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maobadi 2011-06-30 17:59
戦争責任の問題にたいする国民党のいくつかの答案を評す


          (一九四九年二月十八日)


 「政府は、抗戦終結ののち、平和建国の方針によって、極力、中共問題の平和的解決をはかってきた。一年半のあいだに、あらゆる取り決めが中共によってふみにじられた。それゆえ、中共は平和破壊の責任を負うべきである。こんにち、中共は逆に、政府の責任者の名をことごとく書きつらねた戦犯名簿なるものを持ちだし、あまつさえ、政府にまずこれらの人びとを逮捕するよう要求しているが、その横暴理不尽はあまりにもあきらかである。中共がこうした作風をあらためないならば、いきおい和平の話し合いの方途は見いだしがたいものとなろう。」以上は、一九四九年二月十三日、国民党中央宣伝部が出した「特別宣伝指示」のなかの戦争責任の問題にかんする論点のすべてである。
 この論点は、ほかならぬ戦争犯罪人第一号蒋介石《チァンチェシー》のものである。蒋介石は元旦の声明でこういっている。「三民主義の信徒として国父の遺教をうけつぐ余、中正《チョンチョン》は、もとより、対日作戦ののちに、ふたたび匪賊《ひぞく》討伐の軍事行動をおこして、人民の苦痛を重くすることは望まなかった。それゆえ、抗日戦争が終わりを告げるや、わが政府はただちに平和建国の方針をかかげ、さらに、政治的話し合い、軍事的調停の方法によって共産党問題を解決しようとした。はからずも、一年半のあいだに、共産党は、横暴にもすべての取り決めと方策に妨害をくわえ、それが予定された段どりによって実施されるのを不可能にした。しかも、最後には、さらに全面的な武力反乱をおこして、国家の生存を危うくした。わが政府は、身をきられる思いで動員をおこない、反乱鎮定をおこなうのやむなきにいたった。」
 蒋介石がこの声明を発表する七日まえの一九四八年十二月二十五日に、中国共産党の権威筋によって戦犯四十三名の名簿が発表されたが、その筆頭にれっきとして名をつらねているのが、この蒋介石である。戦犯たちは、和平も乞《こ》いたいし責任も逃がれたいので、責任を共産党におしつけるよりほかに手がない。だが、これではつじつまがあわない。共産党が戦争をひきおこした責任を負うべきである以上、当然、共産党を処罰すべきである。「匪賊」である以上、当然「匪賊討伐」をやるべきである。「全面的な武力反乱をおこし」た以上、当然「反乱鎮定」をやるべきである。「匪職討伐」「反乱鎮定」が一〇〇パーセント正しいのに、どうして討伐し鎮定しなくてもよくなったのか。一九四九年一月一日以後、国民党のいっさいの公開文書が一律に「共産匪」を「共産党」とあらためたのは、どうしたわけか。
 孫科《スンコー》はいささか妥当でないと感じたので、蒋介石が元旦の声明を発表したその日の夜、放送演説をおこない、戦争責任の問題についてちがった論点を持ちだした。孫科はこういった。「三年前をふりかえってみると、抗戦勝利の当初、人民が休養・生存を必要としたこと、国家が積極的な建設を必要としたこと、各党派が国家と人民の必要とするものにたいしてまだ共通の認識を持っていたこと、これらのことから、われわれは各方面の代表および賢明達識の士を一堂にあつめて、政治協商会議をひらいた。われわれはまた、三週間の努力をつうじて、さらにはトルーマン大統領の特使マーシャル氏の善意ある調停のおかげで、平和建国の綱領と各種紛争解決の具体的な方策をとりきめた。当時、われわれがもし各種の方策を時をうつさず実行しえていたならば、こんにちの中国はいかに繁栄していたことか。こんにちの中国人民はいかに幸福になっていたことか。残念ながら、当時は各方面とも小さな自己の利害を完全にはすてきることができなかったし、全国人民もまた最大の努力をはらってこの平和運動の成功を促進することができなかったために、ついにふたたび戦禍にみまわれ、人民に塗炭の苦しみをなめさせるにいたったのである。」
 孫料は蒋介石よりもいくらか「公正」である。みたまえ、かれは、蒋介石のように戦争の責任を十把《じっぱ》ひとからげにして共産党におしつけるのではなく、「地権平均」のやり方を採用して、責任を「各方面」に均分している。これには国民党も、共産党も、民主同盟も、賢明達識の士もふくまれている。そればかりか、「全国人民」もふくまれていて、四億七千五百万の同胞は、だれひとりとして責任を逃がれることはできないのである。蒋介石はもっぱら共産党にむちをくらわせたが、孫科は各党各派、無党雛派、全国同胞の一人ひとりにむちをくるわすのであって、蒋介石でさえ、それにおそらくは孫科もこのむちを逃がれられないだろう。みたまえ、二人の国民党員、孫科と蒋介石がここでつかみあいをやっている。
 第三の国民党員がとびだしてきていった。そうじゃない、自分の考えでは、責任はすべて国民党に帰すべきだ、と。この人の名を李宗仁《リーツォンレン》という。一九四九年一月三十二日、李宗仁は「総統代理」の資格で声明を発表した。戦争責任の問題について、かれはこういった。「抗戦八年ののち三年の内戦かつづいたため、抗戦勝利ののちに国家が復興できるという一縷《いちる》ののぞみがあとかたもなくついえさったばかりか、戦禍はあまねく黄河《ホヮンホー》の南北にひろがり、田畑、家屋はことごとく破壊されて荒廃し、幾千幾万の罪なき人民が死傷し、一家離散して飢えと寒さに泣くものがいたるところにみられる。この凄惨《せいさん》きわまりない一大災禍は、まことにわが国の内戦史上かつてなかったことである。」
 李宗仁がここで出しているのは名指しのない告示で、かれは、国民党が責任を負うべきだともいわなければ、また、共産党あるいはその他の方面が責任を負うべきだともいっていない。だが、かれは、この「凄惨きわまりない一大災禍」がおこったのがほかのところではなく、「黄河の南北」だという一つの事実をのべている。そもそも黄河から、南は長江《チャンチァン》、北は松花江《ソンホヮチァン》にいたるこの地域で、だれがこの「凄惨きわまりない一大災禍」をつくりだしたのか。まさか、そこの人民や人民の軍隊が自分たちのあいだで戦争してつくりだしたわけではあるまい。李宗仁は北平《ペイピン》行営主任をやったことがあり、また、かれの広西《コヮンシー》派の軍隊は蒋介石派の軍隊といっしょに山東《シャントン》省の沂蒙《イーモン》山区に攻めこんだことがある〔1〕ので、確実な情報を持っており、こうした「一大災禍」が生じた地点やその状況について知っているのである。李宗仁は、ほかになに一つよいところがないとしても、こうした正直なことをいったのはとにかくよいことである。しかも、かれはこの戦争をよぶのに、「反乱鎮定」とも「匪賊討伐」ともいわないで、「内戦」といっているが、これも国民党側としては、すこぶる特異なものだといえる。
 李宗仁は自分の論理にもとづいて、おなじ声明のなかで、「中共側の出した八つの条件について、政府はただちに話し合いをはじめたい」といっている。李宗仁は、八つの条件の第一がほかならぬ戦犯の処罰であり、しかも、これにはかれ自身の尊名がはいっていることも知っている。戦犯が処罰されなければならないのは、「一大災禍」からでてくる論理的結論である。このことのために、国民党の頑迷《がんめい》派はいまなお、「毛沢東《マオツォートン》が一月十四日の声明であげている八項目は亡国的条件であり、政府としては本来うけいれるべきでなかった」などと奥歯にもののはさまったような言いかたで李宗仁にうらみごとをいっているのである。
 頑迷派が奥歯にもののはさまったような言いかたでしかうらみごとをいえず、あけすけに口に出せないのにはわけがある。蒋介石がまだ「引退」していないとき、頑迷派ははじめ八つの条件を反ばくしようとしていたが、あとで蒋介石がそれではまずいと考えて、反ばくしないことにきめた。たぶん、反ばくすれば道がたたれると考えたのだろう。これは一月十九日のことである。一月十九日の朝、張君[萬+力]《チャンチュインマイ》が、南京《ナンチン》から上海《シャンハイ》に帰ってきて、談話を発表し、「中共のあげている八つの条件については、政府が追って別の公告を出し、回答をあたえることとなろう」といったとき、中央通信社は、すぐその晩に通報を出してこういった。「さきの上海電の張君[萬+力]氏の談話の記事については、電文の末尾に、張氏の談話にある政府が追って別の公告を出すという点について、中央社の記者がいま関係方面から知りえたところによると、政府には別の公告を出す意向はない、という注をくわえられたい。」蒋介石は一月二十一日に「引退」の声明を発表したが、八つの条件についてひと言も批判しなかったばかりか、かれ自身の五つの条件をもとり消し、「領土主権がよく保全され、歴史文化と社会秩序が破壊されず、人民の生活と自由の権利が確実に保障されることを原則として、和平のために努力する」というふうにあらためた。憲法、法的正統性、軍隊などについては、もはやなに一つとりあげようとはしなかった。そこで、李宗仁は、一月二十二日に、中国共産党の八つの条件を交渉の基礎とすることを思いきって承認したが、国民党頑迷派はあけすけに表だって反対することができず、奥歯にものがはさまったように、ひと言、「政府としては本来うけいれるべきでなかった」としかいえなかったのである。
 孫科の「地権平均」の政策はかわることなく堅持されているだろうか。そういうわけでもない。孫科は、一九四九年二月五日「政府を広州《コヮンチョウ》にうつした」あと、二月七日に演説をおこなったが、戦争責任の問題についてこういった。「ここ半年らい、戦禍がひろがったために、大局に重大な変化が生じ、人民の苦しみには名状しがたいものがある。これらのことはすべて、これまでにおかされたあやまり、失敗および不合理な現象が原因となって、こんにちの局面の重大化という結果をまねいたのである。われわれは、中国が三民主義を必要としていることをよく知っている。三民主義の実現される日がくるまでは、中国の問題はいつまでも解決できない。おもいおこせば、わが党の総理は二十年まえ、みずから三民主義をわが党にのこし、それをしだいに実行にうつすことを希望された。もし、それが実行にうつされていたならば、こんにちのこの収拾しがたい局面にはぜったいにたちいたらなかったであろう。」みたまえ、国民党政府の行政院長は、ここでは、責任をいっさいの党派と全国の同胞に均分するのでなく、国民党自身に負わせている。孫科がむちをすべて国民党の尻にくらわせたことは、はなはだ痛快である。では、共産党のほうはどうか。孫院長はこういっている。「われわれのみるところでは、中共が人民を誘惑し、麻痺《まひ》させることができたのも、ひとえに、三民主義のうちの民生主義の一部、すなわち地権平均をよびかけにしたからにほかならない。われわれは実にふかく慙愧《ざんき》し、強く心に戒めて、これまでのあやまりをあらためて検討すべきである。」親愛なる院長のおかげで、共産党は、まだ「人民を誘惑し、麻痺させる」という罪名こそあれ、ほかにそうひどい大罪もなく、むちをまぬかれ、命に別条なく放免してもらったしだいである。
 孫院長の愛すべきところは、これだけにとどまらない。かれはおなじ演説のなかで、こうもいっている。「こんにち共産党の勢力がはびこったのは、これまたわれわれの信ずる主義がまだ実行されていないからである。わが党のこれまでの最大のあやまりは、党内の若干の人びとがあまりにも武力を妄信《もうしん》し、内部で権力を争って軋轢《あつれき》をおこし、みすみす敵に離間の機会をあたえたことにある。八年の抗戦が終わりを告げたときは、本来ならば平和的統一を実現する千載一遇の機会であった。政府においても、もともと、政治的方法によって国内紛争を解決する計画があったが、不幸にして、これは実施されなかった。人民は連年の戦乱のあとをうけて、切に休養・生存を必要としていた。だが、干戈《かんか》がふたたびまじえられ、人民は生活の道をうしなって、塗炭の苦しみをなめ、これがまた影響して士気を消沈させ、そのため、軍事においてつぎつぎと利をうしなうにいたった。蒋総統は、軍事的方法によっては問題を解決しえなかったことにかんがみ、俯して民意にしたがい、元旦に告辞を出して、和平をよびかけたのである。」よろしい、孫科というこの戦争犯罪人は、逮捕されてもおらず、むちもくらっていないのに、みずから進んで白状し、しかも、まっ正直でなんらいつわるところがない。だれが武力を妄信して戦争をひきおこし、軍事的方法では問題が解決できなくなってからやっと和平を乞うようになったのか。それはほかならぬ国民党であり、蒋介石だったのである。孫院長はことばづかいもなかなか正確で、あまりにも武力を妄信したのはかれらの党内の「若干の人びと」だといっている。この点は、中国共産党が若干の国民党員を戦争犯罪人として処罰することを要求するだけで、全部はおろか、それ以上の国民党員を処罰することも要求していないこととたがいに一致している。
 われわれと孫料のあいだには、この数のうえで論争はない。ちがうのは結論である。われわれは、「武力を妄信し」て、「干戈がふたたびまじえられ、人民は生活の道をうしなう」という事態にたちいたらせたこれら国民党の「若干の人びと」は、どうしても戦犯として処罰しなければならないと考えている。だが孫料はそうすることに同意しない。かれはこういっている。「いま共産党側が、遅々として代表を任命せず、ひたすら事を長びかせているのは、共産党側もまた武力を妄信しており、自分ではもう羽根もはえそろったので、武力にたよって全国を征服することができると考え、そのためにさきに休戦をおこなうことを拒否したのだということをはっきりしめすものであり、かれらの下心はあまりにもみえすいている。わたしがここで厳粛な気持ちで提案しなければならないのは、永遠の平和をもとめるために、双方は対等の資格で話し合いをおこなわなければならず、条件は公正かつ合理的で、全国民がうけいれうるものでなければならないということである。」こうなると、孫院長もいささか可愛げがなくなってくる。かれは、戦争犯罪人を処罰するという条件を公正かつ合理的なものではないと考えているようである。かれのこうしたことばは、国民党宣伝部の二月十三日の「特別宣伝指示」が戦犯問題にたいしてしめした態度とおなじように、奥歯にものがはざまったような言いかたをしていて、あけすけには反対していない。これは、李宗仁が戦犯の処罰を交渉の基礎条件の一つとして思いきって承認したのとは、大きなちがいがある。
 だが、孫院長にはやはり愛すべきところがある。なぜなら、かれは、共産党も「また武力を妄信している」といっているが、これは、「遅々として代表を任命しない」ことと「さきに休戦をおこなうことを拒否した」ことの二つの点からいっているのであって、国民党のように一九四六年から武力を妄信して凄惨きわまりない戦争をひきおこしたのとはわけがちがうからである。そもそも「遅々として代表を任命しない」のは、戦犯名簿の確定が重要な仕事で、「全国民がうけいれうるもの」でなければならず、少なくしても多くしても実際にそぐわず、「全国民」(ただし戦犯とその共犯者はふくまない)からうけいれられないからである。だから、各民主党派、人民団体とたがいに相談しなければならないわけで、いささか時間を「長びかせ」、また、すみやかに代表を任命するくとができなくなって、孫料のような人間のひどい不興を買うことになった。だが、これも、一口に「また武力を妄信している」とばかり断定することはできない。多分、まもなく戦犯名簿を公表し、代表を任命し、交渉をはじめることができるようになり、孫院長も、われわれが「武力を妄信している」とはいえなくなるだろう。
 「さきに休戦をおこなうことを拒否した」ことについていえば、これは蒋総統の元旦の皆辞にしたがってとられた正しい態度である。蒋総統の元旦の告辞はこうのべている。「共産党が和平への誠意をもち、確実な意思表示をしさえすれば、政府はかならずや胸襟をひらいて相会し、戦闘停止と平和回復の具体的方法をともに討議する用意がある。」孫科の行政院は、一月十九日・蒋介石のこの告辞にそむく決議をおこない、「ただちにまず無条件休戦をおこない、さらにそれぞれ代表を指定して和平の話し合いをおこなう」などといった。中国共産党のスポークスマンは、一月二十一日、この筋のとおらぬ決議に厳正な批判をくわえた〔2〕。ところが、意外にも、この院長は耳をふさいで聞こうとはせず、二月七日にはまた、中国共産党が「さきに休戦をおこなうことを拒否した」ことこそ、中国共産党も「また武力を妄信している」ことをしめすものだなどと出まかせをいった。蒋介石のような戦争犯罪人でさえ、戦争の停止、平和の回復は話し合いなしには不可能だということを知っている。孫科は、この点では、蒋介石よりはるかにおとっている。
 周知のように、孫科が戦犯となったのは、蒋介石が戦争をひきおこすのを一貫してたすけるとともに、戦争に固執してきたためである。一九四七年の六月二十二日になっても、かれはまだこういっていた。「軍事面では、最後まで戦いさえすれば、結局は解決できる。」「いまはもう和平交渉など話にならない。政府は共産党をたたきつぶさなければならない。でなければ、共産党が国民政府をくつがえすことになる。」〔3〕かれこそ国民党内の武力を妄信した「若干の人びと」のひとりである。いま、かれは、まるで武力を妄信したことはなく、三民主義が実行されなかったことにも責任はないかのように、はたでいいかげんなことをいっている。これは不誠実というものである。国法にてらしてみても、国民党内で党規にてらしてみても、孫料はむちをまぬかれることができないだろう。



〔注〕
〔1〕 沂蒙山区とは、山東省の沂山・蒙山一帯の地区をさす。当時、蒋介石派の軍隊とともにこの地区を攻撃した広西派の軍隊は第四十六軍団であった。この軍団は一九四六年十月、海南島から海路青島に送られ、そこで上陸したが、一九四七年二月に山東省の莱蕪地区で全部殲滅された。
〔2〕 本巻の『南京行政院の決議についての中国共産党スポークスマンの論評』を参照。
〔3〕 これは、一九四七年六月二十二日に孫料が南京でAP通信社、南京の国民党中央日報および新民報の記者と会見したさい発表した談話である。当時、孫料は国民党政府の副主席であった。

maobadi 2011-06-30 17:59
中国共産党第七期中央委員会第二回総会での報告


          (一九四九年三月五日)


 中国共産党第七期中央委員会第二回総会は、一九四九年三月五日から十三日まで、河北省平山県西柏坡村でひらかれた。出席者は中央委員三十四人、中央委員候補十九人であった。この会議は、中国の人民革命が全国的勝利をおさめる前夜にひらかれたもので、きわめて重要な会議であった。毛沢東同志はこの会議でおこなった報告のなかで、革命の急速な全国的勝利を促進し組織するための諸方針を提起し、全国的勝利の局面のもとで党の活動の重心を農村から都市に移さなければならないことを説明し、党が全国的勝利ののち政治、経済、外交の面でとるべき基本政策、ならびに、中国を農業国から工業国に転化させ、新民主主義社会から社会主義社会に転化させる全般的任務と主要な道すじを規定した。毛沢東同志はこの報告のなかで、当時の中国経済の各種構成要素の状態と、党がとらなければならない正しい政策にとくに重点をおいて分析をくわえ、中国か社会主義的改造を実現するうえでかならず通らなければならない道を指摘し、この問題における「左」右のさまざまな偏向を批判するとともに、中国の経済が比較的はやい速度で発展することを確認した。毛沢東同志は、中国の人民民主主義革命が勝利したのちの内外の階級闘争における新しい情勢を見通し、ブルジョア階級の「糖衣弾」がプロレタリア階級の主要な危険となることをいちはやく警告した。これらすべての点から、この文献はひじょうに長い歴史的時期にわたって偉大な意義をもつものとなった。毛沢東同志のこの報告は、同年六月に書かれた『人民民主主義独裁について』という論文とともに、中国人民政治協商会議第一期総会で採択され新中国成立後かつて臨時憲法の役割をはたした「共同綱領」の政策上の基礎となった。党の第七期中央委員会第二回総会は、毛沢東同志の報告にもとづいて、これにおうじた決議を採択した。この会議ののち、中国共産党中央は河北省平山県西柏坡村から北平に移った。


     一

 遼瀋《リァオシェン》、淮海《ホヮイハイ》、平津《ピンチン》の三つの戦役によって、国民党軍の主力はすでに消滅された。国民党の戦闘部隊はわずかに百余万人をのこすだけとなり、新疆《シンチァン》から台湾《タイワン》にいたる広大な地域ときわめて長い戦線に散らばっている。今後、この百余万の国民党軍をかたづけるには、天津《ティエンチン》方式、北平《ペイピン》方式、綏遠《スィユァン》方式〔1〕の三とおりしかない。天津でやったように戦闘によって敵をかたづけるのが、やはり、まず第一に意をそそぎ、準備しなければならない方式である。人民解放軍の全指揮員、戦闘員は、自己の戦意をすこしでるゆるめるようなことを絶対にしてはならない。戦意をゆるめたり敵をみくびったりする考えは、すべてあやまりである。北平方式で問題を解決する可能性は増大している。これは、敵軍にせまって、平和的な方法で迅速かつ徹底的に、人民解放軍の制度にもとづいて、人民解放軍に編成がえさせる方式である。こうした方法で問題を解決するのは、反革命の遺物をすみやかにとりのぞき反革命の政治的影響をすみやかに一掃するという点では、戦争の方法で問題を解決するよりもいくぶん劣っている。しかし、こうした方法は、敵軍の主力が消滅されたのちには必然的にあらわれてくるもので、さけることのできないものである。同時に、それは死傷と破壊をさげることができ、わが軍にとっても人民にとっても有利なものである。したがって、各野戦軍の指導者はすべてこうした闘争方式に注目し、これを習得すべきである。これは一種の闘争方式であり、血を流さない闘争方式であって、闘争をしなくても問題が解決できるというわけではない。綏遠方式では、一部の国民党軍をわざとのこして、これをそっくりそのままにしておくか、または大体そのままにしておく、つまり、この部分の軍隊にしばらく譲歩して、これを政治的にわが方につかせるか、またはこれに中立をたもたせるようにする。そうすることによって、力を集中して、まず国民党残存勢力の主要な部分をかたづけ、かなりの時間をおいたのち(たとえば、数ヵ月、半年または一年ののち)、あらためて人民解放軍の制度にしたがって、この部分の軍隊を人民解放軍に編成がえするのである。これは、もう一つの闘争方式である。こうした闘争方式では、反革命の遺物や反革命の政治的影響が北平方式よりもいっそう多くのこるであろうし、のこる時間もいっそう長くなるであろう。だが、こうした反革命の遺物や反革命の政治的影響は結局は一掃されてしまうのであり、この点にはまったく疑問の余地がない。反革命勢力がわれわれに従うようになったからといって、かれらはもう革命党になったとか、かれらの反革命の思想や反革命の企図はもう存在しなくなったとか、けっして考えてはならない。だんじてそんなものではない。かれらのうちの多くのものは改造され、一部のものは淘汰《とうた》され、若干の徹底した反革命分子は弾圧されるであろう。


     二

 人民解放軍はいつまでも戦闘隊である。全国的勝利ののちも、国内でまだ階級が消滅されず、世界にまだ帝国主義制度が存在する歴史的時期には、われわれの軍隊はやはり戦闘隊である。この点については、どのような誤解も動揺もあってはならない。人民解放軍はまた工作隊でもある。南方の各地で、北平方式または綏遠方式によって問題が解決されるばあいには、とくにそうである。戦闘がしだいに少なくなるにつれて、工作隊としての役割は大きくなってくる。そう遠くない時期に人民解放軍を全部工作隊にしなければならなくなるという可能性があり、われわれはこうした状況を見通しておかなければならない。いま軍隊について南下しようとしている五万三干人の幹部では、遠からずわれわれに占領されるきわめて広大な新しい地域からいって、とても足りるものではなく、われわれは二百十万の野戦軍全部を工作隊にする用意がなければならない。そのようにすれば、幹部も足りることになり、広大な地域にわたる活動も展開できるようになる。われわれは二百十万の野戦軍をひとつの大きな幹部学校とみなさなければならない。


     三

 一九二七年からこんにちまで、われわれの活動の重点は農村におかれた。われわれは農村で力を結集し、農村によって都市を包囲し、そのあとで都市を手に入れたのである。こうした活動方式をとる時期はもう終わった。これからは、都市から農村への時期、しかも都市が農村を指導する時期がはじまるのである。党の活動の重心は農村から都市にうつされる。南方の各地では、人民解放軍は、さきに都市を占領し、そのあとで農村を占領することになる。都市と農村のどちらにも心をくばらなければならず、都市の活動と農村の活動、労働者と農民、工業と農業をしっかりと結びつけなければならない。農村をほうっておいて、都市にだけ心をくばるようなことは、けっしてしてはならない。もしそのようなことを考えるなら、それは完全なあやまりである。だが、党と軍隊の活動の重心は都市にわかなければならず、ひじょうな努力をはらって都市の管理、都市の建設を習得しなければならない。都市で、帝国主義者、国民党、ブルジョア階級にたいして政治闘争、経済闘争、文化闘争をおこない、また帝国主義者にたいして外交闘争をおこなうことを習得しなければならない。かれらと公然たる闘争をおこなうことも習得すべきであるし、かれらと非公然の闘争をおこなうことも習得すべきである。もしこれらの問題に注意をはらわず、これらの連中とこうした闘争をおこなうことを習得せず、闘争に勝利をおさめないなら、われわれは権力を維持することができなくなり、もちこたえられなくなり、失敗するであろう。銃をもった敵が消滅されてからも、銃をもたない敵は依然として存在する。かれらはかならずわれわれに死にもの狂いのたたかいをいどんでくる。われわれはけっしてこれらの敵をみくびってはならない。現在、このように問題を提起し認識しないなら、われわれはきわめて大きなあやまりをおかすことになる。

     四

 都市の闘争で、われわれはだれに依拠するのか。考えのあいまいな一部の同志は、労働者階級に依拠するのではなく、貧民大衆に依拠するのだと考えている。もっと考えのあいまいな一部の同志は、ブルジョア階級に依拠するのだと考えている。工業を発展させる方向については、考えのあいまいな一部の同志は、国営企業の発展をたすけるのではなく、主として私営企業の発展をたすけるのだと考えている。あるいは、その反対に、ただ国営企業に意をそそげば十分で、私営企業などはとるにたりないものだと考えている。われわれは、こういうあいまいな考えに批判をくわえなければならない。われわれは、ひたすら労働者階級に依拠し、その他の勤労大衆と団結し、知識人を獲得し、われわれと協力しうる民族資本家やその代表的人物をできるだけ多く獲得してわれわれの側に立たせるか、中立をたもたせるようにしなければならない。そうすることによって、帝国主義者、国民党、官僚ブルジョア階級とだんこ闘争し、一歩一歩これらの敵にうち勝っていくのである。同時に、われわれは建設事業に着手して、一歩一歩、都市の管理を習得し、都市の生産事業を回復し発展させていかなければならない。生産を回復し発展させる問題については、第一が国営工業の生産であり、第二が私営工業の生産であり、第三が手工業の生産であることを明確にしなければならない。われわれは、都市を接収したその日から、その都市の生産事業の回復と発展に目をむけなければならない。盲目的にゆきあたりばったりに事をはこんで、中心任務を忘れてしまい、そのため、一つの都市を占領してから数ヵ月もたつのに、生産と建設がまだ軌道にのらず、ひどいばあいには、多くの工業が停頓状態におちいって、労働者が失業し、労働者の生活が低下し、共産党への不満がうまれるというようなことになってはならない。そういう状態はまったく許されないことである。そのため、われわれの同志は、ひじょうな努力をはらって生産の技術と生産管理の方法を学ばなければならないし、生産と密接なつながりのある商業、銀行、その他の方面の活動を学ばなければならない。都市の生産を回復し発展させ、消費的な都市を生産的な都市にかえたとき、人民の権力ははじめて強固なものになる。都市のその他の活動、たとえば、党の組織活動、権力機関の活動、労働組合の活動、その他各種大衆組織の活動、文化・教育方面の活動、反革命分子粛清の活動、通信社、新聞、放送局の活動はすべて、生産、建設というこの中心の活動をめぐっておこなわれるのであり、またこの中心の活動に奉仕するのである。もし、われわれが生産活動についてなにも知らす、生産活動を急速に習得することができず、また生産事業をできるだけはやく回復し発展させ、確実な成果をあげて、まず第一に労働者の生活を改善し、さらに一般人民の生活をも改善することができないなら、われわれは権力を維持することができなくなり、もちこたえられなくなり、失敗するであろう。


     五

 南方と北方とでは事情がちがうので、党の任務にもちがいがなければならない。南方はいまなお国民党の支配する地域である。そこでの党と人民解放軍の任務は、都市と農村で、国民党の反動武装力を消滅し、党の組織をつくり、政権をうちたて、民衆を立ちあがらせ、労働組合、農会その他の大衆組織をつくり、人民の武装力をつくって、国民党の残存勢力を一掃し、生産事業を回復し発展させることである。農村では、まず段どりをおって、土匪《どひ》を掃討する闘争と、悪覇《あくは》すなわち地主階級の実権派に反対する闘争とをくりひろげ、小作料・利子引き下げのための準備を完了することであり、これによって、人民解放軍がその地区にはいってからおよそ一年か三年ののちに、小作料・利子引き下げの任務を達成して、土地分配の前提条件をつくりだせるようにすることである。同時に、農業生産のいまの水準をできるだけ維持し低下させないよう、注意しなければならない。北方は、少数の新解放区をのぞいて、まったく異なった状態にある。ここでは、すでに国民党の支配がくつがえされ、人民の支配がうちたてられており、しかも、土地問題が根本的に解決されている。ここでの党の中心任務は、あらゆる力を動員して生産事業を回復し発展させることであり、ここにすべての活動の重点がある。同時に、文化・教育事業を回復し発展させ、残存する反動勢力を一掃して、北方全体を強固にし、人民解放軍を支援しなければならない。


     六

 われわれは広範な経済建設をすすめている。すでに党の経済政策は実際活動のなかで実施され、いちじるしい成果をおさめている。だが、なぜこのような経済政策をとるべきで、他の経済政策をとるべきではないのかという理論的、原則的問題について、党内には多くのあいまいな考えがある。この問題にどう答えるべきか。われわれは、つぎのように答えるべきだと考える。中国の工業と農業が国民経済のなかでしめる比重は、全国的にみて、抗日戦争前はだいたいのところ、近代的な工業が一〇パーセント前後をしめ、農業と手工業が九〇パーセント前後をしめていた。これは、帝国主義制度と封建制度が中国を抑圧した結果であり、旧中国社会の半植民地的・半封建的性質の経済面におけるあらわれであり、そしてまた、中国の革命の時期と革命勝利後のかなり長い時期におけるすべての問題の基本的な出発点でもある。この点から、わが党の戦略上、戦術上、政策上の一連の問題が出てくる。これらの問題をいっそう明確に認識し解決することは、わが党の当面する重要な任務である。それはつぎのような意味である。
 第一に、中国にはすでに一○パーセント前後の近代的な工業経済があるが、これは進歩的な点で、古い時代とちがうところである。こうした点から、中国にはすでに新しい階級と新しい政党、つまりプロレタリア階級とブルジョア階級、プロレタリア政党とブルジョア政党がうまれている。プロレタリア階級とその政党は、いく重もの敵の抑圧をうけて鍛えられているので、中国の人民革命を指導する資格をそなえている。この点を無視したり軽視したりするものは、右翼日和見主義のあやまりをおかすくとになる。
 第二に、中国にはまだ九〇パーセント前後の分散した小私有経営の農業経済と手工業経済があるが、これはたちおくれた点で、古い時代と大してちがわないところであり、わが国の経済生活の九〇パーセント前後はまだ古い時代のままに停滞しているのである。古い時代には封建的な土地所有制があったが、これは現在われわれによってすでに廃止されたか、あるいは廃止されようとしている。この点では、すでに古い時代とちがっているか、あるいはちがったものになろうとしており、われわれは農業と手工業をしだいに近代化の方向へ発展させる可能性をすでに獲得しているか、あるいは獲得しようとしている。だが、われわれの農業と手工業は、その基本形態からいえば、こんにちでもやはり、分散した小私有経営のもの、すなわち古い時代に似かよったものであるし、また今後かなり長い期間にわたってもそうしたものであるだろう。この点を無視したり軽視したりするものは、「左」翼日和見主義のあやまりをおかすことになる。
 第三に、中国の近代的な工業の生産額は、まだ国民経済の総生産額の一〇パーセント前後をしめるにすぎないが、この工業はひじょうに集中しており、もっとも大きな、もっとも主要な資本は、帝国主義者とその手先である中国官僚ブルジョア階級の手に集中している。これらの資本を没収して、プロレタリア階級の指導する人民共和国の所有にうつせば、人民共和国が国の経済動脈をにぎることになり、国営経済は全国民経済の指導的要素となる。この部分の経済は社会主義的性質の経済であって、資本主義的性質の経済ではない。この点を無視したり軽視したりするものは、右翼日和見主義のあやまりをおかすくとになる。
 第四に、中国の私的資本主義工業は、近代的な工業のなかで第二位をしめており、無視することのできない力である。中国の民族ブルジョア階級とその代表的人物は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義から抑圧または制限をくわえられていたので、人民民主主義革命の闘争のなかで、しばしば、これに参加するか、あるいは中立をたもつ立場をとってきた。こうしたことから、また、中国経済がいまなおたちおくれた状態にあることから、革命勝利後もかなり長い期間、国民経済の発展に役立たせるため、都市と農村の私的資本主義の積極性をできるだけ利用する必要がある。この期間には、国民経済に有利で害のない、都市と農村のすべての資本主義的要素は、その存在と発展を許すべきである。これはさけるれないほかりでなく、経済的に必要なことである。だが、中国における資本主義の存在と発展は、資本主義国のように制限をくわえないで、これをはびこるにまかせるのではない。それはいくつかの面――活動範囲の面、徴税政策の面、市場価格の面、労働条件の面から制限される。われわれは資本主義にたいし、各地、各業種、各時期の具体的な状況におうじて、各方面から、適切な、伸縮性のある制限政策をとらなければならない。孫中山の資本節制というスローガンを、われわれはやはりもちいなければならないし、またもちいることができるのである。だが、国民経済全体の利益のため、労働者階級と勤労人民の現在と将来の利益のためには、私的資本主義経済にたいし、けっして、あまりにも大きな、あまりにも窮屈な制限をくわえてはならず、人民共和国の経済政策と経済計画のわく内で存在し発展する余地をあたえなければならない。私的資本主義にたいして制限政策をとれば、どうしても、ブルジョア階級、とくに私的企業のうちの大企業主、つまり大資本家から、さまざまな程度、さまざまな形での反抗をうけることになる。制限と反制限は、新民主主義国家における階級闘争の主要な形態となるであろう。もしわれわれが、いまは資本主義を制限する必要はないと考えたり、「資本節制」というスローガンをすててもよいと考えたりするなら、それは完全なあやまりであり、それこそ右翼日和見主義の観点である。だが、逆に、あまりにも大きな、あまりにも窮屈な制限を私的資本にくわえるべきだと考えたり、急速に私的資本を消滅してしまってもいっこうさしつかえないと考えたりするなら、これも完全なあやまりであり、これこそ「左」翼日和見主義または冒険主義の観点である。
 第五に、国民経済の総生産額の九〇パーセントをしめる分散した小私有経営の農業経済と手工業経済は、近代化と集団化の方向へ発展するよう、慎重に、一歩一歩、しかも積極的にみちびくことができるし、また、みちびかなければならない。自由に放任しておく観点はまちがっている。生産、消費、信用の各協同組合と、中央、省、市、県、区における協同組合の指導機関をつくらなければならない。こうした協同組合は、私有制を基礎とした、プロレタリア階級の指導する国家権力の管理のもとにおかれた、勤労人民大衆の集団経済組織である。中国人民は文化的におくれており、協同組合の伝統がないので、われわれは困難にぶつかるだろうが、しかし、協同組合はつくることができるし、また、つくらなければならず、これを普及させ発展させなければならない。国営経済があるだけで協同組合経済がなければ、勤労人民の小私有経済を一歩一歩集団化の方向にむかうよう指導することはできず、新民主主義社会を将来の社会主義社会に発展させることはできず、国家権力におけるプロレタリア階級の指導権をうちかためることはできない。この点を無視したり軽視したりするものは、きわめて大きなあやまりをおかすことになる。国営経済は社会主義的性質のものであり、協同組合経済は半社会主義的性質のものであって、これに私的資本主義経済をくわえ、小私有経済をくわえ、国家と私的資本の協力する国家資本主義経済をくわえたものが、人民共和国のいくつかの主要な経済的要素であり、これらが新民主主義の経済形態を構成するのである。
 第六に、人民共和国の国民経済の回復と発展は、対外貿易の統制政策なしには不可能である。中国の領土から帝国主義、封建主義、官僚資本主義と国民党の支配(これは帝国主義、封建主義、官僚資本主義の三者の集中的な表現である)が一掃されても、独立した、完全な工業体系をうちたてる問題は解決されたことにはならない。経済面で大きな発展をとげ、おくれた農業国からすすんだ工業国になったとき、この問題ははじめて最終的に解決されたことになるのである。この目的の達成は、対外貿易の統制なしには不可能である。中国革命が全国的勝利をおさめ、土地問題が解決されたのちも、中国にはまだ二つの基本的な矛盾が存在する。ひとつは国内的な矛盾、すなわち労働者階級とブルジョア階級との矛盾である。もうひとつは対外的な矛盾、すなわち中国と帝国主義国との矛盾である。したがって、労働者階級の指導する人民共和国の国家権力は、人民民主主義革命の勝利ののちも、これを弱めるのではなく、強めなければならない。対内的な資本の節制と対外的な貿易の統制は、経済闘争におけるこの国家の二つの基本政策である。この点を無視したり軽視したりするものは、きわめて大きなあやまりをおかすことになる。
 第七に、中国の経済的遺産はおくれたものではあるが、しかし、中国人民は勇敢で勤勉であり、中国の人民革命の勝利と人民共和国の樹立、中国共産党の指導があり、さらには世界各国の労働者階級の援助、主としてソ連の援助があるのだから、中国の経済建設の速度はそう遅いものではなく、おそらくかなり遠いものとなるであろう。中国の興隆は期して待つべきものがある。中国の経済復興にたいする悲観的な見方には、なんの根拠もない。


     七

 旧中国は、帝国主義の支配する半植民地国であった。中国の人民民主主義革命が徹底した反帝国主義の性質をもっているため、帝国主義者はこの革命を極度に敵視し、全力をあげて国民党をたすけてきた。このことによって、中国人民は帝国主義者にたいするはげしい怒りをいやがうえにも燃えあがらせ、帝国主義者は中国人民のあいだでその威信を最後のひとかけらまで失ってしまった。また、帝国主義体制全体が第二次世界大戦ののち大いに弱まり、ソ連を先頭とする世界の反帝国主義戦線の力はかってないほど増大した。これらすべての情勢から、われわれは、中国における帝国主義の支配権を、段どりをおって徹底的に粉砕していく方針をとることができるし、またとるべきである。帝国主義者のこうした支配権は政治、経済、文化の各方面にあらわれている。国民党の軍隊が消滅され、国民党の政府が打倒された都市や地方では、どこでも、帝国主義者の政治面における支配権がそれにつれてうち倒され、その経済面、文化面における支配権もうち倒された。だが、帝国主義者の直接経営する経済事業や文化事業はまだのこっているし、国民党の承認した外交要員や新聞記者もまだのこっている。これらにたいしては、前後緩急の区別をつけて、適切な解決をしていかなければならない。国民党時代のいかなる外国の外交機関や外交要員の合法的地位も認めないこと、国民党時代のあらゆる売国条約の存続を認めないこと、帝国主義が中国に設けた宣伝機関をすべて廃止すること、ただちに対外貿易を統制し税関制度を改革すること、これらはすべて、われわれが大都市にはいったとき、まず第一にとらなければならない措置である。これらのことをやりとげたち、中国人民は、帝国主義にむかって立ちあがったことになるのである。あとにのこった帝国主義の経済事業、文化事業は、しばらく存続させておいてもよいが、われわれがこれを監督し統制し、全国的勝利をおさめてから、あらためて解決するようにする。一般の外国居留民にたいしては、その合法的な利益を保護し、これを侵害しない。帝国主義のわが国にたいする承認の問題については、いま解決をいそぐべきではないし、全国的勝利をおさめたのちもなお、かなり長いあいだ解決をいそぐ必要はない。われわれは、平等の原則にしたがってすべての国と外交関係をうちたてることをのぞんでいる。しかし、一貫して中国人民を敵視している帝国主義が、すぐに平等の態度でわれわれにのぞむようなことはけっしてありえない。かれらが敵視の態度をあらためないかぎり、われわれは帝国主義国にたいし、中国における合法的地位をあたえない。外国人と商売をするのは、なにも問題ではない。商売があるならやるべきだし、現に商売はもうはじまっており、いくつかの資本主義国の商人がいまたがいに競争している。われわれは、できるかぎりまず社会主義国や人民民主主義国と商売をしなければならないが、同時に、資本主義国とも商売をするのである。


     八

 政治協商会議を招集し、民主連合政府を樹立するいっさいの条件はすでに熟している。すべての民主政党、人民団体、無党派民主人士はみな、われわれの側に立っている。上海《シャンハイ》や長江《チャンチァン》流域のブルジョア階級は、いまわれわれに関係をつけようとしている。南と北のあいだの航行・郵便業務はすでにはじまっている。四分五裂になった国民党は、もはやすべての大衆からはなれてしまっている。われわれはいま、南京反動政府と交渉をすすめる準備をしている〔2〕。南京反動政府の側でこの交渉の推進力となっているのは、広西《コヮンシー》派の軍閥、国民党の和平派、上海のブルジョア階級である。かれらの目的は、連合政府に一枚くわわり、できるだけ多くの軍隊を温存し、上海や南方のブルジョア階級の利益を保持し、極力、革命に温和な色彩をもたせることにある。この連中はわれわれの八ヵ条を交渉の基礎とすることを認めてはいるが、かれらの損失があまり大きくならないように、かけひきをしようと考えている。この交渉をぶちこわそうとしているのは、蒋介石《チァンチェシー》とその度しがたい徒党である。蒋介石はまだ六十コ師団を江南一帯に配置しており、これらの部隊はいまなお戦う準備をしている。われわれの方針は、交渉をこばまず、相手方に八ヵ条の完全な承認を要求し、かけひきを許さないことである。そのかわり、われわれとしては、広西派およびその他の国民党和平派をたたかず、一年前後はかれらの軍隊の編成がえをおこなわず、南京政府の一部の要員には政治協商会議と連合政府への参加を許し、上海や南方のブルジョア階級にはその一部の利益の保護を承諾するのである。この交渉は全面的なもので、もし成功すれば、われわれが南方に進軍し南方の各大都市を占領するうえでの多くの障害がとりのぞかれることになり、ひじょうに有利である。もし成功しなければ、進軍してから、個々に地方的な交渉をすすめることになる。交渉の時期は三月下旬の予定である。われわれは、四月か五月に南京を占領し、そののち北平で政治協商会議をひらき、連合政府をうちたて、首都を北平に定めたいとおもっている。われわれは、交渉を許す以上、交渉が成功したのちに幾多のわずらわしい事態がおこることを覚悟していなければならないし、また、孫情空が鉄扇公主の腹のなかにもぐりこんであばれまわった〔3〕ような政策を相手方がとったばあい、冷静な頭脳で対処するだけの用意がなければならない。十分な心がまえさえあれば、どんな妖術をつかう孫悟空にもうち勝つことができる。全面的な和平交渉であろうと、局地的な和平交渉であろうと、われわれはこうした心がまえをしておくべきである。われわれは、わずらわしさをいとい、ことなきをもとめて、これらの交渉をうけいれないというのであってはならないし、また、わけもわからずにこうした交渉をうけいれるのであってもならない。われわれは確固とした原則性をもたなくてはならないし、原則性をつらぬくために許され必要とされるあらゆる弾力性をももたなくてはならない。


     九

 プロレタリア階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁は、わが党が全労働者階級、全農民階級、広範な革命的知識層としんけんに団結することを要求している。かれらはこの独裁の指導勢力であり、基本勢力である。こうした団結がなければ、この独裁は強固なものになりえない。同時に、この独裁はまた、わが党が、できるだけ多くの、われわれと協力しうる都市小ブルジョア階級と民族ブルジョア階級のなかの代表的人物や知識人、政治グループと団結することを要求している。それは、革命の時期には、反革命勢力を孤立におとしいれ、国内の反革命勢力と帝国主義勢力を徹底的に打倒するためであり、革命の勝利したのちには、急速に生産を回復し発展させ、国外の帝国主義にたちむかい、中国を着実に農業国から工業国に変えていき、中国を偉大な社会主義国にきすきあげるためである。したがって、わが党が党外の民主人士と長期にわたって協力するという政策は、思想のうえでも活動のうえでも、全党的に確立しなければならない。われわれは、党外の大多数の民主人士をわれわれ自身の幹部とおなじようにみなし、相談し解決すべき問題については、誠意をこめて、かれらと卒直に相談して解決しなければならず、かれらに仕事をあたえて、かれらがその持ち場で職務におうじた権限をもち、仕事のうえで成果をあげられるようにしなければならない。かれらと団結するということから出発して、かれらのあやまりや欠点にたいし、しんけんで、適切な批判または闘争をおこない、かれらと団結する目的をたっしなければならない。かれらのあやまりや欠点にたいして妥協的な態度をとるのはまちがっている。かれらにたいして閉鎖的な態度やおざなりな態度をとるのもまちがっている。どの大都市やどの中都市でも、どの戦略的地域やどの省でも、われわれと協力できる、信望のある党外の民主人士を相当数そだてるべきである。わが党内では、土地革命戦争の時期の閉鎖主義の作風からうまれた、党外の民主人士にたいする正しくない態度が、抗日の時期にも完全には克服されないで、一九四七年の各根拠地における土地改革の高揚の時期にふたたびあらわれたことがある。こうした態度は、わが党を孤立におとしいれ、人民民主主義独裁の強化を不可能にし、敵に同盟者をえさせるだけである。いまや、わが党の指導のもとでの中国最初の政治協商会議がひらかれようとしており、民主連合政府が成立しようとしており、革命が全国的勝利をおさめようとしている。全党はこの問題についてしんけんに検討し、正しい認識をもたなければならず、右翼的な妥協主義と「左」翼的な閉鎖主義またはおざなり主義という二つの偏向に反対して、完全に正しい態度をとらなければならない。


     十

 われわれはもうすぐ全国的勝利をおさめようとしている。この勝利は帝国主義の東方の戦線をつきやぶり、偉大な国際的意義をもつことになるであろう。この勝利をかちとるには、もうそれほど長い時間を必要としないし、それほど大きな力をついやす必要もない。だが、この勝利をうちかためるのは、長い時間をかけ、大きな力をついやさなければならないことがらである。ブルジョア階級はわれわれの建設能力にうたがいをもっている。帝国主義者は、われわれが結局はかれらにめぐみを乞わなければやっていけなくなるだろうと考えている。勝利をおさめると、党内にはおごりたかぶった気持ち、功労者を自任する気持ち、立ちとまって進歩をもとめようとしない気持ち、享楽をむさぼって二度と苦しい生活をしたがらない気持ちがうまれてくるであろう。勝利をおさめると、人民はわれわれに感謝し、ブルジョア階級もわれわれをもちあげるようになる。敵の武力がわれわれを征服できないこと、この点はすでに立証されている。だが、ブルジョア階級にもちあげられると、われわれの隊伍のなかの意志薄弱なものは征服されるかもしれない。銃をもった敵には征服されたことがなく、こうした敵のまえでは英雄の名に恥じなかったが、糖衣でくるんだ砲弾の攻撃にはたえきれず、梶衣弾のまえには敗北をなめる、というような共産党員がいるかもしれない。われわれはこうした事態を未然にふせがなければならない。全国的勝利をかちとること、これは万里の長征の第一歩をふみだしたにすぎない。たとえこの一歩が誇るべきものだとしても、それはむしろとるにたりないもので、もっと誇るべきものはこれからさきにある。何十年もたってから、中国の人民民主主義革命の勝利をふりかえってみれば、それはちょうど長い芝居の小さな序幕にすぎないような感じがするにちがいない。芝居は序幕からはじめなければならないが、序幕はまだやま場ではない。中国の革命は偉大であるが、革命後の道のりはもっと長く、その仕事はもっと偉大であり、もっと困難なものである。この点は、いまから党内にはっきりといっておかなければならない。そして、同志たちに謙虚で、慎重な、おごらず、あせらない作風をひきつづき保持させなければならないし、同志たちに刻苦奮闘の作風をひきつづき保持させなければならない。われわれには、批判と自己批判というマルクス・レーニン主義の武器がある。われわれはよくない作風をすてて、すぐれた作風を保持することができる。われわれは、以前知らなかったものを学びとることができる。われわれは古い世界を破壊することができるだけでなく、新しい世界を建設することもできる。中国人民は、帝国主義者にめぐみを乞わなくてもやっていけるだけでなく、帝国主義国よりももっとりっぱにやっていけるようになる。



〔注〕
〔1〕 一九四九年九月十九日、国民党綏遠省政府主席菫其武、兵団司令官孫蘭峯らは、四万余人をひきいて蜂起した。蜂起した部隊は、一九五〇年二月三十一日から人民解放軍綏遠軍区の指導のもとで再編成され、四月十日に人民解放軍に編成がえされた。
〔2〕 南京国民党反動政府と和平交渉をおこなうことについて、中国共産党中央は、一九四九年三月二十六日、つぎのことを決定した。「(一)交渉開始の期日――四月一日。(二)交渉の場所――北平。(三)周恩来、林伯渠、林彪、葉剣英、李維漢を代表に(四月一日、中国共産党中央は聶栄臻を代表に追加することを決定)、周恩来を首席代表に任命し、南京側の代表団と交渉をおこなわせる。毛沢東主席が一月十四日におこなった時局についての声明とそこにあげられた八項目の条件を双方の交渉の基礎とする。(四)交渉の順調な進行をはかるため、前記の各事項を、即日、放送局をつうじ南京国民党反動政府に通告して、上述の期日と場所をたがえず代表団を派遣させ、八項目の条件に必要な資料を携行させる。」
〔3〕 孫悟空が小さな虫に化け、鉄扇公王の腹のなかにもぐりこんで、鉄扇公王をうち負かした物語は、中国の伝奇小説『西遊記』の第五十九回にある。

maobadi 2011-06-30 18:00
党委員会の活動方法


          (一九四九年三月十三日)


