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戦争と戦略の問題
          (一九三八年十一月六日)
     これは、毛沢東同志が党の第六期中央委員会第六回総会でのべた結論の一部である。毛沢東同志は『抗日遊撃戦争の戦略問題』と『持久戦について』の二つの著作のなかで、すでに、抗日戦争における党の指導の問題を解決した。右翼日和見主義のあやまりをおかした同志は、統一戦線における独立自主を否定したことから、戦争と戦略の問題についての党の方針にたいしても、やはり、懐疑的な、反対の態度をとった。党内のこの種の右翼日和見主義を克服して、中国革命の問題で戦争と戦略の問題が第一に重要な地位をしめていることを全党にいっそう明確に理解させ、また、しんけんにこの仕事にとりくむよう全党を動員するために、毛沢東同志は、第六期中央委員会第六回総会において、さらに中国の政治闘争の歴史の面からこの問題をとくに力をいれて説明すると同時に、われわれの軍事活動の発展と戦略方針の具体的な変化の過程を説明し、それによって、指導思想と活動のうえでの全党の統一をかちとった。

     一 中国の特徴と革命戦争

     革命の中心任務と最高形態は、武力で政権を奪取することであり、戦争で問題を解決することである。このマルクス・レーニン主義の革命原則は普遍的に正しく、中国においても外国においてもすべて正しい。
     だが、おなじ原則であっても、プロレタリア政党がさまざまな条件のもとでこの原則を実行する表現形態についていえば、それは条件の相違によってちがってくる。資本主義諸国では、ファシズムも戦争もない時期においては、そこでの条件は、国内的には封建制度がなくなり、ブルジョア階級の民主制度があるということ、外部的には民族的抑圧をうけておらず、自分の民族が他の民族を抑圧しているということである。これらの特徴にもとづいて、資本主義諸国のプロレタリア政党の任務は、長期の合法闘争をつうじて労働者を教育し、力をのばし、資本主義を最後的にくつがえす準備をすることである。そこでは、長期の合法闘争であり、議会の演壇の利用であり、経済的、政治的なストライキであり、労働組合の組織と労働者の教育である。そこでの組織形態は合法的なものであり、闘争形態は血を流さない(戦争でない)ものである。戦争の問題では、そこの共産党は自国の帝国主義戦争に反対することであり、このような戦争がおこったばあい、党の政策としては、自国の反動政府を敗北させることである。自分の必要とする戦争は、準備中の国内戦争だけである〔1〕。だが、このような蜂起や戦争は、ブルジョア階級がほんとうに無能力な状態になったときでなければ、またプロレタリア階級の大多数が武装蜂起と戦争遂行の決意をしたときでなければ、そしてまた農民大衆が自発的にプロレタリア階級を援助するようになったときでなければ、おこなうべきではない。蜂起や戦争をおこなうときがきたら、まず最初に都市を占領し、そのあとで農村に進攻するのであって、その反対ではない。これらすべては資本主義諸国の共産党がかつてやってきたことであって、ロシアの十月革命で実証されたことである。
     中国はそれとはちがっている。中国の特徴は、独立した民主主義国ではなく、半植民地的・半封建的な国である。内部的には民主制度がなく、封建制度の抑圧をうけており、外部的には民族の独立がなく、帝国主義の抑圧をうけている。したがって、利用する議会もなければ、労働者を組織してストライキをおこなう合法的権利もない。ここでは、共産党の任務は、基本的には、長期の合法闘争をつうじて蜂起や戦争にすすむことでなく、また、まず都市を占領してから農村を奪取することでもなく、それとは反対の道をあゆむことである。
     中国共産党についていえば、帝国主義が武力による進攻をおこなわないときには、一九二四年から一九二七年までの広東《コヮントン》戦争〔2〕や北伐戦争のように、ブルジョア階級といっしょに軍閥(帝国主義の手先)に反対する国内戦争をおこなうか、あるいは一九二七年から一九三六年までの土地革命戦争のように、農民、都市小ブルジョア階級と連合して地主階級と買弁ブルジョア階級(おなじように帝国主義の手先である)に反対する国内戦争をおこなうかである。帝国主義が武力による進攻をおこなうときには、現在の抗日戦争のように、外国侵略者に反対する国内のあらゆる階級や階層と連合して対外的な民族戦争をおこなうのである。
     これらすべては、中国と資本主義国とのちがいをしめしている。中国では、主要な闘争形態は戦争であって、主要な組織形態は軍隊である。他のすべて、たとえば民衆の組織や民衆の闘争なども非常に重要であり、どうしても欠くことのできない、無視することのできないものではあるが、いずれも戦争のためのものである。戦争が勃発《ぼっぱつ》するまえのすべての組織と闘争は、戦争準備のためのもので、たとえば五・四運動(一九一九年)から五・三〇運動(一九二五年)までの時期がそうであった。戦争が勃発したのちのすべての組織と闘争は、直接または間接に戦争に呼応するものである。たとえば、北伐戦争の時期には、革命軍の後方のすべての組織と闘争は、直接に戦争に呼応していたし、北洋軍閥の支配地域内のすべての組織と闘争は、間接に戦争に呼応していた。また、土地革命戦争の時期には、赤色地域内のすべての組織と闘争は、直接に戦争に呼応していたし、赤色地域外のすべての組織と闘争は、間接に戦争に呼応していた。さらに、現在の抗日戦争の時期には、抗日軍の後方および敵軍占領地のすべての組織と闘争も、同様に直接または間接に戦争に呼応しているのである。
     「中国では、武装した革命が武装した反革命とたたかっている。これは、中国革命の特徴の一つであり、その長所の一つでもある。」〔3〕スターリン同志のこの断定はまったく正しい。それは北伐戦争についていっても、土地革命戦争についていっても、こんにちの抗日戦争についていっても、すべて正しい。これらの戦争はすべて革命戦争であり、戦争の反対する対象はすべて反革命であり、戦争に参加する主要な構成要素はすべて革命的な人民である。ちがうのは、国内戦争であるか、民族戦争であるか、また、共産党が単独でおこなう戦争であるか、国共両党が連合しておこなう戦争であるかという点だけである。もちろん、これらの区別は重要である。これらの点は、戦争の主体に広いか狭いかの区別がある(労働者、農民の連合か、あるいは労働者、農民、ブルジョア階級の連合)こと、戦争の対象に円か外かの区別がある(国内の敵とのたたかいか、あるいは国外の敵とのたたかい。またおなじ国内の敵であっても北洋軍閥と国民党とにわけられる)ことをしめしており、中国革命戦争の歴史の進展過程の各時期にはそれぞれ異なった内容のあることをしめしている。しかしながら、それらはいずれも武装した革命が武装した反革命とたたかっているのであり、いずれも革命戦争であり、いずれも中国革命の特徴と長所をしめしている。革命戦争は「中国革命の特徴の一つであり、その長所の一つでもある」という断定は、中国の状況と完全に合致している。中国のプロレタリア政党の主要な、そしてほとんどその最初から直面している任務は、できるだけ多くの同盟軍と連合して、武装闘争を組織し、状況に応じて、内部あるいは外部の武装した反革命とたたかい、民族的、社会的解放をかちとるために闘争することである。中国では、武装闘争をはなれてはプロレタリア階級と共産党の地位はなく、いかなる革命の任務も達成することはできない。
     この点について、わが党は、一九二一年に成立してから一九二六年の北伐戦争に参加するまでの五、六年のあいだは、認識がたりなかった。当時は、中国における武装闘争の極度の重要性を理解せず、しんけんに戦争の準備と軍隊の組織をせず、軍事的な戦略と戦術の研究を重視しなかった。北伐の過程では軍隊の獲得を無視して、一面的に民衆運動に重きをおいたが、その結果、自民党がいったん反動化すると、民衆運動はすべてくずれてしまった。一九二七年以後の長いあいだ、多くの同志は依然として、党の中心任務を都市における蜂起の準備と白色区の活動の面においていた。一部の同志がこの問題について考えを根本的に変えたのは、一九三一年、敵の三回目の「包囲討伐」にたいするたたかいに勝利してからのことである。しかし、まだ全党的に変わったのではなく、一部の同志はやはりいまのわれわれのようには考えていなかった。
     経験がわれわれに教えているように、中国の問題は武力をはなれては解決することができない。この点を認識することは、今後、抗日戦争を勝利のうちにすすめていくのに有益である。抗日戦争における全人民の武装抵抗という具体的な事実は、この問題の重要性をよりふかく認識するよう全党を教育するであろう。党員の一人ひとりは、いつでも武装して前線におもむく用意をすべきである。また、われわれのこんどの会議で、党の主要な活動方面が戦区と敵の後方にあるときめたことは、さらに明確な方針をあたえた。これは、一部の党員が党の組織活動や民衆運動の活動をやりたがるが、戦争の研究や戦争への参加はのぞまないとか、一部の学校が学生を前線におもむかせるよう激励することに注意をはらわないとかいった現象にたいしては、やはり症状にあった良薬である。中国の大部分の領土では、党の組織活動と民衆運動の活動は武装闘争に直接つながっており、単独の孤立した党の活動や民衆運動はないし、またありえない。戦区からかなり遠い一部の後方(たとえば雲南《ユィンナン》省、貴州《コイチョウ》省、四川《スーチョワン》省)や敵が制圧している一部の地区(たとえば北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》、南京《ナンチン》、上海《シャンハイ》)でも、党の組織活動と民衆運動はやはり戦争に呼応するものであって、前線の要求にしたがうほかなく、またしたがうべきである。一言でいえば、全党は戦争を重視し、軍事を学習し、戦う準備をすべきである。


      二 中国国民党の戦争史

     われわれが自民党の歴史に目をむけ、国民党がどのように戦争に注意をはらったかに目をむけることは、有益である。
     孫中山《スンチョンシャン》は、革命的な小団体を組織したときから、いくどか清朝に反対する武装蜂起をおこなった〔4〕。同盟会の時期になると、辛亥《シンハイ》革命で清朝を武力によってくつがえすまで、いっそう多くの武装蜂起の事績〔5〕があった。中華革命党の時期には、かれは武力による東世凱反対運動をおこなった〔6〕。その後における海軍の南下〔7〕、桂林《コイリン》からの北伐〔8〕、黄埔《ホヮンプー》軍官学校の創立〔9〕は、いずれも孫中山の戦争の事業である。
     蒋介石《チァンチェシー》が孫中山にとって代わると、国民党の軍事的全盛時代がつくりだされた。かれは、北伐、内戦、抗日の三つの時期をつうじて、軍隊を自分の命のように考えてきた。過去十年間の蒋介石は反革命であった。反革命のために、かれは膨大な「中央軍」をつくりあげた。軍隊があれば権力があり、戦争がすべてを解決するというこの基本点を、かれはしっかりつかんでいる。この点については、われわれはかれに学ぶべきである。この点では、孫中山と蒋介石はともにわれわれの先生である。
     辛亥革命ののち、すべての軍閥は軍隊を自分の命のように大切にし、「軍隊があれば権力がある」という原則を重視した。
     譚延[”もんがまえ”+”山”の下に”豆”]《タンイェンカイ》〔10〕はりこうな官僚で、湖南《フーナン》省でなんどか起伏をくりかえしたが、これまでただの省長になったことはなく、いつも督軍兼省長になった。かれは、のちに広東と武漢《ウーハン》の国民政府の主席になったが、やはり第二軍の軍長をかねた。中国にはこのような軍閥が多くあり、かれらはこの中国の特徴を知っているのである。
     中国には軍隊をもとうとしない政党もいくつかあるが、そのうちのおもなものは進歩党〔11〕である。しかし、この政党も、官職にありつくにはある軍閥にたよらなければならないことを知っていた。そこで、袁世凱、段祺瑞《トヮンチーロイ》〔12〕、蒋介石(蒋にくっついているのは、進歩党の一部から転じた政学系〔13〕である)がそのうしろだてとなった。
     青年党〔14〕などのような歴史のあさいいくつかの小さな政党は、軍隊をもっていないから、これといったことはなに一つできない。
     外国のブルジョア政党は、各自が一部の軍隊を直接にぎる必要はない。だが、中国はそれとはちがい、封建的な分割のために、地主やブルジョア階級の集団または政党では、鉄砲のあるものが勢力をもち、鉄砲の多いものほど勢力が大きい。このような環境におかれているプロレタリア政党は、問題の中心を見きわめるべきである。
     共産党員は、個人の兵権は争わないが(けっして争ってはならず、二度と張国燾《チャンクォタオ》のようなことをしてはならない)、党の兵権は争わなければならず、人民の兵権は争わなければならない。現在は民族的抗戦をしているので、さらに民族の兵権を争わなければならない。兵権の問題で小児病になれば、なに一つえられないのは必定である。勤労人民は数千年らい、反動支配階級のあの欺瞞《ぎまん》や威嚇の手にのせられてきたので、鉄砲を自分の手に握ることの重要性は、はなはだ悟りにくかった。日本帝国主義の抑圧と全人民の抗戦によって、勤労人民が戦争の舞台におしあげられた以上、共産党員はこの戦争のもっとも自覚のある指導者となるべきである。共産党員の一人ひとりが、「鉄砲から政権がうまれる」という真理を理解すべきである。われわれの原則は党が鉄砲を指揮するのであって、鉄砲が党を指揮するのをけっしてゆるさない。しかし、鉄砲があれば党をつくりあげることができるのもたしかで、げんに八路軍は華北地方で大きな党組織をつくりあげた。さらに幹部をも、学校をも、文化をも、民衆運動をもつくりあげることができる。延安《イェンアン》のすべては鉄砲がつくりだしたものである。鉄砲からすべてのものがうまれてくる。マルクス主義の国家学説にかんする観点からみれば、軍隊は国家権力の主要な構成要素である。国家権力を奪取し保持しようとするものは、強大な軍隊をもたなければならない。われわれを「戦争万能論」だと笑うものがあるが、そのとおり、われわれは革命戦争万能論者である。これはわるいことではなく、よいことであり、マルクス主義である。ロシア共産党の鉄砲は社会主義をつくりだした。われわれは民主共和国をつくりだすのである。帝国主義時代の階級闘争の経験がわれわれに教えているように、労働者階級と勤労大衆は鉄砲の力によらないかぎり、武装したブルジョア階級と地主にうち勝つことはできない。この意味から、世界全体を改造できるのは鉄砲だけである、といってよい。われわれは戦争消滅論者であり、戦争を不要とするものである。だが、戦争をつうじて戦争を消滅するよりほかなく、鉄砲を不要にするには、鉄砲を手にとらなければならない。


         三 中国共産党の戦争史

     わが党は、一九二一年(中国共産党の成立)から一九ニ四年(国民党の第一回全国代表大会)までの三、四年間は、直接に戦争を準備し軍隊を組織することの重要性を理解していなかったし、一九二四年から一九二七年までの時期、ないしその後の一時期にも、これについての認識がまだ不十分であった。だが、一九二四年、黄浦軍官学校に参与してからは、新しい段階にはいり、軍事の重要性を理解するようになった。国民党の広東戦争を援助したことと北伐戦争をつうじて、党はすでに一部の軍隊を掌握した〔15〕。革命の失敗から、痛い教訓をくみとり、そこで、南昌《ナンチャン》蜂起、秋収蜂起、広州《コヮンチョウ》蜂起をおこし、赤軍創設の新しい時期にはいった。この時期は、わが党が軍隊の重要性を徹底的に認識したきわめて重要な時期であった。この時期の赤軍と、赤軍が進めた戦争がなかったならば、すなわち、共産党がもし陳独秀《チェントウシウ》の解消主義をとっていたとすれば、こんにちの抗日戦争とその長期にわたる堅持は、思いもよらないことである。
     一九二七年八月七日の党中央の緊急会議は、.政治上の右翼日和見主義に反対し、党を大きく一歩前進させた。一九三一年一月の第六期中央委員会第四回総会は、名目のうえでは政治上の「左」翼日和見主義に反対したが、実際には、「左」翼日和見主義のあやまりをふたたびおかしたのである。この二つの会議の内容と歴史的役割は異なるが、この二つの会議はどちちも戦争と戦略の問題を重点的にとりあげはしなかった。これは、当時の党の活動の重点がまだ戦争におかれていなかったことを反映したものである。一九三三年、党中央が赤色地域にうつってから、状況は根本的に変わったが、しかし、戦争の問題(およびすべての主要な問題)では、また原則的なあやまりをおかし、革命戦争に重大な損失をあたえた〔16〕。一九三五年の遵義《ツンイー》会議は、主として戦争における日和見主義に反対し、戦争の問題を第一位においたが、これは戦争という環境の反映である。中国共産党は十七年にわたる闘争のなかで、確固たるマルクス主義の政治路線をきたえあげたばかりでなく、確固たるマルクス主義の軍事路線をもきたえあげた、とこんにちではわれわれは自信をもっていうことができる。われわれは、マルクス主義を運用して政治問題を解決することができるばかりでなく、マルクス主義を運用して戦争問題を解決することもできるのである。また、党を指導し国家を指導できる有能な幹部を大量に養成したばかりでなく、軍隊を指導できる有能な幹部をも大量に養成したのである。これは、無数の革命烈士が熱血をそそいでつちかった革命の花であり、中国共産党と中国人民の誇りであるばかりでなく、世界の共産党と世界の人民の誇りでもある。全世界では、ソ連、中国、スペインの三ヵ国の共産党の指導する三つの軍隊だけがプロレタリア階級と勤労人民のものである。他の各国の党はいずれもまだ軍事的経験をもっていない。したがって、われわれの軍隊と軍事的経験はとりわけ貴重である。
     こんにちの抗日戦争を勝利のうちにすすめていくためには、八路軍、新四軍およびわが党の指導するすべての遊撃隊を拡大し強化することが非常に重要である。この原則のもとで、党は、もっともりっぱな、そして十分な数の党員と幹部を前線へおくるべきである。すべては前線の勝利のためであり、組織的任務は政治的任務にしたがわなければならない。


