。第一に、日本は強い帝国主義国であって、その軍事力、経済力、政治組織力は東方第一級のものであり、世界でも五つか、六つの著者な帝国主義国のうちの一つである。これが日本の侵略戦争の基本条件であり、戦争が不可避で、中国の速勝が不可能なのは、この日本という国家の帝国主義制度とその強い軍事力、経済力、政治組織力からきている。しかし、第二に、日本の社会経済の帝国主義的性質から、日本の戦争の帝国主義的性質がうまれ、その戦争は退歩的な野蛮《やばん》なものとなっている。二〇世紀の三十年代にいたって、日本帝国主義は、内外の矛盾から、空前の大規模な冒険戦争をおこなわざるをえなくなったばかりでなく、最後的崩壊の前夜においやられている。社会発展の過程からいえば、日本はもはや繁栄する国ではない。戦争は日本の支配階級が期待している繁栄をもたらすことはできず、かれらの期待とは反対のもの――日本帝国主義の死滅をもたらすであろう。これが日本の戦争の退歩性というものである。この退歩性のうえに、さらにもう一つ、日本が軍事的・封建的な帝国主義であるという特徴がくわわって、その戦争の特殊な野蛮性がうまれている。このため、その国内における階級対立、日本民族と中国民族との対立、日本と世界の大多数の国ぐにとの対立が最大限にひきおこされる。日本の戦争の退歩性と野蛮性は日本の戦争の敗北が必至である主要な根拠である。そればかりではない。第三に、日本の戦争は、強い軍事力、経済力、政治組織力を基礎としておこなわれているとはいえ、同時にまた先天的に不足しているという基礎のうえでおこなわれている。日本の軍事力、経済力、政治組織力は強いが、量の面では不足している。日本は国土が比較的小さく、人力、軍事力、財力、物力にいずれも欠乏を感じており、長期の戦争にはたえられない。日本の支配者は戦争をつうじてこれらの困難な問題を解決しようとしているが、それはやはりおなじように、かれらの期待とは反対のものをもたらすであろう。つまり、日本の支配者はこの困難な問題を解決するために戦争をおこしたが、その結果は戦争によって困難が増大し、もとからもっていたものまで消耗してしまうであろう。最後に、第四に、日本は国際ファシスト諸国の援助をうることはできるが、同時に、その国際的な援助の力をうわまわる国際的な反対の力にぶつからざるをえない。この後者の力はしだいに増大して、結局は前者の援助の力を相殺するばかりでなく、日本自身にもその圧力をくわえるであろう。これは、道にそむくものには援助が少ないという法則であり、日本の戦争の本質からうまれたものである。要するに、日本の長所はその戦力の強さにあるが、短所はその戦争の本質の退歩性、野蛮性にあり、その人力、物力の不足にあり、国際関係において援助が少ないということにある。これらが日本側の特徴である。
 (一一)中国側。第一に、わが国は半植民地・半封建の国である。アヘン戦争〔6〕から太平天国、戊戌《ウーシュイ》維新〔7〕、辛亥《シンハイ》革命そして北伐戦争にいたるまでの、半植民地・半封建的地位からぬけだそうとするすべての革命的または改良的な運動が、いずれも重大な挫折をこうむったために、この半植民地・半封建的地位は依然としてそのままである。わが国は依然として弱国であり、軍事力、経済力、政治組織力などの面で敵におとっている。戦争が不可避で、中国の速勝が不可能である根拠は、この面にもある。しかし、第二に、中国ではこの百年らい解放運動がつみかさぬられて今日にいたっており、もはや歴史上のいかなる時期ともちがっている。内外のさまざまな反対勢力は解放運動に重大な挫折をこうむらせはしたが、同時に中国人民をきたえた。今日の中国の軍事、経済、政治、文化は、日本ほど強くはないが、中国自身について比較してみれば、歴史上のいかなる時期よりもずっと進歩した要素をもっている。中国共産党とその指導下にある軍隊はこの進歩的な要素を代表している。中国の今日の解放戦争は、まさにこのような進歩を基礎として、持久戦と最後の勝利の可能性を獲得したのである。中国はさしのぼる朝日のような国で、日本帝国主義の没落状態とはまったく対照的である。中国の戦争は進歩的であり、この進歩性から、中国の戦争の正義性がうまれている。この戦争は正義の戦争であるために、全国的な団結をよびおこし、敵国人民の共鳴をうながし、世界の多数の国ぐにの援助をかちとることができる。第三に、中国はまた大きな国で、土地が広く、物産は豊かで、人口が多く、兵力も多いので、長期の戦争をささえることができ、この点もまた日本と対照的である。最後に、第四に、中国の戦争の進歩性、正義性ということから、国際的に広範な援助がえられるのる、道にそむくものには援助が少ないという日本とはまったく逆である。要するに、中国の短所は戦力の弱さにあるが、長所はその戦争の本質の進歩性と正義性にあり、大国ということにあり、国際関係において援助が多いということにある。これらがすべて中国の特徴である。
 (一二)このようにみてくると、日本は軍事力、経済力、政治組織力は強いが、その戦争は退歩的で野蛮であり、人力、物力も不十分で、国際関係でも不利な立場におかれている。反対に、中国は軍事力、経済力、政治組織力は比較的弱いが、まさに進歩の時代にあり、その戦争は進歩的で正義のものであり、そのうえ、持久戦を十分にささえうる大国という条件をもっており、世界の多数の国ぐにも中国を援助するであろう。――これらが、中日戦争でたがいに矛盾している基本的特徴である。これらの特徴は、双方の政治上の政策と軍事上の戦略戦術のすべてを規定してきたし、また規定しており、戦争の持久性と最後の勝利が日本のものではなくて、中国のものであることを規定してきたし、また規定している。戦争とはこれらの特徴の競争である。これらの特徴は、戦争の過程でそれぞれその本質にしたがって変化するのであって、ここからすべてのことが発生する。これらの特徴は、欺瞞《ぎまん》的な捏造《ねつぞう》したものではなくて、事実上存在するものであり、不完全な断片的なものではなくて、戦争の基本的要素のすべてであり、あってもなくてもよいものではなくて、双方の大小すべての問題とすべての作戦段階をつらぬくものである。中日戦争を観察するのに、これらの特徴を忘れるなら、まちがうのは必然的である。たとえ一部の意見が一時はひとから信じられ、まちがいのないものにみえても、戦争がすすむにつれて、きっとそれがまちがいであることが立証されるであろう。では、われわれののべようとするすべての問題を、これらの特徴にもとづいて説明しよう。

亡国論を反ばくする

 (一三)亡国論者は敵とわが方の強弱の対比という要素だけをみて、以前は「抗戦すれば、かならず滅びる」といい、現在はまた「これ以上戦えば、かならず滅びる」といっている。もしわれわれが、敵は強いが小国であり、中国は弱いが大国である、というだけなら、かれらを説きふせるのに十分ではない。かれらは、小さくて強い国が大きくて弱い国を滅ぼすことができ、しかもたちおくれた国が進んだ国を滅ぼしうろことを立証するために、元朝が宋朝を滅ぼし、清朝が明朝を滅ぼした歴史上の証拠をもちだすであろう。もしわれわれが、それはふるい時代のことで、よりどころにはならないといえば、かれらは、小さくて強い資本主義国が大きくて弱いたちおくれた国を滅ぼしうることを立証するために、さらに、イギリスがインドを滅ぼした事実をもちだすであろう。したがって、すべての亡国論者を心服させて、その口を封じるには、また、宣伝活動にたずさわるすべての人びとに、まだわかっていない人びとや、まだしっかりしていない人びとを説得し、かれらの抗戦への信念をかためさせるための十分な論拠をもたせるには、もっとほかの根拠をあげなければならない。
 (一四)このあげなければならない根拠とはなにか。それは時代の特徴である。この特徴は、具体的には、日本の退歩と、援助が少ないということ、中国の進歩と、援助が多いということにあらわれている。
 (一五)われわれの戦争は他のいかなる戦争でもなく、中日両国が二〇世紀の三十年代におこなっている戦争である。敵の側についていえば、第一に、それはまもなく死滅しようとしている帝国主義であり、すでに退歩の時代にあり、それは、インドを滅ぼした当時のイギリスがまだ資本主義の進歩の時代にあったのとちがうばかりでなく、二十年まえの第一次世界大戦のときの日本ともちがう。こんどの戦争は、世界の帝国主義、なによりもまずファシスト諸国の大崩壊の前夜におこったものであって、まさにこのために、敵も最後のあがきの性質をおびる冒険戦争をおこなっているのである。したがって、戦争の結果、滅亡するのは中国ではなくて、日本帝国主義の支配者集団であり、これはさけられない必然性である。そのうえ、日本が戦争をおこなっているこの時期は、まさに世界各国がすでに戦争にみまわれたか、またはまもなくみまわれようとしているときであって、すべてのものが野蛮な侵略に抵抗して戦っているか、または戦う準備をしており、しかも中国というこの国は世界の多数の国ぐにおよび多数の人民と深い利害関係をもっているのである。このことこそ、日本が世界の多数の国ぐにと多数の人民の反対をすでにひきおこし、またもっと強くひきおこすであろうことの根源である。
 (一六)中国の側はどうか。中国はもはや歴史上のいかなる時期とも比較できないものになっている。半植民地、半封建の社会であることが中国の特徴であり、したがって、弱国といわれている。だが、同時にまた、中国は歴史的には進歩の時代にあり、これが日本に勝利することのできる主要な根拠である。抗日戦争を進歩的だというのは、普通一般の進歩ではなく、エチオピアのイタリアにたいする抵抗戦争のような進歩でもなく、太平天国や辛亥革命のような進歩でもなくて、今日の中国の進歩をさしていうのである。今日の中国の進歩はどういう点にあるのか。それは、中国がもはや完全な封建国家ではなくて、すでに資本主義があり、ブルジョア階級とプロレタリア階級があり、すでに目ざめたか、あるいは目ざめつつある広範な人民があり、共産党があり、政治的に進歩した軍隊、すなわち共産党の指導する中国赤軍があり、数十年の伝統ある革命の経験、とりわけ中国共産党創立いらい十七年間の経験がある、という点にある。これらの経験が中国の人民を教育し、中国の政党を教育し、それがちょうど今日の団結抗日の基礎となっているのである。もしロシアに、一九〇五年の経験がなければ、一九一七年の勝利はありえなかったというなら、われわれも、この十七年らいの経験がなければ、抗日の勝利もありえないといえるであろう。これが国内的な条件である。
 国際的な条件は中国を戦争のなかで孤立しないものとしており、この点も史上空前のことである。歴史上では、中国の戦争にしても、インドの戦争にしても、みな孤立していた。ただ、今日のばあいは、世界ですでにおこり、あるいはおこりつつある空前の広さと空前の深さをもった人民運動と、それの中国への援助がみられる。ロシアの一九一七年の革命にも世界の援助があり、それによってロシアの労働者と農民は勝利したが、その援助の規模はまだ今日ほど広くはなかったし、その性質も今日ほど深くはなかった。今日の世界の人民運動は、まさに空前の大きな規模と深さをもって発展している。まして、ソ連の存在は今日の国際政治における非常に重要な要素であり、ソ連はきわめて大きな熱意をもって中国を援助するにちがいない。こういう現象は二十年まえにはまったくなかったことである。これらすべてが、中国の最後の勝利にとって欠くことのできない重要な条件をつくりだしたし、またつくりだしつつある。大量の直接的援助はいまはまだなく、これからのことになるが、中国には進歩と大国という条件があるので、戦争の期間を長びかせ、国際的援助をうながすとともに、それを持つことができるのである。
 (一七)そのうえに、日本は小国で、土地もせまく、物産も少なく、人口も少なく、兵力も少ないが、中国は大国で、土地もひろく、物産も豊かで、人口も多く、兵力も多いという条件があり、そこから強弱の対比のほかに、さらに小国、退歩、援助が少ないということと、大国、進歩、援助が多いということとの対比がでてくる。これが中国のけっして滅びることのない根拠である。強弱の対比によって、日本は中国で一定期間、一定程度横暴にふるまうことができ、中国はどうしても一時期苦難の道を歩まなければならないこと、抗日戦争が速決戦ではなくて、持久戦であることが規定されるが、しかし、また小国、退歩、援助が少ないということと大国、進歩、援助が多いということの対比によって、日本はいつまでも横暴にふるまうことはできず、かならず最後の失敗をなめ、中国はけっして滅びることがなく、かならず最後の勝利を得ることが規定される。
 (一八)エチオピアはなぜ滅びたのか。第一には、弱国であったばかりでなく、小国でもあった。第二には、中国ほど進歩していず、奴隷制から農奴制にうつりつつあるふるい国で、資本主義もなければブルジョア政党もなく、まして共産党もなければ中国のような軍隊もなく、まして八路軍のような軍隊はなおさらなかった。第三には、国際的援助を待つだけの余裕がなく、その戦争は孤立していた。第四には、これが主要な点であるが、イタリアへの抵抗戦争の指導の面にあやまりがあった。エチオピアはこのために滅びたのである。しかし、エチオピアではまだかなり広範な遊撃戦争がおこなわれており、もしそれを堅持することができれば、それをよりどころにして将来の世界的変動のなかで祖国を回復することができる。
 (一九)もし亡国論者が、「抗戦すれば、かならず滅びる」とか、「これ以上戦えば、かならず滅びる」ということを立証するために、中国の近代における解放運動の失敗の歴史をもちだすなら、われわれの答えも、時代がちがうという一言につきる。中国自身も、日本の内部も、国際環境も、みな以前とはちがっている。日本は以前よりいっそう強くなっているが、中国は半植民地、半封建的地位が依然として変わらず、その力は依然としてかなり弱い。この状態は深刻である。日本は、なおしばらくのあいだは、国内の人民を統制できるし、国際間の矛盾を対華侵略の手段に利用することもできる、これらはみな事実である。しかし、長期の戦争の過程で、かならず逆の変化がおこるであろう。この点はいまはまだ事実とはなっていないが、将来はかならず事実となる。亡国論者はこの点をすててかえりみない。中国はどうか。十余年まえと大いにちがって、いまではすでに新しい人間、新しい政党、新しい軍隊、新しい抗日政策があるばかりでなく、これらはいずれもかならず発展していくにちがいない。歴史上の解放運動がたびかさなる挫折をこうむったため、中国は、今日の抗日戦争のためにより大きな力をたくわえることができなかった――これは非常におしむべき歴史的教訓であり、今後はいかなる革命の力をも、二度と自分でふみにじってはならない――とはいえ、既存の基礎のうえでも、それに大きな努力をくわえれば、かならずしだいに前進し、抗戦の力を強めていくことができる。偉大な抗日民族統一戦線こそ、この努力の全般的方向である。国際的援助の面では、当面まだ大量かつ直接的な援助はみられないが、国際的な局面はすでにこれまでとは根本的に変わっており、大量かつ直接的な援助が醸成されつつある。中国近代の無数の解放運動の失敗には、いずれも客観的原因と主観的原因があったのであって、今日の状況にくらべることはできない。今日では、敵は強くわれわれが弱いこと、敵の困難はまだはじまったばかりで、われわれの進歩がまだ不十分であることなど、抗日戦争が苦難にみちた戦争であることを規定する多くの困難な条件はあるが、しかし、敵にうち勝つ有利な条件も多く、これに主観的努力さえくわえれば、困難を克服して勝利をかちとることができる。これらの有利な条件についていえば、歴史上で今日にくらべられるような時期はなく、これこそ、抗日戦争がけっしてこれまでの歴史上の解放運動のように失敗に終わることのない理由である。

妥協か抗戦か、腐敗か進歩か

 (二〇)亡国論に根拠がないことは以上にのべたとおりである。しかし、このほかに亡国論者ではなく、愛国の士ではあるが、時局をひどく憂慮している人も多い。かれらは二つの問題をかかえている。一つは日本と妥協するのではないかという危惧《きぐ》、もう一つは政治の進歩が不可能ではないかという疑念である。この二つの憂慮すべき問題は、広範な人びとのあいだで論議されているが、解決のいとぐちが見いだされていない。そこで、この二つの問題について研究してみよう。
 (二一)さきにのべたように、妥協の問題には社会的根源があって、その社会的根源が存在するかぎり、妥協の問題がうまれないはずはない。だが、妥協は成功するものではない。この点を立証するには、やはり日本、中国、国際の三つの面にその根拠をもとめるほかない。第一は日本の面である。抗戦の当初から、われわれはすでに、妥協の空気がつくりだされる時機のやってくること、つまり敵が華北と江蘇《チァンスー》省、淅江《チョーチァン》省を占領すれば、投降勧告の手段に出るだろうということを見通していた。その後、はたしてその手がうたれたが、危機はすぐにすぎさった。その原因の一つは、敵がいたるところで野蛮な政策をとり、公然たる略奪をおこなったことである。中国が投降すれば、だれもが亡国の民になってしまう。敵のこの略奪政策、つまり中国を滅ぼそうとする政策は、物質的な面と精神的な面との二つにわけられるが、どちらもすべての中国人にたいしておこなわれる。それは下層の民衆ばかりでなく、上層の人びとにたいしてもおこなわれる――もちろん、後者にたいしてはいくぶんひかえ目ではあるが、それも程度のちがいだけで、べつに原則的なちがいはない。だいたいにおいて、敵は東北三省でおこなってきた例のやり方をそのまま中国中心部にもちこむ。物質的には、一般人民の衣食まで略奪して広範な人民を飢えと寒さに泣かせ、生産用具を略奪して中国の民族工業を破滅と隷属化においこむ。精神的には、中国人民の民族意識をふみにじる。日章旗のもとでは、あらゆる中国人は隷属の民となり、牛馬となるよりほかはなく、中国人としての気概をもつことはいささかもゆるされない。敵のこの野蛮な政策は、さらに奥地ふかく実施されようとしている。敵の食欲はひどく旺盛で、戦争をやめようとはしない。一九三八年一月十六日に日本の内閣が宣言した方針〔8〕は、いまなおこれをあくまで実施しているし、また実施せざるをえない。そのことが、あらゆる階層の中国人を憤激させている。これは敵の戦争の退歩性、野蛮性からくるもので、「厄運《やくうん》はのがれがたく」、そこで絶対的な敵対が形成された。ある時機がくれは、敵の投降勧告の手段がまたもやあらわれようし、一部の亡国論者がまたもやうごめき、そのうえ、ある種の国際勢力(イギリス、アメリカ、フランスの内部にはそうした人間がいる、とくにイギリスの上層分子がそうである)と結託して悪事をはたらくこともあろう。しかし、大勢のおもむくところ、投降などやれはしない。日本の戦争の執拗さと特殊な野蛮さとがこの問題の一つの面を規定している。
 (二二)第二は中国の面である。中国が抗戦を堅持する要素は三つある。一つは共産党で、これは人民の抗日を指導する、たよりになる力である。もう一つは国民党で、かれらはイギリス、アメリカに依存しているため、イギリス、アメリカが投降させなければ、かれらも投降しないであろう。もう一つは他の政党で、その大多数は妥協に反対し、抗戦を支持している。この三者はたがいに団結していて、もし妥協するなら民族裏切り者の側に立つことになり、だれでもこれに懲罰をくわえることができる。民族裏切り者となることをのぞまないものはみな、団結して、最後まで抗戦を堅持せざるをえず、妥協は実際上成功しがたい。
 (二三)第三は国際的な面である。日本の同盟国と資本主義諸国の上層分子の一部とをのぞけば、その他はすべて中国の妥協にとって不利であり、中国の抗戦にとって有利である。この要素は中国の期待に関係してくる。今日、全国の人民には、国際勢力がしだいに中国への援助を強めるにちがいないという期待がある。この期待はむなしいものではない。とくに、ソ連の存在が、中国の抗戦を力づけている。かつてないほど強大になっている社会主義のソ連は、これまで中国と苦楽をともにしてきた。ソ連は、あらゆる資本主義国の上層分子の我利我利亡者とは根本的にちがって、すべての弱小民族と革命戦争を援助することをその本分としている。中国の戦争の非孤立性は、一般的に国際的援助全体のうえになりたっているばかりでなく、とくにソ連の援助のうえになりたっている。中ソ両国は地理的に接近しており、この点が日本の危機を増大させているし、中国の抗戦を有利にしている。中日両国の地理的近接は、中国の抗戦の困難さを増大させている。ところが、中ソの地理的近接は、中国の抗戦の有利な条件となっている。
 (二四)これらの点からえられる結論は、妥協の危機は存在するが、それは克服できるということである。なぜなら、敵の政策はたとえある程度改められても、根本的に改められることは不可能である。中国の内部には妥協の社会的根源はあるが、妥協に反対するものが大多数をしめている。また、国際勢力にしても、一部には妥協に賛成するものがあるが、主要な勢力は抗戦に賛
成しているからである。この三つの要素が結びつけば、妥協の危機を克服して、抗戦を最後まで堅持することができる。
 (二五)こんどは、第二の問題に答えよう。国内政治の改善は、抗戦の堅持ときりはなせないものである。政治が改善されればされるほど、抗戦はますます堅持できるし、抗戦が堅持されればされるほど、政治はますます改善できる。だが、根本的には抗戦の堅持にかかっている。国民党の各方面にはよくない現象が深刻に存在しており、これらの不合理な要素は歴史的につみかさねられたものであって、広範な愛国の士のあいだに大きな憂慮と苦悶をうんでいる。だが、抗戦の経験は、この十ヵ月の中国人民の進歩が過去の長年の進歩にも匹敵しており、なんら悲観すべき根拠がないことをすでに立証している。歴史的につみかさねられた腐敗の現象は、人民の抗戦力の増大の速度をひどく阻害して、戦争での勝利を少なくし、戦争での損失をまねいてはいるが、中国、日本および世界の大勢は、中国人民を進歩させずにはおかない。進歩を阻害する要素、すなわち腐敗の現象が存在するため、この進歩は緩慢である。進歩と進歩の緩慢性は当面の時局の二つの特徴であり、後者の特徴は戦争の切迫した要求とあまりにもかけはなれており、これが愛国の士を大いに心配させている点である。しかし、われわれは革命戦争のなかにおかれている。革命戦争は抗毒素であって、それはたんに敵の毒素を排除するばかりでなく、自己の汚れをも洗いきよめるであろう。革命的な正義の戦争というものは、その力がきわめて大きく、多くの事物を改造することができるか、または事物を改造する道をきりひらくのである。中日戦争は中日両国を改造するであろう。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しさえすれば、かならず、ふるい日本を新しい日本に変え、ふるい中国を新しい中国に変え、中日両国は人も物もことごとく今度の戦争のなかで、また戦争のあとで改造されるであろう。われわれが抗戦を建国と結びつけて見るのは正しい。日本も改造されるというのは、日本の支配者の侵略戦争が失敗して、日本人民の革命がおこる可能性があるという意味である。日本人民の革命の勝利の日こそ、日本が改造されるときである。これは中国の抗戦と密接につながっており、この前途は見通しておくべきである。

 亡国論はまちがっており、速勝論もまちがっている

 (二六)われわれはすでに強弱、大小、進歩と退歩、援助の多少など、敵とわが方のあいだの矛盾するいくつかの基本的特徴を比較研究して、亡国論を論ばくし、なぜ妥協が容易でないか、なぜ政治的進歩が可能かという問題に答えた。亡国論者は強弱という矛盾だけを重くみ、それを誇張してすべての問題の論拠にし、その他の矛盾をみのがしている。強弱の対比という点にしかふれないのは、かれらの一面性であり、この一面的なものを誇張して全体とみなすのは、これまたかれらの主観性である。したがって、全体的にいって、かれらには根拠がないし、あやまっている。また、亡国論者ではなく、一貫した悲観主義者でもないが、ただ一時的、局部的な、敵とわが方の強弱の状況あるいは国内の腐敗の現象にまどわされて、一時的に悲観的な気持ちになっている人びとにたいしても、われわれは、かれらの観点がやはり一面的、主観的な傾向からきていることを指摘してやらなければならない。しかし、かれらは愛国の士であって、そのあやまりは一時的なものであるから、改めるのは比較的容易で、注意してやりさえすればすぐにわかるのである。
 (二七)ところが、速勝論者もまちがっている。かれらは、強弱というこの矛盾をまったく忘れてしまって、その他の矛盾しかおぼえていないか、中国の長所を誇張して、ほんとうの状況からはなれ、別のものにしてしまうか、あるいは一時期、一地方の強弱の現象を全体における強弱の現象におきかえてしまい、あたかも一枚の葉に目をおおわれて泰山がみえなくなるのとおなじように、自分ではそれを正しいと考えている。要するに、かれらには敵が強くわが方か弱いという事実を認める勇気がないのである。かれらはしばしばこの点を抹殺《まっさつ》し、したがって真理の一つの面を抹殺する。かれらはまた自己の長所の限界性を認める勇気がなく、したがって真理のもう一つの面を抹殺する。このことから、かれらは大なり小なりあやまりをおかすのであって、ここでもまた、主観性と一面性が災いしている。こうした友人は善意をもった人たちで、やはり愛国の士である。だが、「先生の志は大なり」としても、先生の見方はまちがっており、そのとおりにことをはこぶと、かならず壁につきあたってしまう。判断が真実に合致していないので、その行動は目的を達成できないのである。しいて行動すれば、戦いに負け、国を滅ぼし、結果は、敗北主義者とちがわなくなる。したがって、これもだめである。
 (二八)われわれは亡国の危険を否定するのか。否定しない。中国の前には解放と亡国という二つの可能な前途がよこたわっており、両者がはげしく闘争していることを、われわれは認める。われわれの任務は解放を実現して、亡国をまぬかれることである。解放を実現する条件は、基本的には、中国の進歩であり、同時に敵の困難と世界の援助とがくわわる。亡国論者とはちがって、われわれは客観的かつ全面的に、亡国と解放という二つの可能性が同時に存在することを認め、解放の可能性が優勢をしめていることと解放を達成するための条件をつよく指摘し、これらの条件をかちとるよう努力する。亡国論者は主観的、一面的に亡国という一つの可能性だけを認め、解放の可能性を否定するもので、まして解放の条件を指摘したり、これらの条件をかちとるために努力したりするはずはない。われわれは妥協の傾向と腐敗の現象も認めるが、その他の傾向とその他の現象をもみてとっており、また両者のうち、後者が前者にたいして一歩一歩優勢をしめていくこと、両者がはげしく闘争していることを指摘するとともに、後者を実現する条件をも指摘して、妥協の傾向を克服し腐敗の現象を変えるために努力する。したがって、われわれは悲観しない。悲観的な人たちは、それとは反対である。
 (二九)われわれも速勝をよろこばないわけではなく、あすの朝にも「鬼ども」をおいだしてしまうことにはだれしも賛成である。だが、一定の条件がないかぎり、速勝は頭のなかに存在するだけで、客観的には存在せず、幻想とえせ理論にすぎないことを、われわれは指摘する。したがって、われわれは客観的かつ全面的に敵とわが方のあらゆる状況を判断して、戦略的な持久戦だけが最後の勝利をかちとる唯一の道であることを指摘し、なんの根拠もない速勝論をしりそげるのである。われわれは最後の勝利に必要なすべての条件をかちとるために努力するよう主張する。条件がすこしでも多くそなわり、一日でもはやくそなわれば、勝利の保障はそれだけ多くなり、勝利の時期もそれだけはやくなる。われわれは、戦争の過程をちぢめるには、こうする以外にないと考えており、安易に考え空論にふける速勝論をしりそげる。