 これは、毛沢東同志が党の第七期中央委員会第二回総会でのべた結論の一部である。


 一、党委員会の書記は、りっぱに「班長」の役がつとまらなければならない。党の委員会は十名ないし二十名で、軍隊の一つの班に似ており、書記は「班長」のようなものである。この班をうまくひきいていくのは、たしかに容易なことではない。いま各中央局、分局はすべて大きな地域を指導し、ひじょうに重い任務をになっている。指導をするには、方針、政策をきめるだけでなく、正しい活動方法もさめなければならない。正しい方針、政策があっても、活動方法をなおざりにすれば、やはり問題がおこる。党委員会がその指導の任務をはたすには、党委員会という「全班員」にたより、かれらの役割をじゅうぶんに発揮させなければならない。書記がうまく「班長」をつとめるには、よく学び、よく研究しなければならない。書記、副書記が、自分の「全班員」にたいして宣伝活動と組織活動をすることに心をくばらす、自分と委員との関係をうまく処理することができず、会議をどのようにして成果のあるものにするかを研究しないなら、この「全班員」をうまく指揮することはむずかしい。この「全班員」の足並みがそろわないようでは、いく百万いく千万の人びとをひきいて戦争や建設をするなど思いもよらないことである。もちろん、書記と委員とのあいだは、少数が多数にしたがうという関係であって、班長と兵士の関係とはちがう。ここでのべたのは、一つのたとえにすぎない。
 二、問題を会議の席にもちださなければならない。「班長」がそうしなければならないばかりでなく、委員もそうしなければならない。陰でとやかくいってはいけない。問題があれば会議をひらき、その席にもちだして討議し、いくつかのことをきめれは、それで問題は解決する。問題があっても会議の席にもちださなければ、長いあいだ解決されず、何年ももちこされることさえある。「班長」と委員はまた了解しあわなければならない。書記と委員、中央と各中央局、各中央局と区党委員会のあいだの了解、援助、友情はなによりも大切である。これは以前みんなが注意しなかった点であるが、第七回代表大会いらい、この面で大きな進歩がみられ、友愛、団結の関係がひじょうに強まった。今後とも、この点はたえず注意すべきである。
 三、「情報を知らせ合う」。つまり、党委員会の各委員は知っている状況を知らせ合い、交流し合わなければならない。これは、共通のことばをもつうえでひじょうに大切なことである。一部の人はそうしないで、老子のいうように「鶏大の声あい聞くゆれども、老いて死にいたるまであい往来せず」〔1〕、その結果、ぶたがいのあいだに共通のことばが欠けている。われわれの一部の高級幹部は、マルクス・レーニン主義の基本理論の問題においてさえ共通のことばをもたなかったが、それは学習がたりなかったためである。いま、党内のことばはわりあい一致しているが、問題はまだ完全には解決されていない。たとえば、土地改革においても、「中農」とはなにか、「富農」とはなにかについて、まだ異なった理解がある。
 四、わからないことや知らないことは、下級のものに聞くようにし、かるがるしく賛成または反対の態度をしめしてはならない。一部の文書は起草されてからも、しばらくのあいだおさえておいて出さないのは、そのなかに、まだはっきりしていない問題があり、まず、下級のものの意見をもとめる必要があるからである。われわれはけっして知らないのに知ったようなふりをしてはならず、「下問を恥じない」〔2〕ようにしなければならず、下級の幹部の意見によく耳をかたむけるようにしなければならない。まず生徒になり、そのあとで先生になる、まず下級の幹部に教えを請い、そのあとで指令を出すようにする。各中央局、各前線委員会は、問題を処理するにあたって、軍事情勢が急をつげているばあいや、事態がすでにはっきりしているばあいをのぞいては、すべてこのようにすべきである。こうしたからといって、自分の威信にひびくようなことはなく、むしろ威信が高まるだけである。われわれのおこなう決定に、下級の幹部の出した正しい意見がふくまれていれば、かれらは当然これを支持する。下級の幹部のいうことには正しいものもあれば、正しくないものもあるから、聞いたうえで分析をくわえなければならない。正しい意見にはかならず耳をかたむけ、またそのとおりにしなければならない。中央の指導が正しいのは、主として、各地からおくられてくる資料、報告、正しい意見を総合するからである。各地から資料がこす、意見が出されなければ、中央は正しい指令を出すことがむずかしくなる。下からくるまちがった意見にも耳をかたむけるべきで、頭から聞こうとしないのはまちがっている。ただ、聞いても、そのとおりにするのではなく、これに批判をくわえるべきである。
 五、「ピアノを弾く」ことを学びとる。ピアノを弾くには、十本の指をみな動かさなければならない。ある情は動かすが、ある情は動かさないというわけにはいかない。だが、十本の指でいちどにたたいても、旋律にはならない。よい音楽をかなでるには、十本の指が律動的に動き、たがいに調和をたもっていなければならない。党委員会は中心の活動をしっかりとつかまなければならないが、同時に、中心の活動をめぐって、他の方面の活動もくりひろげなければならない。いま、われわれの管轄している方面はひじょうに多く、各地、各軍、各部門の活動にすべて心をくばらなければならず、一部の問題だけに注意をむけて他をほうっておくようであってはならない。問題のあるところはすべておきえるべきであって、こういう方法をかならず学びとらなければならない。ピアノを弾くのにもじょうずな人とへたな人とがいて、両者のかなでる旋律には格段の差がある。党委員会の同志は、「ピアノを弾く」ことをよく学びとらなければならない。
 六、「しっかりとつかむ」必要がある。つまり、党委員会はおもな活動をかならず「つかむ」必要があるばかりでなく、かならず「しっかりとつかむ」必要がある。どんなものでも、しっかりとつかんで、すこしもゆるめないようにしなければ、つかんではいられない。つかんでも、しっかりとつかまなければ、つかまないにひとしい。手のひらをひろげていたのでは、もちろん、なにもつかめるものではない。たとえ手を握っても、しっかりと握りしめなければ、つかんだようには見えても、やはり物をつかめないのである。われわれの一部の同志は、主要な活動をつかむにはつかむが、しっかりとつかまないために、やはり活動かうまくやれないでいる。つかまなければだめだが、つかんでも、しっかりつかまなければ、やはりだめである。
 七、頭に「数字」をいれておく。つまり、状況または問題について、かならずその量の面に注意し、基本的な量の分析をしておかなければならない。どのような質も一定の量としてあらわれるもので、量がなければ質もない。われわれの多くの同志は、いまだに事物の量の面に注意することを知らす、基本的な統計、おもな百分比に注意することを知らす、事物の質を決定する量的限界に注意することを知らす、なにごとについても頭に「数宇」をいれていないため、どうしても誤りをおかすことになる。たとえば、土地改革をおこなうにも、地主、富農、中農、貧農がそれぞれ人口のどのくらいをしめているか、それぞれどのくらいの土地をもっているかという、そうした数字を知っていなければ、それをもとにして正しい政策をうちだすことはできない。富農とはなにか、富裕中農とはなにか、搾取による所得がどのくらいあれば富農で、そうでなければ富裕中豊かについても、やはり量的限界を見いださなければならない。どんな大衆運動のなかでも、大衆のなかで積極的に支持するものはどのくらいか、反対するものはどのくらいか、中間状態にあるものはどのくらいかということについて、基本的な調査と基本的な分析をしておかなければならない。根拠もなく、主観的に問題をきめてはならない。
 八、「安民告示」。会議をひらくには、あらかじめ通知しなければならない。それはちょうど民心安定の告示を出すのとおなじことで、どんな問題を討議するのか、どんな問題を解決するのかをみんなに知らせ、早めに準備をさせるのである。一部のところでは、幹部の会議をひらくのに、あらかじめ報告や決議案を準備しておかないで、参会者が集まってからその場でまにあわせをやっている。ちょうど「兵馬すでにいたるも、糧秣《りょうまつ》いまだととのわず」というようなもので、これではよくない。もし準備ができていなければ、会議をひらくのをいそいではならない。
 九、「精兵簡政」①。談話や演説をするにも、文章や決議又を書くにも、すべて簡潔で要をえたものにすべきである。会議もあまり長い時間をついやしてはならない。
 十、自分と意見のちがう同志と団結し、いっしょに仕事をしていくよう注意する。軍隊でも、軍隊以外のところでも、この点に注意すべきである。党外の人びとにたいしてもおなじである。われわれはみな全国の津々浦々から集まってきたのであるから、自分とおなじ意見の同志とよく団結するだけでなく、自分と意見のちがう同志ともよく団結していっしょに仕事がやれるようでなければならない。われわれのなかにはまた、かつて大きな誤りをおかしたものもいるが、こうした人びとをいやがらずに、いっしょに仕事をしていく心がまえがなければならない。
 十一、おごりたかぶることをいましめる。これは指導者にとって原則的な問題であり、また団結を保持する重要な条件でもある。大きな誤りをおかしたことがないはかりか、仕事の面で大きな成果をあげた人でも、おごりたかぶってはならない。党の指導者の誕生日を祝うことを禁止し、党の指導者の名まえを土地の名、街路の名、企業の名にすることを禁止し、刻苦奮闘の作風を保持し、功績をうたいあげるようなことをやめさせる。
 十二、二つの境界線をはっきりひく。まず第一には、革命か反革命か、延安《イェンアン》か西安《シーアン》か〔3〕、である。この境界線をはっきりひかなければならないことが一部の人にはわかっていない。たとえば、官僚主義に反対するとなると、延安を「なにひとつ取りえがない」かのようにいいたて、延安の官僚主義を西安の官僚主義と比較し区別することをしない。これでは根本的に誤っている。第二には、革命の隊伍のなかで、正しいことと誤っていること、成果と欠陥の境界線をはっきりひかなければならないし、さらに、そのうちどちらが主要なもので、どちらが第二義的なものであるかをはっきりさせなければならない。たとえば、成果はいったい三分なのか、それとも七分なのか。少なくいってもいけないし、多くいってもいけない。ひとりの人の仕事でも、いったい成果が三分で誤りが七分なのか、それとも成果が七分で誤りが三分なのか、根本的な評価がなければならない。もしも成果が七分なら、その人の仕事を基本的に肯定すべきである。成果が主であるのを誤りが主だというなら、それは完全なまちがいである。われわれは、問題をみるばあいに、二つの境界線、すなわち、革命と反革命の境界線、成果と欠陥の境界線をはっきりひくことをけっして忘れてはならない。この二つの境界線を頭に入れておけば、物事はうまくいくが、そうでなければ、問題の性質を混同することになる。もちろん、境界線をはっきりひくには、綿密な研究と分析をおこなわなければならない。われわれは、それぞれの人についても、それぞれのことがらについても、分析し研究する態度をとらなければならない。
 わたしも政治局の同志も、党委員会の活動をうまくやるには以上のような方法をとらなければならない、とおもっている。代表大会をりっぱにひらくことのほかに、党の各級委員会が自分の指導の仕事をりっぱにやっていくことはきわめて重要である。われわれはかならず活動方法に工夫をこらし、党委員会の指導の仕事をいちだんとたかめなければならない。



〔注〕
〔1〕 『老子』の第八十章にみられる。原文には、「隣国あい望み、鶏大の声あい聞こゆれとも、民は老いて死にいたるまであい往来せず」とある。
〔2〕 『論語』の「公治長第五」にみられる。原文には、「敏にして学をこのみ、下問を恥じず」とある。
〔3〕 延安は、一九三七年一月から一九四七年三月まで、中国共産党中央の所在地であった。西安は、国民党反動派の西北地方における支配の中心であった。毛沢東同志はこれを革命と反革命にたとえたのである。
〔訳注〕
① 「精兵簡政」とは軍隊の精鋭化、行政の簡素化のことで、ここでは比喩的につかわれている。

maobadi 2011-06-30 18:00
 南京政府はどこへいく


          (一九四九年四月四日)


 南京《ナンチン》国民党政府とその軍事・行政要員のまえには二つの道が横たわっている。一つは、蒋介石《チァンチェシー》ら戦犯集団とその主人アメリカ帝国主義の側にくっつくこと、つまり、ひきつづき人民に敵対し、人民解放戦争のなかで蒋介石ら戦犯集団といっしょに滅亡することである。もう一つは、人民の側につくこと、つまり、蒋介石ら戦犯集団およびアメリカ帝国主義とたもとをわかち、人民解放戦争のなかで手柄をたてて罪をつぐなうことによって、人民から寛大にあつかってもらい、許してもらうことである。第三の道はない。
 南京の李宗仁《リーツォンレン》・何応欽《ホーインチン》政府〔1〕には、三つの部類の人びとがいる。一つの部類の人びとは、どこまでも第一の道をすすんでいる。かれらはいくら口先でうまいことをいっても、行動のうえでは、ひきつづき戦争を準備し、ひきつづき国を売り、真の平和をもとめる人民をひきつづき抑圧し虐殺している。かれらは蒋介石の血盟の徒である。もう一つの部類の人びとは第二の道をあゆもうとおもっているが、まだ決定的な行動にでることができないでいる。第三の部類は、岐路をさまよっている、方向のはっきりしない人びとである。かれらは、蒋介石とアメリカ政府の機嫌もそこねたくはないし、また人民民主主義陣営からも了解してもらい、包容してもらおうとおもっている。だが、これは幻想であり、不可能なことである。
 南京の李宗仁・何応欽政府は、基本的には、第一の部類の人びとと第三の部類の人びととの混合物であり、第二の部類の人びとはきわめて数がすくない。この政府は、こんにちまでのところ、依然として蒋介石とアメリカ政府の道具である。
 四月一日に南京でおこった虐殺事件〔2〕は、なにも偶発的なできごとではない。これは、李宗仁・何応欽政府が蒋介石をかばい、蒋介石の血盟の徒をかばい、アメリカの侵略勢力をかばってきた必然の結果である。これは李宗仁・何応欽政府が、蒋介石の血盟の徒といっしょに、でたらめにも「対等の、栄えある和平」なるものを鼓吹することによって、中国共産党の八項目の和平条件、とりわけ戦争犯罪人の処罰に抵抗してきた結果である。李宗仁・何応欽政府がすでに和平交渉の代表団を北平に派遣して中国共産党と和平交渉をおこなわせ、しかも中国共産党の八項目の条件を交渉の基礎としてうけいれる意向を表明している以上、もし、この政府に最低限度の誠意があるならば、南京虐殺事件の処理を手はじめに、元凶の蒋介石、湯恩伯《タンエンポー》、張耀明《チャンヤオミン》を逮捕して厳重に処罰し、南京、上海《シャンハイ》の特務・暴徒を逮捕して厳重に処罰し、また、どこまでも和平に反対し積極的に和平交渉をぶちこわし長江《チャンチァン》以南への人民解放軍の進撃に抵抗しようと積極的に準備している反革命のおもだったものどもを逮捕して厳重に処罰すべきである。慶父死せざれは、魯《ろ》の難はやまず〔3〕、戦犯をのぞかざれば、同に寧日なし、である。この真理がいまになってもまだわからないのだろうか。
 われわれは南京政府にはっきり告げたい。諸君にもしこの問題を処理する能力がないなら、まもなく長江を渡って南進する人民解放軍がそれを処理するのを手伝うべきである。いまとなっては、空言はいっさい無用で、それよりも、手柄をたてて自分の罪をつぐなうために実質的な仕事をしたほうがよい。そうすれば、逃げださなくてすみ、もう蒋介石の血盟の徒からいじめられなくてすみ、人民から永久に唾棄《だき》されるようなことがなくてすむ。これが最後の機会であって、この機会を逃がしてはならない。人民解放軍はもうすぐ長江以南へ進軍する。これは、空言によって諸君をおどかしているのではない。諸君が八項目の条件をうけいれる協定を結ぼうが、結ぶまいが、人民解放軍はかならず前進する。協定を結んでから前進すれば各方面に有利である――人民にとって有利であり、人民解放軍にとって有利であり、国民党政府関係の、手柄をたてて罪をつぐないたいと考えているすべての人びとにとって有利であり、国民党軍の広範な将兵にとって有利である。ただ蒋介石にとって、蒋介石の血盟の徒にとって、帝国主義者にとって不利なだけである。この協定が結ばれなくても、事態にはやはりたいしてちがいはなく、局地的な交渉の方法で解決することができる。これからもまだいくらか戦闘はあろうが、そんなにたくさんの戦闘はもうあるまい。新疆《シンチァン》から台湾《タイワン》にいたる広い地域と長い戦線に、国民党の戦闘部隊は百十万前後しかおらず、もうそんなにたくさんのいくさはない。全面的な協定を結ぶにせよ、そうした協定は結ばないで多くの局地的な協定を結ぶにせよ、蒋介石にとって、蒋介石の血盟の徒にとって、アメリカ帝国主義にとって、一言でいえば、死ぬまで本性の変わらないいっさいの反動派にとっては、事態はどのみちおなじで、かれらは滅亡するにきまっている。全面的な協定を結ぶことは、南京側にとっても、わが方にとっても、それを結ばないよりはいくぶん有利であるかもしれない。だから、われわれはやはりこの協定を結ぼうと努力している。しかし、この全面的な協定を結ぶとなると、われわれは、いろいろつきまとってくる厄介なことに対処する心がまえをしておかなければならない。この協定を結ばないで多くの局地的な協定を結んだほうが、われわれにとってずっとすっきりする。それにもかかわらず、われわれはやはりこの協定を結ぶつもりでいる。南京政府とその代表団も、そうすることを望むなら、この数日中に決心をし、いっさいの幻想といっさいの空言をすてるべきである。われわれは諸君にそう決心するよう強制しはしない。南京政府とその代表団がそう決心するかどうかは、諸君自身の自由である。つまり、諸君が蒋介石やスチュアートのいうことをきいて、しかも永久にかれらの側に立つか、それともわれわれのいうことをきいてわれわれの側に立つか、この二つのうちのどちらを選ぶかは諸君自身の自由である。しかし、選択しているひまはそんなにはない。人民解放軍はすぐにも進軍しようとしており、ぐずぐずしている余地はすこしもない。



〔注〕
〔1〕 孫科か辞職したのち、李宗仁は一九四九年三月十二日に何応欽を後任のにせ行政院長に任命した。
〔2〕 一九四九年四月一日、南京の専門学校以上の十一校の学生六千余人がデモ行進をおこない、中国共産党の八項目の和平条件をうけいれるよう国民党皮勤政府に要求した。国民党の南京衛戍総司令張耀明は、蒋介石の指示で、軍隊、警察、特務をさしずしてデモの学生に残虐な暴行をくわえ、学生に死者二名、負傷者百余名をださせた。
〔3〕 『左伝』にみられる。慶父は春秋時代の魯の国の公子で、たびたび魯の国の内乱をひきおこし、国王を二人殺害した。当時、世間で「慶父をのぞかざれば、魯の難はやまず」といわれ、後代の人は、内乱をおこすものをよく慶父にたとえた。

maobadi 2011-06-30 18:01
全国への進軍命令


          (一九四九年四月二十一日)


 この命令は、毛沢東同志が起草したものである。国民党反動政府が国内和平協定の調印を拒否したのち、人民解放軍は毛沢東主席と朱徳総司令のこの命令にしたがい、まだ解放されていない広大な地域にむかって、空前の規模をもつ全面的な大進軍をおこなった。劉伯承、鄧小平らの同志のひきいる第二野戦軍と陳毅、粟裕、譚震林らの同志のひきいる第三野戦軍は、一九四九年四月二十一日の朝、西は九江東北の糊口から東は江陰にいたる長さ五百余キロの戦線で長江を強行渡河し、敵か三ヵ月半にわたり営々としてつくりあげた長江の防御線を徹底的に粉砕した。四月二十三日には、国民党の二十二年にわたる反革命の支配の中心であった南京を解放し、国民党反動支配が覆滅をつげた。つづいて、さらに数路にわかれ、南にむかって挺進し、五月三日には杭州、五月二十二日には南昌を解放し、五月二十七日には中国最大の都市である上海を攻略した。六月には福建省への進軍をはじめた。八月十七日には福州を、十月十七日には廈門を解放した。林彪、羅栄桓らの同志のひきいる第四野戦軍は、五月十四日、武漢以東の団風から武穴にいたる百余キロの区間で長江を強行渡河した。五月十六、十七の両日には華中の要衝武昌、漢陽、漢□を解放し、つづいてさらに湖南省に南下した。国民党の湖南省主席程潜、第一兵団司令陳明仁は八月四日に蜂起を宣言し、湖南省は平和的に解放された。第四野戦軍は九月、十月に衡(陽)宝(慶)戦役をおこなって、国民党の白崇禧軍の主力を殲滅したのち、さらに広東、広西両省に進軍した。十月十四日には広州を、十一月三十二日には桂林を、十二月四日には南寧を解放した。第二、第三野戦軍の長江渡河作戦と時をおなじくして、聶栄臻、徐向前らの同志のひきいる華北の各兵団は四月二十四日に太原を攻略した。彭徳懐、賀竜らの同志のひきいる第一野戦軍は、五月二十日に西安を解放したのち、華北の二コ兵団とともにひきつづき西北地方の国民党支配区にむかって進軍し、八月二十六日には蘭州を攻略し、九月五日には西寧を、九月二十三日には銀川を解放して、国民党の馬歩芳、馬鴻逵の軍隊を全部殲滅した。九月下旬には、国民党の新疆省警備総司令陶峙岳、省主席ブルハンが蜂起を宣言し、新疆省は平和的に解放された。劉伯承、鄧小平らの同志のひきいる第二野戦軍は、賀竜、李井泉らの同志のひきいる華北野戦軍第十八兵団および第一野戦軍の一部とともに、十一月のはじめに西南地方にむかって進軍をはじめた。十一月十五日には貴陽を、十一月三十日には重慶を解放した。十二月九日には、国民党の雲南省主席盧漢、西康省主席劉文輝、西南軍政長官公署副長官鄧錫侯、瀋文華らが蜂起を宣言し、雲南、西康の両省が平和的に解放された。十二月下旬、西南地方にはいった人民解放軍は、成都戦役をおこなって、国民党の胡宗南軍を全部殲滅し、二十七日には成都を解放した。一九四九年十二月末になって、人民解放軍は中国大陸における国民党の軍隊を全部殲滅し、チベットをのぞく全中国大陸を解放した。


 各野戦軍の指揮員、戦闘員の全同志諸君、南方各遊撃区の人民解放軍の同志諸君
 中国共産党の代表団と南京《ナンチン》国民党政府の代表団が長いあいだの交渉をへて作成した国内和平協定は、すでに南京国民党政府によって拒否された〔1〕。南京国民党政府の責任者がこの国内和平協定を拒否したのは、かれらがいまなおアメリカ帝国主義と国民党匪賊《ひぞく》の頭目蒋介石《チァンチェシー》の命令にしたがって、中国の人民解放事業の前進をはばみ、平和的な方法による国内問題の解決をはばもうとたくらんでいるからである。双方の代表団の交渉をつうじて作成された国内和平協定八ヵ条二十四款は、戦犯問題についての寛大な処理、国民党軍隊の将兵と国民党政府の勤務人員にたいする寛大な処理をあきらかにしており、その他の諸問題についても、例外なく、民族の利益と人民の利益の見地から適切な解決をあたえている。この協定を拒否したことは、国民党反動派が、かれらのおこした反革命戦争をどこまでもやりぬく決意でいることをしめしている。この協定を拒否したことは、ことし一月一日の国民党反動派の和平交渉提案は、反動派が息つぎの時間をかせいで勢いをもりかえし革命勢力をおしつぶすために、人民解放軍の前進をはばもうとするたくらみから出たものにすぎなかったことをしめしている。この協定を拒否したことは、南京の李宗仁《リーツォンレン》政府が中国共産党の八項目の和平条件を交渉の基礎として認めるといったのはまったくの偽りであったことをしめしている。なぜなら、戦争犯罪人の処罰、民主主義の原則にもとづくすべての国民党反動軍隊の改編、南京政府とこれに所属する各級政府のいっさいの権力の接収およびその他の基礎条件を認めたからには、これらの基礎条件にもとづいて作成された、しかもきわめて寛大な具体的措置を拒否する理由はないからである。こうした状況のもとで、われわれは諸君に命令する。
 (一)勇躍前進し、中国領土内の、あえて抵抗するいっさいの国民党反動派を断固として、徹底的に、きれいに、のこらす殲滅して、全国人民を解放し、中国の領土の保全と、主権の独立をまもれ。
 (二)勇躍前進し、あくまで悪事を悔いあらためないいっさいの戦争犯罪人を逮捕せよ。どこへ逃がれようとも、かれらをことごとく逮捕し、法によって処罰すべきである。とくに、匪賊の頭目蒋介石を逮捕するように注意せよ。
 (三)国民党のあらゆる地方政府、地方軍事集団に国内和平協定の最終修正案を発表せよ。戦争の停止と平和的方法による問題の解決を望むものにたいしてはすべて、諸君はこの最終修正案の主旨にのっとり、かれらと局地的協定を結んでよい。
 (四)人民解放軍が南京を包囲したのち、もし南京の李宗仁政府がまだ逃亡四散しておらず、しかも国内和平協定に調印することを望むならば、われわれは、いま一度、同政府に調印の機会をあたえる用意がある。

          中国人民革命軍事委員会主席  毛沢東

          中国人民解放軍総司令     朱徳



〔注〕
〔1〕 一九四九年四月一日、張治中をかしらとする国民党政府和平交渉代表団が北平にきて、中国共産党代表団と交渉をはじめた。半ヵ月の交渉をへて、国内和平協定が作成された。四月十五日に、中国共産党代表団は国内和平協定(最終修正案)を南京政府代表団に手渡したが、四月二十日、南京政府によって拒否された。国内和平協定(最終修正案)の全文はつぎのとおりである。
 中華民国三十五年、南京国民政府はアメリカ政府の援助のもとに、人民の意志にそむき、休戦協定と政治協商会議の決議をふみにじって、中国共産党に反対するという名目で中国人民と中国人民解放軍にたいする全国的規模の国内戦争をおこした。この戦争はこんにちまで、すでに二年九ヵ月半の久しきにおよんでいる。全国人民はこれがため、きわめて大きな災厄をこうむった。国の財力物力はきわめて大きな損失をこうむり、国家主権もまた新たな損害をうけた。全国人民は、南京国民政府が孫中山先生の革命的三民主義の立場にそむき、孫中山先生の連ソ、連共、農労援助などの正しい政策にそむき、また孫中山先生の臨終の革命的遺言にそむいたことにたいし、一貫して不満を表明している。全国人民は、南京国民政府がこんどの空前の規模をもった国内戦争をおこしたこと、ならびに、これがためにとった政治、軍事、財政、経済、文化、外交などの面でのあやまった政策および措置にたいして、とりわけ反対を表明している。南京国民政府はもはや、全国人民のあいだでまったく信頼をうしなっている。しかも、南京国民政府の軍隊は、こんどの国内戦争で、中国共産党が指導し、中国人民革命軍事委員会が指揮する人民解放軍によってすでにうちやぶられた。以上の状況にもとづき、南京国民政府は、中華民国三十八年一月一日、中国共産党にたいして、国内戦争の停止と平和状態の回復についての交渉をおこなうよう提案した。中国共産党は同年一月十四日、声明を発表して、南京国民政府のこの提案に同意するとともに、戦争犯罪人の処罰、にせ燈法の廃止、偽りの法的正統性の廃絶、民主主義の原則にもとづくすべての反動軍隊の改編、官僚資本の没収、土地改革の実施、売国条約の廃棄、反動分子の参加しない新政治協商会議の招集による民主連合政府の樹立ならびに南京国民党反動政府とこれに所属する各級政府のいっさいの権力の接収など八項目の条件を、双方が和平交渉をおこなう基礎とするよう提案したが、この八項目の基礎条件は、南京国民政府の同意するところとなった。よって、中国共産党側と南京国民政府側はそれぞれ、交渉をすすめ協定に調印する全権をもった代表団を派遣した。双方の代表は北平で会合し、南京国民政府がこんどの困内戦争およびその各種のあやまった政策について全音任を負うべきことをまず確認するとともに、本協定の締結に合意した。
   第一条
 第一款 是非をはっきりさせ、責任をあきらかにするため、中国共産党代表団と南京国民政府代表団の双方(以下双方と略称する)は、こんどの国内戦争をおこし、これを遂行したことに責任を負うべき南京国民政府側の戦争犯罪人にたいしては、原則として、かならずこれを処罰すべきことを確認する。ただし、下記の状況におうじ区別して処理することができる。
 第一項 すべての戦犯は、なんびとたるを問わず、是非をわきまえて、翻然と悔いあらため、そして、それが真心から出たものであり、たしかに実際の行動かみられ、それによって中国の人民解放事業の前進に役立ち、平和的方法による国内問題の解決に役立ったものは、戦犯の罪名をとり消し、寛大にとりあつかう。
 第二項 すべての戦犯は、なんびとたるを問わず、あくまで悪事を悔いあらためず、人民解放事業の前進をはばみ、平和的方法による国内問題の解決をさまたげ、あるいは反乱さえも策動するものは、厳重にこれを処罰する。部隊をひきいて反乱をおこすものは、中国人民革命軍事委員会がこれを鎮定する。
 第二款 双方は、南京国民政府が中華民国三十八年一月二十六日に日本の中国侵略戦争の戦争犯罪人岡村寧次大将の無罪釈放を宣告したこと、また同年一月三十一日にその他の日本人戦犯二百六十名の日本送還を許したことなどの処置はまちかいであることを確認する。これら日本人戦犯は、中国の民主連合政府、すなわち全中国人民を代表する新しい中央政府の成立をまって、あらためて処理する。
   第二条
 第三款 双方は、南京国民党政府か中華民国三十五年十一月にひらいた「国民代表大会」で採択された「中華民国憲法」は廃止さるべきことを確認する。
 第四款 「中華民国憲法」の廃止ののち、中国の国家と人民がまもるべき基本法については、新政治協商会議と民主連合政府の決議によってこれを処理する。
   第三条
 第五款 双方は、南京国民政府のいっさいの法的正統性を廃絶させるべきことを確認する。
 第六款 人民解放軍がはいり接収した地区においては、民主連合政府が成立したのち、ただちに人民の民主的な法的正統性を確立するとともに、いっさいの反動的法令を廃止する。
   第四条
 第七款 双方は、南京国民政府に所属するいっさいの武装力(いっさいの陸軍、海軍、空軍、憲兵部隊、交通警察部隊、地方部隊、いっさいの軍事機関、学校、工場、後方勤務機関など)が民主主義の原則にもとづいて人民解放軍に改編さるべきことを確認する。国内和平協定の調印後には、ただちに全国的な再編成委員会が設けられ、その改編の任にあたる。再編成委員会委員は七人ないし九人とし、人民革命車掌委員会から四人ないし五人を派遣し、南京国民政府から三人ないし四人を派遣し、人民革命軍事委員会の派遣する委員の一人を主任とし、南京国民政府の派遣する委員の一人を副主任とする。人民解放軍がはいり接収した地区では、必要におうじて地域的な再編成委員会分会を設けることができる。この分会の双方の人数の割合と主任、副主任の分担は全国的な再編成委員会のばあいとおなじとする。海軍および空軍の改編には、それぞれに再編成委員会を設ける。人民解放軍が南京国民政府のいまの所轄地域にはいり接収するいっさいの事項は、中国人民革命軍事委員会が命令をもってこれを規定する。人民解放軍がはいるさいには、南京国民政府に所属する武装部隊は抵抗してはならない。
 第八款 双方は、どの区域における改編計画も、これを二つの段階にわけて実施することに同意する。
 第一項 第一段階は集結と整理の段階とする。
 第一目――南京国民政府に所属するいっさいの武装部隊(陸軍、海軍、空軍、憲兵、交通警察総隊、地方部隊など)はすべて集結させ整理をおこなう。整理の原則としては、再編成委員会が、各地城の実状にもとづき、人民解放軍がはいり接収した地区の武装部隊にたいして、もとの部隊名、編制、人数におうじ地区別に何回かにわけて指定の地点に移動するよう命じ、集結させて整理をおこなうものとする。
 第二目――南京国民政府に所属するいっさいの武装部隊は、人民解放軍がはいり接収するまでのあいだ、その駐屯する大小の都市、主要交通線、河川・海港、農村において、いかなる破壊事件も発生しないよつに責任をもって現地の秩序維持にあたるべきものとする。
 第三目――上述の地域で、人民解放軍がはいり接収するさいには、南京国民政府に所属する武装部隊は再編成委員会とその分会の命令にもとづいて平和的にひき渡しをおこなったうえ、指定された地点に移動するものとする。指定地点へ移動するための行進中にも到達後にも、南京国民政府に所属する武装部隊は厳格に規律をまもるべきものとし、地方の秩序を破壊してはならない。
 第四目――南京国民政府に所属する武装部隊が再編成委員会とその分会の命令にしたがって駐屯地をはなれるばあい、もとからその土地に駐屯し守備していた地方警察または保安部隊は撤退してはならず、かつ責任をもって地方の治安を維持し、人民解放軍の指揮、命令をうけるものとする。
 第五目――南京国民政府に所属するいっさいの武装部隊が移動し集結する期間、その糧秣、被服、その他の軍需品の補給は、すべて再編成委員会とその分会および地方政府が責任をもって解決にあたる。
 第六目――南京国民政府に所属するいっさいの軍事機関(国防部から連合後方勤務総司令部所属の機関、学校、工場、倉庫等にいたるまで)、いっさいの軍事施設(軍港、要塞、空軍基地など)およびいっさいの軍用物資については、各地城の実状にもとづき、地区別に何回かにわけて人民解放軍と各地にあるその軍事管制委員会にひき渡すよう、再編成委員会とその分会が命令するものとする。
 第二項 第二段階は地区別に改編をおこなう段階とする。
 第一目――南京国民政府に所属する陸軍部隊(歩兵部隊、騎兵部隊、特種兵部隊、憲兵部隊、交通警察部隊、地方部隊)で、地区別に何回かにわけて指定の地点に移動し、集結と整理を終えたものについては、再編成委員会が各地城の実状にもとづいて、地区別の改編計画を作成し、期日をさだめてこれを実施するものとする。改編の原則としては、人民解放軍の民主主義制度と正規の編制にもとづき、集結と整理を終えたこれらの全陸軍部隊を人民解放軍の正規部隊に編成するものとする。その兵士のうちの老齢者、病弱者、不具者、廃疾者で、検査の結果、事実であることが証明され、たしかに除隊させる必要かあり、みずからも除隊を望むもの、および将校のうちみずかち退役または転業を望むものについては、すべて再編成委員会とその分会が、責任をもって処理にあたり、これに帰郷の便と、生活の道をあたえるものとし、それぞれにその所をえさせ、生活の手だてがないために好ましくない行為をおこなうことのないようにさせる。
 第二目――南京国民政府に所属する海軍と空軍で、地区別に何回かにわけて指定の地点に移動し、集結と整理を終えたものは、もとの部隊名、編制、人数におうじて、海軍空軍再編成委員会が人民解放軍の民主主義制度にしたがってこれを改編する。
 第三目――南京国民政府に所属するいっさいの武装部隊は、人民解放軍に改編されたのちには、人民解放軍の三大規律・八項注意を厳守し、人民解放軍の軍事・政治制度を忠実に実行すべきものとし、これに違反してはならない。
 第四目――改編後、退役将兵はその地の人民政府を尊重し、人民政府の法令を守るものとする。地方人民政府とその地の人民は退役将兵に配慮をくわえ、これを差別扱いしてはならない。
 第九款 南京国民政府に所属するいっさいの武装力は、国内和平協定調印ののちには、兵員を徴募してはならない。そのいっさいの兵器、弾薬およびすべての装備、すべての軍事機関・施設およびすべての軍用物資については、責任をもってその保護にあたり、いかなる破壊、隠匿、移動または売却などの行為もあってはならない。
 第十款 国内和平協定調印ののち、南京国民政府に所属するいずれかの武装力が、改編計画にさからってその執行を拒むばあいには、改編計画の徹底的な実施を保証するため、南京国民政府が人民解放軍に協力して強制的にこれを執行するものとする。
   第五条
 第十一款 双方は、南京国民政府の支配期間中に政治的特権や権門の力にたよって入手または略奪した官僚資本の企業(銀行、工場、鉱山、船舶、会社、商店などをふくむ)および財産は、これを没収して国家の所有に移すことに同意する。
 第十二款 人民解放軍がまだはいらず接収していない地区では、南京国民政府が責任をもって第十一款にのべられている官僚資本の企業および財産の監督にあたるものとし、これについて逃避・隠匿、破壊、名義の書きかえ、秘密売却をおこなうことは許されない。すでに移動したものについては、現地での凍結を命ずるものとし、ひきつづき他に移動したり、国外に逃避させたり、破壊したりすることは許されない。官僚資本の企業および財産で国外にあるものについては、これを国有とすることを宣言する。
 第十三款 人民解放軍がすでにはいり接収した地区では、第十一款にのべた官僚資本の企業および財産は、その地の軍事管制委員会または民主連合政府の委任した機関が没収にあたるものとする。そのうち、私人の持ち株があればこれを調べ、たしかに私人の持ち株であり官僚資本かびそかに移動したものでないことが立証されたばあいには、これを認めるとともに、その株の保有または払いもどしの自由をもつことを許す。
 第十四款 官僚資本の企業で、南京国民政府の支配期間以前からのもの、また南京国民政府の支配期間からのものでも、大きくなく、しかも国家の経済と人民の生活に害のないものについては、すべてこれを没収しない。ただし、そのうちの一部の者、たとえば重大な罪をおかした極悪の反動分子で、犯罪行為によって人民から告発され、審査の結果、その事実が判明した者は、やはりその企業と財産を没収する。
 第十五款 人民解放軍がまだはいらず接収していない都市では、南京国民政府に所属する省、市、県の政府が責任をもってその地の人民の民主勢力とその活動の保護にあたり、これを抑圧または破壊してはならない。
   第六条
 第十六款 双方は、全中国の農村における封建的土地所有制度については、段どりをおって改革をおこなうべきことを確認する。人民解放軍がはいったのちは、一般に、まず小作料と利子の引き下げをおこない、のちに土地の分配をおこなう。
 第十七款 人民解放軍がまだはいらず接収していない地区では、南京国民政府に所属する地方政府が責任をもって農民大衆の組織とその活動の保護にあたり、これを抑圧または破壊してはならない。
   第七条
 第十八款 双方は、南京国民政府の支配期間中に結ばれたいっさいの外交条約、協定およびその他公開または秘密の外交文書と保存書類はすべて南京国民政府がこれを民主連合政府にひき渡し、民主連合政府がこれを審査すべきことに同意する。そのうち、およそ中国の人民と国家にとって不利なもの、とりわけ国家の権利を売りわたす性質のものについては、それぞれの状況におうじてこれを廃棄、改定、または再締結する。
   第八条
 第十九款 双方は、国内和平協定が調印されてから民主連合政府が成立するまでは、南京国民政府とその院、部、会などの機関がしばらく職権を行使すべきこと、ただし、中国人民革命軍事委員会と協議して処理にあたるとともに、人民解放軍の各地における接収とびき渡し事項の処理に協力すべきことに同意する。民主連合政府が成立したのち、南京国民政府はただちに民主述合政府にひき渡しをおこない、自己の終末を宣言する。
 第二十款 南京国民政府ならびにその各級地方政府およびこれに所属するいっさいの機関がひき渡しをおこなうばあい、その勤務人員のうちのすべての愛国的な人びとと有為の人材については、人民解放軍、各地の人民政府、中国民主連合政府がこれをうけいれ、民主的教育をほどこし、かれらを路頭にまよわせないように適切な職をあたえることに留意しなければならない。
 第二十一款 南京国民政府とこれに所属する各省、市、県の地方政府は、人民解放軍かはいり接収するまで、責任をもってその地の治安の維持にあたり、すべての政府機関、国有企業(銀行、工場、鉱山、鉄道、郵便・電信・電話、航空、船舶、会社、倉庫、すべての交通施設などをふくむ)、国家に所属する各種の動産、不動産の保管と保護にあたるものとし、いかなる破壊、毀損、移動、隠匿または売却も許されない。すでに移動または隠匿された図書・保存書類、古物・珍宝、金銀・外貨およびすべての財産・資産は、いずれもただちにこれを凍結し、接収を待つものとする。すでに国外に持ちだしたり、あるいはもとから国外にあるものについては、南京国民政府が責任をもってその回収または保管にあたり、それをひき渡せるようにしておく。
 第二十二款 人民解放軍がすでにはいり接収した地区では、その地の軍事管制委員会と地方人民政府または連合政府の委任した機関が、地方のいっさいの権力と国家財産・財貨の接収をおこなう。
 第二十三款 南京国民政府代表団が国内和平協定に調印し、かつ南京国民政府がこれを実施したのち、中国共産党代表団は新政治協商会議の準備委員会にたいして、南京国民政府が愛国的な人びと若干名を新政治協商会議に出席する代表として派遣しうるよう、また新政治協商会議の準備委員会の承認をえたうえで南京国民政府の代表が新政治協商会議に出席しうるよう、責任をもって提案する用意がある。
 第二十四款 南京国民政府の派遣する代表が新政治協商会議に出席したのち、中国共産党側は新政治協商会議にたいして、協力を有利にするために南京国民政府側の若干の愛国的な人びとを民主連合政府に参加させるよう責任をもって提案する用意がある。
 双方の代表団は声明する。中国人民の解放と中華民族の独立自由のため、またすみやかに戦争を終結させ、平和を回復して、全国的な範囲で生産と建設の偉大な事業に着手し、国家と人民を着実に富強と幸福の境涯にすすませるため、われわれは、ここに責任をもって本協定に調印するものであり、全国人民が一致団結して、本協定の完全な実現のために奮闘するよう希望するものである。本協定は、調印後ただちに効力を生ずる。

maobadi 2011-06-30 18:01
中国人民解放軍布告


          (一九四九年四月二十五日)


 国民党反動派はすでに和平条件をうけいれることを拒否し、反民族的、反人民的な犯罪的な戦争の立場を固執している。全国人民は、人民解放軍がすみやかに国民党反動派を消滅することを望んでいる。われわれはすでに人民解放軍にたいして、勇躍前進し、あえて抵抗するいっさいの国民党反動軍隊を消滅し、あくまで悪事を悔いあらためないいっさいの戦争犯罪人を逮捕し、全国人民を解放し、中国の領土の保全と主権の独立をまもり、全国人民の渇望する真の統一を実現するよう命令した。人民解放軍のいくところ、どこでも、各界の人民がこれに協力されるよう切望する。ここに、八ヵ条の公約を発表し、わが全人民とともにこれを守ることを約束するものである。
 (一)全人民の生命財産を保護する。各界の人民は、階級、信仰、職業のいかんにかかわりなく、すべて秩序をたもち、人民解放軍に協力する態度をとるよう希望する。人民解放軍は、各界人民と協力する態度をとる。機に乗じて攪乱《かくらん》、略奪または破壊をおこなう反革命分子またはその他の破壊分子は、かならず厳重に処罰する。
 (二)民族資本の工業、商業、農業、牧畜業を保護する。私営の工場、商店、銀行、倉庫、船舶、埠頭、農場、牧場などはすべて、侵害されないよう、一律にこれを保護する。各業種の従業員が従来どおり生産に従事し、各種の商店が従来どおり営業することを望む。
 (三)官僚資本を没収する。国民党反動政府と大宮隙分子の経営する工場、商店、銀行、倉庫、船舶、埠頭、鉄道、郵便、電信、電力、電話、上水道、農場、牧場などはすべて、人民政府がこれを接収する。そのなかに、もし工業、商業、農業、牧畜業を経営する民族資本家の持ち株がはいっていて、調査の結果それが確かめられれば、その株の所有権は認められる。官僚資本の企業に勤務するものはすべて、人民政府が接収するまで、もとどおり勤務をつづけ、責任をもって資産、機械、図表、帳簿、保存書類などの保護にあたり、点検と接収を持たなければならない。それらを保護するうえで功績のあったものは表彰し、それを怠り、破壊したものは処罰する。ひきつづき勤務することを望むものはすべて、人民政府が接収したのち、路頭にまよわないように、能力におうじた仕事につかせる。
 (四)すべての公立私立の学校、病院、文化・教育機関、体育施設、その他いっさいの公益事業を保護する。これらの機関に勤務するものはすべて、従来どおり勤務するよう望む。人民解放軍はこれらのものが侵害されないよう、一律にこれを保護する。
 (五)あくまで悪事を悔いあらためない戦争犯罪人と重大な罪をおかした極悪の反革命分子をのぞき、国民党の中央、省、市、県の各級政府の大小の官吏、「国民大会」の代表、立法委員、監察委員、参議員、警察要員、区・鎮・郷・保・甲の要員は、武器をもって抵抗したり破壊の陰謀をたくらんだりしないかぎり、人民解放軍と人民政府はこれを捕虜にしたり逮捕したり侮辱したりしない。上記の人びとはそれぞれ安んじて職務にたずさわり、人民解放軍と人民政府の命令にしたがい、責任をもって各機関の資産、保存書類などの保護にあたり、接収・処理を待つようにしなければならない。これらの人びとのうち、なにかの技能があり、重大な反動行為や重大な悪質行為のないものは、人民政府が個々にこれを採用する。機に乗じて破壊、窃盗、不正をはたらいたり、公金、公物、保存書類をもって逃亡するかひき渡しを拒んだりするものは、これを処罰する。
 (六)都市と農村の治安を確保し、社会の秩序を安定させる目的のために、浮浪兵はすべてその土地の人民解放軍または人民政府に出頭して投降すべきである。みずから出頭して投降し、しかも所有する武器を差しだしたものは、すべてこれを追究しない。出頭しないもの、武器を隠匿したものは、これを逮捕し、取り調べる。これらの者をかくまって届け出ないものは、しかるべき処分をうける。
 (七)農村における封建的土地折有制度は不合理であり、廃止すべきである。ただし、その制度の廃止は、準備をととのえ、段どりをおっておくなわなければならない。一般的にいって、まず小作料と利子の引き下げをおこない、そのあとで土地の分配をおこなうべきであり、本腰をいれた土地問題の解決は、人民解放軍がはいり、かなり長いあいだ活動したのちでなければ日程にのぼすことはできない。農民大衆は組織化され、人民解放軍に協力して各種の初歩的な改革の仕事をすすめなければならない。それと同時に、耕作にはげんで、農業生産のいまの水準を低下させないようにし、その後、しだいにこれを高めていって、農民の生活を改善し、都市の人民に商品食糧を供給するようにする。都市の土地と家屋は、農村の土地問題と同様に処理してはならない。
 (八)外国人居留民の生命財産の安全を保護する。すべての外国人居留民は、安心して生業にはげみ、秩序をたもつよう希望する。すべての外国人居留民は、諜報活動をおこなったり、中国の民族独立の事業と人民解放の事業に反対する行為にでたり、中国の戦争犯罪人、反革命分子およびその他の犯罪人をかばったりしてはならず、人民解放軍と人民政府の法令を守るべきである。さもなければ、人民解放軍と人民政府から法的制裁をうける。
 人民解放軍は、規律は厳正、売り買いは公正であり、民間のものは針一本、糸一すじもみだりに取ることは許されない。わが全人民はすべて安心して生活し、生業にはげむよう、また、けっして、かるがるしく流言を信じてさわぎたてることのないよう希望する。以上、布告する。


          中国人民革命軍事委員会主席  毛沢東

          中国人民解放軍総司令     朱徳

maobadi 2011-06-30 18:02
中国人民解放軍総司令部スポークスマンがイギリス軍艦の暴虐行為〔1〕について発表した声明


          (一九四九年四月三十日)


 これは、毛沢東同志が中国人民解放軍総司令部スポークスマンのために起草した声明である。この声明では、どのような威嚇をもおそれず、帝国主義の侵略に断固として反対する中国人民の厳正な立場が表明され、また、まもなく成立する新中国の対外政策があきらかにされた。


 われわれは戦争屋チャーチルの狂気じみた声明〔2〕を糾弾する。四月二十六日、チャーチルはイギリスの下院で、航空母艦二隻を極東に派遣して「武力による報復をおこなう」ようイギリス政府に要求した。チャーチル先生、貴下はなにに「報復」されるのか。イギリスの軍艦は国民党の軍艦といっしょに中国人民解放軍の防備地区に押し入り、しかも、人民解放軍にむかって発砲し、人民解放軍の忠勇な兵士を二百五十二人も殺傷した。イギリス人が中国領内に踏みこんできて、このように大きな犯罪行為をおかした以上、中国人民解放軍は、イギリス政府に、そのあやまりを認めて謝罪と賠償をおこなうよう要求する理由をもっている。諸君がこれからやるべきことは、そうしたことではなく、逆に、軍隊を中国にさしむけ、中国人民解放軍に「報復」することだとでもいうのだろうか。アトリー首相のいうこともまちがっている〔3〕。かれは、イギリスには軍艦を中国の長江に乗り入れる権利がある、といっている。長江は中国の河川であるのに、君たちイギリス人はどのような権利があって軍艦を乗り入れるのか。そのような権利はない。中国の領土と主権は、中国人民がかならずこれを守らなければならず、外国政府の侵犯をぜったいに許さない。アトリーはこういった。人民解放軍は「英艦アミシスト号の南京への航行を許す用意があるが、それには一つの条件がいる。それは同艦が人民解放軍の長江渡河に協力することである」と。アトリーはうそをついている。人民解放軍はアミシスト号の南京への航行を許してはいない。人民解放軍は、いかなる外国の武装力にも、長江渡河を助けてもらったり、あるいはまた、他のどのようなことをもやってもらったりすることを望まない。それどころか、人民解放軍は、長江、黄蒲江《ホヮンプーチァン》、そのほか中国の各地にあるイギリス、アメリカ、フランスの軍艦、軍用機、陸戦隊などの武装力が、中国の領水、領海、領土、領空からすみやかに撤退し、中国人民の敵が内戦をおこなうのを助けないよう要求するものである。中国人民革命軍事委員会と人民政府は、こんにちまで、まだどの外国政府とも外交関係をうちたててはいない。中国人民革命軍事委員会と人民政府は、正常な業務に従事する中国在住の外国居留民を保護する用意がある。中国人民革命軍事委員会と人民政府は、諸外国とのあいだに外交関係をうちたてることを考慮する用意があるが、こうした関係は平等、互恵ならびに主権と領土の保全の相互尊重を基礎としてうちたてるれなければならず、なによりもまず、国民党反動派を助けるものであってはならない。中国人民革命軍事委員会と人民政府は、いかなる外国政府のいかなる威嚇的な行動をも容認するつもりはない。もし外国政府に、われわれとのあいだの外交関係樹立について考慮する意思があるなら、国民党の残存勢力との関係を絶つとともに、中国にある自己の武装力を撤退させなければならない。アトリーは、中国共産党は外国とのあいだに外交関係をうちたてていないので、外国政府のこれまでの外交要員(国民党が承認した領事)と接触したがらないのだ、と不平をならべているが、こうした不平は理由のないものである。この数年間、アメリカ、イギリス、カナダなどの政府は国民党を助けてわれわれに反対してきたが、アトリー先生はそれをも忘れたというのだろうか。さきごろ撃沈された重巡洋艦重慶《チョンチン》号〔4〕は、どこの国が国民党に贈ったのか、アトリー先生はそれをも知らないというのだろうか。



〔注〕
〔1〕 一九四九年四月二十日から二十一日にかけて、人民解放軍が長江渡河作戦をおこなっていたさい、わが国の河川である長江に侵入したアミシスト号など四隻のイギリス軍艦は、国民党の軍艦とともにわが軍にむかって発砲し、わが軍二百五十二人を殺傷した。わが軍はこれに反撃をくわえ、アミシスト号は損傷をこうむって、鎮江付近の河中に立ち往生したが、その他の英鑑三隻は遁走した。イギリス当局は、極東艦隊司令官ブラインドに、アミシスト号の艦長をつうじて、わが軍の代表といく度も交渉をおこなわせ、アミシスト号の放免を要求した。交渉にあたり、イギリス側は終始言いのがれの態度をとり、侵略の犯罪行為をあくまで認めようとしなかった。そして、まだ交渉続行中の七月三十日の夜、アミシスト号は、客船江陵解放号が鎮江をへてくだるのに乗じて、強引に同船に近づき、これと並行して航行し、その陰にかくれて遁走をはじめた。わか軍が停止を警告すると、アミシスト号は発砲し、そのうえ、多数の木造船につきあたってこれを沈め、長江外に逃げさった。
〔2〕 一九四九年四月二十六日、イギリス保守党の頭目チャーチルは下院で発言し、わが軍を不法攻撃した英艦にたいする中国人民解放軍の反撃を「暴虐行為」と中傷するとともに、「航空母艦一、二隻を中国海域に派遣し……武力による報復をおこなう」ようイギリス政府に要求した。
〔3〕 一九四九年四月二十六日、イギリスの首相アトリーは議会で、「イギリスの軍艦は長江を航行し、平和な使命を遂行する合法的な権利をもっている。なぜなら、これらの軍艦は国民党政府の許可をえているからである」と公言した。それと同時に、かれはイギリス側代表と中国人民解放軍代表との交渉の状況について言及したさい、またデマをとはし、中国人民解放軍は「英艦アミシスト号の南京への航行を許す用意があるが、それには一つの条件がいる。それは同艦が人民解放軍の長江渡河に協力することである」といった。
〔4〕 重巡洋艦重慶号は、イギリス政府が一九四八年二月に国民党に贈ったもので、国民党最大の巡洋艦であった。一九四九年二月二十五日、この軍艦の将兵は蜂起して、国民党反動政府から離脱し、中国人民海軍にくわわった。同年三月十九日、アメリカ帝国主義と国民党匪賊一味は多数の重爆撃機を出動させ、中国東北地方の遼東湾にある葫蘆島付近でこれを撃沈した。

maobadi 2011-06-30 18:02
新政治協商会議準備会での演説


          (一九四九年六月十五日)


 代表のみなさん
 われわれの新政治協商会議の準備会〔1〕は、きょうここにひらかれることになった。この準備会の任務は、全国人民を指導して、最大の速度で国民党反動派の残存勢力を一掃し、全中国を統一し、系統的に、段どりをおって、全国にわたり、政治、経済、文化、国防の建設をすすめるために、あらゆる必要な準備をなしとげて、すみやかに新政治協商会議を開催し、民主連合政府を樹立することである。全国の人民はわれわれがそうすることを望んでおり、したがって、われわれはそうしなければならない。
 新政治協商会議の開催は、中国共産党が、一九四八年五月一日に全国人民に提案したものである〔2〕。この提案はたちまち、全国の各民主政党、各人民団体、各界民主人士、国内少数民族、海外華僑の共鳴をえた。中国共産党、各民主政党、各人民団体、各界民主人士、国内少数民族、海外華僑はいずれも、帝国主義、封建主義、官僚資本主義、国民党反動派の支配を打倒してはじめて、また各民主政党、各人民団体、各界民主人士、国内少数民族、海外華僑などの代表的な人びとからなる政治協商会議を開催し、中華人民共和国の成立を宣言するとともに、この共和国を代表する民主連合政府を選出してはじめて、われわれの偉大な祖国は、半植民地・半封建の運命から抜けだし、独立、自由、平和、統一、富強の道をあゆむことができる、と考えている。これは共通の政治的基盤である。これは、中国共産党、各民主政党、各人民団体、各界民主人士、国内少数民族、海外華僑が団結してたたかう共通の政治的基盤であり、また、全国人民が団結してたたかう共通の政治的基盤でもある。この政治的基盤はひじょうに強固なものであって、誠実な民主政党、人民団体、民主人士のなかにだれひとり異なった意見をだすものもなく、みなこの道だけが中国のすべての問題を解決する正しい方向であると考えているのである。
 全国の人民は自分たちの人民解放軍を支持して、戦争の勝利をかちとった。この偉大な人民解放戦争は、一九四六年七月からはじまって現在まで、すでに三年になる。この戦争は、国民党反動派が外国帝国主義の援助をえてひきおこしたものである。国民党反動派は信義にそむき、一九四六年一月の休戦協定と政治協商会議の決議をふみにじって、この反人民的な国内戦争をひきおこした。だが、わずか三年のうちに、英雄的な人民解放軍によってうち破られた。さきごろ、国民党反動派の和平の陰謀があばきだされるや、人民解放軍は勇躍前進して長江《チャンチァン》をわたった。国民党反動派の首都南京《ナンチン》はすでに奪取された。上海《シャンハイ》、杭州《ハンチョウ》、南昌《ナンチャン》、武漢《ウーハン》、西安《シーアン》はすでに解放された。現在、人民解放軍の各路の野戦軍は、南方と西北の各省にむかって、中国の歴史はじまって以来かつてなかった大進軍をおこなっている。三年間に、人民解放軍は反動的な国民党軍をあわせて五百五十九万人消滅した。現在のところ、残存する国民党軍は、正規部隊、非正規部隊、後方の軍事機関、軍事学校などをふくめて、わずか百五十万人前後にすぎない。残存するこれらの敵軍を一掃するにはまだ多少の時間がかかるが、その時期はもう遠くはない。
 これは全中国人民の勝利であり、また全世界人民の勝利である。帝国主義者と各国反動派をのぞけば、全世界で、中国人民のこの偉大な勝利を心から喜び、これにふるいたたないものはない。中国人民の、自分たちの敵にたいする闘争も、世界人民の、自分たちの敵にたいする闘争も、そのもつ意義はおなじである。全中国人民と全世界人民はともに、帝国主義者が中国の反動派を指揮して反革命戦争によって中国人民に残酷な攻撃をくわえ、中国人民が革命戦争によって勝利のうちに反動派を打倒したという事実を見てとっている。
 ここで、わたしはつぎのことに人びとの注意を喚起する必要があると考える。それは、帝国主義者とその手先である中国の反動派は、この中国という大地での失敗にあまんじるものではない、ということである。かれらは今後もたがいに結託し、いろいろと可能な手段をこうじて、中国人民にたちむかってくるにちがいない。たとえば、かれらの手先を送って中国の内部にもぐりこませ、分裂活動や攪乱活動をおこなうことである。これはかならずおこることで、かれらはこの活動をぜったいに忘れはしない。また、たとえば、中国の反動派をそそのかし、さらにはかれら自身の力までくわえて、中国の海港を封鎖することであるり可能性さえあれば、かれらはそうするだろう。さらにまた、かれらが冒険をやろうとすれば、一部の兵力を派遣して中国の辺境に侵入し、攪乱することもありえないことではない。これらのすべてを、われわれはじゅうぶんに考えにいれておかなければならない。われわれは、勝利したからといって、けっして帝国主義者とその手先どもの狂気じみた報復の陰謀にたいして警戒をゆるめてはならない。警戒をゆるめるものは、政治的に武装を解いて自己を受け身の立場にたたせることになる。こうした状況のもとでは、全国人民は団結して、帝国主義者とその手先である中国の反動派の、中国人民に敵対するどのような陰謀計画をも断固として、徹底的に、きれいに、のこらず粉砕しなければならない。中国は独立しなければならない。中国は解放されなければならない。中国のことは中国人民自身がきめ、自身で処理しなければならない。これからは、どのような帝国主義国のどのように小さな干渉であっても、けっしてこれを許さない。
 中国の革命は全民族の人民大衆の革命である。帝国主義者、封建主義者、官僚ブルジョア分子、国民党反動派とその共犯者をのぞけば、すべての人びとがわれわれの友であり、われわれには、広範な、そして強固な革命的統一戦線がある。この統一戦線はひじょうに広範なもので、労働者階級、農民階級、都市小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級からなっている。この統一戦線はひじょうに強固なもので、どのような敵にもうち勝ち、どのような困難をも克服する強固な意志とくみつくすことのできない力をもっている。われわれがいまおかれている時代は、帝国主義制度が全面的な崩壊にむかう時代で、帝国主義者はすでに抜けだすことのできない危機におちいっている。かれらが今後どのように中国人民に反対しつづけようとも、中国人民はかならず最後の勝利をかちとることができるのである。
 同時に、われわれは全世界に声明する。われわれが反対するのは帝国主義制度と中国人民に敵対するその陰謀計画だけである。どのような外国政府であろうと、中国の反動派との関係を絶つことをのぞみ、二度と中国の反動派と結託したりこれを援助したりせず、また人民の中国にたいして、いつわりでない真の友好的態度をとるかぎり、われわれは、平等、互恵、ならびに領土主権の相互尊重という原則を基礎にして、それらの政府と外交関係樹立の問題について話し合う用意がある。中国人民は、生産を発展させ経済を繁栄させるために、世界各国の人民と友好的に協力して、国際間の通商事業を回復、発展させることを望んでいる。
 代表のみなさん、われわれが新政治協商会議を招集して民主連合政府を樹立するすべての条件はすでに熟している。全中国の人民は、われわれが会議をひらき、政府を樹立することを心から待ちのぞんでいる。われわれがいまはじめている仕事は、この希望を満たすことができ、しかも、それほど長い時間をかけなくてもこの希望を満たすことができると、わたしは信じている。
 中国の民主連合政府が成立すれば、その仕事の重点は、(一)反動派の残存勢力を一掃し、反動派の攪乱を鎮圧すること、(二)可能のかぎりをつくし、最大の力をそそいで、人民の経済事業の復興と発展をはかり、同時にまた人民の文化・教育事業の復興と発展をはかることにわかれるだろう。
 中国人民は、中国の運命がひとたび人民自身の手ににぎられたときには、中国が、東の空にさしのぼる太陽のように、自己の輝く光であまねく大地を照らし、反動政府ののこした汚れをたちまち洗いながし、戦争の傷痕をいやして、新しい、富強の、名実ともにそなわった人民共和国をきすきあげていくのをみるだろう。
 中華人民共和国万歳!
 民主連合政府万歳!
 全国人民の大団結万歳!