     四 国内戦争と民族戦争における党の軍事戦略の転換

     わが党の軍事戦略の変化は、研究に値する問題である。それを国内戦争と民族戦争の二つの過程にわけてのべよう。
     国内戦争の過程は、だいたい、前後二つの戦略的時期にわけることができる。前期では、主として遊撃戦争であり、後期では、主として正規戦争であった。しかし、正規戦争といっても中国型のもので、兵力を集中しておこなう運動戦、指揮と組織のうえでのある程度の集中性と計画性といった点にあらわれているにすぎず、その他は、依然として遊撃的な低い段階のもので、外国の軍隊と一様に論じることはできないし、国民党の軍隊とも多少ちがっている。したがって、このような正規戦は、ある意味ではたかめられた遊撃戦である。
     抗日戦争の過程も、わが党の軍事的任務からいうと、だいたい、二つの戦略的時期にわけられる。前期(戦略的防御と戦略的対峙《たいじ》の二つの段階をふくむ)においては主として遊撃戦争であり、後期(戦略的反攻の段階)においては主として正規戦争となる。だが、抗日戦争前期の遊撃戦争は、国内戦争前期の遊撃戦争とは多くの異なった内容をもっている。それは正規性(ある程度の)をもった八路軍が分散して遊撃の任務を遂行しているからである。抗日戦争後期の正規戦争も、国内戦争後期の正規戦争とは異なったものとなるであろう。これは新式の兵器で装備されたのちは軍隊と作戦にも一大変革がおこることを想定していうのである。そのときの軍隊は高度の集中性と組織性をもつことになり、作戦は遊撃性が大いに減じて、高度の正規性をもつことになり、低い段階のものは高い段階のものに変わり、中国型のものは世界型のものに変わるであろう。これが戦略的反攻の段階でなすべき仕事である。
     これからみると、国内戦争、抗日戦争という二つの過程と四つの戦略的時期のあいだには、全部で三つの戦略転換がある。第一は、国内遊撃戦争から国内正規戦争への転換である。第二は、国内正規戦争から抗日遊撃戦争への転換である。第三は、抗日遊撃戦争から抗日正規戦争への転換である。
     三つの転換のうち、第一の転換は大きな困難にうちあたった。そこには、二つの面の任務があった。一つは、遊撃性におぼれて正規性に転換したがらない、地方主義と遊撃主義の右よりの偏向に反対することであって、この偏向は幹部がすでに変化した敵情と任務を十分に評価しなかったことからうまれたものである。この点、中央赤色地域についていうと、困難な教育活動をおこなったことによって、ようやくこれをしだいに転換させたのであった。もう一つは、正規化を必要以上に重視する集中主義と冒険主義の「左」よりの偏向に反対することであって、この偏向は、一部の指導幹部が敵情と任務を過大に評価し、しかも実情をみないで、機械的に外国の経験を転用したことからうまれたものである。この点、中央赤色地域では、三年もの長いあいだ(遵義会議以前)、きわめて大きな犠牲をはらったのち、血の教訓のなかからようやくそれを是正したのであった。その是正は遵義会議の成果である。
     第二の転換は、二つの異なった戦争過程のあいだでおこなわれたもので、それは一九三七年の秋(蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変後)のことである。このときの敵は新しい敵、すなわち日本帝国主義であり、友軍はこれまでの敵、国民党(われわれにたいして依然として敵意をいだいている)であり、戦場は広大な華北地方(一時的にはわが軍の正面であるが、まもなく、長期にわたって敵の後方となる)であった。われわれの戦略転換は、こうした特殊な状況のもとでおこなわれたきわめて重大な転換であった。こうした特殊な状況のもとでは、これまでの正規軍と運動戦を、遊撃軍(組織性と規律性についていっているのではなく、分散して使用することをさしている)と遊撃戦に転換させなければ、敵情と任務に合致させることはできなかった。だが、このような転換は、現象的には後退的な転換としてあちわれるので、当然、この転換は非常に困難なものとなる。このときうまれる可能性のあるものは、一つは敵を見くびる偏向であり、もう一つは恐日病であるが、これらはいずれも国民党内ではうまれたのである。国民党は、国内戦争の戦場から民族戦争の戦場に転換するにあたって、主として敵を見くびったことから、同時に恐日病(韓復榘《ハンフーチュイ》、劉峙《リウチー》〔17〕がその代表である)が存在していたことから、うけなくてもすむ多くの損失をこうむった。ところが、われわれは、かなり順調にこの転換を実行し、挫折《ざせつ》や失敗をこうむらなかったばかりでなく、大きな勝利をおさめた。それは、党中央と一部の軍事幹部のあいだにかつて深刻な論争がおきたにもかかわらず、広範な幹部がときをうつさず党中央の正しい指導をうけいれ、機敏に状況を観察したことによってかちとられたものである。この転換が抗日戦争全体の堅持、発展、勝利、および中国共産党の前途に非常に大きなかかわりをもっていることは、中国の民族解放の運命にたいする抗日遊撃戦争の歴史的意義を考えさえすればわかることである。中国の抗日遊撃戦争は、その特殊な広大さと長期性からいえば、たんに東方で空前のものであるばかりでなく、全人類の歴史のうえでも空前のものであろう。
     抗日遊撃戦争から抗日正規戦争への第三の転換は、戦争の発展する将来にぞくすることであり、そのときには、また新しい状況や新しい困難がうまれるものと予想されるので、いまはそれにふれなくてもよい。


    五 抗日遊撃戦争の戦略的地位

     抗日戦争の最後の運命は正規戦争でしか解決できないので、抗日戦争の全体からいえば、正規戦争が主要なものであり、遊撃戦争は補助的なものである。全国的にいえば、抗日戦争の全過程の三つの戦略的段階(防御、対峙、反攻)のうち、始めと終わりの二つの段階は、どちらも正規戦争を主とし、遊撃戦争で補う。中間の段階では、敵が占領地を保持し、わが方は反攻を準備しながらもまだ反攻をおこなうことのできない状況にあることから、遊撃戦争が主要な形態としてあらわれ、正規戦争で補うことになろう。だが、これは時間的にはもっとも長いかもしれないが、戦争全体のなかでは三つの段階のうちの一つの段階にすぎない。それで、全体からいえば、正規戦争が主要なものであり、遊撃戦争は補助的なものである。こうした状況を認識せず、正規戦争が戦争の最後の運命を決する鍵《かぎ》であることを理解せず、正規軍の建設や正規戦の研究と指導に注意をはらわないならば、日本侵略者にうち勝つことはできない。これが一つの側面である。
     だが、遊撃戦争は戦争全体のなかで重要な戦略的地位をしめている。遊撃戦争をおこなわず、遊撃隊と遊撃軍の建設を無視し、遊撃戦の研究と指導を無視するなら、やはり日本侵略者にうち勝つことはできないであろう。なぜなら、中国の大半が敵の後方になるので、もしもっとも広範でもっとも持久的な遊撃戦争をおこなわず、敵をなんら後顧の憂いなく平穏にいすわらせておくなら、わが正面主力の損傷はかならず大きく、敵の進攻はかならずさらに狂気じみたものとなり、対峙の局面はあらわれにくくなって、抗戦の継続に動揺をきたす可能性があり、たとえそうならなくても、わが方の反攻の力を十分に準備できないとか、反攻のときに呼応するものがないとか、敵は消耗しても補充できるとかいった不利な状況もうまれてくるからである。もしもこうした状況があらわれたときに、広範で持久的な遊撃戦争をいちはやく発展させて、それを克服しないならば、日本侵略者にうち勝つことはやはり不可能である。したがって、遊撃戦争は、戦争全体のうえで補助的地位にあるとはいえ、実際には、きわめて重要な戦略的地位をしめている。抗日をしていて、遊撃戦争を無視するのは、疑いもなく非常なあやまりである。これがもう一つの側面である。
     遊撃戦争は、大国という条件さえそなわっていれば可能であるから、古代にも遊撃戦争はあった。しかし、遊撃戦争の堅持は共産党の指導のもとでしかありえない。したがって、古代の遊撃戦争はほとんどが失敗した遊撃戦争であり、現代において共産党の存在する大国、たとえば国内戦争の時期のソ連や中国のような国だけに勝利の遊撃戦争が存在するのである。当面の条件および一般的条件からいうと、抗日戦争における国共両党の戦争の問題での分業として、国民党が正面の正規戦をうけもち、共産党が敵後方の遊撃戦をうけもっということは、不可欠かつ適切なことであり、たがいに必要とし、たがいに呼応し、たがいに協力しあうものである。
     以上のことから、わが党の軍事戦略方針が、国内戦争後期の正規戦争から抗日戦争前期の遊撃戦争に転換したことは、いかに重要であり、必要であったかを知ることができる。その利点を総合すると、つぎの十八項目となる。(一)敵軍の占領地を縮小させること、(二)わが軍の根拠地を拡大すること、(三)防御の段階では、正面の作戦に呼応して敵を牽制すること、(四)対幅の段階では、敵後方の根拠地を堅持し、正面の部隊の整備を有利にすること、(五)反攻の段階では、正面に呼応して、失地を回復すること、(六)もっとも迅速に、もっとも効果的に軍隊を拡大すること、(七)いたるところに共産党を発展させ、どの村にも細胞がつくれるようにすること、(八)いたるところに民衆運動を発展させ、敵の拠点をのぞく敵後方の人民全体が組織できるようにすること、(九)抗日の民主政権をもっとも広範に樹立すること、(十)抗日の文化教育をもっとも広範に発展させること、(十一)もっとも広範に人民の生活を改善すること、(十二)敵の軍隊を瓦解《がかい》させるのにもっとも好都合であること、(十三)もっとも広範に、もっとも持続的に全国の人心に影響をあたえ、全国の士気を高揚させること、(十四)もっとも広範に友軍、友党の進歩をうながすこと、(十五)敵が強く、味方が弱いという条件にかなっており、自分の損失を少なくさせ、勝ちいくさを多くさせること、(十六)敵が小さく、味方が大きいという条件にかなっており、敵の損失を多くさせ、その勝ちいくさを少なくさせること、(十七)もっとも迅速に、もっとも効果的に大量の指導幹部をつくりだすこと、(十八)給養の問題を解決するのにもっとも好都合であること。
     長期の闘争をつうじて、遊撃隊や遊撃戦争は、もとの状態にとどまらず、高い段階に発展し、しだいに正規軍と正規戦争に変わっていくべきであることは、これも疑いの余地がない。われわれは、遊撃戦争をつうじて力をたくわえ、自分自身を、日本帝国主義を粉砕する決定的な要素の一つにしていくであろう。


          六 軍事問題の研究に注意すること

     両軍の敵対するすべての問題は戦争によって解決されるものであり、中国の存亡は戦争の勝敗にかかっている。したがって、軍事理論の研究、戦略と戦術の研究、軍隊の政治工作の研究は、一刻もゆるがせにしてはならない。戦術の研究は不十分ではあるが、この十年来、軍事活動にたずさわっている同志たちはすでに多くの成績をあげ、中国の条件に即して多くの新しいものを提起している。欠点はまだ総括していないことにある。戦略問題と戦争理論の問題の研究活動は、いまだに、ごくわずかな人びとにかぎられている。政治工作についての研究は第一級の成績をあげており、その経験が豊富なこと、新しい創造が多いうえにすぐれているということでは、全世界でソ連をのぞけばわれわれだといえるが、その欠点は総合性と体系性の不十分さにある。全党と全国の必要を満たすため、軍事知識の大衆化はさしせまった任務となっている。これらのすべてに今後注意すべきであるが、戦争と戦略の理論がすべての根幹である。軍事理論の研究から興味をひきおこして、軍事問題の研究に全覚の注意を喚起することは、必要であるとわたしはおもう。



    〔1〕 レーニンの『戦争とロシア社会民主党』『ロシア社会民主労働党在外支部会議』『帝国主義戦争における自国政府の敗北について』『ロシアの敗北と革命的危機』などの著作を参照。レーニンのこれらの著作は、当時の帝国主義戦争について、一九一四年から一九一五年にかけて書いたものである。あわせて『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』第六章第三節の「戦争、平和および革命問題におけるボリシェビキの理論と戦術」を参照。
    〔2〕 一九二四年、孫中山は、共産党および革命的労働者・農民と連合し、当時イギリス帝国主義と結託して広州で反革命活動をすすめていた買弁・豪紳の武装組織――「商団」をうちやぶった。一九二五年の初め、国共合作の革命軍は広州から東征し、農民の援助をえて、軍閥陳炯明の軍隊をうちやぶった。つづいて広州にもどり、そこで根をはっていた雲南、広西軍閥を消滅した。同年の秋、国共合作の革命軍は二回目の東征をおこない、陳炯明の軍隊を最後的に消滅した。これらの戦役で、共産党員と共産主義青年団員は勇敢に戦闘の最前線にたった。これらの戦役は、当時の広東省に統一の情勢をつくりだし、北伐戦争の基礎をうちたてた。
    〔3〕 スターリンの『中国革命の見通しについて』から引用。
    〔4〕 一八九四年、孫中山はホノルルで「興中会」という革命的小団体を結成した。一八九五年、清朝政府が中日戦争で失敗した後、孫中山は広東省内で、以前の民間秘密結社「会党」に依拠して、一八九五年の広州の戦いと一九〇〇年の恵州の戦いの二回にわたる清朝に反対する武装蜂起をおこした。
    〔5〕 一九〇五年、興中会は清朝に反対する他の二つの団体――華興会および光復会と連合して、同盟会(これは、当時のブルジョア階級、小ブルジョア階級と、清朝に反対する一部の有力者との連合戦線の組織であった)を結成し、「満州族の駆逐、中華の回復、民国の樹立、地権の平均」というブルジョア革命の政綱をかかげた。同盟会の時期に、孫中山は「会見」および新軍と連合して、清朝に反対する武装蜂起を何度もおこした。そのうちの比較的大きなものには、一九〇六年の萍郷、瀏陽、醴陵の戦い、一九〇七年の潮州における黄岡の戦い、欽州の戦い、鎮南関(いまの友宜関――訳者)の戦い、一九〇八年の雲南省の河口の戦い、一九一一年の広州の戦いおよび武昌蜂起がある。
    〔6〕 一九一二年、同盟会は改組されて国民党となり、当時の北洋軍閥袁世凱の支配と妥協をおこなった。一九一三年、袁世凱は軍隊を南下させ、辛亥革命から形成されてきた江西、安徽、広東諸省の勢力を圧迫しようとした。孫中山は武力抵抗をおこなったが、まもなく失敗した。一九一四年、孫中山は妥協で失策したことから、当時の国民党とのちがいをしめすため、日本の東京で別に中華革命党を結成した。これは、実際上、一部の小ブルジョア階級と一部のブルジョア階級の政治的代表者の反袁同盟であった。孫中山はこの同盟に依拠して、一九一四年、上海で小規模な蜂起をおこしたことがあった。一九一五年、袁世凱が皇帝と称すると、蔡鍔らの反袁勢力は雲南省で袁世凱討伐の戦争をおこしたが、当時孫中山も武力による袁世凱打倒の積極的な鼓吹者であり活動家であった。
    〔7〕 一九一七年、孫中山はその影響下にある海軍をひきいて、上海から広州にいき、広東省を根拠地とし、当時、北洋軍閥段祺瑞に反対していた西南軍閥と連合して、段祺瑞反対の軍政府を組織した。
    〔8〕 一九二一年、孫中山は桂林市で北伐の準備をおこなったが、部下の陳炯明が北洋軍閥と結託して寝がえったため、成果を得なかった。
    〔9〕 一九二四年、孫中山は中国共産党とソ連の援助を得て国民党を改組したのち、広州付近の黄埔で車官学校を創立した。それが、黄埔軍官学校である。一九二七年、蒋介石が革命を裏切るまでは、ここは国共合作の学校であった。共産党員である周恩来、葉剣英、憚代英、蕭楚女その他多くの同志が前後してこの学校でいろいろな責任ある活動をうけもった。多くの学生も共産党員や共産主義青年団員であった。かれらは、この学校で革命的中堅を形成した。
    〔10〕 譚延[”もんがまえ”+”山”の下に”豆”]は湖南省の出身で、清朝の翰林であった。もとは立憲君主制を主張していたが、のちに投機的に一九一一年の革命(辛亥革命)に参加した。その後、かれは国民党の陣営にはいったが、これは湖南地方の地主勢力と北洋軍閥の矛盾を反映したものであった。
    〔11〕 進歩党は、民国初年、梁啓超らの一派が袁世凱に依存して組織した政党である。
    〔12〕 段祺瑞は袁世凱のふるくからの部下で、北洋軍閥内の安徽系の頭目であった。袁世凱の死後、かれは何度も北京政府の政権をにぎった。
    〔13〕 政学系とは、一九二八年、一部の進歩党員と一部の国民党員によって組織された極右の政派で、官職をあさるために南北の軍閥のあいだで投機的な活動をおこなっていた。一九二六年から一九二七年にかけての北伐戦争の時期には、政学系の一部のもの、たとえば親日派黄郛、張群、楊永泰のやからは蒋介石と結託しはじめ、その反動的な政治経験を利用して、蒋介石の反革命政権の樹立をたすけた。
    〔14〕 「青年党」とは、いわゆる「国家主義派」の「中国青年党」のことである。本選集第一巻の『中国社会各階級の分析』注〔1〕にみられる。
    〔15〕 ここでは主として、北伐戦争の時期、共産党員葉挺将軍を首長とする独立連隊をさす。本選集第一巻の『井岡山の闘争』注〔14〕を参照。
    〔16〕 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』を参照。
    〔17〕 韓復榘はもと山東省に駐屯していた国民党軍閥である。劉峙は蒋介石直系の軍閥で、もと河南省にいたか、抗日戦争勃発後、河北省保定の線の防御にあたった。この両軍閥は日本侵略軍が進攻してきたとき、どちらも戦わずに逃走した。
    訳注
    ① 五・四運動とは、一九一九年五月四日におこった帝国主義、封建主義に反対する革命運動のことである。一九一九年の上半期、第一次世界大戦の戦勝国であるイギリス、フランス、アメリカ、日本、イタリアなどの帝国主義国は、パリで贓品の分配会議をひらき、中国の山東省におけるドイツのさまざまな特権を日本かひきつぐことを決定した。五月四日、北京の学生が真っ先に、集会をひらきデモ行進をおこなって、これに断固反対することを表明した。北洋軍閥政府はそれに弾圧を加え、学生三十余人を逮捕した。そこで北京の学生はストライキをおこして抗議し、各地の学生もぞくぞくとそれに呼応した。六月三日から、北洋軍閥政府はまたも北京で、よりおおがかりな逮捕をはじめ、二日間のうちに、約一千人の学生を逮捕した。この六月三日の事件は、全国人民のより大きな怒りをひきおこした。六月五日から、上海およびその他の多くの地方の労働者はあいついでストをはじめ、商人もあいついで閉店ストをはじめた。これまで、主として知識層の参加していた愛国運動は、その時からプロレタリア階級、小ブルジョア階級およびブルジョア階級の参加する全国的な愛国運動へと急速に発展していった。五・四運動以前におこされていた封建主義に反対し、科学と民主を提唱する新文化運動も、愛国運動の発展につれて、マルクス・レーニン主義の宣伝を主流とする大規模な革命文化運動へと発展していった。
    ② 本選集第一巻の『中国社会各階級の分析』注〔7〕を参照。
    ③ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔30〕を参照。
    ④ 本選集第一巻の『中国革命戦争の戦略問題』注〔32〕を参照。
    ⑤ 本選集第一巻の『中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか』注〔8〕を参照。
    ⑥ 本選集第一巻の『中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか』注〔7〕を参照。