 なぜ持久戦なのか

 (三〇)つぎに、われわれは持久戦の問題を研究しよう。「なぜ持久戦なのか」、この問題の正しい答えを得るには、敵とわが方の対比される基本的要素全体に立脚する以外にない。たとえば、敵は帝国主義の強国で、わが方は半植民地、半封建の弱国であるというだけでは、亡国論におちいる危険性がある。なぜなら、たんに弱者が強者に手向かうという点だけでは、理論的にも、実際的にも、持久という結果はうまれないからである。たんなる大小とか、たんなる進歩退歩とか、援助の多少とかいうようなことも、同様である。大が小を併呑《へいどん》したり、小が大を併呑したりすることはよくある。進歩的な国または事物でも、力が強くなければ、大きくて退歩的な国または事物に滅ぼされることはよくある。援助の多少は重要な要素ではあるが、付随的な要素であり、敵とわが方のそれ自体の基本的要素いかんによってその作用の大小がきまる。したがって、われわれが抗日戦争は持久戦だというのは、敵とわが方の要素全体の相互関係からうまれた結論である。敵が強くてわが方が弱ければ、わが方には滅亡の危険性がある。しかし、敵にはなお他の短所があり、わが方にはなお他の長所がある。敵の長所はわが方の努力によって弱めることができるし、敵の短所もわが方の努力によって拡大することができる。これとは逆に、わが方の長所はわが方の努力によって強めることができるし、短所はわが方の努力によって克服することができる。したがって、わが方は最後には勝利し、滅亡をまぬかれることができるが、敵は最後には敗北し、その帝国主義制度全体の崩壊をまぬかれることができないのである。
 (三一)敵は長所が一つだけで、あとはみな短所であり、わが方は短所が一つだけで、あとはみな長所であるのに、どうして均衡のとれた結果が得られないで、反対にいまのような敵の優勢、わが方の劣勢がもたらされたのだろうか。物事をこのように形式的にみてはならないことは明らかである。事実は、いま敵とわが方の強弱の差があまりにも大きいこと、敵の短所は当分はまだその強さの要素を減殺できるほどには発展していないし、また発展することもできないこと、わが方の長所も当分はまだその弱さの要素をおぎなえるほどには発展していないし、また発展することもできないことから、均衡があらわれずに、不均衡があらわれているのである。
 (三二)敵が強くてわが方が弱く、敵が優勢でわが方が劣勢であるという状態は、わが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力によって変化してはいるが、まだ基本的な変化はうまれていない。したがって、戦争の一定段階では、敵は一定程度の勝利をおさめることができ、わが方は一定程度の敗北をなめるであろう。しかし、敵もわが方も、一定段階での一定程度の勝利または敗北に限定され、それをこえて完勝または完敗までにはなりえない。それはなぜか。一つには、敵が強くてわが方が弱いというもとからの状態が絶対的なものではなくて、相対的なものだからであり、二つには、わが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力によって、ますますこの相対的な形勢がつくられていくからである。もとからの状態についていえば、敵は強いとはいえ、その強さはすでに他の不利な要素によって減殺されており、まだこのときには敵の優勢がやぶられるほどには減殺されていないだけである。わが方は弱いとはいえ、その弱さはすでに他の有利な要素によっておぎなわれており、まだこのときにはわが方の劣勢を改めうるほどにはおぎなわれていないだけである。そこで、敵が相対的に強くて、わが方が相対的に弱く、敵が相対的に優勢で、わが方が相対的に劣勢であるという状態が形成されている。双方の強弱、優劣は、もともと絶対的なものではなく、そのうえ戦争の過程にはわが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力もあるので、これが敵とわが方のもとからの強弱、優劣の形勢をいっそう変えており、したがって、敵もわが方も一定段階での一定程度の勝利または敗北に限定され、持久戦という局面がつくりだされているのである。
 (三三)しかし、状況はひきつづき変化するものである。戦争の過程で、わが方が軍事上、政治上の正しい戦術を運用し、原則的なあやまりをおかさず、最善の努力をつくしさえすれば、敵の不利な要素とわが方の有利な要素は、戦争が長びくにつれて発展し、かならず敵とわが方のもとからの強弱の程度をひきつづき変えていき、敵とわが方の優劣の形成をひきつづき変えていくことができる。そして新しい一定段階かきたとき、強弱の程度と優劣の形勢に大きな変化がおこり、敵の敗北、わが方の勝利という結果になるであろう。
 (三四)当面、敵はまだ自分の強さの要素をなんとか利用することができるし、わが方の抗戦もまだ敵を基本的に弱めてはいない。敵の人力、物力の不足という要素はまだその進攻を阻止するまでにはいたっておらず、反対に、その進攻を一定程度まで維持することができる。自国での階級対立と中国の民族的抵抗を激化させうる要素、すなわち戦争の退歩性と野蛮性という要素も、まだその進攻を根本的に阻害するほどの状態にはいたっていない。敵の国際的孤立という要素も変化し発展しつつはあるが、まだ完全に孤立するまでにはいたっていない。わが方をたすけることを表明した多くの国ぐにでも、兵器や戦争資材をあつかう資本家は、なお利益の追求に専念して、日本に大量の軍需物資を供給しており〔9〕、かれらの政府〔10〕もいまのところ、ソ連といっしょに日本に制裁をくわえる実際的な方法をとろうとはしていない。これらのすべては、わが方の抗戦が速勝できず、持久戦でしかありえないことを規定している。中国の側では、弱さの要素が軍事、経済、政治、文化の各方面にあらわれており、十ヵ月の抗戦である程度の進歩はみられたが、敵の進攻を阻止し、わが方の反攻を準備するところまでには、まだまだほど遠い。そのうえ量の面では、ある程度弱まらざるをえなかった。中国の各種の有利な要素は、いずれも積極的な作用をしてはいるが、敵の進攻をくいとめ、わが方の反攻を準備するところまでいくには、なお大きな努力が必要である。国内では、腐敗の現象を克服し、進歩の速度を増大させ、国外では、日本をたすける勢力を克服し、反日勢力を増大させることも、まだ当面の現実とはなっていない。これらのすべてもまた、戦争が速勝でさす、持久戦でしかありえないことを規定している。

持久戦の三つの段階

 (三五)中日戦争が持久戦であり、また最後の勝利が中国のものである以上、この持久戦が具体的には三つの段階としてあらわれることは論理的に想定することができる。第一段階は、敵の戦略的進攻、わが方の戦略的防御の時期である。第二段階は、敵の戦略的保持、わが方の反攻準備の時期である。第三段階は、わが方の戦略的反攻、敵の戦略的退却の時期である。三つの段階の具体的状況は予測できないが、当面の条件からみて、戦争のなりゆきの若干の大すじは指摘することができる。客観的現実の進行過程は非常に内容豊富な、曲折変化にとむものとなり、だれも中日戦争の「運勢録」をあみだすことはできない。だが、戦争のなりゆきについて輪郭を描いておくことは、戦略的指導のために必要なことである。したがって、たとえ描かれたものが将来の事実に完全には合致せず、事実によって修正されようとも、確固として、目的をきめて持久戦の戦略的指導をおこなうため、その輪郭を描いてみることは、やはり必要なことである。
 (三六)第一段階は現在まだ終わっていない。敵の企図は広州、武漢、蘭州《ランチョウ》の三地点を攻略し、この三地点をつなぐことである。敵はこの目的をとげるため、少なくとも五十コ師団、約百五十万の兵員を派遣し、一年半ないし二年の時間をかけ、百億円以上の費用をあてることとなろう。このように奥深くはいってくれば、敵の困難は非常に大きく、その結末は想像をこえるものがあろう。さらに広州=漢□《ハンコウ》鉄道、西安・蘭州道路の完全占領となると、非常に危険な戦争をへても、その企図が完全にたっせられるとはかぎらない。だが、われわれの作戦計画は、敵がこの三地点、さらにはこの三地点以外のある一部の地区を占領し、それらをたがいに結びつける可能性があることを前提として、持久戦の配備をおこなうべきであり、そうすれば、たとえ敵がそうした行動に出たとしても、わが方にはそれに対処できる方策がある。この段階でわが方がとる戦争形態は、運動戦が主要なもので、遊撃戦と陣地戦が補助的なものである。この段階の第一期には、国民党軍事当局の主観的なあやまりによって、陣地戦が主要な地位におかれたが、この段階全体からみれば、やはり補助的なものである。この段階では、中国はすでに広範な統一戦線を結成し、空前の団結を実現した。敵は、その速決計画の安易な実現、中国の全面的征服をくわだてて、卑劣で恥知らずな投降勧告の手段をとったし、これからもとるであろうが、それはいままでも失敗したし、今後も成功しがたい。この段階では、中国はかなり大きな損失をこうむるが、同時にかなり大きな進歩をとげ、この進歩が第三段階でひきつづき抗戦する主要な基礎となる。この段階では、ソ連はすでにわが国に大量の援助をおこなっている。敵側では、すでに士気がおとろえはじめ、敵の陸軍の進攻は、この段階の中期にはもはや初期のような鋭さはなく、末期にはますますおとろえるであろう。敵の財政経済はゆきづまりの状態をみせはじめ、人民や兵士の厭戦気分もうまれはじめており、戦争指導集団の内部では、「戦争の苦悶」があらわれはじめ、戦争の前途にたいする悲観的な考えがひろがっている。
 (三七)第二段階は、戦略的対峙《たいじ》の段階と名づけることができる。第一段階の終わりには、敵の兵力の不足とわが方の頑強な抵抗によって、敵は一定の限界での戦略的進攻の終点を決めざるをえなくなり、この終点に到達すると、戦略的進攻を停止し、占領地保持の段階に転ずるであろう。この段階での敵の企図は、占領地を保持することであって、かいらい政府をつくるという欺瞞的なやり方でそれを確保し、中国人民からできるかぎり収奪することである。しかし、かれらのまえには頑強な遊撃戦争がまちかまえている。遊撃戦争は、第一段階で敵の後方の手薄に乗じていたろところに発展し、数多くの根拠地がうちたてられて、敵の占領地保持を基本的に脅かすようになり、したがって、第二段階でもやはり広範な戦争がおこなわれるであろう。この段階でのわが方の作戦形態は遊撃戦が主要なもので、運動戦が補助的なものである。このときには、中国はなお大量の正規軍を保有するが、一方では敵がその占領する大都市や主要な交通線で戦略的守勢をとっており、他方では中国の技術的条件がまだしばらくは完備されないために、急速に戦略的反攻をおこなうことはまだむずかしい。正面の防御部隊のほかに、わが軍は、大量の部隊を敵の後方に転入させて、比較的分散した配置をとり、敵がまだ占領していないすべての地域をよりどころとし、民衆の武装組織に呼応して、敵の占領地にむけて広範かつ激烈な遊撃戦争を展開するとともに、できるだけ敵をひきまわして、運動戦のなかでそれを消滅する。いま山西省でおこなわれているのがその手本である。この段階での戦争は残酷であり、各地は重大な破壊をこうむるであろう。しかし、遊撃戦争は勝利することができ、うまくおこなえば、敵はわずかに占領地の三分の一前後の地域を保持できるだけで、三分の二前後は依然としてわれわれのものであろう。そうなれば敵の大敗北であり、中国の大勝利である。そのときには敵の占領地全体は三種類の地区にわけられる。第一は敵の根拠地、第二は遊撃戦争の根拠地、第三は双方が争奪しあう遊撃区である。この段階の長短は敵とわが方の力の増減変化の度合いと、国際情勢の変動いかんによってきまるが、だいたいにおいて、われわれはこれに比較的長い時間をかける心がまえがなければならず、この段階の苦難の道をたえぬくことが必要である。これは中国にとってきわめて苦しい時期となり、経済面の困難と民族裏切り者の攪乱《かくらん》とが二つの大きな問題となるであろう。敵は中国の統一戦線の破壊に狂奔するであろうし、敵占領地のすべての民族裏切り者の組織は合流していわゆる「統一政府」を組織するであろう。われわれの内部でも、大都市の喪失と戦争の困難とのために、動揺分子が大いに妥協論をとなえ、悲観的気分が大いにつのるであろう。このときのわれわれの任務は、全国の民衆を動員し、心を一つにして、けっして動揺することなく戦争を堅持し、統一戦線を拡大強化し、すべての悲観主義や妥協論を排除し、苦難にめげぬ闘争を提唱し、新しい戦時政策を実行して、この段階の苦難の道をたえぬくことである。この段階では、統一的な政府をあくまで維持し、分裂に反対するよう全国によびかけ、作戦技術を計画的にたかめ、軍隊を改造し、全人民を動員し、反攻を準備しなければならない。この段階では、国際情勢は、日本にとってさらに不利になり、チェンバレン流のいわゆる「既成事実」に迎合する「現実主義」的論調があらわれる可能性はあるが、主要な国際勢力は中国をいっそう援助するようになるであろう。東南アジアとシベリアにたいする日本の脅威は、これまでよりいっそうきびしくなり、新しい戦争さえ勃発するであろう。敵側では、中国の泥沼におちこんだ数十コ師団をひきぬくことができない。広範な遊撃戦争と人民の抗日運動はこの大量の日本軍を疲れはてさせ、一方ではこれを大量に消耗させ、他方ではかれらの郷愁、厭戦の気分をいっそうつのらせ、反戦の気分にまで発展させて、この軍隊を精神的に瓦解させるであろう。中国における日本の略奪はぜったいに成果があがらないとはいえないが、日本は資本に欠乏しているうえに、遊撃戦争になやまされるので、にわかに大量の成果をあげることは不可能である。この第二段階は戦争全過程での過渡的段階であり、またもっとも困難な時期となるであろうが、しかし、それは転換のかなめである。中国が独立国になるか、それとも植民地になりさがるかは、第一段階で大都市を喪失するかどうかによってきまるのではなく、第二段階での全民族の努力の程度によってきまる。もし抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持することができれば、中国はこの段階で弱者から強者に転ずる力を獲得するであろう。中国抗戦の三幕劇では、これが第二幕である。全出演者が努力すれば、もっとも精彩ある終幕をみごとに演出できるであろう。
 (三八)第三段階は、失地回復の反攻段階である。失地回復で主として依拠するのは、前段階で準備され、この段階でひきつづき成長する中国自身の力である。しかし、自己の力だけではなお不十分であり、さらに国際勢力の援助と敵国の内部的変化によるたすけに依拠しなければならず、それがなければ勝利は不可能である。したがって、中国の国際宣伝と外交活動の任務が重くなる。この段階では、戦争はもはや戦略的防御ではなくて、戦略的反攻に変わり、現象的には、戦略的進攻としてあらわれるであろう。それはもはや戦略的内線ではなくて、しだいに戦略的外線に変わっていく。鴨緑江《ヤールーチァン》の岸辺まで進撃していって、はじめてこの戦争が終わることになる。第三段階は持久戦の最後の段階であり、抗戦を最後まで堅持するというのは、この段階の全過程を歩み終えることである。この段階でわが方のとる主要な戦争形態はやはり運動戦であるが、陣地戦が重要な地位にひきあげられるであろう。第一段階の陣地防御が、その時の条件からして、重要なものとみなしえないとすれば、第三段階での陣地攻撃は、条件の変化と任務の必要から、かなり重要なものになるであろう。この段階での遊撃戦は、それが第二段階で主要な形態になるのとはちがって、やはり運動戦と陣地戦を補助し、戦略的呼応の役割をはたすことになろう。
 (三九)このようにみてくると、戦争が長期性とそれにともなう残酷性をおびることは、明らかである。敵は中国を全部併呑することはできないが、相当長期にわたって中国の多くの地方を占領することができる。中国も急速に日本を駆逐することはできないが、大部分の土地は依然として中国のものであろう。最後には敵が敗北し、わが方が勝利するが、それには苦難の道をたどらなければならない。
 (四〇)中国の人民は、こうした長期の残酷な戦争のなかで、大いに鍛えられるであろう。戦争に参加する各政党も鍛えられ、ためされるであろう。統一戦線は堅持しなければならない。戦争を堅持するには、統一戦線を堅持する以外にはなく、最後の勝利をかちとるには、統一戦線を堅持し、戦争を堅持する以外にはない。ほんとうにそうするなら、あらゆる困難を克服することができる。戦争の苦難の道を歩み通したのちには、たんたんとした勝利の道がひらける。これが戦争の必然の論理である。
 (四一)三つの段階における敵とわが方の力の変化は、つぎのような道をたどるであろう。第一段階では、敵が優勢で、わが方は劣勢である。わが方のこうした劣勢については、抗戦以前からこの段階の終わりにいたるまでのあいだに、二つの異なった変化がおこることを見通しておかなければならない。第一は下向きの変化である。中国のもとからの劣勢は、第一段階での消耗をへていっそうひどくなるであろう。それは、土地、人口、経済力、軍事力、文化機関などの減少である。第一段階の終わりになると、それらは、とりわけ経済の面では、かなり大きく減少するかもしれない。この点は、亡国論と妥協論の根拠として利用されるであろう。しかし、第二の変化、すなわち上向きの変化もみなければならない。それは、戦争での経験、軍隊の進歩、政治の進歩、人民の動員、文化の新方向への発展、遊撃戦争の出現、国際的援助の増大などである。第一段階では、下向きに変化するものはふるい量と質であり、主として量の面にあらわれる。上向きに変化するものは新しい量と質であり、主として質の面にあらわれる。この第二の変化は、われわれに、持久ができ、最後の勝利がえられる根拠をあたえてくれるのである。
 (四二)第一段階では、敵側にも二つの変化がおこる。第一は下向きの変化で、数十万人の死傷、武器弾薬の消耗、士気の阻喪、国内の民衆の不満、貿易の減少、百億円以上の支出、国際世論の非難などの面にあらわれる。この面でも、われわれに、持久ができ、最後の勝利がえられる根拠をあたえてくれる。しかし、敵の第二の変化、すなわち上向きの変化も見通しておかなければならない。それは領土、人口、資源の拡大である。この点からは、またわれわれの抗戦が持久戦で、遠勝できないという根拠かうまれてくるし、同時に、それはまた亡国論や妥協論の根拠として一部の人に利用されるであろう。だが、われわれは、敵のこの上向きの変化が一時的、局部的なものであることを見通さなければならない。敵は崩壊しようとしている帝国主義者であり、かれらが中国の土地を占領するのは一時的である。中国の遊撃戦争の猛烈な発展によって、かれらの占領区は、実際上、せまい地帯に局限されるであろう。そのうえ、敵が中国の土地を占領したことによって、さらに日本と他の外国との矛盾がうまれ、深まっている。さらに、東北三省の経験によると、日本にとっては、相当長い期間が、一般的には資本を投下するだけで、収益をあげる時期にはならない。これらのすべては、またわれわれが亡国論と妥協論を撃破し、持久論と最後勝利論を確立する根拠である。
 (四三)第二段階では、上述の双方の変化はひきつづき発展するであろう。その具体的状況は予測できないが、だいたいにおいて日本はひきつづき下向きに変化し、中国はひきつづき上向きに変化するであろう〔11〕。たとえば、日本の軍事力、財力は中国の遊撃戦争で大量に消耗され、国内の民衆の不満はいっそうつのり、士気はますますおとろえ、国際的にはますます孤立感を深める。中国は、政治、軍事、文化および人民の動員の面でますます進歩し、遊撃戦争がますます発展し、経済の面でも、奥地の小規模工業と広大な農業に依拠してある程度の新しい発展をとげ、国際的援助もしだいに増大し、現在の状況にくらべて大いにその面目を改めるであろう。この第二段階は、相当長い期間を要するかもしれない。この期間には、敵とわが方の力の対比に大きなあい反する変化がおこり、中国はしだいに上昇していくが、日本はしだいに下降していくであろう。そのときには、中国は劣勢から脱し、日本は優勢をうしない、まず均衡の状態にたっして、さらに優劣の関係が逆になるであろう。それからは、中国はだいたいにおいて戦略的反攻の準備を終えて、反攻をすすめ、敵を国土から駆逐する段階にうつる。くりかえして指摘すべきことは、劣勢を優勢に変え、反攻の準備を終えるということのなかには、中国自身の力の増大、日本の困難の増大、および国際的援助の増大がふくまれており、これらの力を総合すれば中国の優勢が形成され、反攻の準備が完成されるということである。
 (四四)中国の政治と経済の不均等状態によって、第三段階の戦略的反攻は、その前期には全国がそろった画一的な様相を呈するのではなく、地域性をおびた、地域的起伏のある様相を呈するであろう。さまざまの分裂手段をとって中国の統一戦線を破壊しようとする敵のたくらみは、この段階では弱まることはない。したがって、中国の内部の団結をかためる任務はますます重要となり、内部の不和のため、戦略的反攻が腰くだけにならないようにつとめるべきである。この時期には、国際情勢は中国にとって、ひじょうに有利になるであろう。中国の任務は、このような国際情勢を利用して、自己の徹底的解放をかちとり、独立した民主主義国家を樹立することであるが、それは同時に世界の反ファシズム運動を援助することでもある。
 (四五)中国は劣勢から均衡に、それからさらに優勢にたっし、日本は優勢から均衡に、それからさらに劣勢にうつる、中国は防御から対峙に、それからさらに反攻にたっし、日本は進攻から保持に、それからさらに退却にうつる――これが中日戦争の過程であり、中日戦争の必然のなりゆきである。
 (四六)そこで、問題と結論はつぎのようになる。中国は滅びるだろうか。答、滅びない、最後の勝利は中国のものである。中国は速勝できるだろうか。答、速勝することはできない、持久戦でなければならない。この結論は正しいか。わたしは正しいとおもう。
 (四七)ここまでのべてくると、亡国論者と妥協論者がまたとびだしてきていうだろう。中国が劣勢から均衡にたっするには、日本と同等の軍事力と経済力をもつ必要があり、均衡から優勢にたっするには、日本をうわまわる軍事力と経済力をもつ必要がある。だが、それは不可能なことだ。したがって、上述の結論は正しくない、と。
 (四八)これはいわゆる「唯武器論」〔12〕であり、戦争問題における機械論であり、問題を主観的、一面的にみる見解である。われわれの見解はこれとは反対で、武器をみるだけでなく、人間の力もみるのである。武器は戦争の重要な要素ではあるが、決定的な要素ではなく、決定的な要素は物ではなくて人間である。力の対比は軍事力および経済力の対比であるばかりでなく、人力および人心の対比でもある。軍事力と経済力は人間がにぎるものである。中国人の大多数、日本人の大多数、世界各国の人びとの大多数が抗日戦争の側に立つとすれば、日本の少数のものが力ずくでにぎっている軍事力と経済力は、それでもなお優勢だといえるだろうか。それが優勢でないとすれば、比較的劣勢な軍事力と経済力をにぎっている中国が優勢になるではないか。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しさえすれば、軍事力と経済力がしだいに強化されることは疑いないところである。他方、われわれの敵は、長期の戦争と内外の矛盾によって弱まっていき、その軍事力や経済力もまた必然的に逆の変化をする。このような状況のもとでも、中国は優勢に転じえないのだろうか。それだけではない。われわれは他国の軍事力と経済力を大量に公然と自分の側の力とみなすことはいまはできないが、将来もできないのだろうか。もし、日本の敵が中国一国にとどまらないなら、また、将来さらに一国あるいは数ヵ国が、相当大量の軍事力と経済力をもって日本にたいし公然と防御または攻撃をおこない、公然とわれわれを援助するなら、われわれの側がいっそう優勢になるではないか。日本は小国で、その戦争は退歩的で野蛮なものであり、その国際的地位はますます孤立したものとなる。中国は大国で、その戦争は進歩的で正義のものであり、その国際的地位はますます援助の多いものとなる。これらのすべてが長期にわたって発展しても、敵とわが方の優劣の形勢が確実に変化するとはいえないだろうか。
 (四九)速勝論者は、戦争が力の競争であることをわきまえず、戦争する双方の力の対比に一定の変化がおこらないうちに戦略的決戦をおこなおうとし、解放への道を短縮しようとするが、これも根拠のないことである。かれらの見解が実行されれば、かならず壁につきあたらざるをえない。かれらは、あるいはほんとうにやるつもりはなく、空論をして悦に入っているだけである。だが、最後には、事実という先生がとびだしてきて、これらの空論家に冷水をあびせかけ、かれらが安易に事をはこび、あまり骨を折らずに多くの収穫をあげようとする空論主義者にすぎないことを立証するであろう。このような空論主義は、これまでもあったし、いまもあるが、まだそんなに多くはない。戦争が対峙の段階と反攻の段階に発展していけば、空論主義は多くなるであろう。だが同時に、もし第一段階での中国の損失がかなり大きく、第二段階がかなり長びけば、亡国論と妥協論がいっそうさかんになるであろう。したがって、われわれの火力は、主として亡国論と妥協論にむけ、空論主義的速勝論には副次的な火力をもって反対すべきである。
 (五〇)戦争の長期性は確定的であるが、戦争がはたしてどれだけの年月を要するかは、だれも予測できない。これは、まったく敵とわが方の力の変化の度合いによってきまるのである。戦争の期間をちぢめようと考えているすべての人びとは、自己の力の増大、敵の力の減少に努力する以外に方法はない。具体的にいえば、勝ちいくさを多くして、敵の軍隊を消耗させること、遊撃戦争を発展させて、敵の占領地を最小の範囲にくいとめること、統一戦線を拡大強化して全国の力を結集すること、新しい軍隊を建設し新しい軍事工業を発展させること、政治、経済、文化の進歩をうながすこと、労働者、農民、商工業者、知識層各界の人民を動員すること、敵軍を瓦解させ敵軍兵士を獲得すること、国際宣伝によって国際的援助を獲得すること、日本の人民およびその他の被抑圧民族の援助を獲得すること、こうしたことに努力する以外にない。これらすべての点をやりぬいてこそ、戦争の期間をちぢめることができるのであって、これ以外に、なにもうまくやれるこつなどありはしない。