〔注〕
〔1〕 新政治協商会議準備会は、一九四九年六月十五日から十九日まで、北平でひらかれた。この会議に参加したのは、中国共産党と各民主政党、各人民団体、各界民主人士、国内少数民族、海外華僑などをふくむ二十三単位の百三十四人であった。会議は、「新政治協商会議準備会組織条例」と「新政治協商会議への参加単位ならびにその代表者数についての規定」を採択し、毛沢東主席をはじめとする常務委員会を選出した。当時、新政治協商会議とよんだのは、一九四六年一月十日に重慶でおこなわれた政治協商会議と区別するためであった。その後、一九四九年九月二十一日に、政治協商会議第一期全体会議がひらかれたさい、中国人民政治協商会議とあらためられた。
〔2〕 本巻の『九月会議にかんしての中国共産党中央の通達』注〔4〕を参照。

maobadi 2011-06-30 18:03
人民民主主義独裁について
     中国共産党二十八周年を記念して


          (一九四九年六月三十日)


 一九四九年の七月一日という日は、中国共産党がすでに二十八年の年月をあゆんできたことをしめしている。人間とおなじように、党にも幼年期、青年期、壮年期、老年期がある。中国共産党はもはや子供ではなく、また十何歳の若者でもなく、おとなである。人間は年寄りになればやがて死ぬが、党もこれとおなじことである。階級が消滅すれば、階級闘争の道具であるすべてのもの、政党や国家機構は、その機能をうしない、必要がなくなるので、しだいにおとろえ、自己の歴史的使命を終える。そして、より高級な人類社会へとすすんでいく。われわれはブルジョア政党とは逆である。かれらは階級の消滅、国家権力の消滅、党の消滅を口にすることをおそれる。ところが、われわれは、まさにこれらのものの消滅をうながすために、条件をつくりだし、奮闘努力するものであることを公然と声明する。共産党の指導と人民独裁の国家権力こそが、そうした条件である。この真理をみとめないものは、共産主義者ではない。マルクス・レーニン主義を勉強したことのない、入党したばかりの若い同志たちは、まだこの真理を理解していないかもしれない。かれらはこの真理を理解しなければならず、そうしてこそ正しい世界観をもつことができるのである。全人類はみな、階級を消滅させ、国家権力を消滅させ、党を消滅させるという道をあゆむのであって、それはただ時間と条件の問題だということを、かれらは理解しなければならない。全世界の共産主義者はブルジョア階級よりも聡明《そうめい》で、事物の存在と発展についての法則を理解し、弁証法を理解しており、遠い先ざきまで見通すことができる。ブルジョア階級がこの真理を歓迎しないのは、かれらがくつがえされることを望まないからである。くつがえされるということ、たとえば、いま国民党反動派がわれわれによってくつがえされ、かつて日本帝国主義がわれわれと各国人民によってくつがえされたようなこと、これはくつがえされるものにとっては、苦痛であり、考えるだけでもたまらないことである。ところが、労働者階級、勤労人民、共産党にとっては、くつがえされるなどという問題ではなくて、階級や国家権力や政党がきわめて自然に死滅し、人類が大同の世界にはいれるように、活動にはげみ、条件をつくりだすということである。これからのべようとする問題をはっきり説明するため、ついでにここで、この人類進歩の未来図の問題にふれたわけである。
 われわれの党は二十八年の年月をあゆんできたが、周知のように、平穏な道をあゆんできたのではなくて、困難な環境のなかをあゆんできたのであり、われわれは、国の内外、党の内外の敵とたたかわなければならなかったのである。ありがたいことに、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンがわれわれに武器をあたえてくれた。その武器は機関銃ではなくて、マルクス・レーニン主義である。
 レーニンは、一九二〇年に『共産主義内の「左翼主義」小児病』のなかで、ロシア人が革命理論をさがしもとめたいきざつについてのべている〔1〕。ロシア人は数十年にわたって困難辛苦をなめつくし、やっとマルクス主義をさがしあてた。中国には、十月革命前のロシアとおなじか、または似かよったことがらがたくさんある。封建主義の抑圧、これは対なじである。経済と文化のたちおくれ、これは似かよっている。両国ともたちおくれていたが、中国はいっそうたちおくれている。先進的な人びとが、国を復興させるために、困難にめげず奮闘し、革命の真理をさがしもとめたこと、これはおなじである。
 一八四〇年のアヘン戦争に敗れたときから、中国の先進的な人びとは、ひじょうな苦労をかさねて、西方諸国に真理をもとめた。洪秀全《ホンシュウチョワン》、康有為《カンユウウェイ》〔2〕、厳復《イェンフー》〔3〕、孫中山《スンチョンシャン》は、中国共産党がうまれるまえに西方に真理をもとめた人びとを代表している。そのころ、進歩をもとめる中国人は、西方の新しい学問にかんするものならどんな書物でも読んだ。日本、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツに派遣された留学生の多いことは驚くばかりであった。国内では、科挙を廃止し、雨後のたけのこのように学校をおこして〔4〕、西方に学ぶことに力をそそいだ。わたし自身が青年時代に学んだのも、やはりこうしたものであった。それは西方のブルジョア民主主義の文化つまりいわゆる新学で、それにはそのころの社会学説と自然科学がふくまれており、中国の封建的文化、つまりいわゆる旧学と対立するものであった。そうした新学を学んだ人たちは、長い年月のあいだに、それらのものでけっこう中国は救われるという信念をもつようになった。旧学派は別として、新学派のなかでそれに疑いをもつものは少なかった。国を救うには維新をおこなうほかなく、維新をおこなうには外国に学ぶほかない、というわけである。そのころの外国では西方資本主義諸国だけが進歩的だった。それらの国はブルジョア近代国家の建設に成功していたのである。日本人は西方から学んで効果をおさめていたので、中国人も日本人から学ぼうと考えた。そのころの中国人から見れば、ロシアはおくれた国であり、ロシアに学ぼうと考えるものはいたって少なかった。これが、一九世紀の四十年代から二〇世紀の初期にかけて、中国人が外国に学んだ状況である。
 帝国主義の侵略は、西方に学ぼうとする中国人の迷夢をうちやぶった。ふしぎなことだ、なぜ先生はいつも生徒を侵略するのか。中国人は西方からたくさんのものを学んだが、それは通用しなかったし、理想はいつも実現できなかった。辛亥革命のような全国的な規模の運動もふくめて、たびかさなる奮闘は、ことごとく矢敗に終わった。国の状態は日に日に悪化し、人びとは生きでいけない環境におかれた。疑問がうまれ、増大し、発展していった。第一次世界大戦が全世界を震憾《しんかん》させた。ロシア人が十月革命をやって、世界最初の社会主義の国家をうちたてた。それまでは地下にうずもれていて外国人の目につかなかった偉大なロシアのプロレタリア階級と勤労人民の革命的エネルギーが、レーニン、スターリンの指導のもとに、突然、火山のように爆発し、中国人が、そして全人類が、ロシア人を見なおすようになった。このとき、ほかならぬこのとき、中国人には、思想から生活にいたるまで、まったく新しい時代がはじめてあらわれた。中国人はマルクス・レーニン主義という世界のどこにも適用できる普遍的な真理をさがしあて、それによって中国の姿は変わりはじめたのである。
 中国人がマルクス主義をさがしあてたのは、ロシア人を介してであった。十月革命前には、中国人はレーニン、スターリンを知らなかったばかりでなく、マルクス、エンゲルスも知らなかった。十月革命の砲声がとどろいて、われわれにマルクス・レーニン主義がおくりとどけられた。十月革命のおかげで、全世界の、そしてまた中国の先進的な人びとは、プロレタリア階級の世界観を国家の運命を観察する手段として、あらためて自分の問題を考えなおすようになった。ロシア人の道をあゆむこと――これが結論であった。一九一九年には、中国に五・四運動がおこった。一九二一年には、中国共産党が成立した。孫中山は絶望のなかで、十月革命と中国共産党にめぐりあった。孫中山は十月革命を歓迎し、中国人にたいするロシア人の援助を歓迎し、中国共産党の協力を歓迎した。孫中山が死んで、蒋介石《チァンチェシー》がでてきた。二十二年という長い年月のあいだに、蒋介石は中国を絶望的な状態におとしいれた。この時期に、ソ連を主力軍とする反ファシズム第二次世界大戦によって三つの帝国主義大国がうちたおされ、二つの帝国主義大国が戦争のなかで弱まって、世界で損害をうけずにすんだ帝国主義大国はただ一つ、アメリカだけであった。しかし、アメリカ国内の危機はきわめて深刻である。アメリカは全世界を奴隷化しようとしており、蒋介石に兵器をあたえて、何百万もの中国人を殺害させた。中国人民は、中国共産党の指導のもとに、日本帝国主義を追いはらったのち、三年間の人民解放戦争をたたかって、基本的な勝利をおさめた。
 このようにして、西方のブルジョア文明、ブルジョア民主主義、ブルジョア共和国構想は、中国人民の心のなかでいっせいに破産してしまった。ブルジョア民主主義が労働者階級の指導する人民民主主義に席をゆずり、ブルジョア共和国が人民共和国に席をゆずった。このようにして、人民共和国をへて社会主義と共産主義に到達し、階級の消滅と世界の大同に到達する可能性がうまれた。康有為は『大同書』を書いたが、大同にたっする道はみつけだせなかったし、またみつけだせるはずもなかった。ブルジョア共和国は外国にはあったが、中国にはありえない。というのは、中国は帝国主義の抑圧をうけている国だからである。唯一の道は、労働者階級の指導する人民共和国をとおることである。
 その他のすべてのことが試みられたが、いずれも失敗に終わった。その他のことに未練をもっていた人びとのうち、あるものはただれ、あるものはめざめ、あるものはいま頭をきりかえつつある。事態の発展があまりにもはやいので、多くの人びとが唐突な感じをうけており、あらためて勉強しなおさなければならないという気になっている。人びとのこうした気持ちはよくわかる。われわれは、あらためて勉強しなおそうという善良な態度を歓迎するものである。
 中国プロレタリア階級の前衛は、十月革命ののち、マルクス・レーニン主義を学んで、中国共産党をつくった。そしてすぐ政治闘争にはいり、まがりくねった道をたどり二十八年の年月をあゆんで、ようやく基本的な勝利をおさめた。孫中山が臨終の遺言のなかで「四十年の経験を積んで」といったのとおなじように、われわれも、二十八年の経験を積んで、おなじ結論にたっした。つまり、勝利に到達しようとのぞむなら、「民衆をよびさまし、そして、世界でわれらを平等に遇する民族と連合し、ともに奮闘しなければならぬ」ということをふかく知ったのである。孫中山とわれわれは、それぞれ異なった世界観をもち、異なった階級的立場から出発して問題を観察し処理してきた。しかしかれは、二〇世紀の二十年代にあって、どのように帝国主義とたたかうかという問題では、このようにわれわれと基本的に一致した結論にたっしたのであった。
 孫中山が世を去ってから二十四年になるが、中国革命の理論と実践はいずれも、中国共産党の指導をうけて大きな発展をとげ、中国の姿を根本から変えてしまった。現在までのところ、中国人民がおさめた主要なそして基本的な経験は、つぎの二つである。(一)国内では、民衆をよびさますこと。つまり、労働者階級、農民階級、都市小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級を結集し、労働者階級の指導のもとに、国内の統一戦線を結成し、そこから、労働者階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の国家の樹立にまで発展させることである。(二)対外的には、世界でわれらを平等に遇する民族および諸国人民と連合し、ともに奮闘すること。つまり、ソ連と連合し、人民民主主義諸国と連合し、その他の諸国のプロレタリア階級および広範な人民と連合して、国際的な統一戦線を結成することである。
 「きみたちは一辺倒だ」。まったくそのとおりである。一辺倒、これは孫中山の四十年の経験と共産党の二十八年の経験がわれわれに教えるところであり、勝利に到達し勝利をかためようとすれば、どうしても一辺倒でなければならないことをふかく知ったのである。四十年間と二十八年間の経験からして、中国人は、帝国主義一辺倒か社会主義一辺倒かのどちらかであり、ぜったいに例外はないのである。二股膏薬《ふたまたこうやく》は通用せず、第三の道はない。われわれは帝国主義一辺倒の蒋介石反動派に反対するし、第三の道についての幻想にも反対する。
 「きみたちは刺激しすぎる」。われわれが問題にしているのは、ほかのだれに対処することでもなく、国の内外の反動派、すなわち帝国主義者とその手先どもにどう対処するかということである。こうした連中にたいしては、刺激する、しないの問題はおこらない。刺激しても刺激しなくてもおなじである。なぜなら、かれらは反動派だからである。反動派と革命派のけじめをはっきりつけ、反動派の陰謀、計略をあはき、革命派の内部の警戒心と注意をよびおこし、味方の士気をたかめ、敵の威勢をくじいてこそ、反動派を孤立させ、これにうち勝ち、あるいはこれにとって代わることができるのである。野獣のまえでは、ほんのわずかなひるみも見せてはならない。われわれは景陽岡の武松〔5〕に学ばなければならない。武松からみれば、景陽岡の虎は、刺激しても刺激しなくてもおなじで、要するに人間をとって食おうとすることに変わりはない。虎をうち殺すか、虎に食われるか、二つに一つである。
 「われわれは商売をしたい」。まったくそのとおりで、商売はどのみちやらなければならない。われわれは、商売するのを妨害している内外の反動派に反対するだけで、それ以外には、どんな人にも反対しない。われわれが外国と商売するのを妨害したり、さらにはわれわれが外国と外交関係をうちたてるのを妨害したりしているのは、ほかでもなく、帝国主義者とその手先蒋介石反動派であることを知るべきである。国の内外のあらゆる勢力を結集して内外の反動派をうちやぶれば、われわれは商売ができるようになり、平等、互恵、領土・主権の相互尊重を基礎にすべての国と外交関係をうちたてることができるようになる。
 「国際的な援助がなくても勝利することができる」。これはあやまった考えである。帝国主義の存在する時代には、どんな国でも、真の人民革命は、国際的な革命勢力のさまざまな形での援助がなければ、勝利をかちとることはできない。勝利したとしても、それをうちかためることはできない。偉大な十月革命が勝利し、うちかためられたのも、やはりそうであって、レーニンとスターリンがはやくからこのことをわれわれに教えている。第二次世界大戦で、三つの帝国主義国がうちたおされ、また人民民主主義諸国がうちたてるれたのもそうであった。人民中国の現在と将来もまた同様である。考えてもみたまえ。もしもソ連の存在がなかったとすれば、もしも反ファシズム第二次世界大戦の勝利がなかったとすれば、もしも日本帝国主義を打倒していなかったとすれば、もしも人民民主主義諸国が出現していなかったとすれば、もしも東方の被抑圧諸民族が現に闘争に立ちあがっていなかったとすれば、もしもアメリカ、イギリス、フランス・ドイツ、イタリア、日本などの資本主義国内の、人民大衆とかれらを支配している反動派とのあいだの闘争がなかったとすれば、もしもこれらすべてを総合したものがなかったとすれば、われわれの頭の上にのしかかっている国際反動勢力は、いまより同情も大きくなっていたにちがいない。そのようなばあいにも、われわれは勝利することができるだろうか。できないことはあきらかである。勝利したとしても、それをうちかためることはできない。それについては、中国人民はありあまるほどの経験をもっている。国際革命勢力と連合しなければならないという孫中山の臨終のことばは、とっくにこうした経験を反映しているのである。
 「われわれには英米政府の援助が必要である」。こんにちでは、これも幼稚な考えである。いまの英米の支配者はやはり帝国主義者である。そのかれらが人民の国家に援助をあたえるようなことがあるだろうか。われわれとこれらの国が商売をし、そしてかりに将来これらの国が互恵の条件のもとでわれわれに金を貸してくれたとしても、それはなんのためか。それは、これらの国の資本家が金をもうけ、銀行家が利息をもうけて、かれら自身の危機を救うためで、けっして中国人民にたいする援助などというものではない。これらの国の共産党や進歩的な各党派は、自国の政府に、われわれと商売をさせ、さらには外交関係を結ばせるようはたらきかけているが、これは善意のものであり、これが援助というものであって、これとこれらの国のブルジョア階級の行為とを同日に論ずることはできない。孫中山は、一生のうちに数えきれないほどたびたび資本主義諸国に援助をよびかけたが、ついに何もえられず、かえって無慈悲な打撃をうけた。孫中山は一生のうちに一度だけ国際的な援助をうけたことがあるが、それはソ連の援助であった。読者諸君、孫中山先生の遺言を見ていただきたい。先生がそこでじゅんじゅんとさとしているのは、帝国主義諸国の援助に目をむけよということではなくて、「世界でわれらを平等に遇する民族と連合」せよということである。孫先生は、ひどい目にあったり、ペテンにかかったりして経験をえていたのである。われわれは先生のことばを心にとめ、二度とペテンにかかってはならない。われわれは、国際的にはソ連を先頭とする反帝国主義戦線の側に属しており、真の、友好的な援助は、この側にもとめることができるだけであって、帝国主義戦線の側にもとめることはできないのである。
 「きみたちは独裁だ」。愛すべき先生がたよ、おことばどおりで、われわれはまったくそのとおりである。中国人民が数十年のあいだに積んだいっさいの経験が、われわれに人民民主主義独裁を実行させるのである。それは人民民主主義専制ともいうが、要するにおなじことで、つまり、反動派の発言権をうばい、人民にだけ発言権をあたえるのである。
 人民とはなにか。中国では、そして現段階では、労働者階級、農民階級、都市小ブルジョア階級および民族ブルジョア階級である。これらの階級が労働者階級と共産党の指導のもとに、団結し、自分たちの国家をつくり、自分たちの政府をえらび、帝国主義の手先すなわち地主階級と官僚ブルジョア階級およびこれらの階級を代表する国民党反動派とその共犯者たちにたいして独裁をおこない、専制をおこない、これらの連中を抑圧して、かれらには神妙にすることだけを許し、勝手な言動にでることを許さないのである。勝手な言動にでれば、ただちにとりしまり、制裁をくわえる。しかし、人民の内部では、民主制度を実施し、人民は言論、集会、結社などの自由の権利をもつ。選挙権は人民にだけあたえ、反動派にはあたえない。この二つの面、すなわち、人民内部における民主主義の面と反動派にたいする独裁の面の結びついたものが人民民主主義独裁である。
 どんな理由でそうするのか。それは、だれでもはっきり知っている。そうしなければ、革命は失敗し、人民は災いをこうむり、国家はほろびるからである。
 「きみたちは国家権力を消滅させるというのではないのか」。そのとおりだ。 しかし、いまはまだそうしない。またそうするわけにはいかない。なぜか。帝国主義がまだ存在し、国内の反動派がまだ存在し、国内の階級がまだ存在しているからである。われわれの現在の任務は、人民の国家機構を強化することである。それは主として人民の軍隊、人民の警察、人民の法廷を強化することであるが、それによって国防をかため、人民の利益をまもるのである。これを条件として、中国は、労働者階級と共産党の指導のもとに、着実に農業国から工業国へすすみ、新民主主義社会から社会主義社会へ共産主義社会へとすすみ、階級を消滅させ、大同を実現することができるようになる。軍隊、警察、法廷などの国家機構は、階級が階級を抑圧する道具である。敵対階級にたいしては、それは抑圧の道具であり、暴力であって、けっして「いつくしみ」などというものではない。「きみたちにはいつくしみがない」。まったくそのとおりである。反動派、反動階級の反動的な行為にたいしては、われわれはけっして仁政をほどこしはしない。われわれは人民の内部に仁政をしくだけで、人民の外部の反動派、反動階級の反動的な行為にたいして仁政をほどこすものではない。
 人民の国家は、人民を保護するものである。人民の国家があってはじめて、人民は、全国的な範囲で、また全体的な規模で、民主的な方法によって、自己を教育し自己を改造することができる。それによって、内外反動派の影響(この影響は現在まだひじょうに大きいし、また、これからも長期にわたって存在し、早急にとりのぞくことはできない)からぬけだし、旧社会で身につけた自己のわるい習慣やわるい思想をあらためて、反動派の誘いいれるあやまった道にふみこまずに、ひきつづき前進し、社会主義社会、共産主義社会にむかって前進することができるのである。
 われわれがこの面でもちいる方法は、民主的な方法つまり説得の方法であって、強制の方法ではない。人民が法をおかせは、やはり処罰され、牢屋にいれられるし、死刑になることもあるが、これは個々のばあいであって、一つの階級としての反動階級にたいしておこなう独裁とは、原則的に異なっている。
 反動階級や反動派のものにたいしては、かれらの政権がくつがえされたのち、かれらが謀反《むほん》をおこしたり、破壊行為にでたり、攪乱《かくらん》行為にでたりしないかぎり、やはり土地をあたえ、仕事をあたえて、生きていけるようにし、労働のなかで自己を改造させ、新しい人間にうまれ変わらせる。かれらが労働したがらなければ、人民の国家は強制的に労働させる。それとともに、かれらにたいし、われわれが捕虜の将校にたいしてやったのとおなじように、宣伝教育をおこない、しかも、念をいれて、じゅうぶんにやっていく。これも、「仁政をほどこす」ものといえるかもしれないが、しかし、これは、もともと敵対階級だったものにたいしてわれわれが強制的におこなうものであって、革命的人民の内部にたいしてわれわれのおこなう自己教育とは同日に論ずることはできない。
 反動階級にたいするこのような改造の仕事は、共産党の指導する人民民主主義独裁の国家だけがやれることである。この仕事をやりとげたなら、中国のおもな搾取階級――地主階級と官僚ブルジョア階級つまり独占ブルジョア階級は最終的に消滅されることになる。のこるのは民族ブルジョア階級だが、かれらのうちの多くの人たちにたいしては、いまの段階からでも、いろいろと適切な教育をほどくすことができる。将来、社会主義を実行するばあい、すなわち、私営企業の国有化を実行するばあいには、かれらにたいし、さらにすすんだ教育と改造の仕事をやっていく。人民の手には強大な国家機構があるので、民族ブルジョア階級の謀反をおそれることはない。
 重大な問題は農民を教育することである。農民の経済は分散しており、ソ連の経験によっても、農業の社会化にはひじょうに長い時間と細心の活動が必要である。農業の社会化なしには、全面的な強固な社会主義はありえない。農業の社会化の段どりは、国有企業を主体とする強大な工業の発展に対応させなければならない〔6〕。人民民主主義独裁の国家は、段どりをおって国の工業化の問題を解決しなければならない。この論文では、経済問題はあまりとりあげないつもりなので、ここではくわしくのべないことにする。
 一九二四年、孫中山がみずから指導し、共産党員も参加した国民党第一回全国代表大会で、有名な宣言が採択された。その宣言にはこうのべられている。「近世各国のいわゆる民権制度は、往々にしてブルジョア階級に専有され、まさしく平民を抑圧する道具になっている。国民党の民権主義についていえば、一般平民の共有するものであって、少数のものが私《わたくし》しうるものではない。」だれがだれを指導するかという問題をのぞいて、一般的な政治綱領としては、ここにいわれている民権主義は、われわれのいう人民民主主義または新民主主義に合致するものである。一般平民の共有することだけを許し、ブルジョア階級の私有することを許さない国家制度、これに労働者階級の指導がくわわれば、それが人民民主主義独裁の国家制度である。
 蒋介石は、孫中山をうらぎり、官僚ブルジョア階級と地主階級の独裁をうちたてて、中国の人民を抑圧するための道具とした。この反革命的独裁は、二十二年間にわたって実行され、こんにちようやく、われわれの指導する中国の平民によってくつがえされた。
 「独裁」または「全体主義」を実行しているといって、われわれをののしる外国の反動派こそ、独裁または全体主義を実行している連中である。かれらは、プロレタリア階級とその他の人民にたいする、ブルジョア階級という一つの階級の独裁制度、一つの階級の全体主義を実行しているのである。孫中山のいう、平民を抑圧する近世各国のブルジョア階級とは、ほかでもなく、こうした連中のことである。蒋介石の反革命的独裁こそ、これらの反動どもから学んだものである 。
 宋代の哲学者朱熹はいろいろな書物を書き、いろいろなことを説いたが、みんなから忘れられている。しかし、まだ忘れられていないかれのことばに、「すなわちその人の道をもって、かえってその人の身を治む」〔7〕というのがある。われわれがやっているのは、まさにこれである。すなわち帝国主義とその手先蒋介石反動派の道をもって、かえって帝国主義とその手先蒋介石反動派の身を治めるのである。それだけのことで、それ以外のことではない。
 革命的独裁と反革命的独裁とは、性質は正反対だが、前者は後者から学んだものである。この学習はひじょうにたいせつである。革命的な人民が、反革命階級にたいするこうした支配のしかたを学びとらなかったならば、かれらは政権を維持することができず、その政権は内外の反動派によってくつがえされ、内外の反動派が中国でふたたび支配者の座につき、革命的な人民は災いをこうむることになる。
 人民民主主義独裁の基礎は、労働者階級、農民階級および都市小ブルジョア階級の同盟であり、主として労働者と農民の同盟である。なぜなら、この二つの階級は中国の人口の八〇パーセントから九〇パーセントをしめているからである。帝国主義と国民党反動派をくつがえすのは、主としてこの二つの階級の力である。新民主主義から社会主義へ移行するにも、主としてこの二つの階級の同盟に依拠しなければならない。
 人民民主主義独裁には、労働者階級の指導が必要である。なぜなら、労働者階級だけがもっとも遠くを見通すことができ、大公無私であり、もっとも革命の徹底性をもっているからである。革命の全歴史が証明しているように、労働者階級の指導がなければ革命は失敗し、労働者階級の指導があれば革命は勝利する。帝国主義の時代にあっては、どの国においても、ほかのどの階級も、いかなる真の革命を指導してそれを勝利にみちびくことはできない。中国の小ブルジョア階級と民族ブルジョア階級は何度も革命を指導したが、いつも失敗した。これがそのあきらかな証拠である。
 民族ブルジョア階級は、現段階では、大きな重要性をもっている。われわれのそばにはまだ帝国主義が立っており、この敵はひじょうに凶悪である。中国の近代工業が国民経済全体のなかでしめる比重は、まだひじょうに小さい。いまはまだ確実な数字はないが、ある種の資料から推して、抗日戦争まえ、近代工業の生産額は国民経済の総生産額のわずか一〇パーセント前後をしめるにすぎなかった。帝国主義の抑圧に対処するため、おくれた経済的地位を一歩たかめるために、中国は、国の経済と人民の生活に害がなくて有利な、すべての都市、農村の資本主義的要素を利用しなければならないし、民族ブルジョア階級と団結してともにたたかわなければならない。われわれの現在の方針は、資本主義を制限することであって、資本主義を消滅することではない。だが、民族ブルジョア階級は、革命の指導者にはなれないし、国家権力のなかで主要な地位をしめるべきでもない。民族ブルジョア階級が革命の指導者になることができず、また、国家権力のなかで主要な地位をしめるべきでないというのは、民族ブルジョア階級の社会的経済的地位がかれらの軟弱性を決定づけており、かれらは遠い見通しに欠け、じゅうぶんな勇気をもたず、そのうえ、民衆をおそれるものが少なくないからである。
 孫中山は、「民衆をよびざます」こと、あるいはまた「農民、労働者を援助する」ことを主張した。だれが「よびさまし」、また「援助する」のか。孫中山の考えでは、それは小ブルジョア階級と民族ブルジョア階級であった。しかし、これは実際にはできないことである。孫中山の四十年にわたる革命は失敗したが、それはどんな原因によるのだろうか。帝国主義の時代にあっては、小ブルジョア階級や民族ブルジョア階級は、いかなる真の革命を指導してそれを勝利にみちびくことはできない。原因はここにあったのである。
 われわれの二十八年は、これと大いに異なっている。われわれはたくさんのとうとい経験を積んでいる。規律のある、マルクス・レーニン主義の理論で武装した、自己批判の方法をとる、人民大衆と結びついた党。このような党に指導される軍隊。このような党に指導される革命的諸階級、革命的諸党派の統一戦線。この三つは、われわれが敵にうち勝つ主要な武器である。これらはいずれも、われわれが前人と異なる点である。この三つに依拠して、われわれは基本的な勝利をおさめたのである。われわれはまがりくねった道をたどってきた。われわれは、かつて、党内の日和見主義的偏向、右と「左」の日和見主義的偏向とたたかった。この三つのことで重大なあやまりをおかしたときには、いつも革命は挫折《ざせつ》した。あやまりや挫折から教訓をくみとって、われわれはまえより賢くなり、仕草もすこしはうまくやれるようになった。どんな政党にとっても、どんな個人にとっても、あやまりは避けがたいもので、われわれに必要なことは、あやまりを少なくすることである。あやまりをおかしたならば、あらためる必要があり、あらためるのは、はやければはやいほどよいし、徹底的であればあるほどよい。
 われわれの経験をしめくくって一つにまとめると、労働者階級の(共産党をつうじて)指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁ということになる。この独裁は、国際革命勢力と一致団結しなければならない。これがわれわれの公式であり、これがわれわれの主要な経験であり、これがわれわれの主要な綱領である。
 党の二十八年は長い期間ではあったが、われわれとしては、革命戦争の基本的勝利をかちとるという、ただ一つのことをしただけである。これはよるこほしいことである。というのは、これは人民の勝利だからであり、中国のような大きな国での勝利だからである。しかし、われわれのやるべきことはまだたくさんあって、旅路にたとえていえば、これまでの仕事は、万里の長征の第一歩をふみだしたにすぎない。のこっている敵を、われわれはこれから掃討しなければならない。経済建設という重大な任務がわれわれの目のまえに横たわっている。われわれが習熟していることの一部はまもなくいらなくなるし、われわれが習熟していないことをやらなければならなくなってきている。これが困難というものである。帝国主義者は、われわれが経済をうまく処理できないものときめこんでいる。かれらはそばに立って見物しながら、われわれが失敗するのを待っている。
 われわれは困難を克服しなければならないし、自分にわからないことを学びとらなければならない。われわれは、すべてのその道の人(どんな人であろうと)から経済の仕事を学ばなければならない。かれらを先生として、うやうやしく学び、まじめに学ばなければならない。わからないことはわからないのであって、わかったふりをしてはならない。役人風を吹かしてはならない。深くうちこんでやっていけば、数ヵ月、一年二年、四年五年とたつうちには、きっと身につけることができる。ソ連共産党員にも、はじめのうちは、やはり経済の仕事が得意でないものがいたし、帝国主義者はやはりかれらが失敗するのを待ちうけていた。しかし、ソ連共産党は勝利した。レーニンとスターリンの指導のもとに、かれらは革命をやれるだけでなく、建設もやれるようになった。かれらはすでに偉大な輝かしい社会主義国家をうちたてている。ソ連共産党こそわれわれのもっともりっぱな先生で、われわれはソ連共産党に学ばなければならない。国際情勢も国内情勢もすべてわれわれに有利であり、われわれは、人民民主主義独裁という武器にたより、反動派をのぞく全国のすべての人びとと団結して、たしかな足どりで目的地にたっすることが完全にできるのである。



〔注〕
〔1〕 『共産主義内の「左翼主義」小児病』第二章にみられる。レーニンはここでつぎのようにのべている。「前世紀の四十年代かち九十年代までの約半世紀のあいだ、ロシアの先進的な思想は、かつてなかったほど野蛮で反動的なツァー制度の抑圧のもとで、正しい革命理論をむさぼるようにさがしもとめ、この分野での欧米のありとあらゆる『最新の成果』を、おどろくほど熱心に注意ぶかく見まもった。ロシアは、未酉有の苦難と犠牲、比類ない革命的英雄主義、信じられないほどの精力とひたむきな探求、学習、実践による試練、失望、点検、ヨーロッパの経験との比較というこの半世紀の歴史をへて、唯一の正しい革命理論であるマルクス主義を、真に苦しみぬいてたたかいとったのである。」
〔2〕 康有為(一八五八~一九二七年)、広東省南海県の人。一八九四年、中国は日本帝国主義にうちやぶられた。康有為は一八九五年、北京で科挙の試験をうけた千三百人の拳人を指導し、連名で「万言書」を光緒皇帝にさしだし、「変法維新」を要求し、専制君主制を立憲君主制にあらためることを要求した。一八九八年、光緒皇帝は康有為、譚嗣同、梁啓超らを登用して政務にあずからせ、変法をはかった。だが、のちに頑迷派の代表西太后がふたたび政権をにぎるにおよんで、ついに維新運動は失敗に帰した。康有為、梁啓超は海外にのがれ、保皇党をつくって、孫中山の代表するブルジョア階級、小ブルジョア階級の革命派と対立し、反動政治家の一派となった。康有為の著作には、『新学偽経考』『孔子改制考』『大同書』などがある。
〔3〕 厳復(一八五三~一九二一年)、福建省[”もんがまえ”の中に”虫”]侯県の人。かつてイギリスの海軍学校に留学した。一八九四年の中日戦争ののち、立憲君主制、変法維新を主張した。ハックスリの『進化と倫理』、アダム・スミスの『国富論』、ミルの『論理学体系』、 モンテスキューの『法の精神』などを訳して、ヨーロッパのブルジョア思想をびろめた。
〔4〕 本選集第二巻の『新民主主義論』注〔17〕を参照。
〔5〕 武松は中国の有名な小説『水滸伝』のなかの英雄で、景陽岡の虎退治の物語は、ひろく民間につたえられている。
〔6〕 農業の社会化と国の工業化との関係については、一九五五年七月三十一日に、毛沢東同志が中国共産党の省委員会、市委員会、自治区委員会の書記の会議でおこなった報告『農業協同化の問題について』の第七の部分と第八の部分を参照。この報告のなかで、毛沢東同志は、ソ連の経験とわが国の実践にもとづいて、農業の社会化の段どりは社会主義工業化の段どりに対応させなければならないという命題を大きく発展させた。
〔7〕 これは朱熹が『中庸』第十三章の注でのべていることばである。

maobadi 2011-06-30 18:04
幻想をずてて、闘争を準備せよ


          (一九四九年八月十四日)


 本文と、つぎの『さらば、スチュアート』『なぜ白書を討論する必要があるのか』『「友情」か侵略か』『観念論的歴史観の破産』の四編は、毛沢東同志が新華社にかわって書いた、アメリカ国務省の白書とアチソンの書簡にたいする論評である。これらの論評は、アメリカの対中国政策の帝国主義的本質を暴露し、アメリカ帝国主義にたいする国内の一部ブルジョア知識人の幻想に批判をくわえるとともに、中国革命の発生と勝利の原因について理論的に解明したものである。


 アメリカ国務省の中米関係についての白書とアチソン国務長官のトルーマン大統領あての書簡〔1〕が、いまのこの時点に発表されたのは偶然ではない。これらの文書が発表されたことは、中国人民の勝利と帝国主義の敗北を反映し、世界帝国主義体制ぜんたいの没落を反映している。帝国主義体制の内部には克服しようのない多くの矛盾が重なりあっていて、帝国主義者を極度の苦悩におとしいれている。
 帝国主義は自分自身のために滅亡の条件をととのえてきた。植民地、半植民地の人民大衆と帝国主義の本国における人民大衆の自覚が、そうした条件である。帝国主義は、全世界の人民大衆を、帝国主義の絶滅という偉大な闘争の歴史的時代にかりたてている。
 帝国主義は、これらの人民大衆のために、物質的条件もととのえてきたし、精神的条件もととのえてきた。
 工場、鉄道、兵器など、こうしたものが物質的条件である。中国人民解放軍の強大な物的装備は、その大部分がアメリカ帝国主義から手に入れたもので、一部は日本帝国主義から手に入れたもの、他の一部は自分で製造したものである。
 一八四〇年にイギリス人が中国を侵略してからというものは、英仏連合軍が中国を攻撃した戦争、フランスが中国を攻撃した戦争、日本が中国を攻撃した戦争、イギリス、フランス、日本、帝制ロシア、ドイツ、アメリカ、イタリア、オーストリアの八ヵ国連合軍が中国を攻撃した戦争、日本と帝制ロシアが中国の領土でおこなった戦争〔2〕、一九三一年いらい日本が中国の東北地方を攻撃した戦争、一九三七年いらい八年にわたって日本が中国の全領土を攻撃した戦争とつづき、最後に、ここ三年らい、表面では蒋介石、実際にはアメリカが中国人民を攻撃した戦争となっている。この最後の戦争について、アチソンの書簡は、国民党政府にたいするアメリカの物的援助が国民党政府の「貨幣支出の五〇パーセント以上」をしめ、「アメリカは中国の軍隊(国民党軍をさす)に軍需品を提供した」といっている。それは、アメリカが金と鉄砲を出し、蒋介石が人間を出して、アメリカのためにたたかい中国人を殺す戦争である。これらすべての侵略戦争、それに政治上、経済上、文化上の侵略と抑圧がくわわって、中国人の帝国主義にたいする憎しみをうみだし、中国人にこれはいったいどうしたことかと考えさせ、いやおうなしに、その革命精神をふるいたたせ、闘争のなかで団結させるようになった。中国人は、闘争、失敗、ふたたび闘争、ふたたび失敗、ふたたび闘争というようにして、百九年におよぶ経験をつみ、何百回にわたる大小の闘争の経験をつみ、軍事と政治、経済と文化、流血と非流血の経験をつんで、やっと、こんにちのこのような基本的な成功をかちとったのである。これが精神的条件であって、この精神的条件がなければ、革命は勝利をおさめることができない。
 侵略の必要から、帝国主義は中国に買弁制度をうみだし、官僚資本をうみだした。帝国主義の侵略は中国の社会経済を刺激して、これに変化をおこさせ、帝国主義の対立物をうみだした。つまり、中国の民族工業をうみだし、中国の民族ブルジョア階級をうみだし、またとくに、帝国主義の直接経営する企業、官僚資本の企業、民族ブルジョア階級の企業ではたらく中国のプロレタリア階級をうみだした。侵略の必要から、帝国主義は不等価交換の方法で中国の農民を搾取して、農民を破産においやり、中国に数億にのぼる広範な貧農大衆をうみだし、貧農が農村人口の七〇パーセントをしめるようになった。侵略の必要から、帝国主義は、中国に、ふるい型の文人や士大夫とはちがった、数百万にのぼる新しい型のさまざまな水準の知識人をうみだした。帝国主義とその手先である中国の反動政府は、これらの人びとのうちの一部分のものを支配できるだけであったが、のちになると、そのうちの胡適《フースー》、傳斯年《フースーニェン》、銭穆《チェンムー》といったごく少数のものを支配するのがせいぜいで、そのほかのものは反対の側にまわり、支配することができなくなった。学生、教員、教授、技手、技師、医者、科学者、文学者、芸術家、公務員などは、いずれも謀反《むほん》をおこすか、あるいは、もう二度と国民党についていこうとしなくなった。共産党は貧乏党である。そのうえ、国民党からは、殺人・放火や強姦《ごうかん》・略奪をはたらく、歴史もいらぬ、文化もいらぬ、祖国もいらぬ、親には不孝で、師を敬わず、道理をわきまえない、共産共妻で、人海戦術をとる、要するに、鬼のようなおそろしい面相をした一群の許しがたい極悪人として、ひろく、すみずみにまで宣伝されている。ところが、まことに不思議なもので、ほかならぬこうした一群のものが、数億の人民大衆から支持されており、しかも知識人の大多数、とりわけ青年学生から支持されているのである。
 一部の知識人は、もうすこし様子を見ようとしている。かれらは、国民党はよくないが、共産党もよいとはかぎるないから、様子を見てからにしよう、と考えている。そのうち一部のものは口先では支持するといいながら、腹のなかでは様子を見ている。アメリカに幻想をいだいているのは、ほかならぬこうした人たちである。かれらは、権力をにぎっているアメリカ帝国主義者と、権力をもたないアメリカ人民とを区別しようとしない。かれらは、ともすればアメリカ帝国主義者のある種の甘いことばにだまされ、たとえきびしい長期の闘争をやらなくても、これらの帝国主義者が人民の中国にたいし平等、互恵のあつかいをするかのように考えている。かれらの頭のなかには反動的な、すなわち反人民的な思想がまだたくさんのこっているが、しかし、かれらは国民党反動派ではなく、人民中国の中間派あるいは右派である。かれらこそ、アチソンのいう「民主的個人主義」の支持者である。アチソンらの欺瞞《ぎまん》的な手口は、まだ中国で、うすいながらも社会的基盤がある。
 アチソンの白書は、アメリカ帝国主義者が中国のいまの局面にたいして、どうにもうつ手がなくなったことをしめしている。国民党はいかにもふがいがなく、いくら助けてやっても、もうおしまいだ、もう自分たちの思いどおりにはならず、手のほどこしようがない、というのである。アチソンは、その書簡のなかでつぎのようにいっている。「中国の内戦の不吉な結末がアメリカ政府の手にあまるものだったことは、不幸ではあるが避けられないことでもあった。わが国がその力のおよぶ合理的な限度内でどのようなことをおこなったとしても、またおこなうことができたとしても、こうした結末を変えることはできなかったであろう。こうした結末がついに生じたのは、けっしてわれわれがなにかをやらなかったためではなかった。それは中国内部のさまざまな力、わが国がかつて左右しようとこころみて効果のなかったそうした力の所産である。」
 論理からすれば、アチソンの結論は、中国の一部のあいまいな考えをもつ知識人が考えたり、いったりしているように、「刀を捨てて、たちどころに仏となり」「強盗が改心して善人となる「つまり、人民の中国に平等、互恵の待遇をあたえ、二度と攪乱《かくらん》工作はやらない、ということになるはずである。ところが、そらではなく、アチソンは、これからも攪乱する、しかもかならず攪乱する、といっている。効果はどうだろうか。聞けば、あるとのことである。どんな連中にたよるのか。「民主的個人主義」の支持者にたよるのである。アチソンはいっている。「……中国の悠久の文明とその民主的個人主義はいつかはまた本領をあらわすであろうし、中国はいつかはまた外国のくびきからぬけだすであろう。中国の現在と将来のこの目標をめざすあらゆる発展をわれわれはすべて激励すべきである、と考える。」
 帝国主義者の論理と人民の論理はこんなにもちがっている。攪乱、失敗、ふたたび攪乱、ふたたび失敗、最後に滅亡――これが人民の事業に対処する、帝国主義と世界のすべての反動派の論理であって、かれらはけっしてこの論理に反することはない。これはマルクス主義の法則である。われわれが「帝国主義はきわめて凶悪だ」というのは、その本性はあらためることのできないもので、帝国主義者は、その滅亡の日まで、けっして刀を捨てようとするものではなく、また、けっして仏となれるものでもない、という意味である。
 闘争、失敗、ふたたび闘争、ふたたび失敗、ふたたび闘争、最後に勝利  これが人民の論理であって、人民もまたけっしてこの論理に反することはない。これはマルクス主義のもう一つの法則である。ロシア人民の革命はこの法則にしたがったし、中国人民の革命もまたこの法則にしたがっている。
 階級闘争、一部の階級が勝利し、一部の階級が消滅する。これが歴史であり、これが数千年にわたる文明史である。この観点から歴史を解釈するのが史的唯物論とよばれるもので、この観点の反対の側にたつのが史的観念論である。
 自己批判の方法は、人民の内部でしか用いることができない。帝国主義者や中国の反動派に勧めて、善心をおこさせ、正道に立ちかえるせようとしても、それは不可能である。唯一の手段は、力を組織してかれらと闘争することであり、われわれの人民解放戦争や土地革命のように、帝国主義を暴露し、かれらを「刺激」し、かれらを打倒し、かれらの違法行為に制裁をくわえ、「かれらには神妙にすることだけを許し、勝手な言動にでることを許さない」ことである。こうしてはじめて、平等と互恵の条件のもとで帝国主義の諸外国を相手にする望みがうまれるのである。こうしてはじめて、すでに武器をさしだし降伏した地主階級や官僚ブルジョア階級の連中と国民党反動集団の一味、およびその共犯者どもにたいし、悪人を善人にかえる教育をほどこし、可能なかぎりかれらを善人にうまれ変わらせる望みがうまれるのである。中国の多くの自由主義者、それは旧民主主義者のことであり、トルーマン、マーシャル、アチソン、スチュアートらが望みをかけて、いつも抱きこもうとしているいわゆる「民主的個人主義」の支持者たちのことであるが、かれらがともすれば、受け身の立場においこまれ、問題にたいする観察をあやまるのは――アメリカの支配者にたいする観察、国民党にたいする観察、ソ連にたいする観察をあやまり、また中国共産党にたいする観察をもあやまるのは、かれらが史的唯物論の観点で物事を見ることをしないか、あるいはそうすることに賛成しないからである。
 先進的な人びと、つまり共産党員、各民主政党、自覚した労働者、青年学生、進歩的な知識人は、人民中国内部の中間階層、中間派、各階層のなかのおくれた人びとや、なお動揺し、ためらっているすべての人びと(これらの人は今後も長いあいだ動揺し、立場がしっかりしたかとおもうとまた動揺し、困難にあえばすぐに動揺する)と団結し、善意をもってかれらを援助し、かれらの動揺性を批判し、かれらを教育し、人民大衆の側に獲得して、帝国主義にひっばっていかれないようにし、かれらが幻想をすてて闘争を準備するようにさせる責務がある。勝利したからもう働きかけなくてもよい、と考えてはならない。やはり働きかけなければならないし、もっと多くの辛砲づよい働きかけをしなければならない。そうしてくそ、ほんとうにこれらの人を獲得することができるのである。かれらを獲得すれば、帝国主義は完全に孤立してしまい、アチソンもその腕をふるう余地がなくなってしまう。
 「闘争を準備せよ」というスローガンは、中国と帝国主義国との関係、とりわけ中国とアメリカとの関係について、まだいくらか幻想をいだいている人びとにたいして出されたものである。かれらはまだアメリカに幻想をいだいているから、この問題では、まだ受け身で、まだ決意をしておらず、まだアメリカ帝国主義(およびイギリス帝国主義)と長期にわたってたたかう決意をもっていない。この問題では、かれらとわれわれのあいだに、まだひじょうに大きな、あるいはかなり大きなひらきがある。
 アメリカの白書とアチソンの書簡が発表されたことは、慶賀に値することである。なぜなら、それは、旧民主主義の思想、つまり民主的個人主義の思想をもっていて、人民民主主義、または民主的集団主義、または民主集中主義、または集団的英雄主義、または国際主義的愛国主義には賛成しないか、あるいはあまり賛成せず、これに不満をもつか、あるいはいくらかの不満をもち、さらには反感さえいだいているが、しかし、愛国心はまだもっていて、国民党反動派ではないというそうした人びとにたいして、水をかけ、かれらの面目をつぶしたからである。とりわけ、アメリカのものはなんでもよいと信じ、中国がアメリカに学ぶことを望んでいる人びとに水をかけたからである。
 アチソンはおおっぴらに、中国の民主的個人主義者が「外国のくびき」なるものからぬけだすよう、これを「激励」するといっている。つまり、マルクス・レーニン主義をくつがえし、中国共産党の指導する人民民主主義独裁の制度をくつがえす、というのである。それというのも、この主義とこの制度は中国に根をもたない「外国のもの」で、ドイツのマルクス(この人は死んで六十六年になる)、ロシアのレーニン(この人は死んで二十五年になる)とスターリン(この人はまだ生きている)が中国人におしつけたものであり、しかも、階級闘争とか帝国主義打倒とかを提唱するふらちきわまるものであるから、これはどうしてもくつがえさなければならないのだそうである。これについては、トルーマン大統領、マーシャル黒幕総司令官、アチソン国務長官(白書の発表にあたった愛すべき外国の大旦那)、スチュアートずらかり大使らが「激励」をあたえさえすれば、中国の「民主的個人主義がいつかはまた本領をあらわすようになるだろう」とのことである。アチソンらは、これで「激励」工作をやっているつもりである。だが、アメリカを信じていても、まだ愛国心をもっている中国の民主的個人主義者からは、水をかけられたようなものだ、面目まるつぶれだ、中国の人民民主主義独裁の当局とよく接触もしないで、こんなろくでもないことをしでかし、おまけにおおっぴらに発表するとは、なんともはや面目まるつぶれた、とおもわれているらしい。愛国心のある人びとにとって、アチソンのことばは「激励」ではなく、侮辱である。
 中国は大草命のさなかにあり、全中国がわきたっている。そこには、人民の革命事業にたいしてあやまった考えをもってはいるが、ふかい恨みも憎しみもいだいていないすべての人を獲得し、これと団結するためのよい条件がある。先進的な人びとは、白書を利用して、こうしたすべての人を説得すべきである。



〔注〕
〔1〕 こににいうアメリカの白書とは、アメリカ国務省が一九四九年八月五日に発表した「アメリカと中国との関係」と題する白書のことである。アチソンのトルーマンあて書簡というのは、アチソンがアメリカ国務省で白書をつくってのち、一九四九年七月三十日にトルーマンにあてて書いた手紙のことである。白書の本文は八章にわかれ、一八四四年にアメリカが中国に追って「望廈条約」を結んだときから、一九四九年に中国の人民革命が全国にわたって基本的な勝利をおさめたときまでの中米関係についてのべている。白書は、抗日戦争末期から一九四九年までの五年間に、アメリカが援蒋反共政策を実施し、あらゆる手をうって中国人民に反対し、最後に失敗をなめるにいたったいきさつをとくにくわしくのべている。白書とアチソンのトルーマンあて書簡は、是非の転倒、事実の隠蔽と捏造、中国人民にたいする悪どい中傷と根ぶかい憎悪にみちたものである。当時、アメリカの反動陣営内部に対中国政策をめぐる争いがあったため、トルーマン、アチソンらの帝国主義者は、相手側を説きふせようとして、やむなく、白書の形で反革命の若干の真相をあかちさまにさらけだしたのである。こうして白書は、客観的には、中国を侵略したアメリカ帝国主義の犯罪供述書となっている。
〔2〕 一九〇四年から一九〇五年にかけて、日本と帝制ロシアとのあいだに、中国東北地方および朝鮮の争奪をめぐっておきた帝国主義戦争のことである。この戦争は主として、中国東北地方の奉天(いまの瀋陽)、遼陽地区および旅順一帯でおこなわれ、中国人民に莫大な損失をあたえた。日露戦争の結果は、帝制ロシアの敗北に終わり、日本帝国主義が帝制ロシアにとってかわって、中国東北地方における支配的地位を手にいれた。朝鮮にたいする日本の独占的地位も、この戦争の講和条約(ポーツマス条約)で、帝制ロシアから認められた。

maobadi 2011-06-30 18:04
さらば、スチュアート


          (一九四九年八月十八日)