  
  
  

 
 
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五・四運動

          (一九三九年五月)
     これは、毛沢東同志が延安の新聞に書いた五・四運動二〇周年記念論文である。

 二十年まえの五・四運動は、中国の反帝・反封建のブルジョア民主主義革命がすでに新しい段階に発展したことをしめしている。五・四運動が文化革新運動になったことは、中国の反帝・反封建のブルジョア民主主義革命の一種の表現形態にすぎない。当時の新しい社会勢力の成長と発展によって、中国の反帝・反封建のブルジョア民主主義革命には、強大な陣営があらわれた。それが中国の労働者階級、学生大衆および新興の民族ブルジョア階級で構成された陣営である。そして、「五・四」の時期に、勇敢に運動の先頭にあらわれたのが数十万の学生であった。これは五・四運動が辛亥《シンハイ》革命よりも一歩すすんだ点である。
 中国のブルジョア民主主義革命の過程を、準備期からのべると、それはすでにアヘン戦争、太平天国戦争、一八九四年の中日戦争〔1〕、戊戌《ウーシュイ》維新、義和団運動、辛亥革命、五・四運動、北伐戦争、土地革命戦争などのいくつもの発展段階を経過している。こんにちの抗日戦争はその発展のもう一つの新しい段階であり、またもっとも偉大な、もっとも生気にみちた、もっとも活動的な段階でもある。外国の帝国主義勢力と国内の封建勢力が基本的にくつがえされ、独立した民主主義国家が樹立されるにいたってはじめて、ブルジョア民主主義革命は成功したといえる。アヘン戦争いらいの革命の各発展段階には、それぞれいくつかの特徴がある。そのなかでのもっとも重要なちがいは、共産党の出現するまえとあとである。しかし、その全体についてみれば、ブルジョア民主主義革命の性質をおびていないものは一つもなかった。このような民主主義革命は、中国の歴史にはかつてなかった社会制度、すなわち民主主義の社会制度をうちたてるためのもので、この社会の前身は封建主義の社会であり(ここ百年間は半植民地・半封建の社会となっている)、その後身は社会主義の社会である。共産主義者が、なぜ、さきにブルジョア民主主義の社会制度の実現のためにたたかい、そのあとで社会主義の社会制度を実現するのか、と聞かれたならば、歴史の必然的な道をすすむのだと答える。
 中国の民主主義革命の達成は、一定の社会勢力に依拠するものである。その社会勢力とは労働者階級、農民階級、知識層、進歩的ブルジョア階級、つまり革命的な労働者、農民、兵士、知識層、商工業者であって、その根本的な革命の力は労働者、農民であり、革命の指導階級は労働者階級である。この根本的な革命の力からはなれ、労働者階級の指導からはなれるなら、反帝・反封建の民主主義革命を達成することは不可能である。こんにちでは、革命の主要な敵は日本帝国主義と民族裏切り者であり、革命の根本政策は抗日民族統一戦線である。この統一戦線の構成要素はすべての抗日の労働者、農民、兵士、知識層、商工業者である。抗日戦争が最後の勝利をうるのは、労働者、農民、兵士、知識層、商工業者の統一戦線が大いに強化し、発展したときである。
 中国の民主主義革命の運動で、まずさいしょに目ざめるものは知識層である。辛亥革命と五・四運動は、どちらもこの点をはっきりとしめした。そして、五・四運動の時期の知識層は辛亥革命の時期の知識層よりもいっそう広範で、いっそう目ざめていた。しかし知識人は、もし労農民衆と結びつかなければ、なに一つなしとげられない。知識人が革命的か、非革命的か、反革命的かの最後のわかれ目は、かれらが労農民衆と結びつくことをのぞみ、しかもそれを実行するかどうかにある。かれらの最後のわかれ目はただこの点だけにあり、口先で三民主義やマルクス主義をうんぬんすることにあるのではない。ほんとうの革命家はかならず労農民衆と結びつくことをのぞみ、しかも実行するものである。
 五・四運動はこんにちまでに二十年たっており、抗日戦争も、もうすぐ二周年になる。全国の青年および文化界は、民主主義革命と抗日戦争にたいして大きな責務をになっている。わたしは、かれらが中国革命の性質と原動力を認識して、自分の活動を労農民衆と結びつけ、労農民衆のなかにはいって、労農民衆の宣伝者、組織者となるよう希望する。全国民衆の決起の日が抗日戦争勝利のときである。全国の青年諸君、努力しよう!



〔1〕 この戦争は日本が朝鮮にたいして侵略をおこすとともに、中国の陸、海軍にたいして挑発行為にでたことからひきおこされたものである。戦争中、中国の軍隊は勇敢に戦ったが、清朝政府が腐敗していたため、また侵略にたいして断固たたかう準備に欠けていたため、中国側は敗北を喫した。その結果、清朝政府は日本と屈辱的な馬関条約を締結した。
訳注
① 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』の注〔34〕を参照。
  
  
  

 
 
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青年運動の方向
          (一九三九年五月四日)
     これは、毛沢東同志が延安の青年大衆の五・四運動二〇周年記念集会でおこなった講演である。毛沢東同志はこの講演で、中国革命の問題についての思想を発展させている。

 きょうは五・四運動の二〇周年記念日である。われわれ延安《イェンアン》の全青年が、ここで記念集会をひらいているので、わたしは、中国の青年運動の方向にかんするいくつかの問題についてのべてみよう。
 第一に、こんど五月四日を中国の青年の日ときめたが、これは正しい〔1〕。「五・四」からこんにちまで、すでに二十年になるが、今年になってやっと、この日が全国で青年の日ときめられた。これには重要な意義がふくまれている。すなわちそれは、帝国主義および封建主義とたたかうわが中国の人民民主主義革命がまもなく転換点にたっしようとしていることをしめしている。この数十年らい、反帝・反封建の人民民主主義革命はいくたびか失敗したが、いま、このような事態を転換させなければならない。それは、もう一度失敗をかさねるのではなくて、勝利の方向へ転換させるのである。いま、中国の革命は前進しつつあり、勝利にむかって前進しつつある。歴史上なんども失敗してきた事態はこれ以上つづけてはならないし、またけっしてつづけさせるべきではなく、それを勝利に転換させなければならない。では、いま、すでに転換しているだろうか。まだしていない。この転換はいままだはじまっていないし、われわれはいままだ勝利していない。しかし、勝利はたたかいとれるのである。この抗日戦争では、失敗から勝利へという転換点にたっするよう努力しなければならない。五・四運動が反対したのは、売国政府であり、帝国主義と結託して民族の利益を売りわたした政府であり、人民を抑圧した政府である。このような政府に反対する必要があるかどうか。もし反対する必要がないとすれば、五・四運動はまちがっていたことになる。このような政府にはどうしても反対する必要があり、売国政府は打倒すべきであるということは、非常にはっきりしている。諸君みたまえ、孫中山《スンチョンシャン》先生は五・四運動のずっとまえから、当時の政府にたいする反逆者であり、清朝政府に反対し、しかもそれをくつがえした。かれのしたことは正しかったかどうか。わたしは正しかったとおもう。なぜなら、かれが反対したのは、帝国主義に抵抗する政府ではなくて帝国主義と結託する政府であり、革命的な政府ではなくて革命を圧迫する政府であったからである。五・四運動は、売国政府反対の活動をおこなったからこそ、革命的な運動であった。全中国の青年は五・四運動をこのようにみるべきである。全国の人民が抗日に奮起しているこんにち、すべてのものは、過去の革命の失敗の経験にてらして、かならず日本帝国主義をうちやぶるという決意をかためており、また、これ以上売国奴が存在するのをゆるさず、ふたたび革命が失敗するのをゆるさないのである。一部のものをのぞく全国の青年はみな目ざめてきており、すべてのものがこのような必勝の決意をもっている。このことは「五・四」を青年の日ときめたことにしめされている。われわれは勝利への道を前進しつつあり、全国人民がこぞって努力しさえすれば、中国革命はかならず抗日の過程で勝利をおさめるにちがいない。
 第二に、中国の革命が反対しているのはなにか、革命の対象はなにか。周知のように、一つは帝国主義であり、一つは封建主義である。現在の革命の対象はなにか。一つは日本帝国主義であり、もう一つは民族裏切り者である。革命をやるには、どうしても日本帝国主義をうちたおし、どうしても民族裏切り者をうちたおさなければならない。革命はだれがやるのか、革命の主体はなにか。それは、中国の民衆である。革命の原動力としては、プロレタリア階級があり、農民階級があり、さらにその他の階級のなかの反帝・反封建をねがうあらゆる人びとがあるが、かれらはいずれも反帝・反封建の革命勢力である。だが、この多くの人びとのなかで、どういう人が基本的な勢力であり、革命の骨幹であるのか。それは、全国人口の九〇パーセントをしめる労働者、農民である。中国革命の性質はなにか、われわれが現在やっているのはどんな革命か。われわれが現在やっているのはブルジョア的性質の民主主義革命であって、われわれのやることはすべてブルジョア民主主義革命のわくをこえることはない。現在まだブルジョア階級の私有財産制一般を破壊すべきではなく、破壊しなければならないのは帝国主義と封建主義であって、これがブルジョア的性質の民主主義革命とよばれるものである。しかし、ブルジョア階級にはもはやこの革命をなしとげる力がなく、それをなしとげるには、プロレタリア階級と広範な人民の努力にたよらなければならない。この革命が達成しようとする目的はなにか。その目的は帝国主義と封建主義をたおし、人民民主主義の共和国を樹立することである。この人民民主主義の共和国がすなわち革命的三民主義の共和国である。それは現在のような半植民地的・半封建的な状態とはちがい、将来の社会主義制度ともちがう。社会主義の社会制度では、資本家はいらなくなるが、この人民民主主義制度では、まだ資本家の存在はゆるされるべきである。中国では、資本家は永久にいるだろうか。そんなことはない、将来はきっといらなくなる。たんに、中国がそうであるばかりでなく、全世界もそうである。イギリスにしても、アメリカにしても、フランスにしても、日本にしても、ドイツにしても、イタリアにしても、将来すべて資本家はいらなくなるのであって、中国も例外ではありえない。ソ連は社会主義をうちたてた国であり、将来、全世界がみなそれにつづくことは、疑いの余地がない。中国は将来かならず社会主義に発展していくのであって、こうした法則はだれもくつがえすことはできない。だが、当面の段階では、われわれは、社会主義を実行するのではなくて、帝国主義と封建主義を破壊し、中国の現在のこの半植民地的・半封建的な地位をあらため、人民民主主義制度を樹立するのである。全国の青年はこのために努力すべきである。
 第三に、これまでの中国革命の経験と教訓とは、どういうものか。これもまた青年が知っていなければならない重要な問題である。中国の反帝・反封建のブルジョア民主主義革命は、厳密にいえば、孫中山先生からはじまったのであり、すでに五十余年をへている。資本主義諸外国の中国侵略となると、ほぼ百年におよんでいる。百年このかた、中国の闘争は、イギリスの侵略に反対するアヘン戦争にはじまり、その後、太平天国の戦争があり、一八九四年の中日戦争があり、戊戌《ウーシュイ》維新があり、義和団運動があり、辛亥《シンハイ》革命があり、五・四運動があり、北伐戦争があり、赤軍の戦争があった。これらはそれぞれ事情はちがっているが、どれも外敵に抵抗するか、現状を変革するためのものであった。だが、比較的明確なブルジョア民主主義革命は孫中山先生からはじまったのである。孫先生によってはじめられた革命は、五十年のあいだに、勝利した点もあれば、失敗した点もある。みたまえ、辛亥革命が皇帝を放逐したことは勝利ではないか。失敗だというのは、辛亥革命は皇帝一人を放逐しただけであって、中国はあいかわらず帝国主義と封建主義の抑圧のもとにおかれ、反帝・反封建の革命の任務がなしとげられなかったことをさすのである。五・四運動はなにをしようとしたのか。やはり反帝・反封建のためであったが、これも失敗してしまい、中国はあいかわらず帝国主義と封建主義の支配のもとにおかれた。北伐戦争の革命も同様であって、勝利はしたが、また失敗してしまった。国民党が反共〔2〕をはじめていらい、中国はまた帝国主義と封建主義の天下になった。そこで、十年間にわたる赤軍の戦争がおこらざるをえなかった。しかし、この十年間の奮闘も局部的な革命の任務をなしとげただけで、全国的な革命の任務はまだなしとげていない。もし、われわれが過去数十年間の革命を総括するならば、それは、一時的、部分的な勝利をえただけで、永久的、全国的な勝利はえていないということになる。まさに孫中山先生が「革命なおいまだ成功せず、同志よ、さらに努力せよ」といったことばのとおりである。ここで、つぎのように問題をだしてみたい。中国革命は何十年もおこなわれてきたが、なぜ、いまになっても、まだ目的がたっせられないのか、原因はどこにあるのか。わたしは、その原因はつぎの二つの点、すなわち、第一に、敵の力があまりにも強かったこと、第二に、われわれの力があまりにも弱かったことにあると考える。一方が強く、他方が弱いから、革命は勝利しなかったのである。敵の力があまりにも強いというのは、帝国主義(これが主要なものである)と封建主義の力があまりにも強いということである。われわれの力があまりにも弱いというのは、軍事、政治、経済、文化の諸分野に弱点があるということであるが、主としては、全国人口の九〇パーセントをしめる労農大衆がまだ動員されなかったので、弱さがあらわれたのであり、反帝・反封建の任務をなしとげることができなかったのである。この数十年の革命を総括するとすれば、それは全国人民が十分に動員されず、しかも、反動派がつねにこの動員に反対し、これを破壊してきたということである。ところが、帝国主義と封建主義の打倒は、全国人口の九〇パーセントをしめる労農大衆を動員し、組織することによってはじめて可能となるのである。孫中山先生はその遺言のなかで、つぎのようにのべている。「余は国民革命に力を致すことおよそ四十年、その目的は中国の自由、平等をもとめるにあった。四十年の経験を積んで、この目的を達成するためには、民衆をよびさまし、そして、世界でわれらを平等に遇する民族と連合し、ともに奮闘しなければならぬことを深く知るにいたった。」この老先生がなくなって十余年になる。それにかれののべた四十年をくわえると五十余年になるが、この五十余年らいの革命の経験と教訓とはなにか。根本的には、「民衆をよびさます」というこの道理である。諸君はこれをよく研究すべきであり、全国の青年もこれをよく研究すべきである。青年たちは、帝国主義にうち勝ち、封建主義にうち勝つには、全国人口の九○パーセントをしめる労農大衆を動員するほかはないということをぜひ知らなければならない。こんにちわれわれが、全国の労農大衆を動員しなければ、日本にうち勝ち、新中国を樹立する目的を達成することは不可能である。
 第四に、ここで話を青年運動にすすめよう。二十年まえのきょう、学生たちの参加した、歴史上五・四運動とよばれる大事件が中国でおこったが、これは重大な意義をもつ運動であった。「五・四」いらい、中国の青年たちはどんな役割をはたしてきたか。ある種の先頭部隊としての役割をはたしてきた。このことは頑迷《がんめい》分子をのぞいて、全国のすべての人びとがみとめている。先頭部隊としての役割とはなにか。それは率先的役割であり、革命の隊列の先頭に立つことである。中国の反帝・反封建の人民の隊列内には、中国の知識青年や学生たちからなる一部隊がある。この部隊はかなり大きく、死んだ人は別としていま数百万人いる。この数百万人の部隊は反帝・反封建の一つの方面軍であり、しかも重要な方面軍である。だが、この方面軍にたよるだけでは十分でなく、それにたよるだけでは敵にうち勝つことはできない。なぜなら、それは主力軍ではないからである。では、主力軍はだれか。それは労農大衆である。中国の知識青年や学生たちはぜひとも労農大衆のなかにはいっていって、全国人口の九〇パーセントをしめる労農大衆を動員し、組織しなければならない。たんに知識青年や学生という部隊にたよるだけで、労働者、農民という主力軍がなければ、反帝・反封建の勝利をおさめることはできない。したがって、強力な部隊を形成するには、全国の知識青年や学生はどうしても広範な労農大衆と結びつき、かれらと一体にならなければならない。これは何億人という部隊である。この大部隊があってはじめて、敵の堅固な陣地を撃破することができ、敵の最後のとりでを撃破することができるのである。この観点から、過去の青年運動をみると、ここ数十年の青年運動には、一部の青年が労農大衆との連合をのぞまず、労農運動に反対するというあやまった偏向のあったことを指摘しなければならない。これは青年運動の潮流における一つの逆流であった。かれらは、全国人口の九〇パーセントをしめる労農大衆と連合するどころか、あたまから労働者、農民に反対したが、これは、じつにばかげたことである。このような潮流はよいのだろうか。わたしはよくないとおもう。なぜなら、かれらが労働者、農民に反対するのは、とりもなおざず革命に反対することだからである。したがって、それは青年運動における一つの逆流だというのである。このような青年運動はよい結果をもたらさない。数日まえわたしは短い文章を書いた〔3〕が、そのなかで、つぎのようにのべた。「知識人が革命的か、非革命的か、反革命的かの最後のわかれ目は、かれらが労農民衆と結びつくことをのぞみ、しかもそれを実行するかどうかにある。」わたしは、ここで、一つの基準を提起したが、これが唯一の基準であると考える。ある青年が革命的かどうかをみるには、なにを基準にするか。なにによってその人をみわけるか。基準はたった一つしかない、つまり、その人が広範な労農大衆と結びつくことをのぞみ、しかもそれを実行するかどうかをみるということである。労農大衆と結びつくことをのぞみ、しかもそれを実行する人は革命的であり、そうでない人は非革命的か、あるいは反革命的である。きょう、労農大衆と結びつけば、きょうは革命的であるが、もしあす結びつかなくなるか、あるいは逆に民衆を抑圧するなら、それは非革命的か、あるいは反革命的である。一部の青年は、たんに口先で三民主義を信ずるとか、マルクス主義を信ずるとか吹きまくっているが、これはあてにはならない。みたまえ、ヒトラーも「社会主義を信ずる」といっているではないか。ムッソリーニも二十年まえはやはり「社会主義者」だったのだ。かれらの「社会主義」はいったいどういうしろものだったのか。じつはファシズムだったのだ。陳独秀《チェントウシウ》もマルクス主義を「信」じていたではないか。だが、かれはのちに何をやったか。反革命の側に走ってしまった。張国燾《チャンクォタオ》もマルクス主義を「信」じていたではないか。かれはいまどこにいったか。脱走したとたん、どろぬまにはまりこんでしまった。一部のものはみずから「三民主義の信徒」、しかも、古株の三民主義者をもって任じているが、かれらは何をやったか。もともと、かれらの民族主義とは帝国主義と結託することであり、かれらの民権主義とは民衆を抑圧することであり、かれらの民生主義はといえば、それは民衆のからだから血を多く吸いとれば吸いとるほどよいということである。こういうのは口と腹のちがう三民主義者である。したがって、われわれが人をみるばあい、その人と広範な労農大衆との関係がどうかをみさえすれば、その人がにせの三民主義者かそれともほんものの三民主義者か、にせのマルクス主義者かそれともほんもののマルクス主義者かがはっきりわかる。みわける基準はこの一つだけで、ほかに基準はない。わたしは、全国の青年が労働者、農民を自分の友としてはっきりみとめ、輝かしい前途にむかって進軍すべきであって、あの暗黒の逆流におちいってはならないということを心にきざんでおくよう希望する。
 第五に、いまの抗日戦争は中国革命の新しい段階であり、しかも、もっとも偉大な、もっとも躍動している、もっとも生気にみちた新しい段階である。この段階では、青年たちは大きな責務をになっている。わが中国の数十年らいの革命運動はかずかずの奮闘の段階をへてきたが、いまの抗日戦争ほど広範なものは一度もなかった。われわれは、現在の中国革命は過去のそれとはちがい、失敗から勝利に転換するという特徴をもっているとおもうが、それは、中国の広範な人民が進歩したことをさしているのであって、青年の進歩はそのあきらかな証拠である。したがって、こんどの抗日戦争はきっと勝利するにちがいないし、どうしても勝利をおさめなければならない。周知のように、抗日戦争の根本政策は抗日民族統一戦線であって、その目的は、日本帝国主義をうちたおし、民族裏切り者をうちたおし、ふるい中国を新しい中国に変えて、全民族を半植民地的・半封建的な地位から解放することである。現在、中国の青年運動が統一していないのは大きな欠陥である。統一こそ力であるから、諸君はひきつづき統一をはかるべきである。諸君は、全国の青年に、現在の情勢を知らせ、団結を実行して抗日をやりぬくようにさせなければならない。
 さいごに、第六として、延安の青年運動についてのべよう。延安の青年運動は全国の青年運動の手本である。延安の青年運動の方向こそ全国の青年運動の方向である。なぜか。延安の青年運動の方向は正しいからである。みたまえ、統一の点で、延安の青年たちはそれを実行しているばかりでなく、しかもりっぱに実行している。延安の青年たちは団結し、統一している。延安の知識青年、学生、青年労働者、青年農民などは、みんな団結しあっている。全国各地から、遠くは海外の華僑のなかから、おおぜいの革命的青年が勉学のため延安にきている。きょうの参会者は、大多数が何千里、何万里のかなたからきている人びとであり、張君も李君も男も女も労働者も農民も、みな心を一つにしている。これでも、全国の手本といえないだろうか。延安の青年は自分たちが団結しているばかりでなく、労農大衆とも結びついており、この点はなおさら全国の手本である。延安の青年たちは何をしただろうか。かれらは革命の理論を学習し、抗日救国の道理と方法を研究している。かれらは生産運動をおこなって荒れ地を何千華畝、何万華畝も開墾した。荒れ地を開墾して耕作することは孔子さまさえやらなかった。孔子が学校をひらいたとき、その学生は多く、「賢人七十、弟子三千」、まことにさかんであった。だが、その学生は、延安にくらべるとはるかにすくなかったし、しかも生産運動などはこのまなかった。孔子は学生からどんなふうに田を耕すかときかれると、こういった。「知らない。わたしは農民にはおよばない。」また、どんなふうに野菜をつくるのかときかれると、かれはまた、こういった。「知らない。わたしは野菜をつくる人にはおよばない。」中国の古代、聖人のもとで勉強していた青年たちは、革命の理論を学んだことがなかったばかりか、労働もしなかった。いま全国の広大な地域では、学校が革命理論をほとんどやっていないし、生産運動もとりあげていない。ただ、わが延安と敵の後方の各抗日根拠地の青年たちは、まったくちがっている。かれらは政治的方向が正しく、活動方法も正しいので、ほんとうに抗日救国の先頭部隊である。したがって、わたしは延安の青年運動は全国青年運動の手本だというのである。
 きょうの集会はたいへん有意義である。わたしは話したいことをみんな話した。全国の青年を全国の人民と結びつけ、革命を失敗から勝利に転換させるため、諸君がこの五十年らいの中国革命の経験を研究し、そのよい点をのばし、あやまりをとりさるよう希望する。全国の青年と全国の人民がみな動員され、組織され、団結したその日こそ、日本帝国主義のうちたおされる日である。青年の一人ひとりがこの責務をになわなければならない。青年の一人ひとりは、これまでとはちがって一大決意をかためなければならない。つまり、かならず全国の青年を団結させ、全国の人民を組織して、日本帝国主義をうちたおし、ふるい中国を新しい中国に改造することである。これが、わたしの諸君にたいする希望である。