 犬歯錯綜した戦争

 (五一)持久戦としての抗日戦争は、人類の戦争史に光栄ある特殊な一ページをかざるであろうと断言できる。犬歯錯綜《さくそう》した戦争の形態がそのかなり特殊な点で、これは日本の野蛮さと兵力不足、中国の進歩と土地の広大さという矛盾した要素からうまれたものである。犬歯錯綜した戦争は歴史上にもあったことで、ロシア十月革命後の三年間の内戦にはこうした状況があった。だが、中国での特徴はその特殊な長期性と広大性とにあり、これは歴史の記録をやぶろものとなろう。このような犬歯錯綜した形態は、つぎのいくつかの状況にあらわれている。
 (五二)内線と外線――抗日戦争は、全体としては内線作戦の地位におかれている。しかし、主力軍と遊撃隊との関係では、主力軍が内線、遊撃隊が外線にあって、敵を挾撃《きょうげき》するという奇観を呈している。各遊撃区の関係もまたそうである。それぞれの遊撃区はみな自己を内線、その他の各区を外線として、これもまた、敵を挾撃する多くの火線を形成している。戦争の第一段階では、戦略上の内線作戦をおこなう正規軍は後退するが、戦略上の外線作戦をおこなう遊撃隊は、広く敵の後方にむかって大きく前進し、第ニ段階ではいっそう猛烈に前進して、後退と前進との特異な形態を形成するであろう。
 (五三)後方の有無――国の大後方を利用して、作戦線を敵占領地の最後の限界までのばすのは主力軍である。大後方をはなれて、作戦線を敵の後方までのばすのは遊撃隊である。だが、各遊撃区にもまたそれぞれ小規模な後方があり、それによって固定しない作戦線がつくられる。これと異なるのは、各遊撃区からその区の敵の後方におくりこまれて臨時に活動する遊撃隊であり、かれらには後方がないばかりか、作戦線もない。「無後方作戦」は、領土が広く、人民が進歩的で、先進的な政党と先進的な軍隊をもっている状況のもとでの新しい時代の革命戦争の特徴である。それは、おそれるべきものではなくて、大いに利点があり、疑うべきではなくて、提唱すべきである。
 (五四)包囲と反包囲――戦争全体からみれば、敵が戦略的進攻と外線作戦をとり、わが方が戦略的防御と内線作戦の地位におかれていることによって、疑いもなく、わが方は敵の戦略的包囲のなかにある。これはわが方にたいする敵の第一種の包囲である。わが方が量的に優勢な兵力をもって、戦略上の外線から数路に分かれて前進してくる敵にたいし、戦役上戦闘上の外線作戦の方針をとることによって、各路に分かれて進んでくる一路または数路の敵をわが方の包囲のなかにおくことができる。これが敵にたいするわが方の第一種の反包囲である。さらに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地についてみれば、孤立した一つ一つの根拠地は、四方または三方を敵に包囲されており、前者の例としては五台山《ウータイシャン》地区、後者の例としては山西省西北地区がある。これがわが方にたいする敵の第二種の包囲である。だが、もし各遊撃根拠地をつないでみれば、そしてまたそれぞれの遊撃根拠地と正規軍の陣地とをつないでみれば、わが方も多くの敵を包囲している。たとえば山西省では、大同《タートン》=風陵渡《フォンリントウ》鉄道を三方(鉄道の東西両側および南端)から包囲し、太原《タイユヮン》市を四方から包囲している。河北省、山東省などにもこのような包囲がたくさんみられる。これはまた、敵にたいするわが方の第二種の反包囲である。このようにして、敵とわが方はそれぞれ相手方にたいして二種類の包囲をおこなっているが、それはだいたい碁をうつようなもので、敵のわが方にたいする、またわが方の敵にたいする戦役上戦闘上の作戦は、石のとりあいに似ており、敵の拠点(たとえば太原市)とわが方の遊撃根拠地(たとえば五台山)は、ちょうど「目」のようなものである。もし、世界的な囲碁をも計算にいれるなら、さらに敵とわが方の第三種の包囲があり、侵略戦線と平和戦線との関係がそれである。敵は前者によって中国、ソ連、フランス、チェコスロバキアなどを包囲しており、わが方は後者によってドイツ、日本、イタリアを反包囲している。だが、わが方の包囲は如来のたなごころのように、宇宙にまたがる五行山となって、なん人かの今様の孫悟空――ファシスト侵略主義者を最後にはその山の下敷きにし、永劫《えいごう》に身動きもできないようにしてしまうであろう〔13〕。もしわが方が外交的に太平洋反日戦線を結成し、中国を一つの戦略単位とし、またソ連やその他の参加可能な国ぐにをそれぞれ一つの戦略単位とし、さらに日本人民の運動をも一つの戦略単位として、ファシスト孫悟空が逃げ場のないように天地にまたがる大綱を張りめぐらすことができるなら、それは敵の死滅するときである。実際には、日本帝国主義が完全に打倒される日は、かならずこの天地にまたがる大綱がだいたいにおいて張りめぐらされたときである。これはけっして冗談ではなく、戦争の必然的ななりゆきである。
 (五五)広い地域とせまい地域――敵の占領地区が中国中心部の大半をしめ、中国中心部のなかで無傷の地域は半分たらずになる可能性がある。これが一つの状況である。しかし、敵の占領する大半のところでは、東北三省などをのぞいて、じっさいに占領しうるのは大都市、主要な交通線、および一部の平地だけであり、それらは重要性からいえば第一級のものではあるが、面積や人口からみれば敵占領区の半分以下にすぎず、普遍的に発展している遊撃区のほうがかえって大半をしめる可能性がある。これもまた一つの状況である。もし中国中心部の範囲をこえて、蒙古《モンクー》、新疆《シンチァン》、青海《チンハイ》、チベットをも計算にいれれば、面積のうえでは、中国はまだ占領されていない地区がなお大半をしめ、敵の占領地区は東北三省をふくめても半分以下でしかない。これもまた一つの状況である。無傷の地域はもちろん重要であり、その経営に大きな力をそそぐべきで、それはたんに政治、軍事、経済の面にかぎらず、文化の面でもたいせつである。敵はわれわれの過去の文化の中心地を文化的におくれた地域に変えてしまったが、われわれは、これまでの文化的におくれていた地域を文化の中心地に変えなければならない。同時に、敵の後方にある広大な遊撃区の経営もまた非常にたいせつで、それらの地区の各方面も発展させるべきであり、またその文化活動も発展させるべきである。全体としてみれば、中国は、広い地域をしめろ農村が進歩した光明ある地区に変わり、せまい地域をしめる敵占領区、とくに大都市が、一時的におくれた暗黒の地区に変わるであろう。
 (五六)このようにみてくると、長期でしかも大規模な抗日戦争は、軍事、政治、経済、文化の各方面での犬歯錯綜した戦争であって、これは戦争史上の奇観であり、中華民族の壮挙であり、天地をゆるがす偉業である。この戦争は、中日両国に影響し、両国の進歩を大いにうながすばかりでなく、世界にも影響をおよぼして、各国の進歩、まず第一にインドなどの被抑圧民族の進歩をうながすであろう。全中国人はみなこの犬歯錯綜した戦争に自覚をもって身を投ずべきである。これこそ中華民族がみずから自己を解放するための戦争形態であり、半植民地の大国が二○世紀の三十年代と四十年代におこなっている解放戦争の特殊な形態である。

  永遠の平和のために戦おう

 (五七)中国の抗日戦争の持久性は、中国と世界の永遠の平和をかちとることときりはなせないものである。今日ほど戦争が永遠の平和に近づいたことは歴史上いまだかつてなかった。階級が出現して以来、数千年にわたる人類の生活は戦争にみちており、あるいは民族集団内部で戦い、あるいは民族集団相互間で戦い、どの民族もどれほど多くの戦争をしてきたかわからない。戦いは、資本主義社会の帝国主義時代になると、とくに大規模で残酷なものになった。三十年まえの第一次帝国主義大戦は、それまでの歴史では空前のものであったが、まだ絶後の戦争ではなかった。いまはじまっている戦争こそが、最後の戦争に近づいており、つまり人類の永遠の平和に近づいているのである。いま世界では、三分の一の人口が戦争にまきこまれている。見たまえ、イタリアのつぎが日本で、エチオピアのつぎがスペイン、それから中国だ。戦争に参加しているこれらの国ぐにをあわせれば、ほとんど六億の人口にたっし、世界総人口のほぼ三分の一をしめている。いまの戦争の特徴は、たえまがないという性質と、永遠の平和に近づくという性質をもっていることである。たえまがないというのはなぜか。イタリアがエチオピアと戦ったのにつづいて、イタリアがスペインと戦い、ドイツも一枚くわわり、つづいてまた日本が中国と戦っている。これにつづくのはだれか。つづいてヒトラーが諸大国と戦うことは疑いない。「ファシズムとは戦争である」〔14〕。まったくそのとおりだ。いまの戦争が世界大戦に発展するまでは、たえまがないであろうし、人類が戦争の災いをうけることはまぬかれえない。では、こんどの戦争が永遠の平和に近づいているというのはなぜか。こんどの戦争は、第一次世界大戦のときにすでにはじまった世界資本主義の全般的危機の深まりを基礎としておこったものであり、この全般的危機によって、資本主義諸国はあらたな戦争にかりたてられており、まず第一に、ファシスト諸国があらたな戦争の冒険にかりたてるれている。われわれは、こんどの戦争の結果、資本主義が救われるのではなく、崩壊にむかうことを予見できる。こんどの戦争は、二十年まえの戦争よりいっそう大規模で、残酷であり、すべての民族がこれに不可避的にまきこまれ、戦争は非常に長びき、人類は大きな苦痛をなめさせられるであろう。だが、ソ連の存在と世界人民の自覚のたかまりによって、こんどの戦争には疑いもなくすべての反革命戦争に反対する偉大な革命戦争があらわれて、こんどの戦争に永遠の平和のために戦う性質をもたせることとなろう。たとえその後になお戦争の一時期があるとしても、もはや世界の永遠の平和から遠くはない。人類がひとたび資本主義を消滅すれば、永遠の平和の時代に到達し、そのときにはもはや戦争は必要でなくなる。そのときには軍隊の必要もなければ、軍艦の必要もなく、軍用機の必要もなければ、毒ガスの必要もなくなる。それからのちは、人類は何億万年も戦争にみまわれることがなくなる。すでにはじまっている革命戦争は、この永遠の平和のためにたたかう戦争の一部分である。五億以上の人口をしめる中日両国間の戦争は、この戦争のなかで重要な地位をしめ、中華民族の解放はこの戦争をつうじてかちとられるであろう。将来の解放された新しい中国は、将来の解放された新しい世界ときりはなすことはできない。したがって、われわれの抗日戦争には、永遠の平和をかちとるために戦う性質がふくまれている。
 (五八)歴史上の戦争は二つの種類にわけられる。一つは正義の戦争であり、もう一つは不正義の戦争である。進歩的な戦争はすべて正義の戦争であり、進歩をはばむ戦争はすべて不正義の戦争である。われわれ共産党員は、進歩をはばむ不正義の戦争にはすべて反対するが、進歩的な正義の戦争には反対しない。後者にたいしては、われわれ共産党員は反対するどころか、積極的に参加する。前者、たとえば第一次世界大戦では、双方とも帝国主義の利益のために戦ったので、全世界の共産党員は断固としてその戦争に反対した。反対する方法は、戦争が勃発するまでは、極力その勃発を阻止することであるが、勃発したのちには、可能であるかぎり、戦争によって戦争に反対し、正義の戦争によって不正義の戦争に反対することである。日本の戦争は進歩をはばむ不正義の戦争であって、日本人民をもふくめた全世界の人民は、これに反対すべきであり、またげんに反対している。わが中国では、人民から政府にいたるまで、共産党から国民党にいたるまで、みな正義の旗をかかげて、侵略に反対する民族革命戦争をおこなってきた。われわれの戦争は神聖で、正義のものであり、進歩的で、平和を求めるものである。一国の平和を求めるばかりでなく、世界の平和をも求め、一時的な平和を求めるばかりでなく、永遠の平和をも求めるのである。この目的をたっするには、決死の戦いをすすめるべきで、どんな犠牲をはらっても、最後まで戦いぬく用意がなければならず、目的をたっするまでけっしてやめてはならない。犠牲は大きく、時間は長びくだろうが、永遠の平和と永遠の光明の新しい世界はすでにあざやかにわれわれの前によこたわっている。戦いにたずさわるわれわれの信念は、永遠の平和と永遠の光明の新しい中国と新しい世界をかちとるということのうえにきずかれている。ファシズムと帝国主義は戦争を無期限にひきのばそうとするが、われわれは戦争をそう遠くない将来に終わらせようとする。この目的のために、人類の大多数はきわめて大きな努力をはらうべきである。四億五千万の中国人は全人類の四分の一をしめており、もしわれわれがともに努力して、日本帝国主義を打倒し、自由平等の新しい中国を創造することができたなら、全世界の永遠の平和をかちとるうえでの貢献が、非常に偉大なものとなることは疑いない。このような希望はむなしいものではない。全世界の社会経済の発展過程はすでにそれに近づいており、これに多数の人びとの努力がくわわりさえすれば、何十年かのうちにはきっと目的はたっせられるのである。

戦争における能動性

 (五九)以上にのべたのは、なぜ持久戦なのか、なぜ最後の勝利は中国のものなのかを説明したもので、だいたいにおいて「何々である」、「何々ではない」ということについてのべたのである。つぎに、「どのようにする」、「どのようにはしない」という問題の研究にうつることにしよう。どのようにして持久戦をすすめ、どのようにして最後の勝利をかちとるか。これがこれから答えようとする問題である。このために、われわれは順序をおって、つぎの問題を説明していこう。すなわち戦争における能動性、戦争と政治、抗戦のための政治的動員、戦争の目的、防御のなかでの進攻、持久のなかでの速決、内線のなかでの外線、主動性、弾力性、計画性、運動戦、遊撃戦、陣地戦、殲滅《せんめつ》戦、消耗戦、敵のすきに乗ずる可能性、抗日戦争の決戦の問題、兵士と人民は勝利のもとという問題である。では、能動性の問題からのべていこう。
 (六〇)われわれが問題を主観的にみることに反対するというのは、人間の思想が客観的事実にもとづかず、それに合致しなければ、それは空想で、えせの理論であり、もしそれにもとづいておこなえば失敗する、だから反対しなければならない、ということである。だが、物事はすべて人間がおこなうもので、持久戦と最後の勝利も、人間がおこなわなければ実現しない。うまくおこなうには、まずだれかが客観的事実にもとづいて、思想、道理、見解をひきだし、ついで計画、方針、政策、戦略、戦術を提起しなければならない。思想その他は主観にぞくするものであり、おこなうこと、あるいは行動することは主観が客観にあらわれたものであって、どちらも人類の特殊な能動性である。このような能動性はわれわれが「自覚的能動性」と名づけるもので、それは人間が物と区別される特徴である。客観的事実にもとづく、またそれに合致する思想はすべて正しい思想であり、正しい思想にもとづいておこなうこと、あるいは行動することはすべて正しい行動である。われわれはこのような思想と行動を発揚し、このような自覚的能動性を発揚しなければならない。抗日戦争は帝国主義をおいだし、ふるい中国を新しい中国に変えるものであり、この目的をたっするには、全中国の人民を動員して、ひとりのこらず抗日の自覚的能動性を発揚させなければならない。じっとすわっていれば、滅亡あるのみで、持久戦もなければ、最後の勝利もない。
 (六一)自覚的能動性は人類の特徴である。人類は戦争のなかでこのような特徴を強くあらわす。戦争の勝敗は、もちろん双方の軍事、政治、経済、地理、戦争の性質、国際的援助などの条件によってきまるのであるが、しかし、たんにこれらの条件だけできまるのではない。これらの条件だけでは、まだ勝敗の可能性があるというにすぎず、それ自身としては勝敗はきまってはいない。勝敗がきまるには、さらに主観的努力がくわわらなければならない。これが戦争の指導と戦争の実行であり、戦争における自覚的能動性である。
 (六二)戦争を指導する人びとは、客観的条件のゆるす限度をこえて戦争の勝利を求めることはできないが、しかし、客観的条件の限度内で、戦争の勝利を能動的にかちとることはできるし、またそうしなければならない。戦争の指揮員の活躍する舞台は、客観的条件のゆるす範囲内できすかれなければならないが、しかし、かれらはその舞台一つで精彩にとむ、勇壮な多くの劇を演出することができる。あたえられた客観的物質を基礎にして、抗日戦争の指揮員はその威力を発揮し、全軍をひっさげて、民族の敵をうちたおし、侵略と抑圧をうけているわが社会と国家の状態を改めて、自由平等の新中国をつくりだすべきであるが、ここでは、われわれの主観的指導能力がつかえるし、またつかわなければならない。抗日戦争のいかなる指揮員であろうと、客観的条件からはなれて、盲滅法にぶつかっていく向こうみず屋になることには賛成しないが、しかし、われわれは抗日戦争の指揮員の一人ひとりが勇敢で聡明な将軍になるよう提唱しなければならない。かれらは敵を圧倒する勇気をもたなければならないばかりでなく、また戦争全体の変化発展を駆使できる能力をももたなければならない。指揮員は、戦争という大海を泳いでいるのであって、沈まないようにし、確実に、段どりをおって、対岸に到達するようにしなければならない。戦争指導の法則としての戦略戦術は、戦争という大海での水泳術である。

 戦争と政治

 (六三)「戦争は政治の継続である」、この点からいえば、戦争とは政治であり、戦争そのものが政治的性質をもった行動であって、昔から政治性をおびない戦争はなかった。抗日戦争は全民族の革命戦争であり、その勝利は、日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立するという戦争の政治目的からきりはなせないし、抗戦の堅持と統一戦線の堅持という全般的方針からも、全国人民の動員ということからも、将兵の一致、軍民の一致、敵軍の瓦解などの政治原則からも、統一戦線政策のりっぱな遂行ということからも、文化面での動員ということからも、国際勢力と敵国人民の援助をかちとる努力からもきりはなすことはできない。一言でいえば、戦争は片時も政治からきりはなせないものである。抗日軍人のなかに、もし、戦争を孤立させて、戦争絶対主義者になるような政治軽視の傾向があるなら、それはあやまりであり、是正すべきである。
 (六四)だが、戦争にはその特殊性がある、この点からいえば、戦争がそのまま政治一般ではない。「戦争は別の手段による政治の継続である」〔15〕。政治が一定段階にまで発展し、もうこれまでどおりには前進できなくなると、政治の途上によこたわる障害を一掃するために戦争が勃発する。たとえば、中国の半独立の地位が、日本帝国主義の政治的発展の障害となり、日本はそれを一掃しようとして、侵略戦争をおこした。中国はどうか。帝国主義の抑圧がはやくから中国のブルジョア民主主義革命の障害となっていたので、この障害を一掃するために、いくどとなく解放戦争がおこった。いま日本が戦争による抑圧で中国革命の進路を完全に断とうとしているので、われわれはこの障害を一掃しようと決意して抗日戦争をおこなわざるをえなくなっている。障害が一掃され、政治目的が達成されると、戦争は終わる。障害がすっかり一掃されないうちは、目的をつらぬくために、戦争は依然として継続されるべきである。たとえば抗日の任務がまだ終わらないのに、妥協を求めようとしても、けっして成功しはしない。なぜなら、たとえなんらかの理由で妥協したとしても、広範な人民はけっして承服せず、かならず戦争を継続して戦争の政治目的をつらぬこうとするから、戦争はまたおこるのである。したがって、政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治であるといえる。
 (六五)戦争の特殊性から、戦争には一連の特殊な組織、特殊な方法、特殊な過程というものがある。その組織とは、軍隊およびそれに付随するいっさいのものである。その方法とは、戦争を指導する戦略戦術である。その過程とは、敵対する軍隊がたがいに自己に有利で敵に不利な戦略戦術を用いて、攻撃もしくは防御をおこなう特殊な社会活動の形態である。したがって、戦争の経験は特殊なものである。戦争に参加するすべての人びとは、ふだんの習慣から脱して戦争になれなければ、戦争の勝利をかちとることはできない。

 抗日のための政治的動員

 (六六)このように偉大な民族革命戦争は、ゆきわたった、浸透した政治的動員なしには、勝利することができない。抗日以前に、抗日のための政治的動員がみられなかったことは、中国の大きな欠陥であり、すでに敵に一手をとられたのである。抗日以後も、政治的動員はまったくゆきわたっておらず、まして浸透したなどとはいえない。人民の大多数は、敵の砲火や飛行機の爆弾から戦争の消息を聞いたのである。これも一種の動員ではあるが、敵がかわりにやってくれたもので、われわれ自身がやったものではない。辺鄙《へんぴ》な地方にいて砲声を耳にしない人びとは、いまでもなお、静かに生活している。このような状態は改めなければならない。そうしなければ、生死をかけた戦争に勝利することはできない。けっして二度と敵に一手をとられてはならず、反対に、この政治的動員の一手を大いに発揮して敵に勝ちを制する必要がある。この一手は関係するところがきわめて大きい。武器その他が敵におとっているのは二のつぎで、この一手がなによりもいちばん重要である。全国の民衆を動員すれば、敵をすっぽり沈めてしまう洋々たる大海原がつくられ、武器その他の欠陥をおぎなう補強条件がつくられ、戦争のあらゆる困難をのりきる前提がつくられる。勝利するには、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持しなければならない。しかし、これらのすべては、民衆を動員することからきりはなすことはできない。勝利をのぞみながらも政治的動員を無視するのは「南へいくのに、車を北に走らせる」というものであって、その結果は、かならず勝利をすてることになる。
 (六七)政治的動員とはなにか。それは、第一に、戦争の政治目的を軍隊と人民におしえることである。兵士と人民の一人ひとりに、なぜ戦わなければならないか、戦争はかれらとどんな関係があるかをぜひわからせることである。抗日戦争の政治目的は「日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立する」ことである。この目的をすべての軍人や人民におしえなければ、数億の人民が心を一つにして、戦争にすべてをささげるよう、抗日の波を大きくもりあげることはできない。第二に、たんに目的を説明するだけではまだ不十分で、さらにこの目的を達成するための段どりや政策についての説明、すなわち政治綱領が必要である。いまでは、すでに『抗日救国十大綱領』があり、さらに『抗戦建国綱領』があるが、それらを軍隊と人民に普及し、さらにそれを実行にうつすよう、すべての軍隊と人民を動員すべきである。明確で具体的な政治綱領がなければ、抗日をやりぬくよう全軍隊、全人民を動員することはできない。第三に、どのようにして動員するのか。口頭、ビラや布告、新聞や書籍、演劇や映画、学校、民衆団体、幹部をつうじて動員するのである。いま国民党支配地区で、いくらかおこなわれているが、大海の一滴のようなもので、方法も民衆のはだにあわず、態度も民衆からかけはなれており、これは確実に改めなければならない。第四に、抗日戦争のための政治的動員は恒常的なものであって一回で十分というものではない。これは政治綱領を暗唱して民衆に聞かせることではないし、そんな暗唱はだれも聞くものではない。戦争の発展の状況に結びつけ、兵士と民衆の生活に結びつけて、戦争のための政治的動員を恒常的な運動にしなければならない。これはきわめてたいせつなことで、戦争の勝利はなによりもまずこのことにかかっている。

  戦争の目的

 (六八)ここでは、戦争の政治目的のことをいうのではない。抗日戦争の政治目的が「日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立する」ことである点は、すでにまえにのべた。ここでいうのは、人類の血を流す政治としての戦争、つまり、両軍がたがいに殺しあう戦争の根本的目的は何かということである。戦争の目的はほかでもなく、「自己を保存し、敵を消滅する」(敵を消滅するとは、敵のすべてを肉体的に消滅することではなくて、敵の武装を解除すること、つまり「敵の抵抗力をうばう」ことをいう)ことである。古代の戦争では矛と盾がつかわれた。矛は攻撃するもので、敵を消滅するためのものであり、盾は防御するもので、自己を保存するためのものであった。今日の兵器も、やはりこの両者の延長である。爆撃機、機関銃、長距離砲、毒ガスは矛の発展であり、防空施設、鉄かぶと、コンクリート構築陣地、防毒マスクは盾の発展である。戦車は矛と盾とを一つに結合した新しい兵器である。攻撃は敵を消滅する主要な手段であるが、防御もなくてはならない。攻撃は直接には敵を消滅するためのものであるが、敵を消滅しないと、自己が消滅されてしまうから、同時に自己を保存するためのものでもある。防御は直接には自己を保存するためのものであるが、同時に攻撃を補助するか、または攻撃に転ずる準備をする手段でもある。退却は防御の一種であり、防御の継続である。そして、追撃は攻撃の継続である。戦争の目的のうちでは、敵を消滅することが主要なもので、自己を保存することは第二義的なものだということをここで指摘しなければならない。効果的に自己を保存するには、敵を大量に消滅するほかはないからである。したがって、敵を消滅する主要な手段としての攻撃が主要なもので、敵を消滅する補助的手段、また自己を保存する一つの手段としての防御は第二義的なものである。戦争の実際においては、防御が主となることも多く、その他のばあいには攻撃が主となるが、しかし、戦争全体をつうじてみれば、攻撃がやはり主要なものである。
 (六九)戦争のなかで勇敢な犠牲を提唱するのをどう解釈したらよいか。それは「自己を保存する」ことと矛盾するのではないか。矛盾しない。それはたがいに反しあいながら、たがいに成りたたせあっているのである。戦争は血を流す政治であり、それは代価を、ときにはきわめて大きな代価を支払わなければならない。部分的一時的な犠牲(保存しないこと)は、全体的永久的な保存のためである。基本的には敵を消滅するためである攻撃手段のなかにも、同時にまた自己を保存する作用がふくまれていると、われわれがいう理由はここにある。防御は同時に攻撃をともなわなければならず、単純な防御であってはならないことも、またこうした道理からである。
 (七〇)自己を保存し、敵を消滅するという戦争の目的こそ戦争の本質であり、すべての戦争行動の根拠であって、技術的行動から戦略的行動にいたるまで、すべてがこの本質によってつらぬかれている。戦争の目的は戦争の基本原則であって、すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的な原理原則は、これから少しもはなれることはできない。射撃の原則である「身体を隠蔽《いんぺい》し、火力を発揮する」というのはどういう意味か。前者は自己を保存するためであり、後者は敵を消滅するためである。前者のために、地形や地物を利用したり、躍進運動をおこなったり、隊形を疎開させたりするなどさまざまな方法がうまれる。後者のために、射界を清掃したり、火網を組織したりするなどさまざまな方法がうまれる。戦術上の突撃隊、牽制《けんせい》隊、予備隊のうち、第一のものは敵を消滅するためのものであり、第二のものは自己を保存するためのものであり、第三のものは状況に応じて二つの目的――突撃隊を増援したり、追撃隊になったりして、敵を消滅すること、または牽制隊を増援したり、掩護《えんご》隊になったりして、自己を保存することに用いようとするものである。このように、すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的原則、すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的行動は、戦争の目的から少しもはなれることのできないものであり、この目的は戦争全体にゆきわたり、戦争の初めから終わりまでつらぬいている。
 (七一)抗日戦争の各級の指導者は、中日両国間のたがいに対立する各種の基本的要素をはなれて戦争を指導してはならないし、またこの戦争の目的をはなれて戦争を指導してはならない。両国間のたがいに対立する各種の基本的要素は、戦争の行動のなかで展開されて、自己を保存し、敵を消滅するための相互の闘争に変わる。われわれの戦争は、戦いのたびごとに、大小を問わず勝利をかちとるようにつとめ、戦いのたびごとに、敵の一部の武装を解除し、敵の一部の人馬器物を損傷させるようつとめることにある。敵を部分的に消滅するという成果をつみかさね、これを大きな戦略的勝利にすることによって、最後には敵を国土から駆逐し、祖国を防衛し、新中国を建設するという政治目的を達成するのである。