 スチュアート〔1〕がすでに南京《ナンチン》をはなれて、まもなくワシントンに着こうとしているが、まだ着いていないその八月五日という日をえらんで、アメリカの白書が発表されたことは、理解できることである。なぜなら、かれは、アメリカの侵略政策が徹底的に失敗したことの象徴だからである。スチュアートは中国生まれのアメリカ人で、中国に相当ひろい社会的つながりをもち、中国で長年、ミッション・スクールの経営にあたり、抗日の時期には日本人の監獄に入れられたこともあり、平素からアメリカも愛しまた中国も愛しているようなふりをして、一部の中国人を相当まどわすことができた。それで、かれはマーシャルに見込まれて駐華大使になり、マーシャル一派の風雲児の一人となった。マーシャル一派から見ると、かれには一つだけまずい点があった。それは、かれがマーシャル一派の政策を代表して中国で大使をやっていた時期全体が、ちょうど、中国人民によってこの政策が徹底的にうちやぶられた時期であったということで、その責任は小さくはない。責任のがれを目あてとする白書は、当然、スチュアートがもうすぐ着こうとしていてまだ着いていないというときに発表するのが適切であった。
 アメリカが金と鉄砲を出し、蒋介石《チァンチェシー》が人間を出し、アメリカのためにたたかって中国人を殺し、それによって、中国をアメリカの植民地にする戦争は、第二次世界大戦後におけるアメリカ帝国主義の世界侵略政策の重要な部分をなしている。アメリカの侵略政策の対象には、いくつもの部分がある。ヨーロッパの部分、アジアの部分、アメリカ州の部分、この三つがおもな部分である。中国はアジアの重心であり、四億七千五百万の人口をもつ大国なので、中国をうばいとれば、アジア全体が自分のものになる。アメリカ帝国主義のアジア戦線が強固になれば、ヨーロッパの攻撃に力を集中することができる。アメリカ帝国主義は、アメリカ州における自己の戦線はわりに強固なものと考えている。以上がアメリカ侵略者の皮算用の全部である。
 だが、第一に、アメリカの人民も全世界の人民も戦争を望んでいない。第二に、ヨーロッパの人民の自覚、東ヨーロッパの人民民主主義諸国の勃興《ぼっこう》、とくにヨーロッパ、アジア両大陸にまたがってそびえ立つソ連というかつてないほど強大な平和のとりでがアメリカの侵略政策に頑強《がんきょう》に抵抗していること、これらのことがアメリカの注意力の大部分をひきつけている。第三に、これが主要なものであるが、中国人民の自覚、中国共産党の指導する武装力と民衆の組織された力がすでに、かつてないほど強大なものになっている。こうして、アメリカ帝国主義の政権担当者集団は、中国にたいして直接、大規模に武力攻撃をおこなう政策がとれず、蒋介石を助けて内戦をやらせる政策をとらざるをえなくなった。
 アメリカの陸海空軍はすでに中国で戦争に参加している。青島《チンタオ》、上海《シャンハイ》、台湾《タイワン》にはアメリカの海軍基地があった。北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》、唐山《タンシャン》、秦皇島《チンホヮンタオ》、青島、上海、南京にはすべてアメリカ軍が駐屯していた。アメリカの空軍は全中国を支配し、空中から全中国の戦略要地を軍用地図に撮影した。アメリカの軍隊あるいは軍事要員は北平の近くの安平《アンピン》鎮で、長春《チャンチュン》の近くの九台《チュウタイ》で、唐山で、膠東《チァオトン》半島で、人民解放軍と交戦し、なんども人民解放軍の捕虜になった〔2〕。シェンノート航空隊はひろい範囲にわたって参戦した〔3〕。アメリカの空軍は蒋介石のために軍隊の輸送にあたったほか、蜂起した巡洋艦重慶号を撃沈した〔4〕。これらはすべて直接の参戦行為である。ただ、公然と戦争を宣言しておらず、規模もそれほど大きくなく、金や鉄砲や顧問を出し大規模に蒋介石を助けて内戦をやらせることをおもな侵略方式としているというだけのことである。
 アメリカがこうした方式をとったのは、中国と全世界の客観情勢によるもので、なにもアメリカ帝国主義の政権担当者――トルーマン、マーシャルの一派が中国を直接侵略することを考えなかったというのではない。蒋介石を助けて戦争をやらせた当初には、アメリカは自分がおもてに立って国共両党の紛争を調停するというハイカラ芝居を演じて、中国共産党を軟化させ、中国人民を欺瞞《ぎまん》し、戦わずして全中国を支配しようとたくらんだこともあった。和平交渉は失敗し、欺瞞は成功せず、戦争の幕がきっておときれた。
 アメリカに幻想をいだいている健忘症の自由主義者またはいわゆる「民主的個人主義」者の諸君、ひとつアチソンのいっていることを聞いてみたまえ。「平和がおとずれたとき、中国でアメリカが選択できる道はつぎの三つであった。(一)なにもかもすっかり撤退する。(二)大規模な軍事干渉をおこない、国民党を助けて共産党を撲滅する。(三)国民党を助けて、その権力を中国のできるかぎりひろい地域にうちたて、同時に、双方の妥協をうながすことによって内戦の回避につとめる。」
 なぜ第一の政策をとらなかったのか。アチソンはいっている。「第一の方法をとることは、われわれがまず助力をあたえることにあくまで努力しようともしないで、われわれの国際的責任、われわれの伝統的な対華友好政策をそっくり放棄してしまうものだと、当時のアメリカの世論は考えていたと、わたしは信じている。」なるほど、アメリカのいわゆる「国際的責任」とか「伝統的な対華友好政策」とかいうものは、中国に干渉することだったのである。干渉することが国際的責任を負うことであり、干渉することが対華友好であってみれば、干渉しないわけにはいかなくなる。アチソンはここでアメリカの世論を辱《はずか》しめているのだ。それはウォール街の「世論」ではあっても、アメリカの世論ではない。
 なぜ第二の政策をとらなかったのか。アチソンはいっている。「選択できる第二の政策は、理論的にみても、また、いまふりかえってみても、魅力あるもののようであるが、まったく実行できないものであった。戦前の十年間でさえ、国民党は共産党を撲滅できなかった。現在は戦後であり、国民党は弱まり、意気消沈し、民心をうしなっている。これについては、さきに説明したとおりである。日本の手からとりもどした地域における国民党の文武官吏の行為は、国民党にたいする人民の支持をいっぺんにうしなわせ、その威信を失墜させた。ところが、共産党はこれまでのどの時期よりも強大になり、全華北はほとんどかれらの支配するところとなった。国民党軍がのちにしめしたみじめな無能ぶりからみれば、共産党を追いはらうには、おそらくアメリカの武力にたよるほかなかったであろう。だが、このような大きな責任は、われわれの軍隊が一九四五年に負ったとしても、あるいはもっとあとで負ったとしても、アメリカの人民がこれを承認しなかったであろうことはあきらかである。したがって、われわれは、選択できる第三の政策をとった……」
 アメリカが金と鉄砲を出し、蒋介石が人間を出し、アメリカのためにたたかって中国人を殺し、「共産党を撲滅し」、中国をアメリカの植民地にかえ、アメリカの「国際的責任」をはたし、「伝統的な対華友好政策」を実現するとは、すばらしいやり方である。
 国民党は腐敗し無能であり、「意気消沈し、民心をうしなっている」が、それでも、金を出し鉄砲を出してかれらに戦争をやらせたのである。直接出兵して干渉することも、「理論的」には妥当であった。アメリカの支配者だけからいえば、「いまふりかえってみても」やはり妥当である。というのは、こうすることは、じつに興味のあることで、「魅力あるもののようである」からである。だが実際には実行できないことであり、「アメリカの人民がこれを承認しなかったであろうことはあきらかである」。われわれ――トルーマン、マーシャル、アチソンら帝国主義者一派――はやりたくないのではなく、やりたいのはやまやまだが、ただ中国の情勢、アメリカの情勢、それからまた国際情勢全体(この点にはアチソンはふれていない)が許さないので、やむをえず次善の策として第三の道をとった、というわけである。
 「国際的な援助がなくても勝利できる」と考えている中国人は、よく聞くがよい。アチソンは諸君に授業をしてくれているのだ。アチソンは、給料ももらわずに奉仕的に授業してくれるありがたい教師で、こんなに熱心に、少しもつつみかくさず、ありったけの真理を語ってくれる。アメリカが大がかりに出兵して中国を攻撃しなかったのは、アメリカ政府が望まなかったからではなく、アメリカ政府に懸念があったからである。第一の懸念は中国人民がかれらに反対することで、かれらは泥沼にはまりこんで抜けだせなくなるのを恐れたのである。第二の懸念はアメリカの人民がかれらに反対することで、そのために、思いきって動員令が下せなかったのである。第三の懸念はソ連とヨーロッパの人民、各国の人民がかれらに反対することで、かれらは天下のそしりをうけるのを恐れたのである。アチソンの愛すべき卒直さにも限度があって、この第三の懸念は口にしたがらない。それは、かれがソ連のまえで恥をかくのを恐れているからであり、すでに失敗しているのにまだ失敗していないようなふりをしなければならないヨーロッパのマーシャル・プラン〔5〕が、全面的崩壊というみじめな状態におちいるのを恐れているからである。
 近視眼的で、考えのあいまいな中国の自由主義者あるいは民主的個人主義者はよく聞くがよい。アチソンは諸君に授業をしてくれているのだ。アチソンは諸君のありがたい教師である。諸君が想像しているアメリカの仁義道徳は、もはやアチソンによってきれいに掃きすてられている。そうではないか。諸君は白書やアチソンの書簡のなかから仁義道徳のひとかけらでもさがしだすことができるだろうか。
 アメリカにはたしかに科学があり、技術があるが、惜しいことに、人民の手にはなく、資本家の手ににぎられているので、それは、内にたいする搾取と抑圧、外にたいする侵略と殺人のために使われている。アメリカにも「民主政治」はあるが、惜しいことに、それはブルジョア階級という一階級の専制支配の別名でしかない。アメリカにはたくさん金があるが、惜しいことには腐りきった蒋介石反動派にしかやる気がない。聞くところによると、現在も将来も、中国にいるかれらの第五列にはやる気が大いにあるそうだが、そこいらの、学究くさい、人さまの好意も知らぬ自由主義者あるいは民主的個人主義者にはやる気はなく、もちろん、共産党にはなおさらやる気はないということである。くれてやってもよいが、それには条件がある。どんな条件か。おれについてこい、である。アメリカ人は北平で、天津で、上海で、すこしばかり救済用の小麦粉をばらまき、どんな連中が腰をかがめて拾うかをためしてみた。太公望の魚釣《つ》りでは、釣られたい者が針にかかる。嗟来《さらい》の食《し》は、食えばおなかが痛くなる〔6〕。
 われわれ中国人には気骨がある。かつては自由主義者あるいは民主的個人主義者だった多くの人びとが、アメリカ帝国主義者とその手先国民党反動派をまえにして立ちあがった。聞一多《ウェンイートー》は卓をたたいて立ち、まなじりを決して国民党の拳銃《けんじゅう》に立ちむかい、倒れても屈しようとはしなかった〔7〕。朱自清《チューツーチン》は重病の身でありながら、餓死しても、アメリカの「救済食糧」はうけなかった〔8〕。唐代の韓愈《かんゆ》は「伯夷頌《はくいしょう》」を書いたが〔9〕、たたえているのは、自国の人民には責任を負わず、こっそり逃げだし、しかも武王の指導する当時の人民解放戦争にも反対した、かなり「民主的個人主義」の思想をもっていた伯夷であって、こういうものをたたえるのはまちがいであった。われわれは聞一多頌を書き、朱自清頌を書くべきである。かれらはわれわれの民族の英雄的気魄《きはく》をしめしている。
 多少の困難を、なんで恐れることがあろう。封鎖するがよい。五年十年と封鎖しているうちには、中国の問題はすべて解決される。中国人は、死をも恐れないのに、なんで困難を恐れよう。老子もいっているように「民、死を畏《おそ》れずんば、何ぞ死をもって之を懼《おそ》れしめん」〔10〕である。アメリカ帝国主義とその手先蒋介石反動派は、われわれにたいして、「死をもって之を懼れしめ」ただけでなく、実際に、われわれを死においやっている。かれらは、聞一多らの人びとのほかにも、この三年のあいだに、アメリカのカービン銃、機関銃、追撃砲、バズーカ砲、榴弾《りゅうだん》砲、戦車、飛行機、爆弾で数百万の中国人を殺した。いまは、こうした状況も大詰めに近づいている。かれらは戦いに負けた。かれらが攻めてくるのでなくて、われわれが攻めていくようになった。かれらはもうすぐおしまいである。かれらはわれわれに多少の困難をのこした。封鎖、失業、飢饉、通貨膨脹、物価騰貴といったようなものは、たしかに困難ではあるが、しかし、この三年間にくらべれは、ひと息つけるようになっている。この三年間の難関でさえ突破したのに、どうして、いまのこれくらいの困難が克服できないことがあろうか。アメリカなしに生きていけないことがあろうか。
 人民解放軍が長江《チャンチァン》を渡ると、南京のアメリカ植民政府はくもの子を散らすように逃げさった。ところがスチュアート大使さまだけは、新しい店でもひらいてひともうけしようとじっと腰をおちつけ、目を大きくして様子をうかがっていた。だが、スチュアートはなにを見たか。人民解放軍が一隊また一隊と通りすぎ、労働者、農民、学生がつぎつぎと群れをなして立ちあがるのを見たほかに、さらに、もうひとつの現象、つまり中国の自由主義者あるいは民主的個人主義者までが大挙して労働者、農民、兵士、学生たちといっしょにスローガンを叫び、革命を論じているのを見たのである。要するに、だれも、かれをかまってくれるものがいなかった。そこで「煢々《けいけい》として孑立《げつりつ》し、形影相弔《とむらう》う」①ことになり、なにもすることがないので、カバンを小脇に出ていくよりしかたがなくなった。
 中国にはまだ、あいまいな考えをもち、アメリカに幻想をいだいている一部の知識人やその他のものがいる。したがって、かれらにたいしては、説得、獲得、教育、団結の活動をすすめ、かれらを人民の側に立たせて、帝国主義のわなにかからせないようにしなければならない。しかし、中国人民のあいだでは、アメリカ帝国主義の威信はすっかり地におちてしまった。アメリカの白書こそ破産の記録である。先進的な人びとは、白書をじゅうぶんに利用して、中国人民にたいする教育活動をおこなわなければならない。
 スチュアートが去り、白書が来た。たいへん結構。この二つのことは、どちらもよろこばしいことである。



〔注〕
〔1〕 スチュアートは、一八七六年に中国に生まれた。かれは一貫して、アメリカの対華文化侵略の忠実な執行者だった。かれは一九〇五年から中国で布教をはじめ、一九一九年からはアメリカが中国の北京に設けていた燕京大学の学長になった。一九四六年七月十一日、スチュアートは中国国民党政府駐在のアメリカ大使となり、積極的に国民党反動派の反人民的内戦のあと押しをするとともに、中国人民に敵対する各種の政治的陰謀活動をおこなった。一九四九年八月二日、中国人民革命の勝利をさまたげようとするアメリカ帝国主義のすべての努力が徹底的な失敗に終わったために、スチュアートはすごすごと中国から立ち去らざるをえなくなった。
〔2〕 一九四五年に日本が降伏したのち、アメリカ軍は、中国の領土・主権にたいする侵害と中国の内政にたいする干渉を目的として中国に上陸し、北平、上海、南京、天津、唐山、開平、秦皇島、静海、青島などの地区に駐屯するとともに、たえず解放区を侵攻した。本文にでている安平鎮事件とは、一九四六年七月二十九日に天津のアメリカ軍か蒋介石匪賊軍に呼応して河北省香河県安平鎮を攻撃した事件のことである。九台事件とは、一九四七年三月一日、アメリカ軍が長春と九台とのあいだの河渓堡の解放軍陣地にたいして軍事偵察をおこなった事件のことである。唐山事件とは、一九四六年六月十六日に唐山のアメリカ軍が宋家営などの地に侵入し、同年七月、唐山付近の[シ+欒]県三河荘子と昌黎県西河南村に侵入した事件のことである。膠東半島にたいするアメリカ軍の侵攻はたびたびおこなわれたが、有名なものが三国ある。一回は、一九四七年八月二十八日にアメリカの飛行機と軍艦が牟平県の浪暖口と小里島を侵攻した事件、一回は、同年十二月二十五日にアメリカ軍が蒋介石匪賊軍に呼応して即墨県の北の王麟陶を攻撃した事件である。上述の、解放区を侵攻したアメリカ軍の侵略行為にたいしては、中国人民解放軍も地方の人民武装部隊も厳正な自衛行動をとった。
〔3〕 シェンノートはアメリカ人で、かつて国民党政府の空軍顧問をつとめた。日本が降伏したのち、かれはアメリカ第十四航空隊の一部の要員をひきい、空輸隊をつくって、国民党を助けて内戦をやらせ、また解放医の偵察、爆撃などの犯罪行為に直接参加した。
〔4〕 本巻の『中国人民解放軍総可令部スポークスマンがイギリス軍艦の暴虐行為について発表した声明』注〔4〕を参照。
〔5〕 一九四七年六月五日、アメリカ国務長官マーシャルはハーバード大学で、いわゆるヨーロッパの復興にたいするアメリカの「援助」なるものについて演説した。のちにアメリカ政府がこれにもとづいてつくった「ヨーロッパ復興計画」は、「マーシャル・プラン」とよばれた。
〔6〕 「太公望の魚釣りでは、釣られたい者が針にかかる」というのは民間伝説である。その伝説によれば、周代の姜太公は渭水のほとりで、餌をつけない、まっすぐな針を水面上三尺のところにたらして魚釣りをし、「捕えられる運命にあるものは針にかかれ」といったといわれているか、この話は『武王伐紂平話《ぶおうちゅうをうつのものがたり》』の中巻にみられる。「嗟来の食」とは侮辱的にあたえる施しのことである。斉国の一人の飢えた男が嗟来の食を食わなかったために餓死した話が、『礼記《らいき》』の「檀弓下《だんくうげ》」にでている。
〔7〕  聞一多(一八九九~一九四六年)は中国の有名な詩人、学者、教授であった。一九四三年以後、蒋介石政府の反動性と腐敗ぶりにはげしい憤りをもやして、民主主義のための闘争に積極的に参加した。抗日戦争終結後は、国民党がアメリカ帝国主義と結託して反人民的内戦をおこすことに積極的に反対した。一九四六年七月十五日、国民党匪賊一味の手にかかって昆明で暗殺された。
〔8〕 朱自清(一八九八~一九四八年)は中国の現代の文学者であり、教授であった。抗日戦争終結後、かれは蒋介石の支配に反対する学生運動を積極的に支持した。一九四八年六月、アメリカが日本軍国主義をもりたてることに抗議し「アメリカの援助物資」の小麦粉をうけとることを拒否する宣言に署名した。当時、朱自清はひじょうな生活難におちいっており、同年八月十二日ついに貧乏と病気のため北平で逝去した。死に臨んでもなお、かれは国民党政府の配給するアメリカの小麦粉を買わないよう家人にいいつけた。
〔9〕 韓愈(七六八~八二四年)、唐代の有名な作家。「伯夷頒」は韓愈の書いた散文である。伯夷は殷《いん》末の人で、周の武王が兵を挙げて殷王朝を討伐することに反対した。武王が殷を滅ぼしてのち、かれは首陽山にかくれ、周の禄《ろく》を食《は》むことなく世を去った。
〔10〕 『老子』の第七十四章にみられる。
〔訳注〕
① 李密の「陳情表」にみられる。「寂しくひとりぼっちで立ち、自分と自分の影がたがいに慰めあっている」という意味で、孤独で同情者のないありさま。

maobadi 2011-06-30 18:05
なぜ白書を討論する必要があるのか


          (一九四九年八月二十八日)


 アメリカの白書とアチソンの書簡については、すでに三つの論文(『いかんともしがたいという供述書』〔1〕、『幻想をすてて、闘争を準備せよ』、『さらば、スチュアート』)で批判をくわえてきた。これらの批判は、すでに全国の各民主政党、各人民団体、各新聞社、各学校および各界の民主人士のあいだで、ひろく注目され討論されており、正しい有益な声明、談話あるいは論評がたくさん発表されている。いま白書を討論するさまざまな座談会がひらかれており、討論は全体としてなお発展しつつある。討論の範囲は中米関係、中ソ関係、百年らいの中国と外国との関係、中国革命と世界の革命勢力との相互関係、国民党反動派と中国人民との関係、各民主政党、各人民団体および各界の民主人士が反帝国主義闘争のなかでとるべき態度、自由主義者あるいはいわゆる民主的個人主義者が対内・対外関係全体のなかでとるべき態度、帝国主義の新たな陰謀にいかに対処するかという問題などにおよんでいる。これはまことに結構なことで、教育的な役割もひじょうに大きい。
 いま、全世界が中国革命とアメリカの白書について討論している。これは偶然なことではなく、世界史全体における中国革命の偉大な意義をしめすものである。中国人からいえば、われわれの革命が基本的に勝利しているにもかかわらず、この革命と内外各方面との相互関係についてつぶさに討論する機会は、長いあいだ一度もえられなかった。こうした討論はぜひとも必要なもので、いまその機会がみつかった。アメリカの日書について討論することがそれである。これまでこうした討論の機会がえられなかったのは、革命がまだ基本的な勝利をおさめておらず、内外の反動派が大都市を人民解放区からきりはなしていたこと、さらには、革命の発展がまだいくつかの矛盾の側面をじゅうぶんに暴露するにいたっていなかったことによるのである。いまはちがう。中国の大半がすでに解放され、内外のあらゆる矛盾の側面もじゅうぶんに暴露されている。ちょうどそのときアメリカが白書を発表したので、この討論の機会がみつかったのである。
 白書は反革命の文書であり、アメリカ帝国主義の中国にたいする干渉をあからさまにしめしている。この点からいうと、それは帝国主義がすでにその常軌を逸したことを物語っている。勝利にかがやく偉大な中国革命によって、アメリカ帝国主義集団内部の一方の側、一方の派は、他方の側、他の一派の攻撃にこたえるため、自分たちが中国人民に敵対していることについての若干の真実の資料を公表し、反動的な結論を出さざるをえなくなった。そうしなければ、かれらはごまかしていけなくなったのである。あからさまな暴露が隠しだてにとって代わったこと、これこそ帝国主義がその常軌を逸したことのあらわれである。帝国主義政府は反革命活動を毎日おこなっているにもかかわらず、何週間かまえ、白書が発表されるまでは、口先でも政府筋の文書のうえでも、つねに仁義道徳をふりまわすか、さもなければ多少とも仁義道徳をにおわせ、真実は一度も語ったことがなかった。老獪《ろうかい》なイギリス帝国主義や他のいくつかの小さな帝国主義国はいまでもそうである。新参もので、にわか成金で、神経衰弱で、一方では人民から反対され、他方ではおなじ仲間の一派から反対されている、アメリカのトルーマン、マーシャル、アチソン、スチュアートといった帝国主義者一派は、若干の(すべてではない)反革命の真相をあからさまにさらけだすやり方によって、いったいどちらの反革命的方法がより賢明であるかという問題を、おなじ仲間の相手側と論じあうことが、必要でもあり、実際的でもあると考えた。かれらは、より賢明だと自認する反革命的方法をつづけていくため、こうして相手を説きふせようとしたのである。反革命の両派がはりあって、一派は自分の方法がいちばんよいといい、他の一派も自分の方法がいちばんよいという。争いがにっちもさっちもいかなくなったとき、とつぜん、一方の派が手の内をみせ、自分たちのつかった数かずの奥の手を出してきた、それが白書である。
 こうして、白書は中国人民の教材になった。長年のあいだ、多くの問題、主として帝国主義の本質や社会主義の本質の問題について、われわれ共産党員のいうことは、若干の(ある時期にはひじょうに多かった)中国人から、とかく、「そうとも限るまい」という半信半疑の目でみられていた。こうした状況には、一九四九年八月五日いご変化がうまれた。アチソンが授業をはじめたのである。アチソンがアメリカ国務長官の資格で話をしたのである。かれのいうところと、われわれ共産党員、あるいは他の先進的な人たちのいうところとは、若干の資料と若干の結論については、軌を一にしている。こうなると、もはや信じないわけにいかなくなり、なるほど、そうだったのかと、多くの人の視野がひらけてきたのである。
 アチソンはトルーマンあての書簡の冒頭で、かれが白書をまとめたいきざつをのべている。かれは、この白書はふつうのものとはわけがちがい、きわめて客観的に、きわめて卒直にまとめてある、と語っている。「これは、アメリカとはやくからきわめて親密で友好的なつながりをもつ偉大な国の生涯におけるもっとも複雑で、もっとも不幸な時期についての卒直な記録である。入手しえたかぎりの資料は、たとえその一部のことばがわれわれの政策を批判したものであっても、また、たとえ一部の資料が将来批判の根拠になりうるものであっても、すべて省きはしなかった。われわれの政府が見識のある批判的な世論に敏感だということは、われわれの制度のもつ固有の力である。こうした見識のある批判的な世論は、右翼であれ共産党であれ全体主義の政府にとってはがまんのならないものであり、すべて許しがたいものである。」
 中米両国人民のあいだのある種のつながりは存在している。こうしたつながりは、両国人民の努力によって、将来は「きわめて親密で友好的な」程度にまで発展するであろう。しかし、中米両国の反動派のもうけた壁によって、こうしたつながりは、過去においても現在においても、きわめて大きな妨害をうけている。そのうえ、両国反動派が両国人民にむかってうそ八百をならべ、いろいろとでたらめをやったため、つまり、いろんな悪質な宣伝をおこない悪事をはたらいたため、両国人民のつながりはきわめて疎遠なものになっている。アチソンのいう「きわめて親密で友好的なつながり」とは、両国人民のことではなく、両国反動派のことをさしているのである。この点で、アチソンは、客観的でもなければ卒直でもなく、両国人民相互の関係と両国反動派相互の関係とを混同している。両国人民にとって、中国革命の勝利と中米両国反動派の敗北は、生涯においてかつてなかった愉快なできことであり、いまのこの時期は、生涯においてかつてなかった愉快な時期である。それにひきかえ、トルーマン、マーシャル、アチソン、スチュアートその他のアメリカ反動派と蒋介石《チァンチェシー》、孔祥煕《コンシァンシー》、宋子文《ソンツーウェン》、陳立夫《チェンリーフー》、李宗仁《リーツォンレン》、白崇禧《パイチョンシー》その他の中国反動派にとっては、たしかに「生涯におけるもっとも複雑で、もっとも不幸な時期」である。
 アチソンらの世論にたいする見方は、反動派の世論と人民の世論とを混同している。人民の世論にたいしては、アチソンらはすこしも「敏感」ではありえず、みなめくらであり、つんぼである。数年らい、アメリカ、中国、全世界の人民がアメリカ政府の反動的な対外政策に反対してきたが、かれらは耳をふさいで、聞こうともしなかった。アチソンのいう「見識のある批判的な世論」とは何か。それはアメリカの共和党、民主党という二つの反動政党にあやつられている数かずの新聞、通信社、出版物、放送局など、もっぱらうそ八百をならべ、もっぱら人民をおどしつけている宣伝機関のことである。アチソンのいうとおり、これらのしろものは共産党にとって(いや、人民にとっても)、たしかに「がまんのならないものであり、許しがたいものである」。そこで、帝国主義の広報機関はわれわれによって閉鎖され、帝国主義の通信社の、中国の新聞にたいするニュースの提供はわれわれによって禁じられた。われわれは、それらのものが二度と中国の領土で勝手気ままに中国人民の魂をむしばむことを許さないのである。
 共産党の指導する政府が「全体主義の政府」だというのは、半分はあたっている。この政府は、内外の反動派にたいして独裁または専制をおこなう政府であり、どのような内外の反動派にも、反革命の活動をおこなう自由はいっさいあたえない。反動派は腹をたてて、「全体主義の政府」だとののしっている。事実、反動派を弾圧する人民政府の権力についていえば、まちがいなくそのとおりである。この権力は、現在われわれの綱領に書きこまれており、将来はさらにわれわれの憲法に書きこまれるであろう。勝利した人民にとって、これは衣類や食料とおなじように、片時もなくてはならないものである。これはすばらしいものであり、身をまもる宝であり、伝家の秘宝であり、国外の帝国主義と国内の階級がのこらずきれいさっぱり消滅されるときまで、けっして、この秘宝を使わないでほうっておくようなことをしてはならない。反動派が「全体主義の政府」とののしればののしるほど、それが大事なものであることはますますはっきりしてくる。だが、アチソンのいうことの半分はまちがっている。共産党の指導する人民民主主義独裁の政府は、人民の内部にたいしては、独裁でも専制でもなく、民主である。この政府は人民自身の政府である。この政府の要員は、人民にたいしては、そのいうことをうやうやしく聞かなければならない。同時に、かれらはまた人民の先生であり、自己教育あるいは自己批判の方法で人民を教育する。
 アチソンのいう「右翼の全体主義政府」ということになると、ドイツ、イタリア、日本の三つのファッショ政府が倒れていらい、この世界で、アメリカ政府こそそうした政府の筆頭である。すべてのブルジョア政府は、帝国主義の庇護をうけているドイツ、イタリア、日本三国の反動派の政府をもふくめて、いずれもそうした政府である。ユーゴスラビアのチトー政府も、いまはこの一味の手伝いをしている。アメリカ、イギリス型の政府は、ブルジョア階級というひとつの階級が人民にたいして独裁をおこなう政府である。この政府はすべてにわたって人民政府とは逆で、ブルジョア階級の内部にたいしてはいわゆる民主であるが、人民にたいしては専制である。ヒトラー、ムッソリーニ、東条、フランコ、蒋介石といった連中の政府が、ブルジョア階級内部の民主というベールをとりはらったか、あるいははじめから使わないことにしたのは、国内の階級闘争が極度にはげしくなってきたため、人民もベールを利用してさわぎたてることがないよう、それをとりはらうか、あるいは、はじめから使わないほうがいっそう有利だったからである。アメリカ政府は、いまなお一片の民主のベールをつけているが、すでに、アメリカの反動派のために裁ちきられて小さくなり、そのうえ色もひどくあせてしまい、ワシントン、ジェファーソン、リンカーン〔2〕の時代のそれにくらべると、ずっと見おとりがする。これは階級闘争がいちだんと緊迫の度をつよめたからである。さらに緊迫の度がつよまれば、アメリカの民主のベールもはるかかなたに投げすてられるにちがいない。
 ごらんのとおり、アチソンはちょっと口をひらいただけで、もうこんなにたくさんの間違いをしでかしている。かれは反動派なので、これは避けがたいことである。かれの白書がいかに「卒直な記録」であるかという点になると、卒直なところがあるともいえるし、ないともいえるとおもう。アチソンらが主観的にかれらの一党一派にとって有利と考えるものについては、かれらは卒直なところがある。そうでないものについては、卒直なところがない。卒直なふりをするのは、作戦上のねらいからである。



〔注〕
〔1〕 これは、新華社編集部が書いた論評で、一九四九年八月十二日に発表された。
〔2〕 ワシントン(一七三二~一七九九年)、ジェファーソン(一七四三~一八二六年)、リンカーン(一八〇九~一八六五年)は、いずれもアメリカの初期における有名なブルジョァ政治家である。ワシントンは、アメリカ独立戦争の時期(一七七五~一七八三年)の植民地蜂起軍の総司令官で、アメリカの初代大統領になった。ジェファーソンは、アメリカの「独立宣言」の起草者で、アメリカの大統領になった。リンカーンは、アメリカの黒人奴隷制度の廃止を主張して、大統領在任中、アメリカ南部各州の奴隷主にたいする戦争(一八六一~一八六五年)を指導し、一八六二年に「黒人奴隷解放宣言」を公布した。

maobadi 2011-06-30 18:06
「友情」か侵略か


          (一九四九年八月三十日)


 侵略の根拠をもとめるために、アチソンはくりかえし山ほどの「友情」をならべたて、そのうえ、山ほどの「原則」をつけたした。
 アチソンはいう。「われわれの歴史のきわめてはやい時期から、アメリカの人民と政府は中国に関心をよせてきた。大きな距離と大きな背景の相違が中米両国をへだててはいるが、中国にたいするアメリカの友情は、中米両国人民をむすぶ宗教、慈善事業および文化方面の紐帯《ちゅうたい》によってたえず深められてきた。長年にわたるさまざまな好意的な措置、たとえば、庚子賠償金①を中国学生の教育につかったこと、第二次世界大戦の期間に治外法権を撤廃したこと、戦時および戦後に中国にたいして大規模な援助をおこなったことなどがそれを立証している。アメリカは、門戸開放主義、中国の行政と領土の保全にたいする尊重、中国にたいするいかなる外国の支配にも反対等々をふくむ対車外交政策の各基本原則を終始維持し、現在も依然として維持しているが、これは保存文書のしめすとおりである。」
 アチソンはぬけぬけとうそをついて、侵略を「友情」と書きかえている。
 一八四〇年にイギリス人を助けてアヘン戦争をやらせたときから、中国人民によって中国からたたき出されるまでのアメリカ帝国主義の中国侵略の歴史を、簡明に要約した一冊の教科書にまとめて、中国の青年を教育すべきである。アメリカはもっともはやく中国に治外法権〔1〕を強要した国の一つで、これがすなわら白書にとりあげられている中米両国が有史いらい最初に調印した一八四四年の望廈条約〔2〕である。そして、ほかならぬこの条約のなかで、アメリカは中国に五港通商その他の受諾を強要したほか、さらにアメリカ人の布教活動の受諾をも強要したのであった。アメリカ帝国主義は、ひじょうに長いあいだ、他の帝国主義国にくらべて、いっそう精神的侵略の面での活動に重きをおき、宗教事業から「慈善」事業や文化事業にまで手をのばしていった。ある人の統計によれば、アメリカの教会、「慈善」団体の中国における投資は総額四千百九十万ドルにたっしており、教会の資産項目のうちでは、医薬関係が一四・七パーセント、教育関係が三八・二パーセント、宗教活動関係が四七・一パーセントをしめている〔3〕。わが国の多くの有名な学校、たとえば燕京、協和、匯文、セント・ジョーンズ、金陵、東呉、之江、湘雅、華西、嶺南などの学校はいずれもアメリカ人が設立したものである〔4〕。スチュアートはこれらの事業で名を売り、それによって駐華大使になった。アチソンたちはちゃんと心得ているのであって、「中国にたいするアメリカの友情は、中米両国人民をむすぶ宗教、慈善事業および文化方面の紐帯によってたえず深められてきた」ということにはいわれがあるのである。一八四四年の条約調印のときからかぞえて百五年ものあいだ、アメリカは、ずっと下心をもってこれらの事業を経営してきたのであるが、これもすべて「友情を深める」ためだったということである。
 八ヵ国連合軍にくわわって中国をうちやぶり、庚子賠償金を出させて、これを「中国学生の教育」につかい、精神的侵略をおこなったのも、これまた「友情」のあらわれの一つなのである。
 治外法権は「撤廃」されたが、沈崇《シェンチョン》強姦《ごうかん》事件の犯人がアメリカに帰り、アメリカ海軍省から無罪釈放をいい渡された〔5〕のも、これまた「友情」のあらわれの一つなのである。
 「戦時および戦後の対華援助」は、白書によれば四十五億余ドル、われわれの統計によれば五十九億一千四百余万ドルであるが、これで蒋介石を助けて幾百万の中国人を殺したのも、これまた「友情」のあらわれの一つなのである。
 百九年にわたって(一八四〇年の英米の協力によるアヘン戦争からかぞえて)アメリカ帝国主義が中国にしめしたすべての「友情」、とりわけここ数年らい蒋介石を助けて幾百万の中国人を殺したこの偉大な「友情」は、いずれも一つの目的、すなわち「門戸開放主義、中国の行政と領土の保全にたいする尊重、中国にたいするいかなる外国の支配にも反対等々をふくむ対華外交政策の各基本原則を終始維持し、現在も依然として維持する」ことにあった。
 幾百万の中国人を殺したのは、ほかでもなく、第一には門戸を開放するためであり、第二には中国の行政と領土の保全を尊重するためであり、第三には中国にたいするいかなる外国の支配にも反対するためであった。
 いまは広州《コヮンチョウ》、台湾《タイワン》などといったごく一部の地域の門戸だけがまだアチソンたちに開放されており、そこでは第一の神聖な原則が「依然として維持」されている。その他の地域、たとえば上海《シャンハイ》では、解放いらいもともと開放されていたのに、いまでは、だれかがアメリカの軍艦や軍艦にすえつけられた大砲をつかって、門戸封鎖というきわめて神聖でない原則を実行している。
 いまは広州、台湾などといったごく一部の地域の行政と領土だけが、アチソンの第二の神聖な原則のおかげで、その「保全」を「依然として維持」している。その他の地域はすべて不運な目にあい、行政も領土もめちゃめちゃになっている。
 いまは広州、台湾などといった地域だけが、第三の神聖な原則のおかげで、アメリカの支配をもふくめて「いかなる外国の支配しもすべて、アチソンたちの「反対」によってとりのぞかれ、そのために、いまなお中国人によって支配されている。のこりの国土は、語るも涙で、なにもかもおしまいになり、すべて外国人に支配され、中国人はことごとく奴隷にされている。ところで、どんな外国かということになると、アチソンさまも、ここまで書いておいて、それを指摘するゆとりがなかったようだが、しかし、あとはいわずと知れたことなので、問うまでもあるまい。
 中国の内政に干渉しないということも、一つの原則になるのかどうか。アチソンはなにもいっていないが、おそらくならないのだろう。アメリカの旦那方の論理とは、こうしたものである。アチソン書簡の全文を読めば、この卓越した論理を立証することができるだろう。



〔注〕
〔1〕 ここでいう「治外法権」とは、領事裁判権のことである。これは、帝国主義侵略勢力が中国で奪した侵略的特権の一つである。いわゆる領事裁判権とは、中国に在住する帝国主義国の居留民が中国の法律による支配をうけないですむ権利のことで、かれらは中国で罪をおかし、あるいは民事訴訟の被告になっても、中国にある自国の領事裁判所の裁判をうけるだけで、中国政府は口出しができないことになっている。
〔2〕 「望廈条約」とは、アメリカによる中国侵略の最初の不平等条約である。アメリカは、アヘン戦争に敗れたのち中国がおかれていた状況を利用して、一八四四年七月、中国の清朝政府にせまって、澳門付近の望廈村で、「中米間五港通商章程」すなわち「望廈条約」を結ばせた。この条約は三十四ヵ条からなっているが、そのなかで、イギリスが南京条約とその付属文書のなかで手にいれたすべての特権をアメリカも享受することをさだめており、それには、アメリカが中国で領事裁判権をもつこともふくまれている。
〔3〕 この資料は、アメリカ人レマーの著書『中国における外国投資』第十五章からとったものである。
〔4〕 北平の燕京大学、協和医学院、北平と南京の匯文中学、上海のセント・ジョーンズ大学、南京の金陵大学、杭州の之江大学、蘇州の東呉大学、長沙の湘雅医学院、成都の華西協合大学、広州の嶺南大学のことである。
〔5〕 一九四六年十二月二十四日、アメリカ海兵隊の兵士ピアソンらは北平で北京大学の女子学生沈崇を強姦した。この事件は、アメリカ軍の暴行にたいする全国人民の大きな憤激をよびおこした。一九四七年一月、国民党政府は、人民の抗議をかえりみず、主犯ピアソンをアメリカ側にひき渡してその単独処理にまかせた。同年八月、アメリ力海軍省は、ピアソンの無罪釈放をいい渡した。
〔訳注〕
① 一九〇〇年、イギリス、フランス、日本、ロシア、ドイツ、アメリカ、イタリア、オーストリアなど八つの帝国主義国は、侵略に抗して立ちあがった中国人民の義和団運動を弾圧するため、連合して出兵し、中国を攻撃した。これにたいして、中国人民は英雄的な抵抗をおこなった。八ヵ国連合軍は大沽を攻略し、天津、北京を占領した。一九〇一年、清朝政府は、これら八つの帝国主義国と「辛丑条約」を結んだが、この条約は、中国が銀四億五千万両の賠償金を出すこと、利息は四厘とし、元利あわせて九億八千余万両を三十九ヵ年にわけて全部支払うことをさだめた。賠償金は、一九〇〇年すなわち清の光緒二十年、庚子の年から支払われたので、庚子賠償金とよばれた。

maobadi 2011-06-30 18:07
観念論的歴史観の破産


          (一九四九年九月十六日)


 中国人がアメリカブルジョア階級のスポークスマンであるアチソンに感謝しなければならないのは、アメリカが金と鉄砲を出し、蒋介石が人間を出して、アメリカのためにたたかい中国人を殺したという事実をアチソンがはっきり白状したため、中国の先進的な人びとが確証をもっておくれた人びとを説得できるようになったからだけではない。みたまえ、幾百万の中国人の命をうばったこの数年らいの大血戦は、アメリカ帝国主義が計画的にしくんだものだということを、アチソン自身が白状しているではないか。中国人がアチソンに感謝しなければならないのは、また、アメリカが中国のいわゆる「民主的個人主義」者をつのってアメリカの第五列をつくり、中国共産党の指導する人民政府をくつがえそうとしていることをアチソンが公然と言明したため、中国人、とりわけ、自由主義的色彩をおびた中国人が用心するようになり、みんながアメリカ人のわなにかからないようにと注意しあい、アメリカ帝国主義のひそかにすすめている陰謀活動をいたるところで警戒するようになったからだけではない。中国人がアチソンに感謝しなければならないのは、さらに、アチソンが中国の近代史についてでたらめをならべたてているからであり、しかもそのアチソンの歴史観が中国の一部の知識人とおなじ観点、すなわちブルジョア的な観念論的歴史観にほかならないからである。アチソンを反ばくすれば、広範な中国人に、視野をひろげるという利益をえさせることができる。アチソンとおなじ観点、あるいはいくつかの点でおなじ観点をもっている人びとにとっては、いっそう有益であろう。
 アチソンがでたらめをならべたてた中国の近代史とは、どのようなものか。かれは、まず、中国の経済状況と思想状況から中国革命の発生を説明しようとこころみた。ここで、かれは数かずの神話を語っている。
 アチソンはいう。「中国の人口は一八、一九の二世紀で二倍にふえ、そのため、土地にたえがたい圧力をあたえた。人民の食の問題は、どの中国政府もかならずつきあたる第一の問題である。こんにちにいたるまで、この問題を解決した政府はひとつもない。国民党は、その法典のなかに数かずの土地改革法令を書きこむことによって、この問題を解決しようとした。それらの法令は、あるものは失敗に終わり、あるものは無視された。国民政府がこんにちの苦境に立つにいたった大きな原因は、中国にじゅうぶんな食べ物を提供しえなかったことにある。中共の宣伝の大半は、土地問題を解決するという公約である。」
 物事の道理にうとい一部の中国人には、いかにももっともらしく聞こえる。人口が多すぎる、食うものが足りない、そこで革命がおきる。国民党はこの問題を解決できなかったし、共産党とてもこの問題を解決できるとはかぎらない、「こんにちにいたるまで、この問題を解決した政府はひとつもない」というわけである。
 革命がおきるのは、人口が多すぎるからだろうか。古今東西に革命はたくさんおきたが、それはすべて人口が多すぎたからだろうか。中国の数千年らいのたびかさなる革命も、人口が多すぎたからだろうか。アメリカの百七十四年前の反英革命〔1〕も、人口が多すぎたからだろうか。アチソンの歴史の知識はゼロも同然で、かれはアメリカの独立宣言すら読んでいない。ワシントン、ジェファーソンらが反英革命をおこしたのは、イギリス人がアメリカ人を抑圧し搾取したからであって、なにもアメリカの人口が過剰だったからではない。中国人民がこれまでいくども自国の封建王朝をくつがえしたのは、これらの封建王朝が人民を抑圧し搾取したからであって、なにも人口が過剰だったからではない。ロシア人が二月革命と十月革命をおこしたのは、ツァーとロシアブルジョア階級の抑圧、搾取によるのであって、なにも人口が過剰だったからではない。ロシアはいまなお人口にくらべて土地がはるかに多い。モンゴルはあんなに土地が広く、あんなに人口がすくないのだから、アチソンの理屈でいけば、革命がおきるとは到底考えられないのに、それがとっくの昔におきている〔2〕。
 アチソンの論法でいけば、中国にはなんらの活路もない。人口が四億七千五百万もあるというのは、一種の「たえがたい圧力」であって、革命をやろうとやるまいと、とにかく大変なくとである。ここに、アチソンは大きな期待をよせている。その期待をかれは口に出していないが、いつもアメリカの多くの新聞記者がこれを漏らしている。つまり、中国共産党は自己の経済問題を解決することができない、中国はいつまでも大動乱がつづく、中国はアメリカの小麦粉にたよる以外には、すなわち、アメリカの植民地になる以外には活路がない、というのがそれである。
 辛亥《シンハイ》革命はなぜ成功しなかったのか、なぜ食の問題を解決できなかったのか。それは、辛亥革命が清朝政府をくつがえしただけで、帝国主義と封建主義の抑圧、搾取をくつがえさなかったからである。
 北伐戦争はなぜ成功しなかったのか、なぜ食の問題を解決できなかったのか。それは、蒋介石《チァンチェシー》が革命を裏切り、帝国主義に投降して、中国人を抑圧し搾取する反革命の頭目になったからである。
 「こんにちにいたるまで、この問題を解決した政府はひとつもないしのだろうか。西北、華北、東北、華東など、すでに土地問題を解決した旧解放区にも、まだアチソンのいうような「食の問題」が存在しているだろうか。中国にいるアメリカのスパイやいわゆる観察家はすくなくないのに、どうしてこのようなことさえ探りだせないのだろうか。上海《シャンハイ》などの失業問題すなわち食の問題は、すべて帝国主義、封建主義、官僚資本主義および国民党反動政府の情け容赦のない残酷な抑圧と搾取がもたらしたものである。人民政府のもとでは、わずか数年の歳月をかけるだけで、華北、東北などの地方とおなじように、失業すなわち食の問題を完全に解決することができるのである。
 中国の人口が多いのは、きわめて結構なことである。このうえ人口が同情にふえようとも、対策は完全にある。その対策とは生産にほかならない。西方のブルジョア経済学者たとえばマルサス〔3〕のたぐいのとなえる、食物の増加は人口の増加においつけないというようなでたらめな説は、はやくからマルクス主義者によって理論的にすっかり反ばくしつくされているばかりでなく、革命後のソ連や中国解放区の事実によっても完全に粉砕されている。革命プラス生産によって食の問題が解決できるという真理にもとづいて、中国共産党中央は、すでに、国民党のもとの要員のうち、なんらかの能力をもっていて、しかも反動の確証あるいはひどい行状のないものは、みな、整理しないでのこすよう、全国各地の共産党組織と人民解放軍に命じている。ひどく困難なときには、飯は分けあって食べ、家はつめあって住むようにする。すでに整理されて生活の道をうしなっているものについては、その決定をとり消して、食っていけるようにする。国民党軍のうち蜂起《ほうき》したもの、または捕虜になったものは、この原則にもとづいて、一律にうけいれる。主要な反動分子でないかぎり、罪を悔いあらためさえすれば、やはり生活の道をあたえなければならない。
 世の中のあらゆるもののなかで、人間がいちばん大切なものである。共産党の指導のもとでは、人間さえいれば、この世のどんな奇跡でもつくりだすことができる。われわれはアチソンの反革命理論を反ばくするものであって、革命がすべてをあらためうること、人口の多い、物産のゆたかな、生活にゆとりのある、文化のさかえた新中国が遠からずやってくることを信じている。悲観的な論調はすべて、なんの根拠もない。
 「西方の影響」、これがアチソンの説明する中国革命発生の第二の原因である。アチソンはいう。「中国自身の高い文化と文明は、三千余年にわたって発展してきたが、大体において外部からの影響をうけたことがなかった。中国人はたとえ武力で征服されても、最後にはいつも侵入者を手なづけ、同化してしまう。そこで、かれらはおのずと自己を世界の中心と考え、文明的人類の最高の体現者と考えるようになった。一九世紀の中頃になって、西方は、中国の孤立というそれまでは越えることのできなかった壁をつきやぶった。これらの外来者は、進取の精神をもたらし、比類ない発達をとげた西方の技術をもたらし、これまでの侵入者が一度も中国にもちこんだことのない高い文化をもたらした。ひとつにはこれらのことにより、ひとつには清朝の支配の衰退によって、西方人はたんに中国に同化きれなかったばかりか、動乱と不安をひきおこすうえに重要なはたらきをした数かずの新しい思想を紹介したのである。」
 物事の道理にうとい一部の中国人には、アチソンのいうことがいかにももっともらしく聞こえる。西方の新しい観念が中国に輸入されて、革命をひきおこしたというわけである。
 だれにたいする革命なのか。「清朝の支配が衰退」していたから、その弱点をついて、清朝にたいする革命をおこしたというのである。アチソンはここで、的はずれなことをいっている。辛亥革命は帝国主義にたいする革命であった。中国人が清朝にたいする革命をおこしたのは、清朝が帝国主義の手先だったからである。イギリスのアヘン侵略に反対する戦争、英仏連合軍の侵略に反対する戦争、帝国主義の手先清朝に反対する太平天国の戦争、フランスの侵略に反対する戦争、日本の侵略に反対する戦争、八ヵ国連合軍の侵略に反対する戦争、これらがすべて失敗に終わったので、またもや、帝国主義の手先清朝に反対する辛亥革命がおきた。これが辛亥の年にいたるまでの中国近代史である。アチソンのいう「西方の影響」とはなにか。マルクス、エンゲルスが『共産党宣言』(一八四八年)でのべているように、西方のブルジョア階級がテロの手段をもちい、自己の姿に似せて世界を改造したことである〔4〕。この影響または改造の過程で、西方のブルジョア階級は、買弁や西方の慣習につうじた下僕《げぼく》を必要としたため、やむなく中国のような国にも、学校の経営と留学生の派遣をゆるし、中国に「数かずの新しい思想を紹介する」ことになった。また、これにともなって、中国のような国の民族ブルジョア階級とプロレタリア階級もうまれてきた。それと同時に、農民が破産においこまれ、おびただしい半プロレタリア階級がうみだされた。このようにして、西方のブルジョア階級は、東方で二種類の人間をつくりだしたのである。そのひとつは少数者で、帝国主義につかえる下僕である。いまひとつは多数者で、帝国主義に抵抗する労働者階級、農民階級、都市小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級およびこれらの階級出身の知識人である。これらはみな、帝国主義が自分のためにつくりだした墓堀人で、革命はこれらの人びとによっておこされた。なにも西方の思想の輸入が「動乱と不安」をひきおこしたのではなく、帝国主義の侵略が抵抗をひきおこしたのである。
 この抵抗運動のなかでひじょうに長いあいだ、すなわち一八四〇年のアヘン戦争から一九一九年の五・四運動の前夜にいたる七十余年ものあいだ、中国人は、帝国主義にたちむかうことのできる思想的武器をなにひとつ持っていなかった。ふるくさい、かたくなな封建主義の思想的武器は戦いに敗れ、もちこたえることができず、破産を宣告された。そこで、中国人はやむをえず帝国主義の本家本元である西方ブルジョア階級の革命時代の兵器庫から、進化論、天賦人権説、ブルジョア共和国などの思想的武器や政治的構想を学びとって、政党をつくり、革命をおこし、これによって外には列強をふせぎ、内には共和国をうちたてることができると考えた。だが、これらのものも封建主義の思想的武器とおなじく、まことにひ弱いもので、これもまた、もちこたえることができず、敗北をなめ、破産を宣告された。
 一九一七年のロシア革命は中国人をよびさまし、中国人はひとつの新しいものを学びとった。これがマルクス・レーニン主義である。中国に共産党がうまれた。これは歴史はじまっていらいの大きなできごとである。孫中山《スンチョンシャン》も、「ロシアを師とする」ことを提唱し、「連ソ、連共」を主張した。要するに、このときいらい、中国は方向を変えたのである。
 アチソンは帝国主義政府のスポークスマンだから、もちろん、帝国主義については一言もふれたがらない。かれは帝国主義の侵略のことを、「外来者が進取の精神をもたらした」というふうにいっている。「進取の精神」――なんと美しいことばではないか。中国人は、こうした「進取の精神」を学んだが、イギリスあるいはアメリカにまで進取していったわけではなく、ただ、中国の国内で「動乱と不安」、つまり、帝国主義とその手先にたいする革命をひきおこしただけである。残念ながら、それはいちども成功せず、すべて「進取の精神」の発明者である帝国主義者にうち負かされてしまった。そこで、向きをかえてほかのものを学んだ。ところが、ふしぎにも、学ぶとてきめんに効果があらわれた。
 「中国共産党は、二十年代のはじめ、ロシア革命の思想に推進されてうちたてられた」。アチソンのいうとおりである。この思想とは、ほかならぬマルクス・レーニン主義のことである。この思想は、アチソンのいう、西方ブルジョア階級の「これまでの侵入者がいちども中国にもちこんだことのない高い文化」にくらべて何倍高いかわからない。その効果のてきめんなことといったら、アチソンらが中国のふるくさい封建主義の文化にくらべて「高い文化」と自慢できたあの西方のブルジョア文化でさえ、中国人民が身につけたマルクス・し,ニン主義の新しい文化、すなわち科学的世界観と社会革命の理論にであうと、たちまちうちやぶられるほどである。中国人民が身につけた科学的、革命的な新しい文化は、その第一戦では帝国主義の手先北洋軍閥をうちやぶり、第二戦では帝国主義のもうひとりの手先蒋介石が二万五千華里の長征途上にある中国赤軍にくわえた阻止攻撃をうちやぶり、第三戦では日本帝国主義とその手先汪精衛《ワンチンウェイ》をうちやぶり、第四戦ではアメリカおよびすべての帝国主義の中国における支配と、その手先蒋介石などあらゆる反動派の支配に最後のとどめをさしたのである。
 マルクス・レーニン主義が中国にきてこれほど大きな役割をはたしたのは、中国の社会的条件がそれを必要としたからであり、それが中国の人民革命の実践と結びついたからであり、また中国人民によって把握されたからである。どのような思想でも、もし客観的、実際的な事物と結びつかず、客観的な存在によって必要とされず、人民大衆によって把握されないとしたら、たとえ、最良のものであり、マルクス・レーニン主義であっても、その役割をはたすことはできない。われわれは、史的観念論に反対する史的唯物論者である。
 まことにふしぎなことには、「ソビエトの学説と実践は、孫中山先生の思想と原則にたいし、とりわけ経済の面と党組織の面でかなりの影響をあたえている」。では、アチソンらが自慢している西方の「高い文化」は孫先生にどのような影響をあたえたか。アチソンはなにもいっていない。孫先生は生涯の大半をかけて、西方のブルジョア文化のなかに救国の真理をさがしもとめたが、けっきょく失望し、一転して「ロシアを師とする」ようになった。これは偶然のできごとだっただろうか。あきらかにそうではない。孫先生と、先生に代表される苦難のなかの中国人民が、いっせいに「西方の影響」に憤激して、「連ソ、連共」を決意し、帝国主義やその手先との必死のたたかいを決意したのは、もちろん偶然のことではない。ここでは、アチソンも、ソ連人は帝国主義的侵略者であり、孫中山は侵略者から学んだ、とまではいいきれなかった。よろしい、それならば、孫中山はソ連人に学んでもよく、ソ連人は帝国主義的侵略者でもないのに、なぜ、孫中山の継承者である孫中山没後の中国人はソ連人から学んではいけないのか。孫中山以外の中国人がマルクス・レーニン主義から科学的世界観と社会革命の理論を学び、これを中国の特徴と結びつけ、中国の人民解放戦争と人民大草命をおこし、人民民主主義独裁の共和国をうちたてたら、なぜ、これが「ソ連の支配をうける」とか、「コミンテルンの第五列」とか、「赤色帝国主義の手先」とかいうことになるのか。世の中に、これほどりっぱな論理がまたとあるだろうか。
 マルクス・レーニン主義を身につけていらい、中国人は、精神的に受動の立場から主動の立場に転じた。このときをさかいに、近代の世界史上で、中国人をみくだし、中国文化をみくだしていた時代は終わりをつげたはずである。勝利にかがやく偉大な中国の人民解放戦争と人民大革命は、中国人民の偉大な文化をすでに復興させたし、げんに復興させつつある。この中国人民の文化は、その精神的な面からいえば、すでに資本主義世界全体をしのいでいる。たとえば、アメリカの国務長官アチソンのたぐいにしても、現代の中国と現代の世界にたいする認識の程度は、中国人民解放軍の普通の兵士の水準以下である。
 このあたりまで、アチソンは、ブルジョア大学の教授がくだらない教科書の講義をするような格好で、かれが中国におきたできごとの因果関係を追求していることをしめしてきた。中国に革命がおきた原因は、一つには人口が多すぎたこと、二つには西方の思想による刺激があったことだという。みたまえ、まるで因果読者のようである。だが、すぐつぎには、かれのこのくだらない、まがいものの因果論さえ姿をけし、わけのわからぬできごとがどっさりと持ちだされるのである。中国人というものは、あのとおり、なんの理由もなく権力や利益を争い、たがいに疑い憎みあう。たたかっている国民党と共産党の双方の精神的な力関係にわけのわからぬ変化が生じ、一方は極端にさがって零度以下になり、一方は極端にあがって熱狂の程度にまでたっした。原因はなにか。だれにもわからない。――これが、アチソンに代表されるアメリカの「高い文化」に固有の論理なのである。