〔1〕 五月四日を中国青年の日とすることは、もともと陝西・甘粛・寧夏辺区の青年組織がきめたものである。当時、広範な青年大衆の愛国の波の高まりにおされて、国民党もこれに同意した。その後、国民党は青年の革命化をおそれ、この決定を非常に危険であると感じ、三月二十九日(一九一一年の広州蜂起の革命烈士記念日)を青年の日とすることにあらためた。だが、共産党の指導する革命根拠地では、ひきつづき五月四日を青年の日としていた。中華人民共和国成立後、中央人民政府政務院は一九四九年十二月に、五月四日を中国青年の日とすることを正式に公布した。
〔2〕 一九二七年、蒋介石が上海、南京で、また汪精衛が武漢でおこした反革命クーデターをさす。
〔3〕 本巻の『五・四運動』という論文をさす。
  
  
  

 
 
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投降の策動に反対せよ
          (一九三九年六月三十日)
 日本の侵略者をまえにして、中華民族にとってこれまで存在してきたなによりも大きな問題は、戦うか戦わないか、という問題であった。「九・一八」から蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変までのあいだ、この問題は非常にはげしく論争された。「戦えば存続するが、戦わなければ滅亡する」――これがすべての愛国的諸政党とすべての愛国的同胞の結論であり、「戦えば滅亡するが、戦わなければ存続する」――これがすべての投降主義者の結論であった。蘆溝橋の抗戦の砲声がこの論争を一時的には解決した。それは、第一の結論が正しく、第二の結論があやまっていたことを宣告した。だが、蘆溝橋の砲声が、この問題を一時的に解決しただけで、最終的に解決しなかったのはなぜだろうか。それは、日本帝国主義の投降へのさそいこみ政策、国際投降主義者〔1〕の妥協のたくらみ、中国の抗日陣営内の一部の人びとの動揺性によるのである。いまではまたこの問題が、少し言いまわしを変えて、いわゆる「和するか戦うかの問題」として提起されている。そのため中国の内部では、主戦派と講和派とのあらそいがまきおこっている。かれらの論点はあいかわらずおなじで、「戦えば存続するが、和すれば滅亡する」――これが主戦派の結論であり、「和すれば存続するが、戦えば滅亡する」――これが講和派の結論である。だが、主戦派には、すべての愛国的諸政党、すべての愛国的同胞、全民族の大多数がふくまれており、講和派すなわち投降派は、人数からいうと、抗日陣営内の一部の動揺分子だけである。したがって、いわゆる講和派は、欺瞞《ぎまん》的宣伝をやらざるをえなくなっており、その第一が反共である。そこで、かれらは、事実の真相をおおいかくし、世論をつくりあげ、講和つまり投降の目的をたっするために、「共産党が攪乱している」とか、「八路軍、新四軍は遊動しているだけで攻撃せず、指揮にしたがわない」とか、「陝西《シャンシー》・甘粛《カンスー》・寧夏《ニンシァ》辺区は割拠しており、区域の拡張をやっている」とか、「共産党は政府転覆の陰謀をくわだてている」とか、ないしは「ソ連が中国侵略をくわだてている」とかいったいつわりのニュース、報告、文書、決議などを降りしきる雪のようにつくりだしている。講和派すなわち投降派がこのようにするのは、共産党が抗日民族統一戦線の提唱者であり、堅持者であり、共産党に反対しなければ、国共合作を破壊することができず、抗日民族統一戦線を分裂させることができず、投降することができないからである。そのつぎは、日本帝国主義の譲歩にのぞみをかけていることである。かれらは、日本はもうだめになった、日本は根本政策をあらためて、自発的に華中、華南ばかりか、華北からさえ撤退するだろうから、中国はこれ以上戦わなくても勝利をおさめることができる、と考えている。さらにそのつぎは、国際的圧力にのぞみをかけていることである。いわゆる講和派の多くの人びとは、講和がやれるように、諸大国がのりだして、日本に譲歩させるよう圧力をかけることをのぞんでいるばかりでなく、「みろ、国際的空気はこうだから、講和するよりほかあるまい」「太平洋国際会議〔2〕は中国に有益であって、ミュンヘン〔3〕などではない。これは中国を復興させる段どりである」と主戦派にいえるように、各国が中国政府に圧力をかけてくれることをものぞんでいる。以上が中国の講和派すなわち投降派の一連の観点であり、手口であり、陰謀である〔4〕。これは汪精衛《ワンチンウェイ》が演じているばかりでなく、もっと重大なのは、抗日陣営の内部に多くの張精衛、李精衛がかくれていて、かれらも汪精衛と内外呼応して、あるものは双簧《ショワンホヮン》をやり〔5〕、あるものは赤や白の隈《くま》どりで芝居を演じている〔6〕ことである。
 われわれ共産党員は、終始一貫主戦派の側に立ち、講和派には断固として反対することを公然と宣言する。われわれは、全国のすべての愛国的諸政党、愛国的同胞といっしょに、団結を強化し、抗日民族統一戦線を強化し、国共合作を強化し、三民主義を実行し、最後まで抗戦し、鴨緑江《ヤールーチァン》の岸辺まで戦いをすすめて、すべての失地を奪回する〔7〕ことをのぞんでいるだけであって、ほかのことは考えていない。反共の気運をもりあげ、国共間の摩擦〔8〕を挑発《ちょうはつ》し、はてはもういちど国共内戦を挑発しようとしているあの公然たる汪精衛やかくれた汪精衛の一味の陰謀を、われわれは断固として糾弾する。われわれはかれらにつぎのようにいう。きみたちのこのような分裂陰謀の本質は、きみたちの投降への準備の段どりにすぎず、きみたちの投降政策と分裂政策は、民族の利益を売りわたし、少数者の私利をはかる全計画のあらわれにすぎないのであり、人民の一人ひとりは目をもっているから、きみたちの陰謀はきっと人民にあばきだされるにちがいない。われわれは、太平洋会議が東方のミュンヘンではないという根拠のない議論を、断固として糾弾する。太平洋会議なるものは、ほかでもなく東方のミュンヘンであり、中国をチェコに変えようとするものである。われわれは、日本帝国主義が理性をとりもどし、譲歩することがありうるという空論を、断固として糾弾する。日本帝国主義の中国を滅ぼす根本方針が変わることはけっしてありえない。武漢陥落後の日本の甘言、たとえばいわゆる「国民政府を対手《あいて》とせず」という方針を放棄して〔9〕、国民政府を相手として認めるように変わったとか、またたとえばいわゆる華中、華南からの撤兵の条件とかは、えきで魚を釣《つ》って料理しようとする陰険な政策であり、それにひっかかるものは、料理されるのを覚悟しなければならない。国際投降主義者が中国を投降にきそいくもうとしているのも、同様に陰険な政策である。かれらは日本の中国侵略をほしいままにさせ、自分は、「山上に坐して相うつ虎の倒名るを侍っ」て、ひとたび時機がくれば、漁夫の利をしめようと、いわゆる太平洋調停会議を画策するのである。もしも、これらの陰謀家にのぞみをかけるならば、同様に、すっかりわなにかかってしまうであろう。
 戦うか戦わないかの問題は、いまでは、戦うか和するかの問題に変わっているが、その性質はやはりおなじであって、これは、すべての問題のなかでも一番大きな問題、もっとも根本的な問題である。この半年来、日本の投降へのさそいこみ政策の強化、国際投降主義者の積極的な策動、主として、中国の抗日陣営内の一部の人びとのいっそうの動揺によって、いわゆる和するか戦うかの問題がやかましくさわがれ、投降の可能性は、当面の政治情勢における主要な危険となり、反共、すなわち国共合作を分裂させ、抗日のための団結を分裂させることが、あの投降派の投降準備のもっとも重要な段どりとなった。このような事情のもとで、全国のすべての愛国的諸政党、すべての愛国的同胞は、目を大きくしてあの投降派の策動を見まもり、当面の情勢では投降が主要な危険であり、反共がとりもなおさず投降の準備であるという、この主要な特徴を認識し、あらゆる努力をはらって投降と分裂に反対しなければならない。全民族の血の犠牲によって日本帝国主義とまる二年間戦ってきたこの戦争は、一部の人びとによる動揺や裏切りをけっしてゆるすものではない。全民族の努力によって結成された抗日民族統一戦線は、一部の人びとによる破壊や分裂をけっしてゆるすものではない。
 戦いつづけ、団結しつづければ、――中国はかならず存続する。
 和をもとめつづけ、分裂しつづければ、――中国はかならず滅亡する。
 どちらをすて、どちらをとるか。国民はすみやかにいずれかを選ばなければならない。
 われわれ共産党員は、かならず戦いつづけ、団結しつづけるものである。
 全国のすべての愛国的諸政党、すべての愛国的同胞もかならず戦いつづけ、団結しつづけていくものである。
 投降派の投降の陰謀と分裂の陰謀は、たとえ一時的には勢いをえても、最後にはかならず人民からあばかれ制裁をうけるであろう。中華民族の歴史的任務は解放をもとめるために団結し抗戦することであるのに、投降派はその反対の道をあゆもうとしており、かれらがどのように勢いをえ、どのように得意になり、世の中には「自分を危うくするものはもういない」と考えても、かれらは、最後には、かならず全国人民の制裁をうけるという運命にある。
 投降と分裂に反対すること――これこそ、全国のすべての愛国的諸政党、すべての愛国的同胞の当面する緊急任務である。
 全国の人民は団結し、抗戦と団結を堅持して、投降の陰謀と分裂の陰謀をおしつぶそう!



〔1〕 国際投降主義者とは、当時、中国を犠牲にして日本と妥協しようと陰謀をめぐらしていたイギリス、アメリカ帝国主義者をさす。
〔2〕 当時、イギリス、アメリカ、フランス帝国主義者は中国の講和派と、いわゆる「太平洋国際会議」をつうじて、日本侵略者と妥協し、中国を売りわたす陰謀をめぐらしていた。当時、世論はこれを極東のミュンヘンの陰謀といった。毛沢東同志はこの論文のなかで、太平洋会議は東方のミュンヘンではないという根拠のない議論を非難しているが、それは当時の蒋介石の論法をさしたのである。
〔3〕 一九三八年九月、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの四ヵ国の政府首脳は、ドイツのミュンヘンで会議をひらいて、ミュンヘン協定を結び、イギリス、フランスは、この協定で、ドイツがソ連に進攻することを交換条件としてチェコをドイツに売りわたした。一九三八年から一九三九年にかけて、イギリス、アメリカ帝国主義は中国を犠牲にして日本帝国主義との妥協をはかることを、何度か画策した。一九三九年六月、すなわち毛沢東同志がこの論文を書いたときにも、イギリスと日本はふたたびこのような陰謀をめぐらし、交渉をすすめていた。この陰謀は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアがミュンヘンでたくらんだ陰謀に似ていたため、「東方のミュンヘン」とよばれた。
〔4〕 毛沢東同志がここでいっている「中国の講和派すなわち投降派の一連の観点であり、手口であり、陰謀である」とは、蒋介石の観点、手口、陰謀をさす。当時、汪精衛は公然たる投降派の主要な頭目であったが、蒋介石は抗日陣営内にかくれている投降派の主要な頭目であり、毛沢東同志のいう「かくれた汪精衛」もしくは「張精衛、李精衛」であった。
〔5〕 毛沢東同志はここでは、蒋介石と汪精衛かたがいに呼応しあって策動しているのが、まるで「双簧」をやっているようだといっているのである。
〔6〕 当時、蒋介石をかしらとする国民党講和派は、一方では、まだ抗戦する態度をよそおいながら、他方では、またいろいろな形で投降の策動をおこなうという二面的なやり方をとり、それはちょうど、中国の古典劇で、顔に赤い隈どりをしたのや、白い隈どりをした俳優が出てくるようなものであった。
〔7〕 一九三九年一月、蒋介石は、国民党第五期中央執行委員会第五回全体会議で、かれのいう「最後まで抗戦する」、その「最後」とは、「蘆溝橋事変以前の状態を回復する」ことであると公言した。そこで毛沢東同志は、蒋介石の投降政策に対抗するため、とくに、最後まで抗戦するということについて定義をおこない、それは、「鴨緑江の岸辺まで戦いをすすめて、すべての失地を奪回する」ことたとのべた。
〔8〕 「摩擦」は当時の流行語の一つで、抗日民族統一戦線を破壊し、共産党と進歩勢力に反対する国民党反動派のさまざまの反動的行為をさしている。
〔9〕 一九三七年十二月十三日、日本軍は南京を占領した。一九三八年一月十六日、日本政府は「爾後《じご》国民政府を対手とせず、新政府の樹立を期待する」という声明を発表した。同年十月、日本軍は広州と武漢を占領した。日本政府は抗戦にたいする蒋介石の動揺を利用して、かれを投降にさそいこむという方針にきりかえ、十一月三日にふたたび声明を発表し、「固より国民政府と雖《いえど》も従来の指導政策を一擲《いってき》し、その人的構成を改善して更生の実を挙げ、新秩序の建設に来り参ずるに於ては敵て之を拒否するものにあらず」とのべた。
訳注
① 「双簧」とはふたりで演じる中国の演芸の一種である。ひとりは、観客に見えないよう、うしろにしゃがんで、歌ったり語ったりし、もうひとりは、声をださずに前に腰をかけ、うしろの人の歌やせりふにあわせていろいろなしぐさをやり、いかにも自分が歌ったり語ったりしているように見せかける。
  