防御のなかでの進攻、持久のなかでの速決、内線のなかでの外線

 (七二)つぎに抗日戦争での具体的な戦略方針を研究しよう。われわれは、抗日の戦略方針は持久戦であるといったが、そのとおりで、これはまったく正しい。だが、これは一般的な方針であって、まだ具体的な方針ではない。どのように具体的に持久戦をすすめるか。これがいまわれわれの論じようとする問題である。われわれの答えはこうである。第一と第二の段階、すなわち敵の進攻と保持の段階では、それは戦略的防御のなかでの戦役上戦闘上の進攻戦、戦略的持久のなかでの戦役上戦闘上の速決戦、戦略的内線のなかでの戦役上戦闘上の外線作戦でなければならない。第三段階では、それは戦略的反攻戦でなければならない。
 (七三)日本が帝国主義の強国であり、われわれが半植民地・半封建の弱国であることから、日本は戦略的進攻の方針をとり、われわれは戦略的防御の地位にある。日本は戦略的速決戦をとろうとくわだてているが、われわれは意識的に戦略的持久戦をとるべきである。日本は戦闘力のかなり強い数十コ師団の陸軍(現在すでに三十コ師団にたっしていろ)および一部の海軍をもって陸海両面から中国を包囲、封鎖し、さらに空軍をもって中国を爆撃している。現在、日本の陸軍はすでに包頭《パオトウ》から杭州《ハンチョウ》までの長い戦線を占領し、海軍は福建《フーチェン》省、広東《コヮントン》省まできて、大きな範囲の外線作戦を形づくっている。われわれは内線作戦の地位におかれている。これらはすべて、敵が強く、わが方が弱いという特徴によってもたらされたものである。これが一つの面の状態である。
 (七四)しかし、もう一つの面では、ちょうどそれと逆である。日本は強いが、兵力が足りない。中国は弱いが、土地が広く、人口も多く、兵力も多い。ここから二つの重要な結果がうまれる。第一に、敵は少ない兵力をもって大国にのぞんでいるので、一部の大都市、主要な交通線および若干の平地しか占領できない。このために、その占領地域では、占領のしようがない広大な土地を空白のまま残しており、このことが中国の遊撃戦争に広大な活動の地盤をあたえている。全国では、たとえ敵が広州、武漢、蘭州の線、およびその付近の地区を占領できても、それ以外の地区を占領するのはむずかしく、このことが中国に、持久戦をおこない、最後の勝利をかちとるための大後方と中枢根拠地をあたえている。第二に、敵は少ない兵力をもって多くの兵力にたちむかっているので、多くの兵力の包囲のなかにおかれている。敵が数路にわかれてわが方に進攻しているので、敵は戦略的外線にたち、わが方は戦略的内線にたっており、敵は戦略的進攻をおこない、わが方は戦略的防御をおこなっており、みたところ、わが方は非常に不利である。しかし、わが方は土地が広く兵力が多いという二つの長所を利用して、陣地を固守するような陣地戦をおこなわずに、弾力的な運動戦を採用し、数コ師団で敵の一コ師団にあたり、数万人で敵の一万人にあたり、数路の部隊で敵の一路の部隊にあたり、戦場の外線から、突如、敵の一路の部隊を包囲し攻撃することができる。そこで、敵の戦略上の作戦における外線と進攻は、戦役上戦闘上の作戦では、内線と防御に変わらざるをえない。わが方の戦略上の作戦における内線と防御は、戦役上戦闘上の作戦では、外線と進攻に変わる。一路の敵にたいしてもそうであるし、他の路の敵にたいしてもそうである。以上の二つの点は、いずれも敵が小さく、わが方が大きいという特徴からうまれるものである。また、敵の兵力は少ないが、強い(兵器および将兵の訓練の程度)、わが方の兵力は多いが、弱い(これも兵器および将兵の訓練の程度だけをさすのであって、士気をさすのではない)という点から、戦役上戦闘上の作戦では、わが方は、多数をもって少数をうち、外線から内線をうつだけでなく、さらに速決戦の方針をとるべきである。速決戦をおこなうには、一般には、駐止中の敵をうつべきではなくて、運動中の敵をうつべきである。わが方は、敵のかならず通る道のかたわらに大兵をあらかじめ隠蔽、集結し、敵の運動しているときに突如前進し、これを包囲攻撃し、敵が手をくだす間もないうちに、迅速に戦闘をかたづけるのである。戦いがうまくいけば、全部か、大部分か、または一部分の敵を消滅できるし、うまくいかなくても、敵に多くの死傷をあたえることができる。一つの戦いでもそうであるし、他の戦いでもすべてそうである。たとえ多くなくても、毎月一回、平型関、台児荘の戦いのような比較的大きな勝ちいくさができれば、大いに敵の気勢をくじき、わが軍の士気をふるいたたせ、国際的声援をよびおこすことができる。このようにして、わが方の戦略的持久戦は、戦場での作戦になると速決戦に変わるのである。敵の戦略的速決戦は、多くの戦役上戦闘上の負けいくさをへて、持久戦にきりかえざるをえなくなるのである。
 (七五)上述のような戦役上戦闘上の作戦方針は、一言でいえば、「外線的速決的な進攻戦」である。これは、わが方の戦略方針である「内線的持久的な防御戦」とは反対のものであるが、しかし、またこのような戦略方針を実現するのにまさに必要な方針なのである。もし、戦役上戦闘上の方針も抗戦当初にとられたような「内線的持久的な防御戦」であるなら、それは敵が小さくてわが方が大きく、敵が強くてわが方が弱いというこの二つの状況にまったく適さないものであり、それではけっして戦略目的は達成されず、全般的な持久戦は達成されないで、敵にうちやぶられてしまう。したがって、われわれは、これまでも、全国でいくつかの大きな野戦兵団を編成して、それに敵の各野戦兵団の兵力の二倍、三倍または四倍の兵力をもたせ、上述の方針をとって、広大な戦場で敵とわたりあうよう主張してきた。この方針は、正規戦争につかえるだけでなく、遊撃戦争にもつかえるし、またつかわなければならない。それは戦争のある段階に適用されるだけでなく、戦争の全過程にも適用される。戦略的反攻の段階になって、わが方の技術的条件が強化され、弱をもって強にあたるような状況が全然なくなっても、わが方が依然として多くの兵力をもって外線から速決的進攻戦をおこなうなら、なおさら多くの捕虜と戦利品を獲得する効果をあげることができる。たとえば、わが方が二つ、三つまたは四つの機械化師団をもって敵の一つの機械化師団にあたれば、いっそう確実にその師団を消滅することができる。数人の大男が一人の大男にたやすく勝てるのは、常識のなかにふくまれる真理である。
 (七六)もしわれわれが、戦場作戦での「外線的速決的な進攻戦」を断固として採用するなら、戦場における敵とわが方のあいだの強弱、優劣の形勢を変えるばかりでなく、しだいに全体の形勢を変えることとなろう。戦場では、わが方が進攻し、敵が防御すること、わが方が多くの兵力で外線にたち、敵が少ない兵力で内線にたつこと、わが方が速決でいくので、敵が持久によって援軍を待とうとしても、かれらのおもいどおりにならないこと、こうしたことのために、敵側は強者から弱者に変わり、優勢から劣勢に変わるが、わが車は逆に弱者から強者に変わり、劣勢から優勢に変わる。多くのこのような勝ちいくさをすると、敵とわが方の全体の形勢に変化がおこる。つまり、多くの戦場作戦の外線的速決的な進攻戦の勝利をつみかさねていくと、しだいに自己を強め、敵を弱めていくようになり、そこで全体的な強弱、優劣の形勢が、その影響をうけて変化をおこさざるをえなくなる。そのとき、われわれ自身のもつ他の条件とあいまって、さらに敵の内部の変動および国際的に有利な情勢とあいまって、敵とわが方の全体の形勢を均衡に転じ、均衡からさらにわが方の優勢、敵の劣勢に転じさせることができる。そのときこそ、反攻にでて敵をわが国土から駆逐する時機である。
 (七七)戦争は力の競争であるが、力は戦争の過程でその本来の状態を変えていく。そのばあい、主観的努力、つまり勝ちいくさを多くし、あやまりを少なくすることが決定的な要素である。客観的要素には、このような変化の可能性がそなわっているが、この可能性を実現するには、正しい方針と主観的努力とが必要である。そのときには、主観の役割が決定的なものとなる。

主動性、弾力性、計画性

 (七八)以上にのべた戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦は、進攻という点にその中心がある。外線とは進攻の範囲をさし、速決とは進攻の時間をさすところから、それを「外線的速決的な進攻戦」とよぶのである。これは持久戦をおこなう最良の方針であり、また運動戦というものの方針でもある。だがこの方針を実行するには、主動性、弾力性、計画性をはなれることはできない。そこで、つぎにこの三つの問題を研究してみよう。
 (七九)さきに自覚的能動性についてのべたのに、なぜまた主動性についてのべるのか。自覚的能動性とは、自覚的な活動と努力のことであり、人間が物と区別される特徴であって、人間のこのような特徴は、戦争のなかでとりわけ強くあらわれるが、これらの点についてはさきにのべた。ここでいう主動性とは、軍隊の行動の自由権のことで、これは、不自由の状態においこまれることとは区別されるものである。行動の自由は軍隊の生命であり、この自由をうしなえば、軍隊は敗北または消滅に近づくことになる。ある兵士が武装を解除されるのは、この兵士が行動の自由をうしない、受動的地位においこまれた結果である。ある軍隊が戦いにやぶれるのも同じである。この理由から、戦争する双方はどちらも受動性をさけ、主動性をにぎろうとつとめる。われわれの提起した外線的速決的な進攻戦と、この進攻戦を実現するための弾力性、計画性は、いずれも敵を受動的地位においやり、自己を保存し敵を消滅する目的を達成できるように主動権をかちとるためだといってよいのだが、主動か受動かということは、戦力が優勢か劣勢かということと不可分である。したがって、それはまた、主観の指導が正しいかあやまっているかということとも不可分である。そのほかに、また敵の錯覚と不意に乗じて自己の主動性をかちとり、敵を受動的な地位においやるばあいもある。つぎにこれらの点を分析してみよう。
 (八〇)主動は戦力の優勢ときりはなせないし、受動は戦力の劣勢ときりはなせない。戦力の優勢または劣勢は、主動または受動の客観的基礎である。戦略上の主動的地位は、もちろん戦略的進攻戦のばあい、わりあいによく掌握し発揮することができるが、しかし、始めから終わりまで、どこででも主動的地位をしめること、つまり絶対的な主動権をにぎることができるのは、絶対的優勢をもって絶対的劣勢にあたるときだけである。体の丈夫なものと重病患者との格闘では、前者が絶対的な主動権をにぎる。もし日本に克服できない多くの矛盾がないなら、たとえばかれらが一度に数百万から一千万にのぼる大兵をくりだすことができ、財源が現在の何倍もあり、民衆や外国からの敵対もなく、また野蛮な政策を実行して中国人民の必死の抵抗をまねくようなことがないとすれば、かれらは一種の絶対的な優勢を保持できるし、始めから終わりまで、どこででも一種の絶対的な主動権をにぎるであろう。だが、歴史上、このような絶対的優勢というものは、戦争と戦役の終局においては存在するが、戦争と戦役の当初にはまれである。たとえば、第一次世界大戦で、ドイツが屈服する前夜には、当時の連合国側が絶対的嬢勢に転じ、ドイツが絶対的劣勢に転じた結果、ドイツが敗北し、連合国が勝利した。これは戦争の終局に絶対的な優勢と劣勢が存在する例である。また台児荘における勝利の前夜には、当時その地に孤立していた日本車が苦戦をかきねたのちに絶対的な劣勢におちいり、わが軍が絶対的な優勢をつくりあげた結果、敵が敗北し、わが方が勝利した。これは戦役の終局に絶対的な優勢と劣勢が存在する例である。戦争でも、戦役でも、相対的な優劣または均衡状態のままで終結することがあるが、そのばあい、戦争では妥協があらわれ、戦役では対峙があらわれる。だが、一般的には、絶対的な優劣によって勝敗がきまることが多い。これらすべては、戦争または戦役の当初のことではなくて、戦争または戦役の終局のことである。中日戦争の終局については、日本が絶対的劣勢をもって敗北し、中国が絶対的優勢をもって勝利することは予断できる。しかし、いまのところ、双方の優劣はいずれも絶対的ではなくて相対的である。日本は強い軍事力、経済力、政治組織力という有利な要素をもつことによって、われわれの弱い軍事力、経済力、政治組織力にたいして優勢をしめ、それがかれらの主動権の基礎となっている。だが、かれらの軍事力その他は量的に少ないし、他に多くの不利な要素もあるので、かれらの優勢はかれら自身の矛盾によって減殺されている。そして中国にやってくると、中国の広大な土地、膨大な人口、膨大な兵力、頑強な民族的抗戦にぶつかって、その擬勢はさらに減殺された。そこで「全体としては、かれらの地位は相対的な優勢に変わり、したがって、その主動権の発揮や維持も制約され、相対的なものになってしまった。中国側は、力の強さのうえでは劣勢であり、したがって、戦略上のある種の受動的様相が形成されているが、地理、人口、兵員数のうえでは、また人民および軍隊の敵愾心《てきがいしん》と士気のうえでは優勢であり、このような優勢にさらにその他の有利な要素がくわわって、自己の軍事力、経済刀などの劣勢の程度は減殺され、戦略上の相対的な劣勢に変わっている。したがって、受動の程度も減少し、戦略上の相対的な受動的地位におかれているにすぎない。しかし、受動はなんといっても不利であり、それからぬけだすよう努めなければならない。軍事上の方法としては、断固として外線的速決的な進攻戦をおこない、また敵の後方での遊撃戦争をおこし、戦役上の運動戦と遊撃戦で、敵を圧倒する多くの局部的な優勢と主動的地位とを獲得することである。このような多くの戦役上の局部的な優勢と局部的な主動的地位をとおして、戦略上の優勢と戦略上の主動的地位とがしだいにつくられ、戦略上の劣勢と受動的地位をぬけだすことができるようになる。これが主動と受動、優勢と劣勢のあいだの相互関係である。
 (八一)このことからも、主動または受動と主観の指導とのあいだの関係がわかる。上述のように、わが方の相対的な戦略上の劣勢と戦略上の受動的地位は、ぬけだすことのできるものであり、その方法は、人為的にわれわれの多くの局部的な優勢と局部的な主動的地位をつくりだして、敵の多くの局部的な優勢と局部的な主動的地位を奪いとり、敵を劣勢と受動的地位になげこむことである。これらの局部的なものをつみかさねていけば、われわれの戦略上の優勢と戦略上の主動になり、敵の戦略上の劣勢と戦略上の受動になる。このような転化は主観の正しい指導にかかっている。なぜか。わが方も優勢と主動をもとめるし、敵もまたこれをもとめるのであって、この点からみれば、戦争は両軍の指揮員が軍事力、財力などの物質的基礎を土台にして、たがいに優勢と主動を奪いあう主観の能力の競争である。競争の結果、一方が勝ち他方が負けるが、これは、客観的物質条件の対比のほかに、かならず勝者は主観の指揮の正しさにより、敗者は主観の指揮のあやまりによるものである。われわれは、戦争という現象が他のどのような社会現象よりも、いっそうとらえにくく、確実性が少ないこと、すなわち「蓋然《がいぜん》性」というものをいっそうおびたものであることを認める。だが、戦争は神のしわざではなく、やはり世の中の一種の必然的運動であり、したがって、孫子の法則、「かれを知り、おのれを知れば、百戦するも危うからず」〔16〕は、やはり科学的真理である。あやまりは彼我についての無知から生ずるし、戦争の特質もまた、多くのばあい彼我を完全に知ることをさまたげるので、そこから戦争状況、戦争行動の不確実性がうまれ、あやまりと失敗がうまれる。しかし、どのような戦争状況、戦争行動であろうと、その大略を知り、その要点を知ることは可能である。まずはじめに各種の偵察手段により、つぎには指揮員の聡明な推論と判断とによって、あやまりを少なくし、一般的に正しい指導を実現するのは、できることである。われわれがこの「一般的に正しい指導」を武器にすれば、多くの勝ちいくさをすることができ、劣勢を優勢に変え、受動を主動に変えることができる。これは主動または受動と主観の指導が正しいかどうかということとのあいだの関係である。
 (八二)主観の指導が正しいかどうかが優勢、劣勢および主動、受動の変化に影響することは、強大な軍隊が敗北し、弱小な軍隊が勝利するという歴史的事実をみれば、いっそううなずける。内外の歴史には、こうした例がたくさんある。中国では、たとえば、晉と楚の城濮《じょうぼく》の戦い〔17〕、楚と漢の成皐《せいこう》の戦い、韓信が趙軍をやぶった戦い〔18〕、新と漢の昆陽の戦い、袁紹《えんしょう》と曹操《そうそう》の官渡の戦い、呉と魏《ぎ》の赤壁の戦い、呉と蜀《しょく》の彝陵《いりょう》の戦い、秦と晉の[シ+肥]水《ひすい》の戦いなど、外国では、たとえば、ナポレオンのおこなった数多くの戦役〔19〕、十月革命後のソ連の内戦などは、みな少数で多数をうち、劣勢で優勢にあたって勝利したものである。これらはみな、まず自分の局部的な優勢と主動をもって、敵の局部的な劣勢と受動にあたり、一戦に勝利して、それをさらに他におよぼし、各個撃破し、それによって全局面が優勢に転じ、主動に転じたのである。これとは逆に、もともと優勢と主動とをしめていた敵も、その主観のあやまりと内部矛盾によって、きわめて良好な、または比較的良好な優勢と主動的地位を完全にうしない、敗軍の将、亡国の君になることがある。このことからわかるように、戦力の優劣そのものは、もとより主動か受動かを決定する客観的基礎ではあるが、それはまだ現実の主動または受動ではなく、事実上の主動または受動は、闘争をつうじ、主観の能力の競争をつうじないかぎりあらわれはしない。闘争のなかでは、主観の指導が正しいかあやまっているかによって、劣勢を優勢に変え、受動を主動に変えることもできるし、優勢を劣勢に変え、主動を受動に変えることもできる。すべての支配王朝が革命軍にうち勝つことができなかったことからも、たんにある種の優勢だけでは、主動的地位がきまるものではなく、まして、最後の勝利がきまるものでないことがわかる。主動と勝利は、劣勢と受動的地位にあるものが、実際の状況にもとづき、主観の能力のはたらきをつうじ、一定の条件をかちとることによって、優勢で主動的地位にあるものの手から奪取できるものである。
 (八三)錯覚と不意のために、優勢と主動をうしなうことがある。したがって、計画的に敵に錯覚をおこさせ、不意うちをかけることは、優勢をつくりあげ、主動をうばいとる方法であり、しかも重要な方法である。錯覚とはなにか。「八公山の草木みな兵なり」〔20〕というのは錯覚の一例である。「東を撃つとみせて西を撃つ」というのは、敵に錯覚をおこさせる一つの方法である。情報がもれるのを防げるようなすぐれた民衆的基盤があるばあい、敵をあざむくいろいろな方法をとれば、しばしば効果的に、判断をあやまり行動をあやまるような苦境に敵をおとしいれ、これによって敵の優勢と主動をうしなわせることができる。「兵法はいつわりをいとわず」というのは、このことをさすのである。不意とはなにか。それは準備のないことである。優勢ではあるが準備がないなら、真の優勢ではなく、また主動性もない。この点がわかっていれば、劣勢ではあるが準備のある軍隊は、しばしば、敵にたいし不意の攻勢にでて、優勢な敵をうちやぶることができる。われわれが運動中の敵は攻撃しやすいというのは、敵が不意、つまり準備のない状態にあるからである。この二つのこと――敵に錯覚をおこさせることと、不意うちをかけることは、敵には戦争の不確実性をあたえ、自分はできるだけ大きな確実性をつかみ、これによってわが方の優勢と主動をかちとり、わが方の勝利をかちとることである。これを実現するには、すぐれた民衆組織が前提条件となる。したがって、敵に反対するすべての民衆を立ちあがらせ、かれらをことごとく武装して、広範に敵を襲撃させる一方、それによって情報を封じ、わが軍を掩護させてわが軍がどこで、いつ攻撃にでるかという手がかりを敵につかませないようにし、敵が錯覚をおこし、不意をくらう客観的基礎をつくりだすこと、これは非常に重要である。かつての土地革命戦争時代の中国赤軍が、弱小な軍事力でいつも勝ちいくさをしたのは、組織され武装化した民衆の力に負うところが非常に大きかった。民族戦争は、道理からいって、土地革命戦争よりもいっそう広範な民衆の援助をかちとることができるはずである。しかし、歴史的あやまり〔21〕のために、民衆はばらばらで、すぐにはわれわれの役にたたせることがむずかしいばかりか、ときには敵から利用されることもある。戦争のすべての必要を無限にみたすには、断固として、ひろく、全民衆を立ちあがらせる以外にはない。このことは、敵に錯覚をおこさせ、敵の不意をついてこれにうち勝つというこの戦法においても、きっと大きな役割をはたすことになる。われわれは宋の襄公ではなく、かれのようなばかげた仁義道徳を必要としない〔22〕。自己の勝利をかちとるためには、われわれは、敵の目と耳とをできるだけ封じて、かれらを肓とつんぼにし、敵の指揮員の頭をできるだけ混乱させて、かれらを気狂いにしてしまわなければならない。これらのこともすべて、主動または受動と主観の指導とのあいだの相互関係である。日本に勝利するにはこうした主観の指導は欠くことのできないものである。
 (八四)だいたいにおいて日本は、その進攻の段階では、その軍事力の強さや、わが方の歴史上および現在における主観のあやまりを利用することによって、一般的には主動的地位にたっている。しかし、こうした主動は、すでに、それ自身がもつ多くの不利な要素、かれらが戦争のなかでおかしたいくつかの主観のあやまり(この点はのちにくわしくのべる)、そしてまた、わが方にそなわる多くの有利な要素によって、部分的に弱まりはじめている。敵の台児荘での失敗や、山西省での苦境は、そのあきらかな証拠である。敵の後方でのわが方の遊撃戦争の広範な発展は、敵占領地の守備軍を完全に受動的地位にたたせている。敵はいまなお主動的な戦略的進攻をおこなってはいるが、その主動は、その戦略的進攻がやむにつれて終わりをつげるであろう。敵が兵力の不足から、無制限に進攻をおこなう可能性がないことは、敵が主動的地位を保ちつづけることのできない第一の根源である。わが方の戦役的進攻戦、敵の後方での遊撃戦争、およびその他の条件は、敵が一定の限度で進攻をやめなければならず、また主動的地位を保ちつづけることのできない第二の根源である。ソ連の存在とその他の国際情勢の変化は第三の根源である。このことからわかるように、敵の主動的地位には限界があり、またうちやぶることのできるものである。中国が、もし作戦方法のうえで主力軍による戦役上戦闘上の進攻戦を堅持し、敵の後方での遊撃戦争を猛烈に発展させるとともに、政治の面でも大いに民衆を立ちあがらせることができれば、わが方の戦略上の主動的地位はしだいに確立していくことができる。
 (八五)つぎに弾力性についてのべよう。弾力性とはなにか。それは主動性を作戦のなかで具体的に実現していくものであり、つまり兵力を弾力的に使用することである。兵力を弾力的に使用することは、戦争指揮の中心任務であり、またそれをうまくやるのは、もっともむずかしいことである。戦争という事業は、軍隊を組織し教育し、人民を組織し教育することなどをのぞけば、軍隊を戦闘に使用することであって、これらはすべて戦闘の勝利のためである。軍隊を組織することその他は、もとより困難ではあるが、軍隊を使用することはいっそう困難であり、弱をもって強にあたっている状況のもとではとくにそうである。そうするためには、きわめて大きな主観の能力が必要であり、戦争のもつ特質のうちの混乱、暗黒および不確実性を克服して、そのなかから条理、光明および確実性をさがしだすことが必要である。そうしてはじめて、指揮のうえでの弾力性を実現することができるのである。
 (八六)抗日戦争における戦場作戦の基本方針は、外線的速決的な進攻戦である。この方針を遂行するには、兵力の分散と集中、分進と合繋、攻撃と防御、突撃と牽制、包囲と迂回《うかい》、前進と後退などさまざまの戦術または方法がある。これらの戦術を知るのはたやすいが、これらの戦術を弾力的につかいこなし、きりかえていくのは容易なことではない。そこには、時機、地点、部隊という三つのかなめがある。その時をえず、その所をえず、部隊の状態が当をえていないならば、いずれも勝利することはできない。たとえば、運動中のある敵を攻撃するさい、攻撃がはやすぎれば、自己を暴露し、敵に防備の条件をあたえることになるが、攻撃がおくれれば、敵は集中、駐止してしまい、手ごわい相手となる。これが時機の問題である。突撃点を左翼にえらべば、ちょうど敵の弱い部分にあたって、容易に勝利をうるが、右翼にえらべば、敵の強い部分にぶつかって、効を奏することができない。これが地点の問題である。わが方のある部隊にある任務を実行させれば、容易に勝利をうろが、他の部隊におなじ任務を実行させても効果をあげにくい。これが部隊の状態の問題である。戦術をつかいこなすだけでなく、戦術をきりかえなければならない。敵とわが方の部隊や地形の状況にもとづいて、適時、適切に、攻撃を防御に、防御を攻撃に、前進を後退に、後退を前進に、牽制隊を突撃隊に、突撃隊を牽制隊にきりかえ、また包囲迂回などを相互にきりかえること、これが弾力的な指揮の重要な任務である。戦闘の指揮もそうであるし、戦役上戦略上の指揮もまたそうである。
 (八七)「運用の妙は一心に存す」という古人のことばのこの「妙」を、われわれは弾力性とよぶのであり、それは聡明な指揮員の創作である。弾力性は盲動ではなく、盲動は拒否すべきである。弾力性とは、聡明な指揮員が客観的状況にもとづいて、「時機と形勢を判断し」 (この形勢には、敵の形勢、わが方の形勢、地勢などがふくまれる)、適時、適切に処置をとる才能、つまり「運用の妙」というものである。この運用の妙にもとづくならば、外線的速決的な進攻戦は、より多くの勝利をかちとり、敵とわが方の優劣の形勢を転化させ、敵にたいするわが方の主動権を実現し、敵を圧倒してこれを撃破することができ、最後の勝利はわれわれのものとなる。
 (八八)つぎに、計画性についてのべよう。戦争に特有な不確実性のために、戦争で計画性を実現することは、他の事業で計画性を実現するよりもはるかに困難が多い。しかし、「およそ事は前もって準備すれば成り、準備せざれば成らず」で、事前の計画と準備がなければ、戦争の勝利をかちとることはできない。戦争には、絶対的な確実性はないが、ある程度の相対的な確実性がないわけではない。われわれの側のことは比較的確実である。敵側のことはきわめて不確実であるが、探索すべき兆候もあれば、察知すべきいとぐちもあり、思考に供すべき前後の現象もある。これがある程度の相対的確実性というものを構成しており、そこに戦争の計画性の客観的基礎がある。近代技術(有線電信、無線電信、飛行機、自動車、鉄道、汽船など)の発達が、さらに戦争の計画性をいっそう可能にしている。しかし、戦争には、かなり程度が低くて時間の短い確実性しかないので、戦争の計画性が完全かつ固定的であることはむずかしく、それは戦争の運動(または流動、推移)につれて運動し、また戦争の範囲の大小によって程度のちがいがうまれる。戦術計画、たとえば小兵団や小部隊の攻撃計画、または防御計画は、一日のうちに数回変えなければならないことがよくある。戦役計画、すなわち大兵団の行動計画は、だいたいにおいて、戦役の終局までつづくが、その戦役のなかで、計画の部分的な変更はよくあるし、全面的な変更もときにはある。戦略計画は、戦争する双方の全般的状況にもとづいてたてられるもので、固定の程度はより大きいが、やはり一定の戦略段階に適用されるだけであり、戦争が新しい段階に移れば変更する必要がある。戦術計画、戦役計画、および戦略計画を、それぞれその範囲とその状況に応じて確定し変更することは、戦争指揮の重要なかなめであり、戦争の弾力性を具体的に実行することでもあり、また実際的な運用の妙でもある。抗日戦争の各級の指揮員は、この点に心をくばるべきである。
 (八九)一部の人は、戦争の流動性を理由に、戦争の計画、または戦争の方針の相対的固定性を根本から否定し、そのような計画または方針は「機械的」なものだという。このような見解はあやまりである。前項でのべたように、戦争の状況はたんに相対的な確実性しかもたず、戦争は迅速に流動する(または運動し、推移する)ものであるから、戦争の計画または方針にも、相対的固定性しかあたえられず、状況の変化と戦争の流動にもとづいて、これを適時に変更または修正しなければならない、そうしなければ機械主義者になってしまう、このことをわれわれは完全に認めるものである。しかし、一定期間内の相対的に固定した戦争の計画または方針をけっして否定することはできない。この点を否定するならば、すべてを否定することになり、戦争そのもの、そういっている人自身までも、否定することになる。戦争の状況と行動にはいずれも相対的固定性があるので、それに応じてうまれる戦争の計画または方針にも、相対的固定性をあたえなければならない。たとえば、華北の戦争の状況と八路軍の分散作戦の行動には一定段階内での固定性があるので、この一定段階内では、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」という八路軍の戦略的作戦方針に、相対的固定性をあたえることが、ぜひとも必要である。戦役方針は、さきにのべた戦略方針にくらべると、適用の期間がいくらか短いし、戦術方針はそれよりももっと短いが、しかし、どちらも一定期間の固定性はもっている。この点を否定したら、戦争はやりようがなく、あれでもなく、これでもないとか、あれでもよく、これでもよいという、まったく定見のない、戦争の相対主義になってしまう。たとえある一定期間内に適用される方針でも、それは流動するものであって、このような流動がなければ、その方針の廃止および他の方針の採用もありえないということは、だれも否定しない。しかし、この流動は制約のある流動、つまりこの方針を遂行する各種のことなった戦争行動の範囲内での流動であって、この方針の根本的性質の流動ではない、つまり質的な流動ではなくて、量的な流動である。このような根本的性質は、一定期間内はけっして流動するものではなく、われわれのいう一定期間内の相対的固定性とは、この点をさすのである。絶対的に流動している戦争全体の長い流れの過程には、それぞれの特定段階における相対的な固定性がある――これが戦争の計画または戦争の方針の根本的性質についてのわれわれの見解である。
 (九〇)戦略上の内線的持久的な防御戦と戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦についてのべ、主動性、弾力性、計画性についてものべたので、われわれは、つぎのようにしめくくることができる。抗日戦争は計画的におこなわれるべきである。戦争の計画、すなわち戦略戦術を具体的に運用するにあたっては、戦争の状況に適応するようそれに弾力性をもたせなければならない。また、敵とわが方のあいだの形勢を改めるために、劣勢を優勢に変え、受動を主動に変えることをつねに心がけなければならない。そして、これらはすべて、戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦にあらわれるし、同時にまた戦略上の内線的持久的な防御戦にもあらわれる。