〔注〕
〔1〕 一七七五年から一七八三年まで、北アメリカの人民がイギリスの植民地支配に反対しておこなったブルジョア革命、すなわち独立戦争のことである。
〔2〕 一九二一年から一九二四年にいたるモンゴル人民の解放闘争のことである。この闘争で、モンゴル人民革命党は、モンゴル人民を指導して、日本帝国主義をうしろだてとする白系ロシア匪賊軍と中国の北洋軍閥をおいはらい、モンゴルの封建支配をくつがえして、モンゴル人民共和国をうちたてた。
〔3〕 トーマス・ロバート・マルサスは、一八世紀末から一九世紀のはじめのころのイギリス国教教会派の牧師で、反動的経済学者である。マルサスの『人口論』は、一七九八年にはじめて発表された。かれは、「人口は、抑制されないかざり、幾何級数的に増加する。だが、生活物資は算術級数的にしか増加しない」という独断から出発して、人類社会のあらゆる貧困と罪悪を永久的な自然現象とみなした。かれの見解によれば、勤労者を貧困からまぬかれさせるには、かれらの生命をちぢめるか、人口を減らすか、あるいはその増大をおさえるかするほかはない。かれの考えでは、飢饉、疫病、戦争はみな、人口を減らす手段である。
〔4〕 『共産党宣言』第一章「ブルジョアとプロレタリア」にみられる。すなわち、ブルジョア階級は、「すべての民族に、滅亡したくなければ、ブルジョア階級の生産様式を採用するように強制する。かれらは、すべての民族に、いわゆる文明を自国にとりいれること、すなわちブルジョプになることを強制する。一言でいえば、ブルジョア階級は、自己の姿に似せて一つの世界をつくりだすのである」とのべられている。

maobadi 2011-06-30 18:16
毛沢東選集 第五巻
北京 外文出版社
(1977年 初版を電子化)

     電子版凡例(原版の凡例相当部分を適宜変更)

一 本訳書は北京人民出版社一九六四年九月出版の『毛沢東選集』第一巻から第四巻までの完訳である。各論文の解題と注釈もこの版から訳出したものである。
一 注釈は底注と訳注にわかれ、原注は漢数字を〔 〕でかこみ(電子版は漢数字ではなく、半角数字を〔 〕で囲んでいる)、各論文の末尾においた。訳注は訳者がくわえたもので、算用数字を○(電子版では機種依存文字である①などで表現)でかこみ、原注のあとにおいた。
一 度量衡、通貨、行政区画については、一部をのぞいてすべて原文のままの単位を用い、訳注を付した。
一 読み仮名は、《 》で囲まれた範囲で示される。
一 第二水準で表現できない漢字は、基本的に[片+旁]で表現した。それ以外の表現も、適宜[ ]内で記した。
一 本電子版はMS IMEを用いて作成された。
一 傍点のある部分はhtml版では斜字、太字の部分はそのまま太字である。。
一 原文では旧字体などで表現されていても、電子版で表現できないなどの理由により新字体で表現しているところがある。例えば、蒋介石は原文では旧字体だが、電子版では新字体である。


   出版にあたって

 偉大な指導者であり教師である毛沢東主席の著作は、マルクス・レーニン主義の不朽の文献である。中国共産党中央委員会の決定にもとづいて、ここに『毛沢東遷集』第五巻が出版された。後続の各巻もあいついで出版されることになっている。
 これまでに出版された『毛沢東選集』第一巻から第四巻までは、新民主主義革命の時期の重要な著作である。第五巻と後続の各巻は「社会主義革命と社会主義建設の時期の重要な著作である。
 中華人民共和国成立後の新しい歴史的時期に、毛沢東同志は、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と革命の具体的実践とを結びつけるという一貫した原則を堅持し、わが党とわが国人民を指導して、社会主義革命と社会主義建設をおしすすめる闘争、高崗・饒漱石、彭徳懐、劉少奇、林彪、王洪文・張春橋・江青・姚文元の修正主義路線に反対する闘争、帝国主義と各国反動派に反対する闘争、ソ連修正主義裏切り者集団を中心とする現代修正主義に反対する闘争のなかで、マルクス・レーニン主義をうけつぎ、まもり、発展させた。この時期に毛沢東同志が理論面でなしとげたもっとも偉大な貢献は、国内、国際の両面におけるプロレタリア階級独裁の歴史的経験を系統的に総括し、対立面の統一という唯物弁証法の基本的観点を運用して、社会主義社会の矛盾、階級、階級闘争を分析し、そうすることによって社会主義社会の発展法則をあきらかにし、プロレタリア階級独裁のもとにおける継続革命という偉大な理論をつくりあげたことである。プロレタリア革命とプロレタリア階級独裁についての毛沢東同志のこうした新しい思想、新しい結論は、哲学、政治経済学、科学的社会主義の各分野で、マルクス・レーニン主義の理論的宝庫をきわめて豊かなものにした。それはわが国人民にプロレタリア階級独裁の強化、資本主義復活の防止、社会主義の建設についての根本的な道をさししめしたばかりでなく、また、偉大で深遠な世界的意義をもっている。
 『毛沢東選集』第五巻は、一九四九年九月から一九五七年までの重要な著作である。生産手段所有制の社会主義的改造が基本的に達成されたのちも、プロレタリア階級とブルジョア階級、社会主義の道と資本主義の道との闘争はなお長期にわたって存在するという科学的論断、社会主義社会における敵味方の矛盾と人民内部の矛盾という性質の異なった二種類の矛盾を正しく区別し、処理することについての学説、プロレタリア階級独裁のもとにおける継続革命についての偉大な理論、社会主義建設の総路線についての基本思想――これらは、毛沢東同志が本巻の著作ではじめて提起したものである。その後、とくにプロレタリア文化大革命の過程で、毛沢東同志は革命的実践の経験にもとづき、これらの輝かしい思想をたえず充実させ、発展させてきた。
 毛沢東同志は、現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者である。毛沢東思想は、わが党、わが軍、わが国人民が団結してたたかい、ひきつづき革命をおこなううえでの勝利の旗じるしであり、国際プロレタリア階級と各国の革命的人民の共同の財産である。毛沢東同志の思想と学説は永遠に不滅である。
 選集に収録された、社会主義革命と社会主義建設の時期における毛沢東同志の著作は、一部は以前に公表されたものだが、一部はまだ公表されたことがなく、これには毛沢東同志が起草した文書、稿本、講話の正式記録がふくまれている。講話の記録については、編集にあたって、技術的に必要な整理をくわえた。

          中国共産党中央委員会毛沢東主席著作編集出版委員会 
          一九七七年三月一日

     目次


  社会主義革命と社会主義建設の時期(一)

中国人民は立ちあがった(一九四九年九月二十一日)
中国人民の大団結万歳(一九四九年九月三十日)
人民の英雄の名は永遠に不滅である(一九四九年九月三十日)
刻苦奮闘の作風を永遠に保持しよう(一九四九年十月二十六日)
富農にたいする戦術について意見をもとめる(一九五〇年三月十二日)
国家の財政・経済状態の基本的好転のためにたたかおう(一九五〇年六月六日)
四方に出撃してはならない(一九五〇年六月六日)
徹底した革命派になろう(一九五〇年六月二十三日)
諸君は全民族の模範である(一九五〇年九月二十五日)
中国人民志願軍への命令(一九五〇年十月八日)
中国人民志願軍は朝鮮の一山一水一草一木を愛護しなければならない(一九五一年一月十九日)
中国共産党中央政治局拡大会議の決議の要点(一九五一年二月十八日)
  一 二十二ヵ月の準備工作
  二 抗米援朝の宣伝教育運動
  三 土地改革
  四 反革命鎮圧
  五 都市工作
  六 整党と党建設
  七 統一戦線工作
  八 整風
反革命鎮圧にあたっては党の大衆路線を実施すべきである(一九五一年五月)
反革命鎮圧にあたっては着実に、的確に、容赦なくたたくべきである(一九五〇年十二月~一九五一年九月)
映画『武訓伝』についての討論を重視すべきである(一九五一年五月二十日)
三大運動の偉大な勝利(一九五一年十月二十三日)
「三反」「五反」の闘争について(一九五一年十一月~一九五二年三月)
重大な事業として農業の互助・協同化にとりくもう(一九五一年十二月十五日)
年頭のことば(一九五二年一月一日)
西蔵の工作方針についての中国共産党中央の指示(一九五二年四月六日)
労働者階級とブルジョア階級との矛盾は国内における主要な矛盾である(一九五二年六月六日)
団結し、敵と味方をはっきり区別しよう(一九五二年八月四日)
中国人民志願軍の大勝利を祝う(一九五二年十月二十四日)
官僚主義、命令主義、法規・規律違反に反対しよう(一九五三年一月五日)
大漢民族主義を批判する(一九五三年三月十六日)
「五多」問題を解決しよう(一九五三年三月十九日)
劉少奇、楊尚昆が規律にそむき、独断で党中央の名義を用いて文書を出したことにたいする批判(一九五三年五月十九日)
総路線から離れた右よりの観点を批判する(一九五三年六月十五日)
青年団の活動では青年の特徴を配慮すべきである(一九五三年六月三十日)
国家資本主義について(一九五三年七月九日)
過渡期における党の総路線(一九五三年八月)
党内のブルジョア思想に反対する(一九五三年八月十二日)
資本主義工商業の改造でかならず経なければならない道(一九五三年九月七日)
抗米援朝の偉大な勝利と今後の任務(一九五三年九月十二日)
梁漱溟の反動思想を批判する(一九五三年九月十六日~十八日)
農業の互助・協同化についての二回の談話(一九五三年十月、十一月)
  一 十月十五日の談話
  二 十一月四日の談話
中華人民共和国憲法草案について(一九五四年六月十四日)
偉大な社会主義国を建設するために奮闘しよう(一九五四年九月十五日)
紅楼夢研究の問題についての書簡(一九五四年十月十六日)
原子爆弾は中国人民をおどしつけることはできない(一九五五年一月二十八日)
中国共産党全国代表者会議での演説(一九五五年三月)
  開会のことば
  
結論
   
一 今回の代表者会議にたいする評価について
   
二 第一次五ヵ年計画について
   
三 高崗、饒漱石の反党同盟について
   
四 当面の情勢について
   
五 党の第八回全国代表大会開催の成功をめざしてたたかおう
「世論の一律」を反駁する(一九五五年五月二十四日)
『胡風反革命集団にかんする資料』のはしがきと評語(一九五五年五月、六月)
  はしがき
  
評語(抄)
農業協同化の問題について(一九五五年七月三十一日)
農業協同化は党員、団員と貧農・下層中農に依拠すべきである(一九五五年九月七日)
農業協同化についての弁論と当面の階級闘争(一九五五年十月十一日)
  一 農業の協同化と資本主義工商業の改造との関係
  
二 協同化の問題をめぐる論争の総括
  
三 全面的な計画と指導強化の問題について
  
四 思想闘争について
  
五 その他のいくつかの問題
『中国農村における社会主義の高まり』のはしがき(一九五五年九月、十二月)
  はしがき一
  
はしがき二
『中国農村における社会主義の高まり』の評語(一九五五年九月、十二月)
農業十七ヵ条にたいする意見をもとめる(一九五五年十二月二十一日)
手工業の社会主義的改造をはやめよう(一九五六年三月五日)
十大関係について(一九五六年四月二十五日)
  一 重工業と軽工業、農業との関係
  
二 沿海工業と内陸工業との関係
  
三 経済建設と国防建設との関係
  
四 国家、生産単位、生産者個人の関係
  
五 中央と地方との関係
  
六 漢族と少数民族との関係
  
七 党と党外との関係
  
八 革命と反革命との関係
  
九 是と非との関係
  
十 中国と外国との関係
アメリカ帝国主義はハリコの虎である(一九五六年七月十四日)
党の団結をつよめ、党の伝統を受け継ごう(一九五六年八月三十日)
わが党のいくつかの歴史的経験(一九五六年九月二十五日)
孫中山先生を記念する(一九五六年十一月十三日)
中国共産党第八期中央委員会第二回総会での演説(一九五六年十一月十五日)
省・市・自治区党委員会書記会議における講話(一九五七年一日)
  一 一月十八日の講話
  
二 一月二十七日の講話
人民内部の矛盾を正しく処理する問題について(一九五七年二月二十七日)
  一 性質の異なった二種類の矛盾
  
二 反革命分子粛清の問題
  
三 農業協同化の問題
  
四 工商業者の問題
  
五 知識分子の問題
  
六 少数民族の問題
  
七 全般的な配慮と適切な按配
  
八 百花斉故、百家争鳴、長期共存、相互監督について
  
九 少数の人が騒ぎをおこす問題について
  
十 悪いことはよいことに変わりうるか
 
十一 節約について
 
十二 中国の工業化の道
中国共産党全国宣伝工作会議における講話(一九五七年三月十二日)
刻苦奮闘を堅持し、緊密に大衆と結びつこう(一九五七年三月)
事態は変化しつつある(一九五七年五月十五日)
中国共産党は全中国人民の指導的中核である(一九五七年五月二十五日)
力を結集して右派分子の気違いじみた攻撃に反撃をくわえよう(一九五七年六月八日)
文匯報のブルジョア的方向は批判すべきである(一九五七年七月一日)
ブルジョア右派の攻撃を撃退しよう(一九五七年七月九日)
一九五七年の夏季の情勢(一九五七年七月)
革命の促進派になろう(一九五七年十月九日)
あくまでも大衆の大多数を信頼しよう(一九五七年十月十三日)
党内団結の弁証法的方法(一九五七年十一月十八日)
すべての反動派はハリコの虎である(一九五七年十一月十八日)

maobadi 2011-06-30 18:17
社会主義革命と社会主義建設の時期(一)



中国人民は立ちあがった


          (一九四九年九月二十一日)


 これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一回全体会議でのべた開会のことばである。


 代表のみなさん、全国人民の待ち望んでいた政治協商会議がただいま開かれる。
 われわれの会議は、全中国のすべての民主政党、人民団体、人民解放軍、各地区、各民族および海外華僑を代表する六百余名の代表からなっている。このことは、われわれの会議が全国人民の大団結の会議であることをしめしている。
 このような全国人民の大団結が実現できたのは、われわれがアメリカ帝国主義のあとおしする国民党反動政府にうち勝ったからである。三年あまりのあいだに、世界でもまれにみる英雄的な中国人民解放軍は、アメリカにあとおしされた国民党反動政府の数百万にのぼる軍隊の進攻をことごとくうち破り、反攻と進攻に転じた。いま、人民解放軍の数百万にのぼる野戦軍はすでに台湾、広東、広西、貴州、四川、新疆《シンチァン》に近い地区にまで進撃しており、中国人民の大多数はすでに解放をかちとっている。三年あまりのあいだに、全国人民は団結し、人民解放軍を支援して、自分たちの敵とたたかい、基本的な勝利をおさめた。こんにちの人民政治協商会議は、この土台のうえに開かれたのである。
 われわれの会議が政治協商会議とよばれるのは、三年まえ、われわれが蒋介石国民党といっしょに政治協商会議〔1〕を開いたことがあるからである。そのときの会議は、蒋介石国民党とその共犯者どもに成果を破壊されたが、人民のあいだに消しがたい印象をのこした。そのときの会議は、帝国主義の手先蒋介石国民党やその共犯者どもといっしょでは、人民に有利ないかなる任務も達成できないことを立証している。たとえ無理に決議をしてもむだであり、いったん機が熟せば、かれらはあらゆる決議を反古《ほご》にし、残虐な戦争をおこして人民に立ちむかってくる。そのときの会議の唯一の収穫といえば、人民に深い教訓をあたえたことである。つまり、帝国主義の手先蒋介石国民党やその共犯者どもとのあいだにはまったく妥協の余地がなく、これらの敵をうち倒すか、それともこれらの敵に殺りくされ、抑圧されるか、かならずそのどちらかであって、ほかに道はないということを、人民に理解させたことである。中国人民は中国共産党の指導のもとで、三年あまりのあいだに、すみやかに自覚を高め、みずからを組織し、帝国主義、封建主義、官僚資本主義とその総体的な代表者――国民党反動政府に反対する全国的な統一戦線を形づくり、人民解放戦争を支援して、基本的に国民党反動政府をうち倒し、中国における帝国主義の支配をくつがえし、政治協商会議を復活させた。
 いまの中国人民政治協商会議は、まったく新しい土台のうえに開かれたもので、全国人民を代表する性質をもち、全国人民の信頼と支持を得ている。したがって、中国人民政治協商会議は、全国人民代表大会の職権を行使することを宣言する。中国人民政治協商会議はその議事日程にもとづいて、中国人民政治協商会議の組織法、中華人民共和国中央人民政府の組織法および中国人民政治協商会議の共同綱領を制定し、中国人民政治協商会議の全国委員会と中華人民共和国中央人民政府委員会を選出し、中華人民共和国の国旗と国章をさだめ、中華人民共和国の首都の所在地をきめ、世界の大多数の国と同じ年号を採用するであろう。
 代表のみなさん、われわれはみなこう信じている――われわれの仕事は人類の歴史に書きこまれ、それは人類総数の四分の一を占める中国人がこのときから立ちあがったことをしめすであろう、と。中国人はもともと偉大な、勇敢な、勤勉な民族であるが、ただ近代になって落後してしまったのだ。こうした落後は、まったく外国の帝国主義と自国の反動政府による抑圧と搾取の結果にほかならない。百余年このかた、われわれの先人は内外の抑圧者にたいして不撓《ふとう》不屈の闘争をつづけ、これまで一度もたたかいをやめたことはなかった。そのなかには、偉大な中国革命の先駆者孫中山先生の指導した辛亥革命も含まれている。われわれの先人は、かれらの遺志をはたすようにと、われわれに指ししめした。いま、われわれはそのようにしたのである。われわれは団結して、人民解放戦争と人民大革命によって内外の抑止者をうち倒し、ここに中華人民共和国の成立を宣言することとなった。われわれの民族は、これ以後、平和と自出を愛する世界諸民族の大家庭の一員となり、勇敢かつ勤勉に仕事にとりくみ、みずからの文明と幸福をつくりだすとともに、また世界の平和と自由をも促進するであろう。われわれの民族は、もはや、人から侮辱されるような民族ではなくなった。われわれはすでに立ちあがったのである。われわれの革命はすでに全世界の広範な人民の共感と歓呼を博しており、われわれの友はあまねく全世界にいる。
 われわれの革命事業はまだ終わってはいない。人民解放戦争と人民革命運動はなお発展しており、われわれはひきつづき努力しなければならない。帝国主義者と国内の反動派はけっしてかれらの失敗に甘んずるはずがなく、なお最後のあがきをこころみるであろう。全国の平定後も、かれらはやはりさまざまなやり方で破壊・攪乱《かくらん》活動をおこない、いつ、いかなるときも、中国で復活をたくらむにちがいない。これは避けられぬことであり、疑う余地のないことである。われわれはけっしてみずからの警戒心をゆるめてはならない。
 われわれの人民民主主義独裁の国家制度は、人民革命の勝利の成果をまもり、内外の敵の復活の陰謀とたたかう強力な武器であって、われわれはこの武器をしっかりと握らなければならない。国際的には、われわれは平和と自由を愛するすべての国家と人民、なによりもまずソ連および新民主主義諸国とかたく団結して、人民革命の勝利の成果をまもり内外の敵の復活の陰謀とたたかうわれわれの闘争が孤立状態におちいらないようにしなければならない。人民民主主義独裁を堅持し、諸外国の友人と団結するかぎり、われわれは永遠に勝利しつづけるであろう。
 人民民主主義独裁および諸外国の友人との団結は、われわれの建設事業をすみやかに成功させるであろう。われわれの前には、すでに全国的な規模の経済建設の仕事が提起されている。われわれが四億七千五百万の人口と九百六十万平方キロの国土をもっていることは、きわめて有利な条件である。われわれの前にはたしかに困難があるし、しかもそれはひじょうに多い。だが、すべての困難は全国人民の英雄的な奮闘によって克服されるものと、われわれは確信している。中国人民はすでに、困難にうち勝つきわめて豊富な経験をもっている。われわれの先人とわれわれ自身が長期にわたる困難きわまりない歳月をのりきり、内外の強大な反動派にうち勝つことができたとすれば、勝利のあと、繁栄した、富みさかえた国家を建設できないなどということがどうしてありえようか。われわれがあいかわらず刻苦奮闘の作風をもちつづけさえすれば、われわれが一致団結しさえすれば、また、われわれが人民民主主義独裁を堅持し、諸外国の友人と団結しさえすれば、われわれは経済戦線でもすみやかに勝利をおさめることができる。
 経済建設の高まりがおとずれると、それにつれてかならず文化建設の高まりが現われる。中国人が非文明的だと見られていた時代は、もう過ぎさった。われわれは、高い文化をもつ民族として世界に登場するであろう。
 われわれの国防は強化され、いかなる帝国主義者にたいしてもわれわれの国土を二度と侵略することを許さない。試練をへた英雄的な人民解放軍を基礎として、われわれの人民武装力を維持し、発展させなければならない。われわれは強大な陸軍をもつだけではなく、また強大な空軍と強大な海軍をもつようになるであろう。
 内外の反動派をわれわれの前でふるえあがらせようではないか。かれらには、われわれのことをあれもだめ、これもだめと言わせておこうではないか。中国人民は不撓不屈の努力によって、かならずや着実に自己の目的をとげるにちがいない。
 人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
 人民解放戦争と人民革命の勝利を祝おう!
 中華人民共和国の成立を祝おう!
 中国人民政治協商会議の成功を祝おう!



〔注〕
〔1〕 本選集第四巻の『自衛戦争によって蒋介石の進攻を粉砕せよ』注〔2〕を参照。

maobadi 2011-06-30 18:17
中国人民の大団結万歳


          (一九四九年九月三十日)


 これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一回全体会議の委託をうけて起草した同会議の宣言である。「人民の指導者毛沢東主席の指導のもとに」とあるのは、会議で宣言を採択するさい、代表たちの提議で書きくわえられたものである。


 全国の同胞のみなさん
 中国人民政治協商会議第一回全体会議は、勝利のうちにその任務をなしとげた。
 今回の会議は、全中国のすべての民主政党、人民団体、人民解放軍、各地区、各民族、海外華僑、その他の愛国民主人上の代表からなるもので、全国人民の意志をあらわし、全国人民のかつてみない大団結をしめしている。
 このような全国人民の大団結は、中国人民と人民解放軍が中国共産党の指導のもとに、長期にわたって勇敢にたたかい、アメリカ帝国主義のあとおしする蒋介石の国民党反動政府にうち勝ったのち、はじめて実現したものである。百余年らい、中国人民の先駆者たち――なかでもぬきんでた人物としては、辛亥革命を指導した偉大な革命家孫中山先生のような人がいる――は、帝国主義と中国反動政府の抑圧をくつがえすために、広範な人民を指導して、たえまなく闘争をすすめ、うまずたゆまず奮闘努力してきた。その結果、こんにち、ついにその目的が達せられたのである。われわれが会議を開いているこのとき、中国人民はすでにその敵にうち勝ち、中国の面目を一新し、中華人民共和国を樹立している。われわれ四億七千五百万の中国人は、いまや立ちあがったのだ。わが民族の前途は、かぎりなく明るい。
 人民の指導者毛沢東主席の指導のもとに、われわれの会議は心を一つにして、新民主主義の原則にもとづき、中国人民政治協商会議組織法、中華人民共和国中央人民政府組織法および中国人民政治協商会議共同綱領を制定し、中華人民共和国の首都を北京におくことをきめ、中華人民共和国の国旗を五星紅旗とさだめ、現在の国歌として義勇軍行進曲を採用し、中華人民共和国の年代記載に西暦をもちいることをきめ、中国人民政治協商会議全国委員会と中華人民共和国中央人民政府委員会を選出した。中国の歴史は、ここに新しい時代がひらかれたのである。
 全国の同胞のみなさん、中華人民共和国はいま成立を宣言し、中国人民はすでにその中央政府をもつようになった。この政府は、共同綱領にもとづいて、中国の全土で人民民主主義独裁を実施するであろう。この政府は、人民解放軍を指揮して、革命戦争を最後まで遂行し、残余の敵軍を殲滅《せんめつ》し、全国の領土を解放し、中国の統一という偉大な事業をなしとげるであろう。この政府は、全国人民を指導して、あらゆる困難をのりこえ、大規模な経済建設と文化建設をおしすすめ、旧中国の残した貧困と無知を一掃し、一歩一歩、人民の物質面の生活を改善し、人民の文化面の生活を向上させていくであろう。この政府は、人民の利益をまもり、あらゆる反革命分子の陰謀活動を鎮圧するであろう。この政府は、人民の陸海空軍を強化し、国防を固め、領土と主権の保全をはかり、いかなる帝国主義国の侵略にも反対するであろう。この政府は、みずからの同盟者として、平和と自由を愛するすべての国家、民族、人民、なによりもまずソ連および新民主主義諸国と連合し、共同で帝国主義者の戦争挑発の陰謀に反対し、世界の持続的な平和をたたかいとるであろう。
 全国の同胞のみなさん、われわれはいちだんと組織化していくべきである。われわれは全中国の圧倒的多数の人びとを政治、軍事、経済、文化、その他のさまざまな組織体に組織し、旧中国のばらばらで無組織な状態を克服し、偉大な人民大衆の集団的な力で人民政府と人民解放軍を支持し、独立・民主・平和・統一・富強の新中国を建設すべきである。
 人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
 中国人民の大団結万歳!
 中華人民共和国万歳!
 中央人民政府万歳!

maobadi 2011-06-30 18:18
人民の英雄の名は永遠に不滅である


          (一九四九年九月三十日)


 これは、毛沢東同志が起草した人民英雄記念碑の碑文である。


 三年らい、人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である! 三十年らい、人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
 さらに一八四〇年までさかのぼって、そのときいらい、内外の敵とたたかい、民族の独立と人民の自由、幸福をかちとるために、いくたの闘争のなかで命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!

maobadi 2011-06-30 18:19
刻苦奮闘の作風を永遠に保持しよう


          (一九四九年十月二十六日)


 延安の同志のみなさん、陝西・甘粛・寧夏辺区の同胞のみなさん
 祝賀のメッセージをいただき、喜びと感謝にたえない。延安と陝西・甘粛・寧夏辺区は、一九三六年から一九四八年まで、中国共産党中央の置かれていたところであり、中国人民の解放闘争の総後方であった。延安と陝西・甘粛・寧夏辺区の人民は、全国人民のために偉大な貢献をした。わたしは、延安と陝西・甘粛・寧夏辺区の人民がひきつづき一致団結して、すみやかに戦争のいたでをいやし、経済建設と文化建設をすすめていくよう希望する。わたしはさらに、延安と陝西・甘粛・寧夏辺区の活動家が過去十数年のあいだ持ちつづけてきた刻苦奮闘の作風を、全国のすべての革命活動家がいつまでも保持するよう望むものである。


          毛沢東
          一九四九年十月二十六日

maobadi 2011-06-30 21:26
富農にたいする戦術について意見をもとめる


          (一九五〇年三月十二日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央中南局および華東局、華南分局、西南局、西北局にあてた通達である。


 目下開催中の各省責任者会議で、富農にたいする戦術の問題について意見をもとめ、返電を打ってもらいたい。つまり、この冬から南部数省と西北一部地区ではじまる土地改革運動では、資本主義的富農に手をつけないばかりでなく、半封建的富農にも手をつけず、数年たってからはじめて半封建的富農の問題を解決する、ということについてである。このほうが有利ではなかろうか、考慮してもらいたい。その理由はつぎのとおりである。第一、土地改革はかつてみぬ大規模なもので、極左の偏向が生じやすい。地主にだけ手をつけて、富農に手をつけないなら、よりよく地主を孤立させ、中農を保護することができ、また、むやみに殴ったり殺したりするのを防ぐことができる。さもなければ、これを防ぐことはひじょうに難しい。第二、これまで北部の土地改革は戦時におこなわれたので、戦争の雰囲気《ふんいき》が土地改革の雰囲気を圧倒した。いまでは、基本的には戦争がなくなったので、土地改革がとくに目立ち、社会にあたえる衝撃がとくに大きく、地主のわめき声がとくに鋭くなるであろう。いましばらく半封建的富農に手をつけず、数年たってから手をつけるなら、われわれにはいっそう道理があることになる。つまり、政治的主動権がいっそう大きくなる。第三、われわれと民族ブルジョア階級との統一戦線は、いますでに政治的にも経済的にも組織的にも形成されているが、民族ブルジョア階級は土地問題と密接につながっているので、この階級を安定させるためには、いましばらく半封建的富農に手をつけないほうが妥当と思われる。
 いましばらく富農に手をつけないという問題は、昨年十一月の政治局会議でわたしが提起したが、そのときには詳しい分析も決定もおこなわれなかった。いまは決定しなければならぬ時機である。決定後は、土地法その他の土地改革関係文書を改定し、かつ公布して、新解放区各省の土地改革関係幹部の学習に役立てる必要がある。こうしてこそ、秋の取入れ後から土地改革をはじめるのに有利なのである。さもなければ、時機をのがし、受け身の状態におちいるであろう。したがって、政策決定のさいのよりどころとするため、中南局だけでなく、華東局、華南分局、西南局、西北局の同志諸君もこの問題を討議し、また、この電報を所属の各省委員会、各市委員会に転送して討議させ、賛成と反対の意見を集めて、すみやかに中央へ打電してもらいたい。以上の点について重視されたい。

maobadi 2011-06-30 21:26
国家の財政・経済状態の基本的好転のためにたたかおう


          (一九五○年六月六日)


 これは、毛沢東同志の中国共産党第七期中央委員会第三回総会における書面報告である。


 当面の国際情勢は、われわれにとって有利である。ソ連を先頭とする世界の平和と民主主義の陣営は、昨年よりもいっそう強大になった。平和をめざし、戦争に反対する世界各国人民の運動は、発展している。帝国主義の抑圧からぬけだそうとする民族解放運動は、幅広く発展している。なかでも、とくに注目にあたいするのは、アメリカの占領に反対する日本人民とドイツ人民の大衆運動がもりあがったこと、東方の被抑圧諸民族の人民解放闘争が発展していることである。同時に、帝国主義諸国のあいだの矛盾、主としてアメリカとイギリスのあいだの矛盾も発展した。アメリカのブルジョア階級内部における各派の争いや、イギリスのブルジョア階級内部における各派の争いも、増加している。それとは反対に、ソ連および人民民主主義諸国は相互によく団結した関係にある。偉大な歴史的意義をもつ新しい中ソ条約〔1〕は、両国の友好関係を強固なものにして、一方では、われわれがわりあい速いテンポで、思いきって国内の建設活動をすすめることができるようにし、他方ではまた、全世界人民の、平和と民主主義をかちとり、戦争と抑圧に反対する偉大な闘争をおしすすめている。帝国主義陣営からの戦争の脅威はあいかわらず存在し、第三次世界大戦の可能性はあいかわらず存在する。しかし、戦争の危険をおしとどめ、第三次世界大戦の勃発《ぼっぱつ》を防ぐためにたたかっている勢力は急速に発展しており、全世界の大多数の人民の自覚はたかまりつつある。全世界の共産党が、結集できるすべての平和と民主主義の勢力をひきつづき結集し、それをさらに発展させさえすれば、新たな世界戦争はおしとどめることができる。国民党反動派のまきちらす戦争についてのデマは、人民をたぶらかすものであり、根拠のないものである。
 いま、わが国の状況はつぎのとおりである。中華人民共和国の中央人民政府と各級の地方人民政府はすでに成立した。ソ連、人民民主主義諸国およびいくつかの資本主義国が、あい前後してわが国と外交関係をむすんだ。戦争は大陸で基本的におわり、台湾と西蔵《チベット》の解放だけがのこされているが、これはやはり重大な闘争任務である。国民党反動派は、大陸のいくつかの地域で匪賊《ひぞく》的なゲリラ戦の方式をとり、一部の濱後分子を扇動して、人民政府とたたかわせている。国民党反動派はまた、数多くの秘密の特務やスパイをつかって人民政府に反対し、人民のあいだにデマをばらまいて、共産党と人民政府の威信を傷つけようとたくらみ、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体のあいだの団結と協力をうちこわそうとたくらんでいる。特務やスパイどもはまた、人民の経済事業にたいして破壊活動をおこない、共産党と人民政府の要員にたいして暗殺の手段をとり、帝国主義と国民党反動派のために情報をあつめている。これらすべての反革命活動は、いずれも帝国主義、とくにアメリカ帝国主義が背後で糸をひいているのである。これらの匪賊や特務やスパイは、いずれも帝国主義の手先である。人民解放軍は、一九四八年の冬に遼瀋、淮海、平津の三大戦役で決定的な勝利をおさめたのち、一九四九年四月二十一日に長江渡河作戦を開始してから現在にいたるまでの十三ヵ月半のあいだに、西蔵、台湾およびその他の若干の海上の島をのぞくすべての国土を占領し、国民党反動派の軍隊百八十三万と匪賊のゲリラ隊九十八万を殲滅した。また、人民の公安機関は、大量の反動特務組織と特務分子を摘発、逮捕した。いま、人民解放軍は、新解放区ではひきつづき残存匪賊を掃滅する任務をもち、人民の公安機関は、ひきつづき敵の特務組織に打撃をあたえる任務をもっている。全国の大多数の人民は、共産党、人民政府および人民解放軍を熱烈に支持している。人民政府は、ここ数ヵ月のあいだに、全国的な範囲で財政・経済工作の統一的管理と統一的指導を実現し、財政収支の均衡をかちとり、インフレを抑制し、物価を安定させた。全国の人民は、食糧の供出、租税の納付、公債〔2〕の買入れという行動によって人民政府を支持している。昨年、わが国は広大な地域が凶作で、およそ一億二千万畝《ムー》①の耕地と四千万の人民が大小さまざまな水害や干害に見まわれた。人民政府は、被災者にたいする大規模な救済活動を組織し、多くの地方で大規模な水利建設をおこなった。ことしの作柄は昨年よりもよく、夏の収穫は一般によさそうである。秋の収穫もよければ、来年の状態はことしよりもいくらかよくなるものと思われる。帝国主義と国民党反動派の長期にわたる支配は、社会経済の不正常な状態をつくり出し、膨大な失業者群を生んだ。革命が勝利してのち、ふるい社会経済構造の全般にわたってさまざまな程度の再編成がすすめられているため、失業者がさらにふえている。これは大きな問題であり、人民政府は段どりをおってこの問題を解決するために、失業者の救済と就業のための対策をとりはじめた。人民政府は広範な文化・教育活動をすすめており、すでに広範な知識分子や青年学生が新知識の学習に参加したり、革命活動に参加したりしている。人民政府は、工商業の合理的な調整、公私関係と労資関係の改善についていくらかの仕事をしたが、現在もひきつづきこの仕事に大きな力をいれている。
 中国は国が大きく、状況がきわめて複雑で、革命はまず一部の地域で勝利し、そのあとで全国的な勝利をかちとったのである。こうしたところから、総じて旧解放区(人口ほぼ一億六干万)では、土地改革が完了し、社会秩序が安定し、経済建設が軌道にのりはじめ、大多数の勤労人民の生活が改善され、失業労働者と失業知識分子の問題もすでに解決されたか(東北)、あるいは解決に近づいている(華北および山東)。とくに東北地方では、もう計画的な経済建設がはじまっている。新解放区(人口ほぼ三億一千万)では、解放されてからまだ数ヵ月、半年、あるいは一年にしかならないので、まだ辺ぴな地方に散らばっている四十余万の匪賊を掃滅しなければならず、また、土地問題はまだ解決されておらず、工商業はまだ合理的に調整されておらず、失業現象がまだきわめて深刻で、社会の秩序もまだ安定していない。一言でいえば、計画的に経済建設をおこなう条件がまだととのってはいないのである。そこで、わたしは、つぎのように述べておいた。われわれがいま経済戦線でおさめた一連の勝利、たとえば、財政収支が均衡に近づき、通貨の膨脹がやみ、物価が安定にむかっていることなどは、財政・経済状態の好転しはじめたことをしめしているが、それはまだ根本的な好転ではない。財政・経済状態を根本的に好転させるためには、三つの条件が必要である。すなわち、(一)土地改革の完成、(二)既存の工商業の合理的な調整、(三)国家機構が必要とする経費の大幅な節減である。この三つの条件をかちとるのには、かなりの時間が必要であり、およそ三年、あるいはもうすこし多くの時間が必要であろう。全党および全国人民は、この三つの条件をつくり出すために奮闘努力しなければならない。わたしもみなさんも、これらの条件は確実に三年前後のあいだにつくり出せるものと信じている。そのころには、わが国の財政・経済状態全体の根本的な好転を目にすることができよう。
 このためには、全党および全国人民は、一致団結して、次の仕事をなしとげなければならない。
 (一)土地改革の仕事〔3〕を、段どりをおって、順序よくすすめていく。大陸では戦争が基本的におわり、一九四六年から一九四八年までの状況(人民解放軍が国民党反動派とのあいだに食うか食われるかの闘争をおこない、勝敗がまだきまってはいなかった)とはまったくちがっているので、国家は融資の方法で貧農の困難解決をたすけ、貧農の手にはいる土地がいくぶん少ないという欠陥をおぎなうことができる。そこで、富農にたいするわれわれの政策を改めるべきである。すなわち、農村の生産をすみやかに回復させるのに役立ち、また地主を孤立させ、中農を保護し、零細な土地貸付者を保護するのにも役立つよう、富農の余分の土地や財産を徴収する政策から、富農経済をのこしておく政策に改めるべきである。
 (二)財政・経済工作の統一的管理と統一的指導をつよめ、財政収支の均衡と物価の安定を確保していく。この方針のもとで、税制を調整し、人民の負担を適宜に軽減する。統一的計画、全般的配慮の方針のもとで、経済の面における盲目性と無政府状態をしだいになくし、既存の工商業を合理的に調整し、公私関係と労資関係を有効適切に改善し、社会主義の性格をもつ国営経済の指導のもとで各種の社会経済要素に分業と協力をおこなわせ、それぞれにその役割をはたさせ、こうして社会経済全体の回復と発展をうながす。一部には、資本主義を早めに消滅し、社会主義を実行してもよい、と考えているものもいるが、このような考えはまちがっており、わが国の実情にあわない。
 (三)台湾と西蔵の解放、国防の強化、反革命の鎮圧などのために十分な力が保障されるという前提のもとで、人民解放軍は、一九五〇年に、その主力を保持しながら、一部を復員させるべきである。この復員の仕事は慎重におこない、復員軍人が帰郷後おちついて生産にたずさわれるようにしなければならない。行政部門の編制がえも必要であるが、やはり編制がえによる剰員が仕事や学習の機会を得られるよう、適切に処理しなければならない。
 (四)従来の学校教育事業と従来の社会文化事業にたいする改革の仕事を、段どりをおって、慎重におこない、すべての愛国的知識分子を獲得して人民に奉仕させるようにする。この問題では、ぐずぐずして、改革をしたがらない考え方は正しくないが、あまりにも性急に、乱暴なやり方で改革をしようとする考え方も正しくない。
 (五)失業労働者と失業知識分子の救済活動に真剣にとりくみ、失業者が就職できるよう、段どりをおって援助しなければならない。被災者の救済活動にひきつづき真剣にとりくまなければならない。
 (六)各界の民主人士と誠実に団結して、その仕事の問題や学習の問題の解決をたすけてやり、統一戦線活動のなかにある閉鎖主義の傾向と妥協主義の傾向を克服しなければならない。各界の人民を結集してともに活動していけるような各界人民代表会議②を成功させるよう、真剣にとりくまなければならない。人民政府のすべての重要な問題は、人民代表会議の討議にかけて決定すべきである。人民代表会議に出席する代表たちには十分な発言権をあたえるべきで、人民代表の発言をおさえつけるような行動はすべて誤りである。
 (七)人民に危害をあたえるすべての匪賊、時務、極悪ボスおよびその他の反革命分子は、断固として粛清しなければならない。この問題では、鎮圧と寛大を結びつけた政策、すなわち、首謀者はかならず処罰し、強迫されて従ったものは追及せず、手柄をたてたものには賞をあたえるという政策を実行すべきで、どちらか一方にかたよってはならない。全党および全国人民は、反革命分子の陰謀活動にたいして警戒心をたかめなければならない。
 (八)党組織の強化、拡大についての中央の指示、党と人民大衆の結びつきの強化についての中央の指示、批判と自己批判をすすめることについての中央の指示、全党の整風についての中央の指示を、断固として実行する。わが党はすでに四百五十万人にまで拡大しているため、今後、党組織の拡大は慎重におこなう方針をとらなければならず、投機分子が党にはいるのを断固として防ぎ、投機分子を適切な方法で党から一掃しなければならない。自覚した労働者を段どりをおって党に吸収し、党組織における労働者の構成比を拡大するように心がけなければならない。旧解放区では、一般に農村で党員を吸収するのを停止しなければならない。新解放区では、土地改革がおわるまでは、投機分子が機に乗じて党内にもぐりこむのを防ぐため、一般に農村での党組織の拡大をやめるべきである。全党は、一九五〇年の夏、秋、冬の三つの時期に、さまざまな活動任務と切りはなさず、これと密接に結びつけるという条件のもとで、大規模な整風運動をおこなうべきである。われわれは、いくつかの指定文献を読む、活動を総括する、情勢を分析する、批判と自己批判を展開するなどの方法で、幹部および一般党員の思想水準と政治水準をたかめ、活動のなかで犯した誤りを克服し、功労者気どりのおごり高ぶった気持ちを克服し、官僚主義と命令主義を克服し、党と人民との関係を改善しなければならない。



〔注〕
〔1〕 一九五〇年二月十四日に調印された中ソ友好同盟相互援助条約をさす。
〔2〕 中央人民政府が一九五〇年に発行した人民勝利実物換算公債をさす。
〔3〕 全国の新たに解放された地区では、一九五〇年の冬から、つぎつぎに大規模な土地改革運動がくりひろげられ、一九五二年の冬までに、一部の少数民族地域を除いて、ほぼ土地改革が完了した。全国の新、旧解放区には、土地のない農民と、土地を少ししかもっていない農民がおよそ三億いたが、かれらには約七億畝の土地が分配された。
〔訳注〕
① 一畝は六・六六七アール。
② 一九四九年の『中国人民政治協商会議共同綱領』の規定によると、普通選挙による地方各級人民代表大会が成立するまでは、各界人民代表会議を招集して、それに人民代表大会の権限を逐次代行させることになっていた。

maobadi 2011-06-30 21:27
四方に出撃してはならない


     (一九五○年六月六日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党第七期中央委員会第三回総会でおこなった講話の一部である。講話のこの部分は、『国家の財政・経済状態の基本的好転のためにたたかおう』という書面報告についてのべ、報告の戦略戦術思想を説明したものである。


 第七期中央委員会第二回総会いらい、わが党の指導する新民主主義革命は全国的範囲で勝利をおさめ、中華人民共和国が成立した。これは、偉大な勝利であり、中国にとって歴史上未曾有の大勝利であり、十月革命につづく世界的意義をもつ大勝利でもある。スターリン同志と外国の多くの同志は、中国革命の勝利をきわめて偉大なものであると思っている。ところが、われわれの多くの同志は、この闘争のなかでそれに慣れてしまって、かえってそのようには思わなくなっている。中国革命の勝利の偉大な意義について、われわれは、党内と大衆のあいだでなお広く宣伝しなければならない。
 偉大な勝利をおさめた情勢のもとで、われわれのまえには、まだひじょうに複雑な闘争があり、まだ多くの困難が横たわっている。
 われわれは、北方におけるほぼ一億六千万の人口を擁する地域ですでに土地改革を完了したが、この偉大な成果を確認すべきである。われわれの解放戦争は、おもにこれら一億六千万の人民に依拠して勝利したのである。土地改革という勝利があったからこそ、蒋介石を打倒する勝利がかちとられたのである。ことしの秋、われわれは、ほぼ三億一千万の人口を擁するかくも広大な地域で土地改革に着手し、全地主階級をくつがえすことになっている。土地改革にあたって、われわれの敵はまことに多く、かつ大きい。第一に、帝国主義がわれわれに反対し、第ニに、台湾、西蔵《チベット》の反動派がわれわれに反対し、第三に、国民党の残党、特務、匪賊《ひぞく》がわれわれに反対し、第四に、地主階級がわれわれに反対し、第五に、帝国主義がわが国で設立したミッション・スクールと宗教界のなかの反動勢力、およびわれわれが接収した国民党の文化・教育機構のなかの反動勢力が、われわれに反対する。かれらは、みなわれわれの敵である。われわれは、これらの敵とたたかって、これまでよりもはるかに広大な地域で土地改革を完成しなければならない。この閥鯖はひじょうに激しいものであり、歴史上かつてないものである。
 同時に、革命の勝利は、社会経済の再編成をひきおこしている。こうした再編成は必要なものであるが、しかし一時的にはわれわれにかなり重い負担としてのしかかってくる。社会経済の再編成と戦争による工商業のある程度の破壊から、多くの人がわれわれに不満をいだいている。いま、われわれと民族ブルジョア階級との関係はかなり緊張しており、かれらは終日戦々恐々、大いに不満をいだいている。失業している知識分子と労働者が、われわれに不満を感じているし、それにかなりの小手工業者もわれわれに不満を感じている。大部分の農村では、まだ土地改革を実施しておらず、それに現物農業税をとりたてるので、農民からも文句がでている。
 われわれの当面の全般的な方針はなにか。それは、国民党の残党、特務、匪賊を一掃し、地主階級をくつがえし、台湾、西蔵を解放し、あくまで帝国主義とたたかいぬくことである。当面の敵を孤立させ、かれらに打撃をあたえるためには、人民のうちのわれわれに不満を感じている人を、われわれを支持するように変えていかなければならない。この問題はいまのところ困難ではあるが、ぜひともいろいろの方法を講じて解決しなければならない。
 われわれは、工商業を合理的に調整し、工場の操業を開始させ、失業問題を解決するとともに、食糧二十億斤《チン》①を失業労働者の生活問題の解決にふりむけ、失業労働者がわれわれを支持するようにしなければならない。われわれが小作料と利子の引き下げ、匪賊討伐・極悪ボス一掃、土地改革を実施すれば、広範な農民はわれわれを支持するようになるだろう。小手工業者にも、生活を維持していけるよう活路をあたえなければならない。民族ブルジョア階級にたいしては、工商業の合理的な調整、税制の調整によって、関係の改善をはかり、関係をあまり緊張させてはいけない。知識分子にたいしては、各種の訓練班をつくり、軍事政治大学や革命大学を開設し、かれらを使用すると同時に、教育し改造しなければならない。かれらに社会発展史、史的唯物論などいくつかの課目を学ばせなければならない。たとえ観念論者でもわれわれに反対しないようにさせる方法がある。かれらは神が人間を創造したと言うが、われわれは猿から人間になったのだと言う。知識分子のなかで年をとり、七十何歳にもなったような人にたいしては、党と人民政府を支持するかぎり、かれらを養うようにする。
 全党は、統一戦線工作にしんけん、かつ慎重にとりくまなければならない。労働者階級の指導のもとに、労農同盟を基礎にして、小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級をわれわれの側に結集しなければならない。民族ブルジョア階級は将来消滅されるべきものであるが、現在はわれわれの側に結集すべきであって、突き放してはいけない。われわれは、一方ではかれらと闘争し、他方ではかれらと団結しなければならない。幹部にこの道理をはっきりと説明し、また、民族ブルジョア階級、民主政党、民主人土、知識分子をわれわれの側に結集することが正しく、必要であることを、事実をもって立証すべきである。これらの人たちのなかの多くの者は、かつてはわれわれの敵であったが、いまでは敵側から分化してわれわれの側にきたのである。こういった、多少とも団結の可能性のある人とも、われわれは団結していかなければならない。かれらをわれわれの側に結集することは、勤労人民にとって有利である。われわれは現在この戦術をとる必要がある。
 少数民族と団結することは、ひじょうに重要なことである。全国には少数民族が約三千万いる。少数民族地域の社会改革は、きわめて重要な問題であり、慎重に対処しなければならない。どんなことがあってもあせってはならない。あせると問題が生じる。条件が熟すまでは、改革をおこなってはならない。条件の一つが熟しても、その他の条件が熟さなければ、やはり大きな改革をおこなってはならない。これは、改革するなというのではもちろんない。共同綱領の規定によれば、少数民族地域の風俗習慣を改革してもよいことになっている。しかし、こうした改革はかならず少数民族みずからの手でおこなうべきである。大衆的条件がなく、人民の武装力がなく、少数民族自身の幹部がいないばあいは、大衆性をもついかなる改革活動をもおこなうべきではない。かならず、少数民族自身の幹部の養成を援助し、少数民族の広範な大衆と団結しなければならない。
 要するに、われわれは四方に出撃してはならない。四方に出撃すれば、全国が緊迫するので、ひじょうによくない。われわれはけっして、敵を多くつくるようなことをしてはならす、一方にたいしてはいくらか譲歩し、関係を緩和させ、もう一方への攻撃に力を集中すべきである。りっぱに活動をすすめて、労働者、農民、小手工業者がこぞってわれわれを支持し、民族ブルジョア階級と知識分子の圧倒的多数がわれわれに反対しないようにしていかなければならない。こうすれば、国民党の残党、特務、匪賊は孤立し、地主階級は孤立し、台湾、西蔵の反動派は孤立し、帝国主義はわが国の人民のあいだで孤立する。われわれの政策とはこのようなものであり、われわれの戦略戦術とはこのようなものであり、三中総の路線とはこのようなものである。



〔訳注〕
① 一斤は五〇〇グラム。

maobadi 2011-06-30 21:28
徹底した革命派になろう


          (一九五○年六月二十三日)


 これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一期全国委員会第二回会議でのべた閉会のことばである。