  
  

 
 
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反動派を制裁せよ
          (一九三九年八月一日)
     これは、毛沢東同志が延安の人民の平江虐殺事件殉難烈士追悼会でおこなった演説である。

 きょう八月一日、われわれはここで追悼大会をひらいている。なぜこのような追悼会をひらくのか。それは、反動派が革命の同志を殺し、抗日の戦士を殺したからである。いま殺さなければならないのはどういう人間か。それは民族裏切り者であり、日本帝国主義者である。中国は日本帝国主義者と二年間も戦ってきたが、まだ勝敗はきまっていない。民族裏切り者はまださかんにうごきまわっており、殺されたものも非常にすくない。ところが、革命の同志、抗日の戦士は殺されている。だれが殺したのか。軍隊が殺したのである。軍隊がなぜ抗日の戦士を殺したのか。軍隊は命令を執行したのであって、軍隊に殺せとさしずしたものがいるのである。だれが軍隊にさしずしたのか。反動派がそれをさしずしたのである〔1〕。同志諸君、道理からいって、どういう人間が抗日の戦士を殺そうとしているのか。第一には、日本帝国主義者かかれらを殺そうとしている。第二には、汪精衛《ワンチンウェイ》などの民族裏切り者、売国奴かかれらを殺そうとしている。だが、いま人が殺されたところは、上海《シャンハイ》、北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》、南京《ナンチン》など、日本侵略者、民族裏切り者の占領しているところではなく、平江《ピンチァン》という抗戦の後方であって、殺されたのは新四軍平江連絡所の責任者[シ+余]正坤《トーチョンクン》、羅梓銘《ルォツーミン》らの同志である。だれの目にもあきらかなように、あの中国反動派が、日本帝国主義と汪精衛の命令をうけてかれらを殺したのである。これらの反動派は、投降しようとしている。それで、日本人や汪精衛の命令をうやうやしく執行し、まずはじめに、もっとも断固とした抗日の戦士を殺したのである。この事件はただごとではない。われわれは、どうしても反対し、どうしても抗議しなければならない。
 いま、全国は抗日しており、全国人民は抗日の目標のもとに大きく団結している。この大団結のなかの一部のものは反動派であり、投降派である。かれらは何をしているのか。抗日の人びとを殺し、進歩をおさえつけ、日本侵略者、民族裏切り者と結託して、投降しようとしているのである。
 抗日の同志を殺すというこのような大事件であるのに、これを問題にした人がいるだろうか。六月十二日午後三時に人が殺され、きょうはもう八月一日になっているのに、これを問題にする人があらわれただろうか。あらわれなかった。だれがこの事件を問題にすべきか。中国の法律が、司法官がこれを問題にすべきである。もしも陝西《シャンシー》・甘粛《カンスー》・寧夏《ニンシァ》辺区にこのようなことがおこったとすれば、われわれの高等法院はとっくに問題にしていたであろう。ところが、平江虐殺事件がおきてから、もうニヵ月になろうとしているのに、法律も司法官もこれを問題にしていない。なぜだろうか。それは中国が不統一だからである〔2〕
 中国は統一していなければならず、統一していなければ勝利することはできない。だが、統一とはなにか。統一とは、みんなが抗日し、みんなが団結し、みんなが進歩し、賞すべきものは賞し、罰すべきものは罰することである。だれを賞すべきか。抗日する人を賞し、団結する人を賞し、進歩する人を賞すべきである。だれを罰すべきか。抗日、団結、進歩を破壊する民族裏切り者と反動派を罰すべきである。現在は統一しているだろうか。していない。平江虐殺事件がその証拠である。このことからわかるように、統一すべきものが統一していないのである。われわれははやくから全国的な統一を要求してきた。その第一は、抗戦に統一していくことである。現在、[シ+余]正坤、羅梓銘らの抗日の同志は、賞されないばかりでなく、逆に虐殺された。ところが、あの悪党どもは抗戦に反対し、投降しようとし、人を殺しているのに、処罰されていない。これが不統一というものである。われわれは、こうした悪党とたたかい、こうした投降分子とたたかい、こうした殺人犯を逮捕しなければならない。第二は、団結に統一していくことである。団結に賛成するものは賞せられ、団結を破壊するものは罰せられなければならない。ところが、現在、団結に賛成している[シ+余]正坤、羅梓銘らの同志は処罰され、虐殺され、団結を破壊しているあの悪党どものほうはすこしも処罰されていない。これが不統一というものである。第三は、進歩に統一していくことである。全国を進歩させ、おくれたものを進歩したものにみならわせなければならず、けっして進歩したものをおくれたものにみならわせてはならない。平江虐殺事件の下手人どもが進歩的な人びとを殺したのである。抗戦いらい、暗殺された共産党員や愛国の志士はすでに何十人、何百人にたっしており、平江虐殺事件は最近おこった事件の一つにすぎない。このままでいくと、中国はたいへんなことになり、抗日する人はみな殺されることになる。抗日する人を殺すということは、なにを意味するのか。それは、中国の反動派が日本帝国主義と汪精衛の命令を執行し、投降しようとしているので、まず、抗日軍人を殺し、共産党員を殺し、愛国の志士を殺すのだということである。このようなことを、もし阻止しないならば、中国はこれらの反動派の手で滅ぼされてしまうことになる。したがって、この事件は全国的な大きなできごとであって、われわれは、これらの反動派を厳重に処罰するよう国民政府に要求しなければならない。
 同志諸君は、さらに、つぎのくとを理解しなければならない。最近、日本帝国主義の攪乱《かくらん》行為はいっそうひどくなり、日本にたいする国際帝国主義の援助もいっそう積極化し〔3〕、公然たる汪精衛やかくれた汪精衛など中国内部の民族裏切り者の抗戦の破壊、団結の破壊、後退もいっそう積極化している。かれらは中国の大きな部分を敵に投降させ、内部を分裂させ、国内で戦争をおこさせようと考えている。いま国内で「異党活動制限措置法」〔4〕とかいわれる秘密の措置法がひろくおこなわれているが、その内容は、すべて反動的なものであり、日本帝国主義をたすけるものであり、抗戦にとっても、団結にとっても、進歩にとっても不利なものである。「異党」とはなにか。異党とは日本帝国主義であり、汪精衛であり、民族裏切り者である。共産党とすべての抗日の諸政党は一致団結して抗日をしている。これが「異党」であろうか。ところが、いま、投降派、反動派、頑迷《がんめい》派が、抗戦陣営内で摩擦をおこし、分裂をおこしている。このような行為は正しいだろうか。完全にまちがっている(満場拍手)。「制限」というが、いまどういう人間を制限しなければならないのか。制限しなければならないのは日本帝国主義者であり、汪精衛であり、反動派であり、投降分子である(満場拍手)。もっとも抗日的で、もっとも革命的で、もっとも進歩的な共産党をなぜ制限するのか。これは完全にまちがっている。われわれ延安《イェンアン》の人民は、断固として反対し、断固として抗議することを表明する(満場拍手)。われわれは、いわゆる「異党活動制限措置法」に反対しなければならない。このような措置法が、団結を破壊するさまざまな犯罪的行為の根源である。われわれがきょうこの大会をひらいたのは、抗戦をつづけ、団結をつづけ、進歩をつづけるためである。そのためには、「異党活動制限措置法」を廃止すべきであり、投降派、反動派を制裁すべきであり、すべての革命の同志、抗日の同志、抗日の人民を保護すべきである。(熱烈な拍手。スローガンの高唱)



〔1〕 一九三九年六月十二日、蒋介石の秘密命令によって、国民党第二十七集団軍は、湖南省平江地方にあった新四軍の連絡所を包囲して、新四軍の参議[シ+余]正坤同志と八路軍の少佐副官羅梓銘同志ら六名を虐殺した。この虐殺事件は、各抗日民主根拠地の人民と国民党支配区の正義を主張する人びとの義憤をよびおこした。この虐殺事件は、蒋介石とその徒党がさしずしてひきおこしたものである。毛沢東同志がこの演説のなかで攻撃している反動派とは、蒋介石とその徒党をさす。
〔2〕 毛沢東同志がここで説いている「統一」とは、国民党反動派が「統一」という名目を利用して共産党の抗日武装組織と抗日根拠地を消滅しようとした陰謀にむけて、提起されたものである。国共両党がふたたび合作して、共同で抗日をはじめたその日から、国民党が共産党を攻撃するのに用いた主要な武器が、この「統一」というスローガンで、かれらは、共産党がことさら異説をたてて、統一を妨害し、抗日を不利にしていると中傷していた。一九三九年一月、国民党第五期中央執行委員会第五回全体会議で蒋介石の提起した「異党活動制限措置法」が採択されたのち、このような反動のわめきは、いっそうはげしくなった。毛沢東同志はここで、この「統一」というスローガンを国民党反動派の手から奪いとって、国民党の反人民的、反民族的な分裂行動に反対する革命的なスローガンに変えたのである。
〔3〕 毛沢東同志の『投降の策動に反対せよ』という論文の分析を参照。一九三八年十日、武漢陥落ののち、日本侵略者は国民党にたいして、政治面での降伏勧誘を主とする方針をとり、イギリス、アメリカなどの国際帝国主義もたえす蒋介石に講和をすすめ、イギリスのチェンバレンは、いわゆる「極東建設」に参加したいということを表示した。一九三九年、日本侵略者と国際帝国主義は陰謀活動にいっそう拍車をかけてきた。同年四月、イギリスの駐華大使カーは、蒋介石と日本とのあいだを往復し、講和させようとして策励した。七月、イギリスと日本とのあいだでは合意が得られ、イギリス政府は、日本侵略者が中国でつくりだしたいわゆる「実際の情勢」を完全に認めることになった。
〔4〕 一九三九年、国民党中央は、共産党員およびすべての進歩的な人びとの思想、言論、行動をきびしく制限する「異党活動制限措置法」を秘密裏に通達し、すべての抗日の大衆組織を破壊しようとした。かれらか「共産党の活動のもっともはげしい地域」と認めたところでは、「連保連坐法」を実行するとともに、保甲組織のなかに「通信網」を普遍的につくることをきめた。つまり、いつでも人民の活動を監視し制限できるよう、反革命的な特務組織を普遍的につくるということである。
  
  
  

 
 
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新しい国際情勢についての新華日報記者との談話
          (一九三九年九月一日)

 記者の問い ソ独不可侵条約〔1〕が結ばれましたが、その意義をどうお考えになりますか。
 毛沢東の答え ソ独不可侵条約が結ばれたのは、ソ連の社会主義の力が増大し、ソ連政府が平和政策を堅持した結果です。この条約は、チェンバレン、ダラディエらの国際反動ブルジョア階級によるソ独戦争の挑発の陰謀を粉砕し、ドイツ・イタリア・日本反共集団のソ連にたいする包囲を打破し、ソ連、ドイツ両国間の平和を強化し、ソ連の社会主義建設の発展を保障しました。東方においては、日本に打撃をあたえ、中国を援助し、中国の抗戦派の地位を強化し、中国の投降派に打撃をあたえました。こうしたことによって、全世界人民の自由と解放をかちとるたたかいを援助する基礎がきずかれました。これがソ独不可侵条約の政治的意義のすべてです。
  人びとは、英仏ソ交渉が決裂した結果、ソ独不可侵条約が結ばれたということを、まだ理解しておらず、逆に、ソ独条約が結ばれた結果、英仏ソ交渉が決裂したのだと考えています。英仏ソ交渉がなぜ成功しなかったかを説明していただけないでしょうか。
  英仏ソ三国の交渉が成功しなかったのは、ほかでもなくイギリスとフランスの政府に誠意がなかったからです。近年らい、世界の反動的ブルジョア階級、とりわけ、イギリス、フランスの反動的ブルジョア階級は、ドイツ・イタリア・日本ファシストの侵略にたいし、一貫して反動的な政策、すなわち「不干渉」政策なるものをとってきました。この政策の目的は、侵略戦争をほしいままにやらせておいて、自分はそこから漁夫の利をえようとするところにあります。したがって、イギリス、フランスは、ソ連がいままで提起してきた真の反侵略戦線結成の提案をあたまから拒絶して、「不干渉」の立場をとり、ドイツ、イタリア、日本に侵略をほしいままにやらせておいて、自分はかたわらに立ってながめていたのです。その目的は、戦争している双方をたがいに消耗させ、そのあとで自分が干渉にのりだすことにあります。かれらは、この反動政策を遂行する過程で、中国の半分を犠牲にして日本にあたえ、エチオピアの全部、スペインの全部、オーストリアの全部、チェコの全部を犠牲にしてドイツ、イタリアにあたえました〔2〕。そして、こんどはまた、ソ連を犠牲にしようと考えたのです。このような陰謀は、こんどの英仏ソ三国の交渉のなかで、はっきりと暴露されました。この交渉は四月十五日から八月二十三日まで四ヵ月余にわたっておこなわれ、ソ連側は忍耐に忍耐をかさねました。ところがイギリス、フランスは、一貫して平等互恵の原則に賛成せず、自分たちの安全保障をソ連に要求するばかりで、自分たちのほうは、ドイツの進撃に突破口をひらいてやるため、ソ連の安全保障とバルト海諸小国の安全保障を承知しませんでした。それだけでなく、ソ連の軍隊が侵略者とたたかうためにポーランドを通過するのもゆるさなかったのです。これが交渉決裂の原因です。この期間、ドイツには反ソを停止する意向があり、いわゆる「防共協定」〔3〕を放棄する意向があって、ソ連の国境の不可侵を認めたので、ソ独不可侵条約が成立したのです。国際的反動派、とりわけ、イギリス、フランスの反動派のこのような「不干渉」政策は、つまり「山上に坐して相うつ虎の倒るるを待つ」政策であり、まったく人をそこなっておのれの利をはかる帝国主義的政策です。それは、チェンバレンの登場からはじまり、昨年九月のミュンヘン協定で頂点にたっし、今回の英仏ソ交渉にいたってついに破産したのです。これからさきは、イギリス・フランスとドイツ・イタリアとの二大帝国主義集団の直接衝突の局面となちざるをえません。わたしは一九三八年十月の中国共産党第六期中央委員会第六回総会で、「自分がもちあげた石で自分の足をうつ、これがチェンバレン政策の必然の結果である」とのべたことがあります。チェンバレンは、人をそこなうという目的から始まって、自分を害するという結果に終わりました。これはすべての反動政策の発展法則となるでしょう。
  あなたのみられるところでは、当面の情勢はどう発展していくでしょうか。
  当面の国際情勢はすでに新しい様相をしめしています。まえまえからはじまっている第二次帝国主義戦争の一面的な状態、つまり「不干渉」政策からうまれた、一方が進攻、他方が坐視という局面は、ヨーロッパ方面についていえば、今後全面的な戦争に変わっていくにちがいありません。第二次帝国主義戦争はすでに新しい段階にはいっています。
 ヨーロッパ方面では、ドイツ・イタリア帝国主義集団とイギリス・フランス帝国主義集団とのあいだの、植民地人民にたいする支配権争奪を目的とした帝国主義大戦が目のまえにせまっています。戦争中、戦争している双方は、人民をあざむき、世論を動員するために、どちらも正義は自分のほうにあって相手のほうにはないと恥知らずな宣伝をするでしょう。実際には、これは欺瞞《ぎまん》にすぎません。なぜなら、双方の目的はともに帝国主義的なもので、どちらの側も植民地、半植民地および勢力範囲にたいする支配権の争奪を目的としており、みな略奪的な戦争だからです。いまはポーランド争奪、バルカン半島と地中海沿岸争奪が目的です。このような戦争はまったく正義の戦争ではありません。世界ではただ、非略奪的な、解放をめざす戦争だけが正義の戦争です。共産党はいかなる略奪戦争もけっして支持しません。共産党は、正義の、非略奪的な、解放をめざす戦争にたいしてはすべて、身を挺して支持し、また闘争の最前線に立つものです。第二インターナショナルに属している社会民主主義諸政党は、チェンバレン、ダラディエの脅迫と誘惑によって分化しつつあり、一部の上層反動分子は第一次大戦のときの轍《てつ》を踏み、新しい帝国主義戦争を支持しようとしています。だが、他の一部は共産党とともに、反戦・反ファッショの人民戦線をつくるでしょう。現在、チェンバレン、ダラディエは、ドイツ、イタリアにみならって、一歩一歩反動化し、戦時動員を利用して国家組織をファッショ化し、経済組織を戦時体制化しつつあります。要するに、二大帝国主義集団はいま戦争準備に狂奔しており、大暈殺戮《さつりく》の危険が何百何千万の人民の頭上にのしかかっているのです。このような事態は、疑いもなく、広範な人民の反抗運動を燃えあがらせるでしょう。ドイツ、イタリアにおいても、イギリス、フランスにおいても、ヨーロッパや世界のその他の地域においても、人民が帝国主義の砲火の餌食になることをのぞまないなら、かれらはきっと立ちあがって、いろいろな方法で帝国主義戦争に反対するにちがいありません。
 資本主義世界では、前にのべた二大集団のほかに、なお第三の集団があります。それは、アメリカをかしらとする、中南米の多くの国ぐにをふくむ集団です。この集団は自己の利益のために、しばらくはまだ戦争に転ずることはないでしょう。アメリカ帝国主義は、将来、資本主義世界の指導的地位の争奪にのりだすために、しばらくは中立に名をかりて戦争のどちら側にも参加しないでおこうと考えています。アメリカのブルジョア階級は、いまのところ、国内での民主政治と平時の経済生活をうちきろうとは考えていません。この点は世界の平和運動にとって有利です。
 日本帝国主義はソ独条約によって重大な打撃をこうむっており、その前途はいっそう困難になるでしょう。外交政策の面では、いま、二つの派があらそっています。軍閥は、中国を独占し、東南アジアを侵略し、イギリス、アメリカ、フランスを東方からしめだすという目的をはたすため、ドイツ、イタリアと同盟を結ぼうと考えています。しかし、一部のブルジョア階級は、中国略奪に目標を集中するため、イギリス、アメリカ、フランスに譲歩することを主張しています。いまのところは、イギリスと妥協する傾向がひじょうに強いとおもいます。イギリスの反動派は、中国を共同で分割することと日本を財政的経済的に援助することを条件に、日本を東方におけるイギリスの利益の番犬にして、中国の民族解放運動を弾圧させ、ソ連を牽制《けんせい》させようとしています。したがって、いずれにしても、中国を滅ぼそうという日本の根本目的はけっして変わるものではありません。日本が中国の正面戦線にたいして大規模な軍事進攻をおこなう可能性は、それほど大きくないかもしれませんが、日本は「中国人をもって中国人を制する」〔4〕という政治攻勢と、「戦争によって戦争をまかなう」〔5〕という経済侵略とをいっそうはげしくおこなう一方、その占領地では気違いじみた軍事「掃討」〔6〕をつづけ、また、中国が投降するように、イギリスをつうじて圧力をかけることを考えています。日本は、自分につごうのよい時機に東方ミュンヘンを提唱し、ある種の比較的大きな譲歩をえさにして、城下の盟《ちかい》を結ぶよう中国を誘惑、強迫し、それによって中国を滅ぼすという目的をはたそうとするでしょう。日本のこの帝国主義的目的は、日本人民の革命がおこらないかぎり、日本の支配階級がどんなに内閣を変えたところで、変わることはありえません。
 全資本主義世界のほかに、社会主義のソ連という光明の世界があります。ソ独条約によって、ソ連が世界の平和運動を援助する可能性、中国の抗日を援助する可能性は増大しました。
 以上が国際情勢についてのわたしの見通しです。
  このような情勢のもとで、中国の前途はどうなるでしょうか。
  中国には二つの前途があります。一つの前途は、抗戦を堅持し、団結を堅持し、進歩を堅持することで、これは復興への道です。もう一つの前途は、妥協を実行し、分裂を実行し、後退を実行することで、これは亡国への道です。
 新しい国際環境のなかで、また日本がますます困難になり中国が断じて妥協しないという条件のもとで、わが国の戦略的返却の段階は終わり、戦略的対峙の段階がやってきました。戦略的対峠の段階とは、反攻準備の段階のことです。
 しかし、正面における対峙と敵の後方における対嶬とは反比例するものです。正面における対峙の局面があらわれれば、敵の後方における闘争の局面はきびしくなってきます。したがって、武漢《ウーハン》を占領されてからはじまった、被占領地区(主として華北地方)における敵の大規模な軍事「掃討」は、今後もつづくばかりか、さらにはげしくなることでしょう。そのうえ、敵の当面の主要な政策が「中国人をもって中国人を制する」という政治攻勢と「戦争によって戦争をまかなう」という経済侵略であること、イギリスの東方政策が極東ミュンヘンであることから、中国の大きな部分の投降と内部の分裂という危険が、ひじょうに増大しています。さらに、わが国の国力は敵とくちべると、まだ大きな開きがあって、全国が一致して刻苦奮闘しないかぎり、反攻をおこなうだけの力をそなえることはできません。
 したがって、わが国の抗戦堅持の任務は、やはりひじょうに重大な任務であって、いささかもゆるがせにしてはなりません。
 したがって、中国は、確固とした政治的立場をとるべきであり、どんなことがあっても、いまの時機を逸してはならず、考えをあやまってはならないということは、すこしも疑う余地がありません。
 それは、第一に、抗戦の立場を堅持し、いかなる妥協運動にも反対することです。公然たる汪精衛《ワンチンウェイ》であろうと、かくれた汪精衛であろうと、これに断固として打撃をあたえなければなりません。日本の誘惑であろうと、イギリスの誘惑であろうと、断固として拒否しなければならず、中国はけっして東方ミュンヘンに参加してはなりません。
 第二に、団結の立場を堅持し、どんな分裂運動にも反対することです。それが日本帝国主義の側からこようと、その他の外国の側からこようと、また国内の投降派の側からこようと、すべて十分警戒すべきです。抗戦に不利な内部摩擦は、どんなものであっても厳然たる態度で制止しなければなりません。
 第三に、進歩の立場を堅持し、どんな後退運動にも反対することです。抗戦のためには、軍事、政治、財政経済、党活動、文化教育、民衆運動のいずれの面のものであろうと、抗戦に不利な思想、制度、方策はすべて、再検討し、適切に改善しなければなりません。
 もしそれができれば、中国は反攻をおこなう力をじゅうぶんにそなえることができるのです。
 いまから、全国が「反攻の準備」を抗戦の全般的任務とすべきです。
 いまは、一方では、正面の防御を厳正な態度で支持し、敵後方の戦争を力づよく支援するとともに、他方では、政治、軍事その他各種の改革を実行し、巨大な力を蓄積して、時機がきたらいつでも全力を傾注して、大挙反攻し、失地を奪回できるようにしておかなければなりません。