運動戦、遊撃戦、陣地戦

 (九一)戦争内容としての戦略的内線、戦略的持久、戦略的防御のなかでの戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦は、戦争形態のうえでは運動戦としてあらわれる。運動戦とは、正規兵団が長い戦線と広い戦区で戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦をおこなう形態である。同時に、それはこの進攻戦遂行の便宜のために、ある必要な時機に遂行されるいわゆる「運動的な防御」をもふくむとともに、補助的役割をはたす陣地攻撃および陣地防御をもふくんでいる。運動戦の特徴は、正規兵団、戦役と戦闘での優勢な兵力、進攻性と流動性である。
 (九二)中国は国土が広く、兵員も多いが、軍隊の技術と訓練が不足している。敵は兵力が不足しているが、技術と訓練とは比較的すぐれている。こうした状況のもとでは、疑いもなく、進攻的な運動戦を主要な作戦形態とし、他の形態を補助として、全体としての運動戦を構成すべきである。このばあい、「後退するだけで前進しない」という逃走主義に反対しなければならないし、同時に「前進するだけで後退しない」という体当たり主義にも反対しなければならない。
 (九三)運動戦の特徴の一つは、その流動性であって、野戦軍の大幅の前進と後退がゆるされるばかりでなく、またそれが要求ざれる。しかし、これは韓復榘《ハンフーチュイ》流の逃走主義〔23〕とはなんの共通点もない。戦争の基本的要求は敵の消滅であり、もう一つの要求は自己の保存である。自己を保存する目的は敵を消滅することにあり、敵を消滅するのはまた自己を保存するもっとも効果的な手段である。したがって、運動戦はけっして韓復榘のたぐいの口実にはならないし、けっして後退運動だけで前進運動がないというものではない。そのような「運動」は、運動戦の基本となる進攻性を否定するもので、それを実行すれば、いくら中国が大きくても、「運動」しつぶされてしまうであろう。
 (九四)しかし、もう一つの考え、すなわち前進するだけで後退しない体当たり主義もまちがっている。われわれは戦役上戦闘上の外線的速決的な進攻戦を内容とする運動戦を主張するが、このなかには補助的役割をはたす陣地戦もふくまれるし、「運動的な防御」と退却もふくまれており、これらがなければ、運動戦は十分に遂行できない。体当たり主義は軍事上の近視眼であり、その根源は往々にして土地の喪失をおそれるところにある。体当たり主義者は運動戦の特徴の一つが流動性であって、野戦軍の大幅の前進と後退がゆるされるばかりでなく、またそれが要求されるということを知らないのである。積極面からいえば、敵を不利におとしいれ、わが方の作戦を有利にするためには、つねに、敵が運動中にあることが要求され、また、有利な地形、攻撃に通した敵情、情報を封ずることのできる住民、敵の疲労および不意など、わが方に有利な多くの条件が要求される。そのためには、敵の前進が要求されるのであり、一時的に一部の土地をうしなっても、惜しくはない。なぜなら、一時的、部分的な土地の喪失は、全面的、永久的な土地の保持と土地の回復の代価だからである。消極面からいえば、不利な地位においこまれ、軍事力の保存が根本から危うくなったばあいには、軍事力を保存して、新しい時機にふたたび敵に打撃をくわえるため大胆に退却すべきである。体当たり主義者はこの道理がわからず、決定的に不利な状況にあることがはっきりしているのに、なおも一都市、一地区の得失をあらそい、その結果は、都市も地区もうしなうだけでなく、軍事力さえも保存できなくなる。われわれがこれまで「敵を深く誘いいれる」ことを主張してきたのは、それが戦略的防御の立場にある弱軍が強軍と戦うもっとも効果的な軍事政策だからである。
 (九五)抗日戦争の作戦形態のうち、主要なものは運動戦であり、そのつぎには遊撃戦があげられる。われわれが戦争全体をつうじて運動戦が主要なものであり、遊撃戦は補助的なものであるというのは、戦争の運命を決するものが主として正規戦、なかでも運動戦であって、遊撃戦は戦争の運命を決する主要な責任をになうことができないということである。しかし、このことは、抗日戦争における遊撃戦の戦略的地位が重要でないという意味ではない。遊撃戦の補助がなくては、敵にうち勝つこともできないから、抗日戦争全体における遊撃戦の戦略的地位は、運動戦につぐにすぎない。それは、遊撃戦を運動戦に発展させるという戦略的任務をふくめてこういっているのである。長期の残酷な戦争のなかで、遊撃戦はもとの地位にとどまらず、それ自身を運動戦にたかめていくであろう。このように、遊撃戦の戦略的役割にはニつの面がある。一つは正規戦を補助すること、もう一つは自らをも正規戦に変えていくことである。中国の抗日戦争における遊撃戦の空前の広大さと空前の持久性という意義からいえば、その戦略的地位はなおさら軽視できないものである。したがって、中国では、遊撃戦そのものに、戦術問題だけでなく、特殊な戦略問題もふくまれている。この問題については、すでにわたしは『抗日遊撃戦争の戦略問題』のなかでのべておいた。さきにのべたように、抗日戦争の三つの戦略段階での作戦形態としては、第一段階では、運動戦が主要なもので、遊撃戦と陣地戦が補助的なものである。第二段階では、遊撃戦が主要な地位にのぼり、運動戦と陣地戦がこれを補助する。第三段階では、運動戦がふたたび主要な形態となり、陣地戦と遊撃戦がこれをたすける。しかし、この第三段階での運動戦は、もはやもとの正規車がすべてを担当するのではなく、もとの遊撃軍が遊撃戦を運動戦にまでたかめて、その一部、おそらく相当重要な一部を担当するであろう。三つの段階からみて、中国の抗日戦争での遊撃戦は、けっして、あってもなくてもよいものではない。それは人類の戦争史に、空前の偉大な一幕を演ずるであろう。こうした理由から、全国の数百万の正規軍のうち、少なくとも数十万を指定し、かれらを敵のあらゆる占領地区に分散させて、民衆を武装化させ、これに呼応して遊撃戦争をおこなわせることが、ぜひとも必要である。それに指定された軍隊は、自覚をもってこの神聖な任務をになうべきであり、大きな戦いをあまりしないため、一時は民族英雄らしくみえないところから、格がさがるかのように考えてはならない。これはあやまった考え方である。遊撃戦争は正規戦争のような迅速な成果と派手な名声はないが、「道遠くして馬の力を知り、事久しくして人の心を知る」といわれるように、長期の残酷な戦争のなかでその大きな威力をあらわすであろう。それはじつになみたいていな事業ではないのである。そのうえ、正規軍は分散して遊撃戦をおこなうが、集結すれば運動戦をおこなうこともできるのであって、八路軍はまさにそのようにしている。八路軍の方針は、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」というものである。この方針はまったく正しく、この方針に反対する人びとの観点は正しくない。
 (九六)防御的、攻撃的な陣地戦は、中国の今日の技術的条件のもとでは、どちらも一般におこなうことのできないものであり、これはわれわれの弱さのあらわれでもある。そのうえ、敵は中国の土地が広いという点を利用して、われわれの陣地施設をよけるのである。したがって、陣地戦は重要な手段として採用できず、まして主要な手段として採用できないことはいうまでもない。しかし、戦争の第一、第二の二つの段階では、運動戦の範囲にふくまれていて、戦役作戦のうえで補助的役割をはたす局部的な陣地戦をおこなうことは、可能であり、必要でもある。一歩ごとに抵抗して敵を消耗させ時間的余裕をかちとるという目的で、半陣地戦的ないわゆる「運動的な防御」を採用するのは、なおさらのこと運動戦の必要な部分である。中国は、戦略的反攻の段階で十分に陣地攻撃の任務をはたせるよう、新式兵器の増加に努力すべきである。戦略的反攻の段階では、疑いもなく、陣地戦の地位はたかまるであろう。なぜなら、その段階では、敵は陣地を固守するであろうし、わが方としても運動戦に呼応する強力な陣地攻撃をおこなわなければ、失地回復の目的をたっすることができないからである。そうはいっても、第三段階では、われわれはやはり運動戦を戦争の主要な形態とするように努めなければならない。なぜなら、第一次世界大戦の中期以後における西ヨーロッパのような陣地戦となると、戦争の指導芸術と人間の積極性は、おおかた役にたたなくなってしまうからである。そして、広大な国土をもつ中国の領土内での戦いでは、相当長期にわたって、中国側には、依然として技術的に貧弱という事情がつづくので、「戦争を塹壕から解放する」ということがおのずからあらわれる。第三段階でも、中国の技術的条件は改善されるとはいえ、やはり敵をしのぐことができるとは限らず、したがって、どうしても、高度の運動戦に力をそそがなければ、最後の勝利の目的はたっせられない。このように、抗日戦争全体をつうじて、中国は陣地戦を主要な形態とすることはありえず、主要な、また重要な形態は運動戦と遊撃戦である。これらの戦争形態では、戦争の指導芸術と人間の積極性を十分に発揮する機会があたえられる。これはまたわれわれにとって不幸中の幸いでもある。

消耗戦、殲滅戦

 (九七)まえにものべたように、戦争の本質すなわち戦争の目的は、自己を保存し、敵を消滅することである。そして、この目的をたっするための戦争形態には、連動戦、陣地戦、遊撃戦の三つがあるが、これが実現されたさいの効果に程度のちがいがあることから、一般的には、いわゆる消耗戦と殲滅戦の区別がある。
 (九八)まず第一に、抗日戦争は消耗戦であると同時に、殲滅戦でもあるといえる。なぜか。敵の強さの要素がまだ作用しており、敵の戦略上の優勢と主動性が依然として存在しているので、戦役上戦闘上の獺減戦をつうじなければ、効果的に迅速に敵の強さの要素を減殺し、敵の優勢と主動性をうちやぶることはできない。わが方の弱さの要素も依然として存在しており、戦略上の劣勢と受動性からまだぬけきっていないので、国内的、国際的な条件を強化し、自分の不利な状態を改める時間をかちとることも、戦役上戦闘上の殲滅戦をつうじなければ、できるものではない。したがって、戦役上の殲滅戦は、戦略上の消耗戦という目的をたっするための手段である。この点からいえば、殲滅戦はすなわち消耗戦である。中国が持久戦をおこなうことができるのは、殲滅で消耗をはかることを主要な手段とするからである。
 (九九)だが、戦略的消耗の目的をたっするものとしては、このほかに戦役上の消耗戦がある。だいたいにおいて、運動戦は殲滅の任務を遂行するもの、陣地戦は消耗の任務を遂行するもの、遊撃戦は消耗の任務を遂行すると同時に殲滅の任務をも遂行するものであって、この三者のあいだにはちがいがある。この点からいえば、殲滅戦は消耗戦と異なる。戦役上の消耗戦は補助的なものではあるが、やはり持久作戦に必要なものである。
 (一〇〇)理論上また必要上からいえば、中国は防御段階では、敵を大量に消耗させる戦略目的をたっするため、運動戦のもつ主要な殲滅性、遊撃戦のもつ部分的な殲滅性を利用し、それにくわえて、補助的性質の陣地戦のもつ主要な消耗性と、遊撃戦のもつ部分的な消耗性を利用すべきである。対特段階では、さらに、敵を大量に消耗させるため、遊撃戦と運動戦のもつ殲滅性と消耗性をひきつづき利用する。すべてこれらは、戦局を持久させ、しだいに敵とわが方の形勢を変化させて、反攻の条件を準備するためである。戦略的反攻のさいには、最終的に敵を駆逐するために、ひきつづき殲滅で消耗をはかるのである。
 (一〇一)だが、事実上、十ヵ月の経験では、いくたの、それどころか大多数の運動戦の戦役が消耗戦になってしまい、遊撃戦のもつべき殲滅の役割も、一部の地区では、まだそれにふさわしい程度にまでたっしなかった。このような状況の長所は、なにはともあれ、われわれが敵を消耗させたことであって、それは持久作戦と最後の勝利にとって意義があり、われわれの血はむだに流されたのではないということである。しかし、欠点は、一つには、敵を消耗させることが不十分であったこと、二つには、われわれ自身、消耗が比較的多く、戦利品が比較的少なくならざるをえなかったことである。このような状況の客観的原因、つまり敵とわが方の技術および兵員の訓練の程度の相異は認めるべきであるが、しかし、理論的にも、実際的にも、あらゆる有利なばあいに、主力軍はつとめて殲滅戦をおこなうべきことを、どうしても提唱しなければならない。遊撃隊は、破壊や攪乱などの多くの具体的任務を遂行するために、単純な消耗戦をおこなわなければならないとはいえ、やはり、敵を大量に消耗させしかも自己を大量に補充する目的をたっするよう、戦役上戦闘上のあらゆる有利なばあいの殲滅的な戦いを提唱し、その実行に努力すべきである。
 (一○二)外線的速決的な進攻戦のいわゆる外線、速決、進攻、そしてまた運動戦のいわゆる運動は、戦闘形態のうえでは、主として包囲と迂回の戦術をとるものであり、したがって優勢な兵力を集中しなくてはならない。だから、兵力を集中して、包囲迂回の戦術をとることは、運動戦、つまり外線的速決的な進攻戦を実行するのに必要な条件である。そして、すべてこれらは敵を殲滅するという目的のためである。
 (一○三)日本軍隊の長所は、その武器にあるばかりでなく、さらにその将兵の訓練――その組織性、過去に敗戦したことがないためにうまれた自信、天皇や神にたいする迷信、傲慢不遜《ごうまんふそん》、中国人にたいする蔑視などにある。これらの特徴は、日本軍閥の多年の武断的教育と日本の民族的慣習によってつくられたものである。わが軍は日本軍にきわめて多くの死傷者をださせたが、捕虜にしたのはきわめて少なかったという現象のおもな原因はここにある。この点については、これまで多くの人びとの評価は不十分であった。こうしたものをうちこわすには、長い過程が必要である。なによりもまずわれわれがこの特徴を重視し、そのうえで、辛抱強く、計画的に、政治、国際宣伝、日本人民の運動など多くの面から、この点にたいしてはたらきかける必要がある。そして軍事上の殲滅戦もその方法の一つである。ここで、悲観主義者はこの点をよりどころにして亡国論にもっていくだろうし、消極的な軍事家はまたこの点をよりどころにして殲滅戦に反対するだろう。これとは反対に、われわれのみるところ、日本軍隊のこのような長所はうちこわせるものであり、しかもうちこわされはじめている。うちこわす方法は、主として政治の面からかちとることである。日本の兵士にたいしては、その自尊心をきずつけるのではなくて、かれらの自尊心を理解し、それを正しくみちびくことであり、捕虜を寛大に取り扱うやり方からはじめて、日本の支配者の反人民的な侵略主義を理解できるようにかれらをみちびくことである。もう一つの面では、かれらのまえに、中国軍隊と中国人民の不屈の精神と英雄的な頑強な戦闘力をしめすこと、すなわち殲滅戦による打撃をあたえることである。作戦上からいえほ、十ヵ月の経験は殲滅が可能なことを立証しており、平型関、台児荘などの戦役がその明らかな証拠である。日本軍の士気は動揺をみせはじめ、兵士は戦争目的がわからず、中国軍隊と中国人民の包囲のなかにおちいって、突撃の勇気は中国兵よりはるかにおとっているなど、これらはみなわが方が殲滅戦をおこなうのに有利な客観的条件であり、これらの条件は戦争の持久にともない日ましに発展していくであろう。殲滅戦によって敵軍の気勢をそぐという点からいえば、殲滅はまた戦争の過程をちぢめ、日本の兵士と日本の人民を解放する時期をはやめる条件の一つでもある。世の中には、猫と猫が仲よしになることはあっても、猫と鼠が仲よしになるようなことはない。
 (一〇四)もう一つの面では、技術および兵員の訓練の程度のうえで、現在われわれが敵におよばないことを認めるべきである。したがって、最大限度の殲滅、たとえば全部または大部分を捕虜にすることは、多くのばあい、ことに平原地帯での戦闘では困難である。速勝論者のこの面での過大な要求もまちがっている。抗日戦争の正しい要求は、できるかぎりの殲滅戦をおこなうことでなければならない。有利なばあいにはすべて、一つ一つの戦いで優勢な兵力を集中して、包囲迂回の戦術をとる――その全部を包囲できなくてもその一部を包囲し、包囲した全部のものを捕虜にできなくても包囲したものの一部を捕虜にし、包囲したものの一部を捕虜にできなくても包囲したものの一部に大量の死傷者をださせる。しかし、殲滅戦をおこなうのに不利なばあいにはすべて、消耗戦をおこなう。前者のばあいには兵力集中の原則をもちい、後者のばあいには兵力分散の原則をもちいる。戦役上の指揮関係では、前者のばあいには集中的指揮の原則をもちい、後者のばあいには分散的指揮の原則をもちいる。これらが、とりもなおさず抗日戦争における戦場作戦の基本方針である。

敵のすきに乗ずる可能性

 (一〇五)敵にうち勝つことができる基礎は、敵の指揮の面にもある。むかしから、あやまりをおかさない将軍はない。ちょうどわれわれ自身も手落ちをさけがたいのと同様、利用される手落ちは敵にもあり、敵のすきに乗ずる可能性は存在する。戦略上戦役上からいえば、敵は十ヵ月の侵略戦争中に、すでに多くのあやまりをおかした。そのうち大きなものをあげると五つある。第一は、兵力を小出しにふやしたこと。これは敵の中国にたいする評価の不十分さからきたもので、またかれら自身の兵力不足という原因もある。敵は、従来われわれをみくびり、東北四省のことでうまい汁を吸ってから、さらに河北省東部、察哈爾《チャーハール》省北部をも占領したが、これらは敵の戦略的偵察とみることができよう。かれらのえた結論は、中国人はばらばらの砂だということであった。そこから、かれらは、中国は一撃にも値しないとおもいこみ、いわゆる「速決」の計画をたてて、わずかばかりの兵力をくりだし、われわれをおどかしてつぶそうとくわだてた。十ヵ月らい、中国がしめしたこれほど大きな団結とこれほど大きな抵抗力を、かれらは予想もしなかったし、中国がすでに進歩の時代にあること、中国にはすでに先進的な政党、先進的な軍隊および先進的な人民があることを念頭においていなかった。いよいよだめだとなると、十数コ師団からつぎつぎと小出しに三十コ師団に増兵した。さらに前進するには、もっと増兵しなければならない。しかし、ソ連との対立により、またかれらの人力、財力の先天的な不足によって、日本の最大の出兵数と最後の進攻点はどちらも一定の制約をうけざるをえない。第二は、主攻方向がないこと。台児荘戦役以前は、敵は華中、華北にだいたい兵力を均分しており、両者の内部でもそれぞれ兵力を均分していた。たとえば、華北では天津=浦口《プーコウ》鉄道、北京=漢□鉄道、大同=風陵渡鉄道の三路に兵力を均分していたが、各路とも死傷者を一部だし、占領地の駐屯守備に一部をさいたので、それ以上前進する兵力はなかった。台児荘の敗北後は、その教訓を総括して、主力を徐州方面に集中したので、このあやまりは、ひとまず一時的に改められた。第三は、戦略的協同がないこと。敵の華中、華北の両集団のうち、それぞれの集団内部にはだいたい協同があるが、両集団間には協同がきわめて少ない。天津=浦口鉄道の南部区間の部隊が小[虫+”邦の「へん」”]埠《シァオパンプー》を攻撃したさいには、北部区間の部隊は動かず、北部区間の部隊が台児荘を攻撃したさいには、南部区間の部隊が動かなかった。両方面ともに苦杯をなめたのち、陸軍大臣が視察にやってきたり、参謀総長が指揮のためにやってきたりして、ひとまず一時的には協調ができた。日本の地主・ブルジョア階級および軍閥の内部にはかなり深刻な矛盾があって、この矛盾は発展しつつあり、戦争における協同の欠如がその具体的なあらわれの一つである。第四は、戦略的時機を逸したこと。この点は南京《ナンチン》、太原両地占領後の停頓に顕著にあらわれているが、それは主として兵力が不足し、戦略的追撃隊がなかったからである。第五は、包囲は多いが殲滅が少ないこと。台児荘戦役以前には、敵は上海、南京、滄州《ツァンチョウ》、保定《パオティン》、南口《ナンコウ》、忻口《シンコウ》、臨汾《リンフェン》の諸戦役で、撃破は多かったが、捕虜と戦利品は少なく、ここに指揮のまずさがあらわれている。この五つの点――兵力を小出しにふやしたこと、主攻方向がないこと、戦略的協同がないこと、時機を逸したこと、包囲は多いが殲滅が少ないこと、これが台児荘戦役以前、日本の指揮のまずかった点である。台児荘戦役以後、多少は改められたが、その兵力の不足や内部矛盾の諸要素のため、あやまりをくり返すまいとしてもそれは不可能である。そのうえ、こちらで得れば、あちらでうしなうというありさまである。たとえば、華北の兵力を徐州に集中すると、華北の占領地には大きな空白が生じて、遊撃戦にぞんぶんに発展する機会をあたえることになった。以上は、敵が自分でしでかしたあやまりであって、われわれがあやまらせたのではない。わが方はなお、意識的に敵のあやまりをつくりだすこと、すなわち自己の聡明で効果的な行動によって、組織された民衆の掩護のもとに、敵に錯覚をおこさせ、敵をわれわれの土俵にひきいれることができる。たとえば、東を撃つとみせて西を撃つなどがそれであるが、こうしたことの可能性についてはまえにのべた。これらすべては、わが方の戦争の勝利が敵の指揮の面にもある種の根源を見いだせることを説明している。もちろん、われわれはこの点をわが方の戦略計画の重要な基礎とすべきではなく、反対に、わが方の計画はむしろ敵があまりあやまりをおかさないという仮定のうえに立てるべきであり、これこそたしかなやり方である。しかも、わが方が敵のすきに乗ずるとすれば、敵もわが方のすきに乗ずることができるわけで、敵に利用されるようなすきをできるだけあたえないことが、われわれの指揮の面での任務でもある。しかし、敵の指揮のあやまりは、事実上あったし、また今後もおこるであろうし、そのうえ、わが方の努力によってつくりだすこともできる。これらはいずれもわが方に利用できるもので、抗日の将軍たちは極力それをとらえるようにしなければならない。敵の戦略上戦役上の指揮にはまずいところが多いが、その戦闘の指揮、すなわち部隊の戦術や小兵団の戦術には、かなりすぐれたところがあり、この点についてはわれわれはかれらに学ぶべきである。