 今回の会議では、これまでの時期の経験を総括し、諸般の方針を決定した。
 この経験の総括と方針の決定という仕事は、われわれがみんなでおこなったのであり、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体および各界の民主人士の代表者が一堂に集まって、みんなでおこなったのである。この会議には、中国人民政治協商会議全国委員会の委員が出席しているだけでなく、中央人民政府、各大行政区の人民政府(軍政委員会)〔1〕および各省・市の人民政府の数多くの要員、また、各省・市の各界人民代表会議協商委員会①の代表、さらには、特別招請をうけた数多くの愛国人士も列席して、討議に参加している。このため、われわれはひろく意見をあつめて、これまでの仕事を点検し、今後の方針を決定することができた。今後もひきつづきこうした方法がとられるよう希望する。また、各大行政区の人民政府(軍政委員会)や各省・市の人民政府でも、こうした方法がとられるよう希望する。われわれの会議の性格は、いまのところまだ建議をするだけのものである。だが、実際には、われわれがこの会議でおこなった決定は、中央人民政府が当然うけいれて実行するであろうし、また、うけいれて実行すべきである。
 われわれは、全国委員会の活動報告と中央人民政府の各分野の活動報告に、一致して賛成した。そのなかには、土地改革、政治、軍事、経済・財政、税務、文化・教育、司法などの活動報告があるが、みなりっぱな報告であった。これらの報告は、これまでの活動の経験を適切に総括し、今後の活動方針を定めている。われわれの今回の会議がこのように議題が多かったのは、われわれの新しい国家が成立してから、各分野の活動が始まり、発展しつつあるからである。全国人民はいま各戦線で真の人民革命の偉大な闘争をすさまじい勢いでくりひろげており、軍事戦線、経済戦線、思想戦線、土地改革戦線のいずれにおいても史上にかつてみない、きわめて偉大な闘争をすすめているが、これらの活動はみな総括しなければならず、方針をうち出さなければならない。だから、今回の会議は、このように議題が多かったのである。法律の規定によると、われわれの会議は年に二度ひらくことになっているが、そのうち一度は議題の多い会議となり、他の一度は議題のわりあい少ない会議となるであろう。中国は大きな国で、実際の人口は四億七千五百万をこえており、そのうえ人民革命の偉大な歴史的時期におかれている。こうした状況がわれわれにそうするよう要求しているのであり、われわれも実際にそうしたのである。われわれのやり方は正しかった、とわたしは思う。
 われわれの今回の会議は議題が多かったが、中心の議題は、旧《ふる》い土地制度を改革する問題であった。みなさんは、中国共産党中央の提出した土地改革法草案〔2〕に賛成し、その草案に若干の有益な修正と補充をおこなった。これはたいへんよいことである。新中国の数億にのぼる農村の人民が解放の機会を獲得し、国家が工業化の基本的条件を獲得したことにたいし、わたしは喜びと祝意を表明する。中国の人口のおもな部分は農民であって、革命は農民の援助に依拠してはじめて勝利をおさめたのであり、国の工業化も農民の援助に依拠してはじめて成功するのである。したがって、労働者階級は農民の土地改革を積極的に助けるべきであり、都市の小ブルジョア階級と民族ブルジョア階級もこの改革を支持すべきであり、各民主政党や各人民団体はなおさらそういう態度をとるべきである。戦争と土地改革は、新民主主義の歴史的時期に全中国のすべての人びと、すべての政党をためす二つの「関所」である。どんな人でも革命的人民の側に立つなら、その人は革命派であり、どんな人でも帝国主義、封建主義、官僚資本主義の側に立つなら、その一人は反革命派である。どんな人でも口先だけ革命的人民の側に立ち、行動のうえではまったくちがっているなら、その人は口先だけの革命派であり、もしも口先ばかりでなど、行動のうえでも革命的人民の側に立つなら、その人は徹底した革命派である。戦争の関所はだいたい越したし、われわれみんながみごとにこの関所を越したので、全国人民は満足に思っている。これからは土地改革の関所を越さなければならないが、戦争のばあいと同様、われわれみんながりっぱに越していけるよう希望する。みんなでよく研究し、よく相談し、納得し、歩調をそろえて、偉大な反封建統一戦線をつくりあげれば、人民を指導し、人民を助けて、首尾よくこの関所を越すことができる。戦争の関所と土地改革の関所さえ越せば、いま一つの関所は容易に越せるであろう。それは社会主義の関所、つまり全国的な範囲で社会主義的改造をおこなうという関所である。革命戦争と革命的な土地制度改革に貢献し、これからの多年にわたる経済建設と文化建設に貢献しさえすれば、将来、私営工業の国有化と農業の社会化がおこなわれるときになっても(それはまだ遠い将来のことである)、人民はその人たちを忘れるようなことはなく、その人たちの前途は明るいであろう。わが国はこのように着実に前進するのである。つまり戦争を経過し、新民主主義の改革を経過して、将来、国家の経済事業と文化事業が大いに繁栄し、さまざまな条件がそなわり、全国の人民が納得し、みんなが賛成したあかつきには、悠々と、適切なやり方で社会主義の新しい時期にはいることができるのである。わたしは、この点をはっきりさせておく必要があると思う。そうすれば、人びとは自信をもつようになり、迷ったり、心配したりしないですむ――自分はいつ見捨てられるのかわからない、そのときには、人民につくしたいと思っても、もはやその機会がないのではないか、と。いや、決してそんなふうにはならない。どんな人でも、人民のためにほんとうに力をつくし、人民がまだ困難なときに確かに手をかし、役に立つ事をし、しかも、中途でやめずに、一貫してやり通すのであれば、人民と人民の政府は、その人を見捨てる道理はないし、その人に暮らしをたてる機会と力をつくす機会をあたえないという道理はない。
 この遠大な目標をめざして、われわれは、国外では、ソ連、人民民主主義諸国および全世界のすべての平和・民主勢力としっかり団結しなければならず、この点でいささかのためらいや動揺もあってはならない。国内では、われわれは、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士と団結しなければならず、われわれのこのすでにうちたてるれた、偉大な、威信のある革命的統一戦線を強固にしていかなければならない。どんな人でも、この革命的統一戦線を強固にする仕事になんらかの貢献をすれば、われわれはその人を歓迎する。その人は正しいのである。どんな人でも、この革命的統一戦線を強固にする仕事になんらかの損害をあたえれば、われわれはその人に反対する。その人は誤っているのである。革命的統一戦線を強固にする目的をとげるためには、批判と自己批判の方法をとらなければならない。この方法を運用するさいの基準は、主として、われわれの現在の根本法、すなわち共同綱領である。われわれは、今回の会議では、共同綱領にもとづいて批判と自己批判の方法をとった。これはたいへんよい方法で、人びとに真理を堅持し、誤りをただすのをうながすたいへんよい方法であり、人民の国ですべての革命的人民が自己教育と自己改造をおこなう唯一の正しい方法である。人民民主主義独裁には二つの方法がある。敵にたいしては独裁の方法をとる。つまり、必要な期間、かれらを政治活動に参加させず、かれらを人民政府の法律にしたがうよう強制し、労働するよう強制するとともに、労働をつうじて新しい人間に改造するのである。人民にたいしては逆で、強制の方法はとらず、民主の方法をとる。つまり、かれらを政治活動に参加させるべきで、ああしろ、こうしろと強制するのではなく、民主の方法によって、かれらにたいし教育と説得をおこなうのである。こうした教育活動は、人民内部の自己教育の活動であり、批判と自己批判の方法こそ自己教育の基本的な方法である。全国の各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士がみなこの方法をとるよう希望する。



〔注〕
〔1〕 当時は、全国を東北、華北、華東、中南、西南、西北の六大行政区にわけていた。各大行政区には、中国共産党中央の代表機関である中央局が設けられた。華北以外の五つの大行政区には、いずれも大行政区の行政機構が設けられ、東北は人民政府と称し、華東、中南、西南、西北は軍政委員会と称した。一九五二年十一月、各大行政区の行政機構は一律に行政委員会と改称し、華北にも行政委員会がつくられた。一九五四年、各大行政区の行政委員会は撤廃された。
〔2〕 一九五〇年六月十四日、中国共産党中央が中国人民政治協商会議第一期全国委員会第二回会議の討議にかけた『中華人民共和国土地改革法草案』をさす。この草案は、この会議で討議され、同意を得たのち「さらに中央人民政府委員会で可決された。『中華人民共和国土地改革法』は、同年六月三十日、中央人民政府の毛沢東主席によって公布され、施行にうつされた。
〔訳注〕
① 省・市谷界人民代表会議協商委員会は、省・市の各界人民代表会議で選出される。その権限は、各界人民代表会議の休会中、人民政府を助けて各界人民代表会議の決議を実行することにある。

maobadi 2011-06-30 21:28
諸君は全民族の模範である


          (一九五〇年九月二十五日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央を代表して、全国戦闘英雄代表者会議と全国労農兵労働模範代表者会議でのべたあいさつである。


 全国戦闘英雄代表者会議と全国労農兵労働模範代表者会議の代表諸君!
 中国共産党中央は、諸君の会議に心からの祝意をのべるとともに、諸君の活動にたいして感謝と敬意を表する。
 諸君は、敵を殲滅《せんめつ》するたたかいにおいても、工農業生産を回復し発展させるたたかいにおいても、数かずのきびしい困難にうち勝ち、まれにみる勇気と知恵と積極性をしめした。諸君は、全中華民族の模範であり、各分野の人民の事業を勝利のうちに推進する中堅であり、人民政府の頼りになる支柱であり、人民政府が広範な大衆と結びつくかけ橋である。
 中国共産党中央委員会は、諸君に学ぶことを全党員と全国人民によびかける。同時にまた、諸君――親愛な全代表諸君と全国のすべての戦闘英雄、労働模範の同志諸君にも、ひきつづき戦闘のなかで学び、広範な人民大衆に学ぶことをよびかける。けっしておごり高ぶったり、うぬぼれたりせず、たゆみない学習をつづけてこそ、偉大な中華人民共和国のためにひきつづきすぐれた貢献をすることができ、またこうしてこそ、諸君の栄えある称号をひきつづき保持していくことができるのである。
 中国は強大な国防軍をうちたてなければならず、強大な経済力をきずきあげなければならない。これは、二つの大事業である。この二つの事業は、いずれも、同志諸君が人民解放軍の全指揮員・戦闘員、全国の労働者、農民およびその他の人民とともに、一致団結、協同努力してはじめて、その目的を達することができる。中華人民共和国の建国後はじめての国慶記念日をまぢかにひかえて、諸君がここで会議をひらいたのは、きわめて意義ぶかいことである。われわれは、諸君の会議が成功をおさめるよう期待し、諸君が今後の活動のなかで偉大な勝利をかちとるよう希望する。

maobadi 2011-06-30 21:29
中国人民志願軍への命令


          (一九五〇年十月八日)


 これは、毛沢東同志が中国人民志願軍にあたえた命令の抄録である。


 中国人民志願軍各級指導者の同志諸君
 (一)朝鮮人民の解放戦争を援助し、アメリカ帝国主義とその手先どもの進攻に反撃し、それによって朝鮮人民、中国人民および東方諸国人民の利益をまもるため、ここに中国人民志願軍にたいし、すみやかに朝鮮領内に出動し、朝鮮の同志と協力して侵略者と戦い、栄えある勝利をかちとるよう命令する。
 (二)わが中国人民志願軍は朝鮮領内にはいったのち、朝鮮人民、朝鮮人民軍、朝鮮民主政府、朝鮮労働党、その他の民主政党および朝鮮人民の指導者金日成同志にたいして、友情をよせ、敬意をはらい、軍事規律と政治規律を厳守しなければならない。これは、軍事的任務の完遂を保証するきわめて重要な政治的基礎である。
 (三)さまざまな困難にぶつかるであろうし、またぶつかるにちがいないということを十分に予想し、あふれるばかりの熱情と勇気、細心の注意と堅忍不抜の精神をもってこれらの困難を克服する用意がなければならない。当面の国際情勢と国内情勢全般は、われわれに有利で、侵略者に不利である。同志諸君が断固とした勇敢な態度で、現地の人民とよく団結し、侵略者とよく戦うかぎり、最後の勝利はわれわれのものである。


          中国人民革命軍事委員会主席 毛沢東
          一九五〇年十月八日 北京にて

maobadi 2011-06-30 21:38
中国人民志願軍は朝鮮の一山一水一草一木を愛護しなければならない(一九五一年一月十九日)

maobadi 2011-06-30 21:39
中国共産党中央政治局拡大会議の決議の要点


 (一九五一年二月十八日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内通達である。


 二月中旬、党中央は、各中央局員任者の参加する政治局会議をひらき、諸般の重要問題について討議した。ここに、決議の要点を次のとおり通達する。

       一 二十二ヵ月の準備工作

 「準備三年、計画的な経済建設十年」という考え方を、省・市クラス以上の幹部に徹底させるべきである。いまのところ、準備期間はまだ二十ニヵ月あるが、各方面でその仕事に力をいれなくてはならない。

       二 抗米援朝の宣伝教育運動

 全国的な範囲でひきつづきこの運動をすすめなくてはならない。すでに推進中のところではその強化につとめ、まだ推進していないところではその普及をはかり、全国各地で一人のこらずこの教育をうけるようにしなくてはならない。

       三 土地改革

 1、農繁期には、一律に停止して、経験を総括する。
 2、今年度の豊作をかちとる。
 3、県の農民代表者会議と講習会に依拠する。
 4、積極的に条件をつくりだす。条件がまだそなわっていないばあいには、いついかなるところでも無理押ししてはならない。
 5、土地改革をやり終えたら、ただちに生産と教育の二大活動に移る。
 6、敷金①を分割返済させるという華東地方のやり方に同意する。
 7、不法な拷問はやらないほうが有利である、と農民に勧告する。
 8、土地改革後は、区と郷の数をふやし、その行政範囲を縮小する。

       四 反革命鎮圧
 1、死刑に処するばあいは、一般に、大衆の同意を得なくてはならす、民主人士にも関与させなくてはならない。
 2、厳格に規制し、むちゃなやり方、まちがったやり方をしてはいけない。
 3、「中層」〔1〕に注意をはらい、留用人員と新採用の知識分子のなかにひそむ反革命分子を慎重に粛清する。
 4、「内層」に注意をはらい、党内にもぐりこんでいる反革命分子を慎重に粛清し、機密保持に万全を期する。
 5、なお、幹部に教育をほどこすとともに、幹部を支持しなくてはならない。

       五 都市工作

 1、中央局、分局、省・市・区党委員会は、それぞれ、ことしじゅうに都市工作会議を二回ひらかなくてはならない。議題は党中央の通達したとおりとし、これをテーマとする報告を、二回、中央に提出する。
 2、都市工作にたいする党委員会の指導をつよめ、七期二中総の決議を実行する。
 3、幹部に教育をほどこして、労働者階級に依拠する考え方をはっきりさせる。
 4、工場では、生産計画の達成を中心に据えて、党組織、管理部門、労働組合、青年団の工作にたいする党の統一指導を実行する。
 5、増産をふまえて、労働者の生活を逐次改善するよう努力する。
 6、都市建設の計画では、生産のため、労働者のため、という観点をつらぬくべきである。
 7、全国総工会と上級の各労働組合は、下部組織の具体的問題の解決に重点をおくべきである。
 8、党委員会と労働組合は、典型例の創造に力をいれ、これをすみやかに各地へ普及させるべきである。

       六 整党と党建設

 1、わが党は偉大な、光栄ある、正しい党である――これが主要な面である。このことを確認するとともに、各クラスの幹部にはっきり説明しておかなくてはならない。しかし、問題は存在するので、整頓しなくてはならず、新解放区の党建設には慎重な態度でのぞまなくてはならない。この面についても、はっきり説明しておく必要がある。
 2、整党と党建設は、ともに党中央と各中央局のきびしい統制のもとにおこなうべきで、下部組織が勝手な行動をとってはならない。
 3、離党は三年間でやり終えるべきである。その段どりはつぎのとおり――すなわち、一年の時間(一九五一年)をかけて、共産党員たるものはどうあるべきかについての教育を普遍的におこない、それによってすべての党員に共産党員としての基準をはっきりわきまえさせるとともに、また、組織担当の活動家を養成する。同時に、典型づくりをすすめる。そのあと、この経験にもとづいて整党をおこなうのであるが、都市では一九五一年にはじめてもよい。整党にあたっては、まず「第四部類の人」〔2〕を除名する。そのあと「第二部類の人」と「第三部類の人」とを区別し、そのうち教育したあとも確かに党員としての条件にあわない者には、離党を勧告する。ただし、これらの者もかならず自由意思で離党するようにさせ、その感情を害してはならず、一九四八年のような「重石《おもし》を取りのぞく」〔3〕やり方をくりかえしてはならない。
 4、都市と新解放区での党建設は、慎重にすすめる方針をとるべきである。都市では、産業労働者のなかで党組織をつくることに重点をおく。農村では、土地改革を終えてから、教育の結果、党員の条件をそなえるようになった者を入党させ、党の支部をつくらせるべきである。最初の二年間、農村党支部の人数は一般に十人をこえてはならない。都市、農村をとわず、党の教育をうけいれる意思のある積極分子にたいしては、共産党員たる者はどうあるべきかについての教育をおこない、この教育のあと、確かに党員としての条件にあう者を入党させるべきである。

       七 統一戦線工作

 1、中央局、分局、省・中・区党委員会は、それぞれ一九五一年に二回、会議を開いて、統一戦線工作を討議し、これをテーマとする報告を、二回、党中央に提出してもらいたい。
 2、統一戦線工作をなぜ強化しなくてはならないのか、その理由を幹部にはっきり説明すべきである。
 3、知識分子、工商業者、宗教家、民主政党、民主人士については、反帝・反封建を基礎としてかれらを結集し、かれらに教育をほどこさなくてはならない。
 4、各少数民族のなかでしんけんに仕事をする。区域自治を実行することと、少数民族自身の幹部を養成することは、二つの中心任務である。

       八 整風

 年に一度、冬季に整風をおこなう。期間は短くすべきである。その任務は仕事を点検し、仕事の経験を総括して、成績をのはし、欠点や誤りをただし、それによって幹部を教育することである。



〔注〕
〔1〕 反革命鎮圧の仕事は、外層、中層、内層の三つにわけられる。「外層」の粛清とは社会のなかにひそみかくれている反革命分子の粛清、「中層」の粛清とはわが軍事機関や政府機関内部にもぐりこんでいる反革命分子の粛清、「内層」の粛清とはわが党内にもぐりこんでいる反革命分子の粛清をそれぞれさす。
〔2〕 一九五一年の整党のときは、党員を四つの部類にわけた。つまり、一、党員としての条件がそなわっている者、二、党員としての条件が完全にはそなわっていないか、またはかなりひどい欠点をもっていて、思想を改造し、自覚を高める必要のある者、三、党員としての条件がそなわっていない消極的な渚後分子、四、党内にもぐりこんだ階級的異分子、裏切り者、投機分子、堕落変質分子など。
〔3〕 「重石を取りのぞく」というのは、一九四八年、解放区の土地改革と整党のさいに、劉少奇が提起したものである。広範な農村幹部は農民をおさえつける「重石」であると中傷して、これらの幹部を解任、除名しようとした。
〔訳注〕
① 解放前、農民が地主から土地を借りるばあい、かなりの額の敷金を前払いして借地権をえた。そこで、土地改革のとき、農民は地主に敷金を返すよう要求した。これを敷金の返済という。そのさい、工商業を兼営している地主や、敷金を一度に返済する力のないその他の地主には、敷金を分割して返すのを認めた。

maobadi 2011-06-30 21:40
反革命鎮圧にあたっては党の大衆路線を実施すべきである


          (一九五一年五月)


 これは、毛沢東同志が第三回全国公安会議の決議案を修正したさいに書きくわえた数項目の指示である。


 (一)現在、全国ですすめるれている反革命鎮圧運動は、偉大な、激烈な、複雑な闘争である。全国各地ですでに実施して効果をあげている活動の路線は、党の大衆路線である。つまり、党委員会が指導すること、全党を動員し、大衆を動員すること、各民主政党と各界の人士を参加させること、統一的な計画をたて、統一的な行動をとること、逮捕者と処刑者のりストを厳密に審査すること、それぞれの時期の闘争の戦術に注意をはらうこと、宣伝教育活動を広範におこなうこと(各種の代表者会議、幹部会議、座談会、大衆集会をひらいて、その場で被害者の訴えを聞き、証拠物件を展示し、映画、スライド、出し物、新聞、パンフレット、ビラなどをつかって、各人、各家庭がみなわかるように宣伝する)、閉鎖主義や神秘主義をうち破ること、軽率に事をはこぶ傾向に断固として反対することなどである。およそ、完全にこの路線にしたがえば、それは完全に正しい。およそ、この路線にしたがわなければ、それはまちがっている。およそ、この路線に大体のところしたがうが、完全にはしたがわないとすれば、それは大体のところ正しいが、完全には正しいといえない。われわれの見るところ、この活動の路線は、反革命鎮圧活動をひきつづきふかめていき、その完全な勝利をかちとるうえでの保証である。これからの反革命鎮圧活動では、この路線を完全に遵守しなければならない。そのうちで、もっとも重要なのは、逮捕者と処刑者のリストを厳密に審査すること、宣伝教育を広範にすすめることである。この二つの点をやりとげれは、誤りを犯さないですむ。
 (二)反革命分子の処刑数は、一定の比率のわく内におさえなければならない。その原則はつぎのとおりである。つまり、殺人またはその他のもっとも重大な罪があり、処刑しなければ人民の憤りをしずめることのできない者、および国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた者にたいしては、断固として死刑の判決をくだし、ただちに執行しなければならない。しかし、その罪が死刑に該当する者のうち、人を殺害したことがなく、人民の憤りもはげしくなく、また、国家の利益に重大な損害をあたえはしたが、もっとも重大な程度には達していない者にたいしては、死刑、ただし執行延期二年という判決をくだし、延期期間に労働を科して、その態度をみるという政策をとるべきである。このほか、なお、はっきりと次のように規定すべきである。およそ逮捕してもしなくてもよいその中間にある者は、けっして逮捕してはならず、もしも逮捕すれば誤りである。およそ処刑してもしなくてもよいその中間にある者は、けっして処刑してはならず、もしも処刑すれば誤りである。
 (三)反革命鎮圧運動の高まりのなかで「左」の偏向がおこるのを防ぐため、これまで処刑者のひじょうに少なかったところもふくめ、全国のあらゆる地方において、六月一日以降、逮捕の承認権を一律に地区委員会、専署段階に回収し、処刑の承認権を一律に省段階に回収する。また、省都から遠いところでは、省段階の機関が代表を派遣して処理する。いかなる地方も、この決定の変更を要求してはならない。
 (四)「中層」と「内層」の反革命分子については、いまから計画的に審査・粛清をはじめなければならない。中央の指示にしたがって、ことしの夏と秋の両季に整風の方法をとり、留用人員と新採用の知識分子にたいして初歩的な審査をまんべんなくおこなうよう、決定する。その目的は、状況をはっきりさせることと、若干のもっともきわだった問題を処理することである。その方法は、反革命鎮圧にかんする文書を学習し、留用人員と新採用の知識分子のうち、問題のある者(すべてではない)によびかけて、誠実な態度で個人の経歴をはっきりのべさせ、隠している問題を告白させることである。この告白運動は、指導的幹部が責任をもって主宰し、自由意思の原則によるべきで、強制的な方法をとってはならない。どの部門でも所要時間を短くすべきで、ひきのばしてはならない。その戦術は、多数を獲得し、少数を孤立させて、冬季のいっそう徹底した審査にそなえることである。中枢機関、公安機関その他の肝要な部門では、真っ先に審査をおこなわなければならず、そのなかで、運動の推進に役立つ経験を積むようにする。政府諸部門や学校、工場でこのような審査をすすめるときは、この審査にあたる委員会にかならず党外の人士を参加させ、共産党員が単独でおこなうのを避けるべきである。
 (五)今回の反革命鎮圧の偉大な闘争では、大衆性のある治安防衛委員会を全国各地のいたるところに組織すべきである。この委員会は、農村では郷、都市では機関、学校、工場、居住区を単位として、人民がこれを選出する。委員の数は、少なくて三人、多くて十一人とし、信頼しうる党外の愛国者をかならず参加させて、統一戦線の治安防衛組織とすべきである。この委員会は、基層の政府と公安機関の指導のもとに、人民政府に協力して反革命の粛清、防奸《ぼうかん》と防諜《ぼうちょう》、国家の防衛、公共の治安についての責任を負う。悪人がすきに乗じてもぐりこむのを防ぐため、この委員会は、農村では土地改革の完了後、都市では反革命鎮圧活動の展開されたあと、上からの指導のもとで組織されるべきである。

maobadi 2011-06-30 21:41
反革命鎮圧にあたっては着実に、的確に、容赦なくたたくべきである


          (一九五○年十二月~一九五一年九月)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した反革命鎮圧運動についての重要指示の一部である。


       一

 反革命分子の鎮圧にあたっては、着実に、的確に、容赦なくたたくよう、心がけてほしい。
          (一九五○年十二月十九日)

       二

 湖南省西部の二十一県では、すでに匪賊《ひぞく》の頭目、極悪ボス、特務分子などの一部を死刑に処したが、ことしも地方当局がさらに一部の者を処刑することになっている。この処置はきわめて必要だと思う。こうしてこそ、敵の気勢をくじき、人民の士気を大いに高めることができる。もしもわれわれが優柔不断で、悪人をのさばらせておくなら、人民に災いをのこし、大衆から浮きあがってしまう。
 着実にたたくとは、戦術に注意することである。的確にたたくとは、まちがって処刑しないことである。容赦なくたたくとは、処刑すべきすべての反動分子を断固として処刑することである(殺すべきでない者は、もちろん殺さない)。われわれがまちがって処刑するようなことをしないかぎり、ブルジョア階級がさわぎたてても、それを恐れることはない。
          (一九五一年一月十七日)

       三

 山東省の一部の地方には意気ごみの足りない傾向があり、一部の地方には軽率に事をはこぶ傾向がある。これは全国のどの省や市にも総じてみられる二つの傾向で、いずれも是正するよう心がけるべきである。とりわけ、軽率に事をはこぶ傾向は、もっとも危険である。なぜならば、意気ごみが足りなくても、教育と説得をおこなえば、意気ごみは高まるものであって、反革命分子を殺すのが数日はやかろうと、数日おそかろうと、大した違いはない。だが、軽率に事をはこび、まちがって逮捕したり、まちがって処刑したりすると、その影響はひじょうに悪い。諸君は、反革命鎮圧の活動をきびしい統制のもとですすめ、ぜひとも、慎重に事をはこぶようにし、軽率に事をはこぶすべての傾向を是正してもらいたい。われわれはかならずすべての反革命分子を鎮圧しなければならないが、決してまちがって逮捕したり、まちがって処刑したりしてはならない。
(一九五一年三月二十日)

       四

 中央はつぎのように決定した――共産党の内部、人民解放軍の内部、人民政府諸部門の内部、教育界、工商業界、宗教界、各民主政党と各人民団体の内部で摘発された反革命分子については、その罪が死刑に処するほど重くない者は、有期または無期の懲役、あるいは管制・監視の処分に付するが、およそ死刑に処すべき者は、人を殺害した者、大衆のうらみを買うその他の重大な罪、たとえば多くの婦人を強姦した者、あるいは多くの財産を略奪した者、および国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた者にたいしてのみ刑を執行することとし、そのほかはすべて死刑、ただし執行延期二年という判決をくだし、延期期間に労働を科して、その態度をみるという政策をとる。こうした政策は慎重な政策で、誤りを犯すのを避けることができる。こうした政策は、社会の広範な人びとの共鳴をよぶことができる。こうした政策は、反革命勢力を分化させ、反革命分子を絶滅するのに有利である。こうした政策は、また、多くの労働力をのこしておくことができ、国家の建設事業にとっても有利である。したがって、これは正しい政策である。共産党、政府、軍隊、教育界、工商業界、人民団体などで摘発された、もともと死刑に処すべき上記の反革命分子のうち、人を殺害した者、または大衆のうらみを買うその他の罪を犯した者、あるいは国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた者は、ごく少数であって、ほぼ一、二割にすぎず、死刑、ただし執行延期という判決をうける者は八、九割を占めるであろう。つまり、死罪を犯した者の八、九割は殺さずにすむ。これらの者は、農村における匪賊の頭目、常習匪賊、極悪ボスともちがうし、都市の極悪ボス、匪賊の頭目、常習匪賊、ゴロツキの頭目および反動的な結社・教団の大頭目ともちがい、また、国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた一部の特務分子ともちがう。つまり、大衆の深いうらみを買う殺人またはその他の重大な罪かないのである。かれらが国家の利益に損害をあたえた度合いは重大ではあるが、しかし、もっとも重大というわけではない。かれらは死罪を犯しはしたが、しかし、大衆は直接その害をうけていない。もしもわれわれがこれらの者を殺してしまえば、大衆は容易に理解できず、各界の人びとの十分な共鳴も得られず、また多くの労働力をうしない、敵を分化させる役割もはたすことができず、しかもわれわれがこの問題で誤りを犯すおそれもある。このため、中央はこれらの者にたいしては、死刑、ただし執行延期という判決をくだしたあと、労働を科して、その態度をみるという政策をとることにきめた。もしもこれらの者の一部が改造をうけいれず、ひきつづき悪事をはたらくならば、将来なお死刑に処することができ、その主動権はわれわれの手に握られている。各地の共産党、政府、軍隊、教育界、工商業界、人民団体などで摘発された反革命分子にたいしては、各地で上述の原則にもとづいて処理してもらいたい。死刑を執行すべきごく少数の者(死罪を犯している者のほぼ一、二割を占める)については、慎重を期して、すべて、大行政区または大軍区に上申し、その承認を得る必要がある。統一戦線に関連のある重要人物については、中央に上申し、その承認を得なければならない。このほか、農村における反革命分子についても、処刑しなければ人民の承知しない者だけを処刑し、人民が殺さなくてもよいという者はすべて処刑してはならない。そのうちの一部の者にたいしても、死刑、ただし執行延期の判決をくだすという政策をとるべきである。人民が処刑を要求する者は、かならず処刑し、人民の憤りをしずめて、生産に役立てるべきである。
          (一九五一年五月八日)

       五

 「執行延期二年」という政策は、殺人またはその他の重大な罪があるために人民が処刑を要求しているような犯罪者をも処刑しない、と解釈すべきではない。もしそうすれば、誤りである。われわれは、区や村の幹部および人民大衆に次のことをはっきり説明しておかなければならない――極悪の罪を犯して、人民の怒りがひじょうにはげしく、処刑しなければ人民の承知しないような者にたいしては、かならずこれを処刑して、人民の憤りをしずめなければならない。死刑、ただし執行延期二年という判決をくだしたあと、労働を科して、その態度をみるというのは、ただ、死罪を犯してはいるが、人民の怒りがはげしくなく、人民も殺すことを要求していない者にかぎる。

       (一九五一年六月十五日)

       六

 反革命鎮圧の全活動は、各級党委員会の統一的指導のもとでおこなわなければならない。すべての公安機関と反革命鎮圧に関係ある機関の責任者は、これまでと同様、あくまでも党委員会の指導をうけなければならない。
       (一九五一年九月十日)

maobadi 2011-06-30 21:42
映画『武訓伝』についての討論を重視すべきである


          (一九五一年五月二十日)


 これは、毛沢東同志が『人民日報』にかわって書いた社説の抜粋である。


 『武訓伝』の提起している問題は、根本的な性質をおびている。武訓①のような人物は、清朝の末期、中国人民が外国の侵略者や国内の反動的な封建支配者とたたかったその偉大な闘争の時代に生きながら、封建的な経済的土台とその上部構造には指一本ふれなかったばかりか、逆に封建的文化を熱狂的に宣伝し、しかも自分のもっていなかった、封建的文化の宣伝者としての地位を手にいれようとして、反動的な封建支配者のまえにはいつくばうという卑屈のかぎりをつくしたのである。このような醜悪な行為は、われわれの賛美すべきものであろうか。このような醜悪な行為を人民大衆のまえで賛美し、さらには「人民に奉仕する」という革命の旗じるしをもちだして賛美し、ついには革命的な農民闘争の失敗まで引きあいにだして賛美するということは、果たしてわれわれの許せることであろうか。このような賛美を認め、あるいは許すということは、とりもなおさず農民の革命闘争を誹謗《ひぼう》し、中国の歴史を誹謗し、中国民族を誹謗する反動的宣伝を、正当な宣伝として認め、あるいは許すことである。
 映画『武訓伝』があらわれたこと、とくに武訓と映画『武訓伝』にたいする賛美がこんなにも多いことは、わが国文化界の思想的混乱がどんなにひどいものであるかを物語っている。
 多くの論者の目からみると、歴史の発展とは、新しい事物を旧《ふる》い事物にとって代わらせることではなく、旧い事物を死滅させぬよう、さまざまな努力をはらって守っていくことであるらしい。それはまた、当然くつがえすべき反動的な封建支配者を階級闘争によってくつがえすことではなく、武訓のように被抑圧人民の階級闘争を否定し、反動的な封建支配者に投降することであるらしい。われわれの論者たちは、これまでの歴史において、中国人民を抑圧した敵はどういう人間であったのか、これらの敵に投降し、奉仕した人間には果たして称賛すべき点があったのかどうかを検討しようとしない。われわれの論者たちはまた、一八四〇年のアヘン戦争いらい百年あまりのあいだに、中国では旧い社会経済構造およびその上部構造(政治、文化など)とたたかうどのような新しい社会経済構造、新しい階級勢力、新しい人物、新しい思想がうまれたのか、これを検討したうえでなにを称賛あるいは賛美すべきであるか、なにを称賛あるいは賛美すべきでないか、なにに反対すべきであるかを決めようとはしないのである。
 とくに注意を要するのは、マルクス主義を身につけたと称する一部の共産党員である。かれらは社会発展史――史的唯物論を学びはしたが、いったん具体的な歴史上の事件、具体的な歴史上の人物(たとえば武訓)、具体的な反歴史的思想(たとえば映画『武訓伝』、その他の武訓にかんする著作)にぶつかると、それを批判する能力をうしない、なかにはこうした反動思想に投降するものさえ出てくる。ブルジョア階級の反動思想が戦闘的な共産党にはいりこんでいること、これは事実でないとでもいうのだろうか。一部の共産党員が身につけたと称するそのマルクス主義は、いったいどこへ消しとんでしまったのであろう。
 以上にのべたいろいろな理由から、この問題での混乱した思想を徹底的にただすため、映画『武訓伝』、その他の武訓にかんする著作と論文について討論をくりひろげるべきである。



〔訳注〕
① 武訓(一八三八~一八九六年)は山東省堂邑の人で、もとは無職の遊民であった。「乞食《きっしょく》興学」(こじきをして私塾をつくる)の看板をかかげて、金銭をだまし取り、土地を買ったり金を貸したりして、ついに大地主、大金貸しになった。かれは、悪徳地主と結託して「義学」なるものをつくり、封建的文化をさかんに宣伝して、搾取階級の奴僕を養成し、歴代の反動的支配者から大いに称揚された。

maobadi 2011-06-30 21:43
三大運動の偉大な勝利


          (一九五一年十月二十三日)


 これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一期全国委員会第三回会議でのべた開会のことばである。


 委員のみなさん、同志のみなさん
 われわれの人民政治協商会議第一期全国委員会第三回会議がただいまから開かれる。今回の会議には、全国委員会の委員が出席しているほか、中国人民志願軍、人民解放軍、工業労働模範、農業労働模範、旧根拠地代表、教育活動家、文学・芸術活動家、工商業者、各分野の専門家、宗教界、少数民族、華僑、婦人、青年、省・市人民政治協商会議委員会やその他の方面の代表的な人びと、ならびに政府機関の多数の要員も招きをうけて列席している。出席ならびに列席した人びとのなかには、人民によく知られている戦闘英雄、労働模範、模範的活動家が数多くふくまれている。われわれの今回の会議のこのような規模は、中華人民共和国の各戦線で大きな成果と前進がみられたことをあますところなく物語っている。
 ここ一年、われわれは国内で抗米援朝、土地改革、反革命鎮圧という三つの大規模な運動をくりひろげ、偉大な勝利をおさめた。大陸における反革命の残党は、ほぼ一掃されようとしている。土地改革は、少数民族の住む一部の地域をのぞいて、一九五二年にぜんぶ完了するであろう。全中国の人民は、抗米援朝運動のなかで、かつてみない広範な団結をしめし、アメリカ帝国主義の侵略勢力にたいして断固とした闘争をおこなっている。中国人民志願軍は、中国人民の偉大な意志を体して、朝鮮人民軍とともに、アメリカ帝国主義の、朝鮮民主主義人民共和国を侵略し、さらには中国大陸に侵入しようとする気違いじみた計画をうち被り、朝鮮、中国、アジアおよび全世界の平和を愛する人民を勇気づけ、これら諸勢力の平和擁護、侵略反対への確信をつよめさせた。われわれは、勇敢な中国人民志願軍と朝鮮人民軍に祝意と敬意を表すべきである。
 以上にのべた三大運動で勝利をおさめたことによって、また各級の人民政府と各界の人民がともに努力したことによって、わが国はすでにかつてみない統一を実現した。西蔵《チベット》問題は平和的な方法で解決された。国防力は増強された。人民民主主義独裁は強固なものになった。そして、わが国の金融と物価はひきつづき安定をたもち、経済建設事業と文化・教育事業の回復と発展をはかる仕事も大きく前進した。
 工業戦線と農業戦線でいま発展している愛国増産運動は、わが国のよろこぶべき新しい気運である。農村における土地改革の実現、工場・企業における民主的改革の実現によって、労働者と農民は愛国増産への意欲を大いにたかめ、その物質両、文化面の生活を改善することができるようになった。われわれが労働者、農民と団結し、かれらを教育し、かれらに依拠することに長じてさえいれば、わが国にはかならずいたるところに愛国増産運動の高まりがみられるようになるであろう。
 わが国の文化・教育戦線と各分野の知識分子のあいだでは、中央人民政府の方針にもとづいて、自己教育と自己改造の運動が広範にくりひろげられている。これまた、わが国のよろこぶべき新しい気運である。全国委員会第二回会議の閉会にさいし、わたしは、批判と自己批判の方法で自己教育と自己改造をおこなうことを提案した。いま、その提案がしだいに現実となりつつある。思想改造、なによりもまず各分野の知識分子の思想改造は、わが国が各方面で徹底的に民主的改革を実現し、しだいに工業化を実行するうえでの重要な条件の一つである。したがって、われわれは、この自己教育と自己改造の運動が着実に前進する過程で、いっそう大きな成果がおさめられるよう希望する。
 すべての事実が立証しているように、われわれの人民民主主義独裁の制度は、資本主義国の政治制度にくらべて、きわめて大きな優越性をそなえている。この制度を基礎としているので、わが国人民ははかり知れない力を発揮することができる。この力は、いかなる敵にもうち破られることはない。
 抗米援朝の偉大な闘争は、いまなおつづけられており、アメリカ政府が平和的解決をのぞむようになるまでつづけられなければならない。われわれはいかなる国をも侵略しようとは思わない。ただ、わが国にたいする帝国主義者の侵略に反対するだけである。だれもが知っているように、もしもアメリカの軍隊がわが国の台湾を占領せず、朝鮮民主主義人民共和国を侵略せず、わが国の東北国境地帯にまで攻めよせてこなければ、中国人民はアメリカの軍隊と戦うことはなかったであろう。だが、アメリカ侵略者がわれわれに攻撃をかけてきた以上、われわれとしては反侵略の旗をあげないわけにはいかない。それは、まったく必要なことであり、まったく正義にかなったことである。全国の人民は、すでにその必要性と正義性をよく理解している。この必要で、正義にかなった闘争をひきつづき堅持するためには、われわれは抗米援朝の活動をひきつづき強化しなければならず、増産と節約につとめて、中国人民志願軍を支援しなければならない。これが中国人民のこんにちの中心任務であり、したがってまた、われわれの今回の会議の中心任務でもある。
 われわれは早くから、朝鮮問題は平和的な方法で解決すべきだと表明してきたが、いまもおなじである。アメリカ政府がこれまでのようにさまざまな恥すべき方法で交渉をぶちこわしたり、さまたげたりせず、公正かつ合理的な基礎に立って問題を解決する用意さえあれば、朝鮮休戦交渉は成功するであろう。さもなければ、成功はありえない。
 中華人民共和国の成立後二年間、われわれの各分野の活動はいずれも偉大な勝利をおさめた。これらの勝利は、われわれが結集できるすべての力に依拠してはじめてかちとることができたのである。国内では、われわれは、労働者階級と共産党の指導する、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士のかたい団結に依拠してきた。国際的には、われわれは、ソ連をはじめとする平和・民主陣営のかたい団結と、世界各国の平和を愛する人民の大きな支持に依拠してきた。だからこそ、われわれは各分野の活動において偉大な勝利をおさめたのである。これはわれわれの敵の予想もしなかったことである。われわれの敵はつぎのように考えていた。新生の中華人民共和国のまえには数かずの困難がよこたわっており、そのうえかれら自身がわれわれにたいする侵略戦争をおこしているから、われわれは自分の困難を克服することができず、侵略者に反撃することもできないであろう、と。ところが、敵の予想に反して、われわれは自分の困難を克服することができ、侵略者に反撃して、しかも、偉大な勝利をおさめることができた。われわれの敵は目先がきかない。かれらは、われわれのこのような国内、国際の偉大な団結の力を見てとることができず、外国の帝国主義が中国人民を侮った時代は、中華人民共和国の成立によって永遠に終わりをつげたということを見てとることができない。かれらはまた、社会主義ソ連の成立、中華人民共和国の成立、人民民主主義諸国の成立によって、また、友好同盟相互援助条約を基礎とする偉大な中ソ両国のかたい団結によって、さらにまた平和・民主陣営全体のかたい団結と、この偉大な陣営にたいする世界各国の広範な平和を愛する人民の大きな支持によって、帝国主義が世界に覇をとなえた時代はもはや永遠に終わりをつげたということを見てとることができない。われわれの敵はこれらのことを見てとることができず、なおも中華人民共和国を侮ろうとし、世界に覇をとなえようとしている。だが、同志のみなさん、わたしは断言することができる――かれらのもくろみは気違いじみており、むだであり、決してその目的をとげることはできない、と。そのもくろみとは反対に、中華人民共和国は侮ることができず、ソ連をはじめとする偉大な平和陣営は侵すことができず、全世界の平和を愛する人民は欺くことができないものである。同志のみなさん、ソ連の偉大な十月社会主義革命が勝利したときから、世界における人民の勝利という局面が決定的になった。現在では中華人民共和国の成立と人民民主主義諸国の成立によって、この局面がいっそう発展し、強まっている。第一次世界大戦とロシア十月革命ののちの歴史的時期にも、たしかにドイツ、イタリア、日本という三つの帝国主義国が世界に覇をとなえようとしたことはあったが、それは中華人民共和国と多くの人民民主主義国が成立するまえのことであった。だが、その結果はどうであったろう。この三つの帝国主義国のたくらみは気違いじみたものであり、むだなものであることが立証されたのではなかったか。そのたくらみとは正反対に、覇をとなえようとした帝国主義が逆に打倒されるという結果になったのではなかったか。こんにちの局面はまったくちがっている。偉大な中華人民共和国が成立した。多くの人民民主主義国が成立した。世界人民の自覚がたかまった。アジア全体およびアフリカ北部の民族解放闘争がいきおいよく燃えあがった。帝国主義体制全体の力が大いに弱まった。さらにもう一つ、きわめて重要な事実は、われわれのもっとも親密な同盟国ソ連の力が大いに強まったことである。このようなときに、帝国主義国がふたたびドイツ、イタリア、日本三国の侵略者がたどったふるい道をあゆもうとするなら、その結果は火を見るよりも明らかではあるまいか。これを一言でいえば、今後の世界は人民の世界であるべきで、世界のどの国でも人民が自分で自分を管理しなければならず、もはや二度と帝国主義とその手先がのさばりかえるような世界であってはならない、ということである。わたしは、わが国の人民自身がしっかり団結するとともに、われわれの盟友ソ連としっかり団結し、すべての人民民主主義国としっかり団結し、われわれを支持する世界のすべての民族および人民ともしっかり団結して、反侵略闘争の勝利をめざし、われわれの偉大な国家建設の勝利をめざし、世界の持続的な平和を守るたたかいの勝利をめざして、ひきつづき前進するよう希望する。同志のみなさん、われわれがそのようにやりさえすれば、勝利は確実にわれわれのものである、とわたしは信じている。

maobadi 2011-06-30 21:43
「三反」「五反」①の闘争について


          (一九五一年十一月~一九五二年三月)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した重要指示の一部である。


       一

 汚職に反対し、浪費に反対すること、これは全党の重要な仕事である。このことに大きな注意をはらうよう、われわれはすでに諸君に話しておいた。われわれは、全党の大整理をおこない、大・中・小の汚職事件をすべて徹底的に摘発する必要がある。そして、おもに大汚職犯に打撃をあたえ、中・小の汚職犯にたいしては、ふたたび罪を犯さないよう教育と改造をほどこす方針をとるべきである。こうしてはじめて、多くの党員がブルジョア階級にむしばまれるというきわめて危険な現象を阻止することができ、第七期中央委員会第二回総会ですでに予測していたこうした状況を克服し、またブルジョア階級にむしばまれるのを防ぐことについての同総会の方針を実現することができるのである。ぜひとも諸君にこれらの事を注意してもらいたい。

          (一九五一年十一月三十日)


       二

 幹部がブルジョア階級にむしばまれて重大な汚職行為が発生しているというこの事実に、大きな注意をはらわなければならず、その発見、摘発、処罰に意をそそぎ、一つの大きな闘争としてこれに取りくまなければならない。

          (一九五一年十一月三十日)


       三

 汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争を、反革命鎮圧の闘争と同じように重要な闘争と見なし、同じように民主政党および社会各界の人士をふくむ広範な大衆を動員しておこない、同じように旗鼓堂々とおしすすめ、同じように指導的幹部が責任をもち、みずから事にあたらなければならない。そして、自供と摘発をよびかけ、罪の軽い者には批判・教育をおこない、重い者は罷免、処罰し、懲役(労働改造)に処し、さらに一部のもっとも重い汚職犯は銃殺しなければならない。こうしてはじめて、問題を解決することができる。

          (一九五一年十二月八日)


       四

 全国のすべての都市、まず大都市と中都市で、労働者階級に依拠し、法を守るブルジョア階級およびその他の市民と団結し、法にそむくブルジョア階級にたいして贈賄反対、脱税反対、国家資材の横領反対、手ぬきと材料のごまかし反対、経済情報の窃取反対の大規模な、断固とした、徹底した闘争をくりひろげ、これを見、政府、軍隊、大衆団体内部ですすめている汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争に呼応させる――これはいまきわめて必要かつ時宜にかなったことである。この闘争で、各都市の党組織は階級と大衆の諸勢力について綿密な部署配置をおこなわなければならず、矛盾を利用し、分化をはかり、多数と団結し、少数を孤立させる戦術に注意をはらわなければならず、闘争のなかですみやかに「五反」の統一戦線をうちたてなければならない。この統一戦線は、大都市のばあい、「五反」運動をはげしくくりひろげてから、およそ三週間もあればうちたてることができよう。この統一戦線ができさえすれば、重大な罪を犯した極悪の反動的資本家は孤立し、国家はかれらにたいし、十分な根拠をもって、支障なく逮捕、懲役、銃殺、没収、罰金など、さまざまの必要な刑罰を科することができる。全国の各大都市(各省部をふくむ)では、みな二月上旬に「五反」の闘いにはいるべきである。すみやかに部署をととのえてもらいたい。

          (一九五二年一月二十六日)


       五

 (一)「五反」運動のなかで、工商業者にたいする処理の基本原則はつぎのとおりである。つまり、過去には寛大、以後には厳重(たとえば税の追徴は、一般には一九五一年のものだけとする)、多数には寛大、少数には厳重、白供した者には寛大、自供を拒《こば》む者には厳重、工業には寛大、商業には厳重、一般的な商行為には寛大、投機的な商行為には厳重、というのがそれである。各級の党委員会が「五反」運動のなかでこのいくつかの原則を堅持していくよう、希望する。
 (二)「五反」運動のためには、私営工商業者を遵法者、準遵法者、半遵法・半違法者、重違法者、完全違法者の五種類に区分すべきである。大都市のばあい、まえの三種類はほぼ九五パーセント、あとの二種類はほぼ五パーセントである。各大都市によって、いくらかの違いはあるが、大差はない。中都市では、この数字とはかなり違ってくる。
 (三)この五種類には、ブルジョア階級と非ブルジョア階級の自営手工業者、零細自営商とがふくまれるが、露天商人はふくまれない。各大都市では、暫時、露天商人にたいする処理はすすめなくてよいが、自営手工業者と零細自営商にたいする処理をおこなうことかのぞましい。各中都市では「五反」運動のなかで、自営工商業者と露天商人にたいする処理をともにおこなうことがのぞましい。わが国の大・中都市には、労働者や店員をやとっていない(だが一部は徒弟をつかっている)自営工商業者がひじょうに多い。そのうちには遵法者がたくさんいるし、基本的には遵法だが部分的には違法な者(小額の脱税行為がある者、小さな問題があるとされている者)もたくさんいるが、半遵法・半違法者、つまりかなり脱税をしている者もすこしはいる。われわれは、今回の「五反」運動のなかで、多くの小資本家にたいして処理をおこない、判定をくだすとともに、小資本家とほぼ同数の自営工商業者にたいしても処理をおこない、判定をくだすよう、できるかぎり努力すべきである。こうすることは、半面の「五反」運動にも今後の経済建設にも有利である。この二種類の工商業者は、一般にたいした問題はなく、判定をくだすのはむずかしいことではない。判定をくだしたあと、われわれは広範な大衆の支持をうることができる。しかし、一部の都市で、さきにその他の工商業者に判定をくだし、自営工商業者の判定はあとにまわしたほうが好都合だと考えるなら、そうしてもよい。
 (四)都市の実際状況にもとづいて、われわれは、以前にさだめた工商業者についての四種類の分類を、五種類に改めることとした。つまり、遵法の工商業者を遵法者と準遵法者の二種類にわけ、その他の三種類は以前のとおりとしたのである。北京の工商業者五万戸(自営工商業者をふくむが、露天商人はふくまない)のうち、遵法著はほぼ一〇パーセント、準遵法者はほぼ六〇パーセント、半遵法・半違法者はほぼ二五パーセント、重違法者はほぼ四パーセント、完全違法者はほぼ一パーセントである。完全な遵法者と、小さな問題のある準遵法者とをわけ、準遵法者のうちで脱税額のわりあい少ない者とやや多い者とを区別して取り扱う――こうすれば、大きな教育的効果があるだろう。
 (五)各大・中部市のなかで、一部の市委員会は、各種類の工商業者の状況をまったくつかんでおらず、これらの工商業者にそれぞれどう対処するかという戦術的観点もはっきりしておらず、労働組合と政府の工作隊(あるいは点検班)の組織・訓練もひじょうに粗雑であるのに、あわただしく「五反」運動をはじめて、いくらかの混乱をまねいている。これらの市委員会が、これに注意をはらい、すみやかに克服するよう希望する。このほか、違法工商業者の取り調べは、かならず市委員会、市政府のきびしい統制のもとでおこなうべきで、各機関が勝手に人を送って取り調べてはならず、ましてや勝手に資本家を機関に連行して尋問するようなことがあってはならない。また、「三反」であろうと「五反」であろうと、体刑で自供をせまる方法をとってはならず、自殺者が出るのをきびしく防がなければならない。すでにこうした事態が発生しているところでは、ただちにその防止策を講じ、「三反」「五反」を正しい軌道にそって健全に発展させ、完全な勝利をおさめるようにしなければならない。
 (六)県、区、郷では、当面、いずれも「三反」運動と「五反」運動をおこなわない。今後、いつ、どのようにおこなうかは、中央が追って通知する。「五反」運動を試験的におこなっている一部の県都、「三反」運動を試験的におこなっている一部の区では、これをきびしく統制し、春の農作業や経済面の仕事をさまたげるようなことがあってはならない。中都市でも、「五反」運動をいちどきにおこなってはならず、時期をわけ、しかもきびしい統制のもとでおこなわなければならない。

          (一九五二年三月五日)


       六

 今回の「五反」闘争の期間とこの闘争のあと、われわれはつぎのような目的を達成しなければならない。
 (一)私営工商業の状況を徹底的に調査して、ブルジョア階級の結集と掌握、国の計画経済の実行に役立てる。状況がはっきりしなければ、計画経済はすすめようがない。
 (二)労働者階級とブルジョア階級とをはっきり区別し、労働組合内の汚職と大衆から浮きあがった官僚主義の現象を根絶し、労働組合の内部にいるブルジョア階級の手先を一掃する。各地の労働組合には、みなこうした手先や労資のあいだでぐらつく中間分子があらわれている。われわれは、闘争のなかで中間分子を教育し、獲得しなければならず、重大な罪を犯した資本家の手先を追放しなければならない。
 (三)同業組合と工商業連合会を改組して、「五毒」〔1〕のすべてをもっている者と、その他のまったく威信をうしなった者をこれらの団体の指導機構から追放し、「五反」のなかで態度の比較的よかった者をこれらの指導機構にむかえいれる。完全違法者をのぞいて、各種類の工商業者はいずれもその代表をもつべきである。
 (四)民主建国会の責任者をたすけて民主建国会の整頓をすすめ、「五毒」のすべてをもっている者や人望をまったくうしなった者を除名し、一部の比較的よい人を入会させる。こうして民主建国会を、ブルジョア階級、おもに工業ブルジョア階級の合法的利益を代表することができ、共同綱領と「五反」の原則でブルジョア階級を教育することもできる政治団体にしていく。資本家各グループの秘密結社、たとえば「木曜会食会」〔2〕などについては、解散の措置をとるべきである。
 (五)「五毒」を一掃し、投機的な商行為を根絶して、ブルジョア階級全体を国家の法令にしたがわせ、国の経済と人民の生活に役立つ工商業を経営させる。国のざだめた範囲内で私け工業を発展させ(資本家が希望し、共同綱領に合致するかぎりにおいて)、私営商業をしだいに縮小する。国家は、私営企業の製品にたいする一手販売・発注計画を年ごとにふやし、私営工商業にたいする計画性を年ごとにつよめる。私的資本の利潤額の再確定をおこない、私的資本に儲けがあるとわからせる一方、かれらに暴利をむさぼらせないようにする。
 (六)裏帳簿をなくし、経理を公開し、労働者、店員が生産と経常を監督する制度を漸次うちたてていく。
 (七)追徴金、弁償、罰金、没収によって、国家と人民のうけた経済的損失の大部分をとりもどす。
 (八)大・中の私営企業にはすべて、労働者、店員のあいだに党の支部をつくり、党の活動を強化する。

          (一九五二年三月二十三日)