〔1〕 ソ独不可侵条約は一九三九年八月二十三日に結ばれた。
〔2〕 一九三五年十月、イタリアはエチオピアへの武装侵略を開始し、一九三六年五月、エチオピアを完全に占領した。一九三六年七月、ドイツとイタリアは共同してスペインの内政に武力干渉し、スペイン人民戦線政府にたいするファシスト軍閥フランコの反乱を支持した。人民戦線政府はドイツ・イタリア干渉軍およびフランコ反乱軍と長期にわたる抗戦をおこなったが、一九三九年三月に失敗してしまった。ドイツは、一九三八年三月、出兵してオーストリアを占領し、同年十月には、また出兵してチェコスロバキアのズデーデン区を占領し、一九三九年三月にはチュコスロバキアを完全に占領した。ドイツ、イタリアのファシストのこうした気違いじみた侵略行動は、いずれも当時のイギリス、フランス政府の「不干渉」政策による放任と激励のもとですすめられ、成功したものである。
〔3〕 一九三六年十一月、日本とドイツは「防共協定」を結んだ。一九三七年十一月には、イタリアもこの協定に参加した。
〔4〕 「中国人をもって中国人を制する」というのは、中国にたいする日本帝国主義の侵略の陰険な謀略である。従来、日本帝国主義は、中国内部を分裂させてその侵略目的を達成するために、いつも自己の利用できる勢力を中国で育成してきた。抗日戦争勃発後、日本帝国主義は、国民党内の公然たる親日分子汪精衛派を利用するだけでなく、蒋介石派の力をも利用して、もっとも決然と抗戦している中国共産党を牽制した。一九三九年から、日本が蒋介石の軍隊にたいする進攻を停止し、政治的に蒋介石の反共活動をはげましたのは、まさにこの「中国人をもって中国人を制する」政策の実施である。
〔5〕 日本帝国主義は、侵略戦争の物資の需要をまかなうために、中国における占領区内で残酷な略奪をおこなった。日本の軍閥は、この政策を「戦争によって戦争をまかなう」といっていた。
〔6〕 抗日戦争中、日本侵略者はわが人民解放区に進攻し、きわめて野蛮な焼きつくし、殺しつくし、奪いつくすという「三光政策」を実行した。敵はこれを「掃討」とよんだ。
  
  
  

 
 
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中央通信社、掃蕩報、新民報〔1〕の三記者との談話
          (一九三九年九月十六日)
 記者の問い いくつかの問題について教えていただきたいとおもいます。きょう、『新中華報』で、あなたの九月一日の談話を拝見しました。一部の問題についてはすでにふれられていますが、一部の問題はいますこし補足していただきたいとおもいます。書いてさしあげたとおり、問題は三つの部分にわかれていますから、一つ一つお教えください。
 毛沢東の答え みなさんの質問表にしたがって、一つ一つお話ししましょう。
 みなさんは、抗戦の対峙《たいじ》段階がきたかどうかという問題をだしています。わたしは、対峙段階が条件づきできているとおもいます。つまり、新しい国際情勢のもとでは、また日本がますます困難になり中国が断じて妥協しないという条件のもとでは、すでにきているといえます。だからといって、敵はまだ比較的大きな戦役的進攻をおこなう可能性があるということを、けっして否定するものではありません。たとえば北海《ペイハイ》、長沙《チャンシャー》を攻撃し、西安《シーアン》さえ攻撃するなどの可能性もあります。敵の大規模な戦略的進攻とわれわれの戦略的退却とが一定の条件のもとで基本的に停止したというのは、なにもすべての進攻の可能性と退却の可能性がなくなったというわけではありません。新しい段階の具体的内容はといえば、反攻を準備するということであって、すべてがこの概念にふくまれています。つまり、中国は将来の反攻にそなえて対峙段階ですべての力を準備しなければならないということです。反攻を準備するというのは、なにもすぐに反攻することではありません。条件がそなわらなければ反攻することはできないのです。しかも、ここでいっているのは、戦略的反攻であって、戦役的反攻ではないのです。戦役的反攻、たとえばわれわれが山西省東南部における敵の軍事的「掃討」を撃退したような戦役的反攻はありうるどころか、どうしてもなければならないものです。しかし、戦略的な大挙反攻の時期は、いまはまだきていません。いまはこのような大挙反攻を積極的に準備する時期です。この時期にはまた、予測される正面の敵の何回かの戦役的進攻を撃退しなければなりません。
 新しい段階の任務を一つ一つのべると、敵の後方では、かならず、遊撃戦争を堅持し、敵の「掃討」を粉砕し、敵の経済侵略をきりくずすこと、正面の戦場では、かならず、軍事的防御をかため、予測される敵の戦役的進攻を撃退すること、大後方では、主として積極的に政治を改革することです。これらはすべて反攻準備の具体的な内容です。
 国内政治の改革が非常に重要なのは、現在、敵が主として政治的攻勢にでており、われわれとしては政治的抵抗をとくにつよめなければならないからです。つまり、民主政治の問題はできるだけ早く解決しなければなりません。そうしてはじめて、政治上の抵抗力をつよめ、軍事力を準備することができます。中国の抗戦は主として自力更生によるのです。これまでも自力更生をとなえてきたのですが、新しい国際的環境のもとでは自力更生がいっそう重要になってきます。自力更生のおもな内容は民主政治です。
  いま、あなたは抗戦の勝利を自力更生で達成するには民主政治が必要だといわれましたが、いまの環境のもとでは、どんな方法でこの制度を実現するのですか。
  軍政、訓政、憲政という三つの時期の区分〔2〕は、もともと、孫中山《スンチョンシャン》先生がいわれたことです。しかし、孫先生が逝去直前に書かれた『北上宣言』〔3〕では、もう三つの時期にふれておらず、中国はすぐ国民会議をひらかなければならないとのべております。これをみても、孫先生自身が早くから情勢に応じて主張を変えていたことがわかります。いま、抗戦という重大な局面のもとで、亡国の惨禍をまぬがれ、敵をたたきだすには、一日も早く国民大会を招集し、民主政治を実行しなければなりません。この問題については、さまざまのちがった意見があります。一部には、民衆は無知だから民主政治を実行することはできない、という人がいます。これはまちがいです。抗戦中、民衆は非常に急速な進歩をとげていますし、そのうえ、指導と方針があれば、きっと民主政治を実行することができます。たとえば、華北地方ではすでに民主政治が実行されています。そこの区長、郷長、保・由長は、多くが民衆によって選ばれた人たちです。県長のなかにも民衆によって選ばれた人があり、多くの先進的な人びとや有為な青年が県長になっています。このような問題は、みんなに討議させるべきです。
 あなたがたがだされた第二の部分の問題のなかには、いわゆる「異党の制限」にかんする問題、つまり各地での摩擦にかんする問題があります。あなたがたがこのことに関心をもたれるのは正しいとおもいます。このことについていうと、最近、いくらか状況がよくなっていますが、根本的にはなんの変化もありません。
  共産党は、この問題について中央政府に態度を表明されたことがありますか。
  われわれはすでに抗議しました。
  どんな形でされたのですか。
  わが党の代表周恩来《チョウエンライ》同志が早くも七月に蒋《チァン》委員長に書簡をおくりました。八月一日にはまた、延安《イェンアン》の各界が蒋委員長と国民政府に電報をうち、秘密裏に流されて各地の摩擦の根源になっているいわゆる「異党活動制限措置法」をとり消すよう要求しました。
  中央政府から回答がありましたか。
  回答はありません。きくところによると、この措置法については、国民党のなかにも不賛成の人が一部いるそうです。ご承知のように、ともに抗日している軍隊は友軍といって、「異軍」とはいいません。それなら、ともに抗日している諸政党は友党であって、「異党」ではありません。抗戦陣営内には多くの政党があり、政党の力には大小の差がありますが、みなおなじように抗戦しているのですから、たがいに団結しあうのがまったく当然であって、けっしてたがいに「制限」しあうべきではありません。異党とはなんでしょらか。日本の手先汪精衛の民族裏切り者の党が異党です。なぜなら、それは抗日諸政党とのあいだに政治的にはすこしも共通点がないからです。このような党こそ制限すべきです。国民党と共産党は政治的には共通点をもっています。それは抗日です。したがって、いまの問題は、どのように反日防日と反汪防汪に全力を集中するかということであって、反共防共に全力を集中することではありません。スローガンはこのように提起するほかありません。いま、汪精衛には、反蒋、反共、親日という三つのスローガンがあります。汪精衛は国共両党と全国人民の共通の敵です。ところが、共産党は国民党の敵ではないし、自民党も共産党の敵ではないのですから、たがいに団結し、協力しあうべきであって、たがいに反対したり「制限」したりすべきではありません。われわれのスローガンは、かならず汪精衛のスローガンとちがったものでなければならないし、かならず汪精衛のスローガンと対立したものでなければなりません。けっしてかれのものと混同してはなりません。かれが蒋介石に反対するなら、われわれは蒋介石を支持する、かれが共産党に反対するなら、われわれは共産党と連合する、かれが親日をやるなら、われわれは抗日をやる。およそ敵の反対するものなら、われわれは支持する、およそ敵の支持するものなら、われわれは反対するのです。いま、多くの人びとの論文には、「味方を悲しませ、敵をよろこばせるようなことをしてはならない」ということばがよく出てきます。このことばは、東漢の劉秀《りゅうしゅう》の将軍朱浮《しゅふ》という人が漁陽《ユイヤン》の大守彭寵《ほうちょう》におくった手紙に、「なにごとをするにも、味方や親しいものを悲しませ、仇《かたき》をよろこばせるようなことをしてはならない」と書いたことから出たものです。朱浮のこのことばは一つの明確な政治原則を提起しています。われわれは、けっしてこれを忘れてはなりません。
 みなさんの質問表には、もう一つ、いわゆる摩擦に対処する共産党の態度についての質問があります。卒直にいって、われわれは、たがいに力をすりへらしあうような抗日政党間の摩擦にはあたまから反対します。しかし「もしあまりにも人をあなどり、圧迫をくわえるというように、あくまで横暴な行動をとるなら、それがどの方面からのものであろうと、共産党はかならず厳然たる態度でこれに対処します。その態度とは、相手がこちらを侵してこなければこちらも侵さない、相手が侵してくればこちらもかならず侵す、というものです。しかし、われわれは厳格な自衛の立場に立つものであり、共産党員ならだれであろうと自衛の原則をこえることはゆるされません。
  華北の摩擦の問題はどうなのでしょうか。
  あそこの張蔭梧《チャンイヌー》、秦啓栄《チンチーロン》のお二人は、摩擦の専門家です。張蔭梧は河北《ホーペイ》省、秦啓栄は山東《シャントン》省でまったく無法のかぎりをつくしており、民族裏切り者の行為とほとんどちがいがありません。かれらは、敵を攻撃していることが少なく、八路軍を攻撃していることが多いのです。たとえば張蔭梧がその部下にあたえた八路軍攻撃の命令など、動かせない証拠がたくさんあります。われわれはそれをすでに蒋委員長のもとにおくりました。
  新四軍の方には摩擦はありませんか。
  やはりあります。例の平江《ピンチァン》虐殺事件は全国をおどろかせた大事件です。
  一部には、統一戦線は重要だが、統一ということからすれば辺区政府を廃止すべきだという人があります。この点についてどう考えておられますか。
  いたるところで、いろいろとでたらめなことがいわれています。辺区の廃止などというのがその一例です。陝西《シャンシー》・甘粛《カンスー》・寧夏《ニンシァ》辺区は民主的な抗日根拠地で、全国でも政治的にもっともすすんだ地域です。廃止する理由など、どこにあるでしょうか。まして、辺区は蒋委員長が早くから承認しているし、国民政府行政院もすでに民国二十六年の冬、正式にそれを採択しているのです。中国はたしかに統一が必要です。しかし、抗戦に統一し、団結に統一し、進歩に統一していくべきです。もしもこれと反対の方向に統一していくなら、中国は滅びてしまいます。
  統一についての理解がちがっていることから、国民党と共産党の分裂する可能性があるのではないでしょうか。
  可能性だけについていうなら、団結と分裂のどちらの可能性もあります。それは、国共両党の態度いかん、とりわけ全国人民の態度いかんによってきまることです。協力の方針については、われわれ共産党側は早くから明らかにしていますが、われわれは長期の協力をのぞむばかりでなく、このような協力をたたかいとるために努力するものです。きくところによると、蒋委員長も、国民党中央執行委員会第五回全体会議で、国内問題は武力で解決してはならない、といったそうです。大敵をまえにしているし、国共両党にはこれまでの経験もあるので、おたがいに、ぜひとも長期にわたって協力し、分裂をさけなければなりません。しかし、分裂の可能性を完全になくすには、長期にわたる協力のための政治的保障がなければなりません。それは、最後まで抗戦を堅持することと民主政治を実行することです。もしそうすることができれば、団結をつづけ、分裂をさけることができます。それは両党と全国人民の共同の努力にかかっているし、また、かならずそのように努力しなければなりません。「抗戦を堅持し、投降に反対する」、「団結を堅持し、分裂に反対する」、「進歩を堅持し、後退に反対する」、これはわが党が今年の『七・七宣言』でかかげた三大政治スローガンです。こうしてこそ、中国は亡国をまぬがれ、敵をたたきだすことができるのであって、これ以外に第二の道はないとおもいます。