抗日戦争における決戦の問題

 (一〇六)抗日戦争における決戦の問題はつぎの三つにわけることができる。すなわち勝算のあるすべての戦役と戦闘では断固として決戦をおこなうべきこと、勝算のないすべての戦役と戦闘では決戦をさけるべきこと、国の運命をかける戦略的決戦は絶対にさけるべきことである。抗日戦争が他の多くの戦争と異なる特徴は、この決戦の問題にもあらわれている。第一、第二の段階では、敵が強くてわが方が弱いので、敵はわが方が主力を集中して敵と決戦することを要求する。これとは逆に、わが方の要求は、平型関、台児荘、その他の多くの戦闘のように、有利な条件をえらび、優勢な兵力を集中して、戦役上戦闘上の勝算のある決戦をおこない、彰徳《チャントー》などの戦役でとられた方針のように、不利な条件のもとでの勝算のない決戦をさけることである。国の運命をかける戦略的決戦は断じておこなわない。最近の徐州撤退はその例である。こうして、敵は「速決」計画をやぶられ、われわれにひきずられて持久戦をおこなわざるをえなくなる。このような方針は、領土の狭い国ではとれないし、政治的にひどくおくれた国でもなかなかとれない。われわれは大国であり、そのうえ進歩の時代にあるので、これが実現できるのである。もし戦略的な決戦をさけたならば、「青山あるかぎり、薪《たきぎ》に心配なく」、若干の土地をうしなっても、なお、広大な機動の余地があって、国内の進歩、国際的増援および敵の内部的崩壊をうながし、これを待つことができる。これが抗日戦争の上策である。せっかち病の速勝論者は、持久戦の苦難な道のりをたえぬくことができないで、連勝をくわだて、形勢がすこしでも好転してくると、すぐに戦略的決戦の声をはり上げるが、もしそのようにすれば、抗戦全体が大損害をこうむって、持久戦はそのために葬りさられ、まんまと敵の奸計にひっかかってしまう。これはまったく下策である。決戦しない以上、土地を放棄しなければならなくなることは疑問の余地がないが、さけることのできない状況のもとでは(またこのような状況のもとでだけ)、大胆に放棄するほかない。このような状況になったばあいには、いささかも未練をのこすべきでなく、これは土地を時間ととりかえる正しい政策である。歴史上では、ロシアは決戦をさけて、大胆に退却し、一世を風靡《ふうび》したナポレオンにうち勝った〔24〕。現在、中国もまたそうすべきである。
 (一〇七)「無抵抗」と他人に非難されるのをおそれないのか。おそれない。全然戦わず、敵と妥協すること、これは無抵抗主義であって、非難すべきであるばかりか、まったくゆるせない。断固として抗戦するが、敵の奸計をさけ、わが軍の主力が敵の一撃のもとについえさって、抗戦の継続にひびくことがないようにするため、一言でいえば、亡国をさけるために、そうすることはぜひとも必要である。この点に疑いをさしはさむのは、戦争問題における近視眼であって、その結果はかならず亡国論者の仲間入りをすることになる。われわれが、「前進するだけで後退しない」という体当たり主義を批判したのは、このような体当たり主義が一般の風潮となれば、その結果は、抗戦の継続を不可能にし、最後には亡国にみちびく危険があるからである。
 (一〇八)われわれは、戦闘であろうと、大小の戦役であろうと、有利な条件のもとではすべて決戦をおこなうことを主張し、この点では、どのような消極性もゆるさない。敵を殲滅し、敵を消耗させる目的をたっするには、このような決戦をおこなう以外になく、抗日軍人はだれでもみな、断固としてそうしなければならない。この目的のためには、部分的な、かなり大量の犠牲が必要であり、どのような犠牲をもさけようとする観点は臆病者と恐日病患者の観点であって、それには断固として反対しなければならない。李服膺《リーフーイン》、韓復榘らの逃走主義者を死刑に処したが、それは正しかった。戦争において勇敢な犠牲、英雄的な前進の精神と行動を提唱することは、正しい作戦計画のもとでは絶対に必要なことであり、持久戦および最後の勝利ときりはなすことができない。われわれが「後退するだけで前進しない」という逃走主義をきびしく非難し、厳格な規律の励行を支持したのは、こうした正しい計画のもとでの英雄的決戦をおこなわないかぎり強敵にうち勝つことができないからであり、逃走主義は亡国論の直接の支持者だからである。
 (一〇九)さきに英雄的に戦っておいて、あとで土地を放棄するのは、自己矛盾ではないか。これらの英雄的な戦闘員の血は、むだに流されたことにならないか。これはまったく当をえない問題提起である。さきに飯をたべておいて、あとで便所にいくのでは、たべた飯がむだにならないか。さきに眠っておいて、あとで起きるのでは、眠ったのがむだにならないか。問題をこんなふうに提起できるであろうか。わたしはできないとおもう。飯をたべれはずっとたべつづけ、眠ればずっと眠りつづけ、英雄的に戦えばずっと鴨緑江の岸辺まで戦いつづけるというのは、主観主義と形式主義の幻想であって、実際生活には存在しない。だれでも知っているように、時間をかちとり、反攻を準備するために血を流して戦ったことによって、たとえ一部の土地の放棄はさけられなかったとしても、時間はかちとられ、敵を殲滅し、敵を消耗させる目的はたっせられ、わが方の戦闘経験はえられ、これまで立ちあがらなかった人民は立ちあがり、国際的地位はたかまった。このような血はむだに流されたのだろうか。少しもむだに流されたのではない。土地を放棄するのは軍事力を保存するためであり、またまさに土地を保存するためでもある。なぜなら、不利な条件のもとにありながら土地を部分的に放棄することをせず、勝算のまったくない決戦を盲目的にやるならば、その結果は、軍事力を喪失したのち、かならず、つづいて全部の土地を喪失し、失地回復どころの話ではなくなってしまうからである。資本家が商売をするには元手が必要で、すっかり破産してしまえば、もう資本家ではなくなる。ばくちうちにも元がいり、一か八か有り金を全部張ってしまって、運わるくあたらなければ、それ以上賭けようがなくなる。事物は思いどおりにまっすぐ進むものではなく、反復したり、曲折したりするものであり、戦争もこれとおなじであって、この道理に納得がいかないのは、形式主義者だけである。
 (一一〇)わたしの考えでは、戦略的反攻の段階での決戦においてもまたおなじである。そのときには、敵が劣勢で、わが方は優勢にたつが、やはり「有利な決戦をおこない、不利な決戦をさける」という原則が適用され、鴨緑江の岸辺に進撃していくまですべてそうである。このようにすれば、わが方は終始主動にたつことができるのであり、敵の「挑戦《ちょうせん》状」や、他の人の「けしかけの手」は、すべてたな上げにし、無視すべきで、すこしでもそれに動かされてはならない。抗日の将軍たちは、このような確固としたところがなければ、勇敢で聡明な将軍とはいえない。これは「触《ふ》れるとすぐ跳《と》びあがる」ような人間には、縁のないことである。第一段階では、わが方はある程度の戦略的受動にあるが、戦役のうえではすべて、主動にたつべきであり、その後のどの段階においても主動にたつべきである。われわれは、ばくちうちのような一か八か論者ではなく、持久論者であり、最後勝利論者である。

兵士と人民は勝利のもとである

 (一一一)日本帝国主義は、革命的な中国をまえにして、けっしてその進攻と弾圧の手をゆるめるものではなく、その帝国主義的本質がこれを規定している。中国が抵抗しなければ、日本は一発の弾丸も使わずに、らくらくと中国を占領できるのであり、東北四省の喪失がその前例である。中国が抵抗すれば、日本はくの抵抗力に圧迫をくわえ、その圧力が中国の抵抗力をしのげなくなるまでは停止しない。これは必然の法則である。日本の地主・ブルジョア階級の野心はきわめて大きく、南は東南アジアを攻撃し、北はシベリアを攻撃するために、中間突破の方針をとり、まず中国を攻撃しているのである。日本は華北と江蘇、淅江一帯を占領してしまえば、適当に停止するだろうと考えている人びとは、新しい段階に発展して死線に近づいてきた日本帝国主義が、もはや過去の日本とは異なっていることを全然みていないのである。われわれが、日本の出兵数と進攻点には一定の限界があるというのは、つぎのことを意味している。すなわち、日本の側は、その力の基礎のうえでは、さらに他の方面にも進攻するとともに、別の方面の敵をも防御する必要があるため、中国を攻撃するのに一定程度の力しかさくことができず、しかもその力のおよびうる限度までしか攻撃できないということ、一方中国の側は、自己の進歩と頑強な抵抗力をしめしており、一日本が猛攻するだけで中国には必要な抵抗力がないなどとは考えられないということである。日本は全中国を占領することはできないが、その力のおよびうる地区では、全力をあげて中国の抵抗を弾圧し、その内外の条件によって日本帝国主義が墓場においこまれる直接的な危機がやってくるまでは、このような弾圧を停止することはありえない。日本の国内政治には二つの道しかない。その一つは、権力をにぎる階級全体が急速に崩壊し、政権が人民の手にわたり、それによって戦争が終わることであるが、当分その可能性はない。もう一つは、地主・ブルジョア階級が日ましにファッショ化していき、自己の崩壊の日がくるまで戦争を持続していくことであり、日本がすすんでいるのはまさにこの道である。このほかに第三の道はない。日本のブルジョア階級の穏健派がでてきて戦争をやめさせるだろうと望むのは、たんなる幻想にすぎない。日本のブルジョア階級の穏健派は、すでに地主と独占金融資本のとりこになっており、これが長年の日本の政治の実際である。日本が中国を攻撃してのち、もし中国の抗戦がまだ日本に致命的な打撃をあたえず、日本にまだ十分な力があるとすれば、日本はさらに東南アジアまたはシベリアを攻撃するにちがいないし、ひいてはその両方とも攻撃するかもしれない。ヨーロッパで戦争がおこれば、日本はこの挙にでるであろう。日本の支配者の皮算用は非常にけたが大きい。もちろん、ソ連が強大なことや、日本が中国での戦争で大いに弱まることから、日本がもとのシベリア進攻計画を中止して、シベリアにたいする根本的な守勢をとらざるをえなくなる可能性もある。しかし、このような状況があらわれたときには、日本は中国への進攻をゆるめるのではなくて、逆に中国への進攻をつよめるであろう。なぜならそのときには、日本には弱者を餌食《えじき》にする道しか残っていないからである。そのときには、中国の抗戦堅持、統一戦線堅持、持久戦堅持の任務は、なおさら、重大さをまし、いささかのたるみもゆるされなくなる。
 (一一二)このような状況のもとで、中国が日本に勝利する主要な条件は、全国的に団結することと、各方面でこれまでより十倍も百倍も進歩することである。中国はすでに進歩の時代にあり、すでに偉大な団結もできているが、現在の程度ではまだ非常に不十分である。日本の占領する土地がこのように広いのは、一方では日本の強さ、地方では中国の弱さによるが、この弱さはまったく百年らい、ことにこの十年らいのいろいろな歴史的あやまりがつみかさなった結果であって、これが中国の進歩的要素を今日の状態に限定しているのである。現在、このような強敵にうち勝つには、長期にわたる大きな努力なしには、不可能である。努力すべきことはたくさんあるが、わたしは、ここではただもっとも根本的な二つの面、すなわち軍隊の進歩と人民の進歩についてだけのべよう。
 (一一三)軍制の革新には、その近代化、技術的条件の増強がなくてはならず、この点がなければ、敵を鴨緑江の向こう側においだすことはできない。軍隊を使用するには進歩的な、弾力的な戦略戦術が必要であり、この点がなければ、やはり勝利することはできない。しかし、軍隊の基礎は兵士であって、進歩的な政治精神を軍隊にそそぎこまなければ、それをそそぎこむための進歩的な政治工作がなければ、将校と兵士とのあいだの真の一致は達成できず、将兵の抗戦の熱情を最大限に燃えたたせることはできず、すべての技術や戦術もそれにふさわしい効力を発揮する最良の基礎はえられなくなる。日本は技術的条件はすぐれているが最後にはかならず失敗するというのは、われわれがかれらに殲滅や消耗の打撃をあたえるということのほかに、その軍隊の士気がわれわれの打撃につれて、ついにはかならず動揺して、武器と兵員との結合がしっくりいかなくなるということである。われわれはその逆で、抗日戦争の政治目的では、将兵ともに一致している。この点にすべての抗日軍隊の政治工作の基礎がある。軍隊では、一定限度の民主化を実行すべきであり、主として、なぐったりどなったりするような封建主義的な制度を廃止して、将兵が苦楽をともにするようにすべきである。こうすれば、将兵の一致という目的がたっせられ、軍隊はこのうえなく戦闘力をまし、長期の残酷な戦争がささえられない心配はなくなる。
 (一一四)戦争の偉力のもっとも深い根源は民衆のなかにある。日本がわれわれをあなどるのは、主として中国の民衆が無組織の状態にあるからである。この欠点が克服されれば、日本侵略者は火の海にとびこんできた野牛のように、立ちあがったわれわれ数億の人民の面前にひきすえられ、われわれの一喝でとびあがり、かならず焼け死んでしまう。われわれの側では、軍隊はたえまなく補充しなければならないが、現在地方ででたらめにやられている「兵隊狩り」、「身代わり兵買い」〔25〕をただちに禁止して、広範な熱烈な政治的動員にきりかえるべきであり、そうすれば、数百万人を軍隊に参加させることも容易である。抗日のための財源には大きな困難があるが、民衆を動員すれば、財政も問題にならない。このように土地が広く、人口の多い国で財政窮乏を憂える理由などがどこにあろうか。軍隊は、民衆から自分の軍隊とみなされるよう、民衆と一体になるべきである。そうなれば、この軍隊は天下無敵となり、日本帝国主義ぐらいをうちやぶるのは物の数ではなくなる。
 (一一五)将兵関係、軍民関係がうまくいかないのは、方法がまちがっているからだとおもっている人がたくさんいるが、わたしは、つねにかれらに、それは兵士を尊重し人民を尊重するという根本的な態度(あるいは根本的なたてまえ)の問題であるといってきた。この態度からいろいろの政策、方法、方式がうまれるのである。この態度がなければ、政策、方法、方式もかならずまちがってくるし、将兵のあいだ、軍民のあいだの関係もけっしてうまくいかない。軍隊の政治工作の三大原則は、第一が将兵一致であり、第三が軍民一致であり、第三が敵軍瓦解である。これらの原則を効果的に実行するには、兵士の尊重、人民の尊重、すでに武器を放棄した敵軍の捕虜の人格の尊重という根本的な態度から出発しなければならない。これらのことを根本的な態度の問題ではなくて、技術的な問題だと考える人びとは、まったく考えちがいをしているのであって、ぜひ改めなければならない。
 (一一六)武漢地方の防衛が緊急任務となっているこのさい、全軍隊、全人民のすべての積極性をふるいたたせて戦争をささえていくことは、非常に重大な任務である。武漢地方を防衛する任務は、疑うまでもなく、しんけんにこれを提起し遂行しなければならない。しかし、はたして、確実に防衛できるかどうかは、主観的な願望によってきまるのではなくて、具体的な条件によってきまる。全軍隊、全人民が奮起するよう政治的に動員することが、もっとも重要な具体的な条件の一つである。すべての必要な条件をかちとることに努力しないなら、それどころか必要な条件の一つでも欠けるなら、いきおい、南京などをうしなった二の舞いを演じることになる。中国のマドリードがどこになるかは、どこにマドリードの条件がそなわるかにかかっている。これまでは一つのマドリードもなかったが、今後はいくつかのマドリードをつくりだすよう努めるべきで、それはまったく条件いかんにかかっている。条件のうちのもっとも基本的なるのは全軍隊、全人民の広範な政治的動員である。
 (一一七)すべての活動において、抗日民族統一戦線の全般的方針を堅持すべきである。なぜなら、この方針によってのみ、抗戦を堅持し、持久戦を堅持することができ、将兵関係、軍民関係を広く深く改善することができ、全軍隊、全人民のすべての積極性をふるいたたせて、まだうしなわれていないすべての地区を防衛し、すでにうしなわれたすべての地区を奪回するために戦うことができ、そして最後の勝利をたたかいとることができるからである。
 (一一八)軍隊と人民を政治的に動員するという問題は、実際あまりにも重要である。われわれが重複をいとわず、この点についてのべてきたのは、実際、この点がなければ勝利がえられないからである。他の多くの必要なものがなければ、もとより勝利はえられないが、しかしこの点が勝利のもっとも基本的な条件である。抗日民族統一戦線は、けっしていくつかの政党の本部や党員たちだけの統一戦線ではなく、全軍隊、全人民の統一戦線である。全軍隊、全人民を統一戦線に参加させることこそ、抗日民族統一戦線結成の根本目的である。

結論

 (一一九)結論はなにか。結論はこうである。「どのような条件のもとで、中国は日本帝国主義の武力にうち勝ち、これを消滅することができるのでしょうか。三つの条件が必要です。第一は中国抗日統一戦線の達成、第二は国際抗日統一戦線の達成、第三は日本国内の人民と日本の植民地の人民の革命運動のもりあがりです。中国人民の立場からいえば、三つの条件のうち、中国人民の大連合が主要なものです。」「この戦争はどのくらい長びくでしょうか。それは、中国の抗日統一戦線の力と中日両国の他の多くの決定的な要素のいかんによってきまります。」「もしこれらの条件がすぐに実現しなければ、戦争は長びくでしょう。だが、結果はやはりおなじで、日本はかならず敗北し、中国はかならず勝利します。ただそれだけ犠牲が大きくなり、ひじょうに苦しい時期を経過するだけのことです。」「われわれの戦略方針は、主力を、たえず変動する長い戦線での作戦に用いるべきだということです。中国の軍隊が勝利するには、ひろい戦場での高度の運動戦が必要です。」「訓練された軍隊を配置して運動戦をおこなうほか、さらに農民のあいだに多くの遊撃隊を組織しなければなりません。」「戦争の過程で、……中国の軍隊の装備をしだいに強化していくこともできます。したがって、中国は戦争の後期には陣地戦をおこない、日本の占領地にたいして陣地攻撃をおこなうことができます。このようにして、日本は、中国の抗戦による長期の消耗によって、経済は崩壊し、無数の戦いに疲弊して、士気はおとろえていくでしょう。中国の側では、抗戦の潜在力が日ましに大きくたかまり、大量の革命的民衆がぞくぞくと前線におもむき、自由のために戦うでしょう。これらすべての要素が他の要素と結びつくと、われわれは、日本の占領地の堡塁や根拠地にたいして最後の致命的な攻撃をくわえ、日本の侵略軍を中国から駆逐することができます。」(一九三六年七月、スノウとの談話)「中国の政治情勢は、このときから新しい段階にはいった。……この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利をかちとることである。」「抗戦の勝利をかちとる中心の鍵は、すでに口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。」「当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折、退却、内部分化、裏切り、一時的、局部的な妥協など、多くの不利な状況がうまれる可能性がある。したがって、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、われわれは、すでに口火のきられた抗戦が、かならずわが党と全国人民の努力によって、あらゆる障害をつきやぶってひきつづき前進、発展することを確信する。」(一九三七年八月、「中国共産党中央の当面の情勢と党の任務についての決定」)これらの点が結論である。亡国論者は敵を神わざをもつもののように考え、自分をちりあくたのように考えており、速勝論者は敵をちりあくたのように考え、自分を神わざをもつもののように考えているが、これはどちらもあやまりである。われわれの意見はその反対である。すなわち抗日戦争は持久戦であり、最後の勝利は中国のものである――これがつまりわれわれの結論である。
 (一二〇)わたしの講演はこれで終わる。偉大な抗日戦争がいま、まさに展開されており、その全面的な勝利をかちとるために、経験の総括されることを多くの人びとが望んでいる。わたしがのべたのは、この十ヵ月の経験のなかの一般的なものにすぎないが、これも一つの総括といえよう。この問題は広範な注意と討議をひきおこすに値するものであり、わたしがのべたのは一つの概論にすぎないので、諸君の研究、討議によって、訂正、補足されるよう希望する。