〔注〕
〔1〕 「五毒」とは、贈賄、脱税、国家資材の横領、手ぬきと材料のごまかし、経済情報の窃取という、資本家の五種類の違法行為をさす。
〔2〕 「木曜会食会」とは、重慶の一部資本家の秘密結社。一連の重大な違法秘密活動をおこない、「五反」運動で摘発され、取り締まりをうけた。
〔訳注〕
① 「三反」とは、一九五一年の未から、国家機関と国営企業の職員のあいたですすめられた汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争をさす。「五反」とは、一九五二年の始めから私営工商業者のあいだですすめられた贈賄反対、脱税反対、国家資材の横領反対、手ぬきと材料のごまかし反対、経済情報の窃取反対の闘争をさす。

maobadi 2011-06-30 21:45
重大な事業として農業の互助・協同化にとりくもう


          (一九五一年十二月十五日)


 これは、毛沢東同志が、農業協同化に反対した劉少奇に反駁《はんばく》をくわえるために起草した、重要な歴史的意義をもつ党内通達である。一九五一年七月、劉少奇は、毛沢東同志と党中央に無断で、農業生産の互助・協同化の発展にかんする山西省委員会の報告に、個人の名義でほしいままに非難をくわえた評語を書き、それを各地に配布した。劉少奇は、この評語のなかで、農業の社会主義的改造についての毛沢東同志の路線に反対し、これを「誤った、危険な、空想的な農業社会主義思想」だと中傷した。同年九月、毛沢東同志はみずから主宰して『農業生産の互助・協同化にかんする中国共産党中央の決議(草案)』を作成するとともに、十二月十五日、決議草案の印刷・配布にあたって、この通達を書き、重大な事業として農業の互助・協同化にとりくむよう全党に指示した。


 ここに農業生産互助・協同化にかんする決議草案を送るから、印刷のうえ党の県委員会と区委員会に配布してもらいたい。ただちにこの草案どおり党内外で説明し、実行するよう組織してもらいたい。これは、すでに土地改革を完了したすべての地域で説明し、実行しなければならないものであり、重大な事業としてとりくむよう希望する。この決議草案は、党内の刊行物に発表してもよいが、まだ草案であるから、新聞・雑誌で党外に発表してはならない。


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maobadi 2011-06-30 21:46
年頭のことば


          (一九五二年一月一日)


 人民政府の職員、人民志願軍と人民解放軍の指揮員・戦闘員、各民主政党、各人民団体、各少数民族および全国人民――われわれ全体の、各戦線における勝利を祝おう!
 抗米援朝の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 国防戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 土地改革の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 反革命鎮圧の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 経済・財政戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 文化・教育戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 社会各界の、なによりもまず知識分子の思想改造の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
 わが国の全人民と全職員は、いま一体となって、汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の大規模な闘争を、旗鼓堂々と疾風迅雷の勢いでくりひろげ、旧社会が残したこれらの汚濁を洗いきよめるよう、呼びかけられている。わたしはまた、この新しくひらかれた戦線におけるわれわれの勝利を祝いたい。
 同志諸君、一九五一年には、上にのべたすべての戦線でわれわれは勝利をおさめた。その多くはきわめて偉大な勝利である。一九五二年には、われわれの共同の努力によって、これらすべての仕事でさらに大きな勝利がおさめられるよう希望する。
 中華人民共和国万歳!

maobadi 2011-06-30 21:46
西蔵の工作方針についての中国共産党中央の指示


          (一九五二年四月六日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草して、西南局、西蔵工作委員会にあて、かつ西北局、新種分局にも通告した党内指示である。


 中央は、西南局、西南軍区が四月二日西蔵《チベット》工作委員会と西蔵軍区にあてた指示の電報に、基本的に同意し、この電報のとっている基本方針(西蔵軍の改編という点は除く)と多くの具体的な措置を正しいものと認める。このとおりに実行してこそ、わが軍を西蔵で不敗の地に立たせることができる。
 西蔵の状況は新疆《シンチァン》と異なり、政治面でも経済面でも新疆にくらべて相当劣っている。わが王震部隊が、新疆にはいったときでさえ、まず、経費の節約、自力更生、生産自給に最大の注意をはらった。いまでは、かれらはすでに足場をかため、少数民族の心からの支持をかちとっている。現在、小作料と利子の引き下げがすすめられており、ことしの冬には土地改革をおこなわれるが、大衆はいっそうわれわれを支持するだろう。新疆は嘉峪関《チァーユイコヮン》以東の地と自動車が通じて、物質、福祉の面で少数民族に大きな利点がもたらされている。西蔵では、すくなくともここ二、三年は、小作料の引き下げも土地改革も、実施はむりである。新疆には数十万の漢族がいるのにたいし、西蔵にはほとんど漢族がおらず、わが軍は、まったく異なった民族区域に身をおいている。われわれが大衆をかちとり、自分を不敗の地に立たせるには、二つの基本政策に依拠するほかはない。第一は、経費を節約し、生産自給をはかり、これによって大衆に影響をあたえていくこと、これがもっとも基本的な環である。自動車道路が開通したとしても、これに食糧の大量輸送をたよることはできない。インドは、交換による西蔵への食糧および他の物資の輸出におうじるだろうが、将来、インドが万一食糧および他の物資をよこさなくなってもわが軍が生きていけるという点に、われわれの立脚点をおくべきである。われわれは、あらゆる努力をはらい、適切な方法によって、ダライおよびその上層集団の大多数をかちとり、少数の悪質分子を孤立させ、血を流すことなく、相当の年月をかけて西蔵の経済、政治を一歩一歩改革するという目的をとげなければならない。だが同時に、悪質分子が西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが方に襲撃をかけてくるような事態に対処する用意もなくてはならず、このような時にもわが軍は依然として西蔵で生きつづけ、もちこたえていけるようにしなければならない。これらすべては、経費の節約と生産自給に依拠しなければならない。このもっとも基本的な政策を基礎にしてこそ、目的を達することができる。第二に、実行でき、また実行しなければならないことは、インドとの貿易関係、および国内のその他の地方との交易関係をひらき、西蔵の輸出入および移出入の均衡をはかり、わが軍の西蔵入りによって西蔵族人民の生活水準が少しでも下がるようなことがないようにし、しかも、かれらの生活がいくらかでも改善されるよう努力することである。生産と貿易・交易という二つの問題を解決しないかぎり、われわれは、存在の物的基礎をうしない、悪質分子は、立ちおくれた大衆と西蔵軍を扇動してわれわれに反対させる資本をいつでも手中に握ることになる。そして、多数を結集し少数を孤立させるというわれわれの政策は、軟弱無力のものとなり、実現のすべがなくなってしまうであろう。
 西南局の四月二日の電報のすべての意見のうち、ただ一つ検討を要する点は、短期間のうちに西蔵軍を改編することと、軍政委員会を設立することが、はたして可能かどうか、得策かどうかという問題である。われわれの意見では、当面、西蔵軍の改編はおこなうべきでなく、形式のうえで軍分区を設けることも、また軍政委員会を設立することもすべきではない。しばらくは、すべてこれまでどおりとし、ひきのばしていく。そして一年あるいは二年後にわが軍がたしかに生産自給でき、また大衆の支持をかちとったときに、これらの問題を日程にのぼせればよい。この一年ないし二年内に、次の二つの状況が予想される。一つは、多数を結集し、少数を孤立させるという上層部にたいするわれわれの統一戦線政策が効果をあげ、また、西蔵の大衆もわれわれの側にだんだん接近してきて、悪質分子と西蔵軍があえて反乱をおこすことができなくなるという状況である。もう一つは、悪質分子がわれわれを軟弱であなどれるとみて、西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが軍が自衛の戦闘で反撃に出て、打撃をあたえるという状況である。以上二つの状況は、どちらもわれわれに有利である。西蔵の上層集団からみれば、いまのところ、協定①の全面的実施と西蔵軍の改編の根拠は、まだ不十分なのである。あと何年かたてばいまとは違ってきて、かれらも協定の全面的実施と西蔵軍の改編をやるほかはないと考えるようになるだろう。もし西蔵軍が反乱を、それも一回ならず何回もおこして、みなわが軍の反撃によっておさえられた場合、われわれが西蔵軍の改編をおこなう根拠は、いよいよもって多くなる。どうやら、ふたりの司倫〔1〕だけでなく、ダライとその集団の多数も、協定は不承不承受けいれたものと考えており、実施するつもりはないようである。われわれにはいま、協定の全面的実施の物的基礎がないばかりか、協定の全面的実施の大衆基礎もなく、また協定の全面的実施の上層基礎もない。むりに実施しても、害多くして利少なしである。かれらが実施したがらないなら、それでもよかろう。当面は実施せず、もう少しひきのばしてからにしよう。時間がのびればのびるほど、われわれのほうの根拠は多くなり、かれらのほうの根拠は少なくなる。ひきのばすことは、われわれにとってそんなに不利ではなく、かえって有利かもしれない。かれらには、民をそこない理にもとるさまざまの悪事をはたらかせておき、われわれはもっぱら、生産、貿易・交易、道路建設、医療、統一戦線(多数を結集し、根気よく教育する)などのよいことをおこなって、大衆をかちとり、時機が熟すのをまって協定の全面的実施の問題を考えればよい。かれらが小学校を開くべきでないと考えるならば、これもとりやめにしたらよい。
 最近、拉薩《ラサ》でおこったデモは、単にふたりの司倫などの悪人のやったことと見なすべきではなく、われわれにたいするダライ集団の大多数の意思表示と見なすべきである。その請願書の内容はすこぶる戦術的であり、決裂を表明してはおらず、われわれに譲歩を要求しているだけである。そのなかに、かつての清朝のやり方を復活させ、解放軍を駐屯させないことを暗示した一ヵ条があるが、これはかれらの真意ではない。かれらは、それが不可能なことを百も承知であり、この一ヵ条をその他の箇条との交換条件にしようとたくらんでいるのである。請願書では第十四代ダライを批判しており、これによってダライがこんどのデモの政治責任を負わなくてもすむようにしている。かれらは、西蔵の民族的利益の保護を看板としてかかげており、軍事力の面ではわれわれに劣るが、社会的勢力の面ではわれわれに勝っていることを知っている。われわれは事実上(形式上ではなく)こんどの請願を受けいれ、協定の全面的実施をおくらせるべきである。かれらが、パンチェンのまだ到着していないときにデモをおこなったのは、考えがあってのことである。パンチェンが拉薩に着いてから、かれらは、パンチェンがその集団にはいるよう大いに抱きこみをはかるであろう。もし、われわれの工作がよくおこなわれ、パンチェンがかれらの手に乗らず、かつ無事日喀則《シガツエ》に着けば、情勢はわれわれに比較的有利に変わるだろう。しかし、物的基礎の欠乏という点では、まだすぐには変化はありえず、社会的勢力の面でかれらがわれわれに勝るという点でも、すぐには変化はありえない。したがって、ダライ集団が協定を全面的に実施する考えがないという点も、すぐには変わらない。われわれは、さしあたり、形式的には攻勢に出て、こんどのデモと請願の不当(協定の破壊)を責め、しかし実際には譲歩するつもりであたり、条件が熟すのをまって、将来、攻撃(つまり、協定の実施)に出るようにしなければならない。
 これについて意見はどうか、検討のうえ電報で知らせてもらいたい。


〔注〕
〔1〕 「司倫」とは、ダライの下にいる最高の行政官のことである。当時のふたりの司倫は、反動農奴主のルカンワとロサン・タシであった。
〔訳注〕
① ここにいう協定とは、一九五一年五月二十三日の『西蔵の平和的解放の方法についての中央人民政府と西蔵地方政府の協定』をさす。

maobadi 2011-06-30 21:47
労働者階級とブルジョア階級との矛盾は国内における主要な矛盾である


          (一九五二年六月六日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央統一戦線工作部の起草した文書に書いた意見である。毛沢東同志は、民族ブルジョア階級を中間階級とみなす同部責任者の誤った観点を批判している。


 地主階級と官僚ブルジョア階級をうち倒したのち、中国国内の主要な矛盾は、労働者階級と民族ブルジョア階級との矛盾である。したがって、今後は民族ブルジョア階級を中間階級といってはならない。

maobadi 2011-06-30 21:48
団結し、敵と味方をはっきり区別しよう


          (一九五二年八月四日)


 これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一期全国委員会常務委員会第三十八回会議でおこなった講話の要点である。


 ここ一年、われわれは戦争もし、交渉もすすめ、安定もはかってきた。
 朝鮮戦争の局面は、昨年七月いらい定着するようになったが、国内の財政・経済状態が安定するかどうかについては、そのときまだ自信がなかった。これまでは、ただ、「物価はほぼ安定し、収支は均衡に近づいている」とだけ言ってきた。それはつまり、物価はまだ安定しておらず、収支はまだ均衡していない、という意味である。収入が少なく、支出が多い、これが問題であった。そこで、昨年の九月、中国共産党中央は会議をひらいて、生産増加と節約励行をうちだした。十月にも、わたしは中国人民政治協商会議第一期全国委員会第三回会議で、ふたたび増産節約を提起した。増産節約運動のなかでは、かなり重大な汚職、浪費、官僚主義の問題が摘発されたが、十二月にはいると「三反」運動が展開され、つづいてまた「五反」運動が展開された。「三反」「五反」連動が勝利のうちに終わった現在、問題は完全にはっきりして、天下は大いに安定している。
 昨任、抗米援朝戦争の経費は国内建設の経費とほぼ同額であった。ことしは昨年とちがって、戦費は昨年の半額ですむものと思われる。いま、われわれの部隊は減少したが、装備は強化されている。これまで、われわれは二十数年も戦争してきたが、空軍をもったことは一度もなく、ただ相手に爆撃されるだけであった。いまは空軍があり、高射砲や大砲や戦車ももっている。抗米援朝戦争は大きな学校で、われわれはそこで大演習をしているのである。この演習は、軍事学校をつくるよりもずっとよい。もしも来年もう一年戦うなら、全陸軍が順番に一回ずつ訓練をうけに行くことができる。
 こんどの戦争については、われわれはもともと三つの問題をかかえていた――一、戦えるかどうか、二、守れるかどうか、三、食い物があるかどうか。
 戦えるかどうか、この問題は二、三ヵ月で解決された。敵はわれわれにくるべて、大砲は多いが、士気が低い。つまり、鉄が多くて、気力が足りないのだ。
 守れるかどうか、この問題も昨年すでに解決された。方法はほら穴にもぐりこむことである。われわれは二重の壕を掘り、敵が攻めてくれば、われわれは地下壕にはいる。ときには敵が上の方を占領しても、下の方は依然としてわれわれの手にある。敵が陣地にはいってくるのを待って、われわれは反撃に出、敵に多大の損害をあたえる。われわれはこのような旧式のやり方で近代的な大砲を手にいれているのだ。敵はわれわれをもてあましている。
 食の問題、つまり給養を保証する問題は、長いあいだ解決できないでいた。当時は、穴を掘って、そこに食糧を貯蔵することを知らなかった。いまでは、もう知っている。どの師団も三ヵ月分の食糧をもち、倉庫があり、講堂もあって、生活はなかなかよい。
 いまでは、方針が明確で、陣地が堅固、補給も保証されており、どの戦士もあくまで頑張り通さなければならないことをよく知っている。
 いったい、いつまで戦争をつづけ、いつまで交渉をつづけるのか。わたしに言わせれば、交渉もするし、戦争もする、また、講和もやはり結ばれる。
 なぜ、講和はやはり結ばれるのか。長期にわたって戦いつづけるのは、アメリカにとってひじょらに不利だから、三十年戦争、百年戦争などはありえないのである。
 一、人間が死ぬ。かれらは一万あまりの捕虜をあくまで抑留しようとして、三万あまりの戦死者を出してしまった。かれらの人口は、なんといっても、われわれよりずっと少ない。
 二、金がかかる。かれらは一年に百余億ドルも注《つ》ぎこまなければならない。われわれの使う金はかれらよりもずっと少なく、ことしはまた昨年にくらべて半減する。「三反」「五反」運動で取りもどした金で、一年半は戦える。増産、節約してできた金は、ぜんぶ国内建設にふりむけることができる。
 三、かれらには、国際面でも国内面でも、克服しがたい矛盾がある。
 四、それから、戦略という問題もある。アメリカの戦略的重点はヨーロッパである。かれらは朝鮮侵略のために出兵したとき、われわれが朝鮮支援のために出兵するとは予想もしていなかった。
 われわれのほうは、物事がやりやすい。国内のことは、われわれの考え叫つで決定できる。しかし、われわれはアメリカの参謀長ではなく、この参謀長はかれらの側の人間である。だから、朝鮮戦争をつづけるかどうか、われわれと朝鮮の側は半分しか決定権をもっていない。
 要するに、アメリカにとっては、大勢のおもむくところ、講和を結ばなければ不利である。
 第三次世界大戦がすぐ勃発《ぼっぱつ》するなどというのは、おどかしである。われわれは十生の時間をかちとって、工業を建設し、強固な基礎をきずかなければならない。
 みんながよく団結し、敵と味方をはっきり区別しなければならない。こんにち、われわれが力をもっているのは、全国人民の団結があり、ここにいるみなさんの協力があり、各民主政党、各人民団体の協力があるからである。団結することと、敵と味方をはっきり区別することは、ひじょうに大切である。孫中山先生はりっぱな人であったが、先生の指導した辛亥革命はなぜ失敗したのだろうか。その原因は、一、土地を分けなかったこと、二、反革命鎮圧を知らなかったこと、三、反帝が先鋭でなかったことにある。敵と味方をはっきり区別するほか、内部にはまた是非を区別するという問題がある。両者をくらべてみると、是非の区別は第二義的なものである。たとえば、汚職分子の大多数は反革命分子とは違って、やはり是非の問題であり、改造することができる。
 各民主政党と宗教界では、帝国主義にだまされず、敵の側に立たないよう、教育しなければならない。仏教についていえば、帝国主義とのつながりが比較的少なく、基本的には封建主義とつながりをもっている。土地問題があるため、封建主義に反対すれば、僧侶にも反対することになり、打撃をうけるのは住職、長老のたぐいである。これら少数のものが打倒されれば、「魯智深」①は解放される。わたしは仏教を信じないが、仏教連合会を組織し、連合して敵と味方をはっきり区別することには反対しない。統一戦線はいつかは解消することになるのだろうか。わたしは解消を主張しない。どんな人でも、ほんとうに敵と味方をはっきり区別し、人民に奉仕する人でさえあれば、われわれはその人と団結するものである。
 われわれの国家には、前途があり、希望がある。われわれは以前、国民経済は三年で回復できるのではなかろうかと考えていた。ところが、二年半にわたって奮闘した結果、いま国民経済はすでに回復したばかりでなく、計画的な建設もはじまっている。みんなが団結し、敵と味方をはっきり区別して、われわれの国家を着実に前進させようではないか。


〔訳注〕
① 中国の古典小説『水滸伝』に出てくる英雄のひとり。梁山の農民蜂起軍に身を投ずる前は、普通の僧侶であった。

maobadi 2011-06-30 21:48
中国人民志願軍の大勝利を祝う


          (一九五二年十月二十四日)


 これは、毛沢東同志が中国比へ産党中央と中央中空委員会のために起草した、中国人民志願軍責任者への指示である。


 わが志願軍は朝鮮人民軍と協力して、さる九月十八日から全戦線の敵軍にたいする戦術的な反撃作戦を開始し、一ヵ月で敵軍二万以上を殲滅《せんめつ》、殺傷するという大勝利をおさめた。党中央と軍事委員会は、諸君と指揮員・戦闘員の全同志に熱烈な祝意をおくる。この作戦は、次のようなものであった。いくつか選んでおいた戦術的重要拠点にむけて、わが軍の優勢な兵力と火力を集中し、奇襲作戦をおこなって、小隊ごと、小隊ごと、火隊ごとに敵軍を殲滅するか、あるいは壊滅的な打撃をあたえる。そのあと、敵がわが軍に反撃をくわえてきたとき、戦闘をくりかえすなかで、さらに敵を大量に殺傷する。それから、状況におうじて、われわれの攻略した拠点のうち、守れるところは固守し、守れないところは放棄して、わが軍の主動権をたもち、以後の反撃を準備する、こういうものであった。この作戦方法をひきつづき実行すれば、かならず敵の死命を制することができ、敵に妥協的な方法をとらせて朝鮮戦争を終わらせるよう、かれらを追いこむことができる。昨年七月、わが軍がねばり強い陣地戦をとっていらい敵軍にあたえた損害は、昨年七月以前の各運動戦で敵軍にあたえた損害をはるかに上回っている。一方、わが軍の損害は大幅に減少した。そのうち兵員の損失は、志願軍だけについていえば、昨年七月いらいの十五ヵ月では、それ以前のハヵ月とくらべて月平均三分の二以上も減っている。こうした状況は、ほかでもなく陣地に依拠して、前述の作戦方法を実行した結果である。そして、九月十八日以降の期間には、この作戦方法はいっそう組織的となり、いっそう全戦線にわたるものとなったので、とりわけ重視すべきである。
 志願軍の出国作戦二周年にあたり、諸君が経験を総括して、いっそう組織件の強化、戦術の向上、弾薬の節約をはかり、朝鮮の同志や朝鮮人民といっそう緊密に団結し、今後の作戦できるに大きな勝利をかちとるよう希望する。

maobadi 2011-06-30 21:49
官僚主義、命令主義、法規・規律違反に反対しよう


          (一九五三年一月五日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。


 官僚主義、命令主義、法規・規律違反に反対することについて、われわれ各級指導機関の注意を喚起すべきである。
 わが党は「三反」運動のなかで、中央、大行政区、省・市、軍区の四段階にわたる多くの工作要員のなかに存在する汚職、浪費という二つの問題をほぼ解決し、多くの指導者がその指導下にある一般要員から浮きあがっているという一部の官僚主義の問題をもほぼ解決した。しかし、人民大衆の苦しみを知らず、自分の職場からやや離れた下部の状況を知らず、県、区、郷の三段階の幹部のなかに、命令主義を犯したり法規・規律に違反したりする悪人や悪事がたくさん存在していることを知らないか、またはこれらの悪人や悪事についてすこしは知っているが、見ても気にとめず、憤りをおぼえず、問題の重大さに感づかず、したがって、積極的な方法をとって、よい人を支持し、悪人を懲罰し、よい事を奨励し、悪事を一掃しようとはしない――こういった面での官僚主義は、多くの地区、多くの分野、多くの部門で、基本的にはまだ解決されていない。たとえば、人民からの投書の処理についても、ある省の人民政府では七万余通も処理されずにたまっているという。省以下の各段階の党組織と政府には人民の投書がどのくらいたまっているのか、われわれはまだ知らないが、少なからずあるものと想像される。これら人民の投書の大部分は、われわれに問題の解決を要求しているが、その多くは無法のかぎりをつくす幹部の犯罪行為を訴えており、すみやかに処理すべきものである。
 官僚主義と命令主義は、わが党とわが政府にとって、目下の大きな問題であるばかりでなく、これからの長い期間にわたっても大きな問題となるであろう。その社会的根源についていえば、それは人民にたいする反動支配階級の反動的作風(反人民的作風、国民党の作風)の残りかすのわが党とわが政府内におけるあらわれである。われわれの党組織と政府部門の指導任務と指導方法についていえば、それは工作任務を、政策限界や工作作風と結びつけてあたえなかった問題、つまり工作任務といっしょに政策限界と工作作風をくりかえし中級、下級幹部に指示しなかった問題である。それは各段階の幹部、とくに県、区、郷の三段階の幹部を審査しなかったか、または審査をよくやらなかった問題である。それは県、区、郷の三段階でまだ整党を展開しておらず、整党のなかで、命令主義に反対し、法規・規律違反分子を粛清するという闘争をまだ展開していない問題である。それはまたわれわれ専区以上の上級機関の工作要員のなかに、いまなお人民大衆の苦しみと末端組織の状況を知らず、それに関心をよせないという官僚主義が存在しており、これにたいしてまだ闘争を展開しておらず、一掃していない問題でもある。もしわれわれの指導任務が強化され、われわれの指導方法が改善されるならば、大衆に危害をあたえる官僚主義と命令主義はしだいに少なくなり、われわれの多くの党組織と政府部門は比較的早く国民党の作風から遠ざかることができる。そして、われわれの党組織と政府部門にもぐりこんだ多くの悪人を早く粛清し、目下存在している多くの悪事を早く一掃することができる。
 したがって、諸君は一九五三年に、型党、党建設およびその他の工作と結びつけ、人民の投書を処理することから着手して、官僚主義、命令主義、法規・規律違反分子の状況を点検し、かれらとの断固たる闘争を展開してもらいたい。官僚主義、命令主義、法規・規律違反の典型的な例は、みな新聞紙上で幅広く摘発すべきである。法規違反のゆゆしい者には法律の制裁をくわえなければならず、党員であれば党規処分に付さなければならない。各級党委員会は、大衆からひどく憎まれている法規・規律違反分子を懲罰し、党組織と政府部門から追放し、もっとも悪質な者は極刑に処して、人民の憤りをしずめ、またそれによって幹部と人民大衆を教育するという決意を固めるべきである。しかし、悪人や悪事に反対する幅広い闘争が一定の段階に達したときは、各地の典型的なよい人物やよい事例を調査、分析して、それを表彰し、全党にこれらのよい典型を見ならわせ、正気を発揚し、邪気を圧倒するようにすべきである。各地にはこうした典型的なよい人物やよい事例が少なからずあるにちがいない、とわれわれは信じている。

maobadi 2011-06-30 21:49
大漢民族主義を批判する


          (一九五三年三月十六日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。


 一部の地方では、民族関係がきわめて不正常である。このような状況は、共産党員にとって容認できないものである。わが党内の多くの党員と幹部のなかに存在する、ゆゆしい大漢民族主義の思想、すなわち、民族関係にあらわれている地士階級とブルジョア階級の反動思想、つまり国民党の思想を、深くほりさげて批判しなければならず、この面の誤りを改めることにすぐ取りかからなければならない。およそ少数民族のいる地方にはいずれも、民族政策がよくわかっていて、いまなお差別され苦しんでいる少数民族の同胞に心から同情をよせている同志に命じ、訪問団をひきいて訪問におもむかせるべきである。そのさい、馬に乗って花を見るような訪問ではなく、しんけんに調査研究をすすめ、地もとの党と政府をたすけて問題を見いだし、問題を解決するようにしなければならない。
 すくなからぬ資料からみて、少数民族のいるところにはほとんど未解決の問題があり、なかにはきわめて重大な問題もあると、中央は考える。表面は平穏で、何事もないようだが、実際には、問題はきわめて重大である。この二、三年、各地で見いだされた問題は、いずれも、大漢民族主義がほとんどいたるところに存在することを立証している。いまのうちに、はやく教育し、党内と人民のなかにある大漢民族主義をだんこ克服しないなら、きわめて危険である。民族関係の面で、多くの地方の党内と人民のなかにある問題は、大漢民族主義の残りかすなどという問題ではなく、ゆゆしい大漢民族主義の問題なのである。つまり、これらの同志と人民はブルジョア思想に支配されていて、まだマルクス主義の教育をうけておらず、まだ中央の民族政策をよく理解していない、という問題である。したがって、しんけんに教育して、この問題を逐次解決するようにしなければならない。なお、事実にもとづいて、新聞にできるだけ文章を書き、公然と批判し、党員と人民を教育すべきである。

maobadi 2011-06-30 21:50
「五多」問題を解決しよう


          (一九五三年三月十九日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。


 (一)われわれの党組織と政府部門の農村工作には、農民大衆からひどく浮きあがって、農民とその積極分子の利益をそこなっているところがいくらかある。「五多」問題というのがそれである。「五多」とは、任務が多い、会議や講習会が多い、公文書・報告書・集計表が多い、組織が多い、積極分子の兼職が多い、などである。これらの問題はかなり以前から存在するもので、かつて党中央はそのうちのいくつかについて指示をあたえ、各級党委員会にこれを重視し、解決するよう要求したことがある。ところが、問題は解決されないばかりか、ますますひどくなっている。その原因は、問題全般を系統だてて提起しなかったことにある。とりわけ重要なのは、中央、大行政区、省(市)、車区、県など五段階の党と政府の指導機関で分散主義と官僚主義に反対する闘争をくりひろげなかったことである。総じて、区と郷の「五多」は、区と郷で生じたものではなく、上級機関からきたものである。それは、県以上の党と政府の各級指導機関にひどい分散主義と官僚主義が存在しているためにもたらされたものである。そのうちの一部は過去の革命戦争と土地改革の時期の産物であり、それが改められることなく、こんにちまで残されてきたものである。したがって、一九五三年には、官僚主義反対、命令主義反対、法規・規律違反反対についての党中央の指示を実行するなかで、指導機関に存在する官僚主義と分散主義を克服することに力をいれ、以前は必要であったが、いまはもう必要でない制度ややり方を改めなくてはならない。こうしてこそはじめて、この問題は解決できるのである。今後、各級の指導機関で任務をあたえる問題、会議を招集し、講習会をひらく問題、公文書や集計表を配布し、下級機関に報告書の提出を求める問題、区と郷の組織形態を定める問題、農村の積極分子を使用する問題については、いずれも、県以上の党委員会と政府の主な責任者が実行可能な範囲で、適当に定めることとし、問題によっては、中央が統一的に定めることとする。以前、各級の党、政府、大衆団体の多くの工作部門は、それぞれ独自に下級組織に任務をあたえ、勝手に下級組織の要員や農村の積極分子を招集して会議や講習会をひらき、むやみに公文書や集計表を配付し、勝手に下級組織または農村に報告書の提出を求めた。こうしたよくない制度ややり方は断固廃止し、そのかわりに指導のある、統一的な、実情に即した制度とやり方を採用しなくてはならない。農村の各郷にさまざまな委員会があること、積極分子の兼職が多すぎることについては、いずれも生産をさまたげ、われわれを大衆から浮きあがらせるものなので、これも断固として、だが段どりをおって改めていくべきである。
 (二)党、政府、大衆団体の中央機構の関係語部門については、党中央がそれぞれ中央組織部、中央人民政府政務院およびその所属下の財政・経済、文化・教育、政治・法律など三委員会を主管する同志に責任をもたせて、以前「五多」問題をもたらした諸事項をすみやかに整理するとともに、適当な制度ややり方を定め、それを党中央へ報告するようにさせる。
 (三)各大行政区と各省・市については、各中央局、分局、省・市委員会およびそれぞれの段階の行政機関を主管する同志が責任をもって、「五多」問題を整理し、それぞれの解決策を定め、これを党中央に報告する。このために、各中央局、分局、省・市委員会は、もっぱら「五多」問題の調査にあたる点検班を派遣し、それぞれの管轄下にある一、二の区と郷(都市では一、二の区、街)の状況を点検して、それを問題解決の参考資料にしてもらいたい。
 (四)専区段階と県段階の「五多」問題については、省委員会が責任をもってその解決の指導にあたる。
 (五)農業生産は農村の何よりも重要な仕事であり、その他の仕事はみな農業生産をめぐって、これに奉仕するためにおこなわれる。およそ農民の生産をさまたげるような任務や工作方法は、すべて避けるべきである。いまのところ、わが国の農業は基本的にはまだ旧式の道具をつかう分散した小農経済であり、機械をっかう集団化したソ連の農業とは大いに異なる。したがって、わが国では、いまの過渡期に農業面で統一的、計画的な生産をすすめることは、国営農場をのぞいてまだ不可能であり、農民に過度の干渉をするわけにはいかない。いまは、価格政策をはじめ、必要で実行可能な経済工作と政治工作によって農業生産を指導し、それを工業とのつりあいを保たせながら国の経済計画に組みいれていくよりほかはない。この限度をこえるような農業「計画」とか、農村での「任務」とかは、当然実行できず、またかならず農民の反対をまねくもので、全人口の八〇パーセント以上を占める農民大衆からわが党を浮きあがらせることになる。これはひじょうに危険なことである。区や郷の仕事のなかでの「五多」問題というのは、大部分がこのような農民にたいする過度の干渉の現われである(残りの部分は、革命戦争と土地改革の必要から生じたもので、それがずっと残されてきたのである)。それはすでに農民の不満を買っており、ぜひとも改めなければならない。

maobadi 2011-06-30 23:03
劉少奇、楊尚昆が規律にそむき、独断で党中央の名義を用いて文書を出したことにたいする批判


 (一九五三年五月十九日)


 これは、毛沢東同志が劉少奇、楊尚昆にたいし、二回にわたっておこなった書面の批判である。


       一

 今後、党中央の名義で文書、電報を出すばあいは、すべて、わたしが目を通してからでなくてはならない。さもなければ無効である。注意してもらいたい。

       二

 (一)昨年の八月一日(八月一日以前のものは点検した)からことしの五月五日までに、党中央または軍事委員会の名義で出した電報と文書のうち、わたしの目を通していないものがあるかどうか、またどれだけあるかについて(わたしが視察に出ていた期間と病気で休暇をとっていた期間のものは含まない)、責任をもって点検し、その結果を知らせてもらいたい。
 (二)これまでに数回、党中央の会議の決議を、わたしの目を通さずに独断で出している。これは誤りであり、規律違反である。

maobadi 2011-06-30 23:03
総路線から離れた右よりの観点を批判する


          (一九五三年六月十五日)


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央政治局会議でおこなった講話の一部分である。毛沢東同志は、この講話のなかで、劉少奇らの提起した「新民主主義の社会秩序を確立する」などの右翼日和見主義的観点に批判をくわえた。


 過渡期〔1〕における党の総路線と総任務は、十年から十五年またはもうすこし長い期間内に、国の工業化と、農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を基本的になしとげることである。この総路線はわれわれの諸活動を照らす燈台である。この総路線を離れてはならず、これを離れると「左」よりの、または右よりの誤りがおこることになる。
 一部の人は、過渡期があまりにも長すぎると考えて、あせりが出てきている。これでは「左」よりの誤りを犯すことになる。一部の人は、民主主義革命が成功したのちも、相変わらずもとのところにとどまっている。かれらは革命の性質が転化したことがわからず、なおも、かれらの「新民主主義」をやりつづけており、社会主義的改造をやろうとはしない。これでは右よりの誤りを犯すことになる。農業についていえば、社会主義の道はわが国の農業のあゆむべき唯一の道である。互助・協同化運動を発展させ、農業の生産力をたえず向上させること、これは党の農村における活動の中心である。
 右よりの現われとして、次の三つのことばがあげられる。
 「新民主主義の社会秩序を確立する」。このような提起のしかたは有害である。過渡期には、毎日のように変動がみられ、毎日のように社会主義的要素がうまれている。「新民主主義の社会秩序」とやらを、どのように「確立」するというのか。「確立する」のはたいへんむずかしいことだ。たとえば私営工商業は、いま改造されつつあり、ことしの後半に、ある種の秩序が「立て」られるとしても、来年にはこれも「確か」ではなくなる。農業の互助・協同化も年ごとに変わっている。過渡期には矛盾と闘争がみちみちている。われわれの現在の革命闘争は、過去の武装革命闘争にくらべてさえも、なおきびしいものがある。これは資本主義制度とすべての搾取制度を徹底的に葬りさる革命である。「新民主主義の社会秩序を確立する」という考え方は、闘争の実情にそぐわないものであり、社会主義事業の発展を妨げるものである。
 「新民主主義から社会主義に向かってすすむ」。このような提起のしかたは明確ではない。それに向かってすすむだけで、毎年それに向かってすすみ、十五年たってもやはりそれに向かってすすむというのか。それに向かってすすむということは、つまり到達していないことである。このような提起のしかたは、見たところよさそうだが、こまかく分析してみると妥当ではない。
 「私有財産を確実に保護する」。中農は「出る杭《くい》」となるのをおそれ、「共産」されるのをおそれているので、一部の人はこのようなスローガンをうち出して、かれらを安心させようとしている。だが、それはまちがっている。
 われわれは、一歩一歩と社会主義に移行する、と提起している。これだと比較的よい。一歩一歩というのは、全部で十五年にわけられ、その一年がまた十二ヵ月ある。あまりはやくすすめば「左」よりであり、すすまなければまったくの右よりである。「左」よりにも右よりにも反対し、一歩一歩と移行して、最後には全部移行しおえるのである。


〔注〕
〔1〕 ここでいう「過渡期」とは、中華人民共和国が成立してから社会主義的改造が基本的になしとげられるまでの期間をさす。この過渡期における党の総路線と総任務は、かなり長い期間内に、国の工業化と、農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を基本的になしとげることである。この過渡期と、毛沢東同志が一九六二年九月に党の第八期中央委員会第十回総会でのべ、またそれ以後にのべた過渡期とは内容が異なっている。後者は資本主義から共産主義へ移行するまでの全歴史的段階をさす。

maobadi 2011-07-02 17:15
青年団の活動では青年の特徴を配慮すべきである


          (一九五三年六月三十日)


 これは、毛沢東同志が中国新民主主義青年団第二回全国代表大会の主席団を接見したときの談話である。


 青年団が党にたいして独自性をふりまわす問題は、すでに過去のものとなった。いまの問題は、独自性をふりまわすことではなく、青年団の独自の活動が足りないことである。
 青年団は、党の中心任務に呼応しなければならない。だが、それに呼応するなかで、独自の活動をしなければならず、青年の特徴を配慮しなければならない。一九五二年、わたしは団中央の同志と話をしたとき、団中央に検討してもらうため二つのテーマを出した。一つは党がどのように団の活動を指導したらよいかということ、もう一つは青年団がどのように活動をすすめたらよいかということである。この二つのテーマには、どちらも、青年の特徴をどのように配慮するかという問題がふくまれている。各地の党委員会は、青年団の活動に満足していると言っている。それも、党の中心任務に呼応しているからである。こんどは不満の点を出してみよう。それは、青年団がまだ青年の特徴に通した独自の活動をやっていないことである。党と団の指導機関は、どちちも団を指導する仕事を学びとり、党の中心任務をめぐって、青年の特徴を配慮し、広範な青年大衆を組織、教育することに習熟しなければならない。
 青年団は党の指導のもとで、各分野の革命活動に積極的に参加し、大きな成果をあげている。工場、農村、軍隊、学校をとわず、どの革命事業も、青年がいなければ、勝利することはできない。中国の青年は、よく規律を守り、党からあたえられた辞任務をなしとげている。いま、朝鮮の休戦が実現し、土地改革も終わったので、国内における活動の重点は、社会主義的改造と社会主義建設にうつりつつある。したがって、学習をしなければならない。青年団は、青年にたいする指導のしかたをよく学びとり、かれらが大人といっしょになって、農村では農業を、都市では工業を、学校では学業を、機関では業務をそれぞれりっぱにやり、軍隊では国防軍の訓練をりっぱにやって現代的な軍隊をつくりあげるよう、みちびいていかなければならない。
 十四歳から二十五歳までの青年は、学習もし、仕事もしなければならない。だが、青年期は体の発育する時期なので、もしも体の発育を重視しなければ、それはひじょうに危険である。青年は、大人がすでに身につけた多くのものを学びとらなければならないので、大人よりもっと学習をする必要がある。しかし、学習も仕事も負担が重すぎてはならない。とくに十四歳から十八歳までの青年には、大人とおなじ強度の労働をさせてはならない。青年は余分にあそんだり、娯楽をたのしんだり、飛んだり跳ねたりしたがるものだ。そうしなければ、機嫌がよくない。やがて恋愛もし、結婚もする。これらの点はみな、大人とちがっている。
 わたしは、青年たちに次のことばをおくる。一、よく体をきたえてほしい。二、よく学習をしてほしい。三、よく仕事をしてほしい。
 わたしは、学生の睡眠時間をもう一時間ふやすよう提案する。いまは八時間となっているが、実際には六、七時間しか眠っていないので、一般に寝不足を感じている。勉学中の青年は神経衰弱になりやすいから、とかく寝つきがわるく、寝おきもよくない。どうしても睡眠時間を九時間と決めなければならない。命令を出して、有無をいわさず、実行させるべきである。青年はよく眠らなければならないが、教師も十分に睡眠をとる必要がある。
 革命によって、いろいろとよいところがうまれたが、一つ、よくないところも出てきた。みんながあまりにも積極的で、あまりにも熱心なため、過労をまねいたというのがそれである。いまはみんなの体――労働者、農民、兵士、学生、幹部などの体がみな健康であるように保証しなければならない。もちろん、体がよいからといって、学科がりっぱだとはかぎらない。学習にはそれなりの工夫が必要である。
 いまは、初級中学の授業時間もすこし多すぎるから、適当に減らすことを考えてよい。積極分子は会議が多すぎるので、それも減らすべきである。一方では学習、もう一方では娯楽、休息、睡眠――この双方を十分に配慮しなければならない。労働者、農民、兵士の青年は仕事のなかで学習するのだから、やはり仕事や学習と娯楽、休息、睡眠との双方に十分な配慮をくわえなければならない。
 双方とも、しっかりつかまなければならない。つまり、学習や仕事をしっかりつかまなければならないが、睡眠、休息、娯楽もしっかりつかまなければならない。これまでは、一方だけをしっかりつかんだが、もう一方をしっかりつかまなかったか、あるいはなおざりにしていた。いまは娯楽活動をやる必要があり、それには時間と設備がなくてはならず、こちらのほうもしっかりつかまなければならない。党中央はすでに会議の回数と学習時間を減らす決定をおこなったが、諸君はその実行を監督しなければならない。もしも実行しない人がいれば、その人に詰問すべきである。
 要するに、青年がよく体をきたえ、よく学習をし、よく仕事をするようにみちびいていくべきである。指導者のなかには、青年に仕事ばかりやらせて、その体に注意しない者が一部いるが、諸君はいまのことばでやりかえせはよい。理由は十二分にある。若い世代を、いっそう健やかに成長できるよう守っていくためである。わたしたちの世代は、大人が子供をかまってくれなかったために損をした。食事のとき、大人には食卓があるが、子供にはなかった。家のなかで、子供には発言権がなく、泣けば平手打ちをくらわされた。いま、新中国では方針をあらため、青少年のために考えなければならない。
 団の中央委員には、若い幹部を選出すべきである。三国時代に、曹操が大軍をひきいて、長江以南をめざし、呉の国を攻めた。そのとき、「青年団員」の周瑜が呉の総帥になったので、程普らの老将は不服であった。その後、老将たちを説得して、やはり周瑜にやらせたところ、けっきょく、いくさに勝った。いま、周瑜に団の中央委員になってもらおうとすると、みんなが賛成しない。団の中央委員には年をとっている人ばかり選ばれて、若い人があまりにも少ない。これでよいだろうか。もちろん、すべて年齢によるというのではなく、能力にもよらなければならない。団の中央委員の候補者名簿には、三十歳以下の者がもとは九名しかいなかったが、党中央の討議をへて、いまは六十数名にまでふえた。それでも、四分の一強を占めているにすぎない。三十歳以上の者がなお四分の三弱を占めているのに、一部の同志はまだ少ないと言っている。わたしに言わせると、少なくはない。六十数名の若い人がみな適任であるかどうかについては、自信がないと言う同志もいる。だが、若い人を十万に信用すべきだ。その圧倒的多数は任にたえるとおもう。ごく少数の者は不適任かもしれないが、それも心配することはなく、あとで改選すればよい。このようにすれば、基本的方向はまちがうことがない。若い人がわれわれよりも劣っているとはかぎらない。年寄りは経験があるから、もちろんまさってはいるが、その生理的機能がしだいに衰えており、目や耳があまり利かず、手足も若い人ほど敏捷ではない。これは自然の法則である。したがって、賛成しない同志たちを説得しなければならない。
 青年団は、青年の特徴を配慮し、独自の分野の活動をしなければならないが、同時にまた各級党委員会の指導を受けなければならない。これはなにも新しい発明ではなく、ずっとまえからあったもので、マルクス主義は一貫してこう言っている。これは、実際から出発しているのである。青年は、とどのつまり青年である。そうでなければ、どうして青年団をつくる必要があるだろうか。若い人は大人とちがうし、若い女性は若い男性ともちがう。これらの特徴を配慮しないと、大衆から浮きあがってしまう。いま、諸君の団員は九百万人いるが、もしも青年の特徴に注意をはらわなければ、諸君を擁護する人は百万人だけで、八百万人は擁護しなくなるかもしれない。
 青年団の活動は、多数の人について配慮し、同時に先進的な青年にも気をくばるようにすることである。こうすると、一部の先進分子は物足りなく思い、全団員をきびしく律するよう要求するかもしれない。それはあまり妥当ではないので、かれらを説得すべきである。団の規約草案の規定では、義務が多く、権利が少ない。もう少しゆるめて、多数の人がついていけるようにしなければならない。重点は多数のほうにおくべきで、少数にだけ気をとられてはならない。
 諸君の団規約草案の規定によると、四ヵ月間、団生活に参加しなければ、自動的に離団したものと見なされるが、これではあまりにもきびしすぎる。党規約でさえ六ヵ月と規定しているのだから、諸君も六ヵ月にしたらどうだろう。できもしないこと、あるいは百万人だけができて、八百万人ができないようなこと、こうしたことは団規約のなかに書きいれないほうがよい。原則性をつらぬくには、融通性がなくてはならない。道理からいえばそうあるべきだが、実際にはこうであるというように、そのあいだには開きがある。法律の条文でも、ほんとうに実行するまでには数年かかるものがある。たとえば、婚姻法の多くの条文は綱領的なものだが、それを完全に実行するには、少なくとも三つの五ヵ年計画の期間が必要である。「かげであれこれ言ってはならない」という箇条は、原則的には正しいが、団規約に書きいれる必要はない。自由主義反対は長期的な課題で、党内にも自由主義がまだ少なからず残っているのだ。かげぐちを一言もたたかせないというのは、実際にはできない相談である。ワクをあまり小さくしてはならず、主として敵と味方をはっきり区別すればよい。
 威信は、しだいにうち立てるれるものである。以前、軍隊のなかに、歌をつくって悪口をいう者がいたが、われわれは禁止もしなければ、追及もしなかった。それでも、軍隊はつぶれなかった。われわれがただ三大規律・八項注意のような主要なものに力をいれただけで、部隊はだんだん軌道に乗るようになったのだ。指導者にたいする大衆のほんとうの敬服の気持ちは、革命の実践のなかでの理解からうまれてくる。ほんとうに理解してこそ、はじめて信頼することができるのだ。いま、団中央の威信は、もうかなり高い。一部の人はまだ敬服していないが、だんだん敬服するようになるだろう。若者は登場したばかりで、威信が高くないが、あせることはない。少しも批判されず、悪口をいわれないなどというのは、ありえないことである。「かげぐち」がひろまるのは、「面とむかっての批判」が足りないからである。民主が徹底し、面とむかって痛いところをつくことができれば、「かげぐち」をたたかせようとしても、そんなひまがない、もう休ませてくれ、と言うだろう。しかし、問題はつねに存在するものだ。いっぺんに解決できると考えてはならない。いまも存在するし、将来も存在するだろう。
 過渡期における党の総任務とは、三つの五ヵ年計画を経て、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげることである。三つの五ヵ年計画といえば、十五年である。一年で小さく一歩前進し、五年で大きく一歩前進する。三歩大きく前進すれば、まずまずである。基本的になしとげるとは、完全になしとげるということではない。基本的になしとげるというのは、ひかえ目な言い方だ。世の中の事がらは、やはり、ややひかえ目のほうがよいのである。
 いま、中国の農業の大部分は個人経済で、段どりをおって社会主義的改造をなしとげなければならない。農業の互助・協同化運動を展開するには、自由意思の原則を堅持しなければならない。この運動を展開しないと、資本主義の道をあゆむくとになろう。それは右の偏向である。しかし、行きすぎてもいけない、それは「左」の偏向である。要するに、準備をととのえ、段どりを追っておこなわなければならない。われわれは、由来、準備もなく勝算もない戦いをしないし、準備はあるが勝算のない戦いもしないのである。以前、蒋介石と戦ったとき、はじめは主観主義の誤りを犯す人がいたが、あとでは整風を経て主観主義を克服したため、戦いに勝つようになった。いまは社会主義の戦いをしているのであり、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造をなしとげなければならない。これは全国人民の総任務である。青年団がどのようにこの総任務を遂行するかについては、諸君が青年の特徴にもとづいて、適当に決めるべきである。

maobadi 2011-07-02 17:16
国家資本主義について


          (一九五三年七月九日)

 これは、毛沢東同志が一九五三年夏にひらかれた全国財政・経済活動会議の、ある文書に書きいれた意見である。


 中国のいまの資本主義経済は、そのほとんどが人民政府の管理のもとにおかれ、各種の形式をつうじて国営の社会主義経済とつながりをもち、また労働者の監督をうけている資本主義経済である。こうした資本主義経済は、もはや一般の資本主義経済ではなく、特殊な資本主義経済、つまり新しい型の国家資本主義経済である。それは、主として資本家の利潤のために存在しているのではなく、人民と国家の需要を満たすために存在しているのである。たしかに、労働者はまだ資本家のために一部の利潤をうみだしているが、しかしこれも利潤ぜんたいのうちの小部分、およそ四分の一前後にすぎず、あとの四分の三は、労働者のため(福祉費)、国家のため(所得税)、および生産設備の拡大のため(このなかには資本家のために利潤をうむものが、小部分ふくまれる)のものである。したがって、こうした新しい型の国家資本主義経済は、社会主義的性質を大きく帯びており、労働者と国家にとって有利なものである。

maobadi 2011-07-02 17:16
過渡期における党の総路線


          (一九五三年八月)


 これは、毛沢東同志が一九五三年夏の全国財政・経済活動会議における周恩来同志の総括を審査したさいに書いた重要指示である。


 中華人民共和国が成立してから社会主義的改造が基本的になしとげられるまで、これはひとつの過渡期である。この過渡期における党の総路線と総任務は、かなり長い期間内に、国の工業化と、農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を基本的に実現することである。この総路線はわれわれの諸活動を照らす燈台であるべきで、どの活動もそれから離れると、右よりのまたは「左」よりの誤りを犯すことになる。
 この総路線の幾多の方針、政策は、一九四九年三月にひらかれた党の二中総の決議ですでに提起されており、しかも原則的な解決をみている。ところが、多くの同志は、二中総の規定にもとづいた活動をしたがらないばかりか、一部の問題では二中総の規定にそぐわない別のやり方を勝手にもちだすことをよしとし、はては公然と二中総の原則にそむいている。

maobadi 2011-07-02 17:17
党内のブルジョア思想に反対する


          (一九五三年八月十二日)