〔1〕 中央通信社は国民党の通信社、『掃蕩報』は国民党政府の軍関係の新聞、『新民報』は民族ブルジョア階級を代表する新聞の一つである。
〔2〕 孫中山はその著『建国大綱』のなかで、「建国」の順序を第一「軍政」、第二「訓政」、第三「憲政」というように三つの時期にわけた。蒋介石をかしらとする国民党反動派は、反革命の独裁を実施し、人民のすべての自由を剥奪する口実に、長いあいだ、孫中山のこの「軍政」、「訓政」という説を利用した。
〔3〕 一九二四年冬、第二次直(河北省の旧名――訳者)奉(遼寧省の旧名――訳者)戦争のとき、もと直隷系の馮玉祥か前線をはなれ、軍をひきいて北京に帰り、そのため、直隷系の軍閥呉佩孚はたおれた。憑玉祥は孫中山の北京入りを電報で要請した。孫中山は、十一月十二日、これにこたえて北上した。広州をはなれる二日まえ、孫中山は『北上宣言』を発表して、帝国主義と軍閥に反対するという主張をかさねてあきらかにし、国家の方針を解決するため国民会議を招集するようよびかけた。この宣言は全国人民から歓迎された。
訳注
① 『新中華報』は、一九三七年一月二十九日、前身の『赤色中華』を改称して、陝西・甘粛・寧夏辺区政府の機関紙となり、一九三九年二月七日、中国共産党中央の機関紙に変わったが、一九四一年五月、『解放日報』の創刊によって停刊となった。
② 本巻の『反動派を制裁せよ』注〔1〕を参照。
③ 『七・七宜言』とは、中国共産党中央委員会が一九三九年七月七日に発表した『抗戦二周年を記念するための時局にたいする宣言』である。宣言は、当時の中国の内外の情勢を分析するとともに、国民党反動派が日本侵略者の投降勧誘とイギリス、アメリカ帝国主義の投降勧告のもとで投降と分裂の策動に拍車をかけ、抗戦の情勢のなかで中途での妥協と内部の分裂という重大な危険をもたらしたことを指摘している。宣言では、「最後まで抗戦を堅持し、中途での妥協に反対せよ。国内の団結を強固にし、内部の分裂に反対せよ。全国の進歩に尽力し、後退に反対せよ」とよびかけている。
  
  
  

 
 
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『共産党人』発刊のことば
          (一九三九年十月四日)
 党中央は早くから党内刊行物の発行を計画していたが、こんどそれが実現されることになった。全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党を建設するためには、このような刊行物が必要である。いまの時点において、その必要性は、いっそう明らかである。いまの時点の特徴は、一方では、抗日民族統一戦線内での投降の危険、分裂の危険、後退の危険が日ましに増大していること、他方では、わが党がすでに狭いわくからぬけだして、全国的な大きな党になったことである。党の任務は、投降の危険、分裂の危険、後退の危険を克服するよう、大衆を動員するとともに、おこりうる突発事件のなかで党と革命に予期しない損害をこうむらせないように、そうした突発事件にそなえることである。このような時点に、このような党内刊行物を発行することは、ぜひとも必要である。
 この党内刊行物は『共産党人』と名づけられる。その任務はなにか。どういうものが掲載されるのか。党のほかの機関紙とどうちがうのか。
 その任務とは、全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党の建設をたすけることである。中国革命の勝利のためにはこのような党を建設することがさしせまって必要であるが、このような党を建設する主観的客観的条件も、すでにだいたいそなわっているし、この偉大な建設工事もげんに進行中である。この偉大な工事の進行をたすける任務は、一般の党機関紙がにないうるものではなく、どうしても専門の党機関紙がなければならない。これが『共産党人』発行の理由である。
 わが党は、ある程度からいって、すでに全国的な党になっており、また大衆的な党になっている。しかも、指導の骨幹についてみても、一部の党員についてみても、総路線についてみても、革命の活動についてみても、すでに思想的、政治的、組織的に強固な、ボリシェビキ化された党になっている。
 それでは、いま新しい任務を提起する理由はどこにあるのか。
 その理由はつぎの諸点にある。すなわち、現在、われわれはたくさんの新しい党員からなる多くの新しい組織をもっているが、これらの新しい組織は、まだひろい大衆性をもったものとはいえず、まだ思想的、政治的、組織的に強固なものではなく、まだボリシェビキ化されてはいない。同時に、ふるい党員についても、その水準をたかめるという問題がうまれており、ふるい組織についても、思想的、政治的、組織的にこれをもっと強固にし、もっとボリシェビキ化するという問題がうまれている。党のおかれている環境と党のになっている任務は、現在では過去の国内革命戦争の時期と大いにちがっており、現在の環境ははるかに複雑で、現在の任務ははるかに困難なものである。
 現在は民族統一戦線の時期であり、われわれはブルジョア階級と統一戦線をうちたてている。現在は抗日戦争の時期であり、わが党の武装力は、前線で友軍と呼応して、敵と苛烈《かれつ》な戦争をおこなっている。現在はわが党が全国的な大きな党に発展している時期であり、党はもう以前のようなものではない。これらの状況を結びつけてみるならば、われわれの提起した「全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党を建設する」ということが、いかに光栄な、しかも重大な任務であるかがわかるであろう。
 われわれは、いまそのような党を建設しようとしているが、いったい、どのようにそれをすすめるべきであろうか。この問題の解決は、わが党の歴史、わが党の十八年にわたる闘争の歴史と切りはなすことができない。
 わが党の歴史は、一九二一年の第一回全国代表大会のときから、こんにちまですでにまる十八年になる。この十八年のあいだに、党はかずかずの偉大な闘争をへてきた。党員、党の幹部、党の組織は、それらの偉大な闘争のなかで、みずからをきたえてきた。かれらは、偉大な革命の勝利をへてきたし、重大な革命の失敗もへてきた。ブルジョア階級と民族統一戦線をうちたてたこともあるし、また、この統一戦線の決裂によって、大ブルジョア階級およびその同盟者ときびしい武装闘争をおこなったこともある。最近の三年間は、またブルジョア階級との民族統一戦線結成の時期におかれている。このように、中国革命と中国共産党は、中国ブルジョア階級との複雑な関係のなかで、その発展の道をたどってきたのである。これは一つの歴史的特徴であって、いかなる資本主義国の革命の歴史にもみられない、植民地・半植民地の革命の過程における特徴である。さらに、中国は半植民地・半封建の国であり、政治、経済、文化の各方面の発展の不均等な国であり、半封建的経済が優位をしめ、しかも広大な国土をもつ国であって、このことが、中国の現段階の革命の性質はブルジョア民主主義革命であり、革命の主要な対象は帝国主義と封建主義であり、革命の基本的な原動力はプロレタリア階級、農民階級および都市小ブルジョア階級であり、そして一定の時期に、一定の程度において民族ブルジョア階級もそれに参加することを規定するばかりでなく、中国の革命闘争の主要な形態は武装闘争であることを規定している。わが党の歴史は、ほかでもなく武装闘争の歴史であるといえる。スターリン同志はいっている。「中国では、武装した革命が武装した反革命とたたかっている。これは、中国革命の特徴の一つであり、その長所の一つでもある。」〔1〕この指摘はきわめて正しい。この時徴、この半植民地の中国の特徴は、やはり、資本主義諸国の共産党が指導する革命の歴史にはみられないか、あるいはそれらの国とはちがったものである。したがって、(一)プロレタリア階級がブルジョア階級と革命の民族統一戦線をうちたてるか、あるいはそうした統一戦線の分裂をよぎなくされること、(二)革命の主要な形態が武装闘争であること――これが中国ブルジョア民主主義革命の過程における二つの基本的特徴となっている。ここではわれわれは、党と農民階級、党と都市小ブルジョア階級との関係を基本的特徴としてはいないが、それは、第一に、このような関係は世界各国の共産党にとって原則的にはおなじであり、第二に、中国では、武装闘争といえばそれは実質的には農民戦争であり、党と農民戦争との密接な関係は、とりもなおざず党と農民との関係だからである。
 この二つの基本的特徴から、そしてまさにこれらの基本的特徴からして、わが党の建設過程、わが党のボリシェビキ化の過程は、特殊な状況におかれている。党の失敗と勝利、党の後退と前進、党の縮小と拡大、党の発展と強化は、いずれも党とブルジョア階級との関係ならびに党と武装闘争との関係につながらざるをえない。わが党の政治路線が、ブルジョア階級と統一戦線をうちたてるか、あるいは統一戦線の分裂をよぎなくされるという問題を正しく処理したばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩前進するが、ブルジョア階級との関係を正しく処理しないばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩後退する。同様に、わが党が革命の武装闘争の問題を正しく処理したばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩前進するが、この問題を正しく処理しないばあいには、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は一歩後退する。十八年らいの党の建設過程、党のボリシェビキ化の過程は、このように党の政治路線と密接につながっており、党が統一戦線の問題や武装闘争の問題を正しく処理したか、正しく処理しなかったかということと密接につながっている。この断定は、すでに十八年間の党の歴史によってはっきりと証明されている。逆にいえば、党がよりいっそうボリシェピキ化したとき、またそのときにこそ、党はより正しく党の政治路線を処理し、より正しく統一戦線の問題と武装闘争の問題を処理することができるのである。この断定も、十八年らいの党の歴史によってはっきりと証明されている。
 したがって、統一戦線の問題、武装闘争の問題、党建設の問題は、中国革命におけるわが党の三つの基本問題である。この三つの問題とその相互関係を正しく理解したら、中国革命の全体を正しく指導したことになる。十八年間の党の歴史を通じて、われわれの豊富な経験、つまり失敗と成功、後退と前進、縮小と発展についての深刻な、豊富な経験によって、われわれはすでに、この三つの問題について正しい結論をくだせるようになった。すなわち、われわれはすでに、統一戦線の問題を正しく処理し、また武装闘争の問題を正しく処理し、さらに党建設の問題を正しく処理することができるようになった。つまり十八年間の経験を通じて、われわれは統一戦線、武装闘争、党建設が、中国革命において中国共産党が敵にうち勝つための三つの宝――三つの主要な宝であることを知った。これは中国共産党の偉大な成果であるとともに、中国革命の偉大な成果でもある。
 ここで、この三つの宝、三つの問題について、それぞれおおまかにのべてみよう。
 十八年のあいだに、中国のプロレタリア階級と中国のブルジョア階級やその他の階級との統一戦線は、一九二四年から一九二七年までの第一次大革命の段階、一九二七年から一九三七年までの土地革命戦争の段階、およびこんにちの抗日戦争の段階という三つのちがった状況、三つのちがった段階をへて発展してきている。この三つの段階の歴史は、つぎのような法則を証明している。(一)中国のうけている最大の抑圧が民族的抑圧であることから、中国の民族ブルジョア階級は、一定の時期に、一定の程度において、反帝国主義および反封建軍閥の闘争に参加することができる。したがって、プロレタリア階級は、この一定の時期には民族ブルジョア階級と統一戦線をうちたて、しかもできるだけそれを維持すべきである。(二)また、中国の民族ブルジョア階級は、その経済的、政治的な軟弱性のために、他の歴史的環境のもとでは、動揺し変節する。したがって、中国革命の統一戦線の内容は終始同一のものではありえず、変化するものである。ある時期には、民族ブルジョア階級がそれに参加するが、他の時期には民族ブルジョア階級はそれに参加はしない。(三)買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級は、直接帝国主義に奉仕するとともに、かれらに養われている階級である。したがって、買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級は従来から革命の対象であった。ところが、買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級の各集団は、それそれちがった帝国主義を背景にしているので、各帝国主義間の矛盾が先鋭化したばあい、革命のほこさきが主としてある一つの帝国主義にむけられたばあい、他の帝国主義の系統に属する大ブルジョア階級の集団が、一定の程度、一定の時期、ある一つの帝国主義に反対する闘争に参加する可能性もある。このような一定の時期には中国のプロレタリア階級は、敵をよわめ、自己の予備勢力を強めるために、そのような大ブルジョア階級の集団と可能な統一戦線をうちたててよいし、また革命に有利であることを条件として、できるだけそれを維持する。(四)買弁的な大ブルジョア階級は、統一戦線に参加し、プロレタリア階級といっしょに共同の敵とたたかっているときでも、やはり非常に反動的である。かれらは、プロレタリア階級とその政党の思想的、政治的、組織的発展にあくまで反対し、それに制限をくわえ、欺瞞《ぎまん》、誘惑、「溶解」、打撃などといった破壊政策をとるとともに、それらの破壊政策によって敵に投降し、統一戦線を分裂させる用意をする。(五)プロレタリア階級のゆるぎない同盟者は農民である。(六)都市の小ブルジョア階級もまた信頼しうる同盟者である。以上の法則の正しさは、第一次大革命の時期と土地革命の時期に証明されたばかりでなく、現在の抗日戦争のなかでも証明されつつある。したがって、プロレタリア階級の党はブルジョア階級(とくに大ブルジョア階級)と統一戦線を結成する問題では、二つの戦線での断固とした、厳然たる闘争をおこなわなければならない。一方では、ブルジョア階級が一定の時期、一定の程度において、革命闘争に参加する可能性のあることを無視するというあやまりに反対しなければならない。このようなあやまりは、中国のブルジョア階級を資本主義国のブルジョア階級とおなじものとみなし、このため、ブルジョア階級と統一戦線をうちたて、この統一戦線をできるだけ維持するという政策を無視するもので、これが「左」翼閉鎖主義である。他方では、プロレタリア階級の綱領、政策、思想、実践などをブルジョア階級のそれとおなじものとみなし、そのあいだの原則的な差異を無視するというあやまりに反対しなければならない。このようなあやまりは、ブルジョア階級(とくに大ブルジョア階級)が、小ブルジョア階級および農民に影響をあたえるばかりでなく、プロレタリア階級と共産党にも影響をあたえようとつとめ、プロレタリア階級と共産党の思想的、政治的、組織的独自性をおしつぶし、プロレタリア階級と共産党をブルジョア階級とその政党の付属物にかえ、革命の成果をブルジョア階級の一党一派のものにしようとやっきになっている事実を無視すること、また、ブルジョア階級(とくに大ブルジョア階級)は革命がその一党一派の利益と衝突するようになると、革命を裏切るという事実を無視することにある。この面を無視するならば、それは右翼日和見主義である。過去の陳独秀《チェントウシウ》の右翼日和見主義の特徴は、プロレタリア階級をブルジョア階級の一党一派の利益に適応させるようにみちびいたことであって、これが第一次大革命を失敗させた主体的な原因でもあった。ブルジョア民主主義革命における中国ブルジョア階級のこのような二重性が中国共産党の政治路線と党建設にあたえた影響はきわめて大きく、中国ブルジョア階級のこのような二重性を理解しなければ、中国共産党の政治路線と党建設を理解することはできない。中国共産党の政治路線の重要な部分は、つまりブルジョア階級と連合し、またこれと闘争するという政治路線である。中国共産党の党建設の重要な部分は、つまりブルジョア階級と連合し、またこれと闘争するなかで発展し、きたえあげられてきたのである。ここでいう連合とは、ブルジョア階級との統一戦線のことである。闘争とは、ブルジョア階級と連合しているときには、思想的、政治的、組織的におこなう「平和的」な「血を流さない」闘争のことであり、ブルジョア階級との分裂をよぎなくされたときには、それが武装闘争に転化する。もしわが党が、一定の時期にブルジョア階級と連合することを知らないならば、党は前進することができず、革命は発展することができない。もしわが党が、ブルジョア階級と連合しているときに、同時にブルジョア階級にたいして、断固とした、厳然たる「平和的」闘争をおこなうことを知らないならば、党は思想的、政治的、組織的にくずれさり、革命は失敗するであろう。さらに、もしわが党が、ブルジョア階級との分裂をよぎなくされたときに、ブルジョア階級にたいして、断固とした、厳然たる武装闘争をおこなわないならば、同様に、党はくずれさり、革命も失敗するであろう。これらはすべて過去十八年の歴史のなかで証明されたことである。
 中国共産党の武装闘争とは、プロレタリア階級に指導された農民戦争のことである。その歴史も、三つの段階にわけることができる。第一の段階は北伐戦争への参加である。当時、わが党は、すでに武装闘争の重要性がわかりかけてはいたが、まだその重要性を徹底的には理解しておらず、まだ武装闘争が中国革命の主要な闘争形態であることを理解していなかった。第二の段階は土地革命戦争である。当時、わが党は、すでに独自の武装部隊をつくりあげ、独自の戦争の芸術を身につけ、人民政権と根拠地をうちたてた。わが党は、すでに武装闘争というこの主要な闘争形態を、他の多くの必要な闘争形態と直接あるいは間接に呼応させることができるようになった。すなわち武装闘争を、労働者の闘争、農民の闘争(これが主要なものである)、青年、婦人などすべての人民の闘争、権力のための闘争、経済戦線での闘争、奸徒粛清戦線での闘争、思想戦線での闘争などといった闘争形態と、全国的範囲で直接あるいは間接に呼応させたことである。このような武装闘争が、プロレタリア階級に指導された農民の土地革命闘争であった。第三の段階は現在の抗日戦争の段階である。この段階では、われわれは、過去の第一段階、とくに第二段階での武装闘争の経験を活用することができ、武装闘争の形態を他のさまざまな必要な闘争形態とたがいに呼応させる経験を活用することができるようになった。このような武装闘争の全般的概念が、当面においては遊撃戦争である〔2〕。遊撃戦争とはなにか。それは、おくれた国において、半植民地の大国において、人民の武装部隊が武装した敵にうち勝ち、自己の陣地をつくりあげるために、長期にわたって依拠しなければならない、したがって、またもっともよい闘争形態である。これまでわが党の政治路線と党建設は、この闘争形態と緊密なつながりをもってきた。武装闘争をはなれ、遊撃戦争をはなれては、われわれの政治路線を理解することもできないし、われわれの党建設を理解することもできない。われわれの政治路線の重要な部分は武装闘争である。十八年らい、わが党は、しだいに武装闘争を身につけてきたし、またそれを堅持してきた。中国では、武装闘争をはなれては、プロレタリア階級の地位はなく、人民の地位はなく、共産党の地位はなく、革命の勝利はないことをわれわれは理解している。十八年らい、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は、革命戦争のなかですすめられており、武装闘争なしには、こんにちの共産党はありえない。血をもってあがなわれたこの経験を、全党の同志はわすれてはならない。
 党建設の過程、党の発展、強化およびボリシェビキ化の過程にも、同じく、三つの段階の特徴がある。第一の段階は党の幼年期である。この段階の初期と中期には、党の路線は正しく、党員大衆と党幹部の革命にたいする積極性は非常に高かったので、第一次大革命の勝利がえられた。しかし、当時の党は、なんといってもまだ幼年の党であって、統一戦線、武装闘争、党建設という三つの基本問題について経験のない党であり、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則についてもあまりわかっていない党であり、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践をまだ全体的に、統一的に理解していない党であった。したがって、党の指導機関のなかで支配的地位をしめていた成員は、この段階の末期、この段階の重大な瀬戸ぎわに、革命の勝利をかためるよう全党を指導することができず、ブルジョア階級にだまされて革命を失敗させた。この段階では、党の組織は拡大したが、強固になっておらず、党員と党の幹部を思想的に政治的に確固としたものにすることができなかった。新しい党員は非常に多かったが、必要なマルクス・レーニン主義の教育がほどこされなかった。活動の経験もすくなくはなかったが、それをよく総括することができなかった。党内には大量の投機分子がもぐりこんでいたが、それを一掃していなかった。党は敵や同盟者の陰謀術策の包囲のなかにおかれていたが、警戒心をもたなかった。党内にはたくさんの活動家がうまれたが、それを党の中堅的骨幹にそだてあげる余裕がなかった。党の手中には若干の革命的武装力があったが、それをしっかりにぎることができなかった。これらの状態はすべて、経験がなかったこと、革命にたいするふかい認識に欠けていたこと、マルクス・レーニン主義の理論を中国革命の実践と結びつけるのに未熟であったこと、などによるものである。これが党建設の第一の段階である。第二の段階は、土地革命戦争の段階である。第一段階での経験があったこと、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則についての理解が一歩ふかまったこと、またわれわれの幹部が、マルクス・レーニン主義の理論をいっそう多く身につけ、マルクス・レーニン主義の理論を中国革命の実践と結びつけることをより多く習得したことによって、わが党は、勝利にかがやく十年の土地革命闘争をすすめることができた。ブルジョア階級が裏切ったにもかかわらず、党は農民にしっかり依拠することができた。党の組織はふたたび拡大したばかりでなく、しかも強固になった。敵は毎日のようにわが党を内部から破壊していたが、党はその破壊分子を駆逐した。党内にはふたたびおおぜいの幹部がうまれ、しかも党の中心的骨幹となった。党は人民政権の道をきりひらき、それによって、治国安民の芸術を身につけた。党は堅固な武装部隊をつくりあげ、それによって、戦争の芸術を身につけた。これらのことは、すべて党の大きな進歩であり、大きな成功であった。だが、この偉大な闘争のなかで、一部の同志は、日和見主義のどろ沼におちこんでしまったか、あるいはかつておちこんだことがある。これはやはり、かれらが過去の経験から謙虚に学びとろうとせず、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則がわからず、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践を統一的に理解していなかったことからきたものである。このために、党の指導機関の一部の人びとは、この全段階を通じて、正しい政治路線と組織路線をしっかり把握することができなかった。党と革命は、ある時期には、李立三《リーリーサン》同志の「左」翼日和見主義の危害をこうむり、また他の時期には、革命戦争のなかでの「左」翼日和見主義と白色地区での活動における「左」翼日和見主義の危害をこうむった。遵義《ツンイー》会議(一九三五年一月、貴州《コイチョウ》省の遵義でひらかれた党中央政治局会議)ののちになって、党ははじめて徹底的にポリシェビキ化の道をあゆむようになり、その後張国燾《チャンクオタオ》の右翼日和見主義にうち勝ち抗日民族統一戦線をうちたてるための基礎をすえた。これが党の発展過程における第二の段階である。党の発展過程における第三の段階は、抗日民族統一戦線の段階である。この段階はすでに三ヵ年すぎており、この三年間の闘争は非常に偉大な意義をもっている。党は、過去の二つの革命段階における経験、党の組織の力と武装力、全国人民のあいだにおける党の高い政治的な威信をよりどころにし、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践をいっそうふかめ、いっそう統一させた党の理解をよりどころにして、抗日民族統一戦線をうちたてたばかりでなく、偉大な抗日戦争をすすめてきた。党の組織はすでに狭いわくからぬけでて全国的な大きな党になった。党の武装力も、日本侵略者との闘争のなかでふたたび強大になり、いっそう堅固なものになってきた。全国人民のあいだにおける党の影響はいっそうひろまった。これらはいずれも偉大な成功である。だが、たくさんの新しい党員はまだ教育をうけておらず、多くの新しい組織はまだ強固になっておらず、ふるい党員、ふるい組織とのあいだにはまだ大きな差がある。たくさんの新しい党員と新しい幹部は、まだ革命の経験が十分でない。かれらは、中国の歴史と社会の状況、中国革命の特徴、中国革命の法則がまだわかっていないか、あるいはあまりわかっていない。そしてマルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践を完全に、統一的に理解するまでにはまだほど遠い。これまで党組織を拡大する活動において、党中央が「大胆に拡大するが、悪質分子は一人ももぐりこませない」というスローガンをつよく提起したにもかかわらず、実際には、多くの投機分子や敵の破壊分子がもぐりこんできた。統一戦線が結成され、しかも三年間も堅持されているが、ブルジョア階級、とくに大ブルジョア階級は、四六時中わが党を破壊しようとたくらんでおり、大ブルジョア階級の投降派と頑迷《がんめい》派のさしずする重大な摩擦闘争が全国的におこなわれているし、反共のわめきはたえたことがない。大ブルジョア階級の投降派と頑迷派は、またこれによって、日本帝国主義に投降し、統一戦線を分裂させ、中国を後退させる用意をしている。大ブルジョア階級は、思想的には共産主義を「溶解」し、政治的、組織的には共産党を解消し、辺区を解消し、党の武装力を解消しようとたくらんでいる。このような状況のもとで、われわれの任務は疑いもなく、このような投降、分裂、後退の危険を克服し、できるだけ民族統一戦線を維持し、国共合作を維持して抗日、団結、進歩の継続をたたかいとること、それと同時に、おこりうる突発事件のなかで党と革命におもいがけない損害をこうむらせないように、そうした突発事件にそなえることである。この目的を達成するためには、党の組織をかため、党の武装力をかためるとともに、投降、分裂、後退に反対する断固たる闘争をすすめるよう、全国の人民を動員しなければならない。この任務は、全党の努力およびすべての党員、党の幹部、各地各級の党組織の不撓不屈の、ますます力強い闘争に依拠して達成されるのである。十八年間の経験をもつ中国共産党は、経験をつんだふるい党員、ふるい幹部と新鮮な血液をもった、生気はつらつとした新しい党員、新しい幹部との相互協力によって、また荒波にきたえられてきた、ボリシェビキ化された党中央と地方組織との相互協刀によって、またその堅固な武装力と進歩的な人民大衆との相互協力によって、これらの目的を達成できるものとわれわれは信ずる。
 以上が、十八年にわたるわが党の主要な歴程と主要な問題である。
 十八年間の経験がわれわれに教えているように、統一戦線と武装闘争は敵にうち勝つ二つの基本的な武器である。統一戦線は、武装闘争を実行する統一戦線である。そして党の組織は、統一戦線と武装闘争というこの二つの武器をにぎって敵陣に突入する勇敢な戦士である。これが三者の相互関係である。
 こんにち、われわれは、どのようにしてわが党を建設しなければならないか。どのようにすれば、「全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党」を建設することができるのか。この問題は、わが党の歴史を考えてみるならば、わかることであり、党建設の問題を統一戦線の問題、武装闘争の問題と結びつけてみるならば、党建設の問題を、ブルジョア階級と連合しまたこれと闘争するという問題、八路軍、新四軍が抗日遊撃戦争を堅持し抗日の根拠地を樹立するという問題と結びつけてみるならば、わかることである。
 マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践との統一という理解にもとづいて、十八年間の経験と当面の新しい経験を集中し、これを全党につたえ、党を鉄のように強固にして、過去におかしたあやまりをくりかえざないこと――これがわれわれの任務である。