    〔1〕 こうした亡国論は国民党の見解である。かれらは抗日を望まなかったのであり、のちにやむなく抗日したのである。蘆溝橋事変以後、蒋介石一派は不本意ながら抗日に参加したが、汪精衛一派は亡国論を代表して、日本への投降を準備し、はたしてのちには投降してしまった。だが、亡国論の思想は国民党内に存在していたばかりでなく、一部の中間層、ひいては一部のおくれた勤労人民にさえも影響をおよぼしていたのである。これは、腐敗無能な国民党政府が、抗日戦争のなかでつぎつぎに失敗をかさね、しかも日本軍がまっしぐらに侵入して、戦争の一年目に武漢付近にまで進撃したため、一部のおくれた人民のあいだに、深刻な悲観的気分が生じたからである。
    〔2〕 ここにあげられている見解はみな共産党内のものである。抗日戦争の最初の半年間、党内には、日本は一撃にも値しないと考える、敵を軽視する傾向があった。そのわけは共産党の指導する軍隊と組織された民衆の力が、当時、まだ小さいことを知っていたかれらとして、自己の力が大きいと感じたからではない。国民党が抗日したので、かれらは、国民党が共産党と呼応して日本を効果的にたたくだけの大きな力をもっていると感じたからである。かれらは、国民党の反動的な、腐敗した面をわすれて、国民党の一時的な抗日の面だけをみていたので、あやまった評価をおこなったのである。
    〔3〕 これは蒋介石らの見解である。蒋介石国民党は抗戦を余儀なくされると、ひたすら外国からのすみやかな援助にのぞみをかけた。かれらは自己の力を信じなかったし、それにもまして人民の力を信じなかった。
    〔4〕 台児荘は山東省南部の町である。一九三八年三月、中国軍隊と日本侵略軍とが台児荘一帯で会戦した。中国軍隊は四十万の兵力で七、八万の日本軍に対抗し、それで勝利をおさめた。
    〔5〕 これは、当時、国民党の政学系の新聞『大公報』が社説でのべた論調である。かれらは持久戦の過程で人民の力を動員することによって、自分たちの階級の安全がおびやかされることのないように、僥倖《ぎょうこう》をたのむ気持ちかち、台児荘のような勝利を何回かかさねて日本をうちやぶることにのぞみをかけた。国民党全体に、当時、こうした僥倖をたのむ気持ちがあった。
    〔6〕 一八世紀の末から数十年間、イギリスは中国向けのアヘン輸出を日ましにふやしていった。アヘンの輸入で、中国人民はひどい害毒をうけ、中国の銀は大量に奪いさられた。アヘン貿易は、中国の反対にあった。一八四〇年、イギリス政府は、通商の保護を口実に、派兵して中国を侵略した。中国軍隊は、林則徐の指導のもとに侵略に抵抗する戦争をおこなった。広州の人民は、自然発生的に「平英団」を組織して、イギリス侵略軍に大きな打撃をあたえた。一八四二年、腐敗した清朝政府は、イギリス侵略者と「南京条約」を結んだ。この条約は賠償金を支払い、香港を割譲するほか、上海、福州、廈門、寧波、広州を通商港として開放し、また、中国の輸入するイギリス商品にたいする税率を中英両国が共同で議定することを規定している。
    〔7〕 戊戌維新とは、戊戌の年(一八九八年)におこった改良主義運動をさす。この運動は、一部の自由主義ブルジョア階級と開明地主の利益を代表し、康有為、梁啓超、譚嗣同らが中心になってすすめたもので、光緒皇帝の賛助をえたが、人民大衆のなかに基盤をもっていなかった。当時、武力をにぎっていた袁世凱が頑固派の首領西太后に維新派の機密をうりわたしたので、西太后はふたたび政権をにぎり光緒皇帝を幽閉するとともに、譚嗣同ら六人を殺した。この運動は、こうしてみじめな失敗に終わった。
    〔8〕 一九三八年一月十六日、日本の内閣は、武力によって中国を滅ぼすという方針をあきらかにする声明を発表すると同時に、国民党政府が「依然として抗戦の策動をつづける」以上、日本政府としては「爾後《じご》国民政府を対手とせず」、中国に新しいかいらい政権をもりたてると公言し、国民党政府にたいして威嚇と投降勧誘をおこなった。
    〔9〕 ここでは、主として、アメリカをさす。
    〔10〕 イギリス、アメリカ、フランスなどの帝国主義諸国の政府をさす。
    〔11〕 毛沢東同志がここで予言している、抗日戦争の対特段階における中国側の上向きの変化は、中国共産党の指導下にある解放区で完全に実現された。国民党支配区では、蒋介石をかしらとする支配集団が、抗日には消極的で、反共、反人民には積極的であったために、上向きにならなかったばかりでなく下向きになった。だが、こうした状況も広範な人民の反抗と自覚をよびおこすことになった。毛沢東同志の『連合政府について』にあるこれらのすべての事実にかんする分析を参照。
    〔12〕 「唯武器論」は中国の武器は日本におとるから、戦争ではかならず中国が敗北すると考える論調である。国民党反動派の頭目たちは(蒋介石をもふくめて)みなこのような見方をしていた。
    〔13〕 如来仏は仏教の創始者釈迦牟尼をさす。孫悟空は一六世紀の中国の神話小説『西遊記』のなかの英雄である。この神話小説によると、孫悟空は猿であって、もんどりを一つうてば、十万八千里もとぶことができる。しかし、如来仏のたなごころのなかでは、どんなにもんどりうっても、たなごころからとびだすことができず、逆に如来仏がたなごころをびるがえしておさえると、五本の指が五行山と化して、孫悟空を下敷きにしてしまう。
    〔14〕 一九三五年八月、ディミトロフ同志はコミンテルン第七回代表大会でおこなった『反戦・反ファシスト闘争における当面の諸問題』という報告のなかで、「ファシズムとは傍若無人な排外主義であり侵略戦争である」といった。一九三七年七月、ディミトロフ同志はまた『ファシズムとは戦争である』と題する論文を発表した。
    〔15〕 レーニンの『社会主義と戦争』の第一章と『第二インターナショナルの崩壊』の第三節にみられる。
    〔16〕 『孫子』巻三「謀攻」編にみられる。
    〔17〕 城濮は平原省濮県内(現在の河南省范県内――訳者)にある。西紀前六三二年、晉と楚の両国がここで大規模な戦争をおこなった。戦争のはじめには、楚軍が優勢をしめた。晉軍は、九十華里退却し、楚軍の力の手うすな左右両翼をえらんで手痛い打撃をあたえた。楚軍はついに大敗した。
    〔18〕 西紀前二〇四年、漢の将軍韓信のひきいる軍勢は井[”こざとへん”+坙]で、趙王の歇と大規模な戦いをまじえた。趙の軍勢は二十万と号し、漢の軍勢に数倍していた。韓信は背水の陣をしき、軍勢をひきいて奮戦し、同時に超軍の防備の手薄な後方に兵をおくってこれを襲撃、占領させ、前後からはさみうちして趙軍を大いに破った。
    〔19〕 一八世紀末から、一九世紀のはじめにかけて、フランスのナポレオンはイギリス、プロシア・オーストリア、ロシアおよびヨーロッパのその他の多くの国ぐにと戦った。何回もの戦争で、ナポレオンの部隊は、数のうえでは敵軍におとっていたが、いずれも勝利をおさめた。
    〔20〕 西紀三八三年、まえから晉軍をみくびっていた秦王苻堅は兵をだして、晉を攻めた。晉軍は安徽省の寿陽、洛澗の地方で秦軍の先陣をうちやぶり、水陸両面から前進をつづけた。苻堅は寿陽城にのぼって、遠くからこれをながめ、晉兵の布陣が整然としているのをみ、また遠くの八公山上の草木をみて、これをみな晉兵だとおもいこみ、強敵に出会ったようにおそれを抱きはじめた。本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔29〕を参照。
    〔21〕 蒋介石、汪精衛らが、一九二七年、国共間の第一次民族民主統一戦線を裏切ってから、十年にわたって反人民戦争をすすめ、中国人民が広範に組織されるのを不可能にしたことをさす。この歴史的あやまりは蒋介石をかしらとする国民党反動派がその責任を負うべきである。
    〔22〕 宋の襄公は西紀前七世紀の春秋時代の宋国の君主である。西紀前六三八年、宋国は強大な楚国と戦った。宋兵はすでに列を組んで陣をしき、楚兵はちょうど河を渡るところであった。宋国のある役人は、楚兵は多く、宋兵は少ないとみて、楚兵の渡河が終わらない機会をとらえて撃ってでるよう主張した。しかし、宋の襄公は、「それはいけない。君子は他人がこまっているのに乗じて人を撃つようなことはしない」といった。楚兵が河を渡って、まだ兵の布陣が終わらないとき、宋の役人が撃ってでるようふたたび願いでた。宋の襄公はまたも、「それはいけない。君子は陣容をととのえていない隊伍を攻撃するようなことはしない」といった。楚兵がすっかり準備ができたとき、はじめて、宋の襄公は出撃命令をくだした。その結果、宋国は大敗し、宋の襄公自身も負傷した。この物語は『左伝』債公二十二年にみられる。
    〔23〕 一九三七年、日本侵略軍は、北平、天津を占領すると、天津=浦口鉄道にそって南下し、山東省に進攻した。多年山東省を支配していた国民党軍閥韓復榘は戦わずに山東からずっと河南にまで逃げた。
    〔24〕 一八一二年、ナポレオンは五十万の大軍をもってロシアに進攻した。ロシア軍はモスクワを放棄し、それを焼きはらった。このため、ナポレオンの軍隊は、飢えと寒さにおそわれ、後方連絡線をかきみだされ、四方から包囲される羽目におちいって、撤退しなければならなくなった。ロシア軍は、機に乗じて反攻にで、ナポレオンの軍隊は逃げられたものわずかに二万余であった。
    〔25〕 国民党の軍隊拡充のやり方は、軍隊や警官を四方にくりだして人民をとらえてきて兵隊にするもので、とらえた兵隊は囚人同様、なわでしばられていた。多少金のある人は、国民党の官吏に賄賂をつかい、金で人を買って身代わりにした。
    訳注
    ① 一九三七年七月七日の蘆溝橋事変ののち、日本帝国主義は、全中国を滅ぼす方針をつらぬくため、侵略戦争をさらに拡大して、同年八月十三日、上海方面でも大規模な軍事的進攻をおこした。これが、ここでいう上海戦争である。
    ② 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔33〕にみられる。
    ③ 本選集第一巻の『湖南省農民運動の視察報告』注〔3〕にみられる。
    ④ 『孟子―告子章句下』にみられる。その原文は「先生の志は大なり。先生の説は不可なり」となっている。
    ⑤ 『抗日救国十大綱領』とは、抗日戦争勃発後の一九三七年八月二十五日、洛川でひらかれた中国共産党中央政治局拡大会議で採択された綱領である。これは、全面的抗戦の路線を貫徹して、日本帝国主義に徹底的に勝利するための救国綱領である。この綱領の全文は、本巻の『すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう』にみられる。
    ⑥ 本巻の『陝西・甘粛・寧夏辺区政府、第八路軍後方留守本部布告』訳注①にみられる。
    ⑦ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔24〕にみられる。
    ⑧ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔25〕にみられる。
    ⑨ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔26〕にみられる。
    ⑩ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔27〕にみられる。
    ⑪ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔28〕にみられる。
    ⑫ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔29〕にみられる。
    ⑬ 本巻の『すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう』注〔13〕にみられる。


  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 10:57 | 27 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

民族戦争における中国共産党の地位

          (一九三八年十月)


 これは、毛沢東同志が党の第六期中央委員会第六回総会でおこなった報告である。この会議は、毛沢東同志をはじめとする党中央政治局の路線を承認した非常に重要な会議であった。毛沢東同志が報告のなかで、『民族戦争における中国共産党の地位』という問題を提起したのは、全党の同志に、抗日戦争を指導するわが党の重大な歴史的責務をはっきり理解させるとともに、しんけんにそれをになわせるためであった。総会は抗日統一戦線堅持の方針を確定すると同時に、統一戦線には団結もあるが、また闘争もあること、「すべては統一戦線を通じて」という問題の提起は中国の実情にあわないことを指摘し、こうして、統一戦線問題における迎合主義のあやまりを批判した。毛沢東同志が結論のなかでのべた『統一戦線における独立自主の問題』は、このことについての問題である。総会は、同時にまた、全党をあげて人民の抗日武装闘争を組織することがきわめて重要であることを確定し、党の主要な活動分野を戦区と敵の後方におくことを決定し、そして日本侵略者にうち勝つ希望を国民党の軍隊によせたり、人民の運命を国民党反動派の支配下の合法的運動に託したりするようなあやまった思想を批判した。毛沢東同志が結論のなかでのべた『戦争と戦略の問題』は、このことについての問題である。


 同志諸君。われわれには輝かしい前途がある。われわれは、日本帝国主義に勝利しなければならず、新中国を建設しなければならないが、これらの目的はまたかならず達成できるものである。しかし、いまからその輝かしい前途にたっするまでには、苦難な道がよこたわっている。輝かしい中国のためにたたかう中国共産党と全国人民は、日本侵略者にたいし段どりを追ってたたかっていかなければならず、かれらをうちまかすには長期の戦争をする以外にない。この戦争の各方面の問題については、すでにたくさんのべてきた。われわれは、抗戦いらいの経験も総括したし、当面の情勢も評価したし、全民族の緊急任務も提起したし、長期の抗日民族統一戦線によって長期の戦争をささえる理由や方法も説明したし、国際情勢についても分析した。では、ほかにまだ、どんな問題があるだろうか。同志諸君、もう一つ問題がある。それは、中国共産党が民族戦争においてどのような地位にあるのかという問題であり、こんどの戦争を失敗させずに勝利するよう指導するには、共産党員がどのように自己を認識し、強め、団結させていかなければならないか、という問題である。

   愛国主義と国際主義

 国際主義者である共産党員が、同時にまた愛国主義者でもありうるか。われわれは、ありうるばかりでなく、またそうでなければならないとおもう。愛国主義の具体的内容は、それがどのような歴史的条件のもとにあるかによってきまる。日本侵略者やヒトラーの「愛国主義」もあれば、われわれの愛国主義もある。日本侵略者やヒトラーのいわゆる「愛国主義」にたいして、共産党員は断固として反対しなければならない。日本の共産党員やドイツの共産党員は、その国家が遂行する戦争においては敗北主義者である。あらゆる方法で日本侵略者やヒトラーの戦争を敗北に終わらせることが、日本人民やドイツ人民の利益であるし、敗北は徹底的であればあるほどよい。日本の共産党員やドイツの共産党員は、そうすべきであるし、かれらは現にそうしている。これは日本侵略者やヒトラーの戦争が、世界の人民に損害をあたえているばかりでなく、自国の人民にも損害をあたえているからである。中国の状況はこれとはちがい、中国は侵略されている国である。したがって、中国共産党員は愛国主義を国際主義と結びつけなければならない。われわれは国際主義者であり、また愛国主義者でもある。祖国防衛のため侵略者と戦おう、というのがわれわれのスローガンである。われわれにとって、敗北主義は罪悪であり、抗日の勝利をたたかいとることはさけることのできない責務である。なぜなら、祖国防衛のために戦わないかぎり、侵略者をうちやぶり、民族を解放することはできず、民族が解放されないかぎり、プロレタリア階級および勤労人民の解放は可能にならないからである。中国が勝利し、中国を侵略する帝国主義者がうちたおされることは、同時に外国の人民をたすけることでもある。したがって、愛国主義とは、民族解放戦争における国際主義の実践である。こうした理由から、共産党員はだれでも、最大の積極性を発揮し、勇敢に、決然と、民族解放戦争の戦場におもむき、銃口を日本侵略者にむけなければならない。こうした理由から、わが党は、すでに九・一八事変のときから、民族自衛戦争によって日本侵略者に抵抗せよ、というよびかけをだし、のちにまた抗日民族統一戦線の主張をかかげ、赤軍にたいしては抗日の国民革命軍に改編して前線におもむいて戦うよう命令し、自己の党員にたいしては抗日戦争の最前線にたって祖国防衛のために最後の血の一滴まで流して戦うよう命令した。これらの愛国主義の行動はいずれも正しいものであり、これこそ国際主義の中国での実現であり、少しも国際主義にそむくものではない。われわれのしていることがまちがっているとか、われわれが国際主義を放棄したとか、でたらめをいうのは、政治的なぼんくらか、あるいは下心をもつものだけである。

 民族戦争における共産党員の模範的役割

 上にのべた理由から、共産党員は民族戦争において高度の積極性をしめさなければならないし、その積極性をいろいろな面に具体的にしめさなければならない。つまりいろいろな面で前衛的な模範的な役割をはたさなければならない。われわれの戦争は、困難な環境のなかですすめられている。広範な人民大衆に民族的自覚、民族的自尊心と自信がたりないこと、大多数の民衆が組織されていないこと、軍事刀が強くないこと、経済がおくれていること、政治が民主的でないこと、腐敗現象や悲観的な気分があること、統一戦線の内部が団結していず、強固でないことなどが、こうした困難な環境を形成している。したがって、共産党員は全国人民を結集して、さまざまなよくない現象を克服する重大な責務を意識的にになわないわけにはいかない。このばあい、共産党員の前衛的役割と模範的役割が非常に重要である。共産党員は、八路軍と新四軍のなかでは、勇敢に戦う模範、命令執行の模範、規律遵守の模範、政治工作の模範、内部の団結と統一の模範となるべきである。共産党員は、友党、友軍との関係においては、団結して抗日する立場を堅持し、統一戦線の綱領を堅持し、抗戦任務を遂行する模範となるべきであり、いった以上かならずまもり、おこなう以上かならず断固としてやり、おごりたかぶらず、まごころをもって友党、友軍と相談し、協同して仕事をし、統一戦線内での各党の相互関係の模範となるべきである。共産党員は、政府の仕事のなかでは、きわめて廉潔で、縁故者を任用せず、仕事はたくさんし、報酬はすくなくもらうことで模範となるべきである。共産党員は、民衆運動では、民衆の上役ではなくて、民衆の友となるべきであり、官僚主義的な政客ではなくて、うむことなくおしえる教師となるべきである。共産党員は、いつでも、どこででも、個人の利益を第一位においてはならず、個人の利益を民族と人民大衆の利益にしたがわせるべきである。したがって、私利私欲、怠惰怠慢、汚職腐敗、売名主義などは、もっともいやしむべきことである。大公無私、積極的努力、滅私奉公、刻苦精励の精神こそ、尊敬すべきものである。共産党員は、党外のすべての先進的な人びとと一致協力して、全国人民を結集しさまざまなよくない現象を克服するために努力すべきである。共産党員は全民族のうちの小部分にすぎず、党外にはたくさんの先進的な人びとや活動家がおり、かれらと協同して仕事をしなければならないことを知るべきである。自分だけがよくて、他はみなだめだという考え方はまったくまちがっている。共産党員は、おくれた人びとにたいしては、かれらを軽く見たり、見くだしたりするのではなくて、かれらに近づき、かれらと団結し、かれらを説得し、かれらの前進を励ます態度をとるものである。共産党員は、活動のなかであやまりをおかした人びとにたいしては、救いようのないもののほかは、排斥する態度をとるのではなくて、かれらが翻然とあやまりをあらため、ふるいものをすてて新しくでなおすように忠告する態度をとるものである。共産党員は、事実にもとづいて真理を求める模範となるべきであり、また遠い見通しと、高い識見をもつことでも模範となるべきである。なぜなら、さだめられた任務を完成するには、事実にもとづいて真理を求める以外になく、前進の方向をみうしなわないためには、遠い見通しと、高い識見をもつ以外にないからである。したがって、共産党員はまた学習の模範となるべきであり、かれらにとっては、毎日が民衆の教師であるが、またその毎日が民衆の生徒でもある。民衆から学び、環境から学び、友党、友軍から学び、かれらを理解しないかぎり、事実にもとづいて真理を求める態度で活動し、前途にたいして遠い見通しと高い識見をもつことはできない。長期の戦争と困難な環境のなかでは、共産党員は友党、友軍および人民大衆のなかでのすべての先進的な人びとと協同し、その前衛的な模範的な役割を高度に発揮しないかぎり、全民族のいきいきとしたすべての力を動員して、困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設するために奮闘することはできない。

 全民族の団結と、民族内部の敵のまわし者にたいする闘争

 困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設するには、抗日民族統一戦線を拡大強化し、全民族内のいきいきとしたすべての力を動員する以外になく、これが唯一無二の方針である。しかし、われわれの民族統一戦線のなかには、破壊的なはたらきをしている敵のまわし者、つまり民族裏切り者、トロツキスト、親日派がいる。共産党員はつねにそれらの敵のまわし者に用心し、確実な証拠によってかれらの罪悪をあばき、かれらのわなにかからないよう人民に注意をうながすべきである。共産党員は、民族のなかの敵のまわし者にたいする政治的警戒心をたかめなければならない。共産党員は、敵のまわし者を摘発し、一掃することが民族統一戦線の拡大強化と切りはなせないものであることを知らなければならない。一方にだけ気をくばって他の一方をわすれるのは、まったくあやまりである。


     共産党の拡大と、敵のまわし者の潜入防止

 困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設するために、共産党は、革命に忠実な、党の主義を信じ、党の政策を支持し、しかもすすんで規律に服し、仕事に努力する広範な労働者、農民と青年活動家に門戸をひらいて、自己の組織を拡大し、党を大衆性のある偉大な党にしなければならない。このばあい、閉鎖主義的偏向はゆるされない。しかし同時に、敵のまわし者の潜入にたいする警戒心もけっして欠いてはならない。日本帝国主義の特務機関は、たえずわが党を破壊しようとたくらみ、かくれた民族裏切り者、トロツキスト、親日派、腐敗分子、投機分子を利用して、かれらに積極的な姿をよそおわせ、わが党内に潜入させようと、たえずたくらんでいる。これらの分子を警戒し、厳重に防止することを片時もゆるがせにしてはならない。敵のまわし者をおそれるあまり党の門をとざすべきではなく、大胆に党を拡大することはわれわれがすでにきめている方針である。だが、同時に、大胆に拡大するからといって、敵のまわし者や投機分子が機に乗じてもぐりこむことにたいする警戒をゆるめてはならない。一方にだけ気をくばって他の一方をわすれるとあやまりをおかす。「大胆に拡大するが、悪質分子は一人ももぐりこませない」、これこそ正しい方針である。

    統一戦線の堅持と党の独立性の堅持

 民族統一戦線を堅持してはじめて、困難を克服し、敵に勝利し、新中国を建設できることはまったく疑う余地のないところである。しかし同時に、統一戦線に参加する政党は、それが国民党であろうと、共産党であろうと、その他の政党であろうと、いずれの政党も、思想上、政治上、組織上での独立性をたもたなければならない。三民主義のなかの民権主義とは、政党の問題でいえば、各政党のあいだの連合をゆるすことであり、また各政党の独立的存在をゆるすことである。もし統一性をうんぬんするだけで独立性を否定するならば、それは民権主義にそむくものであり、われわれ共産党が同意できないだけでなく、どの政党も同意できないものである。もちろん、統一戦線における独立性は絶対的なものではなく、相対的なものでしかない。もし、それが絶対的なものだと考えるなら、それは団結して敵にあたるという全般的方針を破壊することになる。しかし、けっしてこのような相対的独立性を抹殺《まっさつ》してはならず、思想的にも、政治的にも、組織的にも、各政党は相対的な独立性、つまり相対的な自由の権利をもっていなければならない。もし、この相対的な自由の権利を他から抹殺されるか、あるいはみずからこれを放棄するなら、それもまた団結して敵にあたるという全般的方針を破壊することになる。これは、共産党員の一人ひとりが、同時にまた友党の党員の一人ひとりが、知っていなければならないことである。
 階級闘争と民族闘争との関係もやはりそうである。抗日戦争では、すべてが抗日の利益にしたがうべきであり、これは確固とした原則である。したがって、階級闘争の利益は、抗日戦争の利益にしたがうべきであって、抗日戦争の利益にそむいてはならない。だが、階級と階級闘争の存在は事実である。一部の人びとは、この事実を否定し、階級闘争の存在を否定するが、これはあやまりである。階級闘争の存在を否定しようとする理論は完全にあやまった理論である。われわれは、それを否定するのではなくて、それを調整するのである。われわれの提唱する互助互譲の政策は、政党の関係に適用されるばかりでなく、階級関係にも適用される。団結して抗日するためには、各階級の相互関係を調整する適切な政策を実行すべきであり、勤労大衆に政治上、生活上の保障が全然ないようであってはならないし、同時にまた、金持ちの利益をも考慮してやるべきで、こうすることによって、団結して敵にあたるという要求に合致させるのである。一方にだけ気をくばって他の一方に気をくばらなければ、抗日に不利になるであろう。

  全局に気をくばり、多数に気をくばり、同盟者といっしょに仕事をすること

 共産党員は、大衆を指導して敵とたたかうさいには、全局に気をくばり、多数に気をくばり、また同盟者といっしょに仕事をするという観点をもたなければならない。共産党員は、局部の必要を全局の必要にしたがわせるという道理をわきまえていなければならない。もしある意見が、局部的な状況からみて実行すべきものであっても、全局の状況からみて実行すべきでないものであれば、局部を全局にしたがわせなければならない。その反対のばあいもおなじで、局部の状況からみて実行すべきでないものであっても、全局の状況からみて実行すべきものであれば、やはり、局部を全局にしたがわせなければならない。これが全局に気をくばるという観点である。共産党員は、けっして、大衆の多数から浮きあがり、多数の人びとの状況をかえりみずに、少数の先進部隊をひきいて、単独で暴進すべきではなく、先進的な人びとと広範な大衆とのあいだの緊密な結びつきをつくりあげるよう心がけなければならない。これが、多数に気をくばるという観点である。われわれとの協力をのぞんでいる民主的党派や民主的な人びとのいるところでは、どこでも、共産党員はかれらといっしょに相談し、いっしょに仕事をする態度をとらなければならない。同盟者をそっちのけにして、独断でことをはこぶような態度は正しくない。りっぱな共産党員は、よく、全局に気をくばり、多数に気をくばり、また同盟者といっしょに仕事ができるようでなければならない。われわれには、これまで、これらの点で大きな欠陥があったが、それをあらためるよう心がけなければならない。

 幹部政策

 中国共産党は、数億人にのぼる大民族のなかでの偉大な革命闘争を指導する党であり、数多くの才徳兼備の指導的幹部がなければ、その歴史的任務を達成することはできない。この十七年らい、わが党はすでに多くの指導的人材を養成してきており、軍事、政治、文化、党活動、民衆運動のあらゆる分野に骨幹となる人びとをわれわれはもっているが、これは党の誇りであり、また全民族の誇りでもある。だが、いまある骨幹だけでは、まだ闘争という大建築物をささえるには十分でなく、もっとひろく人材を養成しなければならない。中国人民の偉大な闘争のなかで、多くの活動家がすでに続出したし、またげんに続出しつつある。われわれの責務は、かれらを組織し、養成し、愛護することであり、またかれらを上手につかうことである。政治路線が確定されたのちには、幹部が決定的な要因になる〔1〕。したがって大量の新しい幹部を計画的に養成することがわれわれの戦闘的任務である。
 党員幹部に関心をよせるだけでなく、非党員幹部にも関心をよせなければならない。党外には多くの人材がおり、共産党はかれらを度外視してはならない。他を見くだす悪習をすてさり、非党員幹部といっしょに仕事をすることに習熟し、かれらをこころから援助し、あたたかい同志的な態度でかれらに接し、かれらの積極性を抗日と建国の偉大な事業のなかに組みいれることが、共産党員一人ひとりの責務である。
 幹部を識別することに習熟しなければならない。幹部のある時期、あることがらについてみるだけでなく、幹部の全経歴と全活動をみなければならない。これが幹部を識別する主要な方法である。
 幹部をつかうことに習熟しなければならない。指導者の責務は、結局のところ、主として案をだすこと、幹部をつかうことの二つである。すべての計画、決議、命令、指示などはみな「案をだす」ことのうちにはいる。これらすべての案が実行されるためには、幹部を結集し、かれらにその実行をうながさなければならず、これは「幹部をつかう」ことのうちにはいる。幹部をつかうという問題では、わが民族の歴史には、従来、二つの対立した路線がみられた。その一つは「任用は賢のみによる」路線であり、もう一つは「任用は縁故のみによる」路線である。前者は正道な路線であり、後者は邪道な路線である。共産党の幹部政策は、党の路線を断固として実行し、党の規律にしたがい、大衆と緊密なつながりをもち、ひとりだちで活動できる能力をもち、積極的に仕事をし、私利私欲をはからないことを基準とすべきである。これが「任用は賢のみによる」路線である。過去における張国燾《チャンクォタオ》①の幹部政策は、これとは反対で、「任用は縁故のみによる」ことを実行し、とりまき連中をだきこみ、分派をつくり、あげくのはては、党を裏切って去ってしまったが、これは大きな教訓である。張国燾およびかれに似たものの残した歴史上の教訓にかんがみ、幹部政策の問題では党の統一と団結を強化するために正道で公正な作風を堅持し、邪道で不公正な作風に反対することは、中央および各級の指導者の重要な責務である。
 幹部を愛護することに習熟しなければならない。愛護する方法は、第一に、かれらを指導することである。それは、かれらが大胆に責任を負えるようおもいきって活動させることであり、同時にまた、かれらが党の政治路線のもとで創意性を発揮できるように、適時に指示をあたえることである。第二に、かれらをたかめることである。それは、かれらが理論のうえで、活動能力のうえで、いっそうたかまるようにかれらに学習の機会をあたえ、かれらを教育することである。第三に、かれらの活動を点検し、かれらが経験をしめくくり、成果をのばし、あやまりをただすよう援助することである。仕事をまかせておいて点検せず、重大なあやまりをおかしたときにはじめてそれに目をむけることは、幹部を愛護するやり方ではない。第四に、あやまりをおかした幹部にたいしては、一般的には説得の方法をとって、かれらがあやまりをただすのをたすけることである。重大なあやまりをおかしながら、なお指導をうけいれない人びとにたいしてだけ、闘争という方法をとるべきである。このばあい、辛抱づよいことが必要であって、軽々しく、「日和見主義」という大きなレッテルをはったり、「闘争を展開する」方法をとることはまちがいである。第五に、かれらの困難に気をくばってやることである。病気、生活、家庭などの面で困難をかかえている幹部にたいしては、可能な範囲内でこころから世話をしてやらなければならない。以上が幹部を愛護する方法である。