 これは、毛沢東同志が一九五三年夏の全国財政・経済活動会議でおこなった演説である。


 今回の会議はひじょうによかったし、周総理の結論もよかった。
 いま、われわれは「三反」「五反」運動のあと、党内に性質の異なった二つの誤りがあるのを見いだすことができる。一つは一般的な誤り、たとえば「五多」で、これはだれでも犯すだろうし、いつでも犯す可能性がある。「五多」の誤りはまた「五少」の誤りに変わることもある。もう一つは原則的な誤りで、たとえば資本主義的偏向である。これは党内におけるブルジョア思想の反映であり、マルクス・レーニン主義にそむく立場の問題である。
 「三反」「五反」運動は、党内のブルジョア思想にたいへん大きな打撃をあたえた。しかし、当時はただ汚職、浪費の面でのブルジョア思想に基本的な打撃をあたえたにすぎず、路線問題に反映されたブルジョア思想を解決するまでにはいたらなかった。このようなブルジョア思想は、財政・経済活動のなかに存在するばかりでなく、政治・法律、文化・教育およびその他の活動分野のなかにも存在し、中央の同志のなかにも、地方の同志のなかにも存在している。
 財政・経済活動のなかでの誤りにたいしては、去年の十二月に薄一波同志が「公私の一律平等」の新税制①をもちだしてから今回の会議にいたるまで、きびしく批判してきた。この新税制をおし進めていけば、必然的に、マルクス・レーニン主義から遊離し、過渡期における党の総路線から遊離して、資本主義にむかって発展していくであろう。
 過渡期は、社会主義にむかって発展するのか、それとも資本主義にむかって発展するのか。党の総路線からいえば、社会主義へ移行していくのである。それには相当長い期間の闘争を経なければならない。新税制の誤りは、張子善〔1〕の問題とはちがって思想上の問題であり、党の総路線から遊離しているという問題である。党内においてブルジョア思想に反対する闘争をくりひろげなければならない。思想状況についていえば、党内には三種類の人がいる。ある同志たちは確固としており、動揺しておらず、マルクス・レーニン主義の思想をもっている。一部の同志は、基本的にはマルクス・レーニン主義であるが、非マルクス・レーニン主義の思想もいくぶんかまざっている。少数の人はよくない。かれらの思想は非マルクス・レーニン主義である。薄一波の誤った思想にたいする批判のなかで、薄一波の誤りは小ブルジョア階級の個人主義だという人がいるが、これは妥当ではない。おもにはかれの、資本主義に有利で社会主義に不利なブルジョア思想を批判すべきである。このような批判こそが正しい。「左」翼日和見主義の誤りは、小ブルジョア階級の熱狂性の党内への反映である、とかつてわれわれは言ったが、これはブルジョア階級との決裂の時期に発生したものである。ブルジョア階級と合作をした三つの時期、つまり第一次国共合作の時期、抗日戦争の時期と現在のこの時期には、いずれもブルジョア思想が党内の一部の人に影響をおよぼし、かれらを動揺させた。薄一波は、このような状況のもとで誤りを犯したのである。
 薄一波の誤りは孤立したものではなく、中央にあるばかりか、大行政区や省・市の両段階にもある。各大行政区と省・市は、会議をひらいて、中国共産党第七期中央委員会第二回総会の決議と今回の会議の総括をもとに、自己の活動を点検し、これによって幹部を教育する必要がある。
 最近、わたしは武漢、南京をひとまわりし、多くの状況を知って大いに得るところがあった。北京ではわたしは、ほとんど何も耳にすることができない。今後も各地をまわってみたいとおもう。中央の指導機関は思想製品をつくる工場である。もし地方の状況を知らず、原料もなく半製品もないとすれば、どうやって製品をつくりだせるのか。あるものは地方ですでに製品になっている。中央の指導機関はこれを全国におしひろめればよいのである。たとえば、旧「三反」と新「三反」〔2〕はともに地方で先にはじめられたのである。中央の各部門は指示を乱発している。もともと中央の各部門が出すものは一級品でなければならない。だが、現在は二級品であるばかりか、大量の製品はまったく使用価値がなく、廃品となっている。大行政区と省・市の指導機関は、思想製品をつくる地方工場であり、ここでも一級品を出さなければいけない。
 薄一波の誤りはブルジョア思想を反映したものである。これは資本主義に有利で、社会主義と半社会主義に不利であり、七期二中総の決議に違反している。
 われわれはだれに依拠するのか。労働者階級に依拠するのか、それともブルジョア階級に依拠するのか。「ひたすら労働者階級に依拠しなければならない」と、七期二中総の決議にはすでにはっきりのべられている。また、決議は、生産を回復し発展させる問題については、第一が国営工業の生産であり、第二が私営工業の生産であり、第三が手工業の生産であると確定すべきだ、といっている。重点は工業であり、工業の重点は重工業であって、これは国営である。わが国における現在の五種類の経済要素のなかで、国営経済は指導的要素である。資本主義工商業は逐次、国家資本主義へみちびくべきである。
 二中総の決議では、生産を発展させる基礎のうえで労働者と勤労人民の生活を改善する、とのべている。ブルジョア思想をもつ人は, この点に留意しない。薄一波はその代表である。われわれの重点は、かならず生産の発展におかれなければならない。しかし、生産の発展と人民の生活改善の両方をともに配慮すべきである。福祉は、はからねばならず、はかりすぎてもいけないが、はからないのはよくない。いま、人民の生活をかえりみず、人民の死活をかえりみない幹部がまだ少なからずいる。貴州省のある連隊は、かつて農民の田畑を大量に占拠したことがあるが、これは人民の利益にたいするゆゆしい侵害行為である。人民の生活をかえりみないのは誤りである。だが重点はやはり生産建設におくべきである。
 資本主義経済を利用し、制限し、改造する問題については、二中総でもはっきり言っている。私的資本主義経済にたいしては、その活動範囲、徴税政策、市場価格、労働条件など各方面から制限をくわえ、はびこるにまかせてはならない、と決議にのべている。社会主義経済と資本主義経済は指導と被指導の関係である。制限と反制限は、新民主主義国家における階級闘争の主要な形態である。いま新税制で「公私の一律平等」をとなえているが、これは国営経済が指導的要素であるという路線に違反するものである。
 個人経営の農業経済および手工業経済の協同化の問題について、二中総の決議は明確に次のようにのべている。「この種の協同糾合は私有制を基礎とした、プロレタリア階級の指導する国家権力の管理のもとにおかれた、勤労人民大衆の集団経済組織である。中国人民は文化的におくれており、協同組合の伝統がないので、われわれの協同組合運動は、これを普及させ発展させるうえでたいへん困難を感じている。しかし、協同組合はつくることができるし、また、つくらなければならず、普及させ発展させなければならない。国営経済があるだけで、協同組合経済がなければ、われわれは勤労人民の個人経営経済を一歩一歩集団化の方向にむかうよう指導することはできず、新民主主義国家を将来の社会主義国家に発展させることはできず、国家権力におけるプロレタリア階級の指導権をうち固めることはできない。」これは一九四九年三月の決議であるのに、かなり多くの同志は心にとめていないし、これを初耳だとおもっているが、じつは旧聞なのである。薄一波は『農村における党の政治活動を強化せよ』という論文を書いた。そのなかでかれは、個人経営の農民が互助・協同化を経て集団化の道をあゆむのは、「まったくの空想である。なぜなら現在の互助組は、個人経営経済を基礎としており、このような基礎から漸次集団農場に発展することはできず、このような道を経て全体的な規模で農業を集団化させることはなおさらできない」とのべている。これは党の決議に違反している。
 いま、二種類の統一戦線、二種類の同盟がある。一つは労働者階級と農民との同盟で、これが基礎である。一つは労働者階級と民族ブルジョア階級との同盟である。農民は勤労者であり、搾取者ではない。労働者階級と農民との同盟は長期的なものである。しかし、労働者階級と農民のあいだには矛盾がある。われわれは自由意思の原則にもとづいて、農民を個人所有制から集団所有制に一歩一歩みちびくべきである。将来、国家所有制と集団所有制のあいだにも矛盾が出てくる。これらは非敵対性の矛盾である。労働者階級とブルジョア階級との矛盾は敵対性の矛盾である。
 ブルジョア階級はかならず人をむしばみ、糖衣弾を打ちこんでくる。ブルジョア階級の糖衣弾には物質的なものもあれば精神的なものもある。その精神的な糖衣弾が一つの標的に命中した。それが薄一波である。かれの誤りはブルジョア思想の影響をうけたことにある。新税制を宣伝した社説に、ブルジョア階級は拍手をおくり、薄一波は喜んだ。新税制についてかれは、事前にブルジョア階級の意見を求め、ブルジョア階級と紳士協定を結んだが、中央には報告していないのである。当時、商業部、購買販売合作総社はこれに賛成していなかったし、軽工業部も不満であった。財政・経済、商業関係の百十万の幹部と職員・労働者の絶対多数はよいが、少数のよくない者がいる。これらのよくない者はまた二つにわけることができる。一部分は反革命分子で、これは一掃すべきである。もう一部分は党員と非党員をふくむ、誤りを犯した革命者であり、批判、教育の方法でかれらを改造すべきである。
 社会主義事業の成功を保証するためには、全党で、まず中央、大行政区、省・中という三段階の共産党、政府、軍隊、人民団体の各指導機関で、右翼日和見主義の偏向、すなわち党内のブルジョア思想に反対しなければならない。各大行政区と省・市は、適当な時期に地区委員会書記、地区専員②の参加する会議を招集して、批判と討論をくりひろげ、社会主義の道と資本主義の道の問題についてはっきり説明すべきである。
 社会主義事業の成功を保証するためには、かならず集団指導を実施し、分散主義に反対し、主観主義に反対すべきである。
 われわれは、いま、主観主義に反対するにあたり、盲目的に暴走する主観主義に反対するとともに、保守的な主観主義にも反対しなければならない。かつて、新民主主義革命の時期に、主観主義の誤りを犯したことがあるが、それには右よりのものもあれば「左」よりのものもあった。陳独秀、張国燾は右より、王明は、はじめは「左」より、のちには右よりであった。延安での整風運動のときは、集中的に教条主義に反対し、付帯的に経験主義に反対した。両者とも主観主義であった。理論と実際が結びつかなければ、革命は勝利することができない。整風はこの問題を解決した。われわれは、前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救うという方針をとったが、それは正しかった。今回、薄一波にたいして断固とした徹底的な批判をおこなったのは、誤りを犯した人に、誤りを改めさせるためであり、社会主義が勝利のうちに前進するのを保証するためである。いまは社会主義革命の時期であるが、この時期にも主観主義はある。あせって暴走するとか保守的であるとかいうのは、実際の状況に即して仕事をしていないことであって、ともに主観主義である。主観主義を一掃しないかぎり、革命と建設は成功しない。民主主義革命の時期には、主観主義の誤りにたいして整風の方法でこれを解決し、全党の正しい路線を実行した同志と誤りを犯した同志とを団結させた。こうして、みんな延安から出発してそれぞれの戦場におもむき、全党が一丸となって全国の勝利をかちとったのである。いま、幹部はわりあいに成熟しており、レベルも高まっている。あまり多くの時間をかけすに、指導活動のなかでの主観主義を基本的に一掃し、主観と客観を合致させるよう努力することを希望する。
 これらのすべての問題を解決する鍵《かぎ》は、集団指導を強面にし、分散主義に反対することである。われわれは一貫して分散主義に反対してきた。一九四一年二月二日、中央は各中央局および各将領に指示を出し、およそ、全国的な意義のある通電や宣言、対内指示は、かならず事前に中央の指示を仰ぐよう規定した。五月に、中央は各根拠地における対外宣伝の統一についての指示を発した。同年七月一 日、党の成立二十周年を記念したさい、中央は、党性を強化することについての決定を発し、重点的に分散主義に反対した。一九四八年に中央が出した分散主義に反対する指示はもっと多い。一月七日、中央は、報告制度確立についての指示を発し、三月にまたその補充指示を出した。同年九月には、政治局会議で、中央にたいする指示要請と報告の制度にかんする決議をおこなった。九月ニ十日、中央は、党委員会制度の健全化をはかる決定をおこなった。一九五三年三月十日、政府の各部門が党中央の指導から離脱する危険をさけるため、中央は、政府活動への指導を強化する決定をおこなった。
 集中と分散はつねに矛盾している。都市にはいってから、分散主義はひどくなっている。この矛盾を解決するためには、すべての主要な、また南要な問題は、まず党委員会が討議、決定してから政府によって執行されるべきである。たとえば、天安門に人民英雄記念碑を建てることや、北京の城壁をとりはらうことなどの大きな問題は、中央の決定を経て政府によって執行されている。副次的な問題は、政府部門の党グループによって処理されるべきで、あらゆる問題をみな中央が背負うわけにはいかない。分散主義に反対することは、たいへん人びとによろこばれる。なぜなら、党内の大多数の同志は、集団指導に心をくばっているからである。集団指導にたいする態度では、党内に三種類の人がいる。第一種の人は、集団指導に心をくばっている。第二種の人は、それほど心をくばらず、党委員会が自分を監督しないのがいちばんのぞましいが、監督してもよいと考えている。「監督しないのがいちばんのぞましい」、これは党性が欠如しており、「監督してもよい」にはまだ党性がある。われわれは、その「監督してもよい」という一面をとらえ、その党性の欠如している面について説得、教育すべきである。さもなければ、それぞれの部は自分勝手に事をはこび、中央はそれぞれの部を監督できず、部長は司・局長を監督できず、処長は科長を監督できず、だれかだれをも監督できなくなる。こうなれば王国がふえ、八百諸侯がのさばることになる。第三種の人はごく少数である。かれらはかたくなに集団指導に反対し、党が自分を永遠に監督しないのがいちばんよいと考えている。党性を強化することについての決定のなかで、民主集中制の規律を厳格に実施するよう強調し、少数は多数に服従し、個人は組織に服従し、下級は上級に服従し、全党は中央に服従する(これは多数が少数に服従するのであるが、この少数は多数を代表している)とのべている。意見があるなら出せばよく、党の団結を破壊するのはもっとも恥ずべきことである。集団の政治経験と集団の知恵に依拠してこそ、党と国家の正しい指導が保証され、党の隊列のゆるぎない一致団結が保証されるのである。
 今回の会議で、劉少奇は自分にいくらかは誤りがあると言った。鄧小平同志も自分にいくらかは誤りがあると言った。だれであろうと誤りを犯したら自己批判すべきであり、党の監督をうけ、各段階の党委員会の指導をうけるべきである。これは党の任務をやりとげるための主要な条件である。全国には、無政府状態につけこんで飯を食っている人がたくさんいる。薄一波はこのような人物だ。かれは、政治上、思想上いくらか腐敗している。かれを批判するのはまったく必要なことである。
 最後に話したいのは、謙虚と学習、それに堅忍不抜の精神を提唱すべきだということである。
 堅忍不抜でなければならない。たとえば、抗米援朝の戦年で、われわれはアメリカ帝国主義をこっぴどくたたき、かれらは相当におそれをなしている。これは、われわれの建設に有利であり、われわれが建設をすすめる重要な条件である。とりわけ重要なのは、われわれの軍隊が鍛錬され、兵士は勇敢になり、幹部も知謀に富んできたことである。もちろん、われわれも犠牲者を出し、金をつかい、代償をはらった。しかし、われわれは犠牲をおそれない。やらないときはそれまでだが、やりだしたらとことんまでやるのである。胡宗南が陝西・甘粛・寧夏辺区に進攻してきたとき、われわれは県都を一つ残すのみであったが、辺区からは撤退しなかった。必要とあらば木の葉をも食べる。このような根性がなければならない。
 学習しなければならない。おごり高ぶったり、他人を見下げたりしてはならない。鵝鳥のタマゴが鶏のタマゴを見下げたり、鉄金属が希有金属を見下げたりするような、他人を見下げる態度は非科学的である。中国は大きな国であり、わが党は大きな党ではあるが、小さな国や小さな党を見下げる理由はない。兄弟諸国の人民にたいしては、永遠に学ぶ態度をもつべきであり、真の国際主義精神をもつべきである。対外貿易の面で一部の人は、おごり高ぶり尊大にふるまっているが、これはまちがいである。全党で、とくに国外で仕事をする人たちのあいだで、この点について教育すべきである。一心に学び、懸命に仕事をして、十五年あるいはもうすこし長い期間に、社会主義的工業化と社会主義的改造を基本的に完成しなければならない。そのとき、わが国が強火になっても、やはり謙虚でなければならず、永遠に学ぶ態度をもつべきである。
 七期二中総には、決議のなかに書きいれない幾つかの規定があった。その一に曰く、誕生祝いをしない。誕生祝いをしても長生きするわけではない。なによりも仕事をりっぱにやることである。その二に曰く、贈り物をしない。すくなくとも党内ではしてはならない。その三に曰く、あまり献杯してはいけない。特定の場合はかまわない。その四に曰く、拍手を少なくする。ただ、禁止する必要はなく、大衆の熱意から出たものには水をさすべきでない。その五に曰く、人の名前を地名につけない。その六に曰く、中国の同志をマルクス、エンゲルス、レーニン・スターリンと対等にならべてはいけない。これは学生と先生の関係であって、当然のことである。これらの規定を遵守することこそ謙虚な態度である。
 要するに、謙虚と学習、それに堅忍不抜の精神を堅持し、集団指導の体制を壁侍して、社会主義的改造をなしとげ、社会主義の勝利をかちとらなければならない。


〔注〕
〔1〕 張子善は、かつて中国共産党天津地区委員会書記の任にあったが、ブルジョア階級にむしばまれて大汚職犯に堕落し、「三反」運動のなかで死刑に処せられた。
〔2〕 旧「三反」とは、一九五一年にくりひろげられた汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争をさす。新「三反」とは、一九五三年にくりひろげられた官僚主義反対、命令主義反対、法規・規律違反反対の闘争をさす。
〔訳注〕
① この新税制は、一九五二年十二月に提出され、一九五三年一月から実施された。こうした税制は、「公私の一律平等」とうたっているが、実際には納税の面で私営工商業の負担を軽くし、国営と協同組合経営の工商業の負担を重くするもので、国営と協同組合経営の工商業には不利であり、資本家に有利であった。毛沢東同志が批判したあと、この誤りはすみやかに是正された。
② 若干の県を管轄する地区段階の専員公署の行政面の責任者をいう。専員公署とは、省・自治区人民委員会の出先機関である。

maobadi 2011-07-02 17:18
資本主義工商業の改造でかならず経なければならない道


          (一九五三年九月七日)


 毛沢東同志は、一九五三年九月七日、民主政党および工商業界の一部の代表と談話をおこなった。これは毛沢東同志が書いた談話の要点である。


 国家資本主義をつうじて、資本主義から社会主義への改造をなしとげる。
 (一)これまで三年あまり、いくらか仕事をしたが、ほかのことで忙しく、あまり力をいれなかった。これからは、もっと仕事をしなければならない。
 (二)三年あまりの経験があるので、次の点はすでに確認することができる――国家資本主義をつうじて私営工商業の社会主義的改造をなしとげることは、比較的健全な方針、方法である。
 (三)共同綱領第三十一条〔1〕の方針については、現在、これを明確にし、しだいに具体化していかなければならない。「明確にする」とは、中央と地方の指導的人物がその考え方のうえで、同家資本主義は資本主義工商業の改造と社会主義への逐次的移行にあたってかならず経なければならない道だという点を、まず確認することである。この点は、共産党の側でも、民主人士の側でも、まだなされてはいない。こんどの会議①の目的は、これをなしとげることにある。
 (四)着実に前進し、あまり急いではならない。全国の私営工商業を基本的に国家資本主義の軌道にのせるには、少なくとも三年かち五年はかかる。したがって、衝撃や不安があってはならない。
 (五)公私合営をおこなう、全原料を供給し全製品を買い付ける加工・発注をおこなう、大部分の製品の買い付けだけをおこなう――これが私営工業における国家資本主義の三つの形態である。
 (六)私営商業でも国家資本主義を実施してよく、「除外」という二子でかたづけてしまってはならない。この面での経験はあまり多くはなく、なお検討を要する。
 (七)労働者、店員ほぼ三百八十万をもつ私営工商業は、国の大きな財産であり、国の経済と人民の生活のなかで大きな役割をはたしている。私営工商業は、国家に製品を供給するだけでなく、国家のために資金を蓄積し、幹部を訓練することもできる。
 (八)一部の資本家は、国家とのあいだに大きな距離があり、いまだに営利一点ばりの考え方を変えていない。一部の労働者は、歩調がはやすぎ、資本家が利益をあげるのを許さない。われわれは、この双方の人たちを、逐次(だが、なるべくはやく)、国家の方針・政策に適応できるように教育していかなければならない。つまり、中国の私営工商業を、基本的には国の経済と人民の生活に奉仕し、部分的に資本家の利益をはかるものにする――こうすれば、国家資本主義の軌道にのせることができるのである。
 国家資本主義企業の利潤の配分については、次表のとおり――
   所得税          三四・五パーセント
   福祉費          一五・〇パーセント
   積立金          三〇・〇パーセント
   資本家への利益配当    二〇・五パーセント
   総計           一〇〇・〇パーセント
 (九)資本家のあいだで、ひきつづき愛国主義の教育をすすめる必要がある。このためには、共産党と人民政府に近づくことを願う、見識の高い、若干の資本家を計画的に育成し、かれらをつうじて大部分の資本家を説得していくようにする。
 (十)国家資本主義を実施するには、その必要性と可能性(共同綱領)にもとづくだけでなく、資本家の自由意思によらなければならない。なぜなら、これは協力してすすめる事業であり、協力である以上、強制してはならないからである。この点は、地主にたいするやり方とちがう。
 (十一)全国の各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体は、これまで数年のあいだに、大きな進歩をとげた。今後三年から五年のあいだに、こうした進歩はいっそう大きなものになるとおもう。したがって、私営工商業を国家資本主義の軌道にのせるという任務を三年ないし五年で基本的になしとげることは可能である。国営企業の優位は、この任務を達成するための物質的な保証である。
 (十二)過渡期ぜんたいの完結、つまり、国の工業化を基本的になしとげ、農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげるとなると、三年や五年でやれるものではなく、いくつかの五ヵ年計画が必要である。この問題では、これをはるか先のことだとみる考え方に反対するとともに、あせって暴走する考え方にも反対しなければならない。
 (十三)一方は指導する者であり、他方は指導される者である、一方は私利をはからない者であり、他方はまだいくらか私利をはかる者である、などなど――こうした点では異なっている。しかし、われわれの現在の条件のもとでは、私営工商業は、基本的に国の経済と人民の生活に奉仕するものである(利潤の分配では、ほぼ四分の三を占める)。したがって、国営企業とおなじく、増産節約をすすめ、労働競争をおこない、労働生産性をたかめ、コストを引き下げ、製品の量をふやし質をたかめるよう、労働者を説得できるし、また説得すべきである。こうすれば、国家と私企業、労働者と資本家の双方にとって有利である。


〔注〕
〔1〕 共同綱領第三十一条は、次のように規定している。「国家資本と私的資本との協力による経済は、国家資本主義の性格をもつ経済である。必要かつ可能な条件のもとで、私的資本が国家資本主義の方向に発展するよう、奨励すべきである。たとえば、国営企業のための加工「国家との共同経営、月倍の形態による国家企業の経営と国の資源の開発など。」
〔訳注〕
① 一九五二年九月八日から十一日までひらかれた中国人民政治協商会議全国委員会常務委員会の第四十九回(拡大)会議をさす。

maobadi 2011-07-02 17:19
抗米援朝の偉大な勝利と今後の任務


          (一九五三年九月十二日)


 これは、毛沢東同志が中央人民政府委員会第二十四回会議でおこなった演説である。


 三年にわたってすすめられてきた抗米援朝戦争は、偉人な勝利をおさめ、いますでに一段落をつげた。
 抗米援朝の勝利は、なにに依拠してかちとられたのだろうか。さきほど、みなさんは、指導が正しかったからだと言った。指導は一つの要因であり、正しい指導がなければ、事をりっぱにはこぶことはできない。しかし、おもな原因は、われわれの戦争が人民戦争で、全国人民が支援し、中朝両国人民が腕をくんで戦ったことにある。
 アメリカ帝国主義の兵器は、われわれのより何倍もすぐれているが、われわれはこのような敵と戦って勝利をおさめ、講和を結ばざるをえないところまで敵を追いつめることができた。なぜ講和が可能となったのだろうか。
 第一、軍事の面では、アメリカ侵略者が不利な、たたきのめされる状態におかれていた。もしも講和を結ばなければ、全戦線がうち破られ、ソウルが朝鮮人民の手に落ちるだろう。このような情勢は、昨年の夏からすでに現われはじめていた。
 戦う双方はともに、自分の戦線を金城鉄壁といっている。わが方は、たしかに金城鉄壁である。われわれの兵士と幹部は機知にとみ、勇敢で、死をおそれない。ところが、アメリカ侵略軍は死をおそれるうえに、将校が比較的融通がきかず、あまり機敏でない。かれらの戦線は堅固ではなく、金城鉄壁とはいえない。
 わが方の問題といえば、最初は戦えるかどうか、つぎは守れるかどうか、そのつぎは給養を確保できるかどうか、そして最後は細菌戦をうち破れるかどうかであった。この四つの問題は、つぎつぎと解決された。われわれの軍隊は、戦えば戦うほど強くなってきた。ことしの夏には、われわれはすでに、二十一キロにわたる敵の正面の陣地を一時間でうち破ることができ、数十万発の砲弾を集中的に発射することができ、十八キロも攻めこむことができるようになった。もしもこの調子で戦いつづければ、あと二回、三回、あるいは四回の戦いで敵の全戦線はうち破られたであろう。
 第二、政治の面では、敵の内部に解決できない矛盾がたくさんあり、全世界の人民が講和を要求している。
 第三、経済の面では、敵は朝鮮侵略戦争に巨額の金をつぎこみ、財政収支の均衡がたもてない。 このいくつかの原因が重なって、敵は講和を結ばざるをえなくなった。そのうち、第一の原因はおもなもので、これがなければ、かれらと講和を結ぶのは容易ではない。アメリカ帝国主義者はたいへん傲慢で、およそ無理を通せるところでは、かならず無理を通す。すこしでも無理押しをしなくなったとしたら、それは追いつめられて、やむなくそうするのである。
 朝鮮戦争で、敵は百九万の死傷者を出した。もちろん、わが方も代価をはらっている。しかし、わが方の死傷者数は、当初の予想よりもはるかに少なく、地下壕を掘ってからはさらに少なくなった。われわれは戦えば戦うほど強くなった。アメリカ人は、われわれの陣地を攻めようとしても歯が立たず、逆にいつもわれわれにやられてしまった。
 さきほど、みなさんは指導という要因をあげた。わたしに言わせると、指導は一つの要因ではあるが、もっともおもな要因は、大衆が知恵をはたらかすことである。われわれの幹部と兵士は、いろいろと戦う方法を考え出した。例を一つあげてみよう。戦争がはじまった最初の一ヵ月、わが方のトラックはひじょうに大きな損害を受けた。どうしたらよいだろうか。指導部が知恵をしぼるほか、主として大衆の知恵にたよった。自動車道路の両側に一万余人の歩哨が立ち、敵機が飛んでくれば合図の銃を撃つ。運転手はそれを聞くと、敵機を避けながら車を走らせるか、どこか適当なところにトラックを隠してしまう。同時に、自動車道路の幅をひろげ、また新しい自動車道路もたくさんつくったので、トラックは滞りなく往来できるようになった。こうして、トラックの受ける損害は、当初の四〇パーセントから零点数パーセントにまで減少した。その後、地下倉庫もつくり、地下講堂もつくったので、敵が頭上で爆弾を落としても、われわれは地下で大会をひらける、という具合になった。北京に住むわれわれ一部の者は、朝鮮の戦場というと、すぐずいぶん危険だと考える。もちろん、危険はあるが、みんなが知恵をはたらかせさえすれば、それほどでもないのである。
 人民に依拠するなら、そのうえ、わりあい正しい指導があるなら、われわれの劣った装備で、すぐれた装備をもつ敵にうち勝つことができる。これがわれわれの経験である。
 抗米援朝戦争の勝利は偉大な勝利で、ひじょうに重要な意義をもっている。
 第一、朝鮮人民といっしょに三十八度線までおしかえし、三十八度線を守りぬいた。これはたいへん重要なことである。もしも三十八度線におしかえさず、前線があいかわらず鴨緑江と図們江にあるなら、瀋陽、鞍山、撫順などの人民は安心して生産にたずさわることができない。
 第二、軍事面の経験をつんだ。わが中国人民志願軍の陸、空、海の三軍、歩兵、砲兵、工兵、戦車兵、鉄道兵、防空兵、通信兵、それから衛生部隊、兵砧部隊などが、アメリカ侵略軍との実戦の経験をつんだ。こんど、われわれはアメリカ軍の実態をさぐることができた。もしもアメリカ軍と接触しなければ、かれらを恐れもするだろう。しかし、かれらと三十三ヵ月も戦ったので、かれらの実態がすっかりわかった。アメリカ帝国主義は恐ろしいものではない、せいぜいそんなところである。われわれはこの経験をつんだ。これは大した経験である。
 第三、全国人民の政治的自覚をたかめた。
 以上の三ヵ条があればこそ、第四条がうまれる。それはつまり、帝国主義の新たな中国侵略戦争の勃発《ぼっぱつ》をおくらせ、第三次世界大戦の勃発をおくらせた、ということである。
 いま、中国人民はすでに組織されており、だれにも手出しをするのを許さない。もしも手出しをして怒らせたら、手がつけられなくなる。帝国主義の侵略者は、よくこのことをわきまえておくべきである。
 今後、敵はまた戦うかもしれない。たとえ戦わなくても、かならず、特務を送りこんで破壊活動をやらせるなど、いろいろな方法で攪乱《かくらん》するにちがいない。かれらは台湾、香港、日本などに大がかりな特務機関を設けている。しかし、われわれは抗米援朝運動のなかですでに経験をつんだ。大衆を立ちあがらせ、人民に依拠するかぎり、われわれにはかれるに対処する方法がある。
 いまのわれわれの状況は、一九五〇年冬季の状況とはちがっている。あのころ、アメリカ侵略者は三十八度線の向こう側にいただろうか。いや、かれらは鴨緑江、図們江の向こう側にいた。われわれはアメリカ侵略者と戦う経験があっただろうか。それはなかった。アメリカ軍の実態をよく知っていただろうか。よくは知っていなかった。いまや、これらの状況はすべて変わっている。もしもアメリカ帝国主義が新たな侵略戦争をおこすのをおくらせず、どうしても戦うというのなら、われわれは前の三ヵ条でもってかれらに対処する。もしも戦わないというのなら、われわれは第四条をもつことになる。これも、われわれの人民民主主義独裁の優位を立証しているのである。
 われわれは、よその国を侵略するだろうか。いかなるところをも侵略しない。しかし、相手が侵略してくるなら、われわれはかならず戦う、しかも、最後まで戦いぬくであろう。
 中国人民は、平和には賛成であるが、戦争も恐れない、どちらでも結構、という態度をとっている。われわれには人民の支持がある。抗米援朝戦争では、人民が勇んで入隊を申し込んだ。八隊希望者にたいしては、百人から一人という厳選をしたので、婿を選ぶよりもきびしいといわれたものだ。もしもアメリカ帝国主義がもう一度戦争をしかけてくるなら、われわれはもう一度お相手する。
 戦争には金がかかる。しかし、抗米援朝戦争でつかった金は、そんなに多くはない。この数年間の戦争につかった金は、一年分の工商業税にも満たない。もちろん、戦争をせず、この金をつかわないですむなら、それに越したことはない。いまは建設面で金がいるし、農民の暮らしもまだ楽ではないからである。昨年と一昨年の農業税はすこし重かった、そこで、一部の友人が文句を言いはじめている。かれらはまるで農民の利益を代表するかのように、「仁政を施す」ことを要求している。われわれはこうした意見に賛成するだろうか。賛成はしない。当時は、抗米援朝の勝利をかちとるためにあらゆる努力をはらわねばならなかった。農民にとって、また全国人民にとって、暮らしがしばらくのあいだすこしは苦しくても、勝利をかちとったほうが有利なのか、それとも抗米援朝をせず、この金をつかわないほうが有利なのか。もちろん、抗米援朝の勝利をかちとるほうが有利なのである。昨年と一昨年、われわれが農業税をすこし多く収ったのは、ほかでもなく、抗米援朝で金を必要としたからである。ことしは事情がちがって、農業税をふやさず、その税額を固定させている。
 「仁政を施す」ことについていうなる、われわれは仁政を施すつもりである。しかし、最大の仁政とはなにか。それは抗米援朝である。この最大の仁政を施すには、犠牲をはらわなければならず、金をつかわなければならず、農業税もすこし多く取らなければならない。農業税をすこし多く取ると、一部の者がさわぎ出し、自分たちは農民の利益を代表しているなどと言う。わたしは、このような意見には賛成しない。
 抗米援朝は仁政を施すことだが、いま工業建設をすすめるのも仁政を施すことである。
 仁政というものには二種類ある。一つは人民の当面の利益のためのものであり、もう一つは人民の長期の利益のためのもの、たとえば抗米援朝、重工業の建設などである。前者は小さい仁政であり、後者は大きい仁政である。この双方に配慮をくわえなければならず、双方に配慮をくわえないのは誤りである。それでは、どちらに重点をおいたらよいだろうか。重点は大きい仁政におくべきである。いま、われわれは仁政を施す重点を重工業の建設におくべきである。建設をするには、資金がいる。したがって、人民の生活は改善しなければならないとはいえ、いまのところ大幅に改善することはできない。つまり、人民の生活は改善しないわけにはいかないが、大幅に改善するわけにはいかず、配慮しないわけにはいかないが、十分に配慮するわけにはいかない、ということである。小さい仁政を配慮して、大きい仁政を妨害するようなことがあれば、これは仁政を施す面での偏向である。
 いま、ある友人は一方的に小さい仁政を強調しているが、その実、それは抗米援朝戦争をやるな、重工業の建設をやるな、ということである。われわれは、このような誤った考えを批判しなければならない。このような考えは、共産党の内部にもあり、延安時代に現われたことがある。一九四一年、陝西・甘粛・寧夏辺区で食糧二十万石《タン》①の農業税を取ったが、一部の者が、共産党は農民への思いやりがないとさわぎ出した。共産党のごく少数の指導的幹部も仁政を施すという問題をもちだした。そのとき、わたしはすでにこうした考えを批判した。当時、最大の仁政であったのはなにか。日本帝国主義を打倒することである。もしも農業税の徴収を減らせば、八路軍、新四軍を縮小しなければならない。そうなれば、日本帝国主義に有利である。したがって、こうした意見は、実際には日本帝国主義を代表し、それに手をかすものであった。
 いま、抗米機朝はすでに一段落をつげたが、もしもアメリカがなお戦うなら、われわれも戦う。戦うからには、農業税を取らなければならず、農民に働きかけて、応分のものを出させるように説得しなければならない。これこそ、ほんとうに農民の利益を代表することである。さわぎたてるのは、実際にはアメリカ帝国主義を代表するのとおなじである。
 道理には、大きい道理があり、小さい道理がある。全国人民の生活水準は、毎年、一歩ずつ高めていくべきであるが、あまり大幅に高めてはならない。高めすぎると、抗米援朝戦争をすすめることができなくなるか、あるいはそれほど真剣にすすめることができなくなる。われわれは、徹底的に、真剣に、全力をあげて戦うのだ。われわれにあるものなら、朝鮮の前線が必要とするものはなんでも送る。ここ数年、われわれはほかでもなく、このようにしてきたのである。


〔訳注〕
① 石は、穀物の重量の計算単位で、地方によって量がちがっていた。陝西・甘粛・寧夏辺区では百五十キログラムであった。

maobadi 2011-07-02 17:19
梁漱溟の反動思想を批判する


          (一九五三年九月十六日~十八日)


 これは、毛沢東同志が中央人民政府委員会第二十七回会議の期間に、梁漱溟にたいしておこなった批判のおもな部分である。この会議は一九五三年九月十六日から十八日にかけて北京でひらかれ、中国人民政治協商会議全国委員会の在京の委員がこれに列席した。


 (一)梁漱溟先生は「気骨のある人物」なのか。かれは和平交渉のなかでどのような役割を演じたのか。
 梁先生は、「気骨のある人物」だと自称している。香港の反動新聞も、梁先生は大陸で「もっとも気骨のある人物」だと書きたて、台湾の放送もさかんにきみを持ちあげている。いったい、きみは「気骨」があるのかどうか。もしも「気骨」のある人物なら、以前、どのように共産党と人民に反対したのか、どのように筆で人を殺したのか、また韓復[”矩”の下に”木”]《ハンフーチュイ》、張東[”くさかんむり”に”孫”]《チャントンスン》、陳立夫、張群とはいったいどのような関係にあったのか、ひとつ、きみの経歴をみんなに打ちあげたらどうだろう。連中はみなきみの親友だが、わたしなどはそんなに多くの友人をもっていない。かれらはそんなにもきみが気にいり、きみを先生と呼び、わたしのことを「匪賊《ひぞく》」だとののしっている。きみという人間はどの党、どの派に属しているのか、わたしは疑いをもっている。わたしばかりではなく、多くの人も疑いをもっている。
 さきほどの周総理の発言からもわかるように、われわれと国民党との二回にわたる和平交渉の決定的な時機に、梁先生はまったく蒋介石を助ける立場に立っていた。蒋介石が和平交渉に同意したのは、いつわりである。きょう在席している人たちのなかには、和平交渉のため北京にきた代表もいるが、この人たちはみな、蒋介石の「和平」が果たしてほんものだったのか、にせものだったのかを知っている。
 正直にいって、蒋介石は鉄砲で人を殺したが、梁漱溟は筆で人を殺している。殺人には二種類あり、一つは鉄砲で人を殺すが、もう一つは筆で人を殺す。もっとも巧妙に偽装し、人を殺しても血を流さないのは、筆で人を殺すほうである。きみはこのような殺人犯にほかならない。
 梁漱溟は徹底した反動だが、かれはこれを認めようとせず、自分の姿はとても美しいと言っている。かれは傳作義先生とはちがう。傳先生は自分が徹底した反動であることを公然と認めているが、北京の平和的解放のさい、人民のために功績を立てた。梁漱溟の功績はなにか。きみは生涯を通じて、人民のためにどんな功績を立てたのか。一分一厘も立ててはいない。だが、きみは自分を西施や王昭君よりも美しく、楊貴妃にも比肩しうる、天下第一のすごい美人に描きあげている。
 (二)梁漱溟は「九天九地」ということを言い、「労働者は九天の上にいるが、農民は九地の下にいる」、「労働者には頼りになる労働組合があるが、農会は頻りにならず、共産党、青年団、婦人連合会なども頼りにならず、質、量ともにだめで、工商業連合会よりも落ちる。だから、自信がもてない」などと言っている。これは、「総路線に賛成している」のであろうか。ちがう。完全な、徹底した反動思想である。これは合理化の提案ではなくて、反動化の提案である。人民政府は、このような提案をとりあげることができるだろうか。わたしは、できないとおもう。
(三)梁先生は、「計画の内容をもっと知ることを要求」している。わたしは、これにも賛成しない。反対に梁先生のような人間にたいしては、機密をなるべく少なく知らせるべきであり、少なければ少ないほどよい。
 梁漱溟という人物は、信用がおけない。ほかの人にはもっと機密を知らせてもよいが、きみにはそうするわけにはいかない。民主政党の比較的小型の会議を招集するばあいにも、梁漱溟に参加してもらう必要はない。
 (四)梁先生はまた、自分を非進歩の部類にいれないよう要求している。それどころか、かれは進歩の部類に属する人間なのだそうである。この点についてはどうしたらよいか。慎重な態度をとるべきで、軽がるしく承諾してはならないとおもう。さもなければ、ワナにかかってしまう。
 (五)梁先生は自分の像をとても美しく描いている。かれは、数十年前、すでに建国の計画について偉大な夢をいだいていた。かれ自身のことばによると、それは新民主主義、あるいは社会主義にひじょうに近いものだそうである。
 果たしてそれほど美しいものだろうか。そうとは限らない。わたしはかれをかなりよく知っているが、かれと顔をあわせて、その誤った思想を批判しなかったことは一度もない。わたしは面と向かって、きみのそんな言い草を信じたことがない、と言ったことがある。たとえば「中国には階級がない」とか、「中国の問題は文化的不調和の問題である」とか、「無色透明な政府」〔1〕とか、「中国の革命には外部からの原因があるのみで、内在的な原因がない」といったたぐいであるが、こんどはまた「九天九地」とか、「共産党は農民を捨てた」とか、「共産党は工商業連合会ほど頼りにはならない」といったご高説を耳にしている。これらすべてが信じられるだろうか。信じられはしない。わたしはかれにこう言ったことがある――中国の特徴は半植民地、半封建であることだ。この点を認めないと、帝国主義と封建主義を助けることになる。だから、だれもきみのその言い草を信じない。人民はみな共産党を信じている。反動分子か、まぬけでもなければ、きみの著作を読むような人はいないし、きみの話を聞くような人もいない、と。かれは蒋介石にも反対しないようだ。いったい、梁先生は蒋介石およびその反動的な国民党に反対すると明言したことがあるのかどうか。わたしはかれの文章と談話をのこらず読んだり聞いたりしたわけではないから、みなさんに検討していただきたい。
 このような人物には、人民の国家にたいしてより多くの計画と機密をあずかり知らせよと要求する資格があるだろうか。そんな資格はないとおもう。われわれはかれのこうした要求を認めるべきだろうか。認めるべきではないとおもう。
 (六)梁先生はまた、かれを非進歩派あるいは反動派の部類にいれるのではなく、進歩派あるいは革命派の部類にいれるよう要求している。これは「階級所属をきめる」問題だが、どう処理したらよいだろうか。上にのべたような状況のもとでは、かれを進歩とか革命の部類にいれることができるだろうか。かれのどこが進歩しているのか。かれはいつ革命に参加したことがあるのか。したがって、この要求にも軽がるしく応ずるわけにはいかない。しばらく様子を見てからにしよう。
 (七)数年らい、わたしは一部の人民の投書を受けとり、一部の議論も耳にしてきたが、共産党はなぜ反動分子と合作するのかという問題が提起されている。かれらのいう反動分子とは、これまで新聞紙上や公開の場で帝国主義への反対、封建主義への反対、蒋介石とその反動的な国民党への反対を表明したがらず、国家の公職要員としての最低限の立場も持ちあわせていない連中のことである。こうした連中は、とりわけ蒋介石に反対したがらない。だから、台湾の放送と香港の新聞はかれらにたいしてとくに好意をよせ、一度もののしったことがないばかりか、大隊で「もっとも気骨のある人物」だと言っている。そのなかには、梁漱溟がふくまれているのだ。こうした新聞や放送は、他方、一部の友人にたいしては、ほしいままに中傷と悪罵《あくば》を浴びせている。台湾にののしられないか、あるいは持ちあげられるような人間は、もちろん少数である。だが、これには大いに注意をはらわなくてはならない。
 一部の人はいまになっても、帝国主義に反対する言論はいちおう口にするが、蒋介石に反対する言論はどうしても口にしようとしない。新聞紙上や公開の談話では、過去にふれる勇気がなく、過去にたいしていささか未練をのこしている。こうした人は優にいく人かはいるとおもう。
 愛国主義には三種類ある。一つはほんものの愛国主義、もう一つはにせものの愛国主義、さらにもう一つは半ばほんもの半ばにせものの、動揺する愛国主義である。自分がどうであるかは、めいめい見当がついており、梁漱溟自身も見当がついている。帝国主義や台湾の側とほんとうに関係を断つ人は、どんなに立ちおくれていても、われわれは歓迎する。この部類の人は、ほんものの愛国主義者である。にせものの愛国主義者はうわべでは、実にうまく装っているが、心のなかではべつのことを考えている。もう一種は半ばはんもの半ばにせものの動揺分子で、情勢をみて事をはこぶ。もしも第三次世界大戦がおこらず、蒋介石がやってこないなら、共産党についていくが、もしも第三次世界大戦がおこるなら、べつの道を考える。多数の人はどの部類に属するのだろうか。ほんものの愛国主義である。ここ数年らい、ほんものの愛国主義者がふえており、半ばはんもの半ばにせものの愛国主義者は小人数である。にせものの愛国主義者はごく僅かだが、やはりいる。この分析は果たして適切かどうか、みんなで検討すればよい。
 (八)梁漱溟は、ひとつの仕事をすべきであるとおもう。それは、「農民を代表して」人民政府に「解放を訴える」ことではなく、自分の反人民的な反動思想の歴史的発展過程をはっきり白状することである。以前、かれはどのように地主を代表して共産党と人民に反対したのか、いままた、どのように地主を代表する立場から「農民を代表する」立場に転換したのか、この変化の過程を説明し、人びとを納得させることができたら、そのときはじめて、いったいかれをどの部類にいれるべきかを確定することができるのである。わたしのうけた印象では、かれはこれまでその反動的な立場を変えようと考えたことがなかった。だが、病をなおして人を救うため、かれに反省の時間をあたえるべきであり、この件を政治協商会議にまわし、今回は結論を出さないでおくよう、わたしは提案する。
 (九)「羞悪の心は、人皆これ有り」〔2〕というが、恥知らずは、始末にこまるものである。梁先生の農民問題にたいする見解が共産党よりもすぐれているなどとは、だれが信じるだろうか。まったく身のほど知らずというほかはない。たとえて言えば、「毛沢東は梅蘭芳先生よりも芝居をやるのがうまく、志願軍よりも地下壕を掘るのがうまく、空軍英雄の趙宝桐よりも飛行機を操縦するのがうまい」といったたぐいだ、これは恥知らずもはなはだしいではないか。したがって、梁先生の提起した問題は、まともな問題でもあれば、まともでない問題でもあり、すこぶるこっけいである。かれは共産党よりも自分のほうが農民を代表できると言っているが、まことにこっけい至極ではないか。
 こんなにも多くの「農民代表」が現われて、いったい、だれを代表しているのか。農民を代表しているのだろうか。わたしの目にも農民の目にも、そのようには映らない。かれらは地主階級を代表し、地主階級に肩をいれているのだ。なかでも、ずばぬけていて、口先がうまく、実際に敵を助けているのが、梁漱溟である。このほかに一部、考え方があいまいで、わけのわからないことを口にしている人もいるが、これはやはり愛国主義者で、心のなかではやはり中国のことを考えている。これが一つの部類である。梁漱溟はもう一つの部類に属する。それから、梁漱溟と似たりよったりで、「農民代表」になりすましている者もいる。なりすますということは実際にあるのであって、現にそれにぶつかっている。その人たちにはタヌキのしっぽがあり、やがてみんなに見破られるだろう。孫悟空は七十二相に変身できるが、できないことが一つある。しっぽだけはなかなかほかのものに変えられないということだ。かれはお寺に化け、しっぽを旗ざおに変えたが、楊二郎に見破られてしまった。どこから見破られたのか。ほかでもなく、例のしっぽからである。どのように偽装しても、しっぽだけはかくせないというような人が、実際にはいるのである。
 梁漱溟は野心家であり、えせ君子である。かれが政治に無関心であると言うのはうそであり、役人になりたくないと言うのもうそである。かれは「郷村建設」とやらをやったが、どういう「郷村建設」なのか。それは地主の建設であり、郷村の破壊であり、国家の滅亡である。
 (十)かれのような人間とつきあうには、本気になってはいけない。かれと話したのでは、どんな問題についても、永遠にはっきりさせることはできない。かれは論理性がなく、でたらめしか言えないのである。したがって、わたしはこの問題を政治協商会議の隔週座談会にうつして討議するよう提案するが、同時に、問題がほんとうに解決される望みがあるなどとはぜったいに考えてはならない、とみなさんに警告しておく。それは断じて不可能である。けっきょく、「討議しても決定できず、決定しても実行できず、結果が出ないままに散会する」ということになるだろう。それにもかかわらず、やはり隔週座談会をひらいて試してみるようみなさんにおすすめする。このほうが、「ふたりの人を送って」かれの説教を聞かせるよりはましである。
 (十一)われわれはこの機会にかれと絶交し、今後、かれとつきあわないことにするのかどうか。そうする必要もない。かれ自身がわれわれとのつきあいを望むかぎり、われわれはやはりかれとつきあう用意がある。わたしはまた、第二期政治協商会議でかれが委員に当選するよう望んでいる。なぜかというと、いまなお一部の人がかれのことを知らす、喜んでかれにだまされており、かれはまだ生きた教材としての役割をはたしている、だから、かれ自身が政治協商会議の演壇を借りてその反動思想をまきちらすことを望むかぎり、かれは依然として委員に当選する資格がある、これがその理由である。
 前にものべたが、梁漱溟にはいささかの功績もなければ、いささかの取りえもない。工商業界のように製品を提供し、所得税を納めるという取りえがあるだろうか。それはない。生産を発展させ、経済を繁栄させるという取りえがあるだろうか。それはない。蜂起したことがあるだろうか。それはない。いつか蒋介石に反対し、帝国主義に反対したことがあるだろうか。それはない。帝国主義と封建主義を打倒する過程で、いつか中国共産党に呼応したことがあるだろうか。それはない。だから、かれには功績がないのである。かれは、抗米援朝のような偉大な闘争にたいしてさえ、頭を縦に振るのではなく、横に振ったのである。では、なぜ政治協商会議全国委員会の委員になれたのだろうか。中国共産党はなぜかれをこの委員に推薦したのだろうか。ほかでもなく、かれはまだ一部の人をだますことができ、まだいくらか人をペテンにかける役割をはたせるからである。かれはとりもなおさず、人をだますという資格をよりどころにしているのであり、人をだますという資格をもっているのである。
 梁漱溟の目からみれば、頭を縦に振って、かれを正しいと認めるなら、それは「雅量」があるということであり、かれを正しいと認めないなら、それは「雅量」がないということであるらしい。そんな「雅量」を、われわれはおそらく持ちあわせないだろう。しかし、梁漱溟にひきつづき政治協商会議の委員をやらせるというほどの「雅量」なら、やはり持ちあわせている。
 (十二)孔子の欠点についていえば、いささか梁先生に似ていて、民主的でなく、自己批判の精神に欠けていることだとおもう。「吾、子路を得てより、悪声耳に入らず」〔3〕①、「三盈三虚」〔4〕②、「三ヵ月にして少正卯を試す」〔5〕③というように、極悪ボスの作風とファッショ臭いところが大いにある。友人の諸君、とりわけ梁先生には、孔子のこうしたしろものを学ばないよう望みたい。そうしてくれるなら、幸甚の至りである。
 (十三)梁先生の高次元の綱領にしたがえば、中国は社会主義をきずきあげるどころか、党(共産党とその他の政党)も滅び、国も滅びる。かれの路線はブルジョア路線である。薄一波の誤りは、ブルジョア思想の党内における反映である。しかし、薄一波は梁漱溟よりましである。
 梁漱溟は、労働者は「九天の上」におり、農民は「九地の下」にいる、と言う。事実はどうなのだろうか。差別はあり、労働者の所得は農民よりもいくらか多い。だが、土地改革のあと、農民は土地もあれば、家屋もあり、日に日に暮らしがよくなっている。一部の農民は、労働者よりもいい暮らしをしている。労働者のなかにも、まだ暮らしの苦しい者がいる。いったい、どういう方法で農民により多くの所得を得させるのか。梁漱溟にはその方法があるのだろうか。「寡《すく》なきを患《うれ》えずして均《ひと》しからざるを患う」〔6〕というのが、きみの考えである。もしもきみの方法をとり、農民自身の生産労働によってその所得をふやすのではなく、労働者の賃金を農民の所得に均《なら》し、賃金の一部を農民にあたえるようなことをすれば、中国の工業を壊滅させることになるではないか。そんなことをすれば、国も滅び、党も滅びる。この党が滅びるということを、諸君は共産党が滅びるだけだと思いこんではいけない。民主政党もそれをまぬがれないのである。
 きみは、労働者が「九天の上」にいると言うが、それなら、きみ梁漱溟はどの天の上にいるのか。きみは十天の上、十一天の上、十二天、十三天の上にいるのだ。きみの給料は労働者の賃金よりもはるかに多いからである。きみは、まっさきに自分の給料を減らそうと提案するのではなく、まっさきに労働者の賃金を減らすよう提案しているが、これでは不公平だとおもう。公平をとなえるのなら、まっさきにきみの給料を減らすべきだ。それというのも、きみのいるところは、「九天の上」にとどまらないからである。
 わが党は三十数年も労農同盟をとなえてきた。マルクス・レーニン主義は、とりもなおざず、労農同盟、労農合作をとなえている。いま、中国には二種類の同盟がある。一つは労働者階級と農民階級との同盟であり、もう一つは労働者階級と資本家、大学教授、高級技術者、蜂起した将軍、宗教界の指導者、民主政党、無党派民主人士との同盟である。この二種類の同盟はどちらも必要であり、ひきつづき存続させていかなければならない。だが、どちらの同盟が基礎であり、もっとも重要なのだろうか。労働者階級と農民階級の同盟が基礎であり、もっとも重要なのである。梁漱溟は、労農同盟は破壊され、国家建設には希望がなくなった、と言う。つまり、梁漱溟の意見を取りあげなければ、労農同盟をうまくやっていける望みがなく、国家建設をりっぱにすすめることができず、社会主義にも望みがない、と言うのである。梁漱溟のいうあの「労農同盟」には、たしかに望みがない。きみの路線はブルジョア路線なのだ。きみの路線を実行するなら、けっきょく、国が滅びることになり、中国は半植民地、半封建のふるい道へもどることになり、北京では蒋介石やアイゼンハワーを歓迎する集会が開かれることになるだろう。もう一度言っておくが、われわれはぜったいにきみの路線を採らない。
 梁漱溟は、われわれが都市にはいってから、農村のことを「忘れて」しまい、農村は「空虚」になった、と言う。それは挑発だ。過去三年、われわれはおもな力を農村工作の面にそそいできた。多数のおもな幹部が都市工作の面にうつりはじめたのは、ことしになってからだ。しかし、大多数の幹部はいまなお県、区、郷で活動している。どうしてわれわれが農村を忘れてしまったといえるだろうか。
 梁漱溟はまた、われわれの農村工作が「立ちおくれており」、下級幹部が「法規・規律に違反している」と攻撃する。いま農村には、立ちおくれた郷というものがたしかにある。どのくらいあるのか。わずか一〇パーセントである。なぜ立ちおくれているのか。主としては、反動分子、憲兵や特務、反動的教団の頭目、ならず者や地元のごろつき、地主や富農がまぎれこんで幹部となり、農村の権力をにぎっており、一部の者はさらに共産党にまでもぐりこんできているからである。法規・規律にゆゆしく違反している幹部のなかでは. これらの者が八〇ないし九〇パーセントを占めており、このほか、堕落、変質した幹部がすこしいる。したがって、立ちおくれた郷におけるおもな問題は、反革命分子に打撃をくわえることであるが、堕落、変質した幹部も粛清しなければならない。全国では、よい郷と比較的よい郷はどのくらいあるのか。九〇パーセントである。われわれはこうした状況を心得ておくべきで、梁漱溟にだまされてはならない。
 (十四)これは忠告を拒み、誤りをおおいかくすということではないだろうか。梁先生のこうした意見をしも「忠告」といえるのなら、たしかに「忠告を拒む」ものだと、わたしは言明する。だが、誤りをおおいかくすのかというと、そうではない。われわれはあらゆる問題(労働者、農民、工商業者、各民族、各民主政党、各大衆団体、工業、農業、政治、軍事、要するにあらゆる分野)にたいするプロレタリア階級の指導権を堅持し、団結もすれば、闘争もする。もしも手の内を知りたいというのなら、これも一つの手の内であり、しかも根本的性質をおびた手の内である。これが小さな事がらであろうか。
 (十五)かれの問題は全国的性質をおびており、薄一波の問題のように、全党と全国で討議すべきである。典型をさがし、批判と自己批判をおこなう。全国で総路線を討議するのである。
 批判には二通りある。一つは自己批判であり、もう一つは批判である。梁漱溟にたいしては、われわれはどちらを実行するのか。自己批判をやるのか。ちがう、批判をするのである。
 梁漱溟を批判するのは、かれ一人の問題ではなく、かれという人間を借りて、かれに代表されるこうした反動思想をあばくのである。梁漱溟は反動的であるが、それでもわれわれはかれの問題を思想改造の範疇にいれている。かれが改造できるかどうかは別問題である。かれが改造できない可能性は大いにある。改造できなくても大したことはない。たかがかれ一人のことではないか。しかし、かれと弁論するのは有益であり、それは大げさなやり方だ、弁論する価値がない、などと考えてはならない。かれと弁論すれば、問題をはっきりさせることができる。かれになにか取りえがあるというなら、これがその取りえなのである。いま弁論しているのはどういう問題なのか。総路線の問題ではないのだろうか。この問題をはっきりさせれば、われわれみんなにとって有益なのである。


〔注〕
〔1〕 梁漱溟のいう「無色透明な政府」とは、政府が党派色をおびてはならず、超階級の「無色透明体」になるべきだということである。
〔2〕 『孟子』―「告予章句上」にみられる。
〔3〕 『史記』―「仲尼弟子列伝」を参照。
〔4〕 王充の『論衡』―「講瑞」にみられる。
〔5〕 『史記』―「孔子世家」を参照。
〔6〕 『論語』―「季氏第十六」にみられる。
〔訳注〕
① 『史記』に出てくることば。子路は孔子の門弟で、また侍衛でもあった。子路が侍衛になってから、孔子は異なった意見を耳にすることがなくなった。
② 「孔子の門は、三たび盈《み》ち三たび虚《むな》しくなる」は、漢代のひと王充の著作『論衡』―「講瑞」にみえる。孔子は魯の国で、反動的奴隷制の護持を鼓吹する講義をし、門弟が堂に「盈ち」ていたが、ちょうどその頃、少正卯も門弟を集めて講義していた。少正卯が講義するたびに、孔子の門弟も聴講におもむいたので、少正卯のところは押すな押すなの盛況を呈し、孔子のところは閑古鳥が鳴くように「虚しく」なったという。
③ 『史記』にみえる。孔子は魯の国で大司寇(司法大臣)になったことがあり、また宰相の職を三ヵ月代行したが、この期間に、自分と対立して講義していた少正卯を殺した。


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