〔1〕 スターリンの『中国革命の見通しについて』から引用。
〔2〕 毛沢東同志がここで、中国革命の武装闘争の全般的概念は遊撃戦争である、といっているのは、第二次国内革命戦争から抗日戦争の初期までの中国革命戦争の経験を総括したものである。中国共産党か指導した武装闘争は、第二次国内革命戦争の時期の長い期間、すべて遊撃戦争であった。この時期の後の段階では、赤軍の力か伸びるにつれて、遊撃戦は遊撃性をおびた運動戦(毛沢東同志はこのような運動戦を、高められた遊撃戦争と規定している)に転じた。だが、抗日戦争の期間中は、敵情の変化によって、遊撃性をおびたこの運動戦は、ふたたび遊撃戦争に転じた。抗日戦争の初期には、右翼日和見主義のあやまりをおかした党内の同志たちは、党の指導する遊撃戦争を軽視し、自分の望みを国民党軍隊の作戦に託した。毛沢東同志は、『抗日遊撃戦争の戦略問題』、『持久戦について』および『戦争と戦略の問題』などの著作のなかで、そのような観点を論ばくし、また、この論文のなかで、長期にわたって中国革命の武装闘争が遊撃戦争の形態をとった経験について、理論的に総括をした。中国共産党の指導する武装闘争は、抗日戦争の後期、とくに第三次国内革命戦争の時期になると、革命勢力のあらたな成長と敵情のあらたな変化によって、戦争の主要な形態が、遊撃戦争から正規戦争に転じた。そして第三次国内革命戦争の後期には、さらに、大量の重火器を使用し、かつ攻城戦をふくめた大兵団作戦に発展した。
訳注
① 本巻の『投降の策動に反対せよ』注〔8〕を参照。
  
  
  

 
 
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maobadi
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当面の情勢と党の任務
          (一九三九年十月十日)

     これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために書いた決定である。

 (一)帝国主義世界大戦は、帝国主義諸国が新しい経済危機と政治危機からぬけだそうとしたことによって勃発《ぼっぱつ》したものである。戦争の性質は、ドイツ側にしても、イギリス、フランス側にしても、不正義の略奪的な帝国主義戦争である。全世界の共産党は断固として、このような戦争に反対すべきであり、このような戦争を支持してプロレタリア階級を裏切った社会民主主義政党の犯罪行為に反対すべきである。社会主義のソ連は依然としてその平和政策を堅持し、戦争する双方にたいして厳正中立をまもっており、ポーランドへの出兵という行動によって、ドイツ侵略勢力の東への拡張を阻止し、東ヨーロッパの平和を強固にし、ポーランドの支配者に抑圧されていた西ウクライナと白ロシアの兄弟民族を解放した。ソ連は、国際反動勢力がおこす可能性のある襲撃をまえもってふせぐために、その周囲の諸国と各種の条約を結び、また世界平和の回復のために奮闘している。
 (二)新しい国際情勢のもとにおける日本帝国主義の政策は、将来、国際的な冒険行動を拡大する準備として、中国への進攻に力を集中し、中国問題を解決しようとするくとにある。日本帝国主義が中国問題解決のためにとろうとしている方針はつぎのとおりである。
 一、占領地域にたいしては、全中国を滅ぼす準備として、これを確保する。この目的をたっするために、日本帝国主義は、抗日遊撃根拠地の「掃討」を必要とし、経済の開発とかいらい政権の樹立を必要とし、中国人の民族精神の消滅を必要としている。
 二、わが後方にたいしては、政治的進攻を主とし、軍事的進攻を従とする。いわゆる政治的進攻とは、大規模な軍事的進攻に重点をおくのではなくて、抗日統一戦線を分化させ、国共合作を分裂させ、国民党政府を投降にさそいこむことに重点をおくのである。
 いまの時期に、敵は、過去二年あまりの中国の英雄的な抗戦の打撃によって、またかれらの兵力と財力の不足によって、以前の武漢《ウーハン》進攻のような大規模な戦略的進攻の行動をとる可能性はもはや大きくない。このような意味で、もう基本的に抗戦の戦略的対峙《たいじ》の段階にたっしている。このような戦略的対峙の段階が、反攻準備の段階である。だが第一に、われわれは、基本的に対峙の局面があらわれたといっても、敵になお若干の戦役的進攻の可能性のあることを否定するものではない。敵はいま長沙《チャンシャー》を進攻しており、将来は、さらにその他の若干の地区を進攻する可能性もある。第二に、正面対峙の可能性が大きくなるにつれて、敵はわが遊撃根拠地にたいする「掃討」戦争をいっそう強めるであろう。第三に、もし中国が敵の占領地を破壊することができず、敵に占領地確保と占領地経営の目的を達成させるならば、また、もし中国が敵の政治的進攻を撃退することができず、抗戦を堅持し、団結を堅持し、進歩を堅持して、反攻の力を準備することができないか、あるいは国民党政府がついに自発的に投降するならば、将来敵が大挙進攻してくる可能性はやはり存在する。つまりすでにあらわれた対峙の局面は、敵と投降派によって破壊される可能性がやはり存在するということである。
 (三)抗日統一戦線内の投降の危険、分裂の危険および後退の危険は、依然として当面の時局における最大の危険であり、現在の反共の現象や後退の現象は、依然として大地主・大ブルジョア階級の投降準備の段どりである。われわれの任務は、反攻の力を準備するために、依然として全国のすべての愛国者と協力し、大衆を動員して、わが党の『七・七宣言』にある「抗戦を堅持し、投降に反対せよ」「団結を堅持し、分裂に反対せよ」「進歩を堅持し、後退に反対せよ」という三大政治スローガンを確実に実行することである。この目的をたっするため、敵の後方では、遊撃戦争を堅持し、敵の「掃討」にうち勝ち、敵の占領地を破壊し、広範な抗日民衆に有利な急進的な政治改革と経済改革を実行しなければならない。正面の戦線では、軍事的防御をささえ、敵のおこなう可能性のあるいかなる戦役的進攻をも撃退しなければならない。わが後方では、すみやかに、しんけんに、政治改革を実行し、国民党の一党独裁を終わらせ、真に民意を代表する、権力をもつ国民大会を招集して、憲法を制定し、憲政を実施しなければならない。いかなる動揺も怠慢も、これと相反するいかなる方針も、絶対にあやまりである。同時に、わが党の各級指導機関とすべての同志は、中国革命に危害をおよぼす、おこりうる突発事件に対処するそなえをし、その突発事件のなかで党と革命におもいがけない損失をこうむらせないように、当面の時局にたいする警戒心をたかめ、全力をあげて、わが党と党の指導する軍隊および政権を思想的、政治的、組織的に強化しなければならない。


訳注
① 本巻の『中央通信社、掃蕩報、新民報の三記者との談話』訳注③を参照。
  
  
  

 
 
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知識人を大量に吸収せよ
          (一九三九年十二月一日)
     これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために書いた決定である。

 一、長期にわたる苛烈《かれつ》な民族解放戦争において、新中国をうちたてる偉大な闘争において、共産党が偉大な抗戦の力を組織し、何百何千万の農民大衆を組織し、革命的文化運動を発展させ、また革命的統一戦線を発展させるには、知識人を吸収することに長じていなければならない。知識人の参加なしには、革命の勝利は不可能である。
 二、三年このかた、わが党とわが軍は知識人を吸収する面で、すでに相当な努力をはらい、数多くの革命的知識人を党に、軍隊に、政府活動に、文化運動と民衆運動に参加させて、統一戦線を発展させてきたが、これは大きな成果である。しかし、軍隊のなかの多くの幹部は、まだ知識人の重要性に目がむかず、知識人をおそれ、はては排斥する気持ちさえもっている。われわれの多くの学校は、おもいきって大量の青年学生をうけいれるまでになっていない。多くの地方の党組織は、まだ知識人を入党させることをのぞんでいない。このような現象がおこるのは、革命事業における知識人の重要性を理解せず、植民地、半植民地国の知識人と資本主義国の知識人とのちがいを理解せず、地主・ブルジョア階級に奉仕する知識人と労農階級に奉仕する知識人とのちがいを理解せず、ブルジョア政党がやっきになってわれわれと知識人を争奪しており、日本帝国主義もさまざまな方法で中国の知識人を買収し、麻痺させていることの重大性を理解していないからであり、とくに、わが党とわが軍には、すでに中堅的骨幹が養成され、知識人を掌握する能力があるというこうした有利な条件を理解していないからである。
 三、したがって、今後はつぎの点に注意すべきである。(1)すべての戦区の党および党のすべての軍隊は、大量の知識人をわれわれの軍隊に、われわれの学校に、政府活動に参加させるべきである。抗日をねがい、わりあいに誠実で苦労にたえられる知識人でさえあれば、これをいろいろな方法で吸収して、教育し、戦争のなかで、仕事のなかできたえあげ、軍隊のため、政府のため、大衆のために奉仕させるようにしなければならず、また具体的な状況にもとづいて入党の条件のそなわった一部の知識人を入党させるべきである。入党できないか、あるいは入党したがらない一部の知識人にたいしても、かれらとともに活動するうえでのよい関係をうちたて、かれらをみちびいていっしょに活動すべきである。(2)このような大量吸収の政策をとるにあたって、敵やブルジョア政党からおくりこまれる分子をしめだし、不誠実な分子をしめだすことに十分注意すべきであるのはいうまでもない。これらの分子をしめだすには、厳然たる態度をとるべきである。すでにわが党、わが軍隊およびわが政府にもぐりこんでいるこれらの分子にたいしては、確実な証拠にもとづき、断固として、またそれぞれ区別して追放すべきである。だからといって、わりあい誠実な知識人に疑いをかけてはならない。また、反革命分子がよい人をおとしいれるのを厳重にふせがなければならない。(3)多少とも役にたつ、わりあい誠実な知識人にたいしては、すべて、適当な仕事をあたえ、かれらをよく教育し、よくみちびいて、長期の闘争のなかでその弱点をしだいに克服させるべきである。そうすることによって、かれらを革命化させ、大衆化させ、ふるい党員やふるい幹部とうちとけさせ、労農出身の党員とうちとけさせるのである。(4)知識人を活動に参加させることに反対している一部の幹部、とくに主力部隊のなかの一部の幹部にたいしては、知識人を活動に参加させる必要性が理解できるよう、適切な説得をすべきである。同時に、労農出身の幹部が学習にはげむよう適切な激励をあたえ、その文化水準をたかめることである。こうして、労農出身の幹部の知識人化と、知識人の労農大衆化を同時に実現させていくのである。(5)国民党の支配区および日本侵略者の占領区でも、以上にのべた原則は基本的に適用されるが、党の組織をいっそう厳密なものとするため、知識人を入党させるときには、その誠実さにより多くの注意をはらうべきである。われわれに共鳴している広範な党外の知識人にたいしては、かれらと適切な結びつきをたもち、かれらを抗日と民主の偉大な闘争のなかに組織し、文化運動のなかに組織し、統一戦線の活動のなかに組織していくべきである。
 四、全党の同志たちは、知識人にたいする正しい政策が、革命の勝利の重要な条件の一つであることを認識すべきである。わが党が土地革命の時期に多くの地方や多くの軍隊でとった知識人にたいする正しくない態度は、今後けっしてくりかえしてはならない。プロレタリア階級自身の知識人の養成も、社会の既存の知識人の援助を利用することとけっして切りはなすことはできない。党中央は、各級の党委員会および全党の同志がこの問題に、大きな注意をはらうよう希望する。
  
  
  

 
 
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