 党の規律

 張国燾の重大な規律破壊の行為にかんがみ、党の規律をもう一度のべておかなければならない。すなわち、(一)個人は組織にしたがい、(二)少数は多数にしたがい、(三)下級は上級にしたがい、(四)全党は中央にしたがう、という規律である。これらの規律をやぶるものは党の統一を破壊するものである。経験が証明しているように、規律を破壊するものには、党の規律とはなにかわからない人もいるが、また、張国燾のように、その悪だくみをとげるために、多くの党員の無知を利用し、承知のうえでわざと規律をやぶるものもいる。したがって、一般党員に規律をまもらせるだけでなく、党の指導的人物もいっしょに規律をまもるよう一般党員に監督させて、二度と張国燾事件がおこらないように、党員に党の規律についての教育をしなければならない。党内の関係を正しい軌道にのせるためには、うえにのべた四つのもっとも重要な規律のほかに、さらに、各級指導機関の行動を統一するためのもっと詳細な党内規定をつくらなければならない。

     党内民主主義

 偉大な闘争に直面している中国共産党は、勝利をかちとれるように、党の全指導機関、全党の党員および幹部が積極性を高度に発揮することを要求する。積極性の発揮というのは、指導機関、幹部および党員の創造力、責任感、仕事の活発さに、問題の提起「意見の発表、欠点にたいする批判の大胆なことと上手なことに、また指導機関と指導的幹部にたいする愛護の観点からでた監督の役割のうえに、具体的にあらわれなければならない。これらがなければ、積極性というものは中味がなくなる。そして、これらの積極性の発揮は党内生活の民主化にかかっている。党内に民主生活が欠けていれば、積極性の発揮という目的はたっせられない。また民主生活のなかでしか大量の有能な人材をつくりだすことはできない。わが国は小生産的な家父長制が優位をしめている国であり、また全国的範囲では、いまもなお民主的生活がないので、このような状況がわが党内に反映して、民主生活の不足という現象をうんでいる。この現象は全党の積極性の十分な発揮をさまたげている。同時に、それは統一戦線、民衆運動での民主生活の不足という影響をもたらしている。これがために、党員に、民主生活とはどんなものか、民主制と集中制の関係とはどんなものか、また民主集中制をどのように実行するかを理解させるよう、党内で民主生活についての教育をほどこさなければならない。こうすれば、党内の民主生活を確実にひろげることができる一方、極端な民主化にはしらず、規律を破壊する自由放任主義にはしらずにすむ。
 わが軍隊内の党組織もまた、党員の積極性をたかめ、軍隊の戦闘力をたかめるよう、必要な民主生活をひろげなければならない。しかし、軍隊の党組織の民主主義は地方の党組織の民主主義よりもすくなくすべきである。軍隊でも、地方でも、党内民主主義は、規律と戦闘力をよわめるためのものではなくて、規律をつよめ戦闘力をたかめるためのものでなくてはならない。
 党内民主主義の拡大は、党の強化と党の発展にとって必要な段どりであり、偉大な闘争のなかで党が活気にあふれ、りっぱに任務をはたし、新しい力をのばし、戦争の難関をのりさる一つの重要な武器とみなければならない。

 わが党はすでに二つの戦線での闘争をつうじて強固になり、強大になった

 この十七年らい、わが党は、一般的に、マルクス・レーニン主義の思想闘争の武器をつかって、一面では、右翼日和見主義とたたかい、もう一面では「左」翼日和見主義とたたかうという、二つの面から党内のあやまった思想とたたかうことを学びとった。
 党の第六期中央委員会第五回総会以前には〔2〕、わが党は陳独秀《チェントウシウ》の右翼日和見主義②と李立三《リーリーサン》同志の「左」翼日和見主義③とたたかった。この二回の党内闘争の勝利によって、党は偉大な進歩をとげた。第五回総会以後にも、また歴史的な意義をもつ二回の党内闘争がおこなわれたが、遵義《ツンイー》会議④での闘争と張国燾を党から除名する闘争がそれである。
 遵義会議は、五回目の反「包囲討伐」闘争のなかでおかした「左」翼日和見主義の性質をもつ重大な原則的あやまりを是正し、党ならびに赤軍を団結させ、これによって党中央と赤軍主力が長征を成功裏になしとげ、抗日の前進基地に移動し、抗日民族統一戦線の新しい政策を実行できるようになった。巴西《パーシー》会議〔3〕と延安会議〔4〕(張国燾路線との闘争は巴西会議にはじまり延安会議で完了した)が張国燾の右翼日和見主義とたたかったことによって、赤軍全部が合流し、全党がいっそう団結をつよめて、英雄的な抗日闘争をすすめることができるようになった。この二つの種類の日和見主義のあやまりは、いずれも国内革命戦争中にうまれたものであり、その特徴は戦争に関連するあやまりである。
 この二回の党内闘争からえた教訓はどんな点にあるのか。それはつぎの点にある。(一)中国革命戦争の特徴を理解しないことからうまれ、五回目の反「包囲討伐」闘争のなかにあらわれた重大な原則的あやまりは、主観的、客観的条件をかえりみない、「左」翼的せっかち病の偏向をふくんでおり、この偏向は、革命戦争に極度の不利をもたらし、同時にまた、どのような革命運動にも不利をもたらすものである。(二)張国燾の日和見主義は革命戦争における右翼日和見主義であり、その内容はかれの退却路線、軍閥主義と反党行為の総合である。それを克服したことによってはじめて、本質はりっぱで、しかも長期の英雄的闘争をおこなってきた赤軍第四方面軍の広範な幹部と党員を、張国燾の日和見主義の支配下から解放し、党中央の正しい路線のもとにたちかえらせたのである。(三)十年の土地革命戦争⑤の時期の偉大な組織活動は、軍事建設の面でも、政府活動の面でも、民衆活動の面でも、党建設の面でも、大きな成果をあげたが、前線の英雄的戦闘と呼応するこうした組織活動がなかったならば、蒋介石に《チャンチェシー》たいする当時の苛烈《かれつ》な闘争をささえることはできなかったであろう。しかし、その後期には、党の幹部政策と組織政策の面で原則的な重大なあやまりがおかされ、それはセクト的偏向、懲罰主義および思想闘争におけるゆきすぎの政策となってあらわれた。これは、過去の李立三路線の残りかすがまだ一掃されていなかった結果であり、また当時の政治上の原則的あやまりの結果でもあった。これらのあやまりも遵義会議によって是正され、党を正しい幹部政策と正しい組織原則のほうにたちかえらせた。張国燾の組織路線にいたっては、共産党のあらゆる原則からまったくはなれ、党の規律をやぶり、分派活動から反党、反中央、反コミンテルンの行為にまで発展したのである。張国燾の犯罪的な路線上のあやまりと反党行為にたいして、党中央は、それを克服するのに、できるかぎりの努力をはらい、また張国燾自身をも救おうとした。だが、張国燾がそのあやまりをあくまでもあらためようとせず、二面的行動をとったばかりでなく、のちに党を裏切って国民党に身を投じたとき、党としては断固かれを除名せざるをえなかった。この処分は、全党の支持をえたばかりでなく、民族の解放事業に忠実なすべての人びとの支持をえた。コミンテルンも、この処分を承認したうえ、張国燾は逃亡兵であり裏切り者であると指摘した。
 以上のような教訓と成功は、われわれに、今後全党を団結させ、思想的、政治的、組織的一致をつよめ、抗日戦争を成功裏にすすめるのに必要な前提をあたえた。わが党はすでに二つの戦線での闘争をつうじて強固になり、強大になった。


二つの戦線での当面の闘争

 今後の抗日の情勢においては、政治上で右翼的悲観主義とたたかうことがいちばん重要なことになるであろうが、同時に、「左」翼的せっかち病とたたかうことにもやはり注意をはらわなければならない。統一戦線の問題、党の組織の問題、および民衆の組織の問題では、抗日諸党派との協力を実現し、共産党および民衆運動を発展させるために、ひきつづき「左」翼的閉鎖主義の偏向とたたかわなければならないが、同時に、無条件的な協力、無条件的な発展という右翼日和見主義の偏向とたたかうことにも注意をはらわなければならない。そうでなければ、協力をさまたげ、発展をさまたげることになり、投降主義的な協力と無原則的な発展になってしまう。
 二つの戦線での思想闘争は、一具体的な対象の状態と合致していなければならず、けっして問題を主観的にみてはならず、過去のような「むやみにレッテルをはる」というわるい習慣を存続させてはならない。
 偏向にたいする闘争では、二面的行動とたたかうことに、ふかく注意をはらわなければならない。なぜなら、二面的行動の最大の危険性は、それが分派行動に発展していく可能性があるからである。張国燾の経歴こそその証拠である。うわべでは服従しながら、かげでは違反すること、口と腹がちがうこと、目のまえではうまいことをいいながら、かげでは悪だくみをすること、これが二面的行動のあらわれである。党の規律を強化するには、二面的行動にたいする幹部と党員の注意力をたかめなければならない。

   学習

 一股的にいって、ある程度の研究能力をもつすべての共産党員は、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの理論を研究し、わが民族の歴史を研究し、当面の運動の状況となりゆきを研究しなければならず、また、かれらをつうじて文化水準の比較的ひくい党員を教育する。特殊的にいうと、幹部はこれらの研究に力をいれなければならず、とりわけ中央委員と高級幹部は研究を強めなければならない。偉大な革命運動を指導する政党が、革命の理論もなく、歴史の知識もなく、実際の運動にたいする深い理解もないとすれば、勝利をかちとろうとしてもできるものではない。
 マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの理論は「世界のどこにも適用する」理論である。その理論を教条としてあつかうべきではなく、行動の指針とすべきである。マルクス・レーニン主義は語句だけを学ぶのではなくて、それを革命の科学として学ぶべきである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンが広範な現実の生活と革命の経験の研究によってえた一般法則についての結論を理解するだけでなく、さらに、かれらが問題を観察し、問題を解決した立場と方法を学ぶべきである。こんにち、わが党のマルクス・レーニン主義についての素養は、過去にくらべていくらか進歩しているが、しかし、まだまだいきわたっていないし、深まってもいない。われわれの任務は、数億の人口をもつ大民族を指導して、かつてない偉大な闘争をおこなうことである。したがって、マルクス・レーニン主義の理論の研究をいきわたらせ深める任務は、われわれにとって、早急に解決しなければならないものであるとともに、その解決にはとくに力をいれなければならない大きな問題である。わたしは、今回の中央委員会総会ののち、だれがほんとうになにかを学びとったか、だれがより多く学んだか、だれがよりよく学んだかをみる全党的な学習競争をおこすことを希望する。主要な指導の責務をになうという観点からいえば、もしわが党に、マルクス・レーニン主義を断片的でなく系統的に、空虚でなく真実に身につけた同志が百人ないし二百人いるならば、わが党の戦闘力は大いにたかめられ、日本帝国主義にうち勝つわれわれの活動はいっそうはやめられる。
 われわれの歴史的遺産を学び、マルクス主義の方法でこれを批判的に総括することは、われわれの学習のもう一つの任務である。わが民族には数千年の歴史があり、その特徴があり、多くの貴重なものがある。これらのことについては、われわれはまだ小学生である。こんにちの中国はこれまでの中国の発展であり、われわれはマルクス主義的歴史主義者であって、われわれは歴史を切断してはならない。孔子から孫中山《スンチョンシャン》にいたるまでを総括して、この貴重な遺産をうけつぐべきである。これは当面の偉大な運動を指導するのに、重要なたすけとなるものである。共産党員は国際主義的マルクス主義者であるが、しかし、マルクス主義を実現するには、わが国の具体的特徴と結びつけ、しかも、一定の民族的形式をつうじなければならない。マルクス・レーニン主義の偉大な力は、それがそれぞれの国の具体的な革命の実践とつながっていることにある。中国共産党としては、マルクス・レーニン主義の理論を中国の具体的環境に応用することを学びとらなければならないのである。偉大な中華民族の一部分であり、この民族と血肉のつながりをもつ共産党員でありながら、中国の特徴をはなれてマルクス主義を論じるとすれば、それは抽象的な空虚なマルクス主義にすぎない。したがって、マルクス主義を中国で具体化し、その一つ一つの表現のなかにそれがもつべき中国の特質をもたせること、すなわち中国の特徴にもとづいてマルクス主義を応用すること、これは全党が早急に理解し、また解決しなければならない問題である。洋八股〔5〕は廃止すべきであり、空虚で抽象的な調子で歌うことはすくなくすべきであり、教条主義は休みにすべきであって、新鮮でいきいきとした、中国の民衆によるこぼれる中国的作風や中国的気風をもって、それに変えなければならない。国際主義的内容を民族的形式から切りはなすのは、国際主義を少しも理解していないもののやり方であって、われわれはこの両者をしっかりと結びつけなくてはならない。この問題について、わが隊列内に存在している一部の重大なあやまりは、しんけんに克服しなければならない。
 当面の運動の特徴はなにか。それはどんな法則性をもっているのか。この運動をどう指導するのか。これらはみな実際的な問題である。こんにちになっても、われわれは、まだ日本帝国主義のことが全部わかっているわけではなく、中国のこともまだ全部わかってはいない。運動は発展しており、さらに新しいものが前にあらわれてくるし、新しいものはつぎつぎに限りなくでてくる。この連動の総体およびその発展を研究することは、われわれがつねに心がけていなければならない大きな課題である。これらの問題を、しんけんに、綿密に研究することをこばむものがあれば、それはマルクス主義者ではない。
 学習の敵は自己満足である。なにかをしんけんに学ぼうとするには、自己満足しないことからはじめなければならない。自分にたいしては「学びて厭わず」、他人にたいしては「人を誨《おし》えて倦《う》まず」、これがわれわれのとるべき態度である。

団結と勝利

 中国共産党内部の団結は、全国人民を団結させて抗日の勝利をたたかいとり、新中国を建設するもっとも基本的な条件である。十七ヵ年にわたってきたえられてきた中国共産党は、どのように自己の団結をかためるかについてすでに多くの方法を学びとり、ずっと老練になっている。こうして、われわれは、全国人民のなかに、強固な中核をつくりあげ、抗日の勝利をたたかいとり、新中国を建設することができる。同志諸君、われわれが団結できさえすれば、この目的はかならず達成できるのである。



〔注〕
〔1〕 一九三四年一月、スターリンはソ連共産党(ボリシェビキ)第十七回大会における報告のなかでつぎのようにのべている。「正しい政治路線があたえられたのちには、政治路線そのものの運命――その遂行、あるいは失敗――をふくめて、すべてが組織活動によって決定されるのである。」スターリンは、そこでは「人材の正しい選択」の問題にふれている。一九三五年五月「クレムリン宮における赤軍大学卒業式においておこなった演説で、スターリンは「幹部がすべてを決定する」というスローガンをかかけ、そしてこれに説明をくわえた。また、一九三九年三月のソ連共産党(ボリシェビキ)第十八回大会におけるスターリンの報告をも参照されたい。スターリンはこの報告のなかでつぎのようにのべている。「実践によってためされた正しい政治路線が作成されたのちは、党の幹部が、党ならびに国家の指導の、決定的な力となる。」
〔2〕 一九二七年八月の党の第五期中央委員会政治局緊急会議から、一九三四年一月の党の第六期中央委員会第五回総会までの時期をさす。
〔3〕 巴西会議とは、一九三五年八月、巴西でひらかれた中国共産党中央政治局会議のことである。巴西は、四川省西北部と甘粛省東南部との境にある一地方で、四川省松潘県の県都の西北部にくらいする。当時、張国燾は、赤軍の一部をひきいて党中央から分裂し、党中央の命令にしたがわず、しかも党中央に危害をあたえようとたくらんだ。党中央はこの会議で危険区域をはなれることを決定するとともに、命令にしたがう赤軍をひきいて陝西省北部にむかって前進した。張国燾は、かれにだまされた赤軍をひきいて、天全県、蘆山県、大金川、小金川および阿[”つちへん”+”雨”の下に”革+月”]地区に南下し、党にたいして反旗をひるがえし、別個に「中央」をもうけた。
〔4〕 延安会議とは、一九三七年四月、延安でひらかれた中国共産党中央政治局拡大会議のことである。このときまでには、張国燾にひきいられる赤軍のうちの広範な幹部と戦士は、すでに張国燾の欺瞞を知り、北方の陝西・甘粛辺区にむかって進軍していたが、そのうちの一部隊は、また中途で、あやまった指導のために、西方の甘州、涼州、粛州地区にむかって進軍し、その大半が敵に消滅されてしまった。残りの一小部隊は新疆にたっし、その後、やはり陝西・甘粛辺区にかえってきた。他の一部隊はずっとはやく陝西・甘粛辺区に到着し、中央赤軍に合流していた。張国燾自身も陝西省北部に到着し、この延安会議に参加した。この会議は、張国燾の日和見主義と党への裏切り行為について系統的な総括をおこなった。張国燾は表面的にはしたがうと表明したが、実際には党にたいする最後の裏切りを準備していた。
〔5〕 本選集第三巻の『党八股に反対しよう』のなかの洋八股についての説明を参照。
〔訳注〕
① 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔22〕を参照。
② 本題集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔4〕を参照。
③ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔5〕を参照。
④ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』訳注⑤を参照。
⑤ 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』訳注⑤を参照。
  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 11:01 | 28 楼
maobadi
级别: 精灵王


精华: 0
发帖: 1265
威望: 1275 点
红花: 12650 朵
贡献值: 0 点
在线时间:535(小时)
注册时间:2009-11-30
最后登录:2013-12-21

 

統一戦線における独立自主の問題
          (一九三八年十一月五日)
     これは、毛沢東同志が、党の第六期中央委員会第六回総会でのべた結論の一部である。統一戦線における独立自主の問題は、当時毛沢東同志と陳紹禹とのあいだにあった抗日統一戦線問題についての意見の相違のうちでもきわたった問題の一つである。これは本質的には、統一戦線におけるプロレタリア階級の指導権の問題である。このような意見の相違について、毛沢東同志は一九四七年十二月の報告(『当面の情勢とわれわれの任務』)のなかで、つぎのような簡単な総括をおこなった。「抗日戦争の時期には、わが党は、こうした投降主義思想(これは第一次国内革命戦争の時期における陳独秀の投降主義思想をさす――編者)に似かよった思想、すなわち国民党の反人民政策に譲歩し、人民大衆を信頼する以上に国民党を信頼し、おもいきって大衆闘争をおこす勇気がなく、日本占領地区で解放区を拡大し、人民の軍隊を拡大する勇気がなく、抗日戦争の指導権を国民党に進呈する、といった思想に反対した。わが党は、マルクス・レーニン主義の原則にそむいたこのような軟弱無能な腐敗した思想にたいして、断固たる闘争をおこない、『進歩勢力を発展させ、中間勢力を獲得し、頑迷勢力を孤立させる』という政治路線を断固として実行し、解放区と人民解放軍を断固として拡大した。これによって、わが党は日本帝国主義の侵略の時期に、日本帝国主義にうち勝てることが保障されたばかりでなく、日本の降伏後、蒋介石が反革命戦争をおこなった時期にも、人民革命戦争によって蒋介石の反革命戦争に反対する道に、順調に損害をうけることなく転ずることができ、短期間のうちに偉大な勝利をおさめることが保障されたのである。これらの歴史の教訓を、全党の同志はしっかりと心にとめておかなければならない。」

         援助と譲歩は消極的でなく、積極的でなければならない

     長期の協力のために、統一戦線内の各政党が相互援助、相互譲歩を実行することは必要であるが、それは消極的でなく、積極的でなければならない。われわれは、わが党、わが軍を強化し拡大しなければならないし、同時に友党、友軍の強化と拡大にも賛助しなければならない。人民は、自分たちの政治的経済的要求をみたすよう政府にもとめるのと同時に、抗日に有利なあらゆる可能な援助を政府にあたえるのである。労働者は工場主に待遇改善を要求するのと同時に、抗日に有利になるよう積極的に働くのである。団結して外敵にあたるために、地主は小作料、利子を引き下げなければならないし、同時に農民も小作料、利子を支払わなければならない。これらが相互援助の原則と方針であり、消極的な一面的な方針ではなくて積極的な方針である。相互譲歩もまたそのとおりである。おたがいに足場のくずしあいをせず、おたがいに相手の党、政府、軍隊内に秘密細胞をつくらないことである。われわれの側からすると、国民党を安心させて、抗日に有利にするため、国民党およびその政府と軍隊のなかに秘密細胞をつくらないことである。「やらないことがあって、はじめてやろうとすることができる」〔1〕とは、まさにこのようなことをいう。赤軍の編成がえ、赤色地域の制度がえ、暴動政策の廃止がなければ、全国的な抗日戦争は実現できない。前者を譲歩することによって後者を得たのであり、消極的な段どりで積極的な目的をたっしたのである。「よりよく躍進するために後退する」〔2〕ことが、まさにレーニン主義である。譲歩を純然たる消極的なものとみなすことは、マルクス・レーニン主義にゆるされるものではない。純然たる消極的譲歩もあったが、それは階級も革命も全部譲りわたしてしまった第二インターナショナルの労資協調論〔3〕である。中国では、さきの陳独秀《チェントウシウ》、のちの張国燾《チャンクオタオ》が投降主義者であった。われわれは投降主義にたいしておおいに反対すべきである。われわれの譲歩、後退、防御あるいは休止は、同盟者にたいしてであろうと、敵にたいしてであろうと、すべて革命政策全体の一部分とみなし、全般的な革命路線と結びつけて、その不可欠の一環とみなし、曲線運動の一断片とみなすのである。一口にいって積極的なものである。


      民族闘争と階級闘争の一致性

     長期にわたる協力によって長期の戦争をささえること、すなわち階級闘争をこんにちの抗日の民族闘争に従わせること、これが統一戦線の根本原則である。この原則のもとで、政党と階級の独立性をたもち、統一戦線における独立自主をたもつこと、協力と統一のために政党と階級の必要な権利を犠牲にするのではなくて、反対に、政党と階級の一定限度の権利をかたくまもること、こうしてはじめて脇刀にとって有利となり、協力というものもなりたつのである。そうでなければ、協力は混合になってしまい、必然的に統一戦線を犠牲にしてしまう。民族闘争においては、階級闘争は民族闘争の形態をとってあるわれるのであり、こうした形態が両者の一致性をしめしている。一方では、階級の政治的経済的要求は、一定の歴史の時期において協力をこわさないことを条件とし、他方では、階級闘争のあらゆる要求はみな、民族闘争の必要(抗日のため)をその出発点としなければならない。このようにして、統一戦線における統一性と独立性、民族闘争と階級闘争は一致してくるのである。

     「すべては統一戦線を通じて」というのはまちがいである

     国民党は政権をにぎっている党であるが、いまなお統一戦線の組織形態の存在をゆるしていない。敵の後方では、「すべては……を通じて」などできるものでなく、国民党がすでにゆるしたもの(たとえば「抗戦建国綱領」)にもとづいて、独立自主でやる以外にない。あるいは、国民党がゆるすだろうと予想したものは、さきに処置してあとで報告するのである。たとえば行政専員の設置、山東《シャントン》への部隊の派遣などといったことは、さきに「通じ」るとすればやれなくなる。フランス共産党はかつてこのスローガンをかかげたことがあったというが、それはおそらく、フランスには各党の合同委員会があるのに、社会党側が共同でさだめた綱領のとおりに実行しようとせず、依然としてかれらなりにやっているので、共産党としては社会党を制約するためにこのスローガンをかかげる必要があったからで、なにも自分をしばるためにこのスローガンをかかげたのではない。中国のばあいは、国民党が各政党の平等の権利を剥奪しており、各党を国民党一党の命令に従わせようとしている。われわれが、このスローガンをかかげることが、もし国民党にたいし、「すべて」はわれわれの同意を「通じ」なければなるないと要求するものであるとすれば、それはできない相談だし、こっけいなことである。またそれが、われわれのやろうとする「すべて」について、事前に国民党の同意をえようというのであるならば、国民党が同意しなかったばあいはどうするのか。国民党の方針はわれわれの発展を制限するものであり、われわれがこのスローガンをかかげることは、ただ自分で自分の手足をしばることになるだけで、けっしてそうすべきではない。いまのところ、さきに国民党の同意をえなければならないこと、つまりさきに報告してあとで処置することもあり、たとえば三つの師団を三つの軍に拡大編成することがそれである。既成事実をつくったうえで、それを国民党に知らせること、つまりさきに処置してあとで報告することもあり、たとえば二十余万の軍隊を拡充したことがそれである。国民党がいまは同意しないだろうと予想されるものは、しばらくのあいだ、処置しても報告しないでおくこともあり、たとえば辺区議会の招集などがそれである。しばらくのあいだ、処置も報告もしないでおくこともあり、たとえば実行したなら大局のさまたげになることがらがそれである。要するに、われわれはけっして統一戦線をやぶってはならないが、また自分で自分の手足をしばることもけっしてしてはならない。したがって「すべては統一戦線を通じて」のスローガンをかかげるべきではない。「すべては統一戦線に従う」ということばを、もし蒋介石《チャンチェシー》や閻錫山《イェンシーシャン》に「すべて従う」と解釈するなら、それもあやまりである。われわれの方針は、統一戦線における独立自主であって、統一もしているし、独立もしているのである。



    〔1〕 このことばは『孟子』にみられる。原文は「人為《な》さざることありて、而《しか》る後に以て為すあるべし」となっている。
    〔2〕 レーニンの『哲学ノート』――『へーゲルの著書「哲学史講義」の摘要』から引用。
    〔3〕 労資協調論とは第二インターナショナルの反動理論で、資本主義国におけるプロレタリア階級とブルジョア階級との協調を主張し、革命的手段によるブルジョア階級の支配の転覆とプロレタリア独裁の樹立に反対するものであった。

  
  
  

 
 
indianmaoist.blogspot.com
顶端 Posted: 2010-12-17 11:04 | 29 楼
«12 3 4567» Pages: ( 3/24 total )
帖子浏览记录 版块浏览记录
中国文革研究网 » CR DOCUMENTS
 
 

Total 0.026240(s) query 4, Time now is:11-20 21:28, Gzip enabled
Powered by PHPWind v6.3.2 Certificate © http://wengewang.